第1話「少年と魔王」
ザザッと不穏なノイズが入る。
最初に黒髪の少年、冒険者ソラが降り立ったのは、広大で左右対称に柱が並ぶ真っ暗なフロアだった。
明かりは、大きな窓から差し込む月明かりのみ。
不気味なくらいに静かで広い空間は、メタい読み方をするのであれば、ボス部屋みたいな印象を受ける。
確か始まりの都市、ユグドラシルは広場からのスタートで、目の前に天まで届く大きな樹木が見えるはずなのだが……。
これは、どう見ても違うだろう。
少し歩いて、大きな窓から外を覗いてみる。
すると先ず城壁っぽいものが視界に飛び込んできて、遠くには明かりが一切ない城下町っぽいものが見えた。
ここはどこかの古城なのだろうか。
周囲を観察しながら、ソラは石造りの柱に触れて、その手触りに微笑を浮かべた。
ふむ、流石はクオリティを追求したゲームだ。
今までのVRゲームとは、比較にならないくらいに、現実との差が分からない。
VRゲームといえば、容量を減らすためにオブジェクトに触れても質感とかなかったりするのが普通なのだが、このゲームは細かいところまでこだわっているらしい。
冷たくも、ザラザラとして確かな質量を感じさせる柱。
月明かりに照らされて生まれる影は、物理法則に逆らわず、ちゃんと自分の足元に生成されている。
そしてなによりも、現実の自分と遜色なく動かす事のできる仮想空間の身体。
指先の一本一本が、バグって折れ曲がることの無い様子に感動すら覚えた。
これは、期待ができそうだ。
ゲームの質の高さに笑みを浮かべるソラは、次に何かが近づいてくるような足音を聞いた。
……なんだ。
カツン、カツン。
軽い足音から察するに、よくある城内を巡回する鎧を着た騎士の類いではない。
警戒する中で、その足音は段々近づいてくると、月明かりの下に姿を現す。
「………女の、子?」
それは美しくも、黒いドレスの上に禍々しい鎧を纏う、同年代くらいの銀髪の美少女だった。
彼女は侵入者であるソラを見て、少々驚いた顔をする。
グラフィックのクオリティの高さ。
まるで、同じ人間がそこにいると錯覚してしまうほどの、気品があり意思を感じさせる自然な動作。
今まで色んなVRゲームをプレイしてきたが、オレは彼女の事を、この世で“最も美しい”と思ってしまった。
お、お姫様かな?
ど、どどどどう挨拶したら良いんだ。ご機嫌麗しゅう?
お初にお見えになるでござる?
我、恋愛経験0のクソザコプレイヤー。
こんな不測の出会いに対応できるだけの経験値なんて全く無い。
一体どうしたらいいのか。
内心で、あたふたするソラ。
美麗な少女は、その様子にくすりと笑うと、腰に提げている装飾が施された剣をゆっくり引き抜いた。
言葉ではなく、剣で語る系の姫か!?
びっくりしたソラは、左の腰に装備されている初期装備の簡素な剣〈ノーマルソード〉を一瞥して身構える。
しかし、自分の見間違いでなければ、少女の頭の上に表記されている名前らしきモノには、先程からこう記されていた。
〈災禍の魔王〉シャイターンと。
もしかして。
もしかしてなのだが。
あれは、ラスボスではないか?
その証拠に、此方は緑色のライフゲージが1本なのに対して、敵は真っ赤なゲージが10本も表示されている。
レベルは分からないが、身に纏っている装備とか、そこらの女子達が裸足で逃げ出しかねないくらいに美しい見た目とか、どこからどう見てもモブキャラではない。
いかにも、唯一無二のユニークキャラって感じ。
ハッキリ言って、今の自分じゃ逆立ちをしても勝てそうには見えなかった。
チュートリアルじゃ……ないよね?
現状を分析して、オレが辛うじて出せる答えは、それくらいしか思いつかない。
なんせ、相手は魔王。
言うなら負けが確定している状況だ。
自分が調べることができた情報の中で、何一つ当てはまらないシチュエーション。
もしかしたら、リリース初期のバグというヤツかも知れない。
困惑するソラを無視して、魔王は歩み寄るとこう言った。
『ふぅ、その程度のレベルで妾の前に現れるとは、実に愚かな冒険者よ』
問答無用で、剣が右上から左下に振り下ろされる。
冷静に見て、そのまま剣でまともに受ける事は、不可能だと思った。
考えるよりも動く。
長年のVR操作感覚で、辛うじて回避行動を取ると、腰にある初期装備のノーマルソードを抜刀。
刀身を斜めにして、ノーマルソードが真っ二つにされないように受け流す。
すると、少女の放った刃は軽い火花を散らして狙いが逸れて、そのまま石造りの床と接触。
そのまま床に、巨大な斬撃の跡を刻み込む。
──良し、ぶっつけ本番だったけど身体の誤差は全くないぞ!
内心は冷や冷やしながら、VRゲーム『剣豪』で培った見切りからの受け流しの成功に喜び、バックステップして魔王から距離を取る。
『……なんと』
レベル1で、まだ職業もないオレが初撃を技術で受けきった事に、魔王が目を見開く。
だが、慌てたりはしてくれない。
彼女は冷静になると、何も持っていない左手を此方に向ける。
すると今度は、魔法陣を展開して巨大な炎を放ってきた。
しかもテレビのCMで何度も見た、魔術師の最上位の炎魔法〈インフェルノ・フレイム〉だ。
肌にビリビリと感じる情報圧から、その威力を察する。
恐らくは、かすっても即死は免れない。
当然のことながら、魔法による広範囲攻撃を防御したり避ける術は、今のソラにはない。
だから少しの希望を見出すために、魔王に背を向けると、柱の影に隠れる事を目指して全力ダッシュをした。
でも初期値の脚では、到底間に合いそうにない。
そこで選択したのは、このゲームを始める前に確認した、初期で使える突進スキル〈ソニックソード〉だ。
本来はモンスターに向かって放つ技を、柱をターゲットにして行使する。
「間に、合えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
スキルの効果で、急加速する身体。
触れていなくても燃えるような熱さを背にしながら、飲み込まれる寸前に頭から飛び込む。
するとソラは、危ないところで柱の裏に隠れることに成功。
背後から迫っていた炎は柱にぶつかり、左右に割れてオレの真横を通過する。
『ほう、これは面白い』
驚異的な粘りを見せるレベル1の冒険者に、魔王は感心の声を漏らした。
それから此方に向かって、余裕の現れなのか無防備に歩み寄る。
一か八か、やってみるか。
覚悟を決めたソラは、タイミングを見計らって飛び出し、初期に覚えている突き技のスキルを発動させるためにノーマルソードを横に構えると接近する。
咄嗟に右に薙ぎ払う斬撃が放たれるが、集中したソラは姿勢を低くして回避。
懐に飛び込むことに成功した彼は、そのまま身を捻り、剣に淡い発光を纏った。
選択する攻撃スキルの名は〈ストライクソード〉。
身を捻り、無防備な魔王の胸に、全身全霊を乗せて剣を根本まで突き刺す。
しかし所詮は、全く鍛えていないレベル1のプレイヤーの攻撃だ。
魔王の体力ゲージは、1ミリも削れない。
くすりと、児戯のような攻撃に対して笑う魔王。
お返しと言わんばかりに彼女は剣を構えると、黒い閃光と共に同じ突き技のスキル〈ストライクソード〉を放つ。
「がはッ!?」
今度は視認する事すら困難な一撃を胸に受けて、そのままソラは背後の柱に釘付けにされた。
視界の隅ではプレイヤーの安全装置が働いて、リアルダメージの再現がカットされた通知が表示される。
視界の右上にある初期値のライフゲージは、当然マックスの『20』から減って『0』になった。
手足から力を失い、剣で柱と一体になって動けない少年は身体が徐々に光の粒子となっていく。
まぁ、負けるよな。
どう足掻いても負けるのは確定していたので、悔しくはない。
そんな達観して敗北を受け入れている彼に、魔王は鼻先が触れそうなくらいに顔を近づけると、右手に何やら魔法陣みたいなのを展開させた。
おお……このゲーム、負けて終わりじゃないのか。
間近の魔王の美貌に少しだけドキッとするソラ。
これから一体どんな展開が起きるのか想像もできなくて、場違いだが少々ワクワクしてしまう。
そんな彼に、魔王は称賛の言葉を贈った。
『レベル1にも関わらず怖じ気ずに立ち向かおうとした勇気を讃えて、貴様には此れをプレゼントしよう』
「ぷ、プレゼント……?」
『気に入った貴様が妾から逃れられないようにする、とっておきの贈り物だ。有り難く受け取れ──冒険者ソラよ』
魔法陣はソラの胸に展開されて、そこから何か良く分からないモノが自分を書き換えていく。
ヤバい。まさかの敗北ルートにワクワクが止まらない。
ネットでは、見たことのない展開だ。
しかも敗北ルートということは、この先には普通とは違う展開が待ち受けているはず。
正に自分が今突き進んでいるのは未知の領域。
これにワクワクしないゲーマーはいない。
──魔王シャイターン、オレは必ずおまえを倒しに戻ってくるからなッ!
それは、胸に抱いた一つの誓い。
微笑む魔王の少女にじっと見つめられながら、身体が完全に消滅すると、ソラの視界は暗転するのであった。