聖女を望んだ愚かな王子
7話完結と言いつつこの後もう1話あります。次話で完結です。
私が聖女を望んでいたのは、何も物語のような聖女の話に夢を見ていたわけではない。
聖女は現れる。私にはその確信があった。
6歳の頃、私は一度生死をさまよったことがある。
詳しい場所や状況などはさすがに忘れてしまったが、王子教育に嫌気が差した幼い私は王宮を抜け出し、護衛騎士もいない中で一人足を滑らせ崖から転がり落ちたのだ。
意識こそあったものの、全身が燃えるように痛み、喉がつぶれたように声も出ず、目を開けることもできなかった。
このまま自分は死ぬのか。突然の死の予感に絶望していると、すぐに温かい何かに包まれるのを感じた。
痛みが引き、癒されていく。やっと重い瞼を開けた時、まるで星空のように、紫に金色の輝きをちりばめた瞳が私を見つめていた。
天使かと思った。でもすぐに気づいた。
聖女様だ。
その後すぐに意識を失い、目が覚めた時には3日たっていた。私を見つけてくれたのは探しに来た護衛騎士で、聖女様を見た者は誰もいなかった。
あの高さの崖から落ち生きているだけでも奇跡なのに、傷が見当たらないと言われた。
でも奇跡が起きたのではなく、聖女様が奇跡を起こしてくれたのだと私だけが知っていた。
聖女が今確認されていないなら、きっと今にも現れる。
だってあんな奇跡を起こせるのは聖女様に違いないから。
あの優しい、星の輝く紫の瞳に恋焦がれ、その時にきっと聖女を妃にすると決めた。
ずっとそう訴えていたのに、翌年にはエリザベスとの婚約がととのった。
エリザベスはとても魅力的な少女だった。
輝くプラチナブロンド、天使のような容姿。年齢にあるまじき完璧なマナーに、だが話してみると、高い身分にも関わらず気さくな性格。優しく、周りの誰もが彼女を愛していた。
将来聖女と結婚するのだと大声を上げる私に怒るでも泣くでもなく、5歳児らしからぬ言葉遣いで誠実に向き合ってくれた彼女。
あの時、聖女でいっぱいだった私の心の真ん中に、確かにエリザベスの存在が突き刺さった。
聖女を望みながらも、聖女を望む私に素直に従うエリザベスのことを、面白くないと感じていた。
自分勝手にも、そんな私に怒ってほしいと願っていた。
エリザベスの赤い瞳を美しいと思うのに、彼女のそれが紫でないことを残念に思った。
認めざるを得なかった。私はエリザベスに恋していた。きっと、聖女を望む私を認めてくれた、最初のあの時から。
だが、あの日見た聖女様を忘れることもできなかった。
だから、こんなことになったのだ。
聖女が現れたと聞いたあの日、あの瞬間だけ記憶の中の紫の瞳に頭の中が埋め尽くされた。
正直私の心はすっかりエリザベスのものだったが、それでもあの日の感謝を伝えられるのだと喜びでいっぱいになった。
走って向かったその先で、しかし頬を染め私を見つめた聖女の瞳は紫ではなかった。
彼女の翡翠の瞳と目が合った瞬間、思ったのはエリザベスのこと。
身をひるがえす直前に、視界の端に見えた悲しみをたたえた顔。
今すぐにエリザベスの元へ戻りたいと思ったけれど、そうするには私の行動が悪すぎたし、それまでの私の聖女を望む宣言がまずすぎた。
そこからはあまりにも目まぐるしく日々が過ぎ、あまり現実味がない。
私がずっと聖女を望んでいたことを聖女本人も知っていたため、聖女は私を所望した。
それは誰もが知るところであったから、必然私が聖女の世話をすることになった。
聖女は貴族ではあったものの没落寸前の男爵家の令嬢で、マナーも何もあまりに身についておらず、言い方は悪いがかなり手間がかかった。
おまけに、聖女の証が浮かんでいるため、確かに聖女であるのだが、力の覚醒ができていなかった。聖女を守護する役目を担う神殿や両陛下は急ぎ覚醒することを願った。
「ジークハルト様がずっと一緒にいてくださったら頑張れる気がします」
聖女が紡いだ言葉は、まるで呪いだった。
早くエリザベスに会いに行きたい。私は後悔していた。妄信的に聖女を望んでいた私が間違っていたのだと、愛しているのは貴女なのだと、すぐに彼女に伝えたい。私がそう告げたら彼女は受け入れてくれるだろうか。今更だと信じてもらえないかもしれない。けれど、顔を見て、言葉を尽くして、私の気持ちを告げるのだ。
時間がかかるかもしれない。だが彼女は私の婚約者なのだ。きっといつか信じてもらえるように、これまで素直に伝えてこなかった分も彼女に愛を伝えよう。
そう思うのに、素行も評判も悪い聖女から目が離せなかった。
忙しすぎて手紙すら書く時間がない。城で会う機会のあるフェリクスに言付けようとも考えたが、避けられているようで話すことができない。
誰かに伝言を頼もうかとも思ったが、こんな大事なことを人に伝えてもらうのは違うと感じた。
甘えかかってくる聖女に、しかし期待させたのは私なのだとあからさまに拒絶することもできない。
彼女が聖女の力を覚醒させてさえくれれば。そうすればきっとここまでつきっきりでいる必要もなくなるから、きっとエリザベスに会いに行ける。
そう祈るような気持ちでいるのに、聖女は私がいないと基本的な勉強にすら真面目に取り組まない。私がいないと頑張れないと甘えた口調で脅しのように呟くから、どうしていいか分からず、彼女の望むままずっとその側にいた。
周りからの聖女に対する苦言を必死で抑え、どうにか頑張らせようと優しい言葉で聖女を持ち上げる毎日。
私は焦っていた。だから分かっていなかった。今の自分が周りに、エリザベスにどう見えているのか。
そうして気が付けばあっという間に数か月が過ぎていた。ある日陛下に呼ばれた。
「お前とエリザベスの婚約解消がなった。直に聖女とお前の婚約を発表する。長年の夢がかなって浮かれているのはわかるが、お前のエリザベスへの対応はあまりに不誠実だったのではないか?」
言われた言葉に血の気が引くのを感じ、息が止まった。
必死に弁解しようとしたが、皮肉気な陛下には取り付く島もなかった。
せめて、陛下に話しておけばよかったのだ。意地を張らず、エリザベスにも素直に思いを口にしていればよかった。
どうにか抵抗しようとしたが無理だった。笑えることに、外堀を埋めたのはそれまでの私の行動だった。違うのだと、私が望んでいるのはエリザベスなのだと、周りに理解してもらおうとしたが、エリザベスへの態度の悪さへの言い訳に、取り繕おうとしているとしかとられなかった。どうすればいいか頭を悩ませたが、どうにかできるよりも前に、エリザベスが隣国のレイモンド王太子殿下と婚約したと知らされた。
その後のことはよく覚えていない。悲しみと虚しさの中で、私との婚約を喜ぶ聖女だけが笑っていた。
だが私は今、あの時以上の絶望を味わっている。
聖女のお披露目パーティーに現れた襲撃犯。
騒然となった会場。血に濡れた親しい護衛騎士。彼のことは他よりも信頼し、いつもエリザベスを任せていた。その命が目の前で散りそうな瞬間、私は身じろぎすらできなかった。
こんなときでも聖女は何もしない。今覚醒せず、彼女はいつ力に目覚めるのだろうか。
場違いにもそんなことを考えていると、血が沸き立つような感覚を覚えた。
死にゆく騎士の命を救い上げる温かい光。
恋焦がれていた金の星が輝く紫の瞳。
目を疑った。
目の前に広がる奇跡の光景にではない。
奇跡を起こしている美しい彼女。
ああ、私はなんて愚かなのか。
「君だったのか・・・・・」
それは赤い瞳を紫に染めた、天使のようなエリザベスだった。
読んでくださってありがとうございます。感謝感激です。
蛇足的な最終話を明日投稿し、完結予定です。