侍女は主の笑顔が見たい
エリザベスの侍女アンナ視点
麗しい主人が、私の仕えるマルセルス公爵邸の庭園でお茶を楽しむ姿を見ながら、私は心の底から安堵していた。
アンナ・クルーガー。しがない子爵家の令嬢であり、敬愛するエリザベスお嬢様の専属侍女である私。
エリザベス様に「アンナ」と呼んでいただけるのが私の何よりの幸せである。
そもそも高位貴族は使用人の名前も知らぬということも珍しくはないのだ。
そんな中で公爵家のご令嬢であるにもかかわらず、私のような侍女にも心を砕いてくださり、花のような笑顔を見せてくださるエリザベス様。使用人にも丁寧な物腰、完璧な淑女と称される完璧なマナー。見るものがみな見惚れるその美貌にも関わらず、一切おごることなく実は気さくな優しいお方。
そんな誰もが愛さずにいられないようなエリザベスお嬢様は、しばらく麗しい笑顔を浮かべられずにいた。
それは、無邪気で無神経な聖女様と、薄情で不誠実な我が国の王太子殿下のせいである。
エリザベス様は「最初からそう言われていたことだから」と寂し気に笑っていらしたけれど、見るからに無理をしていらっしゃった。その痛ましい姿に、マルセルス公爵家のみなさまはもちろん、使用人一同もとても許せるものではないと怒り心頭だ。
私の侍女ネットワークによると、どうやら城の使用人や騎士、文官の皆様方も同様のお気持ちらしい。
私から言わせれば意外でもなんでもなく、当たり前ではあるけれど。
そもそもエリザベスお嬢様は周りに愛されているお方だ。
そんなエリザベス様を無下にして殿下が囲い込まれた聖女様はあまり評判のよろしい方ではないらしい。
口ではなんだかんだと言いながらも、私の見立てでは殿下はエリザベス様をお慕いしているのだと思っていたのに。なんだかとってもがっかりしてしまった。殿下は幼いころからの夢である「聖女様を妃にする」ということに固執して、その人本人のことを見ていらっしゃらないんじゃないかしら。
そうでなければエリザベス様にこんな仕打ちができるわけがないと思うのだ。
まあ聖女様に関しては私も他人から聞く話ばかりで、直接接したことがあるわけでないので、もしかしたらなにかとても心惹かれるような魅力がおありなのかもしれないけれど。
とにかく、むしろエリザベス様はあんな薄情者の王太子殿下(こんなことを考えていると知れたら不敬で処罰ものね)と結婚しなくて、むしろ良かったと思う。
エリザベス様にはもっと誠実で、まっすぐにエリザベス様だけを愛し心から大事にしてくれる方の方がお似合いだわ。
そう、この方のように!!!
「ありがとう。エリザベスは人柄がよいから、仕えてくれる侍女もとても優秀なんだね」
「もったいないお言葉でございます」
私が淹れた紅茶を楽しみながら、レイモンド・リッドフィールド王太子殿下が鷹揚に笑った。
この方、隣国の王太子殿下でありながら全く驕ったところのない、私のような侍女相手にもお礼の言葉を欠かさない素晴らしいお人なのだ。そう、まるで敬愛するエリザベス様みたい!
リッドフィールド殿下がマルセルス公爵邸に滞在して3日目。彼の方の訪れは突然だった。
もちろん訪問を願う手紙も届いたし先ぶれもあったので、突然と言うと語弊があるかもしれない。ただ、フェリクス様がお手紙を出したという日を考えると、どう考えても最短なのだ。むしろ、あれ?どうやってこの日にちに間に合ったの?と、少し足りてない気もする。
聞いてみるとエリザベス様を昔からずっとずーっと望んでいらしたらしく、このちょっとありえないレベルのスピード訪問も、エリザベス様の婚約解消の報を聞いて一刻も早くお会いしたかったという思いからだとか。
そんなお話を聞いたら、好感を抱かずにいられないでしょう。
私の見立てでは、エリザベス様もまんざらではないわね。うん。
そう言うと侍女仲間には「あんたはジークハルト殿下のお気持ちを見立て違いしたばかりでしょ」と笑われてしまったけれど。なんだかんだそう言った彼女も同じ見解のようだし、今度こそ私の見立ても間違っていないのではないかしら。
だって実際、エリザベス様に以前のような花咲く笑顔がお戻りになりつつあるのだ。
リッドフィールド殿下到着直後。
エリザベス様は来訪を知らされていなかったらしく、とても驚かれて、それでも嬉しそうに歓迎なさっていた。フェリクス様はいたずらが成功した子供のような顔をしていらした。
リッドフィールド殿下の滞在1日目。
殿下とフェリクス様、エリザベス様は三人でお茶をたしなみ、昔話に花を咲かせていた。
なんでも幼いころマルセルス公爵邸に滞在し交流を持ったリッドフィールド殿下に、小さなエリザベス様はたいそう懐いていらっしゃったとか。殿下のお帰りには「帰らないでずっと一緒にいて」と泣いたらしい。あの小さなころから淑女であらせられたエリザベス様が?!なにそれかわいい。想像するだけで鼻血出そう。どうして私はその時侍女じゃなかったのかしら。まあ実際その頃は私も子供だったのだけど。
リッドフィールド殿下滞在2日目。
エリザベス様と殿下は二人で街遊びに出かけられた。専属侍女として私も護衛とともについていったけれどとても仲睦まじいご様子だった。エリザベス様が気になって見つめていた髪飾りを殿下がこっそり購入し、後でプレゼントしていらっしゃった。素晴らしいですわ殿下!心の中で称賛した。エリザベス様もとても喜んでいらして、夜寝る前にも大事そうに髪飾りを眺めておられた。
惜しむらくは楽しむ二人の邪魔をしないように距離を取っていたため、二人の会話が聞こえなかったこと。何度か満足そうな笑みを浮かべる殿下と顔を真っ赤にするエリザベス様を見たけど、どんなやり取りをしていたのかしら。
とりあえずエリザベス様を見つめる殿下のお顔は終始幸せそうに蕩けた表情だったとだけ。
あと仕事で同行できなかったフェリクス様がものすごく悔しがっていた。
リッドフィールド殿下滞在3日目。
エリザベス様とお茶を楽しんだリッドフィールド殿下はその後、マルセルス公爵様に呼ばれて執務室に消えていった。どうやら殿下の方から時間を作ってほしいと願っていたらしい。
その姿を少しだけ不安そうに見送ったエリザベス様。
「アンナ、私は薄情な人間かもしれないわ」なんておっしゃるからどうしたのかと思ったら、
「ジークハルト殿下のことを本当にお慕いしていて、あんなに胸が苦しくて悲しかったのに、今じゃ何とも思わないの。10年も一緒にいて、たかだか数か月で気持ちが変わるなんて、私を情の薄い人間だとは思わない?」と。
秒で否定させていただいた。全然思いません。むしろそんな風にお悩みだなんて、本当になんて心の綺麗な方なのか。
その後は殿下の代わりにフェリクス様がいらしてお茶会の続きをしていた。
リッドフィールド殿下滞在4日目。
エリザベス様は顔を真っ赤に染め上げて涙を浮かべている。
その前に跪きエリザベス様の手をとるリッドフィールド殿下。
なんと幸せな光景だろう。ジークハルト殿下のことがあった直後は、こんなにもすぐエリザベス様に幸せが訪れるとは思わなかった。でも、これはエリザベス様に相応しい幸せ。
公爵ご夫妻もフェリクス様も嬉しそうだ。もちろん、私も。
よかったですね、エリザベス様。
「アンナも、ありがとう」
無事戻ってきた麗しい笑顔は涙を流していても美しい。
こうしてエリザベス様はリッドフィールド殿下の婚約者となったのです。