第277話 誰がいつの間にこんなものを
「皆さん、ちゃんと並んでください! 十分な量を用意してありますので!」
スラム街の中心で叫んでいるのは、こうした場所には不釣り合いなほど、小奇麗な身なりをした若い女性だ。
だがこれでも普段のそれと比べてしまうと、みすぼらしい格好なのである。
というのも、何を隠そう、彼女はバルステ王国でも有数の貴族家の子女なのだ。
いつもは豪奢なドレスに身を包み、華やかな社交界で生きていた。
護衛を引き連れているとはいえ、なぜそんな身分の女性が、このような場所を訪れているのか。
その理由は、スラムの住人たちが作る行列の先にあった。
「ああ、ありがてぇ、ありがてぇ」
「久しぶりのまともな食事だよ」
野菜たっぷりの健康的なスープが、幾つもの巨大な鍋で煮込まれ、美味しそうな匂いを漂わせている。
それが皿によそわれ、スラムの住民たちに無償で配られているのだ。
「やっぱエレネア様はこのスラムの聖女様だな」
「まったくだ。こんなことしてくれる貴族様は、エレネア様だけだぜ」
彼女――エレネアは、ロクな食事を取ることができないスラム街の住人たちのことを憂い、定期的にこうして食べ物を恵んでいるのである。
その慈悲に住人たちは大いに感謝し、今では彼女を「スラムの聖女」と讃えるまでとなっていた。
「……あれ? おかしいですね……」
「どうされましたか、エレネア様?」
不意にあることに気づいて首を傾げたエレネアに、護衛の騎士が訊ねる。
「スラム街の方々が、以前と比べると幾らか身綺麗になっておられるような……」
「言われてみれば」
護衛の騎士は頷く。
さすがに清潔とまでは言い難いが、それでもいつものような鼻を摘まみたくなるほどの悪臭があまり感じられず、身体の汚れ具合も随分とマシな印象を受ける。
気になったエレネアは、近くにいた男性に訊ねてみた。
「もちろんエレネア様のお陰ですじゃ」
「? わたくしの?」
「ははは、そう惚けなくとも、みんなあなた様のお力だと気づいておりますぞ。この街の各所に、井戸や便所を設置してくださったのじゃろう? お陰で綺麗な水を使い放題。泥水で腹を下すこともなくなれば、糞尿があちこちに垂れ流されることもなくなりましたぞ。ああ、それにあのお風呂も素晴らしいですな。みんな毎日のように通って、汗を流しておりますぞ」
「???」
一体何の話か、まったく理解できない。
エレネアはただただ困惑するしかなかった。
その後、確かにスラム街の中に、井戸や便所が設置されていることを確認したのだが、
「誰がいつの間にこんなものを……? しかも誰も掃除していないにもかかわらず、勝手に綺麗になっていく……?」
ますます困惑を深めるエレネアだった。
◇ ◇ ◇
「見えてきたわ! 海よ!」
セレンが叫んだ。
「って、海ってあんなに大きいの!? ずぅっと先まで続いてるわっ! あれが全部水でできてるなんて信じられないんだけど!」
遥か彼方まで続く大海原に興奮しているのは、セレンだけじゃない。
「わ、わたくしも、初めて見ましたが……話に聞いていたより、遥かに広大ですね」
ミリアも海を見るのは初めての経験らしく、目をぱちくりさせている。
僕はというと、多分、前世で見たことがあるのだろう。
生まれてから一度も海に来たことがなくても、脳裏にバッチリ海を思い描くことができていたし。
なので、初見の彼女たちほどは驚いてはいないけれど、それでもこの圧巻の光景を目の前にしては、やはり興奮せざるを得ない。
「ねぇねぇ降りてみましょうよ! ほら、あそこに砂浜があるわ!」
セレンに促され、僕は公園を海岸へと着陸させていく。
幸い浜辺には人の姿が一切なかった。
「暖かいわね! これなら泳げると思うわ!」
まだ公園が浮いている段階で、セレンが真っ先に砂浜へと飛び降りる。
服を着たままだというのに、勢いよく海へと飛び込んでいった。
バシャアアアアアアンッ!!
「~~~~~~~~~~っ!? しょっぱああああああああいっ!?」
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