第一話 動き出した悪意 ※
ハルとアクトがラフレスタに戻る少し前の時間に遡る。
ラフレスタには数多くの学校が点在しているが、街の北側には名門校が多く存在し、南側には程度がやや劣る学校、中央部にはその中間ぐらいの学校が集まるという傾向がある。
つまり、街の南側へ行くほど学校の評判は下がり、在籍する生徒達の品位も低くなる。
この街で普通科高等学校を卒業したエビルンもその法則に当てはまり、彼が過去に在籍していたラフレスタ第三普通科高等学校も見事に街の南側に位置している。
ラフレスタで最下位に近い高等学校だ。
そこで、喧嘩に明け暮れ、校内でも問題児とされていたエルビンの評価は周囲からも低く、また、ある意味有名な存在。
そんなエルビンは今、就職した傭兵団からとある任務を得ており、それを果たすために母校の周辺にいた。
そして、見知った顔を見つけて声をかける。
「お、レベッカじゃねか、元気にしているか」
「げ! エルビン先輩」
エルビンに声をかけられた女子生徒の顔色は強張る。
それも当然であり、この女子生徒からすれば、このエルビンという男性は『怖い先輩』の代名詞のようなものであったからだ。
自分もやんちゃの方だったが、このエルビン先輩はその数段上を行っており、この高校に入ってから上下関係というのを嫌と言う程教えられた相手である。
「私に一体何の用ですか?」
「まぁそんなに怖がるなって、お前やお前達に、いい話を持ってきてやったんだからよ」
エルビンは自分の後輩である女子生徒の警戒を解かせるため、できるだけ爽やかに笑ったつもりだが、レベッカや彼女の友人が更に警戒色を強めた事から、それが成功しているとは言い難かった。
「いええ。先輩、私達はもう間に合っていますので、じゃあ・・・って、痛い!」
回れ右してエルビンから去ろうとする女子生徒だが、それよりも早く、この怖い先輩に捕まった。
「つれねぇな。ちょっと面貸せや。そんな悪い話じゃねぇよ。んん? ひとりじゃ不安か? じゃあ、そこの友達三人も一緒に来い。いい店で好きなもの奢ってやるから、な?」
レベッカと一緒にいた友達は「どうする」と互いに顔を見合わせる。
本来ならば、こんな怖い先輩について行く事はないのだが、彼女達三人がレベッカと共通している事は互いに裕福な家庭で育っていないという事実である。
エルビンの「奢ってやる」発言で明らかに心が動いた。
「街の北側にある『ヒッテーロ』で好きなだけ食わせてやるよ」
「行く!」
エルビンの一言で簡単に落ちる女子生徒達。
この『ヒッテーロ』という店はラフレスタで評判の店だ。
その単価も高く、貧乏学生の身分でおいそれと行ける店ではなかったからである。
「よし決まりだ。何、俺としては話だけ聞いてくれればいいのさ。後は自分達で判断しな」
エルビンはそう言うと、女子学生達を伴い店へ向かう。
そして、彼らがヒッテーロに入ると奥に設けられた個室に案内された。
これに女子生徒達は驚く。
「エ、エルビン先輩。ここってすごく高い店ですよね。しかも奥の特別室って本当に凄い貴族しか入れないって聞くし、あのー、私達で大丈夫かなって?」
「ん? 金の事は心配すんじゃねぇ。今、俺はいいところで働いているんだよ。それにここは仕事場のボスの紹介だからいつでも顔パスで来られるし」
女子生徒達の心配をよそに、エルビンは豪胆にそう言い張り、奥の一番いい席にドカっと腰かける。
あまり上品な所作ではないが、その程度で文句を言う程にこの店の店員は無粋ではない。
「とりあえず、この店で一番高いやつを・・・あとは適当に持ってきてくれ。それとレベッカ達も好きなのを頼め。金は先に払っといてやる。これで足りるよな」
エルビンは財布から無造作に大金貨五枚を取り出して、給仕に差し出した。
五十万クロルの価値があり、これだけで一般家庭が二ヶ月分の収入に匹敵する。
「こ、これは貰い過ぎです」
給仕は慌てて大金貨四枚を返そうとするが、エルビンは「いい」と受け取りを拒否する。
「わかりました。それでは、こちらも誠心誠意、ご対応をさせて頂きます」
エルビンの気前の良さに気を良くした給仕は大慌てで店の奥へ消えていく。
そんなやりとりをポカーンとした様子で眺めていたのはレベッカ達だ。
「エ、エルビン先輩! 本当にお金持ちになっている」
「当たり前だろ? 今は給料のいいところに勤めているんだ。お前たちも遠慮なく好きなのを頼めばいい」
「わーーい!」
レベッカを始めとした女子生徒は一斉に歓喜。
彼女達が一生かかっても入れないような高級店で食事ができるのだ。
これを歓喜せずしてどうせよと言うのだろうか。
思いがけず手にした幸運に興奮しながらも、次々と欲しい料理を注文する彼女達。
程なくして、テーブルに乗り切らないぐらいの高級料理が彼女達の目の前に姿を現す。
女子生徒達は我慢できず料理に手を出し、そして、期待の裏切らない味に舌鼓を打つのであった。
やがて充分に食事が進み、レベッカ達は完全にリラックスし、気が付けば、エルビンの事を信用するようになっていた。
彼女達は気軽に自分達の日常を話して、そして、品なく馬鹿笑いする。
「だからそのとき、私はマサに言ってやったのさ。男だろ一回で終わんなよ!ってね」
「キャハハハ。だってレベッカって経験豊富じゃない。そのマサっ男子生徒もバカだよね。高い金払ってやらせて貰っているのに、元取らないと大損でしょ?」
「キャミも厳しい事を言うよねー」
「お前たち、またそうやって金を稼いでいるのか?」
「やだなー、エルビン先輩。私達はちょっとしたお小遣い稼ぎですよ。私達も親からそれほど小遣いを貰えていないですし、ちょっと慈善事業をしてみようかな~って」
「そうですよ。それにエルビン先輩だったら、こんなに良いものをご馳走して貰ったんだし、安くしておきますよ」
「うるせー。俺はもう間に合っているんだよ。お前たちの相手するほど暇じゃねーんだ」
「なんだ。つまんないの」
「まぁ、そう言うな。そんな前達だからこそ話易いんだがな」
エルビンは改まり仕事の話を進める。
「俺はアレだがなぁ・・・そんな初心なお前達が良いっていう男も多いんだよ。実は俺、今、『獅子の尾傭兵団』ってところにいる」
「え? あの最近、この街に来た有名な傭兵さんの所にですか?」
「そうだ、超一流の傭兵団さ。クリステ地方じゃあ知らない者は居ないぐらいの有名な傭兵団だし、この前だって稀代の大悪党『白魔女の一味』を成敗し、デルテ渓谷の谷底へと葬ったから、お前達も噂ぐらい聞いた事があるだろう」
エルビンの言葉に頷くレベッカ達。
確かに、今のラフレスタにはこの話題で持ちきりだった。
捕えたと思っていた白魔女は実は偽物であり、これを本物が助けに来たという話。
そして、偽物だった人物は月光の狼の統領によってまんまと奪還されてしまったが、本物の白魔女は獅子の尾傭兵団の団長の活躍により、やっつける事ができた。
最期にデルテ渓谷の谷へ突き落とされた事実は、既にラフレスタの街中に広まっている話である。
人々の噂によると、白魔女はその人間離れした魔力を得るために、多くの生贄が必要だったと言う。
この生贄にされたのが、当時に攫われた学生達であり、そして、誰一人として戻ってこない事から、もう既に学生達はこの世にいないのだと噂になっていた。
そう言う意味で白魔女に対して憎悪を抱く人も多く、白魔女を成敗した『獅子の尾傭兵団』を英雄視する声がとても大きくなっていたのだ。
白魔女が谷底の突き落とされる際に、騎士学校の学生がひとりが巻き込まれており、これを非難する声も若干あるらしいが、それは小さな犠牲であり、それよりも誰も倒す事ができなかった白魔女を倒した功績の方が街では評価されていた。
谷底に落ちた死体はまだ確認できないらしいが、それもじきに解る事だろう。
それよりもこのエルビン先輩が獅子の尾傭兵団に入団に驚くレベッカ達。
それだから、この羽振りの良さについて納得もできていた。
現在の傭兵団はいろんなところから多額の報奨金を貰っている筈。
だから団員の給料の支払いも悪くないのだろうと勝手に想像してしまった。
「その傭兵団だが、お前たちみたいな若い魔術師が良いって者もいてよ。そこでどうだ?お前たち相手してみねーか」
「え? だって私達・・・その道のプロじゃないし。それにねぇ」
「私もあんまり知らない人はやだなぁ」
お茶を濁すような発言をするレベッカ達。
「お前達もバカだな。プロの女じゃないから、いいんじゃねーか。ほら、これ前金だ」
彼女達に大金貨一枚ずつ渡すエルビン。
「え!? こんなに」
今まで手にした事のない大金を受け取り、どうしていいか解らなくなるレベッカ達。
「今の傭兵団は羽振りがいいからな。事が済めば、これと同じ額を相手から貰えるぜ」
ゴクンと生唾を飲み込むレベッカ達。
大金貨二枚という金額は彼女達にとっても、どう使っていいか解らないぐらいの大金。
今日のこの店の料理を十人以上で食べたとしても大金貨一枚でお釣りがくる価値なのだから。
「どうするかはお前たち次第だ。もし、乗り気ならば東門近くの街の外れにある古びた屋敷に来な。そこが獅子の尾傭兵団の拠点。夜番にこの書状を渡せば解るようになっている。こっそりと中に通してくれるさ」
そう言い羊皮紙をレベッカ達に渡す。
その羊皮紙にはエルビンの紹介である旨と屋敷の場所が書かれていた。
「あっそうそう。この四人だけじゃなく、もっと連れてきてもいいぜ。ただし、魔術師である事と、口が堅いヤツな。あと、可愛ければ尚良いぜ」
ヒヒヒと下品に笑うと、エルビンは席を立つ。
「じゃあ、俺はそろそろ行くわ。こう見えても忙しくてな」
それだけを言い残すとエルビンはあっさりと彼女達の前から去る。
去り際にこの店の給仕に「この事は内密にな」と声を掛けるのも解れない。
給仕は黙って頷く。
残されたレベッカ達は「どうする?」と互いの顔を見合わせた。
普段はいろいろと慎重に考える彼女達だが、結局は金の欲に勝てず、エルビンの誘いに乗る事にした。
ちょっと我慢するぐらいで彼女達が一年は遊んで暮らせる金が手に入るのだ。
この幸運を逃してはならないと思った。
その夜、彼女達は似たような境遇の友達を誘い十人程の集団で傭兵団が本拠地にしている屋敷に向かう。
あれを買おう、これを着ようと、いろいろと妄想して屋敷に入る少女達だが・・・
遂に彼女達が屋敷から戻ってくる事はなかった。