第十二話 帰還 ※
「あーーっ、髪がこんなにグショグショになっている! ありえない、ありえないわ!」
ハルはアクトの腕の中から飛び出し、言葉一番に現状を嘆く。
確かにハルの言うとおり、昨日は急ごしらえの治癒魔法を施したためか魔法は効力を失い、再び傷口が開たことで大量の血液が互いの身体やベッドの毛布に纏わり付いていた。
そんなベッドの中の世界は一度出てしまえば、もう二度と入りたいとは思えない壮絶な現場だったりする。
特にハルは自分の長い髪がベタベタになっているのが特に気なるようで、さっさと近くに掛けてあった自分のローブから魔法袋を取り出し、その中に収納していた携帯型のお風呂の魔道具を素早く展開する。
空間魔法によってせり上がってくる彼女自慢のお風呂は、狭い部屋でたちまちの存在感を放ち、手狭となる。
しかし、そんなことに構てられないと、ハルはいろいろと準備を始めた。
「アクト、アナタも来なさい。一緒に洗ってあげるから」
「お、俺はいいよ。その辺の川で洗って来るから」
「何よ。今さら恥ずかしがらなくても、互いに裸はもう十分知っているでしょう!」
ハルはそう言って、恥ずかしがる俺を引張って一緒に浴室に入る。
湯船には既にお湯が張られており、シャワーからは熱いお湯が流れ出ていた。
「アクトは触らないでね。魔力抵抗体質の力で魔道具の魔力が抜けちゃうから」
ハルがそう指摘するとおり、この携帯型のお風呂は精密魔法陣の塊である。
強力な魔力抵抗体質者であるアクトが触れようものなら、魔力が分解されて壊れかねない。
その事が『心の共有』によってよく解るからこそ、俺はじっとハルにされるがままにされていた。
そして、俺達が自身の身体を清潔にした後に、次にした事と言えは、この凄惨な現場の現状復帰である。
ハルはお風呂を再び空間魔法の中に閉じると、次の取り出したのは俺と開発した魔導型洗濯機。
下着や毛布も含めて汚したものを全て魔導型洗濯機に預けて、その間、そこら中を雑巾がけするハル。
裸でそんな姿を晒すハルに、俺は呆然と彼女の掃除する姿を眺めていた。
そうすると、直後、彼女から雑巾が飛んできた。
「私の姿に見惚れる暇があったら、アクトも掃除を手伝いなさい!」
彼女の指摘に、尤もだと思いつつも、少々残念な気持ちになる俺。
そんなアクトの男心も『心の共有』によって現在のハルには百パーセント筒抜けなのだ。
ハルもそんなアクトからの厭らしい視線を意図的に無視して、掃除を再開する。
そして、ハルがあまりにも徹底的に掃除をするので、元の状態よりも綺麗になってしまう。
「そこまでする必要ないだろう」
結局一緒に手伝う羽目になっていた俺からは少々呆れ気味にそんな言葉が漏れる。
「まぁいいじゃない。私達の言葉にはね「立つ鳥、跡を濁さず」という諺があるし、こんな場所だけど私とアクトにとっては一晩お世話になった所だしね」
昨日のことを断片的に思い出したのだろうか、少し恥ずかしそうにしているハル。
そんなハルの事を可愛いと思いながらも、俺はハルの事実について口を開く。
「なるほどね・・・それにしても君が『サガミノクニ』という所から来た人間だったなんて、今でも信じられないほど驚いているよ」
「ええ、今更隠し立てはしないわ。私はこの世界では『異邦人』という事になるのでしょうね」
ハルは少し寂しそうな顔で俺に応えてくれた。
「・・・江崎春子と呼んだ方がいい?」
俺が喋ったのは完璧な東アジア言語の発音である。
これも『心の共有』が成せる技だ。
「・・・いや、いいわ。この名前はふたりだけの秘密にしましょう。こちらの言葉で『春子』と発音するのは難しいし、今までどおり『ハル』でいいわ」
「そうか」
「でも、久しぶりに春子と呼んでもらえて嬉しかったわ。ありがとうアクト」
ハルは俺に感謝の口付けをしてくれた。
普段の彼女はここまで積極的に行動しないだろう。
しかし、それでも今日だけは・・・と、俺に甘えたかったようだ。
俺達は軽い接吻だけで触れ合いを終える。
それは、これにあまり夢中になると、止められなくなってしまうという自覚が互いにあったためだ。
そんなふたりは程なくして掃除を再開して、すべてが綺麗になったのは朝から随分と時間が過ぎた時刻だった。
日は完全に昇り、昨日の荒天とはうって変わっての晴天になる。
何かを始めるにはうってつけのような一日だが、ふたりにとってはそんな悠長な事を言っていられない。
解れた衣服を魔法で修復し、清潔になった衣服を着る俺達。
裸体を隠せた事で、互いに少しだけの冷静さが戻ってきた。
「さて、これからどうする?」
「昨日までの私なら、エレイナさんを助けた後、未練も何もないラフレスタからは去ろうと思っていたけど・・・」
「けど?」
「今は、状況が少し違ってしまったわ」
ハルには『アクト』という未練ができてしまったようだ。
この先、俺と離れる事ができるのか・・・それはもう、できそうにない。
これは俺の自惚れじゃなく、心の共有だから解るハルの覚悟。
「アクト・・・先に一度だけ言っておくわ。私はいずれここを飛び出して同胞を探す旅に出る。それはラフレスタから出ると言う意味だけではなく、このエストリア帝国から出て隣国のボルトロール王国、神聖ノマージュ公国・・・いや、更にこのゴルト大陸から外に出るかも知れない・・・それでもいいの?」
「俺がどう答えるかは、『心の共有』で既に知っている筈だろう? 勿論、俺の答えは『はい』だ。どこまでも君と共に進もう。そして、俺が先頭を歩いてやるさ!」
『心の共有』を果たした事によって、俺達の考える事はだいたい解るようになっている。
ハルがここで敢えて言葉にしたのは、俺からの最後の覚悟を確認するためであり、ハル自身の気持ちに整理をつけるものでもあると思う。
「わかったわ」
ハルは『アクトが自分を選んでくれた』という確かな幸福感と、小さな罪悪感が心に走ったようだ。
「これも一度だけ謝っておくわ・・・こんな不幸な女に関わらせてしまい本当に申し訳ないと思っている。貴方の輝かしい経歴を不意にしてしまう可能性も高いし・・・本当にごめんなさい」
「そんな事を言うな。俺も好きで選んだし、これも『運命』ってヤツさ」
俺がそう答える事はハルには解っていたし、ハルとしては自分の罪滅ぼしのために口にした言葉でもあったが、こうして、俺からその言葉を聞くと、胸が張り裂けそうにな気持ちのようだ。
ハルは込上げそうになる涙をぐっと堪えて「わかった」と再び小さく答えて、俺の胸に自分の額をつけた。
彼女の気持ちを察した俺は、只々優しくハルを抱く。
こうして、俺達の覚悟は決まることになる。
「帰るわよ。ラフレスタに」
「ああ、そうだな」
「いろいろと決着をつけなくてはならなくなったわ」
その決着とは何を指すのか・・・
ジュリオ皇子の事、然り。
残された月光の狼の事、然り。
いろいろな期待を裏切って逃げ出したアストロ魔法女学院の事、然り。
誰かに攫われてどうなったか解らないサラやエリザベスの事、然り・・・
様々な事情が入り乱れていたが、ハルと俺には「ラフレスタに戻って全てに決着をつける」という直感めいた確信があった。
ここから逃げ出すと、一生後悔しそうな何かが、俺達を突き動かしていたのだ。
そう決意すると、俺達はすぐに行動を開始するため、一夜を共にした小屋から外に出る。
まずはハルが渓谷の深い谷から魔法で浮かび上がり、現在の位置を確認した。
周辺の地形と俺の知識から、落とされた谷より随分と南に流された事を知る俺達。
そして、小屋がある以上、人の通れる道がある事も解った。
俺らはこの道を使い、深い渓谷から平地へと戻ることができた。
そして、ラフレスタまで約三日をかけて遠回りして戻る事になる。
道中は人通りのある街道をできるだけ避けた。
それは、既にお尋ね者となっているハルがラフレスタに戻るまでの間、余計なトラブルに会わないための配慮だ。
日中はほぼ人に会わないような道を選び、そして、夜は衛士のいない小さな村へ立ち寄り、そこで一夜の宿を求める。
小さな村には粗末な安宿しかなかったが、俺達が文句を言う事もない。
また、宿の方も高等学校の制服を着た若い男女がひとつの部屋に泊まる事を不思議に思う事はなかった。
何故なら、ラフレスタ近郊の村では―――それほど頻繁な事では無いが―――こうやって秘密裏に逢瀬を楽しむ学生が偶にいるのだ。
宿の主人も、彼らを無粋に扱って商売を損なうような真似をしなかったらしい。
現在のハルや俺にとってこれは都合のいい話でもあった。
こうして、ハルと俺は大きな騒動に会う事もなく、俺達の第二の故郷とも言えるラフレスタへ戻って来る事になる。
城壁都市であるラフレスタの街に入るためには城壁の各所に設けられた城門を通らなくてはならない。
当然、ここには入場を判断するための衛士が詰めており、彼らに身分証、もしくは、入場の許可証を見せる必要がある。
その衛士がアクトとハルの姿を見つけると、すぐに騒がしくなった。
彼らの人相が既に連絡されていたのだろう。
ハルとアクトは呼び止められて、別室で待たされる事になる。
そうして、しばらくすると見知った顔が現れた。
ラフレスタ警備隊第二部隊隊長のロイである。
彼の口は真一文字に結ばれており、とても彼らの帰還を歓迎している様子は見せていなかった。
「一応、確認しておこう。お前達の名前はアクト・ブレッタとハルだな」
「そうです」「ええ」
アクトとハルの言葉が重なる。
彼らもロイと同じように重い表情をしていた。
互いに笑顔はなく、視線を逸らさずで、相手に対して真直な視線が交わる。
「ハル。貴女には皇族侮辱罪、ならびに、傷害罪の容疑がかかっている。ご同行願おうか」
ロイは冷徹にそう告げると、ハルの両腕に魔法を阻害する手錠をかけた。
これで八章は終わりです。登場人物の更新します。




