第十話 アクトの誓いの理由
俺はエミルの後を追う。
気が小さく、ひ弱そうに見えた彼女だが、その分、逃げ足は速いようだ。
普段から鍛錬をしているこの俺でさえもなかなか追いつけずにいる。
ここが彼女の生まれ育ったフレイソンの森だというのも彼女の有利に働いているのだろうか。
そうして、益々と森の奥の方へ進むが、なかなか振り切れない俺にやっと観念したのか、森の少し開けた場所でエミルは足を止めた。
「おい! お前。どういうつもりだ!」
俺はエミルに問いただす。
「こ、来ないで。これには訳があるの・・・」
エミルは俺の問いかけにビクビクし、小動物のように怯えていた。
「ハア、ハア、ハア、ハア、ア・・アクトさん、待って・・・ここは私が・・」
息も絶え絶えに追いかけてきたステイシアが俺を止める。
自分が交渉すると俺に申し出たステイシアをどうするか?と少しだけ悩むが、事態はそれを許してはくれなかった。
「聖なる土よ。今こそ発破し、荒れ狂う土地に力を与えたまえ・・・土爆破!」
エミルは恐れたのか、また俺達に向かって魔法を放ってきた。
「ふん。俺に魔法は効かないぞ!」
俺は魔力抵抗体質の力を高めて、性懲りもなく攻撃魔法を放つ彼女の魔法に対抗しようとする。
やがて彼女の詠唱は完結し、俺達に魔法が向かってくる・・・と思ったが、そうでは無く、自分達の手前の地面にエミルの土魔法が炸裂した。
彼女の魔法によって地面が三十センチほど掘り返されるが・・・効果はそれ以上の物があった。
エミルの魔法は地面の一部を掘り返しただけだが、それ呼応して周囲の地面に亀裂が走る。
ミシ、ミシ、ミシ・・・
そして、俺達の足元が十メートル四方で一気に崩落した。
「何?!」
俺達はたいした抵抗ができず、エミルによって引き起こされた地面の崩落に巻き込まれて落下してしまう。
「キャーーーッ!!!!」
ステイシアとともに落下して大量の土を被ったが・・・何とか生きている。
「ス、ステイシア。大丈夫か?」
「ゴホゴホ。ええ、大丈夫よ。アクトさんこそ」
「俺は大丈夫だ」
互いの無事を確認しつつ、上を見上げると元の地面は約三メートルの高さに見え、そして、そこに立つエミルの姿。
「おい、お前! いったい何のつもりで・・・」
俺は叫ぶが、俺を見下している人物は彼女一人だけではなかった。
「フ、フ、フ・・・よくやりましたよ。エミル」
そこに居たのはジラだった。
彼はエミルの傍に寄り、彼女を褒めるように頭を撫でていた。
エミルはジラにされるがまま撫でられていたが、表情は強張っており、好きでその行為を受けているようには見えない。
「ジラ! これは一体どういう事だ!」
俺は相手に真意を問い正すも、薄々、彼に嵌められたのを勘付いていた。
この約十メートル四方の落とし穴は三メートル以上の深さがあり、エミルの魔法だけでできるような代物ではない。
予め落とし穴を作っておいて、その上に土で覆せて魔法で固めていたのだろう。
そこに俺達が誘い込まれて、いいタイミングで上に被っていた土を魔法で破壊し、落とし穴に落とす・・・そういった算段なのだろうと直感で理解していた。
こうして俺達はまんまと敵の罠に嵌ってしまったが、それが悦に入ったのか、ジラの顔は愉快に歪む。
「フフフ。それはね・・・アクト君、君がいけないのさ」
「俺にか? これは何かの復讐のつもりか!」
俺はジラの顔を思い出していた。
そう、この意地悪く人を見下した顔が、昨年、彼と初めて会った時の顔だったからだ。
これがこのジラのという男の素顔なのだろうと思う。
「そうさ。去年、君は僕に酷い仕打ちをしたよね。公衆の面前で僕の事を散々と虚仮にしてくれたあの屈辱は・・・今でも覚えているよ」
ジラはあの日に自分へ課せられた屈辱の日々を思い出していたのだろうか、眼を見開いて俺を指差し、その手は怒りでブルブルと震えていた。
対して俺は今日のその日までジラの事を忘れていたぐらいであり、彼の印象などほとんど残っていなかったのが事実である。
「俺がお前に一体どんな事をしたと言うんだ! 去年、俺はお前と学校別の武術試合をしたという記憶以外無いぞ」
「何を言っている! この下賤野郎め!!」
俺の言い方が悪かったのか、ジラは激高する。
「これまで僕は魔法と剣で誰にも負けた事がないんだ。それなのに・・・お前は俺の魔法を易々と防いでしまうし、僕の必殺の剣だって片手で余裕に往なす。それも、僕の事をまるで三下だと言うかのように、全く真剣に戦っていなかった。それが許せないんだ!」
ジラは感情的になり俺との去年の対戦の内容を非難してくるが、これによって俺は若干去年の試合内容を思い出す事ができた。
確かに彼との一戦は俺の印象に残るものではなかったが、その理由は彼の実力がたいしたが事が無かったという一言に尽きる。
ジラがどれだけの努力で修練したのかは解らないが、それでも俺のジラに対する評価は『下の中』だ。
一般人が努力により『中の中』まで行ける事を考えると、ジラの剣の腕はまだまだ序の口であり、明らかに鍛錬不足だと思う。
「ああ、思い出したよ。確かにあの時は俺もそんなに本気出してなかったのは事実だ。しかし、それはお前が弱かったからだ。俺は弱い奴とは全力で戦わない。俺に本気を出して欲しいと思うならば、お前はもっと修練を積むべきだ」
この時、俺はあくまで冷静に物事を言ったつもりだったが、この頃の俺には相手を見るという能力が無かった。
これが失敗のひとつだろう。
その結果、ジラは予想に違わず、更に怒りを増幅させる結果に至る。
「き、貴様! 言わせておけば!」
ジラは怒りながらも器用に魔法を放ってきた。
彼が放ったのは風の魔法であり、俺達とは見当違いの方向に飛び、落とし穴の壁の一部を吹き飛ばすに終わる。
「何処を狙っている!」
俺はジラを実力不足者と評価する。
しかし・・・・そうでも無かったらしい。
「くくく、あれを見ろ」
ジラは俺の言葉を無視して、自分の放った魔法で砕けた土の壁を指差す。
そこで俺は気付いた。
何か人のような者がそこに存在している事を。
「あれは?!」
その人型はゆっくりと立ち上がり、大きな唸り声をあげた。
クガァーーーーーーーーーーーーーーーッ!
人型の化け物は上半身が裸で、少し青味のかかった肌色をしており、髪は無く、ごつごつとした醜い顔をしていた。
そして、全身が筋肉質で、両足は鎖で地面につながれていた怪物。
「トロル!」
俺は戦慄してその魔物の名前を口にする。
この魔物は怪力を持ち、魔法もあまり効かない。
人型の魔物ではかなり強い部類に入る存在だ。
「ふふふ、そうさ。このフレイソンの森は、ずっと南にある『辺境』とつながっていて、時々強い魔物が流れてくるのさ。このトロルもこの前、騎士団が生け取りした奴で、薬でこうやって眠らせていたけど・・・石礫の魔法!」
ジラはトロルに目掛けて石礫の魔法を唱える。
小さな石礫が現れてトロルに命中したが、当然これでダメージを与える事はできない。
ジラはやりたかったのは、寝起きのトロルを挑発する事だ。
そして、その狙いどおりトロルは俺達に向かって豪快に吠えた。
ゴォウアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!
寝起きに石ころをぶつけられたのが癪に障ったのか、怒りに身を任せた咆哮。
「ぐっっ!」
その咆哮のあまりの迫力に、俺は一瞬たじろいてしまう。
この頃、初等学生に過ぎない十二歳の俺にトロルは強敵過ぎるのだ。
これが俺のふたつ目の失敗である。
ここで怖気付かなければ・・・いや、もう少しだけ勇敢だったならば、未来は変わっていたのかも知れない。
トロルは俺達に襲いかからんと足を踏み出すが、両足が鎖につながれた状態であり、前に進む事はできない。
これがトロルに更なる怒りを抱かせて、正に鬼の形相となる。
「ヒャハハハ。どうだ、アクト君、怖いだろう。自分よりも強者を前にして、僕の時のように余裕は出せないよね。泣いて許しを請うなら、この薬でトロルを眠らせて助けてあげる事もできるよ」
ジラは小さな瓶に入った麻痺毒を俺達に示した。
ここで俺はジラの目的を完全に理解した。
ジラは泣き叫んで命乞いする俺の醜態が見たいのだ。
自分を負かした奴が、恥を忍んで自分に助けを請う姿・・・それを見たいためだけに、彼はこれほど凝った罠をしかけてきたのだ。
「ジラ様、もう止めましょうよ。こんな事がお父様達に知れたら・・・」
「うるさい! エミル、お前は黙って見ていろ。お前の学費を誰が面倒見ていると思っているんだ!」
「で、でも・・・私にはアクトさん達を脅すだけだって言ったから協力したのに、あんな化物がいるなんて聞いていなかったし」
「うるさい、うるさい!」
明らかに戸惑うエミルは利用された口なのだろう。
俺は彼らのやり取りを見てそう思ってしまうが、それが最大の失敗だ。
この状況で最大の障害のトロルから目を離してしまったのは俺の愚行。
ここで怒り心頭なトロルは、自慢の怪力で、遂に足に繋がれていた鋼鉄の鎖をバラバラに引き剥がした。
そして、粉々になった鎖を拾い、力任せに投げる。
それは俺でもなく、穴の上で痴話喧嘩をしているジラとエミルでも無かった。
「えっ!」
俺の隣にいたステイシアから、一瞬自分に何が起こったか解らない声が聞こえた。
そして、それは彼女の身体の一部が高速で飛来した鉄の塊によって貫かれた後だった。
俺の視界の片隅で、ゆっくりと彼女が仰向けに倒れていく。
俺が彼女の身体を支えるのも間に合わず、地面に卒倒するステイシア。
そして、彼女の腹には抉り取られたような穴が開いており、そこから噴水のように血が溢れていた。
その光景をまるで現実感が無いように見る俺。
まるで時間が止まってしまったように周りの音が一切聞えない。
致命傷である。
それは一目で見れば明らかだったが、俺の心がそれを認める事を許さなかった。
「え!? ステイシアさんが殺された」
エミルは残酷な事実を口にしたが、それはこの場にいる誰にとっても衝撃的な事実だったのだ。
ステイシア・ディドールはトリアで名門中の名門貴族であるディドール家の次女だ。
ディドール家はブレッタ家と違い政治力も強大であり、この家を敵に回す事など貴族社会では考えられない事。
ジラの顔が引き攣る。
ここで自分のしてしまった事の重大さに初めて気付き、どうしていいか解らなくなってしまったみたいだ。
「こ・・・これは間違いだ。彼女を殺すなんて計画には入っていなかったんだ。そ・・・そうさ、元々はアクト君をちょっと困らせれば良かったんだ。それで無理を言って親戚の騎士長からトロルを借りて来たんだ。こんなのは僕の考えじゃない。・・・そ、そうだ、ここで皆、死んじゃえば、この事は誰も解らない。これは・・・そう、事故だ。辺境から単独でやって来たトロルに、森で運悪くアクトとステイシアさんが出会ってしまったんだ。僕とエミルは彼らを助けようとしたんだけど、奮闘空しくふたりは殺されちゃった・・・そうだ、そうしよう、そう・・・・ッ!」
ジラの言葉が突然止まる。
原因は明白であり、トロルの放った二度目の鎖の投擲に当たってしまったからだ。
ジラは頭を貫かれて即死。
そのまま落とし穴に落下して、俺の足元に落ちてきた。
でも、俺はジラの事などまったく気にならない。
何かが落ちて来た事は認識した。
その後ろで女子が金切り声を上げていた事も薄っすらと記憶に残っているが・・・その程度の事だった。
この俺にとってはステイシアを失ってしまった事実が、とても、とても大きく・・・それ以外はどうでもいい事だった。
何かが俺の頬を掠める。
気が付けば、頬から血が垂れていた。
トロルが何かを投げて、俺の頬を掠めた事が解り、ようやく俺は現実の世界に戻ってきた。
片足を鎖につなげたままの怒りのトロル。
しかし、この瞬間の俺はトロルよりも醜悪な顔をしていたに違いない。
この時の事が誰も解らないのは、この場で生き残ったもうひとりであるエミルが、この時の俺の様子を決して誰にも語らなかったからである。
彼女は元から怖がりな性格だったが、この時の俺の姿を見てから、俺に対する恐怖は一入となり、誰かからこの時の状況を聞かれても、彼女は条件反射的に嗚咽を漏らしてしまい、その口からは何も情報を引き出せなかったらしい。
それほどに俺は怒りに身を任せていたのだろう。
そして、俺は最愛の人を奪ったトロルへと果敢に斬り込んでいく。
練習用の剣は刃先が丸められているので、斬る事はできないが、俺はそんな事など構わずトロルに襲いかかった。
俺がどうやってこのトロルに勝ったのか、全く記憶に残っていないが、倒した後の俺は全身が血まみれで、既に物言わなくなったステイシアの亡骸を抱いていたらしい。
トロルも両目が潰され、関節と言う関節が折られて絶命していたようだ。
そんな凄惨な現場が発見されたのは、俺達がなかなか戻ってこないことに業を煮やした生徒と先生達だった。
こうして、俺とエミルは保護されたが、ステイシアとジラに神の奇跡など起きる訳も無く、冷徹に死亡が確認されてしまうのであった・・・
この事件は誰にとっても衝撃的だったが、特に俺には致命的だった。
命からがらで家に戻ったとき、家族全員が俺の無事を心から喜んでくれたが、ステイシアが亡くなった事については誰一人として口を開かなかった。
それはあまりに衝撃を受けている俺の事を気遣ってくれたのだろうが、俺にはそれが苦痛でならなかった。
しばらくして、ステイシアの父様が我が家を訪れ、自分の父様と何かを話ていたが、その内容は俺には伝えられない。
ステイシアの父様が帰り際に俺を抱いて、こう語りかけてくれた。
「ステイシアが死んだ事はとても残念だが、アクト君はステイシアの分まで生きて欲しい・・・それが我々の希望だよ・・・どうか、それだけは忘れないでいて欲しい」
そう言い、ステイシアの父様は俺の涙を拭いてくれた。
このとき、俺は初めて自分が泣いているのを知った。
しばらくして、父様はひと月ほど家を空ける事になった。
何処へ行って、何をするのかは、語られる事はなかったが、その後に風の噂でジラの実家であるハイヤード家が没落した事を知る。
このとき、俺は父様が何をしたのかは直感で解ったし、父様が帰ってきた時に、そこから血の匂いがしたような気がしたので確信している。
ブレッタ家の役割は帝国の暗部でもあり、実力行使しなければならないときの力を担っているとも聞いた事もある。
今回はディドール家と協議して、ハイヤード家に報復したのだろう。
貴族と言うのはそういうものだ。
体面を大切にしないと後々まで侮られる事になるし、父様としては相手の事を自身の目で確かめて、相手が『悪』だと認定して斬ったのだろう。
別に相手に報復したところで、俺の気が晴れる訳でもないが、それでもゆっくりと現実を受け入れる事はできた。
今ではなんとか学校に通う事もできて、友達とも表面上は普通に会話ができるようにまでなった。
普通に笑い、普通に話して、普通に冗談話もする。
表面上だが・・・
周囲からは『もう大丈夫』と認識されており、ステイシアの事は過去の不幸な事件のひとつとして取り扱われるようになる。
しかし、俺は違う。
彼女のことを本気で愛していたし、これからも愛し続けるだろう。
決して忘れる事なんて無い。
朝の馬車に乗る事で、それは思い出されてしまう。
ステイシアの父様は娘の事をたまには思い出して欲しいと、ディドール家の馬車で俺達を毎日迎えに来てくれた。
それが俺を堪らなく切ない気持ちにさせてくれる。
別にこれは嫌じゃない。
寧ろ、うれしいぐらいだ。
この馬車はステイシアとのいろいろな思い出が詰まっていた場所でもあり、そして、あの時に、何がいけなかったのかを再確認できる場所でもある。
あのときに、ああしていれば、こうしていればと、あまり利益の無い反省をする事もあったが、今では、自分の何がいけなかったのかを認識しているつもりだ。
俺には『覚悟』が足らなかったのだ。
彼女を守るために、『最強になる事への覚悟』が足らなかったのだ。
ステイシアが死んでしまったのも、自分の注意力不足、集中力不足であったし、俺の中で『彼女が第一である事』に対する覚悟の無さが原因だと思っている。
自分は今まで直接的な『力』というものに拘り過ぎていた。
協調性や教養はステイシアの領分だと思い込み、それを彼女に託し過ぎていたのだ。
拘っているはずの『力』についても兄様や父様には敵わないと、心のどこかで思っていた。
でも、それでは駄目なんだ。
俺は全てのものに『最強』を目指すべきだったんだ。
最後までやり抜き、自分の欠点を無くすべきものだった。
そうしなければ、俺はまた同じ失敗をする。
それは自分でも許されない事だし、亡くなってしまったステイシアからも、あの世で俺に愛想をつかす事だろう。
そう、『最強』であるべきだ。
剣も、心も、知識も、協調性も、全てだ!
それを再認識して、また今日の一日が始まる。
やがて、通学の途中でサラとインディが馬車に乗ってきた。
俺の姿を確認したサラが、そっと俺に寄りハンカチを差し出した。
「アクト・・・これ使って」
彼女の優しい言葉を聞き、俺は自分が泣いているのを再び思い出した。




