第九話 フレイソンの森
俺達トリア中央貴族初等学校の六年生は片道三時間の馬車に揺られてトリア南部にある片田舎街のフレイソンにやって来た。
今回、合同で行われる武術訓練はフレイソン貴族初等学校の校舎敷地ではなく、山中にある野戦訓練場で行われるらしい。
先生曰く、野戦を模擬した訓練との事らしいけど、自分が言うのも何だが、こんな平和な時代に時代錯誤のような授業内容だと思う。
しかし、俺は身体を動かす事は好きなので、この授業内容については特に反対する事もない。
そして、よくある事だが武術訓練に先立ち、相手学校であるフレイソン貴族初等学校の学年代表の筆頭生徒より歓迎の挨拶を受ける。
「今日は一日よろしくお願いします」
白々しいほどの清々しさを前面に出した金色長髪の少年。
この時、俺は彼の顔と名前をようやく思い出す。
確か、ジラ・ハイヤードという名前の貴族男子で、俺が昨年の武術大会でコテンパンにした相手だ。
魔法と剣術を両方扱う『魔法戦士』の彼は、やたらと自尊心が高く、鼻に突く性格をしていたのを思い出した。
彼はフレイソン貴族である事に強い拘りを持ち、自分達トリア中央に所属する貴族を莫迦にする発言が目立つ小僧だ。
当時の彼の物言いに多少腹を立てた俺は圧倒的な実力差を披露して、彼の鼻を完膚なきまで折ってやったのだ。
あれから約一年が経過し、俺はその事をほぼ忘れていたのだが・・・今、ようやく思い出した。
そして、このジラと言う少年の態度が去年と大きく変化していた事に俺は気付く。
ジラは礼儀正しくなり、そして、俺をはじめとした中央貴族の子女に対して、とても友好的な態度で接する人間へと変貌していた。
「ジラさん、ご丁寧な挨拶をありがとうございます。今日は楽しく、そして、安全に訓練を行いたいと思いますので、こちらこそよろしくお願いしますわね」
ステイシアが全員を代表して挨拶を返す。
ここで何故ステイシアが出てくるのかと言うと、実は彼女はトリア貴族初等学校の学年筆頭生徒でもあるからだ。
俺は単純な武芸者としては、ずば抜けた存在だが、単に武力が優れているからと言って学年筆頭に成れる訳ではない。
勿論、筆頭の選定条件に武力は大きな比重となるが、それ以外にも教養、人望、礼儀などの多くの指標で最も優れた者が学年筆頭の栄華を与えられる。
そして、今代で最もバランスの良い存在がステイシアであったから、彼女が学年筆頭を拝命されたのだ。
彼女はこの時の俺には無い人望と教養、礼儀があり、これに俺は異論など一切なく、正当な評価だと思う。
だからステイシアはトリア貴族初等学校の学年代表としてジラの挨拶に応じたまである。
「こんな美しい女性が筆頭だなんて、僕はトリア貴族初等学校が羨ましいです。こちらこそよろしく」
ジラは白々しいぐらいにステイシアの事を褒めた。
去年はあれほど都会に住む貴族を莫迦にしていたのに・・・彼から感じた違和感と、もしかしたらステイシアに気に入られようとしているのかと思ってしまった自分の嫉妬心から、俺は少々面白くない顔色を浮かべてしまうが、その事に気付いたジラからはすぐにフォローがあった。
「おっと。これは・・・婚約者を前に、僕とした事が失礼しました。確かアクトさんでしたよね。去年はとても勉強になりました」
ジラは俺に対しても丁寧な挨拶をしてきた。
「いやいや、自分はそれほどたいした事をした覚えはないけど」
「そんな事はありませんよ、アクトさん。僕は貴方に負かされるまで有頂天になっていたのです。自分の技に酔い、必要以上の自尊心に踊られていた愚かな人間だった事を気付かせて貰いました。本当にあの時はご迷惑をおかけしました」
「・・・おう」
俺はジラの口から次々と出てくる美辞麗句を耳にして、呆気に捉われ、こんな短い言葉でしか返答することしかできなかった。
昨年の傲慢な態度の彼を思い出していただけに、これが本当に同じ人物かと思ってしまう程だ。
その後もジラは自ら進み我が校の生徒達に話かけて親交を広げていた。
大人の貴族顔負けに愛想を振撒くジラの姿を見て、違和感だけが心に残る俺であった。
武術訓練の授業が始まる。
簡単な基礎訓練の後、学校別に分かれて団体模擬攻防戦の授業が進む。
今回の団体戦の勝利条件は、定められた相手の本拠地を攻略するか、相手を全滅させる事だ。
このフレイソンと呼ばれる地域は古都トリアから南下した場所にあり、平原から山岳地へとつながる場所に位置している。
この訓練場も程よい丘陵地に森林が立ち並び、人の隠れる場所は多い。
このような場所での戦いは団体としての上手く連携する事が重要になってくるが、俺達は普段から仲の良い学友達であり連帯行動は得意だ。
「フレディさん、相手から風魔法がきますので対抗魔法をお願いします。ジュリアンさんとサラさんは索敵魔法で相手の出方を探って下さい。アクトさんとインディさんは個別に斬り込んで左右から相手を揺さぶって下さい」
矢継ぎ早に全員へ指示を飛ばすのは俺・・・ではなく、ステイシアだ。
俺は個の武として誰にも負けない自信はあったが、広い視野で戦術を組み立てるのは彼女の方が数段優れていた。
故にこのステイシアが学年筆頭という存在なのだが、俺もその評価に異存は無いし、俺は彼女のこういったところを尊敬し、自分の不得意な部分を補ってくれる彼女の事が好きな理由でもある。
ステイシアの優れた鑑識眼と冷静な分析により導き出された戦術を淡々と実行する俺達。
これが功を奏して、相手は段々と追い詰められて、猟犬に追われた羊のようにその包囲網は狭められる。
四方八方から魔法や弓が降り注ぐ状況。
耐魔法戦演習用の兜を装備し、致命的な傷は負わないように刃の丸められた剣や、矢の先端に丸められた布が取付けられていたりと、安全のために万全な措置を施している演習授業ではあるが、下手をすれば怪我もするし、怪我に至らないまでも打ち負かされれば多少の苦痛を感じることもある。
こういう状況においては、包囲されている側に精神的な負荷がかかってくるが、これに耐えられる豪胆な精神の持ち主など初等学校生に殆どいないのが現実だ。
このフレイソン初等貴族学校も同じで、相手の士気が増々低下しているが感じられた。
そして、その綻びは最悪の形で出ることになる。
「うわーー、もう嫌ーーっ!」
ある女子生徒がそう叫び声を挙げたかと思うと、半狂乱になり魔法を乱射し始めたのだ。
彼女がこの場から逃れるために選んだのは炎の魔法。
当然だが、こういった森林の場では炎が木々に燃え移り延焼する恐れもあるため、炎の魔法は禁じ手とされている。
彼女の施術した炎の魔法は予想に違わず、最悪の結果を生み出す事になった。
「何をやっている!」
「お、おい!草木が燃えているぞ。早く火を消せーー!」
「熱い、熱い!助けてーっ!!」
炎の魔法から生み出された魔法の火力ならば耐魔法戦演習用の兜によって完全に防ぐ事はできるが、延焼した木々から発せられる炎は本物であり、これを耐魔法戦演習用の兜で防ぐ事はできない。
彼女の乱射した魔法は見事に周辺の木々を延焼させて火事になってしまい、この地は火災現場の真只中となってしまった。
生徒達は本物の炎から逃れるために我先と逃げ出し、敵味方入り乱れて、既に演習どころでは無くなってしまう。
悲鳴と怒号が交差し、混乱の極みとなる演習場だが、この中でも冷静な生徒達は数人いる。
「演習行動を中断します。サラさん、インディさん、水の魔法で火を消してください。アクトさん、負傷者を救出して一箇所に集めて下さい。ビルさん・・・」
現場に冷静なステイシアの声が響いて、俺達は彼女に指示どおりに事態の収拾を図る。
そして、火を消す事に成功し、早期の段階から救助に徹したため、大怪我をした者はいない。
俺達は安堵して、ようやく落ち着きを取り戻したが、相手側のフレイソン校はそうではなかった。
数人の生徒がひとりの女子学生を取り囲み彼女の行動を責めている姿があった。
「エミル、貴女何を考えているの! こんな所で炎の魔法使うなんて、気は確か?」
「てめぇー、ふざけるんじゃねーよ。このクソ女! 俺達を焼き殺す気かっ!!」
「だっ・・・だって、怖かったんだもの・・・」
数人から罵倒されているこのエミルと呼ばれる女子学生は今回の火事の原因を作った張本人のクレイソン校の女性魔術師である。
彼女は俺達の包囲網が怖くなり、反射的に魔法をぶっ放してしまったようだが、全員を火事に巻き込んでしまう可能性もあり、そんな言い訳が通じる筈も無く、周囲からの怒りは大きくなりつつあった。
彼女の罪については俺たちも同意したかったが、このエミルという女子は元々気の弱い性格だったのか、皆から罵倒された事で今にも泣きだしそうだった。
怒っている人を見ると周囲は冷静になると言うが、この時の俺達もそうだったのかも知れない。
ステイシアは俺に目配せすると、現在進行形で周囲から罵倒されているエミルの元へと向かう。
「まあまあ、皆さん。今回は大きな怪我も無かったですし、それぐらいにしてあげませんか?」
ステイシアはできるだけ優しく彼女達に接したつもりだった。
しかし、当事者であるエミルはこれを違うように受け止めたようで、相手の大将たるステイシアの姿を見るとエミルは再び怯え出した。
「ひ、ひっ。嫌だ! 来ないで。怖い、怖いよ。ええい、炎よ!」
エミルはステイシアの事を自分達を恐慌に陥れた諸悪の根源のように思ったようで、自分の身を守るため咄嗟に魔法の呪文を唱えて対抗しようとする。
「え?」
突然のエミルの凶行に誰もが反応できなかった・・・
いや、違う!
これに反応できたのは普段から戦闘経験が豊富な俺だけだ。
俺はエミルが魔法の呪文を唱えるのを察知すると、ほぼ条件反射でステイシアの前に立ち塞がる。
それとほぼ同時にエミルの炎の魔法が炸裂した。
炎の魔法はステイシアに向かって降り注ぐが、その前方には俺がいる。
魔法の炎が俺の身体に触れると、淡い光を放ち、俺の持つ魔力抵抗体質者の力が働き魔法を無力化させて、エミルから放たれた炎の魔法は最終的に黒い霞となって空中に散っていった。
後ろを確認すると・・・良かった、ステイシアには傷ひとつない。
俺は安堵するとともに、攻撃魔法を無差別に放ったエミルを睨む。
「おい、どういうつもりだ!」
今は演習が中断して、耐魔法戦演習用の兜は取り外している状態だ。
この状況でステイシアに炎の魔法が当たれば、流石に洒落にはならない。
俺は怒り心頭の本気でエミルを睨む。
「え?・・・い、嫌ーーーーっ!」
俺の魔力抵抗体質の力を目にして、初めは何が起こったのか理解できなかった様子のエミルだが、次第に自分のした事と、俺から発せられた怒気により恐怖してしまったのだろう、エミルは自分達に背を向けて一目散に逃げ出した。
「あ? おい! 待て!!」
俺は咄嗟にエミルを追いかけた。
「アクトさん、私も!」
自分の後をステイシアがついてくる。
彼女なりにエミルと俺を心配しての行動なのだろう。
いつもながらに、お人好し過ぎる性格をしていると思うが、それが彼女の魅力だったりもするのだ。
そして、そのステイシアの後ろを追いかける者がひとり。
「エミル! 待つんだ」
フレイソン校の学年筆頭であるジラだ。
更に彼の後をついて行こうするフレイソン校の生徒達もいたが、ジラは彼らを諭す。
「君達はいい。僕が何とかするから、この場で待機しておいてくれたまえ」
それだけを言い残すと、ジラは先を走るミエルとそれに続いた俺とステイシアを追いかけてきた。
こうして、俺達四人はフレイソンの森の中へと入って行く。