第八話 アクトとステイシア
「おはようございます。アクト様」
馬車の中に先客が居るのはいつも光景。
「ああ、おはよう、ステイシア」
彼女の名前はステイシア・ティドール。
銀髪碧眼の良く似合う美人なこの少女。
トリアで有力貴族であるティドール家の次女であり、俺にとってはただの同級生というだけではなく特別な女性だ。
「あらあら、アクト様はいつもお変わりありませんわね」
彼女はコロコロと和やかに、そして、上品に微笑むと、俺の口元に残っていたパン屑をつまんで身嗜みを整えてくれた。
俺は少しだけ恥ずかしさを覚えるが、ステイシアは特に気にした様子はない。
彼女にとってもこれが日常なのだ。
そんな俺を差し置いて、続いて馬車に入って来た妹のティアラは貴族の令嬢らしく少し不慣れで丁寧な挨拶をする。
「ステイシアおねーさま、ご機嫌うるわしゅー、おはようごさいます」
「あらあら、ティアラさんはいつもお利口ね」
可愛さに妹の頭を撫でくれるステイシア。
妹も悪い気はせず、されるがままにされていた。
「ステイシアおねーさまは未来のアクト兄様のお嫁様なの。私は今のうちからりょーこーな関係を築くー」
妹の遠慮のない発言に俺は思わず頭を叩いてやりたくなったが、そこはぐっと堪える。
「うふふ、そうね。仲良くしましょうね」
言われた方のステイシアは特別に何かを思う事もなく、いつもどおりのニコニコ顔だ。
そう、俺と彼女は親同士が認めた仲であり、所謂、許嫁の関係だったのだ。
兄を差し置いて・・・と言うのも変な話だが、ブレッタ家の次男である自分とティドール家の次女であるステイシアは将来の結婚を見据えたお付き合いをしているのだ。
これは互いに次男・次女という家督を継がない立場であった事もあったが、本人達―――つまり、アクトとステイシアの仲が良かった事が互いの親―――特に母方同士で重視された結果なのである。
本人達の相性は良く、ティドール家もブレッタ家とは長年に良好な関係を築いている仲間であり、互いの両親は直ぐ合意に至ったらしい。
それにこのトリアでは我がブレッタ家とティドール家の名は有名であり、他から婚姻関係を結ぼうとする貴族が後を絶たない事も理由に関係している。
無駄な勢力争いに子供達を関わらせたくないと思う親心から、早くに違いの婚姻相手を定めて大々的に公表する事で、子供たちに近付こうとする不穏な輩を排除する役割もあったようだ。
ちなみに、兄のウィルには今でも俺とは比べようもない数の婚姻の申し込みがあるらしい。
しかし、今の兄にその気は全く無く、今朝の話しにもあったように来年は地元の中等学校を卒業した後、このトリアから旅立つ計画をしている。
彼の心を射止めようと画策しているトリア貴族とその令嬢達には申し訳ないが、兄は麗しい女性よりも、むさ苦しい腕の立つ男性を求める性格をしているので、さっさと諦めて欲しいところだ。
もちろん、男色という意味ではなく、強敵を求めるという意味だが・・・
少し話が逸れたが、俺にはこの銀髪のよく似合うステイシアという女性がいる。
だから、今はトリアを離れる気は無いし、将来的にもそのつもりはない。
今は同じ初等学校の六年生なので、このまま一緒にトリア貴族中等学校、トリア貴族高等学校へ進学する予定だ。
彼女はお淑やかで俺には勿体ないぐらいの女性だけど、俺は彼女の事が大好だった。
彼女も俺を好いてくれて、この歳にして言うのも何だが、既に将来を誓い合っている。
どうして、そんな女性がいるのに、どうしてこのトリアを去る事などできるのだろうか。
そう思ってしまう俺。
しかし、そんな俺の熱い想いをぶち壊すように甲高い声が馬車に響いた。
「お! アクトいたわね、おはよー。ステイシアもおはよう」
「あら、サラさん、もう来られてしまったのね。私達の逢瀬の時間は早くも終わってしまったのかしら」
ステイシアは少し残念そうに言うも、屈託ない笑顔で自分の学友を歓迎する。
同じ通学の馬車に入ってきたこのサラ・プラダムという活発な女性は同じトリア中央貴族初等学校に通う学友である。
「いいわよ、ステイシア。アクトとイチャツイテいても私は気にしないから、べっ!」
サラの最後の擬音は、彼女の頭に拳骨が落ちた事による呻き声である。
「サラはまったく朝から何を言っているんだ。おはよう、アクト、ステイシアさん、ティアラちゃん」
「おはよう、インディ。大丈夫だ。俺達は気にしないさ」
サラの後ろから拳骨を落としたのはインディ・ソウルと言う茶髪の似合う男子。
彼は優男であり校内でも人気のある男子だが、自分達と波長が合うのか、いつも一緒にいる存在だった。
サラもそうであり、俺達四人は同学年で特に仲の良い友人―――つまり、幼馴染という存在である。
何でも気兼ねなく話せる存在だ。
この馬車はティドール家が手配したものだが、我々は近い所に住んでいる事もあり、いつもこの四人で初等学校に通っていた。
今年になってからは妹のティアラも初等学校に通う年齢になったので、この馬車に加わり登校している。
トリア中央貴族初等学校は街の中心部に近い所にあるため、一時間ほどの移動距離になるが、お喋りをしているとあっという間だ。
楽しい時間は過ぎるのも早いと思う。
そんな中で、俺達の話題は本日午後の授業の事になった。
「午後はフレイソン貴族初等学校との武術訓練だってね。私、あそこの人達キライよ。行くのは嫌だなぁ」
サラは明らかに嫌そうな顔をして、午後の授業を批判する。
「そうですね。あの学校の生徒達は私達のことを目の敵にしていますから、こういう時は特に必死になるのですよね」
ステイシアはサラの苦情を理解しつつも、あくまで優しく合意するに留まり、サラほど嫌な顔はしていない。
「去年も、自称、フレイソン校一番の剣術士だった―――誰だったかな? 名前を忘れた―――男子をアクトがコテンパンにしたから、かなり根に持っていると思うぞ」
インディも去年の武術訓練という名の剣術士同士の決闘試合を思い出したようで、あまりいい顔はしていなかった。
俺もその時の相手の名前と顔を既に憶えていなかったが、俺よりも記憶の良いインディにも残らないのだから、たいしたことのない実力の男子だったと思う。
そもそもフレイソンはトリアの南の外れにある田舎町だ。
名前こそフレイソン『貴族』初等学校だが、中央に住む俺達を妬んでいる連中も多くて、貴族とは思えないようなガラの悪い連中が多い学校だった。
俺もあまり率先して行きたいとは思わないが、これも先生達が決めた事であり、覆すことなんてできる筈もない。
「まぁ、俺は誰が相手でも食い破ってやるさ」
この時の俺には自分の腕に絶対の自信があった。
ブレッタ家の中では最弱であっても、それ以外の、それも同世代の輩には負ける筈が無いと思っていたし、これまでもそうだったからだ。
「まぁ、アクトさんならばそうでしょうけど。無理はなさらないでくださいね」
ステイシアは優しく笑い俺の肩に手を触れてくる。
そんな彼女の優しさが俺の闘志を俄かに沸かせたのは言うまでもない。




