第七話 古都トリア
ここは古都トリアと呼ばれる場所であり、エストリア帝国のほぼ中央に位置している。
古代ゴルト語で『エス』とは『偉大なる』という意味であり、エス(偉大なる)+トリア・・・
つまりその名が示すとおり、ここトリアはエストリア帝国発祥の地であり、かつてはここが帝国の首都だった。
ただし、首都として機能していたのはもう四百年も前の話であり、これが都市名の前に『古都』と冠している事の所以である。
しかし、このトリアは歴史ある街として現在でも栄えており、中央エストリアの中心的な都市である。
このトリアには北にリドル湖と呼ばれるゴルト大陸最大の湖を有している。
海のように大きなリドル湖は豊富な水源としてこの地域一帯の人類の繁栄を支えてきた事に加え、この美しい景観を求めて多くの人が住居を構えている。
その中でも帝国貴族の多く住む居住区にはひと際大きな敷地面積を持つ屋敷がある。
この古都トリアでは例え貴族であっても、単なる財力のみで広い敷地を手に入る事はできない。
由緒正しき血筋である事に加えて、帝国に対し大きな功績を認められた者だけが、その栄華を手にできる習わしがあるのだ。
そういう意味から、この広い敷地の屋敷に住む者は帝国に対して特別に大きな功績を持つ者であるし、トリアの住民達の大半から羨ましく思われている。
しかし、この屋敷を所有している歴代の貴族当主は、自分達の栄華についてそれほど執着していなかったりする。
そればかりか、過去の活躍でほぼ成り行き的に手に入れたこの屋敷を身に余る光栄とし、彼らの家訓には『自分で得られた以上の利益を追及する行為は自らの身を亡ぼす』と強く戒めを科している程に無欲な貴族である。
現在の当主もこの家訓を守っており、敷地面積に対して不釣り合いな程の小さな屋敷が、その決意を物語っている。
そのような貴族が住む邸宅において、この朝も庭と称するにはかなり広い敷地で、三人の男達が剣の修練している姿がある。
修練と言っても剣で打ち合うような激しいものではなく、ゆったりとした舞いを踊っているような三人。
これは『剣舞』と呼ばれ、剣術士として型の基本の動作確認や精神面を鍛える事を目的としたものである。
この三人は金髪碧眼の男性達であり、面影も似ている事から血のつながりがある親族であるのは誰の目から見ても明らかであった。
彼らは痩躯ではあるが、そこらの筋骨隆々の男性と比較しても遜色のない、いや、それ以上に覇気を纏い剣舞を舞う。
このうちのひとりが、まだ少年という姿で大人顔負けの気合で立ち振る舞う男子。
それこそ、この頃の自分――――アクト・ブレッタの姿。
「えい、えい」と幼さの残る声とは裏腹に凄まじい速度で模擬剣を奮い、空間にまるで敵が居るかの如く斬っては裂くような剣舞。
その太刀筋は実年齢である十二歳を遥かに凌駕していたし、実際に自分の同世代において自分に敵う剣術士は存在しない。
人からは天才と言われているが、俺は全くそう思わない。
何故なら、俺の横にいる二人の男はそんな俺が全く以って敵わない程の『大天才』とも言うべき存在だったからだ。
この二人のうち最も覇気を漲らせているのはこの屋敷の家長であり、名門貴族ブレッタ家の今代当主であるレクトラ・ブレッタその人である。
銀色に輝く片刃の真剣で奮われる剣舞はアクトのそれを数段上回る速さで空間を斬り、まるで朝霧を切裂くような圧倒的な斬込感があった。
そして、それに追従しているのが長男であるウィル・ブレッタ。
兄様も長年父より受け継いだ剣技を自分の中で見事に昇華させ、今では父に迫るほどの鋭い踏込みをしつつ、汗ひとつかいていない。
兄様は自分より三歳しか違わないのに、この力量差は正に剣術の天才だと俺は常日頃から思っている。
この達人級のふたりをいつも目にしていた俺は自分の技量はまだまだだと実感していたし、そもそもこの二人の領域に自分は達せないだろうとこの頃は思っていた。
そんなブレッタ家の男子として最下位の実力であった俺だが、同世代の一般男子と比べて負ける者はいないのだ。
この頃の俺はそう思う事で自分の中の劣等感を誤魔化していたし、これがある種の慢心になっていたのだと思う。
そんな俺達ブレッタ家の朝の剣舞姿に水を注す一言が投げかけられる。
「あなた達、いつまで修練しているのかしら? そろそろ朝ご飯にするわよ!」
小さな屋敷の窓が開かれて、良く通る女性の声がブレッタ家の広い庭に響く。
いつまでも修練を止めない俺達に業を煮やした母様から、早くご飯は食べるようにと叱咤される声。
これはブレッタ家の日常であり、いつもと変わらない朝の一幕であった。
「おお、すまない、ユーミィ」
父様は破顔し、修練を直ぐに打ち切る。
いつもながらに物事に熱中し過ぎるのも、この家の男子の伝統となっているのだ。
父様は俺たち兄弟を連れて屋敷に手早く戻される。
この小さな屋敷には使い込まれた家具が多く並んでおり、貴族の贅沢品と言うよりも歴史を感じられる調度品。
それはこの家の歴代当主がただの高級なだけの家具に興味はなく、それよりもできるだけ頑丈で長く使える家具を選んだ結果だったりする。
今朝の朝食も、我がブレッタ家に伝わる六百年の歴史を持つテーブルにて行われる。
テーブルの上には暖かいスープとパン、そして、新鮮な野菜が並ぶ。
これもすべて母様の手作り。
俺達は貴族だと言うのに、住込みのメイドや執事は屋敷の中にひとりもいない。
別にお金がない訳ではないが、これも自分達の事は自分達でできるだけしようという父様の方針であった。
そんな訳でこの家の家事はすべて母様が担っている。
「貴族なのに貧乏くさい」と揶揄われる事もあるらしいが、母様は何食わぬ顔で寧ろこれを楽しみながら家事を熟していたように思う。
最近は自分より五歳年下の妹であるティアラも母様の仕事を手伝っているが、あまり戦力になっていないのはここだけの話だ。
「兄様達、遅い!」
七歳のティアラは食事を始める時間を守らなかった俺達にご立腹の様子。
「すまないな、ティアラ」
父様は俺達を代表して謝罪し、先程の母に見せたような破顔の表情でティアラの頭を撫でる。
こうして俺達の朝食が始まった。
これがブレッタ家の日常であり、いつもと全く変わらない朝の光景だった。
ブレッタ家は食事中によく会話をする。
それが日常の出来事であったり、自分達の友達の話題であったりするが、今日はウィル兄様の今後の進路についての話題となった。
「そう言えば、ウィル、帝都から召喚状が届いていたぞ」
「ええ?! それじぁ父様!」
いつもあまり表情豊かではないウィル兄様が、この時だけは珍しく喜々とした顔になる。
「うむ。先方からお前を受け入れても良いと承諾が来た」
「よし、やった!」
ウィル兄様が喜ぶのも無理はない。
ずっと希望していた帝国首都ザルツにある名門の帝国立高等騎士学校に入学する事が許されたからだ。
この学校からは卓越した剣術士を多く輩出しており、帝国中央騎士団にも多くの卒業者がいるらしい。
ウィル兄様が帝国中央騎士団に憧れを持つ事は知っていた。
我々は貴族であり、一般平民よりは多くの特権を持つが、それでも帝国中央の騎士になるのは簡単な話ではない。
騎士というのは有事の際に国防の担い手となるため、帝国に対する絶対的な忠誠心と、卓越した武力が要求される。
これに関して我々は全く問題ない・・・と言うか、武芸は得意分野であり、誰にも負けないと自負していた。
しかし、今は平安の世であり、そもそも大きな有事はここ三百年間起きていないのだ。
そうなると、騎士に求められるのは有事ではなく平事の時に示せる能力である。
平時の騎士に求められるものは、それは儀礼としきたりを重んじ、国家の権限を穢さない防人の手本となる人物像・・・だけではなく、卓越した政治的バランス感覚と人間関係だと言われている。
特に帝国中央の騎士団には格式を重んじるあまり、理解に苦しむルールが多く、人間関係も複雑だと聞いていた。
派閥争いも盛んであり、騎士団に入団するのも縁故などがないとまず無理らしい。
それは我々、片田舎に住む貴族にとって高き壁だが、今回はブレッタ家の過去からの名声が少しは役に立ったようだ。
偉大な成果を残してくれたご先祖様達には感謝するより他ない。
「ウィル兄様、よかったね」
俺は心から兄様に祝福を贈った。
ウィル兄様が中央の騎士団に入る事を熱望していたのは良く知っていたし、その足掛かりとなる帝国立高等式学校に入学を果たせた事は良い結果だと思うからだ。
「ありがとう、アクト」
今のウィル兄様の心の中には憧れていた帝都の生活と、夢に向かってまい進していく自分の姿を想像しているのだろう。
飛びっきりの笑顔を見せて俺と喜びを分ち合った。
一応、ウィル兄様の名誉のために言っておくが、兄様が思い描いている帝都での夢の生活とは、贅沢に、そして、優雅に暮らすのを夢見る地方の田舎貴族ではない。
兄様は中央という場で更なる『出会い』を求めているのだ。
その『出会い』というのは決して恋人とか、そう言う話ではない。
兄様が求めているのは強者だ。
自分と対等に渡り合い、そして、互いに高め合う事のできる存在である。
そんな強者との出会いに兄様が渇望している事も俺は良く知っている。
そう言う程にウィル兄様はこのトリアで孤高の天才剣術士だった。
所属するトリア貴族中等学校で最強なのは当たり前だが、トリア領内で行われるすべての剣術試合でも向かうところ敵無しの状態。
最近ではウィル兄様が参加する事を知った相手が、戦う前から棄権する事もよくある話らしい。
ウィル兄様は天才剣術士として、このトリアでは有名になり過ぎていた。
それ故にウィル兄様は自分の全く知らない土地で更なる強者との出会いを渇望しているのだ。
父様からは「世の中は広い。自分達より上の存在は必ず何処かに居る。だから慢心に陥るな」と常に言われているが、これに関して俺は少し懐疑的だ。
天才の兄様や父様を超える存在など俺には想像できないからだ。
それぐらいに自分達は強いと認識している。
そんな俺の心の内を知ってか知らずか、父様は俺にも向かってこう告げた。
「アクトも帝都ザルツに行きたかったら、遠慮しなくていいんだぞ」
これは親心による優しさから、俺にもこの先の人生の選択肢が与えられた。
少し考えて・・・俺はやっぱりいいやと明言する。
「父様ありがとうございます。でも僕はいいです」
「そうか・・・でも、若いうちにいろいろと旅して経験を積む事は良いと思うぞ。ウィルのように中央で騎士を目指すのならば帝都ザルツにある帝国立高等騎士学校に進学するのが近道だが、お前みたいに多種多芸に能力を伸ばしたいのならば、学園都市ラフレスタにある『ラフレスタ高等騎士学校』もなかなかにして悪くない選択だ。もし、気が変わったならばいつでも言いなさい」
「わかりました」
俺は素直に返事をするが、今のところこのトリアを離れる気は無い。
その理由は・・・おっと、そうこうしている間に迎えの馬車が来たようだ。
馬車の近付く気配をいち早く察知した俺は、遅くに始まった朝食の残りを急いで平らげ、自分の学校の荷物を持ち、妹に急かすよう言う。
「ティアラ、迎えが来たみたいだ。急げ!」
「もう! 何を言っているの。アクト兄様達が遅いから、朝ご飯が遅れたのよー」
妹からの正当過ぎる抗議を聞き流しつつ、出発の準備を促す。
こうして、俺達ふたりはトリア貴族初等学校に登校するため、迎えの馬車に飛び乗ることになる。
これが俺にとっていつもの朝の一幕だった。