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ラフレスタの白魔女(改訂版)  作者: 龍泉 武
第八章 ふたりの過去
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第二話 国立素粒子研究所開放祭


「えっ? トシ君!」


 今日は国立素粒子研究所の開放際だが、私は思わぬところで会う同じクラブの男子生徒に目を白黒させている。


「江崎部長、こんにちは」


 驚いた私の顔を楽しむように、斎藤俊雄ことトシ君が笑顔で挨拶をする。


「今日は、あの高名な江崎博士の講演が聞けるんだ。科学クラブの副部長として来るのは当然だろ」


 さも、今日の開放祭に来るのが当然だという顔をする俊雄(トシオ)


「あらあら春子のお友達かしら? 今日は楽しんで行って下さいね」


 一緒に受付をしていた母は、固まっていた私に代わり、愛想良く対応してくれた。

 にこやかに笑う母には大人の気品があり、いつもポーカーフェイスだった俊雄(トシオ)も思わず顔を赤らめたようである。

 その後、俊雄(トシオ)は講演資料の前刷りを受け取り、会場となっている研究室の中へ消えて行った。


「春子ちゃん、あの子は誰?」


 と、母からは散々揶揄われたが、とりあえず同じクラブの男子だと誤魔化しておいた。


「ふーん」


 と意味ありげな視線を私に投げかける母。

 私の淡い青春など、母にはすっかりお見通しのようだ。

 そんな短いやり取りをしていた私達に、ひとりの女性から声が掛けられる。


「私もその資料を一枚、いいかしら」

「えっ、あ、はい」


 私は受付の仕事を放棄していた事を思い出して、慌てて講演資料を取り、その女性へ渡したところで思わず息を飲む。

 その女性は絶世の美女かと思われたからだ。

 『思われた』と言うのは、その女性は全身を厚手の白いケープ―――いや、ローブと表現した方が適切かもしれない―――で全身を覆い、目元はサングラスで隠れていたからだ。

 それでも、スラッとした高い身長と、細い身体つき、それでいて、出るところは出ている女性らしい身体は、女の私から見てもドキッとさせられる。

 サングラスの隙間から覗くエメラルドグリーンの瞳や、高い鼻、シルバーの長い髪は北欧系人種を連想させるが、彼女の口からはハッキリとした訛りの無い東アジア共通語で喋っていた。


「ありがとう」


 私はこの謎の美女から目が離せなくなっていたが、当の本人はそんな事に構う事は無く、私に軽く礼を述べると会場の中へ足を進めて行く。

 私は我を忘れて彼女の後ろ姿を目で追うが、母から肩を叩かれて、ハッとなる。


「春子ちゃん、どうしたの?」

「えっ?だって私・・・あんな綺麗な女の人を初めて見た」

「何を言っているのよ、春子ちゃん。そんな事よりも、ほら、次の人が来ているわよ」


 母の指摘で、自分が受付の仕事を再び放棄していた事に再び気付く。

 微妙にデジャビューを感じながらも、私の前には既に次の受付を待つ人が何人か並んでいて、気まずい雰囲気となっていた。


「す、すみません」


 私はそんな人達に短い謝罪の言葉を述べるとともに、大慌てで次の受付対応を済ました。

 

 

 

 

 

 

 やがて江崎研究室の講演会の会場は満員になる。

 聴講希望者は凡そ百人程が来場しており、小規模な講演会としては破格の人気ぶりである。

 会場には同業の研究者と思われるプロの人の姿もあったが、それに加えて一般人もそれなりに来ていた。

 私が思うに、『素粒子』という学問は物理学の中でも非常に専門性が高く、ある程度の基礎知識が無いと、聞き手側の理解もついていかない。

 話手が何を言っているのか解らない講演会など、つまらない以外の何物でも無く、一般人にはあまり人気が出ないのが普通だと思う。

 しかし、父はある意味で今のお茶の間を賑わせている存在でもあり、世間からの注目が高い事がこの講演会を見ても現れているのだ。

 春子は受付業務を終えて、会場の後ろに設けられた関係者の席に着いた。

 改めて会場を見渡すと、前の方には見知った顔が何人か見える。

 幼馴染みの佐藤明美、古田好子は昨日ぶりで、その横にはさっき挨拶した斎藤俊雄ことトシ君が見える。

 彼女達とトシ君は世間話をしている様子が解り、同じ学校なので話が合うのだろう。

 そして、少し離れたところにもうひとり知っている顔がいた。

 同じクラスの長浜隼人(ナガハマ・ハヤト)だ。

 クラスではお調子者として有名な彼が、この講演会に足を運ぶんでくるなんて意外だと思うが、その直後に昨日、明美(アケミ)から彼が私の事を厭らしい視線で見ていると言っていたのを思い出す。

 思わず背筋に悪寒の走る私。

 何で彼がこんなところに来ているのかは解らないが、とりあえず見なかった事にしよう。

 私は長浜隼人(ナガハマ・ハヤト)とできるだけ視線を合わせないようにするため、別の方角へ顔を向ける。

 すると再び、あの謎の美女の姿を見つけた。

 彼女は壁際に設けられた席に長い足を組んで座り、黙って資料を見ながら、私の焼いた茶菓子をポリポリと食べていた。

 その姿はとても品があり、美人は何をやっても得をするものだと思うが、ここで私はある違和感を覚えた。

 周りの反応が静か過ぎるのだ。

 こんなの異国風の美女は、容姿もそうだが、服装からして周りからとても目立つ存在である。

 まるでローマ風の女神が着ているような服装をしているのだ。

 東アジア地域のサガミノクニで、こんな格好をしている女性など見た事無い。

 つまり、いろんな意味で目立つ存在だと思うのだが、周りの人間が何ひとつ彼女に注目しないのだ。

 いったいどうしてなんだろうか?と私は考えてしまうが、それでも、視界の隅に、とある男の存在が映ったところで、その思考を中断する事になる。


「げっ! お母さん見て。あの人、また来ているよ」


 私はげんなりして母に問題の男を報告する。

 母は私の言葉を聞き、その方向に顔を向ければ、問題の男の姿を確認して、あからさまに嫌な顔をした。

 男の正体は風雅彰浩(カザミヤ・アキヒロ)と言う研究者で、ある意味この男の存在により、父が有名になってしまったと言われても過言ではない相手だった。


「まったくあの人は! 暇なのかしらねえ?」


 母も呆れた声でそう言う。


「お母さん。私、あの人嫌い。いつも性格の悪い奴よね」


 この風雅(カザミヤ)という男は、毎度、毎度、父の研究に対しケチをつけては挑発する男だった。

 その時の白熱した論争が話題を呼び、それがとあるテレビ番組で中継された事で世間へ一気に広がり、最近のお茶の間を賑わせている話題でもあった。


「風雅氏の右隣に座る人はマスコミ関係者ね。見た事あるわ。どうせまた隠し撮りをしているんでしょうけど・・・」


 母は風雅の隣に座り彼と手短に会話を交わしている女性の正体を看破した。

 講演している父に、どうやって仕掛けるかを打合せしているのだろうか?

 そう思うと無性に腹が立ってきた。


「隠し撮りって協定違反じゃない! 私、抗議してくる。行くわよ! 隆二」

「・・・んあ!」


 私は隣でウトウトしていた弟の隆二(リュウジ)を叩き起こして席を立とうとする。

 それにしても、こんな時に居眠りをするなんて、緊張感の無い弟め。

 お前の剣道の力は一体何のためにあるのだ!と更に軽い怒りを覚えながら、マスコミの座っている座席に向かおうとした私は母に止められた。


「春子、止めときなさい。彼らに抗議したところで何の解決にもならないわ。どうせまた報道の自由を主張して撮影を押し通すだけよ」


 母は自分の経験から、私のやろうとしている事は無駄だと言う。

 私は到底納得いかなかったが、ここで無情にも基調講演開始の時間がきてしまった。

 

 

 

 開演の合図が鳴り、父である江崎忠雄(エザキ・タダオ)博士の紹介がアナウンスされて基調講演が始まる。

 それまで研究室の隅で待機していた父は静かに立ち上がり、ゆっくりと研究室に急ごしらえした壇上へと上がる。


「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。私がこの研究室の責任者を務めています江崎忠雄です」


 来場者に挨拶し、歓迎の意を示す父は人の良さそうな笑顔を浮かべる。

 それはハルがいつも知っている父の姿であり、これが造り笑顔ではない事は家族である自分がよく解っていた。


「それでは、講演を始めましょう」


 父は綺麗にそろえた口髭に手をやり、凛々しい姿でハキハキと講演を始めた。


「皆さんもご存じのとおり、この研究所は『素粒子』を研究しているところです。皆さん素粒子をご存知でしょうか?」


 あまりを見回すと、首を縦に振る者は少ない。

 当たり前の事ではあるが、今日は研究所の開放祭というイベントの性格上、来場者は家族連れや一般人の来場者も多いのだ。

 しかも、父の研究はある意味でゴシップ的な要素もあるため、興味本位でいろんな人が来ていた。


 「当然、解りませんよね。大丈夫、今日はそこから簡単に説明しましょう。まずは物質を細かく分けていきます」


 父がそう言うと、空中に氷の塊が投影される。

 ホログラム投影機を捜査しているのは浜岡美鈴(ハマオカ・ミスズ)さんである。

 美鈴(ミスズ)さんは父の研究室の右腕的な存在で、すごく優秀な女性研究員だ。

 頭が良く、何でもできて、美人で、性格も良いスーパーウーマン。

 私の憧れの人だった。

 彼女の操作する三次元ホログラム投影機は抜群のタイミングで、そのプレゼンテーションは人々の興味をどんどん引き込んで行く。


「この氷をどんどん細かくすると、小さくなっていきますが、やがてこれ以上小さくできない限界が来ます。それが分子であり、原子と呼ばれる物質の最小構成単位となります」


 父の講演に合わせて、氷の映像は半分、半分、半分と続き、やがて水の分子を模式化した水素原子と酸素原子の映像となる。


「こちらにある大きなものが酸素原子で、両脇につながっているふたつの小さいものが水素原子。そして、その周りを回っているのが電子となります。これが地球上で安定している物質の最小の単位であり、これ以上小さくする事は簡単にはできません」


 空中に浮かぶ水素原子は、さながら宇宙空間の浮かぶ地球のように青く、隣の弟は口を開けてボーっと見ている。

 私は、莫迦っぽいからやめて欲しいと思うが、この弟は誰に似たのか本当に莫迦なのだ。

 注意するのを諦めて、父の講演へ視線を戻す。


「しかし、ここに高いエネルギーを加えると、これ以上の細かい単位に分ける事ができます。それが素粒子です」


 投影された水素分子に強力なレーザーのような光が命中して、バラバラと分解する。

 さながらSF映画のワン・シーンのような演出に、来場した若い男性は喜ぶ。

 実際はそんな風に全ての素粒子が飛び出る訳ではないが、こうした演出は素人に対してウケが良いため、どこでも採用しているのだ。


「素粒子を大きく分けると、物質を構成するクォークと呼ばれる粒子と、電子に代表されるレプトン、力を伝える働きのあるゲージ粒子、そして、質量を与えるヒッグス粒子があります」


 これは父から何百回と聞かされた素粒子の基本中の基本であり、私にとっては常識中の常識だったが、隣の弟を見ると既に頭から煙が上がっていた。

 勉強しない奴め、と心の中で罵るが、結局、興味の無い者にとっては念仏のようなものなのだろう。

 会場を見ても既について行けてない人が何人か見える。

 折角、父や美鈴さんが丹精込めて解りやすい素粒子学の解説をしているのに、台無しだと思う。

 それでも父は講演を続け、素粒子学の基礎となる標準理論の解説が終わろうとしていた。


「・・・という訳で、素粒子というものは原子や中性子の構成物である事に加え、電子というエネルギーでもあったり、質量を作り出したり、光や重力などの働きも素粒子が元になっているのです」


 このあたりの理論は既に二十世紀の後半に確立した理論である。

 その昔は質量に関係するヒッグス粒子や、重力を作る重力子については、理論のみの存在だったが、西暦二一〇四年の現在では全ての存在が確認されていた。


 「僅か二十にも満たない種類の素粒子が、いろいろと組み合う事で、物質になるだけではなく、電気や光、電波、磁力、重力、重さや時間の流れさえも・・・すべての事象が素粒子によって影響を受けていると言っても過言ではあまりせん・・・以上が素粒子の基本ですが、ここからが我々の研究の話となります」


 江崎博士はここで少し間を置く。

 ここからが重要な話になるからだ。


「次に我々の研究についてお話します。我々はこの素粒子の研究を進めている中で、とある特定の組み合わせの素粒子について着目しています。この素粒子の組み合わせ『EZ76』の性質がとてもユニークだったからです」


 空中に投影された画像は水素原子に比べて、非常に小さい点の様な素粒子だった。


「この『EZ76』は主にニュートリノの構成になりますが、非常に小さいために、実験的な観測がほとんどできていません。しかし、シミュレーションではこれが存在する可能性は非常に高いものと考えられています」


 投影画像は『EZ76』を拡大するが、それは倍率をかなりの大きくして、ようやく見えてくるものだった。


「この『EZ76』は類稀な働きがあります。普段は何もしない中性的な性質を持っていますが、外部からある種類の刺激を与えた途端、これが物質を構成するクォークになり、また別の刺激を与えると光、熱、重力などのエネルギーを発するケージ粒子にもなり、別の刺激では質量を支配するヒッグス粒子にもなれます」


 投影画像は『EZ76』の特徴を示すため、漫画的な表現を採用した。

 つまり、『EZ76』が電波のようなものを受けると、金の延べ棒に変化したり、嵐を呼んだり、炎になったり、人が空中を飛んだりして、見る人を楽しませる映像が流れる。


「そう。この『EZ76』は正に魔法の様な存在で、我々は便宜上『魔素』と呼び・・・」

「異議あり!」


 ここで父の言葉を遮るように大きな声で抗議の狼煙をあげたのは、例の風雅(カザミヤ)という男だった。


「そんな、存在も不確かな情報を一般人の前で流布するというのは、問題あり、として強く抗議する!」


 人が講演をしている最中に割込む非常に失礼な奴だが、この風雅(カザミヤ)の意見に同調する人間がこの聴講者の中に何割か存在していたのは見ていて解った。

 尤も、風雅(カザミヤ)の意見に同調すると言うよりも、この風雅(カザミヤ)が父と口論する姿を楽しみにしていると言った方が妥当だったが・・・


「また君かね! ここは私の研究室だ。私が喋っているのを邪魔しないで貰おう」


 父は嫌気を隠そうとせず、風雅(カザミヤ)の物言いに対抗する。


「ふん! 貴方の講演内容は正確性が乏しいのだ。一般人を惑わすような言動は私の正義心から看過できないのだよ!」


 風雅(カザミヤ)は父の研究を大袈裟に『嘘』と決めつけ、父が悪であり、自分こそ正義だとして発言する。

 この芝居がかった物言いが風雅(カザミヤ)という男のキャラクターであり、ゴシップ系のテレビ番組では視聴者に受けは良い。

 それを風雅(カザミヤ)も解っていて、今まで詐欺紛い商品を販売する怪しい企業の人間を風雅(カザミヤ)が糾弾するテレビ番組はそれなりに視聴率があった。

 当初は私もそれを娯楽として楽しんでいたひとりだったが、それも今は昔の話だ。

 現在、風雅(カザミヤ)のターゲットとして罵られる側になってしまった私達の方としては堪ったものではない。

 私の父が研究している万能素粒子集合体『EZ76』は、嘘や紛い物ではないと私は信じている。

 あの真面目な父が自分の半生をかけて研究している事を、嘘だとは到底信じられないからだ。

 それに自分だって物理学者の娘と自覚する程に教養はあると思っている。

 その自分から見ても父の研究は妥当であると判断できた。

 しかし、それを差し引いても一般人から見て父の研究は奇抜である事は認められずにはいられない。

 それほどまでにこの『EZ76』は、あらゆる物質に化けられる可能性を持つため、切掛けさえ与えれば、見かけ上無から有を作る事も理論的には可能なのだ。

 そして、それは物質だけに留まらない。

 純粋な電気エネルギーだったり、熱エネルギーだったり、重力さえも操作する事が理論上には可能なのである。


「これでは、まるで魔法ではないか! 魔法の素のような物質だ!」


 とは、過去の公開討論会で父と論争を繰り広げていた、他ならぬこの風雅(カザミヤ)の口から出た言葉だったりする。

 その風雅(カザミヤ)の言葉が後々に独り歩きをして、皮肉にも『EZ76』の通称名を『魔素』として有名にしてしまったのである。

 我ながらにしてこの『EZ76』はエキセントリックな存在だと思うが、まだまだ研究段階であり、理論的には存在している可能性は高い・・・程度のものだった。

 しかし、メディアはこれに過剰な反応を示した。

 『EZ76』に期待して、共同研究を持ちかける者もいたが、それはまだ良い方。

 この技術を偽科学と決めつけて父を糾弾する人物がどれだけ多い事か・・・。

 その急先鋒がこの風雅(カザミヤ)という男だった。


「江崎博士、こういった講演発表はしっかりとした実験的検証が終わった段階で成されるべきだ。あたかも、もう存在していると一般人に混乱を招くのは科学者としては『素人』と言わざるを得ない」

「何をおっしゃられる。私は『EZ76』の実在を確認したとは一切言っていない。それはメディアが勝手に言っている事であり、私がそれを否定しているのは貴方もご存じの筈だ」

「論点をすり替えないで欲しい。江崎(エギサ)博士は自身の自己顕示欲を満たすため、彼らに、さも『魔素』を発見したかの如く扇動し、言わせているのだよ。貴方は影でそれを操っている。違いますかな?」

「私のプライドにかけて、そんな事は絶対にないと宣言する。私こそ、風雅(カザミヤ)博士が何故にこの『EZ76』にそこまで拘られているか理解できません。これは人類が次のステップに進むための大きな試金石になる可能性のある技術のひとつに過ぎない。何故、貴方はこれほどまでに潰そうとするのですか?」


 父は必死に風雅(カザミヤ)博士へ訴えかけた。

 父は研究者として自分の研究の正しさについて弁論する必要もある。

 それは父に付いてきてくれた若い研究員達のためにも、この風雅(カザミヤ)博士からの言い掛かりに対抗する必要もあるのだ。


「彼は自分の価値を上げるためにお父さんに難癖をつけているのよ・・・」


 そう小さい声で呟くのは隣にいた母からである。

 以前、風雅(カザミヤ)博士が紛い物の技術を売りにする小者を糾弾するテレビ番組を見て、私は「この博士すごいね」と感心していた頃から母はこの風雅(カザミヤ)博士を嫌っていた。


「この人、頭脳は良いかも知れないけど、人としては最低な男ね」

「え?なんで?」

「だって、弱い者虐めをしているだけでしょ」


 あのとき、私は母の言った事の意味が解らず、何で?と思っていたけど、今ならば解る。

 確かに紛い物の商品を売りつけようとする輩は褒められた行為ではないが、その相手を執拗に追い詰めようとする風雅(カザミヤ)博士の異質さは、やられる側になった今だから身に沁みた。

 相手を論破する事だけに自分の持てる知識を総動員して、難癖と屁理屈に近い言い掛かりで相手のすべてを否定する。

 自分の言う事がすべて正しいように傍聴者を扇動する、そんな異様な能力が彼にはあると思う。

 「知識の悪用」と母が言っていたけど、なるほどそんな人なのだと私も思う。

 ここのサガミノクニ国立素粒子研究所の職員達は、父の研究の正しさを理解しているため、同情的だったけど、一般人の中にはこの風雅(カザミヤ)博士に賛同している人がチラホラといるらしい。

 今日だって、風雅(カザミヤ)博士と父の論争を何かのショーのように傍観している人もいる筈だ。

 そう思うとやっぱり悔しい気持ちが込上げてくる。


江崎(エザキ)博士、貴方の理論についても、ここがおかしい」

風雅(カザミヤ)博士、それは違う。貴方の勘違いだ。私が理論的に説明しているのは、そう事では無い」

「詭弁だ。自分の間違いを認めなさい」

「間違ってはいない。それに、百歩譲ってそこが風雅(カザミヤ)博士の言うとおりだとしても、全体の理論に影響を与えるものではない」


 「いや」、「だが」と互いに続く論争は、既に基調講演会の雰囲気では無くなっていた。

 来場していた傍聴者も三種類の反応に分かれる。

 父を擁護し、この失礼な物言いをする風雅(カザミヤ)博士に怒りの眼を差し向ける少数派。

 風雅(カザミヤ)博士に賛同し、父とその研究を紛い物として糾弾したい少数派。

 そして、事の成り行きを見守りつつ、この論争は果たしていつ決着がつくのかと戸惑っている多数派。

 異様な雰囲気の中、父と風雅(カザミヤ)博士の口論に近い論争だけが響き・・・そして、それは突然起こった。


ビビーーーー


 設備の異常を知らせる警告音が突如として鳴り響き、父と風雅(カザミヤ)博士の論争が一時中断となる。


「な、何だ?」

江崎(エザキ)博士! マイクロ加速器が勝手に起動しています!」


 実験の主担当である美鈴(ミスズ)さんの声が講演会場に響く。

 父は慌てて設備のメインコンソールに駆け寄り、電源を切ろうとするも止まらない。

 その間も設備内の反応状態を示す計器の値はどんどん上昇して、警告音が鳴りやむ気配は無い。


「だ、駄目だ。暴走している。素粒子が次々と生成されている」


 父の顔に焦りの色が浮かぶ。

 原因を迅速に調べるため、講演に使われていた三次元投影機をマイクロ加速器の情報画面につないで、急ピッチで対応する父と研究所の職員達。

 その数値を遠目で観ていた母はこう呟いた。


「この素粒子のパターン・・・まさか『EZ76』・・・」


 母は結婚後、第一線から退いてはいるが、元はここの研究者である。

 たまに非常勤として働き、父の研究のデータ解析も手伝っている彼女が言うのだから間違いないと私は思う。


「・・・駄目だ。総員退避。みんな逃げろ!」


 復旧に全力を注いでいた父が、もう駄目だと宣言する。

 それまで事態の成り行きを、どこか他人事のように見守っていた講演参加者達は、改めてこの異常事態に気付き、そして、我先にと出口へ殺到する。

 ちなみにその先頭にいたのは風雅(カザミヤ)博士だった。

 研究室内は混乱し、人と人がぶつかり合う。

 怒号と悲鳴が交差し、混乱する来場者を安全に避難させるために、私達も行動を開始した。

 そして、研究室内を見回している中、ふと目が合う。

 例の銀髪の異国の女性。

 壁際に佇むその女性は全く焦る事はなく、落ち着いていた。

 そして、感情を全く読み取る事ができない深いエメラルドグリーンの瞳・・・

 そんな姿を見た私は何故か『ゾクッ』となってしまう。

 金縛りにあったように動けなくなる中で、事故がおきた。

 遂にマイクロ加速器の外壁が内圧に耐えられなくなり、中で生成された素粒子が飛び出してきたのだ。

 爆発音とともに周囲は光に包まれ、そして、私の記憶はここで途絶えることに・・・

 

 

 

 

 

 

 あの時、私には知り得るはずのない情報だったが、何故か、私の脳にはその後の顛末が記録として残っていた。

 

 ――西暦二一〇四年六月五日十四時二十三分に発生したサガミノクニ素粒子研究所の江崎(エザキ)研究室のマイクロ加速器暴走による爆縮事故に関する警察署から記者発表内容:

 残された防犯カメラの映像や状況証拠から、事故の原因は研究室内に設置されていたマイクロ加速器の暴走によるものと断定。

 目下のところ、これ以上の詳細な原因は不明であるが、このマイクロ加速器を中心として同心円状に消失している事から、事故当時は極小ブラックホールが発生し、爆縮を起こした可能性が濃厚とされる。

 ただし、この被害者全員が消失しているため、目撃証言が無く、あくまで憶測の域を脱しない。

 被害者は男女合わせて百二十四名。

 大多数はサガミノクニおよび周辺国家の住民であるが、身元の特定できない外国人も約一名含まれる。

 生存者は確認できず、全員が極小ブラックホールに飲み込まれて死亡したと推測される。

 極小ブラックホールはその後に自然消滅し、残留放射能も無い。

 現在は安全が確認されている。

 

 以上。

 


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