第七話 渓谷の邂逅 ※
アクトの記憶は唐突に始まる。
何がどうなったのか解らないアクトであったが、自分がまだ生きているという事実は直ぐに実感できた。
何故ならば、冷たい水を肌で感じて夏だというのに寒いと思えたし、悲鳴を上げるほど身体中が痛かったからだ。
アクトはゆっくりと身体を動かし、自分の状態を確認する。
打身等いろいろあるようだが、とりあえず全ての関節が正常に動いた事から、深刻な事態にまでは至っていないと判断する。
そうすると、じきに身体の感触が戻ってきた。
耐え難い痛みはあるものの、背中が砂利に接する感覚を覚える。
つまり、自分はデルテ渓谷の底に流れる川に落ちた後に、流れの緩やかな淵へとうちあげられたという状況が想像できた。
そして、自分の胸には可憐な女性を抱いている。
「白魔女・・・生きているか?」
彼女がアクトの問いかけに応える事はなかったが、彼女の小さな息吹を感じられたので、まずは死んではいない事にホッとするアクト。
そして、今、自分達は一体何処に居るのだろうか?
そう思うも皆目見当がつかない。
仰向けに寝ているが、空は既に暗くなりはじめており、あれから相当な時間が経過している事は確実なようだ。
雨もまだ止んではいない。
アクトはゆっくりと足を動かして川から身体を擦り上がるようにして移動する。
川から出た事で少し安心したが、次に白魔女の事が心配になった。
「おい。白魔女起きろ。エミラルダ起きてくれ」
彼女の頬を軽く叩いても、気が付く気配は無い。
呼吸は安定しているので、とりあえずは気を失っているだけだろうと思うが、その原因は落下によるものか、それともその前の死闘によるものか。
頭の打ち所が悪いと、それが原因で意識が戻らなくなったりもする。
いろいろな不安が脳裏を過るが、医者ではない自分が解る筈もない。
しかし、魔剣エクリプスを触れば、彼女の命に別状は無いと感じてしまうから不思議だ。
思えば、この魔剣エクリプスはどうやって鞘に戻したのだろうか?
それさえも自分では覚えていない。
そんな事よりもこれからどうしよう?
そう思って、白魔女の姿をまじまじと見る。
白いローブは所々が灰色になり、ロッテルが用意した秘密兵器の影響なのか、服が部分的に損傷して肌が露出していた。
戦いのときは必死だったので気にならなかったが、今見ると、彼女の豊かな胸の谷間とか、可愛らしいおへそ、悩ましい太腿が見えていたりして、それに水でべったりと張り付く姿が、やけに色っぽい。
こんな時に俺は一体何を考えているんだ・・・アクトは反省するものの、彼女の髪の一部が黒くなっている事実に今更ながらに気付いてしまう。
よく見るとそれは黒ではなく青黒の髪。
そして、所々にローブに損傷を受けていた周辺を見ると、その生地は白ではなく、灰色のローブ。
アクトの心に冷たいものが走る。
(これはエミラルダの魔力が切れて、変化の魔法が効果を失いはじめているのか・・・そうすると、これがエミラルダの正体・・・)
そう考えて、灰色のローブを着た青黒い髪の女性など、アクトが知るのは唯一のひとり。
(まさか・・・いや、しかし・・・でも・・・)
いろいろな思惑がアクトの心の中を交差するが、それでもアクトは自分の良く知る彼女が白魔女である可能性を認めたくなかった。
認めたくはなかったが・・・確かめる必要はある。
そう心に言い聞かせて、アクトは仰向けに寝かしたエミラルダの仮面にゆっくりと手を伸ばす。
そっと仮面を手に取り、ゆっくりと剥がすと、白魔女の仮面は違和感なく外れた。
そして、息を飲むアクト・・・
白仮面が外された事で白魔女の変化の魔法は解除され、彼女の髪色は全てが銀から青黒に戻っていく。
肌も純白色から少し黄色を帯びた色へ変化し、ローブは灰色、その裾には花弁をあしらった意匠が・・・それはアクトがいつも見慣れているアストロ魔法女学院の制服だった。
そして、アクトが見慣れている女性の顔・・・
ハルだった・・・
アクトは衝撃を受けるものの、心のどこかで『やはり』と納得もしていた。
このとき、アクトの心の中でいろいろな辻褄がピタリと噛み合う。
しかし、それは彼の中で論理的な思考が噛み合っただけであり、この先、どうしていいかはまったく解らない。
この先、彼女とどう接すればいいのだろうか?
自分とハルの関係は一体どうなってしまうのだろうか?
いろいろな考えがアクトの頭を巡るが、どれにも正解が無いように思え、途方に暮れるとはこの事か・・・と自分で自分の事が情けなく思う。
「と・・・とりあえず、このままでは駄目だな。どこかで身体を休めないと」
そう自分に言い聞かせて、身を起こす。
周囲を確認してみると、運が良いことに小さな小屋が見えた。
(とりあえずあそこに避難するか・・・)
そう思い、ハルを抱える。
水を吸込んだ厚手のローブを着た彼女の身は重く、両腕に激痛を覚えたが、男の性か女性の前でそんな弱音を吐きたくはなかった。
アクトは頑張ってハルを抱きかかえ、小屋の門を叩く。
ドン、ドン、ドン
「こんにちは。どなたかいますか? お願いですから開けて下さい」
アクトは小屋の門を叩くが、誰かが出てくる気配は一向に無い。
彼は意を決して扉を力任せに押してみるが、鍵はかかっておらず、あっさりと扉が開いた。
そして、中には誰も居ない。
「そう言えば、ロッテル様がこの一帯の狩猟や鉱山の仕事を禁止にしたって言っていたが・・・」
その事を思い出し、この小屋は狩人か工夫の休憩所にでもなっているのだろうとアクトは推測する。
小屋の中はひとつの部屋しかなく、ひとつのベッドと椅子、テーブルと言った簡単な家具しか置いていない。
「それならば、しばらく間借りしても問題は無いか」
そう思ってハルをベッドに寝かせようとするが、彼女がずぶ濡れなのに気が付く。
このまま寝かすとベッドや毛布が水浸しになってしまうと思い、彼女の服を脱がす事にした。
「ハル・・・すまない」
アクトは一応、無意識の彼女に謝り、彼女の衣服に手をかけた。
水を吸い込んだローブは重く、肌に張り付きなかなか脱がせ難い。
アストロ魔法女学院の制服には水を弾く魔法が付与されていた筈だが、それも限界を超えてしまったのだろう。
所々が破れており、脱がせるときに力を加えて破いてしまわないよう慎重に力加減して服を脱がした。
アクトは苦労してハルのローブ、シャツ、スカート、ブーツをなんとか脱がし、小屋の梁にかけて干す。
雨は今も降ってはいるが、夏なので数時間も経てば、ある程度の水分を飛ばす事はできるだろう。
アクトは下着姿のハルを右手で抱え、小屋からできるだけ綺麗な布を探し出し、ハルの身体を拭く。
普段は華奢に見えるハルだったか、こうして裸に近い彼女を改めて見ると、彼女は正しく女性だと思う。
女として豊かに育った部分を目にして、アクトはいろいろな事を想像してしまうが、それでも彼は理性を総動員して何とか彼女の濡れた身体を無事に拭き終わり、傷から出ていた血も拭う。
そして、ハルをベッドに寝かせて、毛布を掛けた事でようやくホッとするアクト。
これからどうしようかと悩むが、先程外した白魔女の仮面をそっと彼女へ返す事にした。
今更ながらに、何となくハルが無意識の時に仮面を外した事が、フェアじゃない気がしたためだ。
白魔女の仮面を被ったハルは、髪色がゆっくりと銀色へ変化し、肌も乳白色に変わる。
元のハルの姿も美しいと思ったが、変身したこの姿には彼女の完璧な美しさが備わっていた。
それだけに彼女の身体の節々に負っている傷跡が痛ましく、彼女の完璧さを汚しているようにアクトは思えてならない。
アクトは自分も濡れた服を脱ぎ、下着だけの姿になる。
これは濡れた服を干すためなのだ・・・そう強く心に念じる。
アクトは再び理性を総動員して心を落ち着かせ、彼女の隣に椅子を持ってきて腰かける。
白魔女となった彼女からは規則正しい呼吸が感じられ、安静な事が解ると、アクトはそっと彼女を見守りながら、彼女が自然に目を覚ますのを待つ事にした。
どれほどの時間が経過したのだろう、ハルは目を覚また。
「・・ん・・ここは・・・私は・・・」
まるで寝ぼけたときの譫言のように彼女は言葉を発し、やがて、先程の戦いを思い出して、自分が生きているのを実感した。
「私、生きている・・・ってここどこ?・・・ええ? ア、アクト! なんて格好!!」
自分の脇にいたアクトと目が合い、そして、アクトが何も着ていない事に気付き、驚いて飛び起きる。
正確に言うとアクトは下着を穿いていたが、今の彼女はそのような些細な事に気付く心の余裕など無い。
飛び起きて、今度は自分が下着姿だった事にようやく気付く。
「キャーーッ!」
ハルの開けた毛布を再び手に取り、自分の胸を相手に晒さないように努める。
いろいろと焦るハルだが、手で顔を触り、自分がまだ白魔女の仮面を付けている事を認識すると、慌ててエミラルダとして演技を続ける事にする。
「な・・・なんで君がここに居るのかな?」
「焦るな、エミラルダ。順を追って説明する」
アクトはエミラルダを落ち着かせ、今までの経緯を説明した。
と言っても、アクトとて把握できているのは川から上がってこの小屋に入った事ぐらいであり、ここが何処か? あの戦闘から今はどれぐらいの時が流れているのか? 詳細は知る由も無い。
「・・・という事で、お前をベッドに寝かせて、今に至る」
アクトは短く経緯をまとめてエミラルダへと伝えた。
黙って聞いていたエミラルダだが、毛布を強く抱きしめるその姿は普段から彼女が纏う気高い印象は見られず、毛布から白い両肩をちょこんと出すその姿には愛嬌さえ感じられた。
「アクト君・・・非常に聞き難い事なんだけど、私の裸を見ていないでしょうね」
「お、俺を見くびるな、エミラルダ! その、なんだ・・・下着より先は脱がしていない・・・俺だって紳士だ! 無意識の女性を辱めるような趣味は・・・ない!」
断固にそう断言できるアクトだったら良いが、最後に彼が微妙に視線を逸らしたのをエミラルダは見逃さない。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・まぁ、いいわ」
絶対に邪な事を考えていたと勘繰るエミラルダだが、そんな彼女はアクトの事をひとまず許すことにした。
「私を助けてくれて、ありがとう」
それは自分を最後まで守ったという事実に対する感謝だった。
彼女自身の貞操も含めて、ひとまず安心するエミラルダ。
「私、傷だらけね」
そう言うと、身体中にできた傷を確認するエミラルダ。
あの戦いで『魔素爆弾』によるものがほとんどだったが、川に落ちてからもあちこちと身体をぶつけたのだろう、火傷や裂傷だけでなく、打身による腫れがあるもの解った。
彼女にしては珍しく、呪文を唱えて治癒魔法を行使する。
そうすると温かい光が彼女の患部を包み、次々と傷を癒していく。
エミラルダの肌から傷が瞬く間に消え、彼女の身体から痛みが引いていくのが感じられ、とりあえず応急処置が完了したのを認識した。
「アクト君もいっぱい傷付いているわね。こっちに来て」
「お、俺はいい!」
「そんな事を言わない。私を守ってくれたのでしょ。なら、私に治させて」
自分の傷はたいした事ないと遠慮するアクトを窘め、毛布を持たない片手でアクトを引っ張り、自分の元へと引き寄せる。
エミラルダはアクトの患部に手を当て強く念じた。
魔力抵抗体質であるアクトに外部からの魔法は通じないが、エミラルダのように強い魔力を持つ者が彼の身体に強い接触を以って二倍以上の魔力を加えれば、彼の身体に魔法を作用させる事が可能であるのは、実証済みであった。
こうして、アクトの負った傷をひとつひとつ癒す白魔女。
白魚の様なエミラルダの優しい指がアクトの傷ついた患部に次々と治癒魔法を施し、治療が実行される。
文字どおり白魔女に癒されるアクト。
互いに会話は無く、そのまま黙って治療されるままの時間だけが過ぎていく。
そんなアクトの心の中には、悶々とした気持ちが残っていた。
それは白魔女の正体が『ハル』だという事実だ。
彼女にその事を聞くべきか? それとも、知らないふりを続けるべきか? 悩んだ・・・
白魔女がアクトの後ろに回り、背中の傷を癒している時にアクトは決断する。
「もう・・・もう、辞めにしないか?」
「何を言っているのよ、アクト君。もうすぐ治し終わるから我慢しなさいよ」
「い、いや・・・傷を治す事じゃない・・・君がエミラルダのふりをするのを・・・もう止めないか・・・」
「え?」
白魔女の動きが止まった。
「俺・・・俺、さっき知ったんだ。エミラルダの正体を・・・・」
「・・・・」
「君はハルなんだろ?・・・・アストロ魔法女学院四年生のハル・・・」
パサリ
毛布が床に落ちる音が小屋に響く。
「君がどういう経緯で白魔女になったのかは解らないし、でも、それは、今はどうでもいいんだ。それよりも俺は・・・俺はハル、君ともう一度会いたかった・・・会って、あの時の事を謝りたかったんだ・・・君には・・・!」
アクトの言葉をハルが遮る。
彼女が後ろからアクトの顔を両手で抱いたからだ。
「あ」
ハルの身体がアクトの背中に密着する。
アクトは自分の背中に彼女を感じて、思わず息を飲んだ。
「それも・・・今はいいわ」
アクト耳元でハルは甘い吐息と共にそう囁いた。
そして、アクトが振り返ると、白い仮面のハルがアクトの目前に迫る。
彼女は何故か魔力を漲らしてアクトの瞳を直視していた。
唯ならないその迫力に思わず目を見開いてしまうアクトだが、直後にハルからは甘い・・・本当に甘い吐息と甘い言葉が彼の耳元で囁かれた。
「アクト・・・・・・・大好き」




