第十話 魔剣誕生
土曜日、ハルはアクトを研究室に呼び出していた。
その場所とは、昨日までの授業でふたりに宛がわれていたラフレスタ高等騎士学校の研究室ではなく、ハルのホームグランドであるアストロ魔法女学院の研究室だ。
ラフレスタ高等騎士学校の研究室でもそれなりの設備と環境が整えられていたが、それでもやはり魔法が専門であるアストロの、しかも、最上位の研究室と比較すると、どうしても目劣りしてしまう。
ハルがこれから行なう研究の最終工程は、どうしてもこの研究施設を利用しないと仕上げが難しい。
研究の最終工程とは、つまり・・・『魔剣の精製と仕上げ』である。
彼らは午前中から黙々と作業を熟して、ようやく高価な魔法素材を配合した魔法合金のインゴットを精製し終えたところである。
このインゴットを精製するために、ハルはかなりの集中力と魔力を自作の魔法陣に注ぎ込んでいた。
あまりにも集中したために、ハルとしては珍しく多少疲労感が身体に現れている。
これを察したアクトはハルに休憩を薦め、そして、今の小休止に至っている。
彼は一ヶ月半の間、このハルの研究室に入り浸っており、既に何処に何があるのかをすっかり覚えてしまっている。
棚からふたり分のコップと保存瓶から茶葉を探し出し、お湯は魔法の保温瓶から調達する。
ちなみに魔法の保温瓶は魔力抵抗体質であるアクトが触る事により一時的に保温機能が失われてしまうが、しばらくすると自己で周囲の魔素を集めて、機能が復活するようハルが改造していたため、大事には至っていない。
そうして、アクトはハルにお茶を差し出す。
既に阿吽の呼吸である。
「はい。おつかれさま」
「ありがとう、アクト」
気の利く相棒に感謝の意を示しつつ、ホッと一息するハル。
「錬成の作業に入ってしまうと、僕の出番は無いさ。協力できるのはこれぐらいだよ」
アクトはそう言いお茶の入ったポットを掲げた。
「こういう時のアクトは有難いわ」
彼女の感謝は心からのものである。
確かに、複数の魔法金属を錬成する作業は魔術師―――特にこういった作業に従事する者の事を魔工師とも呼ばれる時もある―――の独壇場であり、魔力を持たない人間は何もできることがない。
アクトのように強力な魔力抵抗体質者ならば尚更の事、この作業に介入できる筈もなかった。
しかも、今回の魔剣の原材料となる魔法金属はハルが今までやった事無いような高度な魔法金属同士の接合であり、失敗する可能性もあった。
一度失敗すれば、再びこの作業を行うのに数日間の下準備が必要になり、何よりも高価な魔力鉱石を必要としている為、損失も莫迦にならない。
研究資金の一部は学校―――この研究課題についてはラフレスタ高等騎士学校の授業という建前もあるため―――から出る事になっていたが、この研究には既にその常識的な金額を遥かに超える費用が発生していた。
結果として、ハルの個人的な資金を注ぎ込む形で研究を続けている。
この金銭面に関しては、アクトが大いに気にしていた。
アクトの実家であるブレッタ家は地方貴族とは言っても名門貴族であり、それなりの金額の資金を提供する事も可能である。
自分が使うことになる魔剣な事もあり、資金はブレッタ家を通じて全額出すつもりでいた。
しかし、ハルはブレッタ家からの資金提供を拒んだ。
その理由についてはいろいろあったが、この剣はどうしても自分達の力だけで作りたかったことにある。
それに、ブレッタ家から資金提供の事実を傘に、魔剣の所有権を主張されるのではないかとも警戒していた。
(この魔剣は私とアクトの物よ!)
そう思うと、ハルはまだ会ったことの無いブレッタ家を無下に信用する気にもなれない。
それにハルはこう見えても、自身の開発した懐中時計のお陰で、年齢にそぐわない大金持ちでもある。
たかが千五百万クロル相当の出費など彼女にしてみれば全資産の一割にも満たない金額で、惜し気無く注ぎ込んでしまうのだった。
このように研究資金を全く気にしないハルだが、アクトの方は十分に気にしていた。
「今は学生の身分であるので払えないが、将来は、せめて半分の金額は自分に払わせて欲しい」、とは彼の弁である。
この相談はふたりの間で何度も行われたが、最終的には研究資金を互いに折半すると言う内容で決着に至っている。
そうなっている以上、ハルとしても無駄に失敗をして費用が膨らむことは避けたかった。
それが今回は無事に成功で終わり、ひと安心しているハルだったりする。
「ここまで乗り切れば、あとは完成までもうちょっとね」
「流石にハルだね。あの長期間、魔法行使の集中力を維持するのは、ハルにしかできないと思ったよ」
「ううん、そんな事無いわ。アクトの協力があったお陰もあるのよ」
ハルは半分謙遜していたが、半分は事実である。
今回の『大魔法儀式』とも呼べそうな錬成作業を行う前に、ハルには例の事件が頭によぎっていた。
そう、『白魔女と思われしき人物による連続学生誘拐事件』である。
勿論、自分自身が白魔女あるハルにとって、それが冤罪であることは解っていたが、この事をアクトがどう評しているのかが、多分に気になっていたのだ。
自分からこの話題に触る事もできず、かと言ってアクトの態度は平常そのものであり、彼が真にどう思っているのか?・・・それを考えるとハルの心は穏やかではない。
アクトもその事を察したのか、今朝方になって彼の方からハルにこの話題をふってきたのだ。
「ハルさあ。最近起こっている学生の誘拐事件があるだろう・・・俺は、あれって白魔女の仕業じゃない可能性が高いと思っているんだ」
廃坑での一件からハルは白魔女とつながりのある人物とアクトは認識していたし、それが故にハルの事を気遣ってそのことを言ったのだ。
ハルも自分の無実をここぞとばかりにアピールしたかったため、こう答える。
「白魔女は・・・自分じゃないと言っていたわ」
当然だった。
自分自身がそんな暴挙をする訳もなく、否定する事は簡単である。
ハルも真犯人を調べようとしており、協力関係である月光の狼に依頼を出したのは勿論、自分自身も何かの手掛かりは無いかと夜な夜な動いてはいるが・・・結果は芳しくない。
最近は警備隊による警ら活動も厳しくなり、その事でもあまり自由に動き回れなくなっていたし、その上、神出鬼没な犯人の行動パターンを自分がまだ把握しきれていないのもある。
どうやら今回の犯人は隠密行動に関してプロ中のプロだとハルは思いはじめていた。
「そうか・・・白魔女は関与していないのか。それを聞いて俺も安心したよ。なんだか、今回の犯行の手口は・・・奴らしくない」
「奴らしくない?」
「そうさ。白魔女がこんな卑怯な方法で学生を困らせる事をする人物なんて思えないからさ」
アクトはきっぱりとそう断言する。
「俺は白魔女の潔白を信じている。だから、ハルも・・・安心して」
アクトのその言葉にハルはハッとする。
「あれ? 私って、そんなに思い詰め顔をしていたの?」
「他の人には解らないかも知れないけど、俺には解る・・・ハルの抱いていた不安が。俺は、俺は彼女を信じているから・・・ってそれだけじゃ安心できないのかも知れないけど・・・ハルも友を信じればいいんだよ」
「何よそれ!? 白魔女さんって、いつから私の友になったのよ!」
くすっとハルは笑う。
アクトの口上を見て、随分と愉快な気分になってしまったからだ。
「ウフフ。アクトは将来女泣かせになるかも知れないわね・・・もし、白魔女さんがその事を聞いたら泣いて悦ぶかもよ」
ハルは嬉しい。
信じて貰える人のいる姿を目の前で見たからだ。
しかし、素直に喜んではいけない。
ハルが白魔女なのは秘密であるし・・・もどかしいところである。
そして、現在アクトが信頼を寄せているのはハルと言う名前の女性ではなく、白魔女エミラルダという女性に対してなのだ。
ハルは自分の中で・・・勘違いするな・・・落ち着け・・・落ち着け・・・と念じる。
少しの時間を要して冷静さを取り戻したハルは、再びアクトに向き直る。
アクトの瞳を見ると、そこには彼の強い意思と白魔女に対する信頼が感じられ、彼の気持ちに嘘や偽りが片鱗も存在しないと思ってしまった。
そうするとどうだろう、それまでハルの頭の片隅にあった憂いの雲は完全に消え去り、心が清々しくなったのだ。
「アクト・・・ありがとう。すっきりしたわ」
ハルは心の底のから力が湧いてくるのを感じ、万全の体制で今回の錬成作業に臨む事ができた。
そして、その結果は火を見るよりも明らかであり、このとおりの大成功である。
こうして現在の休憩時間に至り、「これもアクトのお陰ね」と思わず感謝の言葉を漏らすハル。
アクトも自分で入れたお茶を飲みながら、「ハルの力になれたのだったら嬉しいよ」と優しく相槌を打つ。
ふたりに和やかな空気が流れ、先程までここが凶悪な魔力の飛び交う錬成の工房状態だったとは思えない。
「力になって貰っているわよ。本当にこんなに信頼できる人と出会えたなんて、私は幸運だったわ」
「私?私達の間違いじゃないのか?俺だってハルと出会えて幸運だと常々思っているさ」
「アクト・・・」
ハルは思わずアクトの手を握り、彼の瞳を覗き込む。
アクトの瞳は深くて優しい済んだ青色をしていた。
そして、何よりも温かい。
彼は信頼できるし、どんな事があっても絶対に自分の事を受け入れてくれるような気がする。
彼ならば・・・いや、彼しかないのではないだろうか。
この世界で自分の事を受け入れ、そして、守ってくれる存在は・・・と、何時ぞやの月光の下の夜の記憶が彼女に蘇る。
あの時の自分はアクトとひとつになっても良いと思い・・・そして、直後に彼を拒絶してしまった事実。
(いけない、いけない。駄目な私よ、妄想し過ぎ・・・冷静になりなさい・・・)
そう自分に言い聞かせたハルはゆっくりと目を逸らし、握っていた手を離す。
オホンと咳払いして、ハルはアクトを再び見るが、彼も少し顔が赤面している。
今更にアクトも恥ずかしかったのだろうか?
魔力抵抗体質者のアクトに対してハルの心を読む魔法は通じない。
それ故に、ハルはアクトの真意を読み取る事は叶わないのだ。
「私・・・少し疲れていたようね」
ハルも恥かしさを誤魔化すためにそう言ってしまったが、アクトも「・・・そうか」と短く相槌を打つに留める。
「と、とにかく、最後の仕上げをやるわよ」
ハルはそれまで漂っていた甘い雰囲気を払しょくさせるように、ひらひらと手を動かして空気を掻き出し、仕事に戻る決意をした。
アクトも心の奥底で少しだけ残念に思うも、今はそんなことをやる時間ではないとハルに続いた。
そして、ふたりの目前には先程まで錬成されていた魔法金属合金のインゴットが鎮座している。
黒光りするその魔法合金はふたりを歓迎しているような気もするから不思議だ。
まるで黒い卵から雛が孵るように、早く出してくれ、生まれさせてくれ、と語り掛けてくるような感じである。
少なくともアクトとハルにはそう感じられた。
「よし。アクト、少し下がっていて」
男前になったハルに、アクトは邪魔にならないよう左一歩後ろに下がって待機する。
アクトが下がったのを確認したハルは精神統一し、彼女にしては珍しく魔法の呪文を唱え始める。
「古より生まれし御霊よ。我の願いに応じ、彼のものを常世へ導き、力を与えたまえ」
ハルの詠唱により彼女の中の魔力が凝集して、ひとつの流れが生み出された。
ハルの身体から四方八方と糸を空中に吐くように魔力が流れ出し、周辺の魔素が活性化して輝き始める。
その光は赤でもあり、青でもあり、緑でもあり、白でもあり、黒でもあった。
万物の光が渦巻き、そしてそれが一点に集中するが、その現象に恐ろしさは全く感じられない。
純粋な力、無害、無垢な何かがその場所に集まっている。
大いなる善なのか、はたまた、神の存在の片鱗なのか、魔術の真理か、神の意志か・・・人知の理解を越えた偉大な何かがそこに集まっているようだ。
「新しく生まれしこの無機質の塊から刃を造り、御霊の力を授ける事を許したまえ」
ハルの詠唱が続き、光が集まるところから無数の細い光の糸がジグザクに伸びた。
光の糸は右へ左へと激しく動き、消滅しては生まれ、生まれては消滅する。
まるで嵐の中で雲と雲の間を走る稲妻のように、その空間に広がる。
そうして気付けば、直径五十センチメートルほどの巨大な光の魔法陣が出来上がっていた。
「さあ今こそ創造の時だ。光よ、力を与えよ。そして、ここに集約せよ」
魔法陣はゆっくりと傾き地面と水平になり、そして、ゆっくりと回転を始めた。
回転の中心にはすべてを吸込むような真っ黒な渦が発生している。
ハルは先程錬成した魔法金属合金のインゴットを魔法で浮かせ、その渦の中心にゆっくりと沈めた。
渦の中心と金属合金が接触した瞬間、直視できない程の光の奔流が研究室内に溢れかえる。
光とともに大量の魔力が放出され、渦から飛び出したかと思うと空間を方々に彷徨い、そして、その奔流は再び渦の中心へ落ち込んでいく。
その奔流から分離した一部の魔力の塊は、研究室内を暴れるようにうねり、そして、幾筋かはハルやアクトの身体に接触する魔力。
身体に当たっても無害であるためか、ハルは全く気にすることなく、アクトにも幾つか命中したが、いつものように彼の持つ魔力吸収・分解の力が働き、黒い霞へと変化する様子をアクトは黙って見る。
そんな魔力の暴風が吹き荒れる中、魔法陣の中心でゆっくりと金属は落ちて行く。
そして、金属は光輝く長細い形へ変化し、まるで固体から液体へ変化するようだとアクトは思う。
全ての金属が魔法陣を通り抜け、そして、その反対側からは光輝く棒状の塊が宙に浮いて止まっていた。
やがて、魔法陣の回転がゆっくりと止まり、飛び交っていた魔力の嵐は収まった。
役割を終えた魔法陣は、すうーっとまるで空気に溶けてしまうように姿を消し、空中に浮かぶのは光輝いた金属だけが残る。
しばらくその様子を黙って見ていたハルであったが、やがて自分の中で何かの納得が行くと、最終錬成された金属に近付いた。
ハルかローブの懐から小さいナイフを取り出し、何の躊躇もなく自身の左手薬指の先端を軽く切った。
「なっ!」
突然の凶行に驚くアクトだが、ハルは気にするな、と彼を制し、自分の指先から滴った血をできたばかりの金属塊に注ぐ。
するとどうだろう、まるで金属の『焼き入れ』のように、水に漬けられて急冷却されるのと同じように、ジューと音をたてて大量の煙が立ち昇った。
煙を上げる金属を黙って見るハル。
彼女の指からはまだ血が滴っていたが、その事にはまるで気が付かないほど一心不乱に煙に包また金属一点だけを見つめていた。
「お、おい。ハル!? 大丈夫か?」
あまりに長い期間、この状態が続いたため、心配になってハルに詰め寄るアクト。
しかし、ハルは冷静に告げる。
「大丈夫。血はすぐ止まる」
ハルはそう言って、傷を負った自分の左の薬指をペロリと舐めた。
血が少し唇に残るその姿を見て、アクトは一瞬ゾクリとしたものを感じてしまう。
いつの間に外したのか、彼女のいつもかけている眼鏡は既に無く、血が少し滴った唇は妖艶さもあり、瞳にも普段のハルでは絶対に見せない色気が備わっていた。
いつもの彼女とは別人のようにエロスを放つハルに、俄かに反応してしまうアクト。
ハルはその事など全く気にせず、それよりも最終精製された魔法金属の方へ意識を集中させていた。
「アクト、ほら」
ハルが示した視線の先には、煙が晴れて、その中から一本の立派な剣が姿を現していた。
それを目にしてアクトは別の意味で思わず息を飲む。
一メートル程の刀身はその剣先から柄に至るまで『黒』一色に染まっていた。
剣幅は厚過ぎずに、むしろ細くて長い。
鋭利な刃が片方にだけ付いており、僅かに反りが備わっていることから、切れ味も良さそうだと剣術士の勘がそう言う。
そして、最大の特徴はこの剣全体から溢れ出ている恐ろしいほどの『存在感』。
完成された芸術品のような艶を放つ。
「美しい・・・」
武器に関してはそれほど腐心しないアクトが、思わずそう口にしてしまったぐらい美しく黒い剣だった。
魔剣の美しさに心を奪われたアクトだが、そんなアクトにハルの手が触れる。
まるで騎士を誘惑する魔女のようにアクトの手を取り、空中に浮び続ける魔剣の前にふたりは立った。
「最後の契約よ」
ハルはアクトにそう言うと、互いに取り合った手で魔剣の柄を握る。
空中に直立する魔剣を握り、刀身を下にするように魔剣を振る。
そして、自分達の側に魔剣を引き寄せた。
驚いた事に魔剣はガタガタと震えていた。
まるで、人間如きに支配されるのを嫌がっているようも思える魔剣の反応。
そんな抵抗する魔剣を力で抑え込み、ハルはさっと剣の柄に埋まる黒い宝石に唇をつける。
そうすると不思議な事に魔剣の震えが少なくなった。
ハルは黙ってアクトを見る。
「さあ」
そう言うと宝石の方へ目配せさせて、アクトにもハルの意図がすぐに伝わる。
自分と同じように宝石へ口付けをしろと言っているのを理解した。
ハルと同じ場所に口付けすることを一蹴躊躇するアクトだが、それでも、と意を決し、宝石に口付けをする。
口付けの瞬間、魔剣の反発が一瞬だけ昂ぶったように感じられたが、それでも彼は獲物を仕留める猛獣のように魔剣の震えを抑えつけて、宝石に接吻を果たす。
(ハルの味がする・・・)
本当は彼女の血の味だったのかも知れないが、アクトの頭の中は一瞬そんな感覚が走り抜けた。
そして、その後、劇的な変化が起こる。
あれ程反発していた魔剣の抵抗は一瞬にして無くなると、刀身の部分に一本の赤い線が走った。
それは赤く光り輝き、闇から溢れ出した生命の力のように見えた。
まるで魔剣に命の炎が灯ったように、アクトの手にはドクンドクンと脈打つような感覚が伝わる。
その感覚はハルにも伝わっており、彼女は魔剣と自分達の契約が上手くできたこと理解した。
ハルは静かに魔剣から手を離す。
そうしてアクトの左手だけに魔剣が残るが、独りで持ってみると、恐ろしいほどに自分の手へ馴染む感じがあった。
アクトは今までいろいろな剣を使ってきたが、この魔剣は自分だけが使うために生まれてきた剣だとすぐに理解した。
魔剣の具合を試すため、両手に持ち二、三回素振りをする。
ブン、ブンと音を立てて剣を振るが、重さは全く感じられず、かと言って、安っぽい軽さも無い。
剣幅は薄いが、脆さを全く感じることはなく、むしろこの鋭さ故に岩をも容易に両断できるのではないか?と思ってしまうぐらいだ。
「アクト、どう?」
ハルは魔剣の感想を聞くが、アクトの様子からは結果を聞くより明らかであった。
それでも律儀にアクトは答える。
「凄く良い! この魔剣は馴染む。まるで自分の身体の一部になったように使える。こんな魔剣を使ったら、もう他の剣には戻れないぐらいだ」
子供のように、はしゃぐアクト。
「それじゃあ、試しに、これを斬ってみなさいよ」
そう言うとハルは魔法で人の顔ぐらいの大きな氷塊を作り、アクトに向かって投げた。
アクトはハルからの突然の魔法攻撃にも慌てることもなく、自分に向かってくる氷塊を斬る。
それは彼が最近の得意技になっている『魔力殴り』ではなく、純粋な力任せによる切断。
普通ならば剣が魔法に負けてしまうので、そんな事はしないが、直感的に「この魔剣では問題ない」・・・そう思った。
それが正解であった。
まるで紙を切るようにスパッと刃先が氷塊に食い込み、そして、見事にふたつへと断ち斬られたが、その後に驚きの効果があった。
両断された氷塊は制御を失い直後に爆散した。
魔力が抜けて魔法の氷塊が自戒した結果だが、残っていた魔力が黒い霞となって空中にしばらく浮遊した後に、魔剣の刀身へすべての魔力が吸収されたのだ。
魔剣からはしばらく赤い魔力の残滓が立ち昇り、やがて何事も無かったように消えた。
「こ、これは!?」
アクトは何が起こったのか理解できず、ただ驚いてハルの方へと振り返るしかない。
「驚いたでしょ?その魔剣にも魔力吸収の力もあるのよ」
「魔力吸収・・・」
「そうよ。アクトと同じ魔力抵抗体質の魔剣と言ったらいいのかしらね? 魔力で構成されたものならば、その属性に違わず、何でも分解して吸収できる能力があるわ」
「さっきの残滓は魔力吸収の成れの果てなのか」
「ええ。尤も、その魔剣は常に魔力を吸収しているけどね。刀身に赤いラインが現れているでしょ。それは魔力吸収が継続している証拠よ」
アクトはマジマジと魔剣の刀身に走る赤いラインを見る。
「常時アクトから魔力を吸収しているの。そして、その吸収した魔力をアクトに返す事でアクトの持つ魔力抵抗体の力を中和している。言うなれば互いに魔力を融通し合う事で、アクトと一心同体になっている。だから魔法に対抗する能力もその魔剣に備わっているのよ」
「そんな事が本当にできるなんて・・・」
アクトにとっても信じ難い事であったが、先程の氷魔法を無力化できた事実もあったし、ハルの説明も合理的であり、納得する。
「難しい仕組みは後ほど説明するとして、今はこの魔剣が持つ能力について簡単に説明しておくわ。この魔剣の能力としては主に切れ味の増大、重量の軽減、そして、魔力吸収、魔法破壊よ。特に魔力を持つ相手には格段の性能を発揮できる武器になる筈。私は会ったことは無いけど、死霊とか魔力で主構成された生物に対しても理論的には特に効果があるでしょうね。それと同じ理由で、相手が魔剣とかの魔法付与された物であった場合も優位性が出る筈・・・並の魔剣なら、数合打合えば、相手の魔剣の魔力を吸収して、こちらが勝つはずよ」
ハルからの説明に思わず息を飲むアクトだが、間髪入れずに注意点が続く。
「そして、注意点だけど、アクトの手以外にこの魔剣を持たせては駄目。強力な魔力吸収のある魔剣だから、特に普通の魔術師がこの剣に触れるとすぐに魔力枯渇で気絶しまう可能性もある。アクトと一緒に契約した私は大丈夫だけど、それ以外の人には絶対に触れさせては駄目よ」
そう言って懐の魔法袋から鞘を出すハル。
アクトをその鞘を見て、これも特殊な魔道具だと勘付く。
「この特別な鞘には魔剣の魔力吸収を抑える力があるわ。剣をこの鞘に仕舞っている状態ならば完全よ」
ハルから魔剣と同じ黒色の意匠を施した鞘を受け取ったアクトはゆっくりと魔剣を鞘に納めた。
魔剣は少しだけ名残惜しそうに赤い輝きを漏らしたが、それでも抵抗無く鞘へ納まる。
そうするとアクトの身体が急に重たくなるのを感じる。
「身体が重くなった」
「ええ、それは魔剣の能力のひとつね。使い手の俊敏性や腕力、判断力も底上げしてくれるわ。魔力循環の恩恵のひとつね」
ハルの説明に納得するアクト。
「この魔剣は使い手の魔力を吸収して、内部で増幅して使い手に能力を付与する形で返す事もできるし、先程言ったように周りの魔力を際限なく吸収して魔法を破壊する事もできる。その上、吸収した魔力に指向性を持たせて魔力を放つ行為、つまり、アクトが魔法を使う事も理論上は可能な筈」
「魔法を使える! 俺が!?」
「あくまでも理論上の話だわよ。どうやれば最適なのかは未だ解らないので、今はできないと思っていた方がいいわ」
「そ、そうか・・・」
少しがっかりするアクトだが、この状態で魔法まで扱えるようになるのは高望みも良いところだろう。
「そう言った機能もある魔剣なので、私が銘を考えたわ」
「銘?」
「ええ・・・『エクリプス』・・・私の国の言葉で『月食』を意味する言葉。魔力を覆い隠すこの魔剣には、この銘が最適だと思ったの」
「『エクリプス』か・・・うん、気に入った。今日からこの魔剣の銘は『エクリプス』だ」
アクトは自分で『エクリプス』と言ってみると非常にしっくりきた。
気に入って魔剣の柄を軽く握ると、魔剣も喜んだのかブルッと震えて応えてくれる。
「ハル、本当にありがとう。こんな凄い魔剣を造ってくれて。俺、自分にできる事なら何でもするから。ハルのために何だってするから!」
アクトは喜びのあまり、ハルの肩に両腕を回す。
いつもは冷静で沈着なアクトだが、この時は魔剣を得られた興奮と、今まで努力が報われた事によって、普段の彼では絶対に見せない積極的な行動を採った。
そんな行動はハルをドキっとさせる。
アクトの顔が近くにあり、彼の匂いがハルの鼻腔を擽る。
嫌な臭いじゃない。
こんなに喜んでくれるアクトは嫌じゃない。
いや、自分も喜んでいる。
自分もどさくさに紛れて、故郷に関わる話を少し口にしてしまっている。
そう思ったハル。
この『エクリプス』という言葉は、正確に言うとハルの出生国の言葉ではなく、外国から伝わった外来語のひとつである。
しかし、それでもかつて暮らしていたハルの国の民が普通に使っていた言葉でもあるのだ。
そう言った片鱗の情報だとしても、ハルの出生国に関する情報を話した人間など、こちらの世界ではリリアリア以来アクトが二人目。
これはハルがアクトの事を無意識の内に自分の身内だと認めた結果なのだが、それでも彼女の心は迷っていた。
本当にこの事を言って良かったのだろうか?
魔剣の開発は自分の好奇心、技術的な探求心から始めた筈なのに・・・
アクトに喜ばれる事で、どうして自分もこれほど心が躍ってしまうのだろうか。
何故、こんなに心が昂るのだろうか。
何故、この人のことをもっと欲しい、と思ってしまうのだろうか・・・
(エレイナだって自分の願いを叶えたじゃない・・・私だって少しぐらいご褒美を貰っても罰は当たらない!)
そんなことを考えてしまうハル。
「それじゃアクト・・・ひとつだけ、お願いがあるの・・・」
ハルは自分でもがビックリとするほどに甘えた声でアクトへ願いをしてみた。
「俺が叶えられる事なら、何でも」
アクトもそんなハルを優しく見つめ返す。
「それじゃ、私に・・・・」
最後の言葉は掠れてアクトに聞えなかった。
「え、何?? 聞えないよ、ハル」
アクトも甘い言葉でハルにそれを聞き返す。
ハルが一体何を欲しがっているのか、この場の雰囲気で半ば予想できるアクトだが、それでも彼女に聞き返したのは、どうしてもハルの口からその言葉が聞きたかったからだ。
「もう。アクト・・・私に」
ハルの唇がアクトに近付く。
そして、ふたりは目をつぶり・・・
ジリリリリ!!!
突然の呼び出し音にビクッとなるふたり。
ハッとなって見ると、連絡用の水晶玉が激しく明滅をしていた。
「もう! 受付からの呼び出しね。待っていて、直ぐに終わらせるから」
ハルはそう言うと連絡用の水晶玉に魔力を流して応答する。
そうすると慌ただしい様子で受付女性職員の声がした。
「ハルさん、研究の途中で申し訳ありません。緊急の案件でご面会の方が来訪されていますが、どうされますか?」
「面会?」
ハルは予定を思い返す・・・今日はアクト以外にこの研究室に誰かが来訪する予定は無かった筈だ。
「ええ、急用と言う事で取り次いで欲しいと・・・わっ貴方、なんですか! 止めてください」
受付嬢の言葉が急に乱れると、連絡用の水晶玉から男の声が割り込んできた。
「すまない、緊急事態なんだ。おい、アクト。そこに居るんだろ? 聞こえているか! 俺だ。インディだ。大変だ!サラが攫われた」
「「え!?」」
アクトとハルの声が重なった。
「そうだ。しかもサラだけじゃない。エリザベスさんも一緒に攫われたんだ!」
続けざまにもう一人別の被害者の名前も伝えられたが、アクトの頭には、もう、その名前は入ってこなかった。
アクトの幼馴染であり自分を慕ってラフレスタまで付いてきてくれた親友のサラが攫われたという事実に頭の中が真っ白になる。
インディから何の前置きもなく「攫われた」と言うならば、もう、犯人は解っている。
最近巷を賑わしている『仮面女の誘拐犯』の仕業に違いない。
その『仮面女』の正体・・・それは・・・
慌てたアクトは思わず目の前にいた女性に当たってしまう。
それは人間関係で殆ど失敗したことの無いアクトにとって、初めの判断ミス・・・
それは言ってはならない一言・・・
「お前! サラを・・・サラをどこに!」
アクトは憤激の表情でハルを睨み、抱いていた両肩を解き、彼女の華奢な肩を両手で乱暴に押さえ付けた。
「え?」
一瞬、何を言われたのか、理解の追い付かないハル。
その時のアクトの心の中ではサラが突然攫われた事で大混乱になっており、普段の彼ならば絶対に思いつかない非合理な事を考えてしまったのだ。
(サラとハルは仲が悪かった・・・もしかしたらハルはサラの事が邪魔になり・・・白魔女にサラを誘拐するよう指示をした・・・のか!?)
そんな根も葉もない妄想を一瞬だけ考えてしまった。
当然、ハルは自分にそんな意図は無いため、否定をする。
「わ、私は・・・私は知らないわよ!」
先程までふたりを覆っていた甘い雰囲気はこの瞬間にすべてが吹き飛び、片方の男性は怒気、もう片方の女性は困惑に捉われ、その後は急転直下するように身体の中の熱気は一気に冷めた。
(アクト・・・・・本当は、私の事を疑っているの?)
ハルは直ぐにそう思ってしまう。
(あっ、そうだった・・・やっぱり、この人は最後の最後で私の事を無条件に信用をしてはくれなかったんだ・・・・)
ハルの心は益々冷めていく。
(アクトは・・・自分の利益になるから・・・きっと、私を『女』として利用したのね)
先程まで浮かれていた自分が莫迦のように思えてきた。
自分が如何に愚かで、どれほど安い人間だったのだろうか。
なんて、お人好しだったのだろうか。
ハルの心が暗い部分へ足を踏み入れようとしていたが、そこで二度目のベルが鳴る。
ジリリリ。
今度は別の呼び出しの水晶玉が光っていた。
これはグリーナ学長室からの呼び出しだ。
ハルは直ぐにその水晶玉に魔力を流して応答する。
予想に違わず、呼び出した相手はグリーナ学長だった。
「ハルさん。大変なニュースよ! 白魔女が捕まったらしいわ!」
「「えっ!?」」
二度目の感嘆符が研究室に木霊した。