第三話 勧誘
ラフレスタ東南の第三城壁付近のあまり治安の良くない地区に、ひとりの男が不満を漏らしながら歩いている。
彼の名はエルビン。
今年の四月にラフレスタ南地区第三普通科高等学校を卒業したばかりの青年である。
彼が不満になっている理由は、今日、仕事で仲間に裏切られたからだ。
学生時代からあまり素行の良くなかったエルビンだが、彼は卒業とともに悪友たちに誘われて、ある商売を始めた。
それは健康増進や気運の良くなる『伝説の魔導宝珠』を売る商売である。
勿論、彼の売る商品には真にそのような効果がある筈も無く、所謂、詐欺紛いの商売。
この商売、始めは上手く行った。
どの世にも希望を見失った者がいるように、このような詐欺紛い物でも引っかかってしまう人が一定割合存在するからだ。
彼等は言葉巧みに人の心の弱みにつけ込んで、実際にガラス玉でしかなかった紛い物を売りつけ、多額の金品を巻き上げるのに成功していた。
しかし、彼らが商売を始めて二ヶ月過ぎた頃に暗転を迎える事になる。
それは彼らの元締めである人物が『月光の狼』という賊から襲撃を受けて、その悪事が世間の明るみに出てしまった。
その事で彼等の悪評が一気にラスレスタ中に広がり、商売がやり辛くなってしまった。
困った彼らに更に追い打ちをかけるように、対立する組織からの嫌がらせも一気に増加していた。
彼等の元締めは元々ラフレスタの裏社会に通じる人物であり、それなりに顔の利いた存在であったが、月光の狼による襲撃を受けた際、行方不明になってしまった。
元締め以外は皆エルビンのような若い構成員だったため、裏社会の組織と渡り合うには些か経験不足だった。
いろいろな搦め手や騙し騙される事件が続いて、この詐欺集団は個々バラバラにされつつあった。
今日も別の犯罪組織からの勧誘も来ていたが、この組織からの要求はエルビンを差し出す事が条件。
エルビンはなまじ剣と魔法の腕があったため、詐欺商売で揉め事になったときの用心棒的な存在だった。
彼は暴れる事が好きであったし、難癖をつけてきたチンピラに制裁を加えた事も一度や二度ではなかった。
今回、接触を持ってきた組織も過去にエルビンから痛めつけられた事を根に持っており、彼を生贄として差し出す事を条件として持ってきた。
かつての仲間達をエルビンは親友だと思っていたが、彼等の方はそう思っていなかったらしい。
粗暴で金に意地汚いエルビンを彼等は友と思っておらず、単純で多少腕っ節の良い便利な奴ぐらいにしか思っていなかった。
その事実を仲間から打ち開けられ、私刑をされるところだったが、単純な戦闘となるとエルビンの方に軍配が上がった。
彼はかつての仲間を半殺しにして、窮地を脱し、今へと至っている。
相手を殺す一歩手前まで痛めつけたエルビンだったが、それでも彼の心は晴れなかった。
「ちくしょう。皆、俺の事を莫迦にしやがって!」
エルビンは怒りのあまり、足元にあった石を蹴っ飛ばす。
石は勢い良く飛び、数メートル先の地面に落ちて転がった。
それは実に当たり前の現象なのだが、普通の事でさえ何とも腹立たしい。
エルビンの怒気は収まる事がなかった。
そんな近寄り難い雰囲気を出するエルビンに、後ろから誰かの手が肩に置かれた。
「そこの御仁、あまり気分が優れないようですな」
「なっ!」
エルビンは跳び上がらんばかりに驚き、振り返って後退するという器用な事を実行して、後ろから手を出した人物と距離をとる。
「何をしやがる!!」
「おっと、これは失礼しました。御仁がかなり興奮されているご様子でしたので、つい声をかけさせてもらいました」
エルビンの目の前には黒いマントを携えたシルクハットを被った男性が立っていた。
先程までは誰も居ないと思っていたから、エルビンは不意を突かれた形となる。
「なんだ、このオッサンは! しかも、いきなり現れるから驚くじゃねーか!!」
唾を飛ばして、喧嘩腰になるエルビン。
彼は普段から素行が悪く、こういう場合もそれなりに迫力のある態度を示していた。
しかし、シルクハットの男性は特に怯んだ様子も見せず、人の良さそうな笑顔を維持する。
「ハハハ。すまない、御仁。私は困っている人を見れば放って置けない性格でね。御仁は何やら困っているご様子のようだ。私で良ければ相談に乗りますぞ」
「な、何言って・・・るんだ」
鬱憤晴らしにこの男性を張り倒してやろうかと思ったエルビンだったが、このシルクハットを深く被った男の銀色の眼と合った瞬間、その気持ちが薄れる。
(この男は敵ではない・・・)
誰かがエルビンの頭の中でそう囁いた。
初めは怪訝に思うエルビンだったが、落ち着いて考えると自分のような困窮している男に話かけてくるなんで、とてもいい人なんじゃないか?この人は信用できるよな?と、そう思えてきたのだ。
「ここで会ったのも何かの縁ですな。近くの酒場で食事でもしながら御仁の話を聞かせて下さい」
「なんでお前なんかに・・・でも、お前の奢りなら・・・話してやらんでもないな・・・」
「ええ構いませんよ。私はこう見ても傭兵団の顧問魔術師をやっているで、お金の心配はありません。あ、そうそう、申し遅れました。私はマクスウェルと申します」
「俺は・・・エルビンだ」
「ああ、エルビンさん。良い名前ですね。それでは参りましょう」
男・・・マスクウェルに連れられて、エルビンは近くの酒場へと入った。
まだ夕食には早い時間だったため、客が疎らな薄暗い店内に二人は入る。
マクスウェルは黒いシルクハットとマントという派手な井出達だったが、不思議な事に他の客は誰一人としてその姿に気を止める者は無く、彼らは一番奥の目立たない席に座る。
安いエールを注文し、自分の心境を一方的に語り始めるエルビン。
普段の不愛想な彼ならば、とても珍しい事だが、先程まで仲間だと思っていた連中に裏切られた事が余程堪えたのか、堰を切ったように悔しさをマスクウェルにぶつけていた。
マクスウェルは聞き役に徹して、時折「うんうん」と相槌を漏らす。
エルビンは仲間の裏切り話に始まり、自分が高校時代に碌な友人に恵まれなかった事、自分がどれだけ正しい事をしても周りが認めてくれない事、自分の力がこんなものではないと思っている事、そして、自分の生い立ちや境遇へと話が進む。
そして気が付けば、五杯以上エールが進んでおり、酩酊近くになっていた。
「だから、俺は・・・俺は嫌われ者なんだ。あいつ等、俺の事をバカにしやがって・・・」
エルビンは自分が家族の中でも蔑まれている存在である事をマクスウェルに打ち明ける。
彼の話によると、自分の本当の両親は自分が赤子の時に火事で他界していた。
天涯孤独となったエルビンだが、紆余曲折があり親戚に引取られる事になる。
だが、そこでの家族環境は最悪だった。
親戚の両親からは邪魔者扱いされ、一緒に住む義理の兄や妹からは侮蔑を受ける毎日が続く。
幼少期に愛情をほとんど与えられなかったエルビンは予想に違わず性格が屈折し、乱暴者へと育っていく事になる。
その乱暴による行動がまた彼が軽蔑される原因となり、負の連鎖が続いていった。
育ての両親がある程度の資産家だったと言う事もあり、高等学校へ就学させてもらうことはできたが、それでも育ての家族からは何も期待されていなかった。
自分もそんな場所に帰るつもりはなく、育ての親からも帰ってくるような催促が無かったため、これ幸いと家を飛び出して独立していた。
「おでは・・おでは・・・必要のない子なんだ・・・」
エルビンは酩酊で呂律が回らなくなり、何かを思い出してか涙目になり、この身に起きた不幸をマスクウェルに話していた。
マクスウェルはうんうんと聞きながらもエルビンに同情する素振を見せる。
「エルビン君。元気を出しなさい。こうして私と会ったのも何かの縁だ。これを君に渡そうじゃないか」
そういって懐からひとつの紙の入った封筒を取り出す。
「こりぇは?」
覚束ない手でマクスウェルから紙を受け取ったエルビンは、酔っぱらった頭を総動員して、そこの書かれている内容を読み解こうとする。
「君さえよければ、我が獅子の尾傭兵団の編入試験を受けてみてくれたまえ。現在、我々は新たな事業を展開していて人手不足なのだよ。君みたいな優秀な若者を求めているのだ」
「おりぇが?」
「そうだ。だって君は魔法も使えるし、剣だって使えるじゃないか。魔法戦士は貴重な存在なのだよ。きっと試験に合格はできると思うし、うちは他の傭兵団より報酬を弾ませてもらっている。悪い話じゃないだろう?」
エルビンは霞む目を擦ってマスクウェルから渡された紙を見ると、それは獅子の尾傭兵団の募集要項だった。
「げ、げっしゅー三十万クロル!」
その数字を見た瞬間、酔いが覚める思いだった。
一般的な高等学校卒業者の給金と比較して約二倍の報酬だったからだ。
「そう、我ら獅子の尾傭兵団はそこらの陳腐な傭兵団とは違うのだ。選ばれた人しか入れない傭兵団なのだよ。君のようにね」
「お、おれぇ?」
そうだと頷くマスクウェル。
「明日の昼、そこに書かれているところに集まってくれたまえ。そうすれば試験を受けられる。だから今日はゆっくり休んで明日に備えなさい。君なら絶対に大丈夫だ」
エルビンは嬉しかった。
自分を必要としてくれる存在がいてくれて感激した。
マクスウェルの勧めで今日は早く帰り、明日に備える事にする。
『獅子の尾傭兵団』というのは巷で噂が広まり始めている有名な傭兵団だった。
この傭兵団の一員になる事ができれば、あいつ等を、自分を蔑んだあいつ等を見返す事ができる。
そう思うと、エルビンの心は愉快になる。
彼は酩酊感漂う千鳥足で上機嫌に酒場を後にする。
そこには、ほんの一時間前までの不機嫌な姿はなく、もし、その変化を知る者がいたならば、とても驚く事になっただろう。
しかし、エルビンの様子は、数少ない客やここの店主も含めて誰も気付かない。
それはこの部屋の奥にまだ残っているマクスウェルの姿にも気付いていない。
いや、『忘れさせられた』と言った方が正しいだろう。
マクスウェルの左手の小指に付けた緑色の指輪が怪しく輝いている。
この指輪に込められた魔法が発動している時、マクスウェルの周囲に隠蔽と忘却の魔法が展開するものであり、マクスウェル達の事は記憶に残らないようになっていたのだ。
この結界があるからこそマクスウェルは周りを気にする事無く、本来の顔を取り戻していた。
それは先程までの人の良さそうな仮面を脱ぎ捨て、嘲りと薄笑いを浮かべた本来の彼の顔だった。
「ふん、こいつは終了っと、少しは役に立って欲しいが・・・それは明日次第だね」
マクスウェルはそう言うと、名簿の書かれた紙を手元にとり、エルビンの名前が書かれた欄を確認して完了の印を書き足した。
このリストは獅子の尾傭兵団の新たな人員勧誘に適した人物が書かれた紙である。
候補となる人物は魔法が使える事と、社会のとのつながりが薄い人物、それが最低条件である。
今の獅子の尾傭兵団が重視するのは前述するふたつの要素で、人となりや実力は大した問題ではない。
ラスレスタに来て直ぐのマクスウェルにこのようなリストが準備できたのは彼らより先に行動していた先行隊による働きと、他でもないラフレスタ領主の協力もあったからである。
マクスウェルに任された二十名の候補者のうち、これで四人目の勧誘が終わった事になる。
彼は今日中に残された十六名を探して、勧誘しなくてはならない仕事があった。
彼は黙って酒場を出て、次の標的に足を向ける。
残された酒場のテーブルに、身に覚えのない大量の空ジョッキがあるのを店主が見つけたのは、それから間もなくしての事であった・・・