第八話 研究のために
「本当になんなのよ!」
昨日のギエフから受けた狼藉にまだ怒りがなかなか収まらないハル。
今日の愚痴の相手はアクトだった。
ふたりは今、高等騎士学校内の研究室で魔力鉱石と普通の鉱石を粉末にする作業を行っている。
手を動かすだけの単純作業であるが故にハルの口が止まることもなかった。
アクトも昨日のギエフの暴挙には我慢ならなかったが、さすがに一日もすると冷静に物事を見るようになっている。
ギエフの所属する獅子の尾傭兵団はどうやら月光の狼を成敗するために業を煮やしたラフレスタ領主の依頼によって招聘された一団と聞いていた。
獅子の尾傭兵団はエストリア帝国東方の国境付近で活躍している傭兵団だ。
危険な魔物討伐、盗賊の成敗、警ら請負などの戦闘業務に特化した傭兵団で、アクトも最近、この傭兵団の名前を風の噂で聞いたことがあり、帝国内の数ある傭兵団の中でも最近特に活躍の声が聞こえている一団。
今はギエフ達を先行隊とする十名程度の部隊だが、そのうち本隊である二百名程度がこのラフレスタに来るらしい。
それまでの間、第二警備隊が先行隊の受け入れ先として指名されたというのをロイ隊長本人より聞かされた。
ロイも個人的にはギエフをあまり好かないようだが、彼としても警備隊と言う組織人のひとりであり、上の命令には逆らえないと苦悩の表情でアクトに答えていた。
昨日、ギエフがハルに行った暴挙の後、現場で、それはそれは大変な事になった。
まずは怒り千万のハルが獅子の傭兵団の控室に突撃しようとしていたのを、全員で止める事から始まる。
ハルは無詠唱魔法の使い手であり、瞬時に魔法を行使できる。
彼女の風の魔法の余波によってフィッシャーやカントは飛ばされていたし、被害を増やさないため、アクトの『魔力殴り』の技が必要になったぐらいだった。
そして、いつもはハルとあまり仲の良くないエリザベスやローリアンでさえも、ハルを擁護する立場に回っていた。
彼女達としても女性に失礼な狼藉を働くギエフを『女の敵』として共通認識した結果であり、今回ばかりはハルの擁護に回った形だ。
ハルによる魔法乱射とエリザベス、ローリアンによる猛抗議を、それ以外の人間が必死の防御と説得により、なんとか社会的・物理的に崩壊することを免れた第二警備隊の詰所。
暴れ疲れて回っていたが、その後におとなしくなったハルはキリアから消毒と浄化の魔法を施して貰った。
本来、人に舐められた程度で感染症などにはならないのだが、居合わせた女性達はあのギエフは人類とは違う化け物のような悍ましさを感じさせる何かがあったらしい。
キリアは彼女の持てる最大威力の神聖魔法で施術する。
ハルの要請で『悪霊退散』の術を更に重ね掛けしてもらったのは言うまでもない。
そうして、時間軸は現在に至る。
「それにしてもまだ気になる~」
そう言うと自分の頬を撫でるハル。
「まだ気になるなら顔を洗えよ。拭いてやるから」
アクトはそうアドバイスするが、ハルとしてはもう何十回と舐められた頬の部分を拭いていた。
医学的には何も問題ないことが自分でも解っているが、生理的にギエフの舌を受け入れる事などは絶対にできないのだ。
昨日もあの後に原因不明の悪寒に襲われていたし、夢でギエフの舌が追っかけて来るし、散々な思いをしていた。
もし、白魔女としてギエフと対決する場面があったならば、絶対に全殺しにしてやろうと心に決めるハルであったりする。
そんなこんな悪態をつきながらも、魔力鉱石を粉末にする作業は完了して一段落する。
ふたりは完成した粉末をひとつの容器に移し、その容器を密閉した。
ハルが魔法を唱えると容器が空中に浮かび、赤熱を始める。
次にハルが空中を指でなぞると魔法陣がそこに描かれ、赤熱した容器の周辺に簡易的な結界が形成される。
この魔法陣の中では加速的に温度が上昇し、容器も赤色を越えて白色に輝き、アクトが想像できないほど高温になっていると感じる。
しばらくその状態を維持した後、おもむろにハルはその中に手を入れた。
普通ならば火傷しかねない状況であるが彼女は魔術師なのだ。
それもアクトの知る中でも上から二人目の凄腕の魔女(一番目はグリーナ大魔導士だと思っている)で、彼女がそんな初歩的なミスをするとは思っていないので、アクトも慌てなかった。
アクトの予想違わず、ハルの手が触れるか触れないかの距離で容器の蓋がひとりでに開き、中より棒状の光輝く物体が現れる。
それを引っ張り出す様にハルは手を動かすと、棒状の金属が目の前で形成されていく。
少し経って熱が冷めると、一メートル程の金属棒がアクトの前に現れた。
「これは魔剣を作る前の段階のテスト用の素材。見てのとおり魔力が付与されているわ」
ハルがそう言い棒を触ると、薄く青い発光反応が見られた。
授業で習った事なのでアクトも知るが、これは『魔光反応』と言い、魔力が付与された物質から魔法が漏れるときに発光する現象であり、この光がある事で魔力を宿していると解る。
この棒にどれほど魔法の効果があるかは判別できないが、この金属の棒には間違いなく何らかの魔力が宿っていることを示していた。
「アクト、これを持ってみてよ」
ハルの薦められるままに金属の棒を持つアクト。
アクトの手が金属の棒に触れた瞬間、青い光が黒い霧のようなものに包まれる。
光と闇は拮抗するように互いに抗うが、その状態は長く続かず、闇が勝ち、青い光は霧散してしまい、そして最後には魔法金属の棒はただの黒い棒になってしまった。
「うーん、魔力が全部飛んじゃったわ。こんなに強い魔力でもアクトの力の方が勝つなんて・・・悩ましいわねぇ」
ハルは唸った。
この素材は魔剣の素材としては最高級品に属す物であったが、それでもアクトの魔力抵抗体質の力が勝り、結果的に実験は失敗に終わった。
「ちょっと確認してみましょう」
そう言うとハルは自分達と向かい合うように置かれた四角い鏡を手に取った。
今はこの鏡に自分達の姿が映っているが、ハルが短い呪文と唱えると、映っていた画像の時間が逆に戻り、アクトが魔法金属の棒を持つ前の映像になる。
この鏡はハルが開発した魔道具のひとつで『魔力鏡』と呼ばれ、映像を記録して再生する機能のある魔道具である。
ハルはアクトが素材の魔力を霧散させる様子を何度も何度も見返した。
「これを魔力流強調モードに変えてっと・・・」
ハルが魔力鏡を操作すると、映像が変化して、魔力の強弱を色で示す画像に切り替わる。
そして、アクトが魔剣の素材に触れて魔力が霧散する場面を再生し、この映像をじっと眺めるハル。
可視光で観察したときは、アクトの魔力抵抗体質の力が素材に帯びていた魔力を侵食するように見えたが、魔力流を強調した映像を見ると少し様相が違っていた。
鮮明には解らないものの、どちらかと言うと、素材の魔力がアクトの方へ流出しているように見えたのだ。
魔力鏡を操作し、速度を落として映像を再度確認する。
やはりそうだ。
素材に付与した魔力がアクト側へ流出し、それを覆うかのように黒い靄が後から沸いては消えてを繰り返している様相が確認できた。
これは一体何だろう・・・思考を巡らすハル。
しばらく考えた彼女はアクトに向き直る。
そして、可愛くニコッとした笑顔をアクトに見せた。
「なっ、なんだよ」
ハルの小悪魔的な笑顔は可愛かったが、それは彼女が何かをお強請りするときの笑顔だとアクトの直感がそう訴えている。
「ムフフ。ちょっと試したい事があるんだけど・・・いいかな?」
「・・・なんだよ」
アクトの予想に違わず、ハルから『お願い』が来た。
このように甘えるような仕草を他の人には絶対見せないのがハルという女性だが、最近はアクトには時折こういう姿を見せるようになっていた。
アクトもハルに好意があるのは少しだけ自覚しており、こういった態度を見せてくれる彼女が、自分のことを信頼して貰っている証だと思っている。
「実は・・・アクトの魔力抵抗・・・ちょっと試してみたいなぁ~。なんてね」
少し恥ずかしそうに、そして、可愛く振る舞うハル。
「なんてね、って言われても・・・要は何をしたいのさ」
ハルの姿にアクトは可愛いとは思いつつも、授業である共同研究の時間は有限であるため、彼女の要求を急かした。
「じゃあ、遠慮なくお願いするけど・・・君の魔力抵抗を調べるために、私の魔法を浴びてくれない?それも全身隈なく!」
「えっ?」
『全身隈なく』という単語に、はあ?と反応するアクトであった。
「アクトどう?痛くない?」
「全く大丈夫。むしろ気持ち良いぐらいだよ。まるでマッサージを受けているみたいだ」
ハルはアクトの肩に片手をかざし、そこから弱い無数の雷魔法を浴びせていた。
アクトは椅子に座ってハルから発せられる魔法を黙って受けている恰好である。
ハルの魔法はアクトの魔力抵抗体質の力によって無効化されるため、アクトには無害だが、もし事情を何も知らない人がこれを見たら、男子学生を虐待する魔女の図を想像できただろう。
しかし、この場にはふたりしかいないので特に問題は無い。
この魔法を浴びている様子をハルは別の手に持つ魔力鏡で撮影している。
撮影箇所はアクトの右手から始まり、腕を経て背中や胴体、足、頭と全身いろいろな場所に及んだ。
それには下半身の際どい場所も含まれたが、『これは魔剣研究のためっ!』とふたりは心を鬼にして臨んだのは言うまでもない。
アクトの頭を調査していたとき、雷撃魔法の副産物で発生した静電気によってアクトの髪が浮き上がった。
その様子に「うわー」とハルは喜んで色々と遊んでしまったが、アクトに急かされて、慌てるなど、心和む場面もあったりする。
そして、全身隈なく雷魔法を浴びせて、やはりアクトの魔力抵抗体質の力は万全の守りをしている事を再確認したハルは、雷以外の属性の魔法をアクトに試すことにした。
水、炎、風、氷、土、光、闇の魔法、睡眠や幻惑など精神系の魔法、回復など傷を癒す魔法を掛けたが、結果的にすべての魔法が無効化されてしまった。
次にアクトと手をつないでハルから魔力を流してみるが、アクトはあまり反応を見せない。
これには魔力抵抗体質の力が働いて、魔力の流入を無効化しているのだろうとハルは思った。
指に少し力を込めて魔力を強引に流そうとすると、アクトから反応が見られる。
ハルが急に力を込めたため、それで驚いている様子もあったが、微量な魔力がアクトの身体へと流れて行くのが感じられた。
今のハルではこれが精一杯であるが、彼女が白魔女に変身した場合は魔力も強化されるため、アクト相手に魔力を流すことはもっと容易なる筈だ。
思い返せば、ハルが白魔女としてアクトと初めて対峙したとき、彼の頭に指を触れて直接睡眠の魔法を撃ち込む事に成功していた。
なるほど、と一人で勝手に納得するハルであった。
次に、少し手を離して空間を介した状態で魔力を与えると、当然アクトの魔力抵抗体質の力で魔力流入が阻まれる。
加えて、先ほど直接手を触れた状態では見られなかった黒い霞のようなものが現れた。
この現象は先の魔力付与素材を触ったときと同じ反応だ。
(この黒い霞は何かしら?)
ハルは疑問に思うも、今、考えても解らないものはどうしようもない。
とりあえずこの現象を魔力鏡に記録し、後で解析することにした。
ハルは最後に、アクトから魔力を奪う事を試みる。
アクトの手を握って施術すると、意外な事にこれはあっさりと成功した。
何故だろう?と思ったが、これも現時点で理由は解らない。
ちなみに、ハルが易々と試している魔力吸収という術は決して日常で気軽に使われるものではない。
人間は保有している魔力を吸収されると力の抜けるような感覚を覚え、これが酷くなると倦怠感を自覚するようになり、更に状況が進むと意識を失たり、最悪の場合にはショック死する可能性さえもある危険なものだ。
そのため、『魔力吸収』という行為は一般的には禁忌の技に指定されており、この術式を学校の授業で教える事は無い。
この技を知るのは一部の魔術師のみだったが、ハルも独自でこの技にたどり着いた数少ない魔術師のひとりである。
今回、アクトに対する魔力吸収の行為も彼には内緒で行っている。
もし、気付かれた時は「研究なので・・・」と言い訳を用意していたハルであったが、結果的にアクトは気付なかったので、特に何かを言う事も無い。
アクトの様子を黙って観察すると、彼はケロっとしており、自分の魔力を抜かれている自覚すら無いようだった。
ハルはこの事についてもいろいろと自分の考えに没頭してしまい、結果的にアクトからかなりの魔力を吸収してしまい、焦ることになる。
しかし、アクトの健康状態に変化が見られなかった事から、とりあえずひと安心するハルだった。
そんなこんなで調査は一通り終了する。
「今日はこんなところね。アクト、身体は何ともない?」
「ああ、全然大丈夫。むしろ調子が良くなったぐらいだ」
研究のために上半身裸になっていた彼だったが、そう言って力こぶを見せるアクト。
細くても常に鍛錬している筋肉質の身体であり、健康的な身体だったが、今日の彼の肌は一段と艶が浮かび上がっており、調子が良いように見えた。
「私の魔力がマッサージのようになったのかしら?魔力抵抗体質者って不思議よね」
「ハハハ。どうなんだろうか。とりあえず今日は夜警に同行する事になっているので丁度いいよ。それにギエフの奴も来るようだし」
「ギエフ!」
アクトが口から出た変質者の名前に反応するハル。
ジュリオの気まぐれで夜の警ら活動に同行する羽目になったアクト達だったが、ハルはあの悪漢ギエフが参加する事をこの時に知った。
「そう・・・」
ハルは自分では短く無表情に応えたがつもりだったが、その目にはキラリと光るものが宿り、口元が不敵に笑う。
これはどう言い訳しても悪い事を考えている魔女の顔である。
アクトは努めて、何も見なかった・・・そういうことにするのであった。