第六話 一日が終わって ※
ラフレスタ第一地区に建つ屋敷の一室。
白亜の石材で造られた豪華絢爛な一室ではあるが、この屋敷の現在の主人からしてみればこれはただの浴室であり、ここは狭くて質素な造りだとしか認識していなかった。
もし、一般人がこれを知れば大層驚くべき事だろうが、彼の一族はこの程度の屋敷などエストリア帝国全土に多数所有しており、ここラスレスタの別荘もそのうちのひとつでしかない。
ここを豪華と言えば、帝都にある本邸の浴槽はそれこそ『この世とは思えない』と表現しなければならなくなってしまう。
そんな浴室に設えられた豪勢な湯船には現在この屋敷の主となっている青年が浸かっている。
彼の名前はジュリオ・ファデリン・エストリア。
このエストリア帝国の第三皇子である。
綺麗に整えられた程よい金色の髪は侍女によって丁寧に洗われ、程よく鍛えられたその白い身体はまた別の侍女が洗っている。
彼にとってはこれが日常だった。
そのジュリオの前にはこの浴槽で帝国騎士軍団最高位の制服を身に着けた状態のロッテルが直立不動で立つ。
「うむ。本日の勤めは大義であったな。初日と言う事もあり、予もいろいろと大変だったが、中々にして楽しかったぞ」
「ハッ」
ジュリオからの労いの言葉に敬礼で応えるロッテル。
「それにしても・・・予想に違わず有望な人材が数多く居たのは幸運であったな」
「全くでございます」
ロッテルもジュリオの評価に合意する。
「アストロの生徒で最大火力の魔術師と言われるエリザベス・ケルト、幻術魔術師のローリアン・トリスタ、格闘系魔術のクラリス。この三人は噂に違わない存在かと思われます」
「そうだな。予も本日彼女らに接してそう思った」
本日の午後の授業は模擬戦だった。
この授業を利用して各位の実力を見たジュリオは、ロッテルの評価に同意する。
同年代の魔術師と比べると彼女達の実力は突き抜けていると素直に評価できる内容だったのだ。
「加えて、事前情報はありませんでしたが、セリウス・アイデントとインディ・ソウルの剣術もなかなかのものかと」
「うむ、戦力としては申し分無さそうだ。この者たちの予の陣営への勧誘は、ロッテルに任せるぞ」
「解りました。この五名は帝室の威光を良く理解している人物です。ジュリオ様の理想を実現するのに喜んで先兵となってくれる事でしょう」
「うむ。期待するとしようぞ」
「逆にユヨー・ラフレスタ様とフィッシャー・クレスタ、カント・ベテリックス、キリアの四名はあまりお勧めできませんな」
「やはりそうか。予の評価も同じだ」
彼らの持つ欠点を看破するジュリオとロッテル。
ユヨーはその血筋が、フィッシャーとカントはその実力が、キリアは教会と言う組織が、ジュリオの理想と相反していた。
特に現時点でラフレスタ卿と教会に借りを作りたくなかったジュリオは初めからユヨーとキリアを自らの陣営に加える事は考えていない。
「まぁ、フィッシャーとカントに関しては放置でも構わないが、本人から『どうしても予の陣営に参画したい』と言うのであれば考えてやらんでも無い。」
「御意に」
ロッテルはジュリオの意思を正確に読み取る。
「さて、今回の目的のひとりであるアクト・ブレッタの件だが、彼の模擬戦の実力はまだ見ておらんが、ロッテルはどう見る?」
意見を求められたロッテルは現時点の自分の直感を率直に述べた。
「彼のアクト青年は小職から見ても類稀な戦闘の才能があるように予感します。それは今度、私が直々に手合わせした時に確かめるとしましょう。彼の持つ魔力抵抗体質がどのレベルにあるのかも少し興味ありますし」
ロッテルは蓄えられた髭を摩って目を瞑る。
これはロッテルが楽しい事があるときに、こういう癖をすることをジュリオは覚えていた。
帝国軍の魔法戦士の中でも手練れである彼が『楽しみ』と言う程の男はなかなか存在しない。
アクト・ブレッタという青年は自分の期待を裏切らないだろうとジュリオの勘がそう囁いていた。
「なるほどな。アクトはあの人にもつながっている存在である。期待をしておこうぞ、ロッテルよ」
「こちらも御意でございます」
再び敬礼するロッテル。
「さて、もうひとりの目的であるハルの方だが・・・」
ジュリオはハルの名前を出す。
「はい。彼女の事をいろいろと調べましたが、リリアリア様に養子縁組されたという事以外の記録が無く、やはり謎の女性です」
ハルの身辺を調査した結果を報告するロッテル。
「謎の女か・・・しかし、それを差し引いてもこれだけの魔道具を作れる力は是非とも予の陣営に欲しいものだ」
そう言い浴槽の袂に置いてあった懐中時計を取り出すジュリオ。
正確に時を刻むこの魔道具を早速ジュリオは手放せなくなっている。
彼の生活は常に多忙であり、正確な時間を知るというのはそれだけで価値があるのだ。
帝都でこれを献上された際には懐中時計の精巧さと正確さに大変驚き、ジュリオは早速この製作者を調べさせた。
ラフレスタで新興の商会が製作元だという事までは直ぐに解ったものの、そこから先は中々に情報が秘匿されていて、調べるのが困難であったのだ。
やっとのことで事実を知ると、それはアストロ魔法女学院の生徒で、自分と同じ十九歳の女生徒であると聞かされたとき、彼は自分の耳を疑ったものだった。
さらに調べると、そのハルが所属するアストロ魔法女学院とラフレスタ高等騎士学校が、エリートを集めて特別な授業を行っている、という情報を掴んだ。
これは幸いとし、自分の陣営への人材スカウトのチャンスと思い、こうして、ジュリオの足がラフレスタに赴く事になったのだ。
そう考えるとハルの存在がジュリオの今回の行動の切掛けであると言っても過言ではなかった。
「ハル殿は中々にして我々と・・・と言うよりも、他人とあまり接したがらない性格のようですから、直ぐに深い接触を果たすのは難しいと思われます」
「・・・だろうな」
ロッテルの助言を理解するジュリオ。
今日もジュリオが直々とハルにいろいろ話しかけたが、その反応はいまいちだった。
ジュリオは不問にしていたが、皇族に対してそんな態度を取ること自体が不敬罪に値するのではないかと、傍から見ていたエリザベスがハラハラしていたのは言うまでもない。
ハルにしてみればこのジュリオだけに特別距離を取っている訳ではなく、他の生徒ともあまり話している様子は見受けられなかった。
女性同士といえばクラリスと少し、異性ではアクトと少し、という感じで、ジュリオの目から見てもハルは人間嫌いの様相を伺わせていたのだ。
「まぁ良い。近いうちに彼女のアストロの研究室と工房を視察する約束はとりつけている。彼女の事は焦らずに進めるとしよう。今日はもう下がってよいぞ」
「ハッ」
ジュリオに一礼し、浴室を後にするロッテル。
その後もジュリオの脳裏にはハルの事があった。
彼女は午前中の授業で学校職員のミスが原因で、在り得ないような衣装を身に纏って徒競走を行っていた。
他の魔女達が羞恥のため死にそうな顔をしていたが、この中でハルはそこまで恥ずかしがる様子を見せていなかったのはジュリオにとっても新鮮だった。
ハルはあまり自覚が無いようだったが、自ら持つ見事なプロポーションを誇示するかのように見せびらかせて走る彼女の姿を思い出してフフと笑うジュリオ。
その変化に気が付いた侍女のリーナとバネット。
「ジュリオ様・・・今、ハルという女の事をお考えでしたのね」
リーナは不躾にそう言ってしまうが、ジュリオはその事を不問にせず、素直に感想を述べる。
「そうなのだ。予も未熟よ、のう。ハルが走るあの姿を思い出して、あの女を我がモノにしてみたいと思ってしまった」
リーナとバネットは少し拗ねたような顔になり、ジュリオに物欲しげな視線を送る
「何、心配する事は無い。一時の気の迷いだ。こうして予の心は平常に戻っておるぞ」
そう言い二人の顔を撫でるジュリオ。
それで気を良くするふたり。
「もう、ジュリオ様ったら。将来は女の敵に成らない様にご注意をあそばせ」
リーナはジュリオに甘える。
今の彼女達はそうする事の許される数少ない機会だったからだ。
敬愛する主に頭を撫でられて、気を良くしたリーナは、自分が昼間に得た情報を伝える事にした。
「ジュリオ様の言い付けどおり、今日はハルを見張っておりましたが、とても良いものを見られましたわよ」
「ほほう。良いものとは?」
「ええ。あのアクトという男子学生を巡り、女の闘いとやらを目にする事ができました」
リーナは口角を上げたが、それはそれで美人に艶が増す。
「それは興味深いな。話せ」
「相手の女性の名前はサラ・プラダム。ラフレスタ高等騎士学校の生徒で、アクト・ブレッタの幼馴染らしいです」
リーナはその時の状況を事細かく説明した。
ジュリオは黙って彼女の報告を聞いていたが、その後、いろいろと考えを巡らす。
「あのときハルは『自分はアクトに興味ない』と言っていましたが、あれは嘘をついている女の顔です。彼女の恋敵であるサラという女性もその事に勘付いていました」
そう言ってリーナの報告は終わる。
「うむ」
ジュリオは暫く黙って考えるが、やがて今回の得た情報より今後の方針を組み立てた。
「なるほどな。ハルはエストリア帝国の人間では無い可能性も考えていたので、我が陣営に引き込むにはどう説得しようかと迷っていたが・・・そう言うことならば面白い。そのサラという女性を利用させて貰うか」
そう言うとジュリオはリーナにサラの事をもっと詳しく調べるよう指示を出すのであった。