第五話 騎士学校のサラ ※
基礎体力の調査と言う名目で二百メートルの全力疾走を終えた女生徒達。
ゴールしたのはクラリス、ハル、キリア、そして少し遅れて、ローリアン、ユヨー、エリザベスの順。
後者三人は普段から全力疾走などやった事がなく、疲労困憊となり、その場で倒れ込んでしまう。
そして先頭集団の三人は肩で息をしていたが、それでもまだ会話をするぐらいの余裕は持つ。
「はぁ、はぁ、惜しい・・・もう一寸だったのに」
ハルはそう言って一位のクラリスに話しかける。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・オレが・・・はぁ・・・お前たちに負ける訳ねぇーつうの」
クラリスはその存在も珍しい格闘魔術師であり、身体を動かす事は得意中の得意である。
今回は魔法なしで走る競争だが、それでも彼女が他人に負ける事は無かった。
それにしてもハルがここまでの頑張りを見せたのは意外だったらしい。
クラリスが密かに焦っていたのはここだけの話だ。
「はぁ、はぁ・・・私も・・・走るのは・・・はぁ・・・それになり自信あったのですが・・・はぁ・・・お二人には・・・はぁ・・・負けました」
キリアも激しく肩で息をしながら感想を述べる。
ようやく息が落ち着いてきたハル。
「私も・・・昔は・・・ちょっと自信があったのよね」
何かを思い出すハルだったが、それは詳しく話せない。
ハルは昔の自分の居た世界での中学生のときの記憶を思い出していた。
彼女は勉強もできたが、身体を動かす事も得意であり、特に徒競走はその地区の大会で優秀したこともある腕前である。
その経験は今でも生きているようで、スタートする前までは身体のラインが目立つ制服によって羞恥心に溢れかえっていたが、走り出せばそんな事など頭の片隅に置き去り、走る事の喜びを身体が思い出していた。
あとはひたすら走り、前のクラリスに追い付き追い越そうと我武者羅になっていた自分がいたのだ。
久々に清々しい瞬間だった。
そして、その事で今の自分のあられもない恰好に気付かないハル。
アクトが近寄って来て、スタート前に預かっていた眼鏡とハンカチをそっとハルに渡す。
「あっ、ありがとう、アクト」
何気なくそれを受け取るハルだったが、アクトを見ると非常に目のやり場に困っているようだった。
「ハル・・・これを羽織った方が良いんじゃないかな?」
アクトが恥ずかしそうにスタート直前に脱ぎ捨てたアストロ謹製の灰色ローブをハルへと差し出してくる。
そこでハルは初めて自分の今の姿に気が付く。
着ていた短いシャツは、激しい動きによって捲り上がり、ハルの細い腰と可愛らしいお臍を全生徒に披露する羽目になっていた。
半ズボンも同様に両足の付け根の部分から捲れ上がり、彼女の芸術的な臀部の南半球を白日の元へ晒す結果となっていた。
それにようやく気付いたハルは慌ててアクトからローブを奪い、身体の各部を隠す。
「キャッ・・・アクト、見たわね!」
「い、いや・・・何も見ておりません」
引き攣った顔でアクトは否定するが、ハルは信じない。
「目がエッチなのよね」
「そんな事言っても・・・あんな格好で走る方が悪いんだよ・・・」
目を逸らし、顔を赤らめるアクト。
よく見ると他の男子生徒は顔を赤らめていたし、フィッシャーなんかは興奮の極みだったりする。
ジュリオも「予も、これほどの余興をこんなところで観られるとは!」と妙に感心している様子。
ハルは冷静になり演習場の周辺を確認してみると、他の授業の生徒達もハルを含めたアストロ女生徒達のあられもない姿に喜々の目を向けているのが解った。
そして、今更だが・・・周りをよく観ると、高等騎士学校の女子生徒の中で、自分たちと同じ格好をしている者など誰一人として存在していないことに気付く。
長くない思考の末、ハルはひとつの結論に達した。
「クラリス・・・残念な事に、我々は嵌められたようだわ」
ハルの厳しい言葉に「へ?」と素っ頓狂な声を挙げるクラリスだった。
魔女達に支給された運動用の制服が、職員の単純ミスといろいろな誤解が重なり、起きた惨劇である事を当の彼女達が理解するのには、決して短くない時間とエネルギーがかかった。
女性陣のリーダであったエリザベスは相当御冠になったが、それも今は昔。
その後の彼女達はアストロ謹製の灰色ローブを着用し、授業を進める事に決まり、一部の生徒からは非常に残念がられるものの、その後は滞りなく授業は進められる。
こうして、昼を経て生徒達は午後も同じような授業を受ける一般組と、特別授業を受ける組との二手に分かれ、アクトとハルはあてがわれた研究室にやって来る。
高等騎士学校の職員より設備の使い方や注意点などの説明をひととおり受け、やがてアクトとハルふたりだけが部屋に残る。
「ふぅ、なんだか今日は疲れたわ」
そう言って机に備え付けられた椅子に、ドカッと腰かけるハル。
ちなみに『今日の授業』と言う意味ではまだ終わっていないのだが、このふたりにとって研究の課題は自由なので、既に終わったようなものだし、ふたりだけの研究室などある意味、彼らの日常でもあったので既にリラックスしていたのだ。
「・・・確かにいろいろ事件はあったけど、まあ、初日なんてそんなものだろ」
アクトがハルの席の向かい側に腰かけるのはアストロのハルの研究室と同じ構図である。
「まぁ・・・そうね」
午前中の事件を思い出して、形の良い眉をピクリと動かすハルだった。
アクトも思わずハルの艶姿を回想してしまったが、頭を振って彼女の生々しい姿を頭の片隅へと追い出し、話題転嫁に努める。
「それよりもハルはここを見てどう思った? 俺はアストロの研究室ほどじゃあないなぁと思うけど・・・」
アクトの言うとおり、アストロのハルの研究室と比べて部屋の広さは半分程だった。
そんなアクトに対して、ハルは「まあ、悪くないと思うわ」と率直な感想を述べる。
設備は最新型とまでは言えなかったが、それでも相当高いレベルの魔法装置が整っている研究室。
彼女がアストロで行っているのと同じレベルの研究を実施するのは難しいとしても、これを数段下回る一般的な魔道具師の研究開発ならば、ここの設備は申し分のないレベルだと評価している。
彼女はここで製作可能な魔道具について幾つか考え、それを脳内シミュレーションする。
ここでの研究の目的としては『先ずは研究行為を続ける事』とゲンプからは言われているものの、ハルとしてはただ無駄に惰性で研究を継続する意思は無い。
ハルは実利が伴う研究でなければ、する価値なしと、彼女の研究者、いや、魔道具開発者としての矜持が廃ってしまうとの考えだからだ。
ハルはアクトの顔をじっと見て、脳内で幾つかリストアップしたアイデアの内のひとつを提案した。
「ねえ、アクト・・・貴方、魔剣って欲しくない?」
ハルの突然の提案に驚くアクト。
「え!? 魔剣って・・・その、魔法の力が付与された剣って事でいいんだよな?」
「そうよ」
短く肯定したハルだったが、アクトは困った表情になる。
「そりゃ欲しいか、欲しくないか、って聞かれれば欲しいけど・・・俺にはふたつの理由があって無理だ」
「一応、理由を聞かせて貰える?」
アクトの回答はハルにも予想できたが、その理由について一応問うハルだった。
「ひとつ目は金だね。俺だって魔法の剣は欲しいけど、あれはすごく高価な物と聞いている。俺は貧乏貴族なのでそこまで資金は出せない」
アクトの情報は正しかった。
『魔剣』とはその素材に希少な魔力鉱石を使う必要があり、その上、非常に高度な加工技術と付与魔法を与えるため、莫大な資金が必要である。
アクトは謙遜して自分の事を貧乏貴族などと言ったが、普通の貴族であっても買うのを躊躇するぐらいの金額が必要なのである。
巷では「魔剣など簡単に手に入れる事はできない」というのが常識として認識されており、単純にお金を払ったとしても、手に入れる伝手が無ければ、購入すること自体も難儀な代物なのである。
「ふたつ目は、ご存じのとおり俺は『魔力抵抗体質者』だ。だから魔剣にはきっと嫌われる」
アクトはそう言うとプイと顔をそむけた。
この行動が存外に可愛かったので、ハルはぷぷっと笑みを溢してしまう。
アクトは自分が意識しなくても魔法を無効化してしまうほどの強力な魔力抵抗体質者である。
ハルの研究室でも彼の触れた魔力鉱石は魔力が抜けてしまい、ただの石ころにしてしまったのは記憶に新しい。
「資金は気にしなくていいわ。これでも私は『お金持ち』なのよ」
そう言って胸を張るハル。
「いや、そう言っても・・・」
「大丈夫。大丈夫。魔法の懐中時計の売り上げの一部を報酬として貰っているから『お金』は腐るほどあるし、素材の魔力鉱石だっていっぱい持っている。それよりも開発する技術の方が大変だわね。それだからこそ研究の甲斐もあるし」
そうして、妙にやる気になるハル。
実はこのとき、ハルには少だけ別の打算もあった。
白魔女エミラルダの活動において現在のところ最大の障害となっているのはアクトという存在である。
彼が白魔女の邪魔をすればするほど、ハルとって都合の悪い事が起こるため、彼を、彼の魔力抵抗体質の力を、抑え込む必要があったのだ。
しかし、彼は希少な魔力抵抗体質者であり、この体質に関する情報を入手する事は非常に難しかった。
そこでハルは、この『魔剣開発』を理由にして、彼の持つ魔力抵抗体質の能力を徹底的に調べたかったのだ。
自分がそう考えている事など露ほど出さずにハルはアクトに研究のプランを説明する。
アクトも初めは懐疑的だったが、最終的にハルの提案に合意する事になる。
彼としても魔剣を持つことは魅力的だったし、例え、この期間中に研究が完成しなかったとしても彼にとってほとんど損はないのだ。
ハルと同じ空間で過ごせることも、アクトのやる気を密かに引き出せていたし、ハルも実は同じ心境だったりする。
だが、それは無意識に感じていたものであり、このことはふたりとも最後まで認識することは無かったりする。
そして、その後、ここの研究施設の設備についていろいろと確認したふたりだったが、その際に調理器具を発見した。
ふたりは顔を見合わせて、思わずニヤリとした。
彼らの脳裏に浮かんだのは「ここで調理できる」事への喜びだった。
明日からはアストロの時と同じように、『研究の準備』という理由付けをして、この部屋で昼食を取るふたりだったのは言う間でもなかった。
研究室を出たハルは、今日一日の高等騎士学校の授業を終えたため、ここでアクトと別れてアストロに帰る事にする。
人通りの少ないラフレスタ高等騎士学校の廊下を一人で歩いていた時、前方に不機嫌の顔をした女生徒が現れた。
ハルは彼女を無視して横を通り過ぎようとするが、女生徒の手がそれを阻む。
女生徒はハルを睨み、無言の威圧をかけてくる。
ハルは彼女を一瞥したが、再びこの女性の無視することを決めて、再び横を通り過ぎようとする。
「ちょっと、待ちなさい。あなたに話があるの!」
女生徒は甲高い声を挙げてハルの腕を掴んだ。
ハルは不愉快に女生徒を睨んだが、それでも女生徒は怯まなかった。
「・・・」
「離してよ、別に逃げないわよ」
ハルがそう言ったのを通じたのか、女生徒の手はハルを解放し、こっちに来るように顎で合図した。
(また面倒な事に巻き込まれた・・・)
苛立ちを感じるハルだが、仕方なくこの女生徒について行く。
彼女達は高等学校内を歩いて、やがて、人気のない小さな庭に行きついた。
「あなた、ハルって娘でしょ。私、知っているわ」
女生徒は改めてハルに向き直り、目の前の人物を確認するように聞いてくる。
「そうよ。私はアストロ魔法女学院四年生のハルよ。よろしく」
口だけは丁寧にあいさつしたハルだったが、目は笑っていなかった。
彼女は眼鏡をかけていたが、元々切れ長で鋭い眼光の持ち主であり、ここでもその迫力がいかんなく発揮され、目の前の女生徒を威嚇していたのだ。
女学生は雰囲気の変わったハルに怯みそうになったが、それでも、と、気丈に振る舞う。
「私はサラ。サラ・プラダム。アクトの幼馴染みよ」
ここで『自分はアクトの彼女である』とうそぶかなかったのはサラの細やかなプライドであったりする。
サラとしてはその気は満々だったのだが、アクトとは正式にお付き合いする仲にまで至っていないのを自覚していた。
彼女から幾らモーションをかけてもアクトがその気になってくれないのだ。
勿論、その理由は彼女にも解っていたが・・・
「幼馴染みね・・・その親友さんが、私に何の御用かしら?」
何となくこの先の展開が読めてきたハルだったが、一応、確認のために聞いた。
「あなた、アクトを誘惑しているわよね。邪魔だから今すぐ止めて頂戴。できれば私達の前から居なくなって欲しい」
単刀直入に自分の気持ちをハルに伝えるサラ。
ハルはこの気が強そう(にしている)赤い癖毛のサラという女性を見て、エリザベスと同じ系統の人間であると見抜く。
アクトの事が好き過ぎて視覚狭窄に陥っている女性であり、他人の言うことなど絶対に耳を貸す人間ではないのだと。
ローブこそ着ていないものの、魔力を増幅するブレスレットを隠すように装備している事から、彼女も魔術師の類だろう。
「ふぅ・・・どうして私がアクトを誘惑しなくてはならないのかしら?」
ため息混じりに応えるハル。
「何んでって! 男子の前であんな破廉恥な格好を平然とできる魔女が何を言うのよ!!変態の確信犯だわ!」
サラも本日午前中に行われた演習場での衝撃的な魔女の競演を目撃していた。
あそこで行われた魅惑の籠った徒競走。
可憐で美人な女学生達が女性の身体のラインを強調するような衣装を身に纏い疾走する姿は、清純なラフレスタ高等騎士学校の男子学生を誘惑している以外の何者でも無いと思ってしまう。
サラの授業は広い演習場の隅の方だったため、選抜生徒達からかなり離れた場所で観ていたが、それにも関わらず、この魔女の饗宴をほぼ全ての生徒が注目しており、この魔女達は一般学生達の健全な精神に多大なダメージを与えていたのだ。
すべての生徒達が顔を赤らめてしまうほどの始末。
もし自分が同じ事をしろと言われても、絶対にできないとサラは思う。
幾ら意中の男性を仕留めようとしても、公衆の面前であのような破廉恥な恰好をするなんて・・・絶対にあり得ない。
しかし、アストロの魔女達は平然とやり遂げており、やはり魔女はまともな精神構造をしていないと確信した次第なのである。
「あなたのような淫魔な魔女がアクトの近くにいるのを私は絶対に認められないわ」
怒り千万の彼女は早速アクトの傍からハルを排除すべく行動に出たのだ。
再びため息交じりでハルは不機嫌になる。
「私だってあんな格好を好きでやってないわ。そもそも貴女の学校側のミスであんな目にあったのよ。私達にいったいどう補償してくれるのかしら?」
あの事件は学校運営側のミスであり、目の前にいるサラなどの生徒には責任が無いのを解っているハルだったが、それでも腹立たしいと思い、八つ当たり精神で強くサラを睨んだ。
元々切れ長で鋭い目つきを持つハルは眼鏡で擬態していても、睨むと中々の迫力があった。
サラも負けじとハルを睨み返す。
ここで一触即発かと思われたが、ハッとなり、サラが大きく後ろに飛び退いた。
それはハルの足元から黒い影のようなものが伸びて、自分に纏わり付こうとしたからだった。
「あなた、私に一体何をしようとしたの!」
サラは思わずそう口にする。
自分も大概喧嘩っ早い性格だと思っていたが、このハルという女性も相当に短気な性格だとサラは思い知る瞬間だった。
「貴女・・・『魔力視眼』ね」
サラが飛び退いたのを見たハルは彼女の能力を即座に看破したからである。
『魔力視眼』というのは鋭敏な魔力認識能力を持つ者の総称である。
この世界に住む大多数の人は魔力という存在を感覚的に認識することができるが、その中でも鋭敏な感覚を持つ者が魔力の流れを『光の情報』として視る事ができる。
それが『魔力視眼』と呼ばれる能力者なのだ。
この目の前にいるサラいう女性も『魔力視眼』の才能を持っている。
それもかなり高い能力の持ち主だとハルは思う。
ちなみにハルが行使しようとしたのは『心の透視』というハルのオリジナル魔法であり、彼女の十八番としている無詠唱魔法だ。
サラがどういう人物で今何を考えているのかを知るためにハルが放った無詠唱の魔法であり、彼女が日常的に使っている、所謂、心の中を見る魔法のことだ。
勿論、このような行為は人間の健全な交流としては確実にマナー違反の魔法。
そのため、魔力的にも隠蔽する形で行使したが、このように勘の鋭い魔術師にはバレてしまう場合もあった。
また、魔力抵抗体質者にも通じない。
アクトが何を考えて、何を思っているかについては普通の人間のコミュニケーションという手段でしか知り得る事ができなかったりと万能ではない。
「なるほど・・・では、これはどうかしら?」
ハルは悪戯っぽく薄笑いするとサラに向かって同じ魔法を行使する。
黒い影のようなものがハルの足元から生え、ひとつ、ふたつ、みっつ、いつつ、とう・・・・そして、おびただしい数の黒い魔力が触手のようになって現れた。
「ひ、ひっ!」
ハルの強大な魔力を『魔力視眼』で直接してしまったサラにとって、それは衝撃的な光景だ。
視界を埋め尽くさん限りの黒くうねる魔力の塊で、通常の魔術師ではありえない魔力の洪水だったからだである。
それこそ、以前出会ってしまった白魔女のように、人という範疇を越えた魔力の化け物だと思う。
圧倒的な魔力に腰を抜かし、その場にへたり込んでしまうサラ。
それにハルはゆっくりと歩み寄り、いよいよ、黒い魔力の塊が自分に迫る。
恐怖のあまり思わず目を閉じてしまったサラだが、そこで黒い魔力は全て霧散し、その圧倒的魔力の気配が一気に無くなった。
ハルが魔法を解除したからだ。
「冗談よ。あなたが意地悪くするから、こちらも少し脅かしただけ。最初から私に敵意はないわ」
そう言い、サラの肩をポンと叩くハル。
「ひっ!」
ビクついて飛び退くサラだが、魔法はかけられておらず、何の効果もない。
一瞬ホッとするサラだが、それでハルに対する警戒心は解かれる事が無かった。
「貴女がアクトのことを想っているのはだいたい解ったわ。最近、誰かにも言ったけど、私は人の恋路を邪魔するつもりは無いので、どうぞお好きなようにアクトと逢瀬を重ねなさい。私とアクトは『そういう関係』じゃないから」
彼とは何も関係ないと言うハルだが、サラはその文面どおりに信じる事ができない。
アクトと親しげに話すハルの姿を遠目に見たサラはハルとアクトは既に普通の友達以上の関係だと感じていた。
「『そういう関係』じゃないって・・・じゃあ一体どういう関係なのよ!」
サラはそう叫ぶようにハルに問いかける。
「そうねぇ・・・なんて言ったらいいのかしらねぇ」
ハルは二、三秒考え込み、そして、またこの単語を使ってしまう。
「パートナー・・・」
「パッ、パートナーって!!」
サラがそう飛び上がるように反応したのを見たハルは、また仕舞ったと思う。
先日のローリアンのときも誤解を与えてしまった事を思い出し、この国の言葉をまだ理解できていなかったと反省する。
「そうだったわね。この国で『パートナー』と言うと夫婦や恋人に近いものを意味するのね・・・訂正するわ。研究者同志という関係よ。恋愛感情はなく、利害で成り立っている関係といったら良いのかしらね」
この時、ハルは少し強がっていた。
アクトに対してまったく恋愛関係が無いかと問われれば、もう嘘になっていた。
彼が素敵な男性である事は認めており、彼に好意が全く無いかと問われれば、それも否となる。
しかし、先日の廃坑探索授業のときにもあったように、彼に迫られて拒絶してしまった自分を知っている。
自分の深いところでは彼と関係を持つ事を拒絶していたのだ。
彼女はそれを思い出して少し悲しくなってしまうが、今はその弱い自分を曝け出していい場面ではない。
ハルは気丈に強かの仮面を被り直した。
「だから大丈夫よ」
そう言ってサラの手を取ろうとしたハルだったが、サラはそれを躱して後退るように立ち上がる。
足は震えていたが、彼女は気丈にハルを睨み返し、敵意を露わにする。
「本当に・・・本当にあなたの言う事は信じられない!・・・私だって・・・私だってステイシアに敵わないんだから・・・あなたもステイシアに負けちゃいなさい!」
「ステイシア?」
突然出てきた名前に疑問符を浮かべるハルだったが、それを相手に問う事は叶わなかった。
何故ならば、話題提供者本人であるサラがハルに背を向けて逃げ出してしまったからだった。
ハルの前から突然駆け出すサラ。
そして、ハルは人通りのない中庭に独りだけとり残される形になった。
まったくもって訳の解らないハルだったが、結局、解らない事をいくら考えても埒が明かないと気付き、かぶりを振ってこの場を後にすることにした。
「まったく・・・今日は何て日なのかしら・・・」
誰も居ない筈の廊下にハルの愚痴だけが木霊する。
だが、この呟きを聞く女性がたった一人だけ存在していたりする。
ハルが去った後に、暗がりから薄笑いをした女性がすぅーっと現れた。
その人は金色おかっぱ頭の小柄でメイド服を身に纏う女性。
隠蔽の魔法で隠れていた彼女だが、歴戦のハルや魔力視眼を持つサラにも悟らせないとすると、それは凄まじい技量である。
それもそのはず、彼女はプロ中のプロの密偵であり、この帝国の中でも有数の実力を持っていた。
彼女の名前はリーナ。
実は名前こそ知らないが、ハルはこの女性と既に面識があったりする。
それは午前中の授業でジュリオ皇子の脇を固めていた三人の護衛のうちの一人である。
リーナは自分の主人の言いつけでハルを隠密に調査していたのだ。
「これは面白い事が解りましたね。早速、ジュリオ様に報告しないと」
いつもは無表情な彼女だが、この時だけは自分の得られた情報の価値に満足し、薄笑いを浮かべてしまうリーナであったりする。