第二話 第三皇子の野望
彼は、今、城壁都市ラフレスタの第一区間の中枢、すなわち、ラフレスタ領主の館の一室にいた。
先程は儀礼としてこの街の領主より歓迎の挨拶を受けたばかりだが、彼はすぐに興味を失い、果たして領主が何を言っていたのか、もう既に覚えていない。
ラフレスタの領主からしてこの青年には最大級の歓待を行うべき相手でもあるが、青年は「今回は非公式に来ているのだから」とその申し出を辞退し、ようやく鬱陶しい領主を下がらせる事に成功できていた。
「ふぅ。予の持つこの肩書は時として迷惑なものよな」
そう口にし、上品に切り整えられた金髪の癖毛を弄りながら愚痴を溢す青年。
青年の名前はジュリオ・ファデリン・エストリア。
この帝国を治める帝皇の三男であり、若き十九歳の皇子であった。
先程の歓待も彼の肩書を考えると全く納得のいくものであり、いきなりの来訪にラフレスタ領主が慌てふためくのも無理はない。
豪華絢爛な部屋にひとりでお茶を嗜むジュリオだが、彼にとってはこれが日常であり、違和感なくその時を過ごす。
やがて扉がノックされ、彼の連れてきた数少ない部下が入室の許可を求めた。
「ロッテルか、遅かったな。入室を許可する」
入って来たのは体格の良い四十代の男性であった。
彼は自分の仕える皇子に恭しく一礼をする。
「遅くなってしまい、申し訳ございません。先方との調整に少々時間がかかってしまいました」
「よいよい。今回の件は予が突然言い出した事でもあるのだ。調整ができておらぬ段階で対応するのは大変だったろう。卿の働きにはいつも感謝しているぞ」
「はっ! 私には勿体ないお言葉です、殿下」
畏まるロッテル。
「それもよい。卿は硬すぎるのだ。予と卿の関係だ、もう少し気楽にしてもよいのだぞ」
もう少し砕けた態度でも良いと許すジュリオだが、ロッテルからするとその申し出はもってのほかである。
「そのような訳にも参りますまい」
「だろうな・・・まあよい。それよりも『あの件』はどのように進んだのか?」
話題を本題へと切替え、ロッテルの報告を促すジュリオ。
「交渉するのに少々手間取りましたが、それは突然の事で相手側が驚かれたのが原因です。殿下からの『お願い』を断れる国民はこの帝国に存在しません。こちら側の条件を全て呑むそうです」
今回のジュリオの要求は異例なことであり、かなり強引に物事を進めた自覚が彼にもあった。
そうした事による一抹の不安を感じているジュリオだが、ロッテルの報告では全てが上手く行ったと認識する。
「そうか。ロッテル、よくやったぞ」
ジュリオはロッテルの働きを労った。
彼は本来、エストリア帝国第二騎士隊の長官としての任があったが、今回は特別に引き抜いてジュリオの直属としていた。
それはロッテルに類まれな交渉力と判断力、そして、ジュリオ個人への高い忠誠心があったためだ。
自分の父親である帝皇デュランに嘆願して、彼を引き抜いた甲斐があったものだとジュリオは自分の判断にも満足する。
「それで、先方はいつから良いと言ってきているのだ」
「急ではありますが、丁度いい節目があり、明日からが都合がいいようであります」
「確かに急だな。まぁ良い。明日から現場に赴く事にしようぞ」
ジュリオを清々しくそう述べ、早速準備を進めるようにとロッテルを下がらせた。
それは明日から約ひと月半、この街での生活が始まる事を意味しており、彼の住まいがラフレスタ第一区画に設けられた皇族の別荘になることが確定した瞬間であった。
ジュリオには夢がある。
この夢―――いや、野望と言った方がよいのだろう―――は、彼がこのまま現状を続けていては決して達成できないのだ。
その野望を実現するには大きな力が必要であり、それは自分の上にいる二人の兄を越える力を手に入れなくてはならない。
明日はそのための第一歩であり、自分に仕える優秀な手駒を集める絶好の機会である。
ジュリオは莫迦ではなく、むしろ逆に優秀な頭脳を持つ。
己の野望を兄弟達には悟らせず、今まで上手く生きてきたつもりであったし、自分の野望に共感してくれるのであれば、兄達とて手を取り合っても良いと考えている。
そのためにはまず自分が強い力を手に入れるのが先決なのだ。
力もない癖に高い理想だけを唱えるような愚かな行為を、彼は選択しなかった。
チャンスは一度きりで、人生と同じ・・・
そう心に刻んで、明日から自分が成すべきことに考えを巡らせるジュリオであった。