第九話 魔導師フェルメニカ ※
薄暗い部屋の中でアクトは目を覚ました。
まだ、頭がボウッとして身体に力が入らない。
それでも何とか意識を総動員して、重い瞼を少しだけ開ける。
静かに周囲を確認してみると、ここには何人か人がいて、自分と同じように縛られて床に転がされている。
(良かった。全員生きているようだ)
そう思うのは自分の周りにセリウスやクラリス、ノムン、キリア達が居て、僅かな息を感じたからだ。
盗賊達に眠りか、何らかの魔法をかけられたのだろうか?
魔力抵抗体質者である自分にも作用したため、意識を失う薬品が使われていれたのかも知れない。
更に注意して周囲を確認してみると、自分達を取り囲むように立つ男達の存在が解った。
短刀を持ち、こちらを警戒している彼らはきっと盗賊の連中だろう。
やがて、アクトは虜囚になっている人数の多さに気が付く。
あちらにはフィーロとディヨントの姿があり、こちらにはエリザベスの姿もあった。
(ちくしょう。全員、捕まってしまったのか)
どうやら他の隊も同じように捕まってしまったことを理解した。
この中で唯一ハルの姿だけが確認されない。
どうやら彼女は上手く逃れたようだ。
この状況下でハルが助かったことに少しだけ満足して、彼女が助けを呼んでくれるのを期待する。
今は多勢に無勢であるし、もう少し相手の情報を探るのが先決だと判断したアクトは、暫く気を失ったふりを続ける事にする。
やがてしばらく待つと見張りの男達が騒がしくなる。
重いドアがゆっくりと開かれ、深紫色ローブを着た大柄な男性がこの部屋へ入ってきた。
その男性は螺旋状の捻じれた大鎌のような杖を持ち、深紫色のローブから彫りの深い顔を覗かせる若い男であった。
「導師様、こいつらで全員です」
さっきまで見張りをしていた歯がボロボロの盗賊が、愛想良さそうに虜囚達を指さして報告する。
まるで全て自分の手柄だと言わんばかりの態度だが、導師様と呼ばれた青年はその男を全く相手にすることなく、虜囚達をひとりひとり品定めするように見据える。
沈黙と緊張の空気が支配する時間は少なからず続いて、やがて青年は見張り役の盗賊に口を開く。
「私が捕らえよと命じたのは全員と言った筈だが、ひとり足らんようだな」
青年からその年齢には似合わない鋭い眼光を向けられた盗賊達は一瞬怯むが、盗賊のリーダーと思わしき男性は何とか勇気を振り絞って言い訳をはじめる。
「そ、それは・・・ジャックの奴がしくじりやして、女をひとり逃がしてしまいました」
その言い訳を黙って聞く青年だが、彼はただ盗賊を鋭い眼光で見据えるだけであった。
「・・・そ、その・・・導師様、すいやせん。今すぐ追撃して捕らえに行かせやす」
青年の迫力に負けた盗賊のリーダーが自分達の過ちを認めて、何をすれば自分達が許されるか、無い知恵を振り絞って答えを導き出す。
しかし、導師様と呼ばれるその青年は興味無さそうにその提案を却下する。
「まぁ、いいだろう。とりあえず、こいつ等だけ事は足りよう」
そう言い、青年は盗賊達の失敗を咎めないことにしたようだ。
この言葉に正直助かったと、気を撫でおろす盗賊達。
盗賊達はこの目の前の青年がどれほどの力を持つかを既に知っていたのだ。
数ヶ月前、この廃坑を偶然発見した彼ら盗賊達はここを自分たちの根城にすべく活動を始める。
地上部分は誰も居なかったため、すぐに彼らの物となった。
盗賊達は他に目敏い物は無いかと、その食指をこの廃坑へ向けたとき、最下層で既に先住人となっていたこの青年と出会うことになる。
当時、彼らとしては自分達の前にカモが現れたと思い、彼の財産と命を奪う事にしたが、それがどれだけの暴挙か身を以って解らされた。
そのときに盗賊達のリーダーだった男は、それはそれは恐ろしい死に方をして、お陰で現在の男に盗賊達のリーダーの座が回ってきたのである。
盗賊達は目の前のこの青年へ絶対服従を誓う代わりに、ここに居させて貰っている。
彼らの本音としてはすぐにでもこの場を放棄して、何処かに逃げてしまいたかったが、この青年から逃れるのは不可能だと誰もが思っていたのでそれを実行した者はいない。
それほどの恐怖を彼らの心に刻みつけたこの青年は魔法の研究者であり、盗賊達から『導師様』と呼ばれていた。
今回も導師様より与えられた魔法の道具を使い、侵入者を一網打尽にする事ができた。
導師様から全員を捕えてここに連れてくるよう命令を請けている。
盗賊達は彼の命令を完遂できた訳では無かったが、この人数を見れば、とりあえず導師様の望みは果たせそうであり、これで満足して欲しいと願うのであった。
「剣術士と魔術師が多数に、それと、神聖魔法の使い手もふたりか・・・まあまあだな」
そう呟くと青年は目を細めて、奥の青年を見据えた。
「それに加えて、魔力抵抗体質の者とはな・・・珍しいが、成果は上々だろう」
アクトの正体を早々に看過した青年は気分が良くなったのか、いつもはあまり表に出さない感情を露わにする。
導師様にとって今回の収穫の結果は上々だったらしいと盗賊達は思うが、その理由までは彼らが解る事はない。
「いつもどおり、全員裸にして下の部屋まで連れていけ」
盗賊達にそう指示を出し、その部屋を後にしようとする青年だが、不意に彼は立ち止まる。
それは、部屋の片隅の暗がりから知らない人物が現れたからだ。
カツーン、カツーン、カツーン。
底の固い長靴が石の地面の上を歩く音を響かせながら現れたのは一人の女性。
一体どこから?とこの誰もがそう思うものの、当該の女性はそんな事など一切気にする事無く、堂々と導師様と呼ばれる青年の前までゆっくりと、しかし、確実に歩む。
当の女性は白いローブ姿で抜群の美貌を持ち、そして、顔半分を隠す仮面を装着した人物―――つまり、白魔女エミラルダだった。
「き、貴様。何者だ!? どこから来た」
導師様と呼ばれる青年は驚きの表情になり、この正体不明の女に誰何する。
彼にとっても自分に気配を悟らせないのが意外だったらしく、素直に驚きを隠し得なかった。
「あら、私は通りすがりの、ただの魔術師だわ、魔導師フェルメニカさん」
飄々とそう答える白魔女に驚く青年。
「貴方の出身はボルトロールのようね。ずいぶん遠くからこんな所へ流れて来たみたいだけど、随分と熱心な研究者のようね。しかし、悪趣味なことやっているわ・・・え、私のこと?・・・安心して、私は貴方とは初対面だから」
自分の心の中を次々と言い当てられた青年はハッと思い、自分の心が相手に読まれている事に気付く。
「あらら、もう見えなくなってしまったわ。なかなかやるじゃない、そこのお嬢様魔女とは大違いだわ」
そう言うと、エリザベスを指さすエミラルダ。
「き、貴様!」
自分の事を魔導師フェルメニカと言い当てられた青年は顔を歪ましてエミラルダを睨んだ。
「それに若いイケメンの振りをしても、私にはちゃんと解るんだから」
そう言うが早くエミラルダは右手を伸ばして、魔力の塊をフェルメニカに向かってぶつけた。
無詠唱で魔法を放つ速さとその膨大な魔力に成す術は無く、フェルメニカは避ける事すら敵わずにその魔力の奔流に晒されてしまう。
「グワーッ!!!」
不意打ちを喰らい、短い悲鳴を挙げるフェルニメカだったが、自身が炎に焼かれることもなく、風に切られる事もなかった。
ただ、そこに残ったのは骨張った顔に白髪交じりの老体の身体だけだ。
「魔導師様? ヒッ!」
彼の傍にいた盗賊のリーダーはその姿を見て、思わず腰を抜かしてしまう。
それほどにフェルメニカは恐ろしい姿をしており、骨ばって目の窪んだ老人の姿は、手に持つ捻じれた大鎌のような杖と、深紫色のローブ姿が相まり、死神のように見えたからだ。
「よ!よくも私の正体を晒してくれたな。この魔女め!」
自分の醜態を晒されるのがよほど嫌だったのか、怒りに顔を赤めてエミラルダを睨み返すフェルメニカ。
いつもは感情を露わにしない彼がこのように怒ったのは実に数十年振りの事である。
でも、それを知る由もないエミラルダは更に男を怒らせようと挑発する。
「あらあら、イケメンが大無しね、悪魔の研究者さん。いいわ、お姉さんがお仕置きしてあげる」
「・・・ふ、儂を挑発するつもりだな。残念ながらその手には乗らんぞ。しかし、ここは分が悪いので失礼させて貰おう」
フェルメニカの老齢から来る経験がそうさせたのだろう、彼は一呼吸でいつもの冷静な自分に戻ると、早速ここでエミラルダと魔法戦をしても自分は敵わないことを悟り、踵を返して部屋を後にしようとする。
「待ちなさい!」
エミラルダはここでフェルメニカを逃すと面倒になると思い、後を追おうとするが、そこ盗賊達が立ち塞がる。
「あ、あれ? 身体が言う事を利かない!?」
不思議そうに盗賊達は互いの顔を見合わせる。
それもその筈、彼らは自分の意思とは関係なく身体が動いたからだ。
彼らはフェルメニカの事を恐れて彼に味方をしていたのであって、自分の命を差し出してまでフェルメニカを守る程の義理は無い。
今、盗賊達はフェルメニカと決別できる一番のチャンスだったのだが、心と身体の行動が一致せず、フェルメニカの退路を守るために白魔女目掛けて襲いかかることになる。
二十人の盗賊は一斉にエミラルダへと飛びかかったが、エミラルダはそれを難なく躱して、お返しとばかりに無詠唱の雷を盗賊達に浴びせた。
「「ギャーーーッ」」
盗賊達の悲鳴が洞窟に轟き、そして、数舜後にはショックによって盗賊全員が気絶してしまう。
他愛もない幕切れだったが、それでもフェルメニカがこの場を離脱するのには役に立ったようで、重いドアが閉まり、フェルメニカはまんまとこの場から逃れる事に成功する。
それを追おうとするエミラルダだが、その前に、ここで虜囚になっていた隊員達を助ける事を優先した。
「まったく、面倒な役者ね」
エミラルダは気絶しているふりをしているアクトを軽く蹴った。
「狸寝入りはそれぐらいにしなさい、アクト君。私には解っているんだから」
エミラルダはそう言うと手をかざして風の魔法を放ち、アクトを縛っていたロープを切る。
自由になったアクトは気絶したふりを観念して、顔を上げる。
「ちくしょう、バレていたのか。それにしても白魔女! あの男はお前の仲間か!?」
「何を言っているの? アクト君って莫迦? さっきのやり取りを聞いていたでしょ。あの死神の爺さんとは今日が初対面よ」
アクトはエミラルダの述べる事を率直に信じられない。
何故なら、彼女がここに現れたタイミングが良過ぎたからだ。
「信じられない。お前が今ここにいるのも不自然だろ。一体、どうしてここにいるんだ?」
「あれれ? アクト君?? 貴方、あの眼鏡っ子ちゃんに「誰か助けを呼ぶように~」と依頼したんじゃないの?」
エミラルダはここで予め用意しいていた言い訳を述べた。
「ハルに!」
「ええそうよ。先日、彼女に私と連絡を取る魔道具を密かに渡しておいたのよ。アクトが強く私を望んだ時にだけ連絡をするようにとね」
「そんな事、ハルから聞いてないぞ!」
「当たり前よ。だってハルちゃんには、アクト君にこの件を、ひ・み・つ・にするよう伝えてあるから」
そう言い彼女なりの飛切りのウインクをするエミラルダ。
茶目っ気たっぷりのエミラルダの行動は緊張感を全く感じさせず、ここが敵の本拠地だというのを一瞬でも忘れさせるぐらい魅力的だった。
「何故だ?」
「何故ってこの事を貴方に伝えたら、「白魔女を直ぐ呼べ!」ってハルちゃんに言うでしょ?」
「ぐっ!」
確かにエミラルダの言うとおりだった。
「私もアクト君の事は好きだから、呼ばれたらすぐにでも会いに行きたいけど、実際はそんなに暇な身ではないのよね~」
そう言ってアクトの顔を優しく指で愛撫する。
アクトがまだ痺れて動けないのをいい事にそんな挑発をするエミラルダ。
アクトが顔を悔しそうにするのを彼女なりに楽しんでいるようであった。
「まあ、そこら辺はハルちゃんが判断するでしょう。彼女はああ見えて強かだからね」
ぐうの音も出ないアクトを後目に彼女の指は頬を突き、悪戯を始める。
「そして、今日呼ばれたわ。『アクト達の危機だ』ってね。うん、彼女の判断は間違っていない。確かに君達は捕まって、あの狂気の魔術師に研究と称して解剖させるところだったわよ」
「解剖!」
「そうよ。あの爺さんはなかなかに狂っているわ。自分の研究のためと称して喜んで人を解剖する事を生業としていたようで、それは形振り構わなかったから、彼の母国―――ボルトロール王国かしら?―――そこに居られなくなったみたいね。それで国を飛出して世界各地にこういった拠点を作り自分の研究を続けていたようだったわ」
「何故、お前がそれを知っている」
「アクト君、また『お前』を使っているわよ」
前回、出会った時に『お前呼ばわりするな』と言われた事を思いだしたアクト。
「なっ・・・今はどうだっていいだろう」
今はそれどころでは無いとアクトは首を振った。
「まあ、私はあのイカレタ魔術師の心を読んで解った事を君に説明しているだけよ。もう少し深い部分に探りを入れたところで心を固められてしまったから、詳しいところは解らず仕舞いだけど・・・それはこれから聞けばいいだけの事だし」
エミラルダはそう言って愛撫していたアクト頭から手を離す。
支えを失ったアクトの頭は重力に引かれて自由落下して、地面へと打ち付ける。
「痛ってぇ! 最後まで優しく扱え」
頭を強打するアクトだが、勿論、この程度で彼に害が及ぶ程ではない。
それをエミラルダも解っていたので悪戯っぽく笑う。
「あら、ごめんなさい。まあ、あと一時間ぐらいしたらアクト君や他の人も動けるようになると思うわ。そうしたら全員を連れてここから脱しなさい、あっち側を真っすぐ進むと外に出られるようになっている。途中に魔法で閉じられた扉が何枚かあったけど、そこらの魔女に頼めば、なんとかしてくれる筈よ」
そう言ってノムンやナローブを指さす。
「あと、アクト君がハルちゃんの事を思うのであれば、他の人に私と会った事を言わない方がいいでしょうね」
確かにエミラルダをハルが連れてきたと周りが知れば、彼女の立場が危うくなる。
そのことをすぐに理解できないほどアクトは愚か者ではなかった。
白魔女の協力者として警備隊に連行されて尋問を受けるハルの姿を想像して、彼はとても嫌な気分になった。
「解った。ここでエミラルダと会った事は伏せておく」
「賢明な判断ね。私からも感謝すると言っておくわ」
そう言いながらもエミラルダは内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
ここで意固地にもアクトに拒否されれば、彼の記憶を消す魔法を行使しなければと思っていたからだ。
魔力抵抗体質者に効果がどこまであるかが不安だったが、彼が素直に応じてくれたので話しが早くて助かる。
アクトは誠実な人物なので嘘をつく事もあるまい、とエミラルダはとりあえず安心する。
「盗賊達は・・・そうね、女性の虜囚の扱いを巡って、仲間割れを起こした。そして、隙を突いてアクト君が盗賊達を打倒して、捕まえたという事にしましょう」
エミラルダがそう言うと、討伐隊を縛っていた縄がひとりでに解け、そして、倒れた盗賊達が勝手に縛られていく。
勿論、エミラルダの魔法によるものだが、それがあまりにも鮮やかで素早く、そして、見事であり、アクトには曲芸か何かの芸を見ているように映る。
「そして、盗賊に協力していた魔術師はこれに機に逃げ出したっと」
そう言うと盗賊達の頭にポンポンと指を一人一人に付き当て、周囲をゆっくり歩くエミラルダ。
これは記憶を操作する魔法で、エミラルダの描いた筋書きを盗賊達の記憶に上書きする物だ。
「さて、これで大丈夫よ。盗賊さん達も上手く口裏を合わせてくれるわ」
アクトが唖然としている間に、エミラルダはテキパキと自分の仕事を熟す。
エミラルダはアクトの元に戻ってきて、子供に話かける様に膝を曲げて俯いた。
「さっきも言ったけど、あとは一時間ぐらいしたら全員の目が覚めると思うわ。そうしたらここを直ぐに脱出しなさい。ハルちゃんも別経路で脱出しているはずだから心配する事はないわ。その間に私は・・・っと」
薬の効果が薄れて、アクトに多少感覚が戻ってきたのか、エミラルダの醸し出す香しい匂いがアクトの鼻腔を擽られていた。
エミラルダはそんなアクトに構わず、立ち上がり、ローブについた埃を払う。
「私は狂気の魔術師にお仕置きをしてくるわ。私の近しい人に手を出したのだから・・・覚悟をして貰わなきゃね」
「ま、待て、あの魔術師の身柄は・・・」
「駄目よ。あれは貴方達の手に負えない人物。私がきっちりとケリをつけてあげるから安心しなさい」
アクトに有無を言わさず、エミラルダはきっぱりと自分が決着つけると宣言する。
あの魔導師フェルメニカは相当の実力者であり、残念ながら今回の討伐隊のメンバーで抑える事はできないだろう。
エリザベスやローリアンはしょうがないとしても、アストロ魔法女学院で上位とされるノムンやナローブでも役不足だと思ったし、ラフレスタで一番の実力者と言われているグリーナ学長でさえ確実に勝利できる相手ではないと思った。
そんな人物をアクト達に預ける事は絶対にできない。
自分で決着をつける、それはエミラルダの中で既に決定事項だった。
「じゃあ、今度はラフレスタの中で会いましょう」
そう言い静かにこの場を去るエミラルダ。
彼女の気配は直ぐに希薄となり、やがて静寂に包まれ、ここが廃坑だったのを再認識するアクト。
まだあまり自由に動けない身体であったが、それでも力を込めてこぶしを握るアクト。
今回、白魔女エミラルダと自分にこれほどまでにハッキリとした実力差があるのを、身を以て感じた瞬間である。
アクトは謂れもないその悔しさに、暫く身を奮わせていた。
一方、こちらは魔導師フェルメニカの執務室と思われる場所に向かうエミラルダ。
鉄の重い扉をくぐり、薄暗い回廊を進むと、やがて重厚な門との両脇を固める石像二体が現れた。
「中々の門番ね」
まるで彼女がそう口にした事が合図になったのか、ここで二体の石像の目に光が宿り、ゴゴゴと岩が軋むような音を響かせてゆっくりと動き出す。
それは『生ける石像』と呼ばれる魔法で作られた偽りの生命体。
この門を守護するために作られたフェルメニカ最後の砦であり、心の無い番人は白魔女エミラルダという強敵を目の前にしても全く臆することは無い。
この二体は筋骨隆々の猛者が立派鎧を着た衛視のような姿で模されており、大きさも大人の二倍程ある。
もし、アクト達が彼らの姿を見たならば、戦慄を覚えずにいられなかっただろう。
しかし、ここで対峙しているのは実力者のエミラルダである。
彼女は挨拶とばかりに炎の魔法をこの二体に放つが、彼らも器用に槍を回して魔法を防ぐ。
生ける石像の細かい芸に気を良くするエミラルダは薄笑いを浮かべて「意外と芸他者だわね」と感心する余裕さえあったりする。
今度はお返しとばかりに石像は口を開けて、エミラルダに狙いを定める。
一瞬で魔力が収斂し、その二体の石造の口からは高温の光線がエミラルダに向かって放たれた。
それを素早く躱すエミラルダだが、光線は途切れる事無くエミラルダを追いかけ、その直線的な射線を白魔女に向かって軌道修正する石像達。
エミラルダに当たる事は当然無かったが、彼女の数舜前まで居た場所に当たった光線はその床の岩石を容易に溶かす程に赤熱させ、あっと言う間にこの場を灼熱地獄に変えていく。
「高出力な魔法は厄介よね。でも、『盾と矛』という言葉を知っているかしら?」
エミラルダはそう言うと、走りながら器用に短い呪文を唱える。
そうすると彼女の脇に銀色に輝く四角い板のような物が現れた。
自身に向かう敵の光線を躱して、この四角い板のような魔法で光線の攻撃を受け止めた。
光線の直撃を受けた銀色の板は眩く白へと色を変えるが、壊れる事は無い。
そして、しばらくその光線に耐えた後、その光線を石像の口に向けて跳ね返す。
その直後に二体の石像の顔は木っ端微塵に砕け散る。
轟音を立てて瓦解する巨大な石造の戦士達を後目に、彼らを無視してエミラルダは閉ざされた扉の前に進み、再び短く呪文を唱える。
「爆ぜよ、扉」
彼女がそう唱えるが早く、手から放たれた光球が重厚な石の扉の中心に命中し、ヒビが入ったかと思うと中央が陥没して、向こう側へ爆発するように一気に吹き飛んだ。
こうしてフェルメニカの執務室を守る最後の防壁も一瞬のうちに瓦解してしまう。
ゆっくりと彼の執務室に入ったエミラルダだが、そこには既にフェルメニカの姿は無い。
部屋の中央の床に描かれた魔法陣が明滅しており、転移魔法を使った直後の形跡があった。
どうやらエミラルダがこの部屋の扉を破る直前にフェルメニカは転移魔法を使って逃げてしまったようだ。
敵を追うか?と考えるエミラルダだが、魔法陣を調べると転移先が見事に隠蔽される措置を施されている。
「これは・・・以前からここを放棄する事を考えていたのかしら。準備が良すぎるわ」
エミラルダがそう結論付けるぐらい見事な隠蔽措置が成されており、短時間では絶対にできないものである。
早々にフェルメニカの追跡を諦めて、この部屋を調べる事で彼の目的が何だったのかを探ろうとする。
鼻を劈くような薬品の匂いが残っており、机の上には書き残したメモと高価そうな書籍の山が残されていた。
壁には様々な魔法陣が描かれ、何かの結界のような働きがあるのは直ぐに解った。
そして、脇に備えられた棚には瓶に詰められた様々な生物の臓器を標本されているのが見られた。
その中には人間の腕や目玉を切取った標本物もあり、思わず目を背けたくなる。
先程の対峙でフェルメニカが油断していた時に彼の表層意識に侵入して得られた情報からは、彼は人や魔物の力を増強させる事に熱心だったようだ。
魔力的、もしくは、肉体的に力の持つ個体を片端から拉致しては解剖し、それを研究することが彼の日常のようであった。
そこには自分の好機心を満たすだけの欲望が彼の行動の根幹にあるだけで、倫理や命の尊厳という言葉は彼の辞書には全く無いらしい。
そして、彼の祖国で自分が所属していた組織の力が弱くなると、放免される形で国外へ逃れ、研究を細々と続けていたようだが、最近になって彼には強力なスポンサーが付いた事までは解った。
それがどういった組織なのか?何故、この地、ラフレスタ近くの廃坑に研究所を開設したのか?ここで得た成果をどうやって組織に伝えていたのか?そもそも何に対して研究をしていたのか?フェルメニカに聞きたいことは山程ある。
特にフェルメニカはアクトの事を『魔力抵抗体質者』である事実に直ぐ気付いて、彼が獲得できたことをかなり喜んでいたのも解っている。
何故、魔力抵抗体質者にあれほどの興味を覚えたのかも気になる所だ。
残存する証拠物件を調べようとしていた矢先、床の魔法陣の魔力が一気に高まった。
それを感じたエミラルダはほぼ条件反射でその場から飛び退く。
その直後に彼女がそれまでいた床が大きく割れて、蒸気を伴った液体が至る所から噴出した。
エミラルダは空中で壁を大きく蹴り、アクロバットのような見事な舞いを魅せて、その液体に当たらないようにして難を逃れる。
そして、彼女が入ってきたばかりの扉から飛び出して、慌てて結界の魔法を行使。
そうすると、透明な壁がすぐに現れ、門があった場所を物理的・魔法的に閉ざす事に成功した。
その直後に研究室内は次々と噴出する液体に満たされて行くが、結界を施して部屋の外側に逃れたエミラルダには触れることは無い。
透明な結界越しに部屋内の様子を確認すると、エミラルダの勘は当たっていたようで、様々な物が白い煙を上げてドロドロに溶けていくのが観察できた。
噴出した液体は強力な腐食液体で、あらゆる物を溶かすために予め仕掛けられた罠だった。
どうやら、フェルメニカは近々ここを放棄するつもりだったのだろう。
証拠隠滅の仕掛けが既にできていたようで、もしかしたらここで雇われていた盗賊達の末路も、この部屋に誘い出して、この腐食液体で一網打尽にする計画だったのかも知れない。
とにかく、これでフェルメニカを辿る情報が完全に潰えた事は確かだった。
「老練な魔術師は・・・厄介だわね」
彼女が白魔女として活動していた中でここまで狡猾な相手は初めてであった。
単純な力比べで負けるつもりは無いが、こうした知恵は経験からくるものであり、自分には圧倒的に不足しているものだと思う。
エミラルダは己の甘さを自覚するが、だからと言って過去に戻る事もできない。
だが、このフェルメニカが今すぐにエミラルダの脅威となる訳でもない。
エミラルダとしてはフェルメニカがアクト達を殺そうとしていた事に怒りを感じており、この場でお仕置きをしてやろうと思っていただけなのだ。
逃げてしまったものは仕方ないと諦めるエミラルダ。
とりあえず、エミラルダは調査隊の誰かがここへ来て、巻き添えにならないように腐食液体の中和を魔法で行い、落盤させてこの空間を閉鎖した。
彼女がこの場を後にする頃には、虜囚となっていた討伐隊達もアクトによって解放されて、地上に戻るのだろう。




