第四話 道中
出発前からエレイナとハル、アクトの間でひと悶着あったが、それ以外に大きなトラブルはなく、調査団一行は草原を東へと進む。
馬車一台は六人掛けの車室と荷台には食料、水、テントなどの道具類が積まれている。
この世界では一般的な旅風景だが、十分に整備されているとは言い難い街道の凸凹から伝わってくる上下振動と、二頭の引馬による微妙な前後振動が相まり、車内は快適とは言い難い揺れが常に発生している。
「・・・う・・・き、気持ち悪い」
車内の窓から覗く草原の風景に、意識的に遠くを視点に合わせたハルの口から苦悶の声が漏れる。
出発直後は例の懐中時計の件でエレイナと激しく論争を繰り広げていたため、その興奮からあまり気になっていなかったが、彼女との話合いが終わり、エレイナが自分の馬車に戻った直後からハルはこの振動に悩まされる。
つまり、ハルは馬車酔いの状態に陥っていた。
「あの、ハルさぁ。さっきのエレイナさんに言い詰めていた威勢はどこへ行ったのさぁ?」
「クラリス、黙っていて。喋ると余計に気持ちが悪くなるから!」
ハルは努めて車内の方に視線を移さず、車窓から遠くに映る景色に焦点を合わせ、なんとか馬車酔いを回避しよう試みている。
その哀れな姿を見て「ククク」と忍び笑いを漏らすのは同級生のクラリスだ。
クラリスは今までハルとあまり喋ったことがない。
それはハルが周囲の人間と接触を拒絶していたというのもあったが、クラリスからはハルが卓越した何か別の生物のようにも思えて、接触に二の足を踏んでいたというのもある。
しかし、今のハルからは、こういった人間的な弱点を持っていることも解ったし、それがクラリスに意外性と安心感を感じさせていたりする。
クラリスが今までハルに思い描いていたイメージは「孤独と魔道具を愛する天才で、接し難い人」だった。
そんな孤高の存在であるハルが、今は『馬車酔い』を必死に耐える姿を見せているのが面白く、彼女の意外な人間性を発見できた事がクラリスの中で何故か好感を得ていたのだ。
先刻までのエレイナとハルの理論的な応酬を思い出すと、この弱々しいハルの姿が余計に対象的であり、尚更、可笑しく思えた。
ハル達とエレイナが揉めたのは出発直前の事であった。
初めは何の事で言い争っているのかクラリスにも訳が解らなかったが、どうやらアクトがハルに贈り物をするとき、それがハルの作品だということを知りながら、エレイナが黙ってアクトに懐中時計を勧めた事が発端のようだ。
理由は良く解らないが、それがハルとアクトにとっては相当恥ずかしかった事のようで、興奮気味でエレイナに詰め寄っていた。
それが出発直前だったということもあり、結局、エレイナがこの馬車に乗り込んで話続ける形で隊が出発する。
そして先程まで、この馬車の中で互いのやり取りが続けられていた。
エレイナとハルはふたりとも頭の回転が早いため、あの手この手で相手を丸め込もうと(ハルの方は相手を追い込もうと・・・)互いの応酬が続けられていた。
結論を述べると、エレイナがハルの怒りを収めるのに成功する結果だ。
エレイナ曰く「自分の役割は素敵な男性から女性へ贈物をするとき、それに値した逸品を紹介しただけですよ。ハルさんの作ったことを内緒にした理由については・・・そうですね、恋にはサプライズが必要ですから」との弁だった。
ハルは『恋』の部分だけは顔を真っ赤にして否定したが、「彼はお勧めの男性ですよ。私にも少なからずの経験はありますから解ります」と、エレイナはアクトのことをハルに推しまくっていた。
エレイナが半ば面白がってアクトの事を煽っていたようにも見受けられるが、ハルは顔を真赤にして「アクトとは友達、アクトとは友達」を繰り返す。
その時、馬車内には女性陣しかいなかったため、エレイナも少し調子に乗っていたのだろう、アクトの良い所を二、三例に挙げてハルに「どう思いますか?」と詰め寄る場面もあったりする。
そのやりとりを見ていた他の女性陣は観ていて大いに喜んだ。
ちなみにこの時、馬車に同席していたのは同級生であるクラリスと指導教官のノムン、ナローブであり、ハル、エレイナを加えて全員女子だけの五名だった
いつの時代も女子が集まると話題は(他人の)恋話、と相場は決まっている。
ノムン教官もナローブ教官も既に夫のいる身であり、将来有望な魔道具師になる生徒への親心(?)から、早く結婚を勧めていたりするのだった。
当然、ハルは嫌がっていたがそれを見て楽しむぐらいの余裕はあるふたりであったりする。
せめての反撃として、まだ独身であったエレイナに「あなたはどうなの?」とハルは言ってみたが、当のエレイナは「私には既に心に決めた人がいます、既に身体も心も彼に捧げていますから」と涼しく言われ、大した戦果も出せず完敗していたりする。
その後も終始「アクトはお友達」宣言を繰り返すハルだったが、クラリスはこれを全く信じてない。
以前からアクトとハルの関係は学院内でも噂になっていたが、これはもう確定だとクラリスは思う。
選抜生徒の女子の間でエリザベスがアクトのことを狙っているのは既に公となっており、彼に手を出すなと宣言されていたが、その関係があまり進んでいないのは誰の目から明らであったし、エリザベスよりも二歩も三歩も先を行くのがこのハルなのだ。
ふたりでエリオス商会へ買い物に行き、その後、ふたりで食事をして、更にローヌ川の辺でプレゼントを貰うなんて、公然としたデート以外の何者でもないと思う。
互いに身分の違いがあるため、公に宣言はできないだろうが、このふたりは完全にできているんだろうなぁと思うクラリス。
クラリス自身もそうだったが、貴族籍の男性と平民女性の恋だなんて夢物語だと思っていた。
それこそ御伽話に出てくるように・・・
しかし、そう思うとクラリスはハルに対して急に親近感が沸いてくるのを感じた。
実は今の自分もそうなのだから・・・
高等騎士学校のセリウスだ。
彼とは波長が合うのか、一緒にいて、気になる存在。
向こうからも、どことなくアプローチがあったりするので、相手だって自分の事に興味があるのだろう。
そういうことで、今の自分の境遇に近いハルとアクト、ふたりの恋も成就して欲しいと思うクラリスだったりする。
成功例があれば、自分にも少し勇気が湧いてくるのだから・・・
そんなこんなでハルの怒りを見事に反らしたエレイナと、事の成り行きが心配で様子を見にきていたナローブ教官が、休憩時間を期にこの馬車から後にする。
そして、当初の予定で決められていた男性達と入れ替わり、現在の車内にはノムン教官、クラリス、ハル、アクト、インディ、セリウスの男女六人で草原を駆けている。
先ほどのアクト推しの件を意識したのか、ハルからは何も喋らなくなり、じっと窓から外を見るのが続く。
途中、ノムンが気を使ってハルに話かけるが、ハルは黙りを決め込み、あまり応答が良くない。
そんなハルの姿にアクトは何かを感じ取っていたようだが、特に追及せずにいたため、軽い沈黙の時間が過ぎる。
しかし、不自然な沈黙の時間はそれほど長くは続くことがなかった。
理由はハルの身に馬車酔いが発症したためだ。
「うー。気分悪い」
「だから黙っていたのか」
「アクト! 煩い。私は田舎育ちだから、馬車なんか得意じゃないのよ」
「都会者か、田舎者かって、馬車に関係ないだろう。とりあえず遠くを見ているか、無駄に喋るかして凌ぐんだよ。そのうち慣れるさ」
「そんなすぐ慣れる訳がないでしょ!・・・う、気持ち悪い」
「おい! 吐くんじゃないぞ! 吐くなら外へ。ほら窓際と替わってやるから」
「・・・」
真っ青な顔のハルは狭い車内で口を押えて移動し、窓際に座っていたアクトと席を替わる。
先程、休憩時間に食べた昼食がいけなかったのか、さほど美味しいものではなかったが、皆が薦めるので断り切れず無理やり食べたハルはそう思う。
食べたのは乾し肉の類で、ハルの予想に違わず美味しくない。
この時代の旅の食事としては特段珍しい食材ではないが、慣れないハルにとっては苦痛でしかなかった。
それが今、胃から逆流しようとしている。
「うぐぐぐ・・・」
今回はハルの女性として矜持と根性が実り、男性の前で吐くという失態はなんとか免れた。
しかし、顔は青白く、気分は最悪。
「大丈夫か? ハル。しょうがない、酔い止め魔法をかけてやろう。少しは良くなるはずだ」
ノムンの提案にハルは頭を小刻みに上下して懇願する。
自分はその魔法を知らないし、知っていたとしても、この状況ではとても集中して魔法を施術などできないと解っていた。
ノムンの酔い止めの魔法は直ぐに実行され、淡い光が彼女を包み、効果はすぐに現れる。
幾分と楽になるハルだが、それでもまだ顔は青白い。
「少しは楽になったか? だが、この魔法は一時的な効果しかない。また気分が悪くなれば遠慮なく言いなさい」
「ありがとうございます。ノムン教官」
血の気の失せた顔色で先生に向かい感謝の意を示すハル。
自分が乗り物酔いにこれほど弱いという自覚は今まで無かった。
そう言えば以前に馬車に乗ったのは、彼女の第二の故郷である港町クレソンからラフレスタに移動したときだったと思い出す。
あの時は今ほど十分に言葉も喋れなかったし、未知の土地へひとりで赴く状況であったので極度の緊張状態であり、「酔う」ほどの余裕が無かったのかも知れない。
そんなことを思いながらも、アクトの言いつけどおり焦点を遠くにするハル。
こんなに苦しいのに、本当に慣れるものなのだろうか? 馬車酔いに関しては一生慣れないかも知れないかも・・・とハルは不安を抱きながら草原の向こうに視線を運ばせた。
そして、不意に遠くで黒い点が動くのを見つけてしまう。
初めは草原に散らばった無数の点のように見えたが、それはやがて集約し、こちらへと向かって来た。
「ねえ、アクト」
「なんだ。また気分悪くなったか?」
「いや、そうじゃなくて。なんだろ? あれ」
そう言いハルの指さした先に全員の注目が集まる。
無数の黒い点がこちらに向かう様子を全員が認識したと同時に、敵の襲来を知らせる角笛の音が響き渡った。
ブオー、ブオー
「敵が来た! 魔物だ。馬車を止めて迎撃態勢をとるぞ!」
斥候役から敵の来襲が告げられた。
魔物が闊歩しているこの世界で、旅人たちの行軍は常にこういった危険がつきものであり、そのための対処は当然訓練されている。
馬車一団は慌てること無く停止し、各々が武器を片手に守りを固める。
アクト達もまだ顔色の悪いハルを残し、魔物を迎え撃つために馬車より躍り出る。
「わ、私も・・・」
「駄目だ。ハルはそこでおとなしくしていればいい。万全じゃない状態で外に出る方が危険だ」
アクトはハルに有無を言わせず馬車のドアを閉めた。
ハルはまだ何かを言っていたが、アクトはそれを無視して腰から剣を抜き、調査団の防衛陣に加わる。
やがて魔物の集団が襲来し、旅隊と数十メートルの距離をおいて互いに睨み合った。
「ワルターエイプか、この辺じゃ珍しいな」
「ああ。二、三百匹はいる。結構大きな群れに眼をつけられたようだ。これは・・・ついてないな」
警備を担当していた職員達が愚痴るのを後目に、アクトは相手を睨みつけて、己の中の闘争心を鼓舞する。
ワルターエイプとはサルを二回りほど大きくした魔物で、雑食性の凶暴な性格をしていた。
群れを作って狩りをする知能もあり、強力な爪や噛みつきに加えて、風系統の魔法を行使する能力を持つ魔物だ。
本来の生息域は辺境に近い山奥とされていたので、今回のように人の支配する街道周辺に現れることは滅多に無いのだが、相手が自然動物である以上、いくらかの偶然が重なった結果、今回の遭遇となったらしい。
ワルターエイプ達は全員が腹を空かせており、人や馬の肉を早く喰らいたいのか、口を大きく開けて涎を滴らしながら突入する機会を伺っていた。
「魔術師は後方から支援。初めは広域系の魔法で対処し、じきに乱戦になるのでショートスペルで対処する事。剣術士は魔術師を守りつつ、三人一組で敵に対処せよ。決して一人で戦うな。魔物を侮っては駄目だ」
手早く各自に指示を飛ばすのはラフレスタ第二警備隊の副隊長であるフィーロ。
普段から荒事に関わっている彼だから、この場で的確な指示が発せられた。
その言葉によってひとりひとりが冷静になっていく。
そして、ワルターエイプの中からひと際大きな個体が前へと進み出た。
これがこの群れのボスなのだろう。
「ギギーッ!」
ボスの耳障りな雄叫びが合図となり、今か今かと待っていたワルターエイプ達が一斉に襲いかかってくる。
これに対して人間側からも一斉に魔法が放たれた。
火の玉や雷、水の玉、石の礫だったりと、多彩な魔法の攻撃だが、これはアストロ魔女学院の教師と生徒によるものだ。
本来ならば魔術師がこれ程の人数で商隊に同行するのは珍しい。
それも広範囲に攻撃する事が可能な魔法を行使できる魔法師は貴重な存在であり、護衛として雇うにもかなりの報酬を支払わなくてはならない。
今回はエース級の魔術師が揃っており、これほど豪勢な攻撃は早々と目にはできないのだ。
そう言った意味で運が悪かったのはワルターエイプ達の方である。
群れの中心に着弾した広域魔法によって焼かれ、感電し、水に溺れ、飛来する石礫によって死傷する。
一回の魔法攻撃で絶命や負傷したワルターエイプは群れの約一割に達した。
だが、言い方を変えれば、それだけの戦果しか出せなかったとも言える。
残りのワルターエイプは野生の勘で魔法の危険性を察知し、千々バラバラとなり逃げる事によって回避を成功させていたのだ。
そして、仲間を殺した憎き敵に報いらんと、各々四方八方から人間の集団に襲いかかる。
「キキキッ!」
「この野郎。ぐわっ」
ワルターエイプの鋭い爪の攻撃を受けた人間はそれを回避しようと剣で打ち返すが、直後に風の魔法を喰らって飛ばされてしまう。
仰向けに倒されて、喉元に牙を突き立てようとワルターエイプが襲いかかるが、寸でのところでその頭部に矢が命中してワルターエイプが絶命する。
「ふう、助かった」
男はそう言い自分に覆い被さって絶命したワルターエイプを蹴り上げて、立ち上がる。
「気を付けろよ。こいつらは風の魔法を使うんだ」
そう言い別の男性が注意を促す。
このようなやり取りが隊のあちらこちらで起こり、早くも乱戦になっていく。
学生達も実戦は経験の初めてのだったが、先に人工精霊との戦闘を経験していた面子は、そこでの経験が生かされ、大きな緊張をすることもなく、一匹また一匹と連携して確実に敵を仕留めていく。
こうして戦闘が進む中、自分たちが不利だと悟ったワルターエイプのボスは作戦を変更する事にした。
「ギキャーキキキ」
ボスがそう叫ぶと、ワルターエイプ達は散会し、ターゲットを人や馬から荷物へと変更していく。
囮役の数匹が人間を牽制し、後方の数匹が荷物を物色するが、この狙いに初め気付くことのできなかった人間側はワルターエイプ達の狙いにまんまと嵌められて、やがて一台の馬車が孤立してしまう。
「しまった。あの中にはハルが!」
アクトが気付き、そう叫ぶが、時すでに遅く、馬車はワルターエイプ達に取り囲まれてしまった。
荷台や馬車の屋根にワルターエイプが群がり、荷台の食料や道具などが次々と物色されていた。
荷台に目ぼしいものが無くなると、次に馬車につながれた馬へとその手が伸びたが、馬が暴れてワルターエイプともみ合った際に留め具が偶然外れて、二匹の馬は難を逃れることができた。
寸でのところで新鮮な餌を逃がしたワルターエイプ達は怒り万感だが、新たな獲物の匂いを嗅ぎつけた。
この馬車の中より人間の匂いがしたのだ。
それも人間のメスの匂いだ。
オスよりもメスの方が肉付きも柔らかく、美味であることは彼らの経験から解っている。
メスは殺すときにひと際不愉快な叫び声を挙げることもあるが、それも些細な事。
甘美な肉の味を想像して涎を滴らすワルターエイプ達。
食欲を刺激された魔物達はもう待ち切れないとばかりに固く閉ざされた戸口や窓口を破壊するため、爪で掻き毟り、ドンドンと叩く。
「畜生。やらせるかぁ!」
その様子を見ていたアクトは我慢できずに剣を振り上げて一人で突撃しようとする。
「まっ、待て! アクト」
インディはアクトを止めようとするが、既に間に合わない。
アクトが突っ込むよりも先に馬車の戸口がワルターエイプの群れによって破られようとしており、誰もがもう駄目だと思う。
しかし、そのとき、それが起こった。
ワルターエイプが戸口を破るよりも早く、勢いよく戸口が開かれたと思えば、そこに群らがっていた四匹のワルターエイプが爆ぜる。
何かに吹き飛ばされて、ズタズタになる身体。
彼らは血飛沫と共に吹き飛ばされ、それだけでは留まらず、身体の内部から爆発を起こして、周辺に内臓や脳漿が飛散した。
その凄惨な死に方は少し離れたところで見ていた人間達だけでなく、ワルターエイプ達も目の前で起こっていることに理解が追い付かず、時間が止まったように固まる。
やがて戸口の中から姿を現した灰色のローブを着た黒目の少女。
その瞳には普段の彼女では見せない凛とした雰囲気を纏っていた。
アクトはそれを見てハルの無事を確認したが、それ以上に彼女の澄ました瞳にどこか見覚えがあると思ってしまう。
いつの時だろう、どこかで会った事のある人の瞳・・・ハルではない誰か・・・誰だろう。
そんなことを考えてしまうアクトであったが、次のハルが行使する魔法を目にして、そんな考え覚すら忘れてしまう程の衝撃を受ける。
「・・・・・」
ハルが小声で何か聞き取れない呪文を唱えた直後、無数の黄金の矢が彼女の前に現れる。
空中に浮く数本の矢。
それは先端が矢印のようになった金色の矢で、雷を纏うように如くバチバチと音を立てており、その姿が揺らいでいることから、魔法の矢であることは明白であった。
そして、彼女は敵のワルターエイプをひと睨みすると、その魔法の矢が発射される。
彼女が睨んだワルターエイプ目掛けて矢が進み、それが命中するとともに大音響を伴う爆発が起きた。
命中したワルターエイプは一撃で肉が焼かれて、大量の血が流れ、激しい痙攣をおこす。
数刻後に死ぬ傷を負う同胞の姿を見たワルターエイプ達は我に返り、その攻撃から回避すべく一気に散会した。
野生の勘でこの人間には絶対に敵わないと思ったからだ。
しかし、それを許すハルではなかった。
彼女は次々とワルターエイプに狙いを定め、無慈悲に魔法の矢を次々と放っていく。
放たれた矢を回避するために、三々五々に逃げるワルターエイプ達だったが、ハルから一度狙いをつられけたら最後、どう逃げようと自動的に追尾されて魔法の矢が迫り、最後には命中してしまう。
魔法の矢が一発命中すると、大きく爆ぜて、それで動けなくなってしまうワルターエイプ。
ハルは魔法の矢を次々と放ち、自分の前から矢が無くなると、次の瞬間、すぐに新たな矢を補てんするため、傍から見ていると無限に魔法の矢が放たれるように感じられてしまう。
そうして、三十秒程経過すると、ワルターエイプの駆逐が全て完了した。
それは戦闘と呼べるような物ではなく、一方的な殺戮、いや、作業と呼んでよかった。
敵がいなくなったのを確認したハルは、自分の前に具現化させていた数十本の矢はもう必要ないと判断し、消滅させて、再び口を押えて不機嫌な顔に戻る。
「うっ、ぶり返してきた。やっぱ、気持ちが悪い」
再び、馬車酔いが再発したのか、顔をそむけて、馬車の中に設けられた椅子に腰かける。
こうしてあっけなくもワルターエイプの群れを全て撃退し、まるで大道芸の一部始終を観たかのように唖然とする調査団の面々だが、ようやく正気を取り戻す。
「・・・フィーロ副隊長。彼女は一体何者なのでしょうか?自分はこんな凄い魔法を見たことがないです」
そう発する事しかできない警備隊のディヨント。
「さあな。俺に解る事は、彼女はアストロ魔法女学院のハルという女生徒である事。アクトが懇意にしている女性である事。このエリオス商会とも懇意にされている事。そして、今、解ったのは強力な攻撃魔法も使える、という事だ」
フィーロはそう言うと、構えていた剣を収め、戦闘が終わった事を認識し、息を吐く。
彼はこの大きなワルターエイプの群れに襲われたとき、多少の被害を覚悟していた。
だが、結果的にワルターエイプは全滅し、こちら側の死者はゼロだったのである。
多少の怪我人はいたが、軽傷の類であり、この程度ならば無傷といってよい戦績。
唯一の被害としてはハル達の乗っていた馬車の荷物ぐらいだが、あの規模の魔物の群れに襲われて、この程度の被害で済んだのは奇跡に近い事であった。
「おーい。誰か逃げた馬を連れ戻してくれ。それと被害の受けた馬車を直ぐに修理してこの場から離れよう。死んだ魔物の血が新たな魔物を呼び寄せる可能性もある。その前に離脱するんだ」
旅団の隊員にそう呼びかけたフィーロはすぐに撤収の準備と馬車の復旧を始めた。
「ハル! 大丈夫か!?」
アクトやインディ、セリウス、クラリス、ノムンなど同じ馬車に乗車していた者達がハルの元に駆け寄り、その安堵を確認する。
「馬車酔い以外は全然大丈夫。あ、しかし、荷物はごらんのとおり・・・駄目かも」
そう指さす先には散々荒らされた荷物が散らばっていた。
急いで片付けるが、食料とおぼしき物は裂かれたり、齧られたりしており、ほぼ全滅に近い。
「畜生め、手あたり次第食い散らかしやがって!」
「ごめんなさい。守り切れなかったわ」
悪態をつくセリウスに謝罪するハルだが、それは筋違いだとセリウスは慌て訂正する。
「いやいや、ハルさんは全然悪くない。悪いのはあのワルターエイプ共だ。って痛てぇ!」
セリウスの頭をこつんと小突き、クラリスも話しに混ざる。
「そうそう、そのとおり。ハルが気に病むことはないさ。そんなことより、私はハルが無事だったことで十分だよ」
クラリスから無碍の心配の言葉をもらったハルは不器用に愛想笑いをした。
そこには先程の無慈悲な攻撃をした彼女の面影はなく、いつものハルの姿であった。
「それにしてもハルって凄いな。私もあんな凄い魔法を初めて見たさぁ。何んて魔法なんだい?」
安心したクラリスはハルに先程の魔法の事を尋ねた。
「えっ・・・と、ホーミングアロー!?」
「ほーみんぐあろう?どこの言葉?」
「いや・・・今、考えた」
思わず口に手を当てて「しまった」という顔つきになるハルだが、この場で誰からもその追及は無かったので、知らんぷりを継続する。
この時点で、彼女は南方の小国国家の末裔ではないか?という噂が全員に浸透しており、しかも、この事を詮索してはいけない、という暗黙の了解があったからである。
彼女が時折使う訳の分からない言葉も、きっとその国の言葉なのだろうと勝手に解釈しているクラリスであったりする。
「まぁ、名前なんかよりも威力が凄げえなぁ!」
クラリスはハルの放った魔法の効果を手放しで称賛していた。
「そのとおりだ。ひとつひとつは光魔法の『光の矢』に似ているが、相手を追尾する機能は着眼点として新しい。それに二百本以上召喚していたようだ。その持続力と燃費の良さもたいしたものだ」
そう高説するのは担任教官のノムンである。
先達者のプライドから顔には絶対出さなかったノムンだが、彼女の内心ではハルの才能に驚愕と第一級の賛辞を贈っていたのだ。
ひとつひとつの威力は大火球に劣るものの、この光の矢は相手を瞬く間に戦闘不能へと追い込むことができていた。
しかも、どれだけうまく逃げても相手を最後まで追尾できる攻撃魔法は、経験のある彼女さえも初めて見るものだ。
その上、この必殺の矢を二百発以上行使しても彼女の様子を見る限り魔力は全く衰えていない。
尤も、馬車酔いで体力自体は相当弱ってはいるが、言い換えるとそんな状況でも集中力を切らさずに魔法が行使できる彼女を見ると、本当はまだまだ余裕があるのではないかとも思ってしまう程だ。
このハルという生徒は前々から無詠唱という高等技術が使える事で、一部の教師陣からは評価されていたが、彼女のそれは魔道具師としての活躍の方が注目されていた。
しかし、今日のこの時を以って、攻撃魔法も優れた才能を持つことが実証され、ノムンの中でハルの評価を改める事にした。
自分もこれと同じ魔法を使えと言われても、とてもできるとは思えない。
魔法はイメージ力と言われている。
つまり、魔術師は自分ができないと思う事は絶対にできないのだ。
ハルはいったいどんなイメージでこの術を施したのだろうか。
この魔法を行使するのには、いったいどれだけの魔力が必要なのか・・・
ノムンの魔法的興味は尽きなかったが、まぁ今回は馬車と言う閉ざされた空間に往復六日間の旅程なので、時間はたっぷりある。
若い魔術師から教えを乞うのは癪だが、ハルの馬車酔いを防ぐためにも魔術について話し合うのは互いの利益になるだろう。
そんな考えをするノムン。
更にノムンが視線を感じて顔をそちらに向けると、少し離れたところのナローブと目が合った。
ナローブからも「今の魔法を調べろ」と目で語っていた。
ノムンは了解の旨を視線で送り返し、今回のチャンスをめぐり合わせてくれたグリーナ学長へ密かに感謝する。
そうして、ハルに対して他愛もない会話を始めるノムン。
程なくして、逃げた馬が元に戻され、応急処置の整った馬車へと各自が乗り込み、この場を後にすることができた。
道中の馬車の車内でノムンから「ほーみんぐあろー」なる魔法について矢継ぎ早に質問を受けるハル。
彼女も特に隠し事をする訳でもなく素直に答えていく。
ハルとしては刹那的に放った魔法であるし、所々の解釈がノムンにも難しい所もあったが、それでもノムンはこのときに得られた情報を元に根気よく研究を続け、後日、『光の小鳥達』という魔法を玉成させる。
この『光の小鳥達』魔法は新しい光属性の中級魔法として魔術師協会に承認され、魔法の新たな技のひとつとして後世へと語り継がれることになる。
ただし、召喚できた矢の数は数十本が限界であり、ここで二百本以上の光の矢を召喚させたハルは伝説的な存在になったのは余談であったりする。