第三話 調査団の出陣
清々しい真夏の早朝、ラフレスタの北門にはいつもより多くの馬車と人々が集まっていた。
広場には十台の馬車とそれを引く馬が集まっている。
様々な物資を積むために人が右往左往しており、とても活気のある朝の光景だ。
そこにはラフレスタの学生達の姿もある。
まだ朝が早い時刻のせいか、目を擦っている生徒もいたりするが、彼らがここに集まる理由は、本日より始まる郊外特別授業のためにここへ集合するようにと言われていたからである。
事前に通告されたとおり、自分たちの乗る馬車を見つけ、自らの荷物を積む彼らであったが、そこにこの郊外特別授業を企画した人物が現れる。
「おはようございます。グリーナ学長」
彼女の来訪をいち早く知ったインディが挨拶をした。
「インディさん、おはよう。そして皆さんもおはよう。既に全員揃っているようね」
グリーナは男女学生八名が集合しているのを確認する。
ここで旅支度として多くの荷物を持ち込むラフレスタ高等騎士学校の男子学生に対して、アストロ魔法女学院生はほとんどが荷物を持たず、普段のアストロ魔法女学院謹製のローブ姿から変わらない普通の姿をしているのが特徴的であった。
それもその筈、彼女達はローブの内側に忍ばせた『魔法袋』に旅道具を収納していたので、身軽なのも当然なのだ。
『魔法袋』は道具の出し入れに魔力が必要となるため、誰でも扱えるものではない。
また、収納できる容量も自身の魔力と『魔法袋』の両方の性能によるため、非常に便利な道具であるにも関わらず一般人には敷居の高い魔道具なのだ。
それなりに高価な魔道具である『魔法袋』は、普通一般学生の身分では持てないのだが、そこはアストロ魔法女学院だから普通ではないのである。
彼女達はそれぞれが一流の魔術師であり、『魔法袋』も学院から支給されているので、全員がそれを利用するのは当たり前だ。
「こういう時は魔法袋の使える魔術師が羨ましいな」
そう羨ましそうに口を開くのはアクト。
「そんなこと言うんだったら荷物持ってあげるわよ。ほら」
ハルは遠慮なくと手を差し出すが、それをアクトは首を振り否と答える。
「ありがたい申し出だけど、自分の物は自分で持つさ。そうしないと男としても駄目だろう」
「ヒュー、さすがアクト様だ。男性にも女性にも格好いいヤツだねぇ~」
フィッシャーがアクトを茶化すが、彼がお道化るのはいつものことなので、これに悪意を感じさせることもなく、全員が和やかな雰囲気だ。
しかし、彼らはこれからピクニックに行くのではない。
『商会の所有する廃坑の探索に同行して協力する』
それが今回の彼らに与えられた授業の課題だった。
これはアストロ魔法女学院の郊外活動型授業の一環であり、今までも似たような授業が行われてきた。
しかし、今回は大きな違いがふたつあり、ひとつはラフレスタ高等騎士学校生と共同で実施する事と、ふたつ目は今回の目的地が今までで一番遠いという事であった。
「皆さん、おはようございます。いやぁ賑やかでいいですな」
人の良さそうな笑顔で現れたのはエリオス商会会長のライオネル。
「ライオネル会長、おはようございます。そして、今回は無理な話しを聞いて貰って、感謝していますよ」
グリーナ学長はライオネルに深々とお礼をする。
それもその筈、今回、この授業に協力(実際にはエリオス商会の調査に学生達が協力する事になるのだが・・・)してもらった商会の長に当たる人物なのだから、敬意を払って当然なのである。
「あわわ、グリーナ学長。我々に頭を下げるなんて勿体ないことです。お顔をあげて下さい」
ライオネルは慌ててグリーナ学長を諭し、自分達に敬意は不要と伝えた。
「そんな事は言っていられませんよ。今回は我々の授業にほぼ無償で協力してもらえる人に頭を下げないなんて、私はそんな恥知らずではありませんわ」
「あはは。私達だって、そんな大層な事をやっている訳ではありません。どうせ調査に行くのは決定事項だし。十人ほど増えたところで大して変わりませんから。それに今回は街からも警備をかってくれる人も派遣されましたから」
そう言って指を刺した先には二人の軽装鎧を装備した男性が立っている。
「あれ? フィーロさんとディヨントさん。なんでここにいるんだ?」
その姿を見つけたアクトが思わずそう口にして、当の二人もアクト達の元に近付いてきた。
「おはよう、アクト。それとグリーナ学長、ライオネル会長もおはようございます」
フィーロは順々に挨拶する。
「おはようございますフィーロ副隊長。そして、警備隊のディヨントさんでしたね」
グリーナ学長は二人に挨拶を返した。
彼ら二人が警備に協力してくれることはグリーナも既に連絡を受けていたため、特に驚いた様子はない。
「今回は生徒達の護衛の役を担って頂き、本当に助かります。こちらもこの人数で郊外授業をするのは今回が初めてですので、果たして指導教官だけで護衛が務まるかを、少しだけ心配をしていたのですよ」
「我々も協力できて光栄です。警備隊は最近いろいろと不甲斐ない事が続いておりますので、これで挽回させて頂きたいと思っています」
フィーロがそう答えた事で、アクトとハルは警備隊から二人が派遣された理由を少しだけ予想できた。
この前の事件で白魔女にこっ酷くやられた事、そして、結果的にアストロ魔法女学院の生徒を負傷させてしまった事に対する罪滅ぼしとして、今回の護衛任務を請けたのだろうと。
そして、ディヨントと目の合ったアクトは何かを言おうしたが、ディヨントはそれを手で制した。
「いい、アクト。あの夜の件だろ。あれは俺が言い過ぎた」
「いやディヨントさん。あなたの言われることは尤もです。僕が皆さんの事を考えていなかったのは事実でした。本当に申し訳ありませんでした」
「だから、もういいって言っているだろ。だが、そう思ってくれるのは嬉しいな。お互い至らなかったと言う事で仲直りしよう。今後もよろしくな」
「ディヨントさん、ありがとうございます。こちらこそ指導をよろしくお願いします」
「ああ」
そう言って男達はふたりで固い握手をした。
それを見ていたハルは(男達って良いな・・・)と少し羨ましく思ってしまう。
今のディヨントの言葉に嘘が無いことは解っていた。
いや、解ってしまった、と表現した方がいいだろう。
ハルは無詠唱で魔法を使えるので、人の心を読む魔法をほぼノーアクションで発動する事ができる。
今回もディヨントの言葉の真偽をほぼ条件反射的に読んでしまったが、彼の言葉は真意であり、嘘はないのが解った。
最近のハルは、この魔法に関しては既に達人級の領域に達している。
近くのグリーナ大魔導士でさえ、ハルがこの魔法を発動しているのを気付けない程だ。
いろいろと便利な技ではあるが、この技はアクトにだけは上手く使えない。
彼の持つ魔力抵抗体質の力によって魔法が阻害されてしまうため、アクトの真意は霞がかかった如く朧になり、読み取る事は叶わないのだ。
もし、本当に彼の心を読もうとしたら、ハルが白魔女に変身して、そして、アクトの身体に触れてようやくできるぐらいに強固な抵抗力があるのだ。
それでもハルは、アクトとこの一ヶ月間の付き合いから、彼が嘘をついているようには思えなかった。
一時的に敵対したとしても、男同士はこうやって互いの関係を修復し、信頼と絆を深めることもできる。
ハルはそれを少しだけ羨ましく思った。
女同士はそうはいかない・・・
一度関係が崩れてしまえば、表面上は仲良くしていても・・・ね。
それはエリザベスとローリアンの事だ。
ハルは彼女達との関係はどうでも良いと思っていたが、当の彼女達はどうやらそうはいかないらしい。
露骨に敵対的な行動をするローリアンよりも、それを裏で操るエリザベスの方が厄介な存在だった。
ハルはそう考えていたが、どうやら当の本人達がここにやって来たようである。
貴族が乗る華やかな装飾を施した馬車が現れ、そして、広場の中心で止まった。
白くて立派な二頭の馬に引かれた馬車は煌びやかであり、従者がいそいそしく作業を行い、少しの時間をかけて馬車の扉が開けられた。
そうして最初に降りてきたのはローリアン・トリスタだ。
彼女は貴族の令嬢らしく上品に全員へ一礼するが、その視線の先にフィーロの姿を見つけると「ちっ」と小さく舌打ちする。
あまりに小さな苛立ちだったため、それに気付いた者は少ない。
その後のローリアン本人は何事も無かったように振る舞い、優雅に馬車から降りた。
そして、次に降りたのはこの馬車の所有者であるエリザベス・ケルトその人なのだが、その姿を見た全員は衝撃を受ける事になる。
エリザベスも貴族の令嬢らしく上品に一礼をするが、その姿には以前のような豊かな長い巻き髪は無い。
彼女の自慢の長い巻き髪はバッサリと切られ、肩にかかるぐらいのショートヘアーになっていたからだ。
周りの視線が自分の髪に集まっていることに気付いたエリザベスは努めて気丈に振る舞う。
「あら、皆様は私のこの髪の事で注目されているのですね。イメージチェンジしましたの。どうですか? 似合っていますか? おほほほ」
これは明らかな彼女の強がりである。
白魔女と対峙したとき、あの『エポキシ樹脂』なる接着薬品が自分の髪に付着して、結局、切る事でしか対処できなかったためである。
アクトはそんな彼女に何と声をかけてよいのか迷ったが、それでも彼女の事を気遣って、言葉を何とか紡ぎ出すことができた。
「エリザベスさん。何と言っていいのか解りませんが・・・お身体の方はもう大丈夫なのでしょうか?」
「アクト様、あの時は醜態を晒してしまい申し訳ありませんでした。私もケルト家の一女として矜持を持っていますし、あの件は深く反省しています」
そう言って謝罪するエリザベス。
「いや、しかし・・・」
「いいえ。アクト様からは何も謝罪してもらう必要はありません。実力剛健を是とするケルト家にとって、自分の身は自分で守るのは当然の事。それに、あの場面でアクト様の助けが無かったら、もっと酷い目にあっていたでしょう」
アクトに対して自分への気遣いは無用と答えたエリザベス。
彼女は彼女なりに反省しているようだった。
「そして、ハルさん」
「はい?」
ハルはここで突然自分に振られたのが意外だったようで、少し驚き声でエリザベスに応えてしまった。
「私が居ない間、アクト様を随分もてなしたようですね」
「・・・いいえ」
少しバツ悪そうに答えるハル。
また自分を罵る事を言われるのか・・・そう思って小さく身構えてしまったが、エリザベルは意外な事を言う。
「『いいえ』ではありませんよ、ハルさん。貴方がアクト様を含めたラフレスタ高等騎士学生と信頼を深められた事はアストロにとっても大きな利益です。ですから、これは誇っていい事なのです」
・・・嘘だ・・・ハルは直後にそう思った。
エリザベスの心を読んだハルは、今、エリザベス自身が口にしている事は真実でないと解ってしまった。
彼女の本心は嫉妬に塗れ、本当はアクトに好かれたい、自分だけを見て欲しい・・・今でもそう思っている彼女の心が見えた。
しかし、その気持ちを抑える『理性』が彼女の心の中に存在しているのも事実であった。
自分がアストロ魔法女学院の筆頭であるという立場の理解。
私的な情事よりも公を優先し、アストロと騎士学校の親睦を深める重要性を、理解することとその使命感。
これは誰だか解らないが・・・彼女が休養中にケルト家の関係者に諭されたのだろう。
そして、自分の力不足が原因で白魔女に敗れた事を不承不承ながらも認めている事。
加えて、アクトへの愛情(彼女の場合は『欲望』と言った方が良いかも知れないが・・・)が少し薄らいでしまった事。
これはエリザベスが白魔女に敗れたときに自分だけを助けてくれなかった事に由来していたし、謹慎期間中に彼が一切お見舞いに来なかったことも関係していた。
いや、アクトを正当に弁護すると、エリザベスが白魔女の虜になっていた時に、アクトが白魔女を撃退したのだから『助けなかった』と言うのは語弊だろう。
また、謹慎期間中の時は、アクトも学業と通学以外の外出を禁じられていたから、動きようも無かったので、お見舞いに行くもの不可能だった。
それでも、エリザベスはそれ以上の行為をアクトに求めていたらしい。
もっとアクトに甘やかして欲しかった、抱いて欲しかった、親身になって欲しかった。
しかし、それが叶わなかったあの時、彼女の中でアクトに対する執着心と期待感が少し下がってしまったのだった。
そんなエリザベスの心の内が解ってしまうハル。
ハルは複雑な気持ちになりつつも、エリザベスの心を読んだ事を口には出せないため、「わかりました」と短く応えるに留める。
場が微妙な雰囲気になってしまったが、それを察したグリーナ学長は手を叩き、話題を元へと戻そうとする。
「ハイ、ハイ。いずれにしても、エリザベスさんとローリアンさんが戻って来てくれたこと、アクトさんとハルさんの研究もひととおり終わったこと、人工精霊との決着もついたこと、そういうことで、ようやく選抜生徒十名全員が揃っての郊外授業ができる運びになりましたね」
彼女の言うとおり、選抜生徒の全員が集まって授業をするのは、実に一ヶ月ぶりだった。
「今回はエリオス商会さんのご好意で、商会の所有する『廃坑探索』に参加させて頂けることになりました。行程は馬車で片道三日ほど。三年前に廃坑になった鉱山を探索しに行きます。定期的に内部の警備や探索はしているらしいですが、本格的な探索は今回が初めてらしいです。放置されているに等しい廃坑ですので思わぬところに魔物が住み着いているかも知れません。ですが、皆さんの協力を以ってすれば困難は無いと信じています。ですので、皆さん頑張って下さい」
そう言いグリーナは皆に優しく微笑む。
実際、グリーナはこの時点で廃坑の探索をそれほど心配していない。
生徒達はそれぞれ実力があり、人工精霊との戦いでもそれが十分に実証されていたからだ。
「今回は皆さんが如何に協力して『廃坑探索』を成功に導くかを採点しますが、私はいろいろと忙しくて同行できないため、採点者兼護衛役でノムン教官とナローブ教官が同行します」
グリーナ学長の両脇にいた女性が前に進み出る。
ふたりともアストロ魔法女学院の教師で、上級魔術師に着る事が許された『黒色ローブ』で身を固めていた女性魔術師だ。
グレーの長い髪をした小柄な女性がノムン教官でハルとクラリスが所属する四年一クラスの担任教師でもある。
もう一人の金色の長い髪をした大柄な女性がナローブ教官でこちらはエリザベスやローリアン、ユヨーが所属する四年二クラスの担任教師だ。
ただし、四年生ともなると必須選択の授業はほぼ無いため、担任教師と言えども生徒全員と顔を会わせる機会はほぼ無かったりする。
ふたりとも普段から自分のクラスの生徒達と話す機会は無かったのだが、今回はそういう意味で少し楽しみだったりするのはここだけの話だ。
「グリーナ学長。生徒達は私達にお任せください」
「そうです。ノムンも私も腕に多少の覚えはありますから」
ナローブとノムンは互いに目を合わして「うん」と確認し合う。
彼女達は互いに年齢も近く、波長が合うようで、学院内でも仲が良かった。
「ふたりとも信頼していますよ。よろしくお願いしますね」
彼女達に任せておいて大丈夫だろうとグリーナ学長も信頼の言葉をかけた。
「あと、今回は特別に随行して頂くふたりが・・・あっ、来ましたね」
ほぼ言うと同時に現れたのは、純白の生地に黄色紋様の意匠の長衣を着たふたりの人間。
ひとりは少女で、もうひとりは老人だが、その服装からして彼らが神学校の関係者だと一目で解る。
「ふぅ~、参った、参った。遅刻するかと思ったわい」
「それは司祭が悪いんでしょ。朝から眼鏡が無いって言うから・・・」
老司祭に少女が怒る姿を見れば、どこかの親子関係のようにも見えなくもないが、このふたりは神学校からの派遣者である。
老司祭はグリーナの姿を見つけると恭しく礼をした。
「おお! これはグリーナ学長。おはようございます。今回は我々の同行を許可して頂き、ありがとうございました」
「いいえ。エストリア帝国で最高の技術を持つ貴方と、ラフレスタの神学校で最も優秀な生徒に同行して貰えるなんて、願ってもない事です。こちらこそよろしくお願いしますね」
「わっはっはっ。癒しと神聖魔法に関しては我々に任してくだされ、昔のように途端に治して見せますぞ」
「マジョーレ司祭は昔から変わりませんね。信頼していますわ」
グリーナの言葉から、老司祭と彼女は昔から親交があることが伺えた。
「私から紹介させて下さい。この方はマジョーレ司祭。今は神学校ラフレスタ支部に在籍されている司祭です。彼の信仰と神聖魔法の実力は私が保証します。彼はエストリアで一番の癒し手ですよ」
「グリーナ学長、それは言い過ぎじゃろう。拙僧はマジョーレと申しますわい。そして、この小童がキリアじゃ。道中よろしくじゃな。ワハハハハ」
豪快に笑うマジョーレ老師と白髪華奢女性のキリアが挨拶する。
彼ら修道僧達が使う魔法は『神聖魔法』と呼ばれ、神の奇跡を具現化した魔法と言われている。
通常の魔術師が行使する魔法とは区別され、技術体系も異なる事から、彼等のことは魔術師とは呼ばず、修道僧とか僧侶とも呼ばれている。
特に『治癒』魔法に関しては魔術師の行使する同系の技よりも彼らの方が数段、場合によっては数十倍の効果があり、怪我をあっと言う間に完治することができるため、修道僧は危険の伴う場面において重宝される存在であった。
しかし、神聖魔法に長けた修道僧ほど報酬が高価になるので、マジョーレ老司祭のような最高位の癒し手になると、一体どれほどの報酬が支払わるのかを想像して息を飲む一同だったりする。
尤もその報酬を『寄付』という名目で神学校に支払ったのはライオネル会長であり、彼は涼しい顔をしていた。
決して安くはない金額だったが、それでも彼にしてみれば、驚くほどの金額ではない。
ライオネルは一般的な修道僧二名分の派遣依頼料に多少色を付けた程度の金額で神学校に協力を申し出ていた。
神学校の幹部は当初、金額に見合った別の二名を派遣する事にしていたが、そこにラフレスタ高等騎士学校生とアストロ魔法女学院の精鋭生徒達が加わる事を知ると慌ててこの二名に差し替えられた。
神学校としては将来、この国の中枢に関わる可能性が高い幹部候補生達と、今のうちにコネクションを持つ事、そして、彼らの生の情報を得る事に金額以上の価値を見出したようだ。
そうして、マジョーレ老司祭と神学校の筆頭生徒であるキリア女史がこの場に派遣されることになったのだ。
神学校幹部からはいろいろと含みのある指示を持たされた二人だったが、この手の仕事が初めてのキリアは少しの緊張の面持ちで生徒達へ挨拶する。
「キ、キリアと申します。ラフレスタ神学校の筆頭生徒ですが、今回、皆様もそれぞれの学校の筆頭とそれに準じた生徒だとお聞きしています。是非、仲良くさせてください」
気負った表情でひとりひとり生徒達と握手するキリア。
凛々しい白い髪を後ろにまとめた姿が、彼女の潔癖さを上手く醸し出していた。
彼女はひとりひとりに握手し、最後にハルを目の前にして不意に立ち止まる。
キリアからやや熱を帯びた眼差しを向けられたハルは一体何の事だか解らず怪訝に思ったが、意を決したのはキリアの方で彼女の口からは意外な言葉が出た。
「貴方が噂に聞いていたハルさんですね」
「噂?」
「ええ。天才的な魔道具製作者であるハルさんですよね。私もこれを使わせて貰っています」
キリアはそう言うと、自分のポケットから懐中時計を取り出した。
それは金属の下地に白い塗装が成され、金色の文字盤と指針が装飾された懐中時計だ。
ライオネル商会で多少の装飾加工をしているが、それは紛れもなくハルが製作した懐中時計のひとつだった。
「この魔法の懐中時計はとても素晴らしい逸品だと思います。刻む時間は正確で、寸分も狂わず、しかも魔力の充填も一回で一年以上不要。造りも精巧で、私なんかがとても理解できないような構造をしています。これを同い年の女子が作っただなんて・・・初め聞いたときは我が耳を疑いました。ハルさん、私は貴方を同じ世代としてとても尊敬しています。それに・・・」
キリアからはハルを絶賛する言葉が続くが、ここでハルがその言葉を全然喜んでいない事に気付く。
いやハルだけではない、キリアの口上を聞いていた周囲の生徒達も驚きの表情をしていた。
特にハルの隣にいたアクトは完全に口を開けてあんぐりとさせており、正に『驚きの表情』なのだ。
妙な雰囲気になった事を今更ながらに気付くキリアだったが、この疑問にハルが答える。
「キリアさん、私を褒めて貰ったようでありがとう。しかし・・・懐中時計の件はいろいろ理由があって、私が作ったという事は秘匿している情報なのよ」
ハルの告知により「しまった」と自分の口を押えるキリア。
「まあ、言ってしまったものは仕方ないわ。貴女がどこからその情報を知ったかは気になるけど・・・でも、できればこれ以上その話を広めないで欲しいものだわ」
言ってしまったものは仕方ないと許すハル。
赤面したキリアの手を取り、微かに笑って握手を返したのはハルの方だった。
この瞬間にも発動した『人の心を読む魔法』のおかげで、キリアの言葉に悪気はなかったのをハルは理解していた。
どうやら、この情報をキリアに与えたのは教団上層部の人間のようだ。
彼らなりの伝手で懐中時計の製作者の情報を掴み、それとなく探りを入れてくるようキリアに指示したらしい。
キリアはキリアで、その情報でハルの事に強い関心を抱き、自分と同年代なのに夢のような魔道具を作れる存在がいることをとても驚き、そして、尊敬を懐いた心は本物であった。
教団としては、キリアにはもう少しオブラートに包んで行動して欲しかったようだったが、彼女の性格上、腹芸は不得意なのだろう。
つまり天然と言うか、何というか・・・彼女は人前で平然と嘘をつけるほどの技量は未だに無いようであった。
そういう意味でハルはキリアの事をあまり嫌いにもなれず、「許す」という選択をしたのだ。
キリアの方はもういいとして・・・今の問題は、秘密にしていた事が公になってしまったのをどうやって収集するかだ。
周りの生徒達が唖然としているのを溜息混じりで見るハル。
だが、アストロ側の女生徒達はまだ衝撃が少なかったようだ。
懐中時計の一件は『噂』という形でいろいろと広まっていたし、今回の件で「ああやっぱりか」と半分納得の事だろう。
問題は騎士学校の男子生徒・・・特にアクトだった。
彼は懐中時計の製作者が誰だか解らないまま、それをプレゼントとして当の本人に贈ってしまっていたので、いろんな意味で混乱しているようであった。
ハルの人の心を読む魔法はアクトには使えない。
それ故に、今の彼が何を考えてどう思うのかはハルにも解らないが、彼の顔を見るからにいろいろと狼狽しているらしい。
普段のアクトは物事を論理的に捉え、適確に答えを考えて、すぐに行動できる人間である。
そんな冷静沈着なアクトの姿をよく知るハルだが、今回のような思考停止中のアクトの姿を見られて、これはこれで貴重なものが見られたと思う。
不覚にも「アクトにもまだ可愛い処があるのね」と思ってしまったハルだった。
「ハル・・・あの・・・あれは・・・」
いろいろと言葉を出そうにも、いろんな感情が混ざり上手く紡ぎだせないアクト。
彼に代わってハルが応えた。
「アクト。あのときはいろいろあって、私が懐中時計の発明者だとは言えなかったけど、それとこれを貰った事は関係ないわ」
そう言うと、ハルはアクトから貰った懐中時計をローブの中から取り出した。
その懐中時計は性能に違わず現在でも正確に時間を刻んでおり、現時刻の朝七時を示している。
「こうして私達が伴にいる時間を正確に刻んでいるし、我ながら良い仕事ができたと思っている」
「いや、しかし・・・この作者が君だと解っていたら・・・」
「解っていたら?別の物を選んだ?」
ハルは意地悪そうにアクトに聞き返す。
「・・・・・」
それにどう応じたらいいのか? 何を答えれば正解なのかが解らず黙り込んでしまうアクト。
「まぁ、別に何だっていいのよ。贈り物なんて気持ちさえ籠っていればね」
あっけらかんとそう答えるハル。
「でも、この『懐中時計』を選んでくれたのは、正直、少しだけ嬉しかったかな・・・だって、この懐中時計は私の子供のようなものよ。それが人の役に立ち、価値を認められて、それが自分の所に戻ってくるだなんて、物造りをする者にとって存外に嬉しかったわ」
そう言いハルはアクトに微笑んだ。
そんな姿を見られたアクトは、ようやく肩から荷が下りたようにホッと息をつく。
「いろいろ驚かされる事ばかりだけど・・・どんな形であれ、君が喜んでくれたのなら俺も本望だ。それにあれだけの技術を持つハルの事だから『懐中時計の発明者』と言われても今は納得できる。その可能性を考えられなかったのは僕の落ち度だろう」
「本当にそうね」
フフフと笑い合う二人。
短い付き合いながらもその息の合った様子に周辺からは、「やはり・・・」とか、「このふたりは・・・」とかといろいろと勘繰りされてしまうのであった。
「あの・・・お二人は付き合われているのですか?」
一種のお約束のようだが、このタイミングで聞いてはいけないものを聞いてしまう。
それがキリアという女性の天性なのだ。
「え・・・いやいや、親愛の情で贈り物をしただけさ」
なんとか否定するアクトだが、それが彼の恥ずかしさ故に否定をしたのか、それとも本当にそう思って発言したのかはハルにも解らない。
(もう少し迷って、否定しなさいよ)
と思わず、そう感想ってしまうハルであったが・・・その直後に、拙い、拙いと思った。
今はアクトを懇意にしているエリザベスやローリアンがいるのだ、アクトには否定してもらわないと自分が困る。
そう自分に言い聞かせて、納得しようとするハル。
しかし、そんな事をお構いなしにキリアや他の生徒達は聞いてくる。
「本当ですか? お二人はお似合いの様ですのに」
「まあまあ、そう照れなくてもいいから」
「いつも間にプレゼントを・・・」
「アクト、お前も隅に置けないなぁ」
いろいろと生達達から揶揄われるアクトだが、まあ、それは仕方ない事だ。
「とりあえず、この件はこれでお仕舞ということで・・・・・・あらっ!? この元凶がこちらに来たようね」
ハルがそう言うと、あちらでいろいろと準備を終えたエリオス商会有能秘書のエレイナ女史が近付いて来た。
「おーい、エレイナよ。早く来ておくれ」
ライオネルも別の用事で自慢の美人秘書をこちら側に招き寄せる。
「今回の調査団の団長はエレイナに任せているので、詳しい事は彼女から説明させよう」
呼ばれた美人秘書のエレイナ女史は、いつものスーツのような秘書服とは違い、今日は貴族青年が履くようなパンツにカッターシャツ、その上に軽装の皮の鎧を着こんだ旅人スタイルの美人令嬢として現れた。
「皆様、私はエリオス商会の秘書を務めておりますエレイナ・セレステアです。今回の旅程の説明をさせてもらいます」
美人で可憐な秘書の登場に、若い男子学生達のテンションは上がるが、そんな視線を全く気にすることなくエレイナは旅程計画の説明を淡々と始める。
彼女の説明を要約すると次のような内容になる。
・学生、商会職員、警備を含めて、全五十名
・十二台の馬車と馬に分乗して行動する
・廃坑は街の北門から出発し、片道は凡そ三日の行程
・廃坑現地の調査は二日間行う
・学生は道中の夜番警備と現地調査に協力する
説明がひととおり終わると質疑応答の時間に入るが、ここで初めて不敵な雰囲気を醸し出すハルとアクトにエレイナが気付く。
「ひッ!!」
今更ではあるが、彼らの只ならぬ視線を感じ取ったエレイナは、その凛々しい顔に似合わず小さい悲鳴を挙げてしまう。
「エレイナさん。い・ろ・い・ろ・と質問があるんですが!!」
この後、ハルとアクトから『あの事』に対する様々な追及があったとか、なかったか・・・
詳細は割愛する・・・合掌。