第八話 進む授業・進まない関係
その日の研究はアクト達に科学の講演をしてしまったため、大幅な時間ロスをしてしまった。
思わず講演に熱が入り、いろいろな質問を受け、その解答のためにさらに議論を進めてしまう結果だったが・・・
この脱線に気が付いた三人は大慌てで本来予定していた研究の作業を再開し、授業終了時間までに目標としているところまで何とか仕立てる事ができた。
短時間に高度な魔法を連発したために、いつもよりも疲労感が大きいハル。
できれば、もう今日は魔法を使いたくない気分だ。
その頑張りに一番驚き、称賛していたのは他でもないアクトである。
彼は自分では魔法を使えない事と自分の質問がタイムロスの原因になった事に責任を感じており、ハルにたいそう謝罪をしたが、ハルは「気にしないで」の一点張りで、結局のところハルが高い能力を発揮し、なんとか乗り切ったのだ。
申し訳なく思う反面、どこかでこの埋め合わせをしようと心に誓い、今日の授業を終えるアクト。
昨日と違わず研究棟のエントランスにはエリザベスとローリアン、インディがアクトの迎えに来ていた。
今日も揃いどこかに行くのだろうか? まぁ自分には関係ない事だと思い、ハルは彼らを見送って別れようとしたが、そこでローリアンが立ち止まった。
「エリザベス様、アクト様、先に行っていて貰えますか。私は少しハルと話がありますので・・・」
ローリアンの顔を見てエリザベスは何かを納得し、黙って踵を返す。
「ローリアンさん、わかりましたわ。さぁアクト様、行きましょう」
エリザベスはそう言うと、アクトの腕を取り足早にその場を去る。
アクトは顔だけをハルの方へ向けて別れの挨拶を行い、そうして彼らはハルから見えなくなった。
彼らが見えなくなった途端、それまで愛らしい姿を装っていたローリアンが一変し、鋭い目つきの女に変わった。
それはハルがいつも見慣れていたローリアンの本当の姿である。
ローリアンはいつものようにハルを見下し、自分の要求を彼女に突き付ける。
「話があるわ。私の研究室に来なさい」
「遠慮しておくわ。私は貴方と話をしているほど暇では無いの。忙しいから失礼させてもらう」
そう言って去ろうとするハルの腕をローリアンは力強く掴み、彼女の自由を拒む。
「いいえ。貴方に拒否する事は許されない。これは命令よ!」
何の権限があって・・・と思うハルだが、ここは研究棟のエントランスであり、研究棟の職員数名もこのやりとりを黙って見ていた。
職員である彼女達の幾分かはローリアンと同じ魔法貴族派の派閥構成員であることをハルは既に把握しており、ここであまり強引な拒絶をしても多勢に無勢だろうと思った。
「・・・わかったわ」
ハルはそう言うと表向きは観念したふりをして、ローリアンの後に続く。
ローリアンの研究室はハルの研究室から遠く離れたところにある。
彼女の研究室はハルほどで無いにしろ、それなりの広さがあった。
そのことは彼女の実力を学院からも認められている事の証左であった。
研究室内は多数の書籍を蔵書していたが、あまりにも綺麗に収納されている様子からして、これは飾りであり実際に本を必要としていない、と思うハル。
そして、鼻を突くような甲高い特徴的な香り。
特殊な香を焚いているのだろうか。
そんなローリアンの研究室に入ると、後ろ手で入口を閉ざしたローリアンはハルに詰め寄る。
「単刀直入に言いましょう。ハル、アナタ、今すぐこの学院を去りなさい」
全く遠慮せず、自分の要求だけを突き付けるこの姿は悪しき貴族の傲慢さの典型と言える行動であった。
あまりにも遠慮のないその自分勝手な考えに呆れるハル。
おそらくアクトの件で、それなりに牽制が来るとは予想していたが、あまりにもあからさまに退学しろと要求するとは・・・彼女はいったい何様のつもりだろうか。
「あまりにも唐突な要求ね。とても承服できないけど、一応理由を聞きたいわね」
「アナタは本当に生意気な平民の女ね。理由なんて関係ないわ。貴族の私が『辞めろ』と言えば、平民は『はい解りました』と素直に答えればいいのよ。何で私の言っている事が解らないの? これだから無礼な平民は・・・」
とローリアンが悪態をつく。
ある意味、あまりにも解りやすい傲慢な態度であったが、敢えてハルは正論で反論した。
「ここはアストロの学び舎である以上、貴族・平民の区分は無い筈よ。学校の規則書にそう載っていたはずよ。あなたが魔法を使えるのか?使えないのか?ここではそれで存在価値が決まる。魔法が使えるのであれば、その者は皆と同じ扱いで平等にこの学び舎で教育を受ける権利がある。そのように一年生の授業のときに聞いていた筈よね?実質で学年次席のローリアンさん?」
「そんなの、ただの建前じゃない!」
バンっと机をたたくローリアン。
その顔には苛立ちを隠そうとせず、憤激が彼女の美しい顔を歪ませていた。
「ハル。貴方がアクト様を誑かせているせいで、エリザベス様がアクト様の気を引き留めるために、多大なご苦労をなさっているわ。そして、私まで変な特訓に付き合わされて・・・本当に、本当に・・・もう、うんざりなのよ!」
ローリアンの感情が爆発し、ハルに掴みかかろうとする。
ハルは身を翻すが、ローリアンにローブの端を掴まれ、フードが開き、ハルの長くて綺麗な髪が薄暗い部屋に舞った。
「ローリアン、落ち着きなさい」
「アナタにはもう何百回と言っているでしょ! 私の事はローリアン様とお呼び! この下民風情が!!!」
ローリアンは怒りに任せてハルの顔を叩こうとするが、ハルに腕を掴まれて阻み、それを成すことはできない。
ハルも細腕だがローリアンよりは腕力がある。
伊達に魔道具職人をやっている訳ではない。
ハルは見た目以上に筋力もあり、怒って癇癪を起こしているローリアンを抑えつけることなど大した苦労ではなかった。
「まったく、気の短い貴族様だわね。尊き者は心にもっとゆとりを持つべきだとは思わない?」
ハルは嫌味を言い返す。
ローリアンは単純な力でハルに敵わない事を知り、忌々しく細い眉を曲げた。
そんなローリアンをハルは突き放し、そして、互いに距離をとる。
「ハル、すべてアナタが悪いのよ! アナタが何もしなければ、私はこれほどに苦労しなかったわ!」
「何もかも私が悪いと言う訳ね。でも安心して、私はアクトの事を何とも思っていないから」
自分は不干渉を主張するハルだったが、それを簡単に信用するローリアンではない。
「信じられるものですか!『アクトまたね』『ああ、また明日、楽しみにしてるよ、ハル』ってやりとりをする貴方達が普通の関係とは思えない!傍から見て恋人同士よ!」
「それは絶対に違う! 私はアクトの事を好きでも何でもないから」
アクトの事を激しく否定するハル。
「何でもない!? ではどういう関係なのかしら!?」
「ええ、何でもない関係よ。・・・そうね、例えるなら・・・」
「例えるなら?」
「例えるなら、同じ研究を目指す『パートナー』と言った事かしら」
ここでハルは単語の選択を誤った。
ハルは同じ仕事をする同僚の意味で言葉として『パートナー』という単語を使ったつもりだったが、エストリア帝国で『パートナー』は自分の伴侶、つまり、結婚相手もしくはその候補、を示す意味が強い単語だった。
「パ、パートナーですってぇ!! アナタ、気は確か? アクト様と結婚するつもり!?」
ローリアンはハルからの突然の『パートナー』宣言に驚き、自分が揶揄われているのか?と勘違いする。
「あ!間違った。単語を間違えたわ。『同志』よ『同志』。同じ研究を目指す『同志』よ」
「何を言い直しているつもりの? バカじゃない!? 私は聞いたわよ、貴方の本心を。もう許せないわ!」
ハルは慌てて否定するが、ローリアンは既に真赤な顔を晒して激昂していた。
何やら聞きなれない呪文を素早く唱えるローリアン。
直後、ハルは自分の足元に迫る魔力の気配を感じて、反射的に後ろへ大きく飛び退く。
そうすると数舜前まで自分のいた足元から床を突き破って、おぞましい巨大なムカデが姿を現したのだ。
「!!!」
二メートルぐらいの高さに立ち上がったそのムカデは、ハルに向かって口を開けた。
嫌な予感がしたハルは咄嗟に魔法の障壁を展開したが、それと同時にムカデの口から白色の粘液が勢い良く吐き出された。
「な!」
その白い液体はハルの展開した障壁をまるで何もなかったように簡単に素通りし、ハルの腕にかかってしまう。
酸味を帯びた鼻を刺すような臭いとともに、全身に火傷のような強烈な刺激を受けて、ハルは一瞬のうちに苦痛を感じた。
ハルは慌てて自分の腕を見ると、そこには白い煙を上げながら肉が酸に焼かれてドロドロと解け落ちる光景を目にする。
強烈な痛覚と恐怖が自身の心の中で膨れ上がったが・・・その一方で、心のどこかに違和感があった。
(おかしい。何かが違う。これは・・・・・・・現実ではない)
その違和感がハルの心に冷静さを取り戻す切掛けになる。
(私の施術した障壁は相手の魔法だけではなく物理的な攻撃も跳ね返す二重防壁だった・・・どちらかと言うと物理的な攻撃に近いあの消化液を防げないなんて・・・ありえない)
ハルの心がそう思えば、途端に彼女の視野は広がり、心に霞かった幻惑の霧が晴れる。
火傷の痛みは既に無く、腕や身体を確認すると溶かされたような形跡は残っていない。
そして、目の前の巨大ムカデは消えてなくなっていた。
残されたのは、鼻腔をツンと刺激する甲高い匂いが充満したローリアンの研究室であり、これは数刻前の部屋の光景と変化がなかった。
「あらあら。貴方は意外と私の幻惑魔法から立ち直りが早いのね。もっと泣き叫んだで、許しを請うような姿を見たかったのだけど・・・残念だわ」
背後からのローリアンの声に驚き、ハルは慌てて飛び退いた。
「幻惑系の魔法!」
ハルは彼女が自分にしかけた魔法の正体をようやく看破した。
「うふふ、大正解。素敵な夢は見られたかしら?」
そこには十九歳の女性がとても見せてはいけないような邪悪な表情のローリアンがいた。
既に貴族令嬢という高貴な顔は無く、不気味な魔女の顔であり、ハルはもしかしたら彼女の幻惑魔法がまだ続いているのではないかと思うほどに不気味で妖艶だった。
そんな自分を見るハルの姿に、どこかで満足したかのか、ローリアンはゆっくりと妖しく微笑んだ。
「我々、トリスタ家はね、幻術魔法に秀でた一族なのよ。あまり公にはなっていないけど、我が一族の持つこの力は、帝国の裏の仕事もいろいろと任されていてね。ウフフフ」
トリスタ家は帝国の中でも上流階級に属す貴族であり、とりわけ内務省と関係の深い貴族である。
表の世界では全うな上流貴族として生きているが、ローリアンが言うように裏の仕事が本業であり、幻惑魔法に秀でたトリスタ家は、国家や帝室に反逆を企てる人物を調査したり尋問したりすることを生業としていた。
「私はね。このトリスタ家の中でも、近年稀にみる才能を持って生まれてきた天才と言われているわ。簡単な幻術ならば無詠唱で施術することもできるし、実戦向けの複雑な幻術だって、二、三の短い呪文を唱えるだけでできてしまう天才なのよ」
ローリアンは邪悪な笑みを浮かべて、ハルの周りをゆっくりと歩き回る。
その姿は妙にどうに入っており、ハルはこのとき、ローリアンの持つ不気味さは単なる演技によるものだけではないと思った。
それを感じたのかどうかは解らないが、ローリアンは自分の持つ業とも言える身の上話しをはじめる。
「ハルさん、貴方は人を殺したことがある?」
「・・・」
ハルは何も答えることができなかったが、初めから相手の応答をあまり期待していなかったローリアンは、それをフッと笑う。
「私は・・・あるわ」
この世界の常識では、ハルがかつて所属していた世界ほど人殺しを禁忌としない風潮もあったが、それでも人が人を殺すという行為は簡単にできるものではない。
勿論、ハルも―――ほぼ人を殺す行為に近い一歩手前まではやっていたが―――人を殺した経験は無いし、例え正当な理由で殺しを行っていたとしても、今のローリアンのように他人に軽々しく暴露する事では無いだろう。
「あれは、私が中等学校の時、私に付き合うよう迫って来たつまらない下級の貴族の男。顔だけは良かったけど、所詮は下賤な男だったわ。私の身体と家督だけが目的だった、詰らない男。自分の目的が私にバレると、あの男は既成事実を作るため、私を手籠めにしようと迫ってきたの」
ローリアンは遠い過去の自分を見るように、空虚な空間に視線を移した。
「その男に、私は拒絶の意思表示と少しキツイ警告のつもりで幻術魔法を使ってあげたのよ。だけど・・・その男の心は私が思っていたよりも弱かった。ウフフフ。心が簡単に壊れてしまったわ。フフフフ」
ローリアンは笑う。
その姿は妖艶であり、見る人によっては淫靡な魔女のように映ったのかも知れない。
「幻術魔法で人を呪い殺した?」
「ええ、そうよ。あの男は意味不明なうめき声を上げて発狂し、最期は校舎から飛び降りて自殺したわ。その時に、人間とは呆気ないほど簡単に死ぬねと思ったものだわ。ウフフフ」
「・・・」
「どう? 私を恐ろしい女だと思ったかしら? 当然よね。屑とは言え同級生だった男を簡単に呪い殺す女。しかも、あの男は昼下がりの生徒が多数いる場所で、校舎から飛び下りて自殺、という派手な死に方をしたの。私の噂はすぐに学校内で広まったわ。結局、不慮の事故ということになり、私に罪を問われることは無かったのだけれども、それまで仲良くしていた人達は、その時を境に私から距離をとりはじめた・・・。そして、私は孤独になった」
ローリアンは何かを悔しがるようにグッと拳を握る。
「何故? どうして? 私は悪い事を何もしていないのに・・・悪いのは下賤で下級貴族な男の方なのに・・・そう自問自答しても、答えは見つからなかった。とても、とても辛い日々が続いた」
まるで自分が悲劇のヒロインを演じているかの如く、胸に手をやり、苦悶の表情をするローリアン・・・
「でもね。それに救いの手を差し伸べてくれる人がいたの・・・それがエリザベス様よ。あの方との出会いは偶然だったのだけれども、今思えば必然な出会いだったわ。そして、迷いの淵にいた私を救ってくれたのもあの方。私の行為を『とても勇敢な行為』と褒めてくれたし、私の魔法の才能を、いや、私の存在を全て認めてくれたわ。あの瞬間に、私はエリザベス様と供に生きて行こうと決めたの。そして、エリザベス様がこの学園に入学されることを知り、私も同じく入学を決意したのよ」
ローリアンの顔は朱に染まっており、自分の言葉で高揚しているのがハルにも解った。
「私はエリザベス様の忠実なる僕よ。あの方が困る事と、私はとても悲しくなる。解っているの?ハル。貴方が今どういう立場なのかを?私はエリザベス様を悲しませる存在を決して許してはおけないわ。それこそ、貴方を殺すかもしれない」
ローリアンは凄んで、首を指で切るような仕草をハルに見せる。
完全な脅しであり、そこらにいる女性ならば、ローリアンのこの姿を見て、おおいに恐れた事だろう。
しかし、ハルの心は完全に冷めていた。
ハルは暇ではない。
こんな自分に酔っている女性に正面から構うのが、既にアホらしくなっていたのだ。
「ローリアンさん・・・貴方達はとても勘違いしている事がひとつあります」
この場で少し的外れな言葉がハルの口から出たことで、ローリアンの上気していた気分が不意に削がれた。
「勘違いですって?」
「そう。ローリアンさん達は、私がアクトさんのことを狙っているようにお考えのようですが、私はアクトさんの事を本当に何とも思っていません。アクトさんがエリザベスさんと付き合うなら結構。喜んで祝福します。彼は魔道具を作る同志以外の関係ではありません」
あっけらかんと、そう断言するハル。
「貴方はアクト様の事を好きではないと?」
「ええ。少し前までは私の中でアクトさんは『失礼な人』と思っていました。どちらかと言うと嫌いだった人です。今はお互いの誤解も解けたので・・・ただの男子学生です。彼は頭が良く、魔道具作製の助手ぐらいはできそうだと多少加点して・・・今のところは『普通の友達』程度の関係です。という訳ですので、私達に恋愛感情は全くありません。ビジネスライクな関係ですから、ご心配しなくても全く大丈夫です」
ハルの言葉は、いつもと違って敬語調に変化しており、少しうさん臭さを感じさせた。
「貴方の言葉は信用できませんけど・・・まぁいいですわ。今日は私からの警告という意味では十分に役目を果たすことはできました。しかし、これ以上貴方がアクト様とエリザベス様の間に入ると、本当にどうなっても知れませんよ」
ローリアンはハルの言葉をそのとおりに信じるつもりはなかったが、これ以上追及すると、自分も脅しでは済まなくなるため、ローリアンはひとまず矛を収める事にしたのだ。
彼女も自分の引き際ぐらいは計算できる女だと思っている。
「では、もう行っていいですわ。私もこんな事に時間をかけられるほど暇ではないのです」
ローリアンはそう言うと、ハルを一方的に部屋から追い出し、自分もエリザベス達が既に移動している警備隊の修練場へ向かうことにする。
先刻行われた人工精霊の攻略授業で大量に魔力を使い、そして、この後に行われる修練場では体力を酷使しなければない事に嘆きを覚え、ローリアンの足取りは重かったが・・・
自分でもストレスが溜まっている事を自覚するローリアンだったが、この溜まった鬱憤は、時々ハルに嫌がらせする事で晴らしてやろうと考える。
ハルに嫌がらせをする事は、自分にもエリザベス様にも利益ある行為なのだ、と、己の信念を全く疑わないローリアンであった。