第七話 ハルの講演
警備隊第二部隊の訓練に参加する事を許されたアクト達は、早速その日から訓練に参加する。
基礎体力向上が中心の訓練内容だったが、本職である警備隊の訓練内容は厳しく、また、効率的だった。
アクトやインディにとって高等学校の授業で行うよりも得られるものが多く、短い時間で確実に体力向上につながる、と確信できる内容だ。
それに対して、エリザベスやローリアンは元々体力が無い事もあったが、それに加えて強引な交渉をしたツケがここに回ってきて、厳しい訓練内容にヒイヒイ言う事になる。
彼女達は女性であるため、訓練の指導官も女性が選ばれたのだが、この指導官は性別だけが女性と言った方が早いような筋骨隆々の生え抜き隊員だった。
フィーロ副長から「くれぐれも」と言われた女性指導官はその期待に応えるべく特別なメニューを用意して彼女達をしごき回す。
内容はかなりハードであり、直ぐに根をあげるだろうと思っていた女性指導官だが、彼女の予想に反してエリザベスは意外な頑張りを見せた。
これがアクトを想う愛の力だろうか、それとも根が真面目なエリザベスだったからこそ続けられたのか、真意は定かではないが、一緒に参加させられていたローリアンには堪ったものではない。
彼女は人一倍ヒイヒイと言いながら訓練に参加していたが、その姿をフィーロ副長が薄笑いで見ることに気付くと、彼に、二、三言、何かを言い、再び訓練に戻る。
そして、またヒイヒイ言うを繰り返していた。
ローリアンは本気でこの訓練参加を勘弁して欲しいと思うが、実はこの訓練のお陰で彼女が密かに気にしていた体重が改善し、少なからずの利益を得られていたのはご愛敬と言えよう。
そんな頑張りを見せていた女性陣であったが、この努力は長く続かず、三日後には根をあげてしまう。
自分の鍛錬に集中したいと考えていたアクトはこれを機に彼女たちの訓練参加を諦めて欲しいと思うが、アクトとのつながりを続けたいエリザベスの懇願により彼女達は一週間に一度だけ参加する事が最終的にまとまった。
これを聞いたフィーロ副長が、もう少し訓練内容を厳しくするよう女性指導官に指示したのは言うまでも無い。
そんなこんなでアクト達の夕暮れは過ぎていく。
訓練後にエリザベス達はアクトを食事に誘おうとするが、アクトは高等騎士学校寮の食堂で食べるので、と断られてしまう。
エリザベスは非常に残念に思うも、明日の昼にはアクトと楽しい食事ができると思い、今晩は我慢するのであった。
人工精霊との模擬戦闘授業に加えて警備隊での過酷な訓練を行い、体力的にも魔力的にも消耗しきったエリザベスとローリアン。
ふたりはアクト達と別れて、アストロ魔法女学院に戻り、手早く食事を済ませると、寝室に直行し、ぐったりと寝てしまうのであった・・・
次の日、午前中の交流授業が終わる。
「さあ、アクト様、お昼に行きましょうよ」
アクトの手を取り、昨日よりも少し大胆に誘うエリザベス。
しかし、アクトはエリザベスの誘いには乗らなかった。
「エリザベスさん、申し訳ない。午後の授業の準備があるので、打ち合わせも兼ねてお昼はハルと食べることにします」
「は?」
一瞬、アクトが何を言っているのか理解できないエリザベス。
彼女は振り返ってハルの顔を見るが、ハルはいつもと同じように全ての事に興味無さそうな顔をしている。
しかし、今日に限っては、必死にアクトを誘おうとしているエリザベスを、心の中であざ笑っている姿のようにも見えた。
彼女の嫉妬がそう見させているのだ。
エリザベスは渦巻く黒い感情を貴族の精神力で一旦は飲み込み、それでもとアクトに訴えかける。
「そんな! アクト様。せめて、私達と楽しい食事をとった後に、ハルさんのところへ行かれてはいかがですか? ここの食堂の味はなかなかのものでしょ」
「いや。自分の食べる分は用意してきたし、ハルやエリーと食べながら準備を進めないと・・・計画された授業の時間範囲内に達成できるような簡単な課題じゃないって、昨日解ったんだ」
そう言いエリザベスに取られた自分の腕を優しく振り解くアクト。
「悪いけど、ハルの所に行ってくる」
そう言い、先に教室を出たハルの後を追うアクト。
この場に残されたエリザベスは表面上務めて無表情を貫いたが、その瞳の奥には嫉妬の炎が燃えていた。
(「ハル」ですって!)
エリザベスは昨日から気になっていたが・・・自分ですら「様」付けで呼んでいるのに、彼らはもう「ハル」「アクト」と呼び合っているではないか!
ふたりの関係に疑念を抱かずにいれない。
自分の事を出し抜いてハルはアクトのことを手籠めにするのではないか?
釘を刺さしておかねば・・・
そんなエリザベスの気持ちを察したように、ローリアンが何かを納得するように頷いて見せた。
よし、狐を追う役はローリアンに任せよう。
自分は罠を敷いて待つ事にする。
エリザベスに次々と黒い考えが浮かぶが、彼女はそれを努めて顔には出さず、他の男子生徒達と何気ない会話をする。
(ハル、覚悟しなさい。私からアクト様を奪う事は絶対に許さないわ)
そう思いながら、学院の女王の昼下がりは過ぎていくのだった。
一方、こちらはハルの研究室。
アクト、ハル、エリーの三人が一同に介しての昼食である。
本日のメニューはポークソテーとサラダ、コーンクリームスープ、パンだった。
本来なら、それなり手のかかる料理なのだが、一番手のかかるスープはハル特性の缶詰を利用する事で大幅な時間短縮を行い、手際よく調理が進む。
ポークソテーのソースにはアクトやエリーも知らない珍しいスパイスが使われており、豚肉のおいしさを十分に引き出した逸品で、柔らかいパンとの相性もよい。
研究室には食欲をそそる匂いが充満し、ハルが即席で作ったとは思えない料理は、実は学院の食堂よりも美味かったりする。
ハルから「食べましょう」という言葉を合図に、アクトとエリーは一心不乱に食事を開始した。
急いで食べたアクトはハルの予想どおり喉を詰まらせ、あらかじめ準備していた水をがぶ飲みする。
その様子をなぜか嬉しく眺めるハル。
そして、味を絶賛するエリーと、和やかな昼食の時間はあっという間に過ぎていく。
アクトはエリザベスに「研究のため…」と言っていたが、それは半分以上が嘘であり、この食事にありつきたいというのが彼の本心であった。
自分でも思っていた以上に食いしん坊だった事に気付くアクトであったりする。
そして、今、彼等は食後のお茶を飲みながら、アクトの持ってきた茶菓子を摘み、全員で打合せと言う名の歓談をしていた。
初め、アクトはハルのことを、勝気で刺々しい娘だと思っていたが、こうして話してみると、彼女は理知的であり、それでいて普通に冗談も話せる柔軟な思考を持つ女性だと解った。
随分と穏やかな関係になったものだと思い、アクトはここでずっと気になっていた事を聞くことにした。
「ハル、ちょっといいかな?」
「何かしら?」
「ハルは人工精霊を攻撃できただろ?あれっていったいどんな方法を使ったのかな?と思っていたんだ。もし、良ければ、教えてもらえないだろうか?」
ハルはどうしようか・・・と迷う。
「あっ、いや。もし、駄目ならば別にいいんだけどさぁ・・・」
彼女が言い難そうにしていたのを素早く察知したアクトは、無理ならば強要しないと告げる。
ハルは迷った。
ハルは正直、この世界の人間に自分の知識をあまり広めたくない思いもあったが・・・今回の魔道具の研究を進める上で、アクトには多少なりとも科学の事を解って貰う必要もあった。
このことを知るタイミングが早くなるか、遅くなるかの違いだし、秘密に徹しても不信感を持たれるだけかも知れない。
ハルはしばらく悩んでいだが、意を決し、からくりを話すことにした。
「まぁいいわ。少しだけならね。アクトは人工精霊を倒した同志だし、エリーもこれから同じ研究をする同志になる訳だし・・・ただし、今からする話しは他人には内緒にしてくれると嬉しいかな」
ハルの言葉に当然だと頷くエリー。
「アクト、質問の確認だけと。魔法の効かない人工精霊に、私がどうやって攻撃を成功させたのか?を知りたい訳ね」
「そうだ。魔法を全て跳ね返す障壁をどうやってハルが対処できたのか?それがずっと気になっていたんだ」
アクトは好奇心だけでその事を聞きたい訳ではない。
アクト自身が魔力抵抗体質という魔法に対して無敵の防壁を持っている。
細かい性質は違うかもしれないが、魔法を防御するという観点から見れば、自分の体質はあの人工精霊と同じとも言えよう。
それを、いとも簡単に対処したハルに興味を持ったのだ。
彼女は、相手の弱点をすぐに見つけて、これに対処できていた。
そんな彼女の知識と思考を知ることで、自分のライバルである白魔女を攻略する上でも、何かのヒントが得られるような気がしたのだ。
ハルはアクトに、どこから答えればいいのかを少し迷い・・・やがて考えをまとめると、魔法を使ったハルの小講義が始まった。
「人工精霊と呼ばれる魔法疑似生命体は、確かこんな恰好をしていたわね」
ハルはそう言うと、魔法でテーブルの上に指で習い、人工精霊が画像として浮かび上がった。
光の魔法による効果だったのだが、無詠唱でそれを行うハルの技能の高さに舌を巻くアクトとエリー。
ハルはとても簡単に魔法を行使しているが、自分の見た記憶を投影する光の魔法と、これを無詠唱で実施する技術は、一介の高等学校の生徒が簡単にできるものではない。
そんなアクトとエリーの感心を全く気にする事なく、ハルの小講義は進む。
「アクトはこの人工精霊を観察していて気付いたところはあった?」
ハルに問いかけにアクトは当時の状況を思い出す。
「えっと・・・僕は直感的にしか解らなかったけど。人工精霊はあらゆる魔法の攻撃を跳ね返して、物理的な攻撃も効かなかった」
「そうね。まず魔法については間接的・直接的な攻撃を問わず全ての魔法を跳ね返していたわ」
ハルは光の玉を発現させ、これを魔法の攻撃に見立てて人工精霊のミニチュアにぶつける。
光球が人工精霊に当たった瞬間、身体の表面が光り、魔法が来た方向に光球を跳ね返す。
アクトはこの描写が当時を上手く再現していると思った。
「あのときの私の分析によると、人工精霊の表面には多層の魔法防壁が展開されていたわ」
そう言うと人工精霊の表面が拡大され、その断面をさらに注目するように映し出す。
人工精霊の表面は多数の壁が存在しており、これに魔法が当ると、その種類に応じて断面が光り、魔法を吸収する仕組みを映していた。
「防護壁が多層になっているのは、それぞれの層が特定の魔法属性吸収に特化した構造になっているためでしょうね。全ての属性を吸収する魔法防壁はまだ開発されてないのが理由だと思う。そして、吸収した魔法は人工精霊の核にいったん伝達して、そこで、魔法の種類と攻撃してきた人や方向などを解析していたわ」
魔法吸収した魔法防壁層から白い紐のようなもの経由して、行使された魔法が人工精霊の胸の部分にある白い核へと流れる様子が映し出される。
「人工精霊の中ではそんな事をしていたのか。全く気付かなかった」
アクトは人工精霊の匠さにも驚いたが、それを看破したハルの分析力にも感心する。
「ええ。ひとつひとつの魔法防壁層で解析と反射を持たせることも技術的に可能かも知れないけど、中央で集中して処理した方が効率的なのでしょうね」
様々な情報を核が受け取り、それをひとつひとつ処理して、その結果を白い光として放つ核の様子を映し出す。
そして、この白い光は核から延びる紐のようなものを経由して人工精霊表面の一番下層に伝わっていた。
「核から人工精霊表面の最下段の層に魔力が伝わって、この層から魔法を発動させて反撃していたわ。吸収は多層で行い、放出は一層の構造だったけど、これは効率とコストを両立させたかったのね」
一番下の層から、いろんな色の光の魔法が放出されていて、これが多種類の魔法を放出できることを映像で表現していた。
「最後にこの一番上の層は物理的な接触を感知して、その力をいろんな方向に散乱させる魔法が付与されていた。剣と打撃がすり抜けたような錯覚を起こしたり、弾かれたりしたのはここの働きによるわ」
剣に見立てた光の棒を人工精霊の表面に当てると、その表面に接した瞬間、光の棒がいろんな方向に反射して人工精霊の内部に全く届かない映像を作る。
「そんな高度なことができるなんて・・・でも、そうなると人工精霊の存在って完璧じゃないですか。どうやって攻略したらいいか全然思いつかないですぅ」
人工精霊の実物を見たことの無いエリーだったが、その事実をハルの映像より理解して、唸り声を上げた。
「エリー。これは人が作ったものよ。完璧なんてありえない。倒す方法もいくつか考えられるけど・・・自分でこれに挑戦するときは、私以外の方法で対処してね」
ハルから宿題を出された形だったが、エリーも可愛く舌を出して愛想笑でこれを躱した。
そんな、お茶目なエリーを尻目に、アクトは『その方法』を早く知りたいと思う。
「それでハルはどうやってこの難儀な物に魔法攻撃を与える事ができたんだ?そこが一番の本題なんだよなぁ」
「私の攻撃は、半分は魔法であって、半分は魔法じゃない・・・それが正解よ」
「魔法じゃないって、何?」
ハルの問答のような答えに理解できないアクト。
「そう。ただ、これをどう説明したらいいかが、私の悩みどころなんだけど・・・」
少し肩を竦めるハル。
彼らが理解してくれるかどうか解らなかったが、それでもハルは説明を試みることにした。
「説明したように、人工精霊の魔法防御はほぼ完璧。物理的攻撃もほぼ通じないとすると、これを突破する攻撃はこのふたつとは違う別の攻撃方法しかないと思ったわ」
「別の攻撃方法・・・」
「ええ。今となっては、他にもいろいろ方法が考えられるけど、あの時に私が行ったのは魔法以外の方法で雷を人工精霊に浴びせるのが、最も手早いと思ったの」
「あの電の攻撃って、魔法で作ったものじゃなかったのか?」
「正確には半分魔法であり半分魔法じゃないよ」
ハルの言いたいことが理解できないアクトだが、とりあえずハルに説明を促す。
「端的に結論を言うと、『自然の雷』と同じ方法で電を作り出したの。尤も、雷を発生させる切掛けに魔法を利用したけど・・・。その後の作用については自然の落雷現象とほぼ同じ。人工精霊から見ると本物の雷に撃たれたのと違わないでしょうね。私の本当の狙いは核への直接攻撃だったけど、少し威力が足らなくて核につながる情報伝達系統を沈黙させただけで終わったわ。その後、アクトが素早く仕留めてくれたので助かったけどね」
ニコッと微笑むハルにアクトは照れ臭くなる。
あの時、アクトの『魔力殴り』によるフォローがあったから収拾できたのだが、もし人工精霊が生きていたらどんな反撃があったかも解らなかった。
ハルには次の手もあったが、これ以上の行動はあまり人前で見られたくないは魔法だったので、アクトのフォローがあって助かったのだ。
しかし、アクトはハルの説明に自分の理解が追い付かず、さらに質問を投げかける。
「『自然の雷』と『魔法の雷』って違いがあるのか?」
「全然違いますよ」
アクトは疑問に答えたのは意外にもエリーだった。
「アクト先輩。まず威力からして全然違うんです。雷だけじゃなく風や火とか他の属性を見ても自然の力に魔法は敵いません」
「エリー正解ね。アクト、魔法で雷や炎を起こすとき、魔力を捧げている瞬間しかその現象を持続する事ができないのは知っているわよね?」
「そりゃ当たり前だろ。魔力を切ってもずっと燃え続ける炎なんて聞いた事ないぞ」
「でも自然の炎は違うわ。火種を与えて、条件さえ整えば、ずっと燃え続ける事もできる」
そう言うと研究室に併設された簡易キッチンから昼食に使った野菜の切端を持ってくるハル。
「炎を例に説明した方が解りやすいわね」
ハルはそう言うと、空中に小さな炎の玉を魔法で発現させた。
「ここで現れた火の玉も魔法でつくられたもの。火には熱があって、こうして肉や野菜を焼くことができる」
フォークに刺した野菜は魔法の炎の熱によって焼かれていく。
「そして、魔力を絶つと炎は消える。そこには炎が存在していた証拠として焼かれたものだけが残る」
焼かれて多少焦げた野菜を皆に見せるハル。
「そして、次は自然の炎ね。このロウソクに火をつけるわ」
燭台に残っていたロウソクに火をつけると小さな炎が灯り、ゆらゆらと燃え始めた。
「このロウソクの炎も魔法の炎と同じように光や熱があって、野菜を焼くことができるわ」
そう言って先ほどの野菜を火にかざすと野菜が熱せられて焦げが進行した。
「同じように見える自然の炎と魔法の炎だけど、決定的に違う事がひとつあるの。解る?」
「解るって・・・自然の炎はロウソクのように燃え続けるための材料が必要じゃないか。魔法はそれが無くてもできるけど・・・」
アクトは当然のように答える。
「ええ。学校の試験ならばそれで正解ね」
ハルはアクトの答えを認めつつも話しを進める。
「しかし、真実は半分正解ってところかしら。いい?見てて」
そう言うと、少し難しい魔法を行使するため、ハルにしては珍しく魔法の呪文を唱えた。
何の魔法か解らないが、ハルの魔法は直ぐに発動し、ロウソクの炎の周辺に影響を及ぼす。
そうして、魔法が完成した瞬間、それまで小さかったロウソクの炎が考えられないぐらいの大きさになった。
「きゃっ」
その爆発的と言ってもよい燃焼のため、エリーが驚く。
大きくなった炎は一瞬でロウソクの燃料たる蝋を使い果たしてしまい、やがて消えてしまう。
部屋にはロウソクが焼けた匂いだけが残り、今は平穏に戻る。
「今は魔法を使ったけど、炎の魔法を使った訳じゃなく、別の方法を行ったのよ」
「別の方法とは?」
「答えを教える前に、そもそもアクトは、自然の炎ってどうやって発生しているのか解るかしら?」
「それは小さな炎で火の精霊を召喚して、その精霊がロウソクとかの燃料を食べる事で踊り出すから発熱・発光するんだろ。初等学校生で習う事じゃないか」
何を当然な事を聞いているのか、と思うアクトだったが、これにハルは否定を述べる。
「学校の授業ではそう習うけど、自然の理はそれと全く違うのよ」
普通の人から同じようなことを言われれば、それは戯言だと思うアクトとエリーだったが、ハルがそんな事を言うようにも思えず、ハルの話しの続きに聞き入った。
「自然の炎、いえ、燃焼と言うべき現象は、燃える材料の『燃料』と言われる物質、燃えるのを助ける気体である『酸素』という物質、そして、燃焼を開始・持続させるための『エネルギー』・・・ロウソクの場合は初めに与える小さな火種がこれに該当するわね。この三つの要素が揃って、初めて『燃焼』と呼ばれる熱と光を発する現象が起きるの。そして、燃料を燃やすのを助ける『酸素』気体の量が増えると、燃焼によって発生する光や熱の量も増える。今、私が使ったのはこの『酸素』を増やす魔法だったのよ」
「なんか・・・荒唐無稽な話しだと思うけど・・・」
アクトはどう信じてよいものかと困惑するが、それでも、あのハルが言っているのだ・・・ただの戯言とは思えなかった。
そんなアクト達にハルは言葉を続ける。
「私の言っている事を信じられなくても構わないし、これが理解できなくてもそれは仕方ないと思っている」
ハルが知っているこの常識は、この世界においては非常識な事なのだ。
「でも、信じる、信じないに関わらず、自然がそういう仕組みになっているのは事実よ。その証拠が先ほどの「燃焼を助ける気体」を増やす実験の結果であるし、逆にその気体を絶つとこうなるわ」
そう言って別のロウソクに火をつけ、ガラスの便で蓋をする。
そうするとしばらく燃えていた炎は小さくなり、やがて消えてしまう。
「これは炎が『燃焼を助ける気体』を使い果たしたため、燃焼が継続できずに炎が消えてしまったの。まだ燃料であるロウソクが残っているのにも関わらずにね」
ハルの実演を見たアクトは靜な衝撃を受けていた。
もし、これを自分の知らない人間が街角で行っているのを見たのであれば、アクトは絶対に信じなかったが、この期に及んでハルが自分を騙す嘘をついているとは思えないし、学校で習った学問は、重要なところは全て『精霊が・・・』『神が・・・』と言って誤魔化しているようなもの。
これに対して、彼女から説明を受けた学説は、全ての理屈が繋がっている、と思ったからだ。
「今まで聞いた事もない考え方で、とても信じられないけど・・・ハルの言う事なら信じてみたいと思った」
「アクト。信じようとしてくれて、ありがとう。おかげでこの先の話が進め易くなったわ」
とりあえず、アクトからの信頼は得られたと認識したハルは顔が綻ぶ。
別に信じてくれなくても無理はないと思っていたが、自分の思想に賛同してくれたのは、嬉しいものがあった。
「炎の魔法はこの自然現象を全く無視して、強引に『炎』だけを魔素から作り出した現象なの」
ハルは魔法を使って、先程の瓶で覆って炎が消えたロウソクに再び火をつける。
魔法で火を灯したロウソクは何事も無かったように密閉した瓶の中で燃え続ける。
「この時のエネルギー元は魔素を炎にするための魔力であり、魔力を絶つと炎も消える」
ハルが魔力を遮断すると途端にロウソクの火が消える。
「魔法は自然の理を無視して『炎』という現象のみを発現できるメリットはあるけど、そもそも自然を無視しているので強い魔力でないと強い炎は生まれないし、魔力を流し続けないと持続もできないのよ」
若干十九歳のハルによる実に解りやすい魔法と科学の小講義であった。
しかし、相手は科学と言う知識を持たない世界の住人であり、ハルの言っている事を完全に理解する事はできていない。
それでも、アクトはハルが言わんとしている事を何となく感覚で解り始めており、自分の中で何らかの歯車がかみ合う感じがしていた。
それを知ってか、知らずか、ハルの小講義を続く。
「このように自然の理と魔法の関係は、炎だけじゃなく、ほぼすべての現象に存在していて、雷にも同じような事が言えるのだけど、これは炎よりも少し難しい話しになるので今回は簡単に話しましょう」
「自然の雷と言うのは『放電』と呼ばれる現象であり、その『放電』と言うのは『電気』が空中を流れる事を示しているわ」
「『電気』?」
「そうよ、アクト。冬の寒いときに金属に触るとパチッと来るでしょ。あれも『電気』の一種よ」
アクトは冬の寒いとき、剣に触る瞬間、電撃を味わった事を思い出す。
「あれが『電気』・・・僕は魔力抵抗体質者なのに、どうして『雷精霊の悪戯』を貰うのか不思議だったけど、ハルの言うようにあれが魔力を伴わない自然な現象だとすると・・・納得できる」
「そうね。『雷精霊の悪戯』とも呼ばれていたわね。でもそれは間違いで『静電気の帯電』と『静電気の放電』と呼ばれる自然現象だわ。アクトが『雷精霊の悪戯』を貰った時は、冬の寒くて乾燥した日で、毛皮かそれに近いものを着ていたと思うけど、違う?」
「そうだ! 今、思い出していたけど、正にそのとおりだ。よく解ったね?」
「静電気が帯電するのは大体そんな状況だから解ったのよ。毛皮の他にもいろいろあるけど、一般的に物と物が擦れると電気という物が生み出されるわ。この電気は純粋なエネルギーで、常に電位の高い所から低い所へ流れようとする・・・っと、これは難しい話しだったわね」
アクトやエリーが話について来ていないのを感じて、解説を修正する。
「簡単に置き換えると、『電気』は水の流れに似ている。擦って生まれた小さな電気を小さな雨粒とすると、小さな雨粒が集まって池になる。水は絶えず低い所を目指すけれど、流れ出す川がないと、そこにずっと溜まって池がどんどん大きくなって行く。そして、ある量以上の水が溜まって池の端の一部が決壊すると、そこから一気に水が流れ出すでしょ。それが『放電』と言われる現象なの。アクトの場合はこの『決壊する』に相当するのが『金属に触る』行為よ。電気には流れやすい物質と、流れ難い物質があり、金属は他の物に比べて電気を流しやすい。そして、電気が最後に流れる先は地面になるので、アクトの身体に溜まった電気が金属を通じて地面に流れる。指が金属に接触するのを待ち切れなかった電気が空中を流れる時があって、それが『放電』と呼ばれるパチって訳なのよ」
ハルの話は先程の炎の話と同じく、アクトには複雑で信じ難い理屈だった。
それでもアクトはハルに自分の率直な感想を述べる。
「とても信じ難い話で、普通の人ならばまず信じないと言うけど・・・僕はハルの言う事を信じたいと思う。何故ならばハルの説を考えれば考えるほど話しが合うんだ。知ってのとおり僕は魔力抵抗体質なので、魔法で直接身体が傷付けられる事はない。それなのに何故『雷精霊の悪戯』を貰うのだろう?と不思議に思っていたけど、これが自然現象だったのならば納得がいくよ」
アクトが納得を示したことにエリーも同意する。
「エリーも信じます。だって、ハルお姉さまの作る魔道具は、今までの魔法理論じゃあ説明できないものばかりだもの。いろいろ疑問に思っていたけど、今教えてもらった自然の力を利用しているんじゃないか?と思いはじめています」
「ふたりとも私の事を信頼してくれてありがとう。この知識は、物事の理を理解するとして、『物理』とか『自然科学』とか単純に『科学』とも呼ばれる学問だわ。エリーの予想どおり、私の作る魔道具は魔法理論と科学理論の融合というのは正解よ」
短時間でここまで信頼を得られたのはハルの予想外だったが、アクトやエリーという人物は優秀な生徒であり、既存の知識を理解した上で、それ以上の奇想天外な知識も拒絶することなく吸収できる柔軟な思考を持った才能者なのだろうと思った。
おかげで、科学に対し興味を持った同志と一緒に魔道具研究を進めることができるので、今後の仕事もやり易くなると期待できた。
「でも、この話はこの場のみにして頂戴ね。外でこんな話をすると頭のおかしい人だと思われるわよ」
フフフと口に手を当てて軽く笑うハルはそれが自分を信頼してくれた人に対しての照れ笑いが半分であった。
「ああそうだな。でもこの科学という学問を広めようとは思わないのかい?」
「私、そういうのは興味ないし、魔女裁判じゃないけど、変な人たちに目をつけられて火あぶりにされるのも御免被るわ」
「魔女裁判っていつの時代だよ」
アクトはハルの言ったことを冗談だと思い、笑った。
「まぁ少し話は逸れたけど、その『放電』をもう少し大規模にしたのが、あのとき私が人工精霊に行った攻撃の正体よ」
ハルは指を上げて少し色が付いた玉のようなものを魔法で作り出す。
「この玉は空気の周りを魔法で遮断して逃げないようにして、空気をすごい速さでかき混ぜてあげるの。実は空気って人の目に見えないほど小さな粒で構成されていて、これが互いにぶつかると、毛皮で擦れたのと同じような状態になって電気が溜まるわ」
そう言うと玉の内部が青白く光り、玉の中で稲光が縦横無尽に走るようになる。
「そして、ここでこうして少し処理をして、道筋を作ってあげて、そして壁を取り払うと」
パシーーーン
小さな雷が空中に走り、先ほどまで燃えていたロウソク入りのガラス瓶を直撃して、ロウソク諸共木っ端微塵に砕け散った。
「キャッ!」
突然の爆発に驚いたエリーの悲鳴が研究室に響くが、小さい雷だったので被害はない。
辺りには少し焦げた臭いと、ロウソクとガラスの破片が飛び散ったが、それをハルが魔法で片付けながらこう言った。
「アクト、今の解説で解った? これをもっと大規模にしたのが、あのとき人工精霊に行った攻撃の正体よ」
アクトは納得よりも大きな衝撃を受けていた。
この自分の目の前にいる女性がとても大きな力を持っている事に、今更ながら気付かされたからだ。
ハルは見た目が華奢で、折れてしまいそうな腕や足腰を持つ可憐な女性だったが、その実は無詠唱で様々な魔法を意のままに使い熟す天才的な魔女である。
魔法の一撃による威力はエリザベス達に代表される第一級の魔術師には敵わないらしいが、それを上回る多芸さと頭の良さが彼女の強みなのだろう。
ハルは多種多彩な魔法を呪文詠唱なしで瞬時に具現化できる。
その上、どうやって会得したのか解らないが、彼女は魔法の知識とは次元の異なる『科学の知識』を完全に理解しているのだ。
魔法と科学、これを上手く両立させているのがハルの力なのだ。
その力は、ハルを優秀な魔道具製作者へと昇華させていたし、先刻の人工精霊に深刻なダメージを与えたように、戦闘魔術師としても優秀な存在だと思う。
科学と魔法を組み合わせることで、威力さえも桁違いに上昇させることができ、それが大いなる可能性を持っている事は先刻証明済みの事実である。
そして、このとき、アクトの心に生じたのは、彼女の力の源になる『科学』に対する大いなる興味だった。
魔法とは違う理である『科学』と言う知識に、アクトは大なる可能性を感じていたし、魔法の使えない自分にとって『科学』が次への大きな一歩になるのではないか、と直感めいたものを感じていたのである。
人とは違うものを持つこのハルという女性。
アクトも人とは違う『魔力抵抗体質』という能力を持つ存在だ。
このときのアクトはハルに対してシンパシーのような何かを感じていた。
何だろうか・・・自分でもその真意に気付いていなかったが、この瞬間にアクトはハルという女性に対しても、今まで以上に興味を覚えることになる。
それに加えて、先ほどの電撃の矛先が自分に向かう可能性も連想してしまい・・・この子を絶対に怒らしてはいけないな、と少しだけ思ってしまうのだった。