第六話 交渉
アクトとインディ、そして、エリザベスとローリアンはアストロ魔法女学院から移動し、ラフレスタ警備隊の第二警備隊の詰所にやって来た。
そこは筋骨隆々の猛者達が集まっており、ラフレスタ支給の軽装な鎧や警備隊の制服を着ていなければ、まるで山賊の集まりなのではないかとローリアンが思える程である。
彼女としては、こんなむさ苦しい場所に来るのは不本意であったが、自分達の派閥の盟主たるエリザベスに同伴を命じられれば背くことはできない。
そして、その盟主のお目当てであるアクトは、この山賊のボス・・・ではなかった・・・警備隊の隊長と直談判中である。
「・・・と言う事でなんとかお願いします」
「駄目だ。駄目、駄目。もう何度も言っているが、お前たちの実習授業は終了しているんだ」
「それでも僕はここで鍛えたいんです」
「だから駄目だと言っているだろ。お前んところの校長まで出てきて『終了』宣言されてんだ。もし何かあったら俺達はタダじゃ済まなくなるっつーてんだ! この馬鹿タレが!!」
遂に、ロイ隊長の怒鳴り声が屋内に響き、大きくて迫力のある声にローリアンはビクッとなる。
「自分の事は自分で責任持てます。それに自分はアイツに負けっぱなしというのが納得いかない性格でして、引き下がる訳にはいかないんです!」
ロイ隊長の胆力に負けじと、アクトも大きな声で自分の意見を言い、ロイ隊長から視線を外さなかった。
両者は互いを睨んだまま、しばらく沈黙が続く。
ピリピリとした雰囲気のこの場から今すぐ逃げ出したいと思うローリアンだが、その願いは今のところ誰にも叶えられそうになかった。
この永遠に続くかと思われた睨み合いはロイ隊長が矛を収める形でひとまず決着がつく。
「ふぅ~。ホントにお前は困った奴だな・・・お前のそのこだわりはヤツから来るのだろう?」
ロイ隊長の言葉に頷くアクト。
「そうです、白魔女です。こう何度も負けてばかりじゃ、僕は悔しくて・・・」
「まあ、お前の言わんとしている事は俺も解る。俺達だって治安維持が本職の警備隊だ。 白魔女や月光の狼の連中にやられっぱなしってのは当然面白くないし、上からも怒られ放題だ。このままだと冗談抜きで全員クビになって、生きていけなくなるかも知れん」
苦虫をすり潰したような表情で唸るロイ隊長。
このときの彼の姿が、哀愁を滲み出していたのは本当に上からのお咎めが多い事を物語っていた。
ロイ隊長はもう一度深いため息をつくとアクトに結論を伝える。
「わかった。アクトよ。お前の熱意を認めて、特別に訓練への参加は認めよう」
ロイの言葉にアクトの顔を綻ばせたが、直後にロイから制約をかけられる。
「だがな、お前の参加は訓練のみだ」
「そんな・・・ロイ隊長!」
「これ以上は絶対だめだ。お前が正規の警らに参加して万が一怪我でもしてみろ。ラフレスタ高等騎士学校の校長が自らここに来て終了宣言しているのだぞ。そんな状況で不祥事でも起こしたらどうなるか解るよな!」
「ぐっ」
ロイ隊長の指摘を受け、回答に詰まるアクト。
ゲンプ校長がここに来たというのは今初めて聞いた話しだったが、この意味が解らないほど彼は馬鹿では無い。
「下手したらこの第二部隊が無くなるぞ。お前達は校長が直々にこの警備隊の詰所まで来るほど期待されている生徒なんだ。変な事で人生を棒に振るな」
「でも!」
「いいな!!」
更に食い下がろうとするアクトだが、ロイ隊長もこれ以上は譲らない態度だった。
流石にアクトもここが落とし処だと理解する。
「解りました。訓練に参加させて頂けるご厚意に感謝します」
「ああ」
アクトがこの条件で素直に応じてくれた事にロイは内心ほっとする。
しかし、ロイはついていなかった。
アクトの連れてきた客がもっと厄介な性格をしている事を全く予想しなかったからだ。
「なるほど面白い事になりますわね。我々が、アクト様の仇敵となる白魔女と月光の狼を懲らしめて差し上げようではありませんか。おほほほ」
それまで黙って聞いていたエリザベスは、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「何だ?この女。駄目だっつうてんだろ、この阿保女がっ!」
ロイ隊長は唾を飛ばして怒鳴る。
折角、アクトと折り合いがついたと言うのに、何故にこの女は蒸し返すような事をするのか、と怒りを露わにした。
「まぁ、お下品な方ですわね」
エリザベスは口に手をやって、何か汚いものを見るかのようにロイ隊長を見下した。
そして、彼女の配下たるローリアンが、まるで事前に申し合わせたようなタイミングで口を挟んだ。
「下々の者よ。ここにおられるエリザベス様をどなただと思っているのかしら。エリザベス様はあの名門貴族であられるケルト家の長女であられますのよ。本来、貴方達のような下賤な者とは、口さえ利くことが許されない高貴なお方なの。そのエリザベス様がやりたいと言われているのを聞こえたのかしら。貴方達は黙って我々の言う事を聞けばいいのです。責任は全てケルト家で取って頂けますわ」
さも当然のようにエリザベスの言う事を聞けと命令口調のローリアン。
自分達には恐れるものは何もない、と常日頃から思っていたので、この物言いは彼女達にとっては当然だった。
当然だが、突然にこんな不躾の命令をされるのは、どんな人間であっても不快なはずだが、ケルト家の名声は、そんな彼らを黙らせるほどに有名な貴族であり、力のある存在だった。
どうする?と悩む警備隊達だったが、この中で我慢できない者がひとり・・・ローリアンの後ろに立っていた警備隊員は、不愉快を隠そうともせず、口から本音が漏れた。
「・・・ちっ。この何もわかっていない小便臭いガキめ、調子に乗りやがって・・・」
それは小さい呟きだったが、ローリアンにはそれがハッキリと聞こえてしまい、失礼な発言をする男を振り返って睨む。
「今、何て言いました? 小便って・・・これだから下劣な人は・・・」
徐々に怒りで顔が赤く染まっていくローリアン。
そして、彼女の標的になったこの青年も、「ふん」とローリアンを睨み返した。
「貴族だからって調子に乗んな、って言ったんだ。アンタらなぁ、これは貴族の遊びじゃないんだぜ。下手したら怪我どころか、死んじまう事だってある。ロイ隊長の言っていることが理解できないのか?って聞いてんだよ」
「お黙りなさい。何を偉そうに我々に命令するのですか!」
ローリアンは自分の事を否定する青年兵士が益々気に入らなくなる。
「あぁん?」
青年の方も負けてはおらず、売られた喧嘩は買う気満々だ。
一触即発になったが、ここで再び、ロイ隊長の怒号が飛ぶ。
「お前らーーっ!止めんかっ!!」
そのでかい声にローリアンは驚き、思わず頭を低くしてしまう。
「おいフィーロ! 火に油を注ぐような事はするな、と何度も言っているだろ。学習しろ!」
ロイ隊長はフィーロと呼ばれる青年に向かって怒鳴る。
フィーロは両手を上に挙げ、お手上げの表情で「俺は悪くねぇー」とかぶりを振う。
ロイ隊長はエリザヘス達に視線を戻し、とりあえずは謝るそぶりを見せた。
「嬢ちゃん達、すまねえな。そいつは貴族嫌いの性格でな、口も悪い。後でちゃんと言っとくから、この場は許してやってくれ。それとアクト、お前の客だろ。お前からも何か言ってやってくれ」
「あ、スイマセン」
いきなり振られたアクトだが、自分がこの場を収められる人物である事は解っていた。
「エリザベスさん、ローリアンさん。不快な思いをしているかも知れませんのでまずは謝ります」
「え? アクト様が謝って貰わなくても」
エリザベスはアクトが謝った理由が本当に理解できなかった。
アクトはこの警備隊の警ら活動に参加する事を熱望していた筈だ。
これを叶えてやれる力が自分にはある。
家の名を使い、あと一押しすれば可能だった筈なのに、巧みな交渉を進めている自分を褒めて欲しかったのに、何故に謝られなくてはならないのだ・・・と。
「その顔は、何故、僕がエリザベスさん達に謝っているか理解できていませんね。でも今はいいです。先ずはロイ隊長やそこのフィーロ副長が言ってくれたのは、僕達の身の事を心配して言ってくれているのです。今回は不正な手続きスレスレで参加させてもらっている以上、少しの怪我や不祥事でも責任追及されてしまう可能性があります。もし、僕たちが怪我でもしたら、この警備隊の存続に影響するかも知れません。それ以上に僕たちにも罰が科せられる可能性があると教えてくれているのです。ある意味、僕たちは学校を代表する存在です。不祥事を起こせば、良くて謹慎、悪ければ退学の可能性もあるでしょう。だから、今は訓練だけで我慢しろ、と言ってくれているのですよ。そうでしょ?フィーロ副長」
アクトの解説に、そのとおりだとフィーロは頷いた。
「なので、さらに我儘な事を言っている僕達の事が目に余り、フィーロ副長の口から叱責が出てしまったのです」
アクトにそこまで言われたエリザベスは、立場がなくなってしまった。
「・・・解りましたわ。アクト様の説明で理解できましたので、先ほどの私の要求は無かった事にしましょう・・・」
エリザベスはここが交渉の限界だと見極め、とりあえず矛を収める事にしたが、それでも、自分たちが我儘な女のように言われたことが少し面白くはなかった。
なので、攻撃の矛先を別の目標に変えることにした。
「しかし、そこの平民の口の利き方にはかなり問題がありますわ」
「そのとおりです!」
フィーロを指さしで抗議するエリザベスに、ローリアンも同調した。
「私たちを小・・・不潔なものとして言うような平民は帝国に存在して良い訳がありません。その者を不敬罪としてこの場で訴えます」
ローリアンは怒りのあまりフィーロ副長を糾弾したのだ。
そのフィーロ副長は、特に慌てることなく、肩をすくめて、残念そうな女を見るようにローリアンを蔑んだ。
「本当にお前って本当にバカな女だな。貴族の悪い見本だぜ」
「なっ、なんですって!」
ローリアンはこの男の飄々とした態度を見て、怒りが最高潮に達した。
「この男を今すぐ逮捕しなさい。もしできないのでしたら私が魔法で懲らしめてあげますわ」
これ以上我慢ならないローリアンだったが、アクトはそれを止めに入る。
「ローリアンさんも落ち着いて下さい」
「しかし、アクト様。この男は貴族が何たるかを全然解っていないのです。貴族は尊いものですよ。こんな酷い扱いを受けるなんて・・・生まれて初めての経験です!!!」
「ローリアンさん、そこは何とか我慢してください。フィーロ副長は、口は悪いですけど本当はとてもいい人なんです。それにこのフィーロ副長は・・・おっと、これは内緒の事でしたね」
ここでアクトは、彼女のボスであるエリザベスにだけに聞こえるようにフィーロの正体を小声で伝える。
ローリアンならば明かしてもよい秘密だったが、このときのアクトとローリアンの距離があったため、他の隊員に聞こえるのも良くないと思っての行動だ。
「フィーロさんは、お忍びでここに勤めていますが、実はこの人も貴族ですから不敬罪で訴える事もできませんよ」
「え?」
アクトの一言に信じられないという顔になるエリザベス。
「貴族同士ですので決闘という解決方法もありますが、このフィーロ・アラガテさんは、やり手の魔法戦士でもあります。魔法も使えて近接戦闘も得意な人に、おふたりでは勝ち目はありません」
アクトの忠言で頭の熱が一気に覚めるエリザベス。
彼女もアラガテ家の名前は知っていた。
それはこのアラガテ家が自分達と同じ魔法貴族派の一門だったためだ。
それもかなり高位で有名な貴族であり、エリザベスのケルト家には劣るものの、ローリアンのトリスタ家よりは格上の存在である。
そんな高位の貴族の御曹司が何故にこんな地方都市の警備隊の副長などをやっているのか、全く理解のできないエリザベス。
とりあえず貴族の威光で彼を脅すのは無理だと判断したエリザベスはローリアンに落ち着くよう説得する。
「ローリアンさん、この人は特別な経歴を持っておられるそうよ、とりあえず落ち着きなさい」
「くっ」
エリザベスにそう言われては仕方がない。
ローリアンは悔しそうにフィーロ副長を睨んだが、それでも彼女はエリザベスの顔を立てて、ひとまず矛を収めることにした。
そんなローリアンを横目に、エリザベスはフィーロに妥協案を提案したが・・・
「それにしても、変わった経歴の方がいらっしゃるのね。まぁ、貴方も謝罪をしてくれるのであれば、我々も今回の事は水に流す事ぐらいはできるわ」と・・・
あくまで上から目線のエリザベスである。
彼女は貴族としてのプライドがあり、少しでも自分が有利な形で矛を収めようとしたのだ。
フィーロも忌々しかったが、ロイ隊長とアクトの顔を立てるため、仕方なく謝罪する。
「エリザベス様、ローリアン様。申し訳ありませんでした。私も少し苛立っていたようです。謝罪しまーす」
フィーロの謝罪の言葉は棒読みで、それが表面上言っただけと解るほど軽薄な態度だった。
しかし、エリザベスは『謝罪をした』という事実だけ示されればそれでよいのだ。
それは、次の交渉に使えるのだから・・・
「ええ解りましたわ。貴方の謝罪を受けいれます。その代わり、わたくし達もアクト様の訓練に参加させて頂きますわ。いいですね」
エリザベスの突然の要求に一同は顔をしかめる。
ローリアンもこんな面倒事には巻き込まれたく無かったし、今後もフィーロの顔を見るは耐えられそうにない。
対するフィーロも同じ表情をしていたので、彼女と同じ気持ちなのだろう。
フィーロとローリアンのふたりは悪い意味で相思相愛だったらしい。
ロイ隊長は大きく悩むも、彼としてはこれ以上の落としどころが無かったのだ。
「・・・しょうがねぇな」
深いため息を漏らすロイとは対照的に、エリザベスは笑顔の花を咲かせる。
「ありがとう。しばらくお世話になりますわ!」
笑顔だったのはエリザベスひとりだけだったが、彼女自身はそれを構うこと無く、自分の交渉が成功した事をとても満足するのだった。