第五話 研究課題 ※
この先の研究の計画について話が進む。
ハルが取り出したのは今回の研究課題が書かれた企画書だった。
ひとまずそれを読んだアクトは理解するのに難しいところが多々あるものの、最終的な目的については理解できた。
「今回の研究課題は『魔法式衣類洗濯機』の開発と実用化の検証か・・・」
衣類を洗濯する魔法は古来より存在している。
しかし、それは手洗い程キレイにならなかったり、生地が傷んでしまったり、染めものが変色したりと、トラブルが多いため、あまり使い勝手の良い魔法ではないと認識されていた。
一般的な帝国国民にとって衣類は高価な物なので、余程の事が無い限り手洗いして長く使おうとするのが基本であり、緊急時以外は洗濯の魔法を使わないのが通例だ。
魔法としても汚れを落とす技術よりも汚れが付かないようにする方向で技術が発展し、アストロ魔法女学院の制服もそうだが、汚れ防止の付与魔法の方がコストは安かった。
そういう背景があるため、洗濯の魔法の技術はそれほど発展せず、現在に至っている。
今回はそれを機械と魔法の技術を利用して、自動的に衣類を洗濯できる装置を開発することが最終目標となる。
「なんとなくイメージは解ったけど、本当にできるのだろうか?今まで誰もやったこと無いのに・・・」
アクトは率直に自分の感想を述べるが、ハルはそれをバッサリと切る。
「簡単に開発できる物に研究の価値はないわ」
ハルからはそう断言するが、アクトはこの『魔法式衣類洗濯機』なるものを実現できる予感が全くしない。
アクトは企画書を読んで、疑問に感じた箇所を指摘する。
「回転したり水洗したりするところも課題はありそうだが、汚れを落とすのはどうする?」
「それは『洗剤』という魔法を使うわ。術式は既に開発済みよ」
「すごい、ハルお姉さま!新しい魔法を開発するなんて、それだけで研究終了じゃないですか」
エリーは素直に驚く。
新しい魔法を開発するというのはそれだけで大きな労力を要する。
魔術師が一生をかけて新しい魔法ひとつ生み出することができれば、「大きな成果だ」と言われるほどなのだ。
それほどに新しい魔法を開発するのは大変な事だった。
それをいとも簡単に成してしまうハルは一体どんな天才なのだろうか?と思ってしまうエリー。
しかし、ハルはこの事を特に何とも思っていない。
「エリーは大袈裟ね。それに今は魔法の事よりも洗濯機の話しに戻しましょう」
やや強引に話を元に戻すハル。
「それに企画書では洗濯機の起動に魔力を使う事にしていたけど、今回は起動に魔力を使わないようにしようと思うの」
「えぇ?!」
ハルの突拍子もない一言に、さらに驚くエリー。
「せっかく魔力抵抗体質者のアクトが参加するし、この際、魔力を全く使わないで起動できる方式の方が多くの人に使ってもらえるかな?て、今思いついたわ」
「すごい名案かも知れないけど・・・本当にそんな事ができるのか?」
アクトもハルの言葉に半信半疑だ。
「ええ、できるようにするわ。私の魔道具開発の信条は『生活水準の向上』と『薄利多売』よ」
「『生活水準の向上』は解けど、『薄利多売』って何だよ」
アクトはそう指摘する。
ハルがいつもエリオス商会でいつも言っている事をつい癖が出て言ってしまった。
ハルはアクトからの指摘を咳払いひとつで躱し、強引に話を進める。
「何でもないわ。それよりも洗濯機の仕組みについて説明を始めるわよ」
ハルの愉快な一面を垣間見たアクトはこの姿こそが彼女の本当の性格なのだろうと、この時に思う。
そうするといつものツンとした態度は造り物なのだろうか?
アクトはそんな疑問を心の片隅で抱きつつ、ハルの説明は先へと進む。
「・・・と言う訳で、こことこことの部分をこう接続して、魔力の流れをこう変えて・・・」
ハルは話ながら次々と設計図に新しい情報が書き加えられていく。
エリーはふむふむと聞くが、これも専門的過ぎてアクトはついて行けなかった。
「・・・で、こうすると、魔力を外部から投入しなくても洗濯機が動くはずよ」
「すごい! もし、これが実現できたら革新的な発明になりますよ」
エリーは興奮して立ち上がる。
「ええそうね。被験者にはアクトがいる。魔力ゼロ、いやマイナスと言った方が良いかしら・・・そのアクトが問題なく洗濯機を使えるようになれば、実証データは十分に取れるわ」
ハルとエリーはニヤリとしてアクトを見る。
その視線は目前に美味しい獲物を発見した猛獣のようで、何故か悪寒を感じてしまうアクトだった。
それはさておきと、この先の作業の進め方について相談を始める三人。
魔法的、技術的に難しい部分はハルが担当し、力仕事や実証実験はアクト、雑務やサポートをエリーが行う事にした。
相談中アクトがどこまで作業ができるかを確認するため、魔力鉱石をカットする作業に挑戦したが、アクトが魔力鉱石に触ると、途端に魔力が霧散させてしまい、ただの鉱石になってしまう事に一同は驚く。
同じ事を高質な魔力鉱石で試したが、そのときは魔力鉱石が完全に魔力を失う事には至らないが、低級の魔力鉱石ではほぼ百パーセントの確率で鉱石に内包された魔力を飛ばしてしまう。
この事実にハルは目眩を覚えるとともにアクトの持つ魔力抵抗体質の凄さを改めて実感するハル。
このようにいろいろとあったが、今日は打合せだけで授業としての時間枠を終える三人。
終了の時間になり、受付職員からアクトの迎えが来たことを告げられた。
「あっと言う間だったな」
「そうね。本格的な作業は明日からになるわ」
「エリーもがんばります」
ここでアクトは思いついたようにハルに問いかける。
「ああそうだ。ハル、迷惑じゃなければ明日も早めに来てもいいかな?」
「ええ?」
「あっいや、ハルの食事は邪魔しないし、自分の食事は自分で準備するけど。作業に入る前に早めに打合せした方が効率的かと思ったんだ。この内容を考えると、授業の時間枠だけ済ませようとしても難しいだろう?」
少し悩むハルだったが、まぁいいかと思い、肯定の意思を伝える。
「まぁ、来たいのだったらいいわよ。お昼も今日のような簡単な物だったら提供してあげる。実はひとり分作るのもふたり分作るのも手間はそれほどかわらないし、アクトには道具作りを手伝って貰えるから報酬のようなものだと思えばいいわ」
「ほんとにいいのか! でもさすがにそこまで世話になる訳には・・・」
「えっ! ずるいです。エリーもハルお姉さまと一緒にお昼を食べたいです」
とりあえず遠慮をしようとするアクトだったが、既に食べる事は決定事項だと思ったエリーは「自分も」と会話に割り込む。
エリーの遠慮がまったくない態度に多少呆れるハルだが、しょうがないと思ってやることにした。
「もう、しょうがないわね。エリーも来ていいわよ。その代わりエリーは食事の準備と片付けを手伝いなさいよ」
「はーい」
自分の権利を得て満面の笑みになるエリー。
アクトはもう食べる事が決定事項となっていた。
人間とは現金なもので、美味しい料理が食べられると思うと機嫌がよくなるものだ。
アクトは決して食いしん坊の類ではなかったが、そんな彼でも「よし!」と心の中で喜びの雄叫びを挙げていた。
それを表情には出さずポーカーフェイスを貫いている・・・と思っていたのは自分だけだったようで、喜びの表情が駄々漏れしていて、ニヤニヤしていたのは余談である。
そんな和やかな会話と伴に受付のロビーに到着すると、迎えに来たのはインディとエリザベス、ローリアン、そして、セリウス、フィッシャー、カントの男子生徒達が総揃いしていた。
「お待たせ」
アクトは迎えに来た同窓に言葉で応えた。
対する生徒達は疲れ切った様子で、今日も人工精霊との激闘を語らずにも物語っていた。
今日もこっ酷くやられたなと想像するに堪えないアクト。
そんな疲れた様子の彼、彼女達だったが、それでもアクトを見た瞬間、歓喜の花が咲くエリザベス。
「アクト様、お待ちしておりましたわ」
他人から見てもあからさまな過剰の好意を見せる彼女に、若干引き気味のアクトだが、彼女が憎い訳でもないため、「ああ」と軽く頷いて応えた。
「アクト様、本当にお疲れ様でした。魔法はあまり得意でないと思いましたので、今回はご苦労なされたのでしょう」
「いや、それほどでも。僕が不得意なところはハルやエリーがフォローしてくれますし、自分の得意分野で貢献できそうですし、なかなか興味深い授業になりそうです」
「それはよかったです」
少し引き攣るエリザベス。
彼女の耳が「ハル」と呼び捨てにしていたアクトを聞き逃さなかったからだ。
「アクト様はお優しいからこう言っていますけど、本当に失礼は無かったのですね」
軽くハルを睨み牽制する彼女。
「ええ。何も無いわよ」
ハルはあっさりと答えたが、それが少し気に入らないエリザベス。
少し顔をしかめ、更に何かを言おうとするが、それを察したインディは早目に退散を提案する。
「それでは帰るか」
その一言にアクトが同意したため、エリザベスが何かを言う機会は失われてします。
せめてもの反撃として、アクトの腕を取り、ハルに対して踵を返した。
「ええ、そうしましょう。さぁ行きましょう、アクト様」
エリザベスにやや強引に腕を引かれて出口へと導かれるアクト。
他の生徒達もそれに続いた。
少し困惑した表情のアクトだったが、去り際に首だけをハルの方へ振り返り、別れの挨拶をした。
「それでは、ハル、エリー、明日もよろしく」
「わかりました」
ハルは去るアクト達に目礼をし、彼らが退席するまでその姿勢を続けていた。
この場面だけ切り取って見ると、アクト達が目上の存在で、ハルが格下の身分を示す態度だった。
事実、アクトは貴族であり、ハルは平民だったのでおかしなものではない。
しかし、先ほどのアクトとハルの話し口調は、互いを対等な立場として認めた者のやりとりだった。
これを見ていた他の生徒達は、アクトとハルが短い時間でひと段階進んだ関係になったと感じていた。
特にエリザベスは、この時、ハルに対する嫉妬の炎が心の底に芽生えていた。
あれほど釘を刺しておいたと言うのに、何という事だろう。
アクトの興味がハルへと向いている事を、女の勘で敏感に感じ取っていたのだ。
(私だって、私だって呼び捨てで呼び合うような関係になっていないのに・・・)
様々な思惑が彼女の頭の中を駆け巡っていたが、彼女の忍耐力を総動員してその不安を一端も顔には出さない。
それがエリザベスなりのプライドだったのだろう。
(まだだ。まだ何とかなる)
自分に興味を抱かせるにはアクトと供に過ごす時間を増やす事しかない。
(ハルよりも私が素晴らしいことを、アクト様に解って貰わなくてはならないのよ)
そう結論付けたエリザベスは直ぐに行動を起こした。
「アクト様。この後、お時間ありまして?もし、よろしければ私の行きつけのお店に行きませんか? 人工精霊の事でアクト様にもアドバイスを頂きたくて」
アクトを強引に誘うエリザベス。
「人工精霊の事で苦戦なされているんですね。ですが、残念ながらエリザベスさんのお力になれそうにありません。実はグリーナ学長から、人工精霊の攻略に関しては他の生徒に一切手助けをしてはならない、と言われています。自分達でどう工夫するかが授業の本質らしいです。ですので、本当に申し訳ありません」
申し訳なさそうに頭を下げるアクト。
「それに、僕はこの後、行くところがあります」
残念という表情で眉毛をハの字にするエリザベスだったが、彼女もここで簡単に引下がる訳にはいかない。
「どこに行かれるのですか?」
「実は以前からお世話になっている警備隊の詰所があり、訓練だけでも参加させて貰えないかと思い、相談に行くつもりです」
「訓練ですか?」
「そうです。僕にはまだ鍛錬が足らない」
「あの人工精霊を一倒したアクト様が、鍛錬が足らないだなんて・・・」
「いいえ、上には上がいるものです。この前の人工精霊との戦いは、運が良かっただけです。僕はまだまだ足らない所だらけですよ」
「アクト様のその弛まない向上心。私、エリザベスは感服いたしましたわ」
「いや、それほどの事をしているわけではありません」
芝居かがったようなエリザベスの仕草に、アクトは大袈裟な事している訳ではないと普通に回答した。
「わりました。私としても、そんな健気なアクト様を放って置く訳にはなりません。私もついて行きますわ」
「え!何故?そんなに面白いところではありませんよ」
「いいえ。私は今、アクト様のひたむきな向上心にとても感動しているのです。私にもアクト様の足跡を供に歩ませて頂きたいですわ」
「大袈裟ですよ。それにあまりエリザベスさんのような高貴な方が来るような上品な所でもありませんし・・・」
アクトには自分の努力している姿を見せびらかして、相手の関心を引くような気質はない。
寧ろ自分は修行中の身であるという意識もあり、そこに女性を連れて行くのは少し間違っている気もしていた。
ちなみにサラという女性の存在に関しては、アクトの中でも特別扱いであり、彼女は女性と言うよりも幼馴染にしてお転婆な友達のような存在だったのである。
なので、サラが警備隊の訓練に参加する時は、特に問題視しないアクトであった。
しかし、エリザベスはこうはいかないだろう。
こう見えても彼女は帝国貴族重鎮の長女であり、お嬢様の中のお嬢様なのだ。
そんな彼女が、猛者達が集う警備隊の修練場に行こうものなら、どんな厄介事が起こるか分かったものではない。
アクトは丁重に遠慮願ったが、今回のエリザベスは引く事をしなかった。
互いの押し問答が続き、結局エリザベスが根勝ちして同伴する権利を獲得する。
妥協案として、アクトも彼女とふたりきりというのはあまり良くない噂がたつと危惧し、インディとローリアンも一緒に行く事になった。
インディは長い付き合いでアクトの考えが解っていたので快諾した。
ローリアンは嫌々だったがエリザベスに逆らえない立場であったため、渋々ついてくることなる。
他の生徒達も、特にセリウスはアクトが警備隊でどんな修練を行っているのか少し興味を持ったが、結局、本日の疲れもあって、参加しない事を選んだ。
こんなやり取りをしながら、彼らはアストロ魔法女学院の敷地を後にするのだった。
一方、こちらは学院内の研究室。
他の選抜生徒達やエリーとも別れ、今は研究室にいるのはハルひとりだった。
今日の午後はいつもと違って賑やかな雰囲気の研究室だったが、今はいつもどおりの静かな空間に戻っている。
久々に人と触れ合ったハルだったが、いつもと違う状況に少し身体が慣れなかったようで、少し汗ばんでいる事に気が付いた。
「少し汗臭いわね」
自分の匂いが気になるハル。
この後、決まった予定も無く、今日は白魔女エミラルダとしての活動もない。
つまり久々に研究に没頭できる一日。
三人で進める研究課題だったが、ハルの選んだ課題は三人が揃って作業する時間だけで終われるほど簡単な内容ではないのは重々に承知していた。
そのため、難しい部分は自分ひとりで進めるつもりだった。
明日や明後日はエミラルダとしての活動予定も入っていたため、こういった余裕のある時に学校の研究課題を進めておいた方が良いだろうと判断する。
「今日は夜半まで頑張れるかな?」
そう呟くハル。
体力もあるし、久しぶりに気分もいい日、頑張って作業を進める事にする。
寮の寝室に戻るのが真夜中になる事が確定した瞬間だった。
「それだったら先にシャワーを済ませようかな」
そう言い奥の部屋に進む。
カーテンを開けた先の薄暗くて小さな部屋には床に魔法陣の描かれた布が置かれている。
魔力を込めた手でそれに触れると魔法陣はオレンジ色の明滅を始めた。
しばらくすると魔法陣の書かれている布から大きい四角い塊がゆっくりとせり上がってくる。
まるで床下から四角い小部屋がせり上がってくるような光景だった。
そして、しばらくすると小部屋の上昇は止まった。
小部屋には入口の扉があり、人が入れる構造物である事が解る。
「よし。起動完了っと」
魔法陣の起動により、小部屋の準備が整ったことを確認したハルは、研究室と間仕切りになっているカーテンを閉めて、四角い構造物の入口扉付近に描かれた小さな魔法陣に触れる。
そうすると扉が開き、小部屋の内部の照明魔法が起動して黄色い光が灯った。
ハルは学院から支給されている灰色のローブを脱ぎ、部屋の隅にあった椅子に腰かけて皮のブーツも脱ぐ。
白くて細い素足が露わになり、その解放感からホッと一息するハル。
そして、単なる銀の腕輪と化しているXA88を外して脇に置くと、素早く立ち上がってスカートとブラウスを手早く脱ぎ、下着も脱いで壁に掛けられたタオルを取ると、自身の大切な部分を隠すようにして、最後の自分の装備品である眼鏡を外し、簡易的な浴室である小部屋の中へと入り、扉を閉めた。
浴室の中の幾つかある釦形状の魔法陣のうちのひとつに魔力を流すと、高い位置に設置された蛇口より適度な温度に保たれたお湯がシャワーとなり出てくる。
いつもながら、魔法って便利なものね、とひとりで感心しながら、その湯を少しずつ自身の身体へとかけていく。
きめが細かく、太陽の元へ晒す機会が少ないハルの白い肌を潤すように優しいお湯が流れ落ちた。
湯量が多いため、身体は直ぐに温まり、腰まで伸びた彼女自慢の長いストレートヘアーが濡れた肌に張り付く。
これを丁寧に剥がし、今度は長い髪を丁寧に洗い始めるハル。
この浴室はハルのお手製であり、彼女が元々いた世界の浴室をできる限り再現したものである。
お湯、水、照明、排水、換気の各機能を全て魔法で実現化し、室内にはシャワーと浴槽が装備されている。
そして、シャンプーやリンス、石鹸をはじめとして彼女がお風呂に必要な物はすべて揃っていた。
これもハルが学院に来て比較的早い段階で開発した魔道具のひとつである。
彼女の常識では考えられない事だったが、この世界の人間はあまり入浴をしないようだった。
綺麗好きな女性であったとしても週に一度、濡れたタオルで身体を拭く程度であり、無頓着な人は、女性であっても一ヶ月間身体を全く洗わない人がいたのも驚きだった。
洗わないと当然、体臭が気になってくるが、それを隠すために男女違わず香水をつけるのだ。
それが何とも言えない香りで、ハルは自分からは絶対につけたいとは思わなかった。
ラフレスタは気候も良く、湿度もそれほどでは無かったため、身体はあまり汚れないようであったが、それでも耐えられなかったハルは寮の共同浴室をほぼ毎日独占するようになる。
結果、浴室を独占するハルは悪目立ちしてしまい、先輩達から随分と小言を貰ったものだった。
それが自分専用の浴室を開発する動機となったのだ。
この時点のハルは魔道具を作製するのも素人だったが、人間追い込まれてば何とかできるものであり、一ヶ月でお湯が出る魔道具を作る事ができた。
今思えば、あれが自分の魔道具開発者としての発端だったのだろう。
淡い記憶を思い出す彼女だが、それから幾ばかりの改良を経て現在の形に至っている。
今では昔よりも効率よく魔素を活性化できる技術があり、より少ない魔力でお湯や温度の調節ができているし、空気を分解して水を作る事で、より自然に近い形でお湯を作り出している。
魔法で無から水を作る事も可能だが、ハルの経験から、より自然に近い形で魔法を行使した方が魔力の消費も少なく、効率的であることが解っているし、そうやって作り出した水の方が肌にも優しい。
なので、空気から水分を分離させて水分子を取り出し、排水した水はその逆をする事で給水ゼロ、排水ゼロの究極のエコ・システムを作り出せていたりする。
シャンプーの類も実は水に界面活性効果と呼ばれる油分を水に親和させる効果を魔法で付与させているが、自らを被検体として実験し、肌や髪にダメージが無い組み合わせを施したハル特別製の魔法の洗剤である。
これらの知識は当時十六歳だった彼女だけでは知りえない知識だったが、そこで活躍したのは勿論XA88である。
このスマートデバイスにはハルの居た世界の人類の英知が詰まっていた。
元の世界にいた頃はXA88がこれほど凄い物とは思わなかったが、科学技術の全てが遅れているこの世界においてXA88はハルに膨大な知識を与えてくれるものだった。
XA88の情報データにアクセスする事で、魔法の技術だけでは作る事が難しいシャンプーなどの化学製品を再現する事にも成功していた。
まぁ、開発中に魔力鉱石の配合を間違えてトウガラシに似た刺激物を作り出してしまい、それと知らずに使ったハルが一週間ほど悶絶したのは、今となっては楽しい思い出である。
そうして改良の進んだ現在の浴室はハルが元いた世界のお風呂生活と寸分違わずの快適空間を彼女に提供してくれている。
気持ちがリラックスしてくると不思議と鼻歌も漏れてくるというものだ。
こちらに来てからの彼女は浴槽であっても自分の研究をどう進めるか?など、自分の考えに没頭しがちであり、浴室で歌などを歌う事もなかった。
そんなハルだったが、今日はいつもとは様子が違う。
自身でも気付かないほど機嫌の良いハル。
彼女自身がこの変化に気付く事もなく、明日のお昼は何にしようかと考えが移って行く。
昼間なのであまり凝った料理はできないが、今日の簡単なパスタ料理であれほど喜んでくれたアクトの事だ、明日はもっと驚かせてやろうと思っていた。
(私の得意料理をパスタだけと思うなよ!)
夢中に食べでお決まりのように喉を詰まらせるアクトが予想できて、少し吹き出しそうになる彼女。
もし、明日も彼が喉を詰まられたら、またタイミングよくお水を差し出す自分の光景を思い浮かべて、それがまた愉快な気持ちになる。
そして、鼻歌が二番、三番へと続き、いつもよりも長いお風呂時間となるハルだった。