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ラフレスタの白魔女(改訂版)  作者: 龍泉 武
第三章 交流授業
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第四話 魔女の研究室

 午前中の授業を終えたアクトは昼食を早めに済まし、アストロ魔法女学院の研究棟にやって来た。

 本日の午後からアクトはハルの研究をサポートする事になっていたためだ。

 食事中に女学生達、特にエリザベスとローリアンからいろいろと話かけられ、「場所の案内」をかってでた彼女達を断る訳にもいかなくなり、結局、エリザベス、ローリアン、そして、親友のインディを連れだって四人でこの研究棟に来ている。

 アストロ魔法女学院の研究棟は教室のある本舎から少し離れた場所にあり、二階建ての石造りの建屋である。


「大きいな」


 一緒に来たインディがそう呟いてしまうほどに大きい堅牢な建屋であった。

 ラフレスタ高等騎士学校にも教職員や優秀な生徒の研究をサポート制度があり、似たような施設は存在しているが、アストロのそれは規模が違いすぎた。

 その事を知るエリザベスは得意気になりアストロの研究施設の自慢をはじめる。


「ええそうですわ。この学院の魔法研究棟はラフレスタで最も大きく、優れた施設で、帝都の魔法大学よりも優れた最新鋭の設備が充実していますわ」

「凄いな。こんな立派な施設の研究室を持てるハルさんってものすごく才能あるんじゃないのか?」


 単純に感嘆するアクトだが、それをエリザベスは面白くないようであり、ついつい嫌味を口にしてしまう。


「あの娘の取柄はこれしかないですし、多少変わった娘ですからね」

「そうそう。ハルは研究が恋人のような女子ですわ。室内にずっと籠っているから性格もあのように陰湿になってしまうのでしょうね」


 エリザベスの嫌味にローリアンも続く。

 その様子を「またか」という思いで聞くアクト。

 エリザベスは多少上手く自分を隠す努力をしていねようだが、ローリアンはハルの事になると遠慮なく批判に同調してしまう性格なのだ。

 他の女生徒達もハルの事をあまり良く思わないようで、この学校に来てまだ日の浅いアクトでさえもハルの悪口をよく耳にしていた。

 ハルの攻撃的な性格を考えれば、しようがないのかも知れないが、それでもアクトは少しばかりの違和感があった。

 昨日も激しく自分の事を嫌っていたハルだったが、それでもグリーナ学長から指摘されると自分の過ちを素直に認め、そして、アクトへ謝罪し、自分の気持ちを直ぐに切り替える事ができていた娘だ。

 あのように自分の感情を完全にコントロールできる事は理知的であり、客観的な考えを持っていないとなかなかできないものである。

 いつもその事を心がけて自分自身で実践しているアクトだからこそ、ハルが自分の感情をコントロールできる人間だと気がついたのだ。

 そうなると、ハルの行動は・・・敢えて自分を恨むよう誘導しているようにも思えた。

 少なくともエリザベスやローリアンは彼女の思惑どおりに働いているようだ。

 何故そんな事をするのだろうか?

 何の利点があるのだろうか?

 そんな学園生活を送って楽しいのだろうか?

 どうして自ら他人に嫌われるよう仕向けているのだろうか?

 そんな考えがアクトの脳裏に浮かびながらも、入口の扉を押し開けて、研究棟のエントランスに入った。

 研究棟のエントランスは広々としており、調度品や簡単なソファーなどの応接品がある事から、人が待ち合わせできるような空間になっていた。

 受付には若い女性職員が駐在しており、アクトは自分の来訪目的を告げる。


「こんにちは。私はアクト・ブレッタと申します。交流授業の一環でハルさんの所に行きたいのですが、ご案内頂けないでしょうか」


 女性職員は昼時の珍しい来客に慌てる事もなく、書類を確認して対応した。


「アクト・ブレッタさんですね。グリーナ学長から聞いていますので入室許可できます。少々お待ちください」


 そういうと脇にあった水晶に魔力を流し、何やら小さい声で誰かと喋っている。

 ハルと喋っているのだろうかとアクトは考えるが、しばらくすると会話は終了したようで、魔力で輝いていた水晶が元の透明な玉に戻る。


「ハルさんがこちらに来るようですので、お待ちください」

「はい。ありがとうございます」


 アクトは受付職員に礼を述べて、エントランスで待つ事にした。

 待つ間に改めてエントランスを眺める。

 各研究室内へと続く扉はひとつであり、重く閉ざされている。

 この扉の両脇には石像が二体設置されており、台座には魔法の水晶玉が置かれていた。

 アクトは昔、トリア領の帝国重要施設を見学したときも同じものを見たことがある。

 これは招かざる客が来た時の魔法の防犯装置であり、もし、無理にでも侵入しようものなら、けたたましい警報音が鳴り響き、そして、石像が動き出して侵入者を排除する防犯装置だった。


「随分と厳重な警備ですね」


 アクトはエリザベスに率直な感想を述べた。


「ええ。ここはアストロの研究成果が詰まっている重要な施設です。ですので、万全の警備体制が布かれていますわ」

「魔法の鍵で閉ざされたドア。石のゴーレム二体。不審者の侵入を記録する水晶器。あと通報設備なんかもある。なんだか物々しいなぁ」


 インディも十分すぎる警備に少々驚く。


「ここは普通の高等学校とは違います。帝国内で有数な研究施設としても機能していますわ。中には一般の方には知られたくない物もあるようですし、危険物の類も存在していると聞いています。施設の秘密を守るためでもありますし、危険物を無知な方に触れさせないようにする役割も警備にはあると聞いていますわ」

「たしかにそうだね。人体に有害な魔力鉱石も存在するらしいけど、普通の人はそれを一目見ただけでは解らないしねぇ」

「インディさんも、よくご存じですわね。そのとおりですわ。魔法学の世界で『無知』は罪なのです。特にこの学院の研究室は世界最先端と言っても過言ではありませんので、何も知らない人が歩き回っては危なっかしくってしようがないですわ」


 そう言って頭を抱えるエリザベス。


「エリザベスさんやローリアンさんも中はご存じなのですか?」

「ええ。僭越ながら我々二人も自分の研究室を持っていますのよ」


 待っていましたとばかりに自慢話を始める二人。

 自分の研究している魔法陣のことや効率の良い詠唱方法など魔法研究の話題になる。

 魔法戦士として魔法知識に優秀なインディだったが、それでも彼女達の話題はあまりにも専門的過ぎたため、話しの半分も解らなかった。

 適当に相槌を打つインディとそのやりとりをただ見守るアクト。

 そして、しばらくして研究所内に続く扉の向こう側から人の気配が近付いてくるの感じたアクトはゆっくりと席を立ち上がる。

 彼が立つのとほぼ同時に扉が激しく開かれて、予想どおりの人物が顔を出した。


「はぁ、はぁ、はぁ、授業は午後だったよね。なんでこんなに早く来るの!」


 おそらく走って来たのだろうが、肩で息をしながらアクトを睨んでいる。


「貴方は相変わらず下品な娘ね。アクト様は早めの行動が好きな方なのよ。余裕をもって来ただけですわ。どうして貴方は素直に歓迎できないのかしら。これだから平民の子は駄目だわ」


 ローリアンは喧嘩腰だ。


「そうよ、ハルさん。まったくこれだからあなたは・・・」


 エリザベスも今回のハルの対応が気に入らなかったらしく、少し苛立つ。

 しかし、ふたりを制してアクトはハルに話かけた。


「すまない。少し早めに行動した方が良いと思って来たのだけれども、もし、邪魔なようだったら午後のギリギリにまた出直そう」


 ハルの機嫌が悪いのを察したアクトは出直しを申し出た。


「いいわよ。もう来てしまったのに帰れとは言えないでしょう。ほんとうに・・・」


 ぶつぶつ言いながらもハルは受付職員の方へ行って何かを受け取った。


「はい、これを付けて」


 ハルがアクトに差し出したのは小さな金属製のカードに紐が付けられたものだった。


「ああ」


 ハルを見ると同じものを首から架けていたので、アクトもそれを受け取って、ハルと同じように自分の首に架けた。


「これは施設内に入る通行証になっていて、鍵のようなものだわ。この入口の扉と私の研究室しか入れないので他の部屋には入らないでね。いろいろと危ない物もあるから警備が厳重なのよ」


 ハルの説明にアクトは頷く。

 先ほどエリザベス達から警備の事を聞いたばかりなので、納得するのも早かった。


「研究が終わるまでの期間、このカードで出入りは自由になるけど、カードは絶対失くさないように。失くすと面倒な事になるから絶対よ」

「わかった」


 矢継ぎ早に説明するハル。

 それを見ていたローリアンが我慢できずに口を開く。


「ハルさん! 貴方、本当に解っているの? アクト様は貴族なのよ。貴方のような平民風情が対等に話すだけでも罪になるのよ。そんなに乱暴な言葉遣いするなんて、本当にどういう事でしょう。恥ずかしいことですわ!」


 ローリアンは苛立ち、ハルに苦言を述べるが、それにハルはこれに反論する。


「ローリアンさん、解っていますよ。しかし、学院内では貴族がどうこうと言う区分は無いはずでは?」

「そんなの建前よ。アクト様に謝りなさい」


 ハルの正論を建前にした口ごたえにローリアンは顔を一層引きつらせて、ハルに迫る。

 一気に雰囲気は悪くなるが、ここでインディが割って入る。


「まあまあ、ローリアンさん、気を静めて下さい。アクトもこんな些細な事では怒るヤツではないですし、ハルさんも突然の来訪に気が立っているのでしょう。女性である皆さんなら、急に男性に来られては困る事だってあるでしょう?」


 ニコっと笑顔を見せるインディにハルは顔が少し赤くなった。

 確かに年頃の女性は寝起きの顔やボサボサの髪で男子の前に姿を晒すのは御免被りたいが・・・


「私は、そんなんじゃ・・・」

「いいから、いいから」


 何かを否定しようとするハルをインディが遮り、さっさと行けとアクトを押し込む。


「さぁアクト、行ってこい。俺達は例の人工精霊の攻略授業があるから、もう行くとするよ。さあ、エリザベスさん、ローリアンさん行きましょう」


 インディは急かして、アクトとエリザベス達を分けた。

 渋々アクトと別れるエリザベスであったが、去り際にハルを睨み返し彼女なりに釘を刺す。


「ハルさん。・・・解っているわね。アクト様に失礼は駄目よ」


 エリザベスの最後の一言には「自分の意中の人に手を出すなよ」という意味が含まれていた。

 ハルはため息交じりに「解っています」と応じる。

 自分にはその気が全く無かったし、まともに相手をしても疲れるだけだが、それでも女性の嫉妬は恐ろしいものだと理解しているハル。

 しかし、その事を知らないアクトはハルを気遣った。


「あの・・・自分は全く気にしていないから・・・この研究室ではハルさんが先生のようなものだから、遠慮なく接して欲しいよ。よろしく」

「え?何のこと・・・あ、そうか貴族がどうのこうのって話ね。ええ解ったわ。あまり形式ぶっても疲れるだけだし、アクトさんが良いと言うなら、お互い楽に行きましょう。それに、ここにずっと居てもしょうがないし」


 アクトの低姿勢な態度に、

(ホントにこの人は貴族らしくないわね・・・)

 ハルはそう思いながらも自分の研究室へ移動することにする。


 受付職員にアクトの対応のお礼を言い、ハルは自分の持つカードを扉にかざすと重厚な扉が開いて、施設の中へと入る。

 彼女に続くアクトだが、研究施設の内部に入ると後ろの扉が勝手に締まった。

 アクトはこれを見て(いかにも魔女の館っぽいなぁ)と思うのだった。

 廊下を進み、三回ほど同じような扉を通ると一番奥にハルの研究室があった。

 彼女の研究室に入ってすぐにアクトは納得した。

 何故、彼女が慌て出てきて少し怒っていたのかを・・・

 今の研究室内にはおいしそうな匂いが漂っており、テーブルの上に温かい食事があった。

 そう、彼女は昼食中だったのだ。

 アクトが早く来た事でハルの昼食を中断してしまったようで、まだほとんど手が付けられていない様子だった。


「食事中だったのか・・・それはすまない事をしたね」

「ええ、もういいわ。でも、私が食べる間、少し待ってくれるわよね」

「ああ当然だ。そこに腰かけてもいいかな?」

「ええ、構わないわ」


 アクトはテーブルの反対側の椅子に座り、ハルも席について自分の昼食を再開する。

 ハルが食べているものを観察すると、それは何かの赤いソースのかかった麺料理で、アクトが今まで見た事の無い食べ物だった。

 アクトは今まで食べた経験は無いが、帝国の南部に麺料理が存在していることは知識で知っていた。

 それにしてもおいしそうだ。

 香しい匂いがアクトの鼻腔を刺激する。

 彼は先ほど昼飯を食べたばかりだったが、それでも若い健全な高等学生の胃袋は与えられれば幾らでも食べる事ができる。

 喉をゴクッと密かに鳴らしながらハルの食べる姿を凝視するアクト。

 会話もなく、しばらくその状態が続くが、遂にハルが我慢できなくなる。


「あー、もう嫌だ、この状況。アクトさん、お腹空いているの?」


 食事を中断してアクトに問いかける。


「あ、いや、さっき食べてきたんだけど・・・その何だろう。それって、とても美味しそうだね」


 少しバツ悪そうに答えるアクト。

 その麺料理を食べたてみたい、という欲求を自分では上手く隠していたつもりだったが、ハルには見抜かれていたようだ。

 果たして自分はそんな物欲しそうな顔をしていたのだろうか?と思うと、アクトは顔を覆いたくなるほど恥ずかしくなった。

 そんな自分で自分を悶絶するような姿を晒していたアクトだったが、その姿を見たハルは・・・(この人は見た目だけは真面目そうなのに、意外なところで子供っぽいところもあるのね)・・・と思っていた。


「まったく、男ってのは食いしん坊なんだから。これは麺料理のひとつで『パスタ』って言うのよ」


 料理の名前を教えたハルだが、アクトはその名前に心当たりが無かったようでキョトンとしている。


「聞いた事が無い料理だ。南方の料理? すごく美味しそうだったのでついつい注目してしまった。悪い、悪い。遠慮なく食べてくれ・・・」


グゥ~~ッ。


 食事を促そうとアクトは言ったつもりが・・・自身の腹から音が鳴り、会話が中断されてしまう。


「・・・・」

「・・・・」


 ハルは目を見開いて、しばらく沈黙していたが・・・


「・・・く・・・くく・・・・あははは」


 やがて耐え切れなくなって肩を震わせて笑いはじめる。

 アクトはなんだか情けなくなり、「ご、ごめん」と小さく言い訳するが、その様子が更におかしかったハルは愉快に笑い出してしまうハル。


「あははは! ひぃー、ひぃー! お腹痛い! お腹痛い!」


 彼女は笑った。

 久々に大笑いした。

 こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。

 心の底から笑うハルはなんだか自分の腹の底に溜まっていた泥々としたものを全て流し出せたような爽快感を味わった。

 やがて彼女の笑いが収まり、肩で息をするハル。

 涙目になったハルは、ハンカチでこれを拭き取ると笑顔でアクトに向き直る。


「お腹空いて、腹から『グゥッ』て。くくく。アクトさんってお茶目だわ」


 アクトは格好悪く、恐縮したままだった。

 さっき昼食を食べたばかりだというのに、なんて自分は食いしん坊なのだろうと思い、自分を恥じる。


「まぁ、ここで遠慮されても、私も食事できないし、いいわよ」

「へ?」

「いいわよって言っているのよ」

「何が?」


 アクトが顔を上げる。


「何が?って、食べたいのでしょ。アナタの分も作ってあげましょう。待ってなさい」


 そう言うが早く、ハルは自分の食事を中断し、キッチンに向かった。


「いやいや駄目だ。自分がここに来たのは、君の研究を手伝うためなんだ。料理をご馳走になる訳には・・・」


 慌ててハルを止めようとするアクトだが、ハルは振り向いて彼を挑発するように問いかける。


「じゃあ、私の料理は食べたくない?」


 口に手を当てて、少しだけ悲しむフリをするハル。


「・・・食べたいです」


 アクトは観念した。


「正直にそうおっしゃい。今日は面白かったから特別よ」

「すまない」


 一回認めてしまえば急に心の軽くなるアクト。

 確かにこの『パスタ』という美味しそうな料理に興味はあったのだ。

 ハルは研究室に併設されたキッチンに向かうと、テキパキと料理を始める。

 魔法で火を熾し、鍋のお湯を再び沸かし、その間に棚からパスタの入った瓶とソースの入った瓶を取り出す。

 ひとり分のパスタを茹ではじめ、その間にフライパンでソースを炒め、魔法袋から取り出した様々な食材をフライパンの中へと混ぜていく。

 電光石化のような速度で調理が進み、あっと言う間に一人分のパスタが完成して、アクトの前に出された。

 お皿に盛られたパスタは赤いソースが良く絡んでおり、細切れの野菜や肉の見栄えも良い。

 美味しそうな匂いが漂ってアクトの五感に「これは旨いぞ!」と訴えかけているパスタという食べ物。

 フォークとスプーンをハルから受け取り、ハルから「どうぞ」の一言を受けたアクトは待ち切れずにそのパスタを口に入れる。

 一口食べた瞬間、予想に違わず濃厚なソースの味わいと香草の香りが口腔内に広がった。

 そして、追い打ちをかけるように、程よい酸味が彼の五感を上書きする。


「う、旨い!」


 アクトは叫ぶようにこの料理の味を評価した。


「よかったわね、口に合ったみたいで。それでは、私も頂くわ」


 食事を再開する二人。

 特にアクトはすごい勢いで食べる。

 あまりに急いで食べたので途中喉を詰まらせてしまったが、ハルの用意した水をがぶ飲みして再び食事を続ける。

 こうして、食べ始めた時の麺の量はアクトの方が多かったにもかかわらず、ハルよりも早く食べ終わってしまった。

 それほど美味しかったのだ。


「旨かった!! こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてだ」


 喜ぶアクトに、ハルの顔も綻ぶ。


「少し大げさじゃない? まあ、私としてはお気に召してもらって何よりだけどね」


 片手間で簡単に作った料理とは言え、自分の作った料理を褒めてくれるのは嬉しいものである。


「このパスタという料理はハルさんの故郷の料理ですか?」

「・・・まぁ、故郷の料理と言うよりは外国から伝わった料理だけど・・・難しい話をしてもしょうがないわね。食材さえ揃えば、簡単に誰でも作れるので重宝しているのよ」

「へえ~。僕は生まれて初めて食べた料理だ。そもそも麺料理はラフレスタやトリアでも珍しいから」

「アクトさんはトリア出身なの?」

「そうです。古都とか言われているけど、現在の帝都とは比べ物にならないほど古びた街さ。ただ、森と湖があり、美しくて良いところではあるけれどね」

「へぇー。機会があれば一度行ってみたいわね」


 和やかな会話をする二人。

 昨日までの険悪なムードは嘘のようだった。


「ハルさんはどちら出身なのですか?」

「私は・・・」


 アクトにしてみれば何気ない会話だったが、ハルはこの問いにどう答えようかと一瞬身構えてしまう。

 一瞬答えに窮したハルだったが、やがて考えはまとまる。


「・・・私はクレソンから来ました」


 アクトはハルが何故答えに詰まったのかわからなかったが、そのまま話を続ける。


「クレソンって何処だろう・・・あ、もしかして西部の海沿いの街?」

「よくご存じね。正解よ」

「クレソンはそんなに有名な港町ではないけど、偉大な魔術師の出生地だと授業で習ったのを覚えていたので」

「・・・それはもしかして、リリアリア大魔導士の事ですか?」

「そのとおり! ハルさんも同じ魔術師であり、同郷だから、知っていると思うけど、稀代の英雄であるリリアリア大魔導師の出身地だからね」


 英雄と言う言葉に目を輝かせるアクト。

 自分も英雄になりたいと少なからず思うアクトにとって、リリアリアという人物はある種の目標のような人だからだ。

 これに対して、ハルはまるで今日の献立を説明するかの如く、いかにも簡単に衝撃の事実を口にした。


「それって、私のお母さんの事ですね・・・」

「・・・・え゛?」


 アクトが固まった。

 普通に答えただけのハルだが、アクトにとってこの一言は、衝撃的だったのだ。


「ハルさん! もしかして君のお母さんって・・・リリアリア大魔導士って事なの?」


 もう一回、事実を確認するために聞き直すアクト。

 ハルはアクトが何故そんな事を自分に再確認するのか、あまりよく理解できず、普通に肯定する。


「ええ、そうよ」

「何にぃ~!」


 いつも冷静沈着なアクトだが、この瞬間はとても驚いた。

 リリアリア大魔導士は既に現役を引退しているとは言え、現在の帝国で最も有名な魔術師であり、数々の伝説を作った偉人だったからだ。

 千人を相手に戦ったとか、海を割って島から島へ歩いて渡ったとか、伝わっている逸話はどれもこれも人間離れしている。

 彼女が最も活躍していたのは宮廷魔術師長に就いていた時期だが、現在は引退して故郷で静かに暮らしていると噂に聞いていた。

 だが、その英雄の娘がここにいるとは驚きだった。


「ほ、本当に君はリリアリア様のお子さんなのでしょうか?」


 急に神の子を見るように、丁寧な言葉使いになるアクト。


「本当に、と言われても、困るけど・・・」

「・・・・・いや、すまない。突然だったので・・・驚いた」


 アクトは自分が大人げなく慌てた事を詫び、少しの深呼吸を経て、ようやく冷静さを取り戻した。

 そんな興奮するアクトを見たハルは、リリアリアと自分の関係を喋ったのは不味かったと思い直し、それを誤魔化すために少し嘘をつくことにした。

 ハルは何かを決意するフリをして、アクトに話かける。


「アクトさんなら、話してもいいかな・・・」

「え? まだが秘密あるの?」


 ハルは頷く。


「実は、記録上では私のお母さんがリリアリア師匠と言う事になっているけど・・・実は本当のお母さんではないの」

「へ?」


 アクトはいろいろ変化する状況に頭がついて行けず、変な言葉を発する。

 そして、ハルは少し神妙な口調になり、会話もまた敬語調に戻す。


「私はクレソンで拾われたのです」

「拾われた?」

「ええ、そうです。私、本当の家族はずっと遠いところに・・・」


 それは、嘘ではない・・・遠いところも嘘ではない。

 だが、アクトは話しの流れから、ハルは孤児か何かだと勘繰るようになる。


「なんだって!」


 アクトは突然のハルの身上話に驚く。


「ああ、そんな顔しなくても・・・大丈夫ですよ。辛い時期もありましたけど、今はもう乗り越えましたから」

「成り行きとは言え、ハルさんのそんな大変な身上話を聞き出してしまい、すまない・・・」

「だから、もういいのです。辛かったことも私にとっては既に過去の事ですから」


 アクトの心配をよそにハルは気丈に振る舞っているように見せた。


「ただし、この事は絶対に秘密にして下さいね。詳細を知るのはグリーナ学長ぐらいですから」


「ああ約束するよ。この事は誰にも言わない。親友のインディにだって内緒にする」

「ありがとうございます。私はこの国に少し疎い所もあって、リリアリア師匠がそんな凄い人物だと思わなかったです。グリーナ学長からも私の身上話はあまり他言しないようにと言われています。今回は思わず秘密を暴露しちゃいましたけど、アクトさんなら信用できそうなので・・・」

「勿論。僕に役立てる事があれば何でも相談してください」


 アクトは胸を張って応えた。

 ハルから秘密を教えてもらった事でマイナスだった自分の印象が、ようやくゼロの位置まで戻ったような気がしたのだ。

 その生真面目な受答えを見たハルは、くすっと笑いを浮かべる。


「それでは、まずは私の魔道具作りを手伝ってくださいな」

「解りました。何なりと」


 アクトは騎士の真似事をして右手の拳を胸に当てて敬礼した。

 誠実であり、それでいて、不幸な生い立ちのハルを楽しませようするアクトの姿勢はハルを少しだけ愉快な気持ちにさせた。

 それによって場の雰囲気は和やかになり、その後、二人の間の会話が弾む。

 初めの出会いこそ最悪であったが・・・この姿こそがハルの本来の姿なのだろうなとアクトは思ったりするのだった。

 やがて数刻が経過して、研究室のドアをノックする音が響く。

 ハルが入室を促すとひとりの小柄な少女が入ってくる。


「エリー、来たわね。と言うか、もうお昼が終わってしまったのね。早く片づけなくっちゃ」


 そう言うが早くアクトと自分の皿を素早く片付けて、キッチンに消えていくハル。

 アクトはそれを黙って見送り、視線を戻したところでエリーと目が合った。

 ぺこりと可愛く挨拶するエリー。


「はじめまして。私は一年生のエリーと言います。ハルお姉さまの助手を務めさせていただきます。よろしくお願いします」


 礼儀正しく挨拶するエリーに感心しながら、アクトは自分も席を立って礼を返した。


「エリーさん、よろしく。僕はアクト・ブレッタで今日からハルさんの研究を手伝います。共に頑張りましょう」


 エリーと握手したアクトに、片づけを終えたハルが戻ってくる。


「自己紹介は済んだようね。エリー、聞いていると思うけど、しばらく三人で仕事をするわ。よろしくね」


 ハルの言葉に、感極まりそうになるエリー。


「ようやく夢の日々が来ました。憧れのハルお姉さまと一緒に研究できるなんて光栄です。こちらこそ不躾者ですがよろしくお願いします」

「エリーは大袈裟ね。まぁ今までも少し手伝って貰ったし、頑張りましょう」

「お姉さまにそう言って頂けるなんて、エリーはとっても幸せです。頑張りますよー」


 感極まっているエリーを見て、随分とハルに懐いている子だなぁとアクトは思った。


「アクトさん。エリーは少し大袈裟な所もありますけど腕筋は良い子です。甘く見ないほうがいいですよ」

「ああ、解っているよ。こちらこそよろしく」


 ひととおり挨拶も終わったところで本題に入る事になった。


「今回の研究テーマを説明しますので、二人とも座って下さい」

「その前に僕からひとつお願いがある」


 アクトが話しを割って入る。


「何でしょうか?」

「その、なんだ・・・ハルさん、敬語を止めませんか?僕たちは同じ年だし、同じチームでもある。その上、今回のリーダはハルさんになる訳で、敬語だとやりにくいでしょう」

「いやだめですよ。アクトさんは貴族ですし、私がそんなに馴れ馴れしくできませんよ」


 ハルは実直にその申し出を拒否したが、アクトはそれでも食い下がった。


「僕はそんな下らない事には拘らない。それに知ってのとおり僕は魔力抵抗体質だから、魔法の研究ではいろいろとみんなに迷惑をかける事も予想できるんだ。そういう意味も含めて、あまり特別扱いして欲しくないんだ」

「・・・わかりました。そこまで言うのなら」


 ハルは渋々頷き、エリーに目配せする。


 「では、以降敬語は話さない事にしましょう。実は敬語がちょっと苦手だったから、助かるのは本音だけど。あ、そうそう私の事はハルと呼んで構わないわ」

「私の事もエリーと呼び捨てて大丈夫です。でもアクトさんは目上の人なのでアクトさんのままで呼ばせて頂きます」


 ハルやエリーも条件付きで同意し、それに満足するアクト。

「ありがとうエリー。そして、ハルさん・・・いや、ハル。僕の事もアクトと呼んで構わない」

「わかったわ、アクト」


 お互い少し気恥ずかしかったが、これもすぐ慣れるだろうと思った。

 しかし、彼等はここで大きな失敗を犯している。

 この互いの呼び名はこの研究室内で限定するべきであり、普通に話す場所では貴族とそうでない者の線引きは必要である。

 普段の冷静な彼らでは絶対にこんな失敗をする人間ではなかったが、研究室での互いの呼び方があまりにもしっくりきた三人は、その後も勢いでこの呼び方を続けてしまう。

 それが更なる厄介事を引き起こす元になろうとはこの時の彼らが知る由もなかった。

 

 

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