第二話 人工精霊
ハルがアクトに対して警戒感を露わにする、何とも言えない雰囲気で交流授業は始まった。
その時は非常に落込んだアクトだったが、後にアクトは持ち直して、ハル以外とはなんとか普通に会話できる状態まで回復することに成功。
そして、時間は進んで、午前中の授業は終了となる。
ハルを除いた全員はこの学校の食堂で昼食をとる。
この昼食会にハルが参加しないのは学校公認であり、彼女は自分の研究が忙しく、昼休みは自身の研究室で研究を続けながら昼食をとるのが日課になっていた。
アクトはハルとまだうまく打ち解けておらず、彼女が昼食に参加しない事に残念な気持ちなる。
無理にでもハルを誘うべきかとアクトは迷うが、それよりも早くエリザベス達に手を引かれて教室から出てしまい、アストロ魔法女学院内の食堂に移動してしまう。
こうして、なし崩し的にハルとは別れてしまったが、彼女の都合もあるのだろうと気持ちを切替えて学院の食堂に意識を移すアクトであった。
ラフレスタ高等騎士学校と違いアストロ魔法女学院は生徒数が少なく、それでいて学校敷地に余裕のあるアストロ魔法女学院は食堂の造りも広々としており、生徒の集まる昼食時であってもゆったりした空間が取れる環境であった。
ゆったりしており、普段から女生徒しかいないこの食堂で男子生徒が混ざることになれば目立つもの当たり前であり、他の女生徒より喜々とした注目が浴びせられる。
アクトはその視線をできるだけ気にしないようにして自分達に用意された席へと着く。
アストロ魔法女学院の食堂の利用方法は窓口で食事を注文し、自分の席で待つと、専属の使い魔が食事を配膳してくれる方式だ。
それは他の学校に無い方式であり、注文した料理が届くまでの非日常になかなか落ち着かない男子生徒五人達である。
そんな中でフィッシャーは他の女子生徒に聞こえないようヒソヒソとアクトへ話かける。
「アクトやっぱここはスゲーな。女の子ばかりだし、しかも選抜生徒は皆、超美人だし」
「フィッシャー、あまり興奮しすぎて羽目を外すなよ」
「うるせいやい。わかっているよ。しかし、アクトも何だな。ここにも知り合いがいるとはなぁ」
「あぁ、あのエリザベスさんとは今年の年始の舞踏会で少し顔を合わせたぐらいだけどな」
「それもそうだけどよ。ハルちゃんとも顔見知りだったじゃないか。アクトも隅に置けないね」
「か、彼女とは街で偶然出会ったばかりだし・・・」
「いいって事よ、遠慮しなくてもよ!」
「・・・」
「それにしてもまったくアクトはお目が高いぜ。あのハルちゃんて娘はブカブカで地味なローブを着た眼鏡っ娘だけど、俺様の目は誤魔化せられないぜっ!」
「何がだよ」
フィッシャーの顔がニヤついている。
「あの娘、今回の選抜生徒の中で一番可愛いんじゃないかな?」
「そ、そうか?」
「眼鏡と地味な服装をしてけど、顔立ちはめっちゃ整ってるし、肌も綺麗。青黒くて長い髪に黒の瞳ってのが神秘的だろ!」
確かにそうだった。
ハルは特徴的な容姿のため、第一印象でかなり目立つ娘なのは否定できない事実だ。
「しかも、あの娘達の中でハルちゃんが一番のオッパイを持つと見た」
「な、何言ってだよ、お前!」
真剣な眼差しでふざけた事を言っているフィッシャーに全力で説教したくなったアクトだったが、フィッシャーの雄弁はこれだけでは止まらない。
「アクトてば、解ってねぇーなぁ。おい!いいか、確かにエリザベスさんの方が巨大なオッパイかも知れん。世の中の男の九割は彼女に軍配を上げる輩が多いのだろう。しかしなぁ、それは解っちゃいねぇーんだよ」
「何がだよ!」
「馬鹿たれめ!ハルちゃんの方が、形が良いんだよ。俺の目はブカブカのローブぐらいで騙されるほど柔じゃねーんだよ」
自分が、さも偉大な事の言う賢者のようにウンウンと唸るフィッシャー。
アクトはこんな女子の多い場所でも、いつもの調子を変えないフィッシャーに、頭が痛くなる思いだ。
「フィッシャー。そんな不純な目で彼女を見るなよ! 失礼だぞ!」
「いやいや、俺が言うのはそういう事ではなくてなぁ・・・」
いつもながら噛み合わない会話を続ける二人だが、これが女生徒に聞こえないようひそひそ話しであったのが幸いである。
こんな話を初日から女生徒達に聞かれていれば、非難の集中放火を受けて、本当に変態のレッテルを貼られてかねない。
ただでさえ、ハルから変態呼ばわりされているアクトは特に御免被りたかった。
そんな他愛もなく、下品な男会話が続いてる間に巨大な蝙蝠の数匹が使い魔として料理を運んできた。
蝙蝠が使い魔とはなんとも魔法女学院らしいな・・・とアクトは思ってしまう。
蝙蝠によって配膳された料理は野菜と肉のスープとパンであり、ラフレスタで一般的な昼食だ。
「それではいただきましょう」とエリザベスの合図で全員行儀よく昼食会が始まる。
アクトも料理を口に運んだが、騎士学校の食堂よりもアストロ魔法女学院の方が旨いと感じられた。
「これはおいしい!」
「あら、ラフレスタ高等騎士学校とは違いますの?」
エリザベスは嬉しそうな表情でアクトに応じる。
「そうですね。騎士学校では生徒数も多いので混雑しますし、質より量と言う感じの献立ですので、こちらの学院ほど美味しくはありませんよ」
「まぁ、そうですの? こちらの食事がアクト様のお口に合われたようで、何よりですわ」
「確かに、美味しい料理を頂けるのは嬉しい事です。我々は幸運だ」
「おほほ・・・」
この会話に満足するエリザベス。
その後、エリザベスは何度もアクトに話かけて、彼女なりの親交を深めていく。
アクトも年初に会ったエリザベスの印象があまりにも強烈だったため、初めは彼女に対して苦手意識もあったが、それも徐々に解消されて普通に接する事できるようになる。
エリザベスは魔法貴族派の長である家系なので、家の立場があるような場ではともかく、普段の場で話してみると、普通の令嬢だなとアクトは思い直す事にした。
アクトが周辺を確認すると他の生徒達も互いにだいぶ打ち解けてきたようだ。
やはり、食事中の会話というものは親睦につながると思えたし、次はハルと仲直りと言うか誤解を解かないといけないと思うアクトだった。
午後の授業は実習となった。
アストロの広大な学校の敷地の奥にある魔法演習地区の室内施設に選抜生徒達は集合する。
ここはいろんな意味で頑丈に作られた施設であり、様々な魔法の行使訓練で使われる場所である。
そして、午後の特別授業の講師はグリーナ学長自ら行うことになっていた。
「皆さん揃ったようね。それでは授業を始めましょう。午後は少々身体と魔法を動かす事になります。講師は私が担当しますからよろしくお願いしますね」
グリーナ学長の言葉に皆は神妙に頷く。
ラフレスタで一番、いや、リリアリア大魔導士が引退した今となってはエストリア帝国一の魔術師の教えを受けることができるのである。
特に一流の魔術師を目指すアストロ魔法女学院の生達達は学長自らの授業は初めての経験であり、一体どういう授業になるか興味津々である。
「さて、皆さんにとって魔法とは何かしら。神秘の力?知識の宝庫?利益をもたらしてくれるもの?それとも厄介な存在かしら?いろいろあるとは思うけど、この問いに対する正解は人の数ほど存在するわね」
グリーナ学長の穏やかな言葉が続く。
深みがあって安心感を与えるこの語りかけは彼女の人生経験の深さが成せる技だ。
「私を含めたここにいる人達にとって魔法を一言でまとめると、やはり『力』でしょう。自分の陣営が使うのであれば、それは大いなる戦力になるし、相手側の陣営が使うと大いなる脅威となる」
生徒達はグリーナの言わんとしている意味を正しく理解しており、素直に頷く。
この先、彼らがどのような人生を歩むかは人それぞれだが、それでもここの居る人間が魔法と関わらない生活を送る事はほぼ有り得ないだろう。
騎士隊や警備隊など荒事に関わる職業の者は勿論だが、学者や商人、一般生活を送る者さえも命のやり取りこそないものの魔法は必ず関わりがあるのだ。
「貴方達には、もしかしたらこの先、いろいろな困難な場面に遭遇するかもしれないし、その現状打開として魔法の力に頼る事もあるでしょう。自分が魔法を使う場合もあれば、自分では使わなくても周りに使い手が存在していて、その人と連携したり、指示を与える立場になったりと。貴方達がそのような立場になる可能性が高いことは既に自覚していると思うけど」
生徒達は互いの顔を見渡す。
確かに彼、彼女達は帝国有数の高等学校を卒業することになるし、しかも成績優秀者である。
自分達が今後、国政に関わる可能性も高い。
「と言う訳で、私の授業は全員で連携して課題を克服する大切さを学びたいと思います」
ここでグリーナは少し長い呪文を唱え、召喚魔法を発動させた。
「~~~魔法の力より生み出された精霊よ。今ここに集い発現せよ」
彼女独特の呪文の詠唱が完了すると、魔法演習場の中央部に魔素が集まり霧が立ちのぼる。
霧は歪曲した形で発光を始め、やがて霞はひとつに集まり、人型へと収束していく。
現れたのは人間の二倍弱ほどの身長を持つ人型の塊のような存在だった。
生徒達に「塊」と思わせたのはその人型が白っぽく半透明な巨人であり、向こう側が透けて見える身体だったからだった。
顔に目鼻口は無く、細長い手足があり、逆に胴体は短い、歪な巨人の姿をした塊である。
胴体の中心には白っぽい核のような塊があり、そこから四肢と頭部に無数のつながる光の筋が張り巡らされている。
特に感情を示す事もなく、ただそこにゆらゆらと存在する巨人の姿が露わになった。
この得体の知れない不気味な人型を見た生徒達、特に魔法の知識が薄い騎士学校の何人かの生達は驚きのあまり口をポカーンと間抜けな姿を晒している。
まったく無防備なその様子にグリーナは無理もないと思い、解説を始めることにする。
「この子は私の魔法で生み出された存在で『人工精霊』と呼んでいるわ。私のオリジナルなので魔法の教科書には載っていません。今回の授業では貴方達の仮想敵として設定しています」
その言葉に何人か女生徒達は息を飲む。
魔力を正確に感じられた彼女達はこの人工精霊がどれだけ力を持つ存在かを正確に看破したからだ。
「勘の良い人なら解るかも知れませんが、この子はとてもタフなので貴方たちの脅威となると思う。一ヶ月の猶予をあげますからこの子に勝つこと、それがあなたたちに与えられた当面の課題です。私は時々卒業試験で生徒に課題を出す事があるけど、その課題のひとつがこれよ。ちなみに今までの成功率は約二割かしら? あなた達ならば時間はかかると思うけど、この子に勝てると思っての主題よ・・・そうねぇ、もし、今日中にこの子を倒すことができたら私の権限で直ぐにでも卒業扱いにしてあげてもよいわ。それぐらいの強敵だと思いますから心して戦ってください」
生徒達が騒ついた。
人工精霊の見た目はボゥとしていて、ただ大きいだけの存在なのだが、感じられる魔力は凄まじい物があったからだ。
「学長、質問があります」
「何かしら、クラリスさん」
「こいつは個人で倒しても良いのですか? それとも団体戦が必須でしょうか?」
「どちらでも構わないです。もっとも個人で倒せるほど簡単ではないと思いますけどね」
その言葉にクラリスはニヤリとした笑みを浮かべる。
彼女にとって戦いとは最高の娯楽であり、強敵と遠慮なくやり合える事は願ってもないチャンスなのだから。
早速、彼女に頭の中は個人戦でどうやってこの巨人を倒そうかと算段が始まる。
そんなクラリスを後目に、次はユヨーからは別の質問が挙がった。
「相手の特徴や属性などは教えていただけなのですか?」
「ユヨーさん、今回はヒント無しで戦ってください。この演習場内であれば、この指輪があれば安全性については問題ありませんからね」
何かの助言を期待するユヨーだが、グリーナはこれに答えることなく、ただ大量の指輪が詰まった袋を生徒達に見せた。
この指輪は『アストロの守護』といわれる学院特別の魔道具である。
魔法演習場の場所内という限定だが、身体や心身に支障をきたす致命的なダメージを受けたとき、一回だけだが、そのダメージを無かった事にしてくれる魔法の指輪だった。
この指輪の効能については既に前の授業で説明済みであり、生徒達も周知している。
これがあるから、生徒達や先生は心置きなく全身全霊で魔法を行使する事ができ、全員が既に指輪を装着済みだった。
「ひとつだけヒントを与えると、人工精霊は自分から攻撃する事はありません。ただし攻撃を加えられると・・・その先は貴方達で確かめてください」
グリーナは優しそうな笑顔でこう答えたが、これを見たユヨーは何故か背筋に悪寒のようなものが走るのを覚える。
ユヨーはそもそも荒事を苦手とするタイプの魔女であった。
彼女にとっての魔法は知識であり、貴族の嗜みのひとつでしかない。
直感的に嫌な予感を感じたユヨーは、あの人工精霊へ一番最初に挑むのは絶対御免だと思う。
「さあ誰から行きますか?」
グリーナ学長の問いかけに対し、アクトが名乗りを挙げようとしたが、それを遮るようにエリザベスが初めの挑戦者に名乗り出た。
「まずは私から行かせていただきますわ。私はこの中で最大の魔法を使う事ができますわ。私の魔法で敵わないならば団体戦で赴く。その判断材料として私が参りましょう」
エリザベスはちらりとアクトの方を見る。
彼女の眼には自信の光がみなぎっていた。
自分の力を皆に、特にアクトへアピールするいい機会だと思う彼女だった。
しかし、それを観察していたグリーナは落胆する。
(正体も解らない敵にいきなり全戦力を投入するなんて、愚かな娘ね。しかもそれに私情が混ざっている・・・)
グリーナとしてはマイナス評価だったが、今回の敗北の経験が彼女にとってプラスに働く事を俄かに期待して、静観するに留める。
「それでは、行かせていただきますわ」
グリーナからどう思われているかなどいざ知らず、人工精霊に挑むエリザベス。
自分の魔法の射程に入ったところでエリザベスは立ち止まり、杖を掲げて長い詠唱を始めた。
「大地の奥深くに根付く怒りよ。南方からの暖かい風よ。太陽からの光よ。我に集いてひとつになり~~~」
その詠唱からエリザベスが何の魔法を行使するか分かったグリーナは指摘をする。
「あらあら。初手からそのような強力な魔法を使うと、どうなるのかしら」
グリーナからの忠告があったものの、既に魔法行使のため全身全霊で集中しているエリザベスの耳には届かない。
エリザベスは自分の魔力によって魔素が活性化し、魔法が思いどおりに働くのを感じる。
この魔法行使に至る瞬間が彼女の最も好きな時でもあり、子供の事から慣れ親しんだ感覚である。
特に炎の魔法を行使するときに体内に迸る熱い感覚が彼女の好みだった。
子供の頃はこの感覚が味わいたくて、いろんなものを燃やしては親に叱られたものだったが、今は完全に制御できるこの魔法の力。
『炎のエリザベス』と異名まで囁かれるほど、炎の魔法を使いこなしているとエリザベスは自負していた。
そして、今の自分が持つ最大の火力をこの標的にぶつけてやろう。
自分の力を誇示してやろう。
今までの卒業生が苦労して倒したと思われるこの標的を一撃で葬る事。
そうすることでまたひとつの信頼を勝ち取る事ができる。
(アクト様にも認められるわ。この私の栄華のために、糧になって頂戴!)
そう願いエリザベスは標的に的を絞り、魔法を完結させた。
「出でよ、炎。そして、貫け『大炎の槍』よ!!!」
魔法が具現化し、エリザベスの持つ高級な魔法の杖から大量の炎が溢れ出した。
発現した炎は彼女の杖から一メートル離れた場所でひとつに集約し、そして、濃縮された炎は一筋の炎柱となり巨人に向かって発射される。
凄まじい熱量を伴った炎柱が人工精霊の胸に向かって一直線に伸び、そして狙い違わずその巨体へ命中する。
大きな爆音と熱が発生し、煙が辺りに充満する。
やったか? 誰しもそう思った。
敵が爆散する姿を期待したエリザベスだったが・・・実際にはそうはならなかった。
「な!?」
エリザベスが驚嘆を発したのは、発射した炎が人工精霊を貫くことなく、その身体の中にすべて吸収されてしまった光景を見たからがった。
煙が晴れた後には強烈な熱量を放つ魔法の炎柱など見られず、まるで何もなかったように健在な人工精霊の姿だけがそこに存在していた。
そして、人工精霊の空虚な顔の眼に相当する部分が一瞬光ったかと思えば、その後に人工精霊の胸の部分からエリザベルの放った炎柱と同じ魔法が、エリザヘスに向かって放たれた。
「キ、キャーーーッ!!!!!!!」
悲鳴を挙げるも、抵抗らしい抵抗をする暇もなく炎の魔法の直撃を受けるエリザベス。
彼女は後ろに吹っ飛ばされて施設の壁に激突し、それだけでは勢いが止まらず、跳ね返って地面に数回打ち付けられた。
既に衝撃で気が動転している彼女に更に追い打ちをかけるように人工精霊からは炎の魔法の攻撃が続き、執拗に焼かれる彼女。
その膨大な火力は元々エリザベス自身が放った魔法の炎であり、これが皮肉にも彼女の魔法の威力を十二分に周囲の生徒へわからせる光景だった。
人工精霊からの炎魔法の噴出はしばらく続くが、やがてそれは止まり、エリザベスへの攻撃が完了することとなる。
辺りには焼け焦げた跡が残っているが、エリザベス自身には特に火傷の症状は見られない。
それは魔法の指輪が正常に機能している事を意味していた。
身代わりとなった指輪は激しく発光し、しばらくすると粉々砕けてその役割を終えるのだった。
生徒が絶対傷つかない事を理解しているグリーナはこの現状を冷静に他の生徒たちへ解説する。
「今、見たように、人工精霊に攻撃すると反撃されます。人工精霊は全ての魔法的な攻撃を跳ね返す事ができますし、物理的な攻撃も通じません。強力な魔法を放つほどこの人工精霊は危険極まりない存在となります」
と言ってエリザベスを指さした。
「あと注意事項として、みなさんは指輪で守られていますが、それはみなさんの身体と、その身に着けているもの、に限られます」
そう述べてエリザベスが衝撃を受けた際に手離してしまった彼女愛用の高級な魔法の杖を指さす。
そこには既に黒く炭化して原型を伴わない炭の塊があった。
魔法の火力に耐えられず、完全に燃え尽きてしまったのである。
「手放してしまうと守られませんので注意してくださいね。ちなみに学院の備品以外の私物は補償しませんので悪しからず」
エリザベスの持つ魔法の杖は勿論、私物である。
それは高級品であり、その価値を知るアストロ魔法女学院の女生徒達は少しだけ彼女に同情した。
これで意気消沈するかなと思ったグリーナだったが、この場に選抜された生徒達はこの程度で諦める者ではなかった。
「こんちくしょうめ」
腰に据えた剣を抜き、走り出すセリウス。
「抜け駆けさせるか」
「エリザベス様の敵!」
それを追いかけるクラリスとローリアン。
「おい待ってくれよ。カント、行くぞ!」
「え~、面倒臭いのやだよ~」
その後をフィッシャーとカントが続く。
「ちっ、しょうがない。あいつら陣形とか作戦とか全く考えてないぜ。アクト、ちょっと行ってくるから、後はよろしく」
そう言い残すとインディも彼、彼女らに続いた。
あとに残されたのはアクトとユヨー、ハルの三人だったが、その様子は個々で異なっていた。
彼らがこれから行うとしている戦いの様子を食い入るようにじっと観察するアクトとハル、そして、どうしていいか解らないほど狼狽えているユヨー。
その様子を観察するグリーナ学長は「ほう」と感嘆する。
ただ狼狽えるだけのユヨーは論外だがアクトとハルとでは観察の焦点が違っているように思えたからだ。
ハルの視点は人工精霊に絞られていて、魔力の流れ方から弱点を分析しているように思えた。
それに対してアクトは全体の戦いの流れや戦い方を分析し、今後の戦略を考察しているようであった。
アクトもハルも互いにこの場は魔法の指輪を装着しているお陰で仲間達が絶対に傷つかない事を確信しているからこそ、静観する事を選択しているのだが、咄嗟の判断でもなかなか同じような事をできる者は少ない。
グリーナの授業の目的は絶対的な強者に遭遇した時の対処方法を学ばすつもりだった。
それは仲間との連携方法や戦い方を学ぶ事も重要だったが、まずはどれだけ冷静に現状分析ができるかがキーポイントとなる。
(その点において、このふたりは既に合格だわ)
そう評価しながらもグリーナは現在進行中の戦いに視線を戻した。
戦いは近接戦闘している者が二名、中距離から魔法攻撃している者が二名、遊撃が一名、そして防御に徹しているものが一名と急ごしらえにしてはなかなか様なった連携だった。
「とぅりゃー!」
気合の掛け声とともに魔力を込めた拳で人工精霊を打つクラリス。
人工精霊の表面に当たると魔力が跳ね返され、自身に逆流してくる。
それを天性の勘で察知し、素早く拳を引いて身体を反らすことで回避に成功。
逸れた魔力の塊は、近くにいたセリウスを掠り、彼はうめき声を上げる。
「ぐぉ!? 痛ってー。何をやってんだ!! この馬鹿女」
「煩い! それぐらい自分で避けな、って言うかアタイが悪いんじゃなぇよ。そこのデカブツに文句言っとくれっ!」
気が昂っているのか普段の言葉使いとだいぶ違う二人だったが互いに近接戦闘に適正があるため、連携は悪くなく戦いを継続できている。
しかし、人工精霊にはダメージらしき打撃を与えられていない。
剣で切れば、身体を通り抜けて空虚な空間を剣が通り過ぎるだけだし、魔法を与えれば全て跳ね返される。
二人の攻撃は続けられるが、その合間をぬって遊撃たるインディが接近しては雷、土、光、水と様々な系統の魔法を放つ。
ひとつひとつの魔法の威力が少ないのは、彼自身がどの魔法でどれぐらいの効果あるかを試しているからだった。
当然、人工精霊に跳ね返され自身に返ってくるが、それは予想しており、インディは素早さくすべてを回避していた。
そして、今のところ全て効果なしの結果であり、芳しい成果はあげられてはない。
「セリウス、クラリスさん、いったん離脱だ。来るぞ」
「何が」とは彼らは問わない。
それは彼らも後方で大きな魔力の収束を感じたからだった。
戦闘は専門ではないと宣言していたフィッシャーだったが、それでも優秀な生徒である彼は詠唱の時間さえあれば、攻撃魔法もそれなりに使える。
強い魔法を行使する事も可能だった。
「水蛇よ、暴れろ」
フィッシャーの掛け声と伴に魔法により、何処となく現れた水の大きなうねりが、人工精霊へ襲いかかる。
大蛇のような水柱が人工精霊に攻撃するが、やはり表面からすべて吸収されてしまう。
そして、眼の光と伴にフィッシャーに向かい直線的に水柱の魔法が放たれる。
身構えるフィッシャーだが、彼に到達するよりも前に透明な壁によってそれは阻まれた。
カントが急ごしらえで作った魔法陣による防御壁が展開されたからだ。
激しい明滅を繰り返し、人工精霊から放たれた魔法を耐えた魔法陣だったが、次の一波に備えるべく、自身の魔法陣に魔力を注ぐカント。
「くっそ、キリがないな」
そう呟くインディだったが、それに応じたのはローリアンだった。
「それでは、これはどうかしら!」
エリザベスほどではないにしろ、ローリアンも強力な魔術師のひとりだ。
先ほどから炎系、光系、水系と放っているが人工精霊にはあまり効果が見られず、全て跳ね返され、カントが施した魔法防御壁のお世話になっている。
この現状を打開するため、どれほど効果があるかは解らないが、彼女が本来得意とする幻惑系の魔法を選択した。
「眠りの雲よ」
そう彼女が唱えたとき、人工精霊の頭上に紫色の毒々しい雲がムクムクムクと現れる。
やがて雲は広がり人工精霊全体を覆う。
特に何も反応を示さない人工精霊だが、何かの効果が現れたか? と思う矢先、紫色の雲の内部から強烈な光が一瞬輝き、そして、雲が爆散した。
紫色の雲は周囲四方八方へと広がり、前衛のセリウス、クラリス、インディだけではなく、後方に控えていたカント、フィッシャー、ローリアンを飲みこんで行く。
流石にカントの魔法防御壁も急ごしらえのため、眠りの雲には対応できなかった。
雲はまるで意思を持つかの如く生徒達の周りにしばらくまとわり付き、そして、魔法の持続効果がなくなって霧散すると、その中から地面に倒れ込んだ六人が姿を現す。
魔法の効果が発動して、彼らは睡眠に抗う事ができずに昏倒してしまったのだ。
魔法の指輪も身体に致命的な害を及ぼす魔法では無かったため、守ってくれなかった結果による。
昏倒した六人をただ黙って見おろす姿の人工精霊。
「戦闘不能ね」
グリーナ学長がそう判決を下し、アクトとハルに向かってどうする?と言わんばかりの表情で問う。
ここはてっきり仕切り直しを要求されるのかと思うグリーナに、ハルからは思いもよらない言葉が発せられた。
「倒しちゃっていいですよね?」
そして、グリーナやアクトが何かを言うよりも早く、ハルは人工精霊の方へ歩み出した。
ゆっくり一歩ずつ進むハルは眠っている生徒を避けて歩き、やがて人工精霊の前までやってくる。
対峙する人工精霊は黙して無表情だが、小娘如きに何ができようと言わんばかりの存在感で堂々と彼女の前に立ち塞がる。
それが少し癪に障ったのか、ハルは人工精霊に話かけた。
「人工精霊さん。貴方に心があるのかどうか解らないけど、自分は最強だと思って過信していると痛い目に遭うわよ?」
ハルの言葉に応えたのかどうかわからないが、空虚な頭部の口に該当する部分に少し歪みが生じた。
まるでハルの言葉をあざ笑うように見えたが、多分気のせいだろうとグリーナ学長は思う事にする。
「ふん」
直後、ハルの気合と伴に無詠唱で雷が発せられる。
それを見ていたユヨーはエリザベス達と同じように彼女の魔法が反射されると思い、目を覆ったが・・・
甲高い雷鳴が響いた後にゆっくりと目を開けたユヨーに映ったのは健在な状態のハルの姿のであり、黒い煙を上げていた人工精霊の姿だった。
何が起こったのか? ユヨーには全く解らなかったが、それはグリーナにも同じだった。
「な・・・そんな馬鹿な事が?」
そこには、いつも冷静沈着なグリーナ学長が驚きに目を見開く姿があった。
あれほど魔法に対して無双の存在であった人工精霊。
そんな人工精霊へ、ハルは魔法攻撃を成功させたのだ。
しかし、その偉業を成し遂げた張本人のハルは顔つきがあまり芳しくない。
「あらら、一撃じゃダメだった・・・」
人工精霊は内部から黒い煙を上げ、白い核には今でも稲妻が走っていたが、死んではいない。
だらりとした腕を上げて、ハルに一撃パンチを喰らわせようと、のろり動き出す。
もう一撃何かの魔法で攻撃しようと準備するハルだが、その横を黒い影が通り過ぎる。
その黒い影の正体はアクトであり、ハルを背にして人工精霊の前に出ると意識を自分の拳に集中した。
「ハァッ!」
掛け声と伴に飛び上がり、人工精霊の上腕に拳で殴り掛かる。
アクトの拳の攻撃はクラリスのときと同じように人工精霊の体内を、空虚に拳がすり抜けたように見えたが、実際にはそうならず、人工精霊の腕が爆発するように切断されて、そして、ゆっくり地面に落ちて腕から先が霧散して無くなった。
「ええっ!?」
このとき、素っ頓狂な声を上げたのはユヨー、ハルでもなく、グリーナであった。
先程のハルにも驚かされたが、このアクトも大概の非常識な人間だったようだ。
いくら彼が魔力抵抗体質者だと言っても、魔法を殴るなんて、そんなことができるのだろうか? それでも、現実に目の前では起こっている。
そんなグリーナの動揺など気にすることもなく、アクトは人工精霊へ攻撃を続ける。
魔法の防御機能を失った人工精霊はすでに鉄壁の守りは無い。
アクトが剣を振り、その一撃一撃で人工精霊が次々と切り刻まれていく。
そして、最後にはアクトの剣先が白い核に届いたところで人工精霊としての存在を保つことができなくなり、全ての姿が霧散し、人工精霊がついに倒されてしまった。
アクトはハルを背にしばらく人工精霊が居た空虚な場所を睨むが、もう現れる事はないと確信したアクトは剣を鞘に仕舞う。
振り返ったアクトはハルに手を差し出しニコっと笑う。
嫌味のない笑顔で互いの健闘を称えるものだった。
ハルはアクトの姿に一瞬ドキっとしたが、いけない、いけないと自分に言い聞かせる。
「別に、恩には感じていないからね!」
ハルは自らの恥ずかしさを隠すためツンケンとした態度になり、差し出された彼の手は取らず、踵を返してグリーナ学長たちがいる方に歩きはじめた。
残されたアクトは差し出した右手が空虚そのままに、左手で自分の頭を掻き、参ったなぁという表情になる。
いろんな事で理解の追い付かないグリーナとユヨーの目前で、そんなヤキモキしたやり取りをするふたりであった。