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ラフレスタの白魔女(改訂版)  作者: 龍泉 武
第二章 魔女の学院
20/134

第八話 対決 ※

「白魔女様、こっちも駄目みたいですぁ」

「はぁ、参ったわね」


 エミラルダはため息を吐き、周辺の様子を伺う。

 今日はとことんついていない日だった。

 いつものように月光の狼へ魔道具を届けた後、彼らの活動に参加するエミラルダ。

 今晩の仕事はラグナル男爵の別荘に侵入して不正を示す証拠書類を強奪する予定であったが、屋敷の中はものけの空で不発に終わった。

 諦めて脱出しようとしたところ、月光の狼一団のベンの不注意で魔法の警報装置を作動させてしまい、私設警備団を呼び寄せてしまった。

 私設警備団を撒き、ようやく脱出を果たした彼女達であったが、今度は貴族街の外れで正規の警備隊とばったりと出くわしてしまった。

 離脱しようと付近の倉庫に逃げ込むものの、どうやら敵も見逃してくれるつもりは無く、包囲網が段々と狭められている。

 この場所が安全でなくなるのも時間の問題であった。


「ベン、エレイナ。ここから離脱するわよ」


 エミラルダの呼びかけに頷く月光の狼の二人。


「先ず私が囮になって警備隊達を誘き出すわ。そして、集まってきたところでこの魔道具を使う。まだ試作品だけど、強烈な光が出る筈だから、決して目を開けないようにしていて。これが成功すれば、警備隊達の視界は利かなくなる。後は三人揃って離脱する。良いわね?」


 黙って頷く二人。


「但し、この魔道具はまだ試作品だから期待どおりの効果が発揮されないかも知れないわ。もし、予想外の事が起きても焦らず、離脱を優先するのよ。それじゃあ、行くわね」


 そう言うとエミラルダは物陰から立ち上がり、倉庫の外へと飛び出す。


「賊が居たぞー。捕まえろ!」


 怒号が発せられ、警備隊が次々と白魔女の方に集まる。

 今のところ予想どおりの陽動による結果だ。

 ベンとエレイナは物陰に隠れ、エミラルダの策が実行されるのをただひたすらに待つ。

 そうとは知らない警備隊達は笛を吹き、賊を捕らえようと、多く者が彼女を包囲するように集まってくる。


「おい! あれ、白魔女だぞ!!」


 警備隊の内、彼女を知る者がその名を口にした。


「遂にヘマをやったか! 今度こそ逮捕してやる」


 散々と今まで虚仮にされていた警備隊の隊員達はここで手柄を挙げてやると意気込む。

 対するエミラルダは「かかって来なさい」と言わんばかりに笑みを浮かべて、身体を仰け反らせて手招きをする。

 警備隊を挑発するような彼女の仕草は、夜であってもハッキリと自分の魅力を主張し、見方を変えれば、歓楽街で男を誘う女豹の色気を放っていた。

 その媚薬に若い独身の男性警備隊隊員の何人かはゾクッと反応してしまう者もいたが、彼らへすぐに怒号が飛んできた。


「おめーら、何を考えてんだ! 相手は賊だぞ。色香に惑わされるな! 逮捕するんだ!!」


 罵声を挙げたのはロイ隊長。

 その声にハッとさせられる若い隊員達。

 一瞬でも白魔女の色香に当てられていた事を恥じて、気を持ち直した。

 それを見たエミラルダはチッと舌を鳴らす。

 このとき、彼女は簡単な魅惑の魔法を使ったのであるが、どうやら相手には抗われた事を知る。

 もっと強力な魔術を施せない事も無かったが、上手く彼らの注意を引き寄せるには多少の自我が残っていた方が都合良いし、あの実験品を試すつもりなので周囲の魔素が乱れないように魔法を抑えた結果でもある。


「もう少し、こちらに引き寄せる必要があるわね」


 エミラルダはそう心の中で呟くと、少し暴れてやる事にする。


「氷礫の舞よ」


 エミラルダがそう唱えると両手から無数の小さな氷の粒が無数に空間へ放たれた。

 彼女が回転するように舞うことで、四方八方に放たれた氷の礫は本来の目的であるけん制的な攻撃に加えて、魔法のランプやかがり火に命中し、警備隊から光をどんどん奪っていく。


「照明がやられるぞ。もっと密集隊形を組み、防御せよ」


 ロイ隊長が的確な指示を出す。

 それこそが白魔女の次の狙いだとは知らずに・・・

 いよいよ槍や棍棒が白魔女に届きそうな距離に達するが、彼女の氷の礫に阻まれて決定打を与える事はできない。

 それでも包囲網は狭まり、数で優勢な警備隊が確実に圧倒しているように見えたが、白魔女の顔には笑みが漏れる。

 それは自分の組み立てた筋書きどおりに事が進んでいるからだ。

 もうそろそろ頃合いと思うエミラルダだが、ここで彼女の計算違いが発生する。

 どこからとなく疾風のように現れた何かにより、彼女の放った魔法の氷礫が次々と消滅されられた。

 そして、彼は・・・彼女の前に姿を現す。


「貴方は!」


 エミラルダは驚きに口を開く。


「久方ぶりだな。白魔女」


 剣を構えた短い金髪の青年。

 アクト・ブレッタがそこにいた。

 彼は今日も運良く実習生として参加していたのだ。

 少し離れたところにインディやサラも待機していたが、同じ場所にいたアクトが飛び出してきたのだ。

 アクトは以前、白魔女に完敗した。

 それ以来、白魔女に勝つ事を心に強く刻み、特訓してきたのだ。

 そして、再戦のチャンスが早くも到来し、彼は歓喜のあまり駆け出してしまった。


「夜なのに元気な人ね。またやられたいの? 今度は怪我するわ、よっ!」


 両手から放たれた氷塊は空中で合体し、先ほどとは違う巨大な氷塊となってアクトに向かって一直線に飛ぶ。

 この大きさに驚いて逃げると思っていたエミラルダだったが、アクトの採った行動は真逆だった。


「ハアァァッ!」


 アクトは掛け声と伴に巨大な氷塊に向かって突進を始める。


『無謀!』


 対魔法戦の基本を全く無視したアクトの行動に誰もがそう思う。

 魔術師によって作り出された炎や氷の魔法物質は、現実世界では存在自体があやふやなものである。

 何もない空間にできた氷は魔力が作用した結果であり、この魔法の氷に対して剣や槍などの攻撃を放っても、壊す事ができないとされている。

 それはこの氷の根本が魔力と魔素で構成された『事象改変』という現象が発動しているためだ。

 もう少し解りやすく言うと、魔法が継続している間は、その魔法によって生み出されたものを簡単に消失させる事は難しい。

 つまり、今の白魔女によって発動中の魔法の氷は物理的な外力で壊す事が難しく、これに剣などで破壊しようとした場合、自身が傷つくのは勿論、強力な魔力が作用している場合は下手をすれば、攻撃を与えた側が氷漬けにされてしまう可能性もあるのだ。

 よって、対魔法戦の基本としては『回避』、もしくは、炎など相反した魔法系統を利用して『相殺』を選択するべきである。

 誰もがこの基本中の戦法を見誤ったアクトが、残念ながらこの場で打ち負かされると思っていた。

 しかし、ここで奇跡が起こる。


「セィッ!」


 巨大な氷塊に向かって気合と伴に拳を奮うアクト。

 アクトの拳が魔法の氷塊と接触した瞬間、黒い靄のような光が一直線に氷塊を通り抜ける。

 そして、スローモーションのように氷塊が真っ二つに割れて、ゆっくりと左右に裂けた。

 そして、最後に二つに割れた氷塊は黒い霞となり霧散してしまう。


「何っーーい!?」


 白魔女の魔法によって施された『事象改変』をアクトの拳が打ち破った。

 その場に居合せたすべての人間が驚愕に目を見開く。

 アクトは『魔法を手で叩き割る』という非常識を実行したが、それは自ら持つ魔力抵抗体質の力を自身の拳に集中して、迫り来る魔法を遊撃したのだ。

 魔力抵抗体質の力をこのように使う例など過去には聞いたことがない。

 これはアクトが『特訓』によって得られた成果であり、インディの「魔力抵抗体質の力を攻撃に使えないか?」という言葉をヒントに、アクトがたどり着いたひとつの到達点であった。

 短時間で技を自分の物にできるところが、アクトも戦闘という職業に天性の才能を持っていたのだ。


「どうだ! この前のように簡単にはやられないぞ!」


 練習の成果をいち早く試せたアクトは自信に満ちた顔で白魔女エミラルダに挑戦の眼差しを向ける。

 エミラルダは驚き、形の良い眉を少し歪ませたが、それでもすぐに気持ちを切替える。

 仮面の力によって思考能力が増している彼女は、いつもにも増して冷静で論理的な分析が可能になっており、アクトのやった事をすぐに受け入れて理解しようとする。

 そういう意味では白魔女エミラルダも・・・天才だったのだ。


「貴方は魔力抵抗体質の力を・・・多少はコントロールできるようになった訳ね」


 この青年はどうやら自分の持つ魔力抵抗体質の力を身体の一部分に集中して発現させることで、文字どおり魔力を叩き割ることができるようになった、と正しく現実を理解した。

 そんな事のできる魔力抵抗体質者なんて、今まで聞いたことも無いし、どうやってそのような技か実現できるのか? 皆目見当もつかないが、自分の目の前で起こった現実を素直に受入れて、次に自分が成すべきことを紡ぎ出す。

 これこそがエミラルダの才能なのだ。


「じゃあ、これはどうかしら」


 と、エミラルダは右手だけを突き出して、無数の氷礫の魔法で攻撃する。


「なんの!」


 自分に向かってくる多量の魔法の氷礫を、アクトは左手を素早く動かして次々と魔法を無力化する。


 「この程度の攻撃は何か牽制なのか・・・むっ!?」


 アクトは自分の背後から迫るむず痒い感触にハッとなり、握っていた剣を捨てて右手も突き出す。

 その勘とおり、突き出した右手の先で透明の何かがポンと音を立てて破裂し、魔法が無力化されて黒い霞と共に細かい雷光が闇夜に消えていった。


「チッ」


 とっておきの魔法が無力化されてしまい、白魔女エミラルダは舌打ちを漏らす。

 彼女が施そうとしていたのはオリジナル魔法の『金縛り』である。

 この魔法は帯電体と呼ばれる空気の塊を作り、それを相手にぶつける事で、相手の身体に微弱な電流を流して自由を奪うものだ。

 この帯電体は作るときと飛ばすときに魔法を使う。

 逆の言い方をすれば、帯電自体は自然現象なので魔力抵抗体質の人間にも効く。

 氷礫の攻撃をおとりにして、本命の攻撃はアクトの背後から帯電体をぶつようとしていた。

 しかし、それをアクトに感付かれてしまい、帯電体がアクトにぶつかる直前で魔力抵抗体質の力により帯電魔法が無力化されてしまった。

 こうして、アクトの身体を麻痺させようと目論んでいたエミラルダの企みは潰えることになる。


「方針変更ね」


 エミラルダはそう言うと、再び両手から氷礫を発生させる。

 これは今までとは違い、凄まじい数の氷礫がアクトに襲い掛かった。


「なんの!」


 アクトは自身に迫る無数の氷塊に対して、両拳を使った魔力抵抗体質の力でこの魔法を防ぐ。

 凄まじい数の氷礫であったが、それでもアクトの魔力抵抗体質の力の方が優位であり、次々と彼女の魔法を無効化していく。

 それでも攻撃を止めようとしないエミラルダ。

 アクトとエミラルダの攻防はしばらく続く。

 やがて、アクトが少しずつ前進を始め、その距離がじわりじわりと縮められる。

 これを物陰から見ていた月光の狼のエレイナは白魔女のピンチを感じていた。


「あの力は魔力抵抗体質のもの。不味いわ。白魔女様と相性が悪すぎる。ベン行くわよ」


 ベンも軽く頷き、そして、二人は物陰から静かに飛び出した。

 一方、アクトとエミラルダとの距離は1メートルに迫っていた。

 アクトは白魔女のエミラルダに対して真剣勝負を望んでいたが、彼女自身に対して憎しみの感情は持っていない。

 白魔女は自分をここまで高めてくれた存在であったし、彼女が極悪な犯罪者であるという意識は無い。

 加えて、自身の特訓の成果も上手くいき、気を良くしていた事も作用したのだろう、この時のアクトはできるだけ無傷で白魔女を無力化する事を考えていた。

 そうするためにアクトはエミラルダに近付き、そうして、魔法を放つ彼女の左腕を素手で掴み取った。


「捕まえたぜ!」


 アクトはエミラルダに向かって自信満々な笑みを浮かべ、これで『勝った』と思う。

 一般的に魔術師は身体が弱い。

 この白魔女も見たところ華奢な女性だとアクトは認識していた。

 あとは後ろ手に腕を捻じり、苦痛を与えれば、魔法行使の精神集中ができなくなる筈だ。


(これで彼女を無傷で降伏させることができる!)


 そう思い彼女を転ばすために腕を引こうとするアクトだが、ここで違和感が・・・

 いくら引っ張っても彼女は微動だにしなかった。

 まるで精巧な石造の像を相手にしているように押しても引いても動かない。


「な!?」


 想定外に焦るアクト。

 それを見越していたのか、エミラルダは冷静な目をしてアクトに応えた。


「あらあらどうしたの? 貴方、もしかして、ここで私を押し倒して、変なことをするつもりだったのかしら?」


 今、自分が置かれている状況に何の危機感を覚える事もなく、普通に語り掛けてくるエミラルダ。

 しかし、彼女の口はアクトの耳元に迫っており、こんな状況でもアクトは彼女の吐息にゾクゾクとするものを感じていた。


「そんな事を考えている人にはお仕置きが必要ねっ!」


 今度はお返しとばかりに、エミラルダがアクトの腕をガシっと引っ張る。


「うっ!!」


 何かの悪寒を感じたアクトであったが、時すでに遅く、凄まじい力で彼女の方へと引っ張られた。

 アクトは抵抗する間もなく、あっという間に空中に身体が踊り、一瞬の浮遊感を味わった後、地面へと叩きつけられた。


「痛!」


 堪らず呻き声を挙げるアクトであったが、これだけで簡単に許すエミラルダでは無い。

 今度は右から左、左から右へと次々の地面に叩きつけられるアクト。

 それは信じられない光景だった。

 細身の女性が、巨漢とは言わないまでも、そこそこ鍛え上げられた体格の良い青年を、まるで濡れた布でも振り回すかの如く、右左へ腕一本で投げ回す姿がそこにあったからだ。

 地面に激突したアクトは強い衝撃にうめき声を挙げるが、エミラルダはまだアクトの手を離しておらず、彼女の攻撃はそれで終わらない。

 まだ大したダメージを与えられていないと認識したエミラルダは、もう一回、更にもう一回、とアクトの身体を右に左に打ち付ける。

 人が木っ端のように左右へと叩き付けられるその非現実的な光景に、誰もが絶句して動きが止まっていた。

 三回ほど打ちつけて満足したのか、エミラルダはアクトの手を放して、ようやく彼を解放する。

 アクトは結構なダメージを受けていたが、それでも意識を飛ばさなかった。

 それが幸いしたのか、アクトが物陰から迫る殺意に対処できたのは幸運だった。

 自分に伸びてくる細剣を認識したアクトは、ほぼ反射的に後ろへ転び、その攻撃を回避する。

 しかし、追いかけるように、アクトが居た場所を次々と細剣で突き刺す攻撃が続いた。

 アクトは後ろに転んで、さらに右に左に避けて、やっとの事で起き上がる。

 運良く、そこに先程投げた剣があって、それを拾い電光石化にように繰り出された相手の攻撃を受け流して、なんとか防戦するアクト。

 夜中に剣と剣がぶつかり合い、発生した火花を尻目に、アクトはこの新たな敵の観察をした。

 敵は全身が黒尽くめであったが、僅かに伺えた身体的な特徴から相手は細身の女性であると思われる。

 おそらく、月光の狼の一員がこの辺りに潜んでいたのだろう。

 この刺客はレイピアと呼ばれる細剣を使い熟し、その剣の腕は凄まじく良い。

 一撃一撃は大した事ないが、彼女は異様なほどに手数が多いのだ。

 スピード重視といったスタイルだろう。

 これは超一流と言っても差しさわりが無い。

 ラフレスタ高等騎士学校内にもこれほどまでにレイピアを扱える人物はいなかった。

 アクトは凄まじい攻撃を躱し続けて、ようやく相手から離脱することに成功する。

 仕切り直しだと思うアクトだが、相手の方が一枚上手だった。

 この女の刺客は左手をアクトの方にかざして凄まじい速さで呪文を唱え始めた。


「魔法戦士か!」


 魔法行使のときの独特の感覚を感じ取ったアクトは咄嗟に防御態勢を取る。

 アクトの予想どおり、彼女の手から光の玉が発射された。

 躱す間もなく光玉の魔法はアクトに直撃したが、アクトはこれに臆することは無い。

 光玉の魔法は熱と光で相手を焼く魔法だが、アクトの魔力抵抗体質の力は極めて強力であり、魔法をすべて分解して、黒い霞に変換して霧散させてしまう。

 微かに感じた熱と光の気配が去った後、アクトは敵の姿を確認したが、彼女は既にアクトの目前から消えており、後ろ向きに空中で回転しながら白魔女の元へ戻っていた。

 どうやらこの魔法は初めから陽動目的だったようで、気が付くと白魔女の脇にも、もう一人の別の賊も増えていて、守りを固めていることが解る。

 白魔女もそうだが、この女魔法戦士の腕も高い領域にあるとアクトは認めた。

 どうやって攻めるかと思考を巡らすアクトだが、敵はアクト達に次の事をさせる余裕など与えなかった。

 白魔女が新たな魔法を行使するために呪文を唱えていたのだ。


「まずい。奴の詠唱を止めろ!」


 それに気付いたアクトを含む警備隊面々は魔法を妨害するため、白魔女に突進したが、白魔女の魔法が完成する方が先だった。

 異様に短い詠唱が完結すると、白魔女と配下二人の地面周囲に円形でオレンジ色の魔法陣が発現する。

 複雑な文様とその中心に蜘蛛のシンボルが現れ、明滅を繰り返した。

 そして・・・


「魔法の蜘蛛の巣よ。彼らの自由を奪い拘束せよ」


 エミラルダがそう唱えて魔法は発動する。

 オレンジ色の魔法陣の外周から白い粘着質状の網が四方八方に飛び散り、警備隊らの上から覆いかぶさった。


「わわ、何! なんだ、これは」

「ネバネバしていて引付いて離れねぇ!」

「うぉっ。お前ぶつかるな。引付くぞ!!」

「ぎゃぁ! 腕が絡まって動けない」


 警備隊は一気に混乱状態に陥る。

 彼らが暴れれば暴れるほど粘着質状の網が複雑に絡み合い、身体の自由を奪っていく。

 それに追い打ちかけるように魔法陣から次々と新しい網が放出されて、混乱した集団を何重にも包む。

 やがて蜘蛛の糸の放出は止むが、エミラルダの周りには蜘蛛の糸に絡められた芋虫のごとく、警備隊の面々が複雑に絡み合った糸で雁字搦めにされおり、無様な姿で見事に集団がひとつに拘束される結果となっていた。

 その中には先程大暴れしていたアクトの姿もある。

 彼には魔力抵抗体質の力があるため、魔力でできている蜘蛛の糸だけならば無力化することができた。

 しかし、彼はこの糸ではなく、絡められた他の隊員の身体によって雁字搦めにされていた。

 魔法に対しては圧倒的に有利な魔力抵抗体質の力も以ってしても、これが生身の人間に作用することはない。

 白魔女の魔法はこの事を考えて行ったのか、はたまた偶然の産物なのか・・・

 結果に満足している白魔女の顔をチラリと見たアクトは、やはり考えての魔法だったと思い知り、彼女の聡明さに敵ながら感服するのであった。

 そんなアクトを置き、白魔女エミラルダはふうと息を吐き、窮地が去ったことを認識する。


「ちょっと予定は狂ったけど、なんとかなったわね」


 彼女の目の前ではうめき声を上げる五十人ぐらいの集団が肉団子になっていた。

 蜘蛛の巣で雁字搦めになりうめき声を上げる男性集団の姿は見ていてあまり気持ちのいいものではない。

 早速、この場を離脱すべきとエミラルダは懐より例の実験魔道具を取り出す。

 手の平に正四方体の魔道具を載せる。


「それでは皆さんごきげんよう。魔道具、発動せよ!」


 エミラルダは魔道具発動となる結びの呪文を唱えると、水晶でできた魔道具の中心に埋め込まれた二枚の板のようなものが発光を始めた。

 それを高々に空中へと放る白魔女。

 この魔道具がどのような効果を及ぼすか解らない警備隊達だったが、自分達に何らかの悪影響を与える兵器である事に予想は違わない。

 気の弱い者は悲鳴を挙げた。

 そして、ある者は自分達でもうどうすることもできないと、諦める者もいた。

 そんな彼らに、白魔女より放たれた謎の魔導具は放物線を描いて迫ってくるが、そうはさせないとする影がひとつ・・・

 この中で唯一諦めなかったアクトだ。

 彼は地道に自分の周りに張り巡らされた魔法の蜘蛛の糸をひとつひとつ解除し、周りの男達の拘束が緩くなったのを切掛けにして肉団子集団から飛び出してきた。

 飛び出す際に何人かの警備隊を踏み台にしたが、それを今は気にする時ではない。

 更に高く飛び上がって、白魔女の放った魔道具に迫る。

 通常の力では発動中の魔道具を破壊できない、と直感的に悟ったアクトは奥の手を使うことにする。

 手にしていた剣の柄に特定の衝撃を与えて、剣に付与された氷結の魔法を発動させていた。

 例のサラに仕込んで貰った時限発動式の魔法だ。

 予定されていた魔法が正しく発動し、たちまちに冷気を纏う魔法の氷の剣が完成する。

 その氷結により質量と魔力を帯びた急ごしらえの魔法の剣を大きく振りかぶり、そして、謎の魔道具に向かい全力で剣を振り下ろす。


ガキーーーーン!


 金属的な甲高い音が周囲に響いて、魔法と魔法が激しくぶつかる。

 アクトにとっては幸運なことに、今回の即席の氷の魔剣が偶然にも相手側の魔道具と相性が良かった。

 氷の魔法が光の魔法を散乱させて、魔法的な結界を突破し、魔道具を上から下へと切断する。


「なっ、何てことを!」


 驚きに目を見開く白魔女エミラルダ。


(何てことをしてくれたの、この男は! ああ、折角の私の実験が台無しになる・・・)


 エミラルダは怒りと悲嘆の入り混じった瞳でアクトを睨む。


(魔道具のコアとなる部分が損傷を受けたため、もう正常に機能はしない・・・暴走したコアによって魔法がどんな結果になるかは解らないが、何が起きても良いように覚悟しなくては・・・)


 エミラルダはそう思い身構える。

 その数舜後、魔道具に込められた魔法は半ば制御不能の暴走状態となり、予定外の魔法が発動することになる。

 魔素がコアに集まると、ふたつのコアは互いに激しく光り、干渉するように火花が飛ぶ。

 そして、ふたつのコアの隙間から漏れるように一筋の七色の光が伸びて、大きく弧を描くよう。

 ここで本来ならば、あり得なことが起きた。

 まるで自身を傷つけたアクトに罰を与えるかの如く、彼の背中に光が伸びて、背後からアクトを貫いたのだ。

 魔法防御が絶対である筈の彼に魔法が降り注ぐ。


「うがっ!」


 初めて自分の身体に入ってくる魔力の感覚に思わず声を挙げてしまうアクト。

 魔力抵抗体質の彼が魔法に貫かれるというは初めての体験だ。

 しかし、七色の光はそれだけでは飽き足らず、アクトの身体を貫いて更に先に進む。

 そうして、その射線上にいた白魔女エミラルダも貫いた。


「きゃっ!」


 予想外の展開にエミラルダも驚きを隠せない。

 やがて、ふたりの身体は自身を貫いた光と同じように七色に発光して、その姿がぶれ始めた。

 しばらく七色に輝くが、その光が弱るまると同時にふたりの姿は霞のように闇夜へ消えて、彼等の存在そのものがこの場から消え失せてしまうのであった。

 この場に居た人々は初めて見るその不思議な光景に、息をするのも忘れて眺めていたが、その直後、残された魔道具が大爆発(と言っても、音を発しなかったが・・・)を起こして強烈な光が周囲へと放たれる。

 ほとんどの人がこの光景に注目していたため、強烈な発光を直視してしまい、視界に強烈なダメージを負う。


「ぐわーーっ。目が、目が!」

「ぎゃーーっ」


 辺りはうめき声とともに騒然となるが、まだ蜘蛛の糸が発動しているために肉団子の集団は大きく暴れる事を許されない。

 それに対して事前に強烈な光が発せられる事を聞いていた月光の狼のふたりだけは無害だ。


「エレイナ! 白魔女様が・・・」

「ベン、落ち着きなさい。白魔女様はきっと大丈夫です。その証拠に『蜘蛛の網』の魔法は未だに効果が持続しています。魔法はそのかけ手が死ぬと崩壊してしまうから、白魔女様が無事なのは確実ですよ」


 魔法の持続現象から白魔女が死んでいないと推察するエレイナは同僚の男性を励ました。


「まずは、我々がこの場から離脱する事が先決です。統領のところに戻り、指示を仰ぎましょう」

「ああ、解った。取り乱して済まねぇ」


 ベンは気持ちを持ち直した。

 そして、怒号や悲鳴が舞うこの場から早々に退散するふたりであった・・・

 

 

 

 

 

 

 警備隊達と賊が対峙した場所から少し離れた丘の上でアクトは気が付く。

 意識がまだ少し混濁しているが、自分はまだなんとか生きているようであった。

 あのとき身体を駆け巡った魔力の奔流。

 アクトには魔力抵抗体質の力があったため、これまで経験した事のない体験だ。

 どうしてこんな事になってしまったのか、詳しくはよく解らないが、魔力の奔流に身体も驚いているようで、視界がまだぼやけている。

 それでもこのドクドクと感じる鼓動は自分が生きている証拠だと思う。


(んん?)


 どこから鼓動を感じる?

 自分の心臓の鼓動ではなく、彼の右手の掌から鼓動を感じていた。


(自分の鼓動ではない??? では、いったい誰の鼓動?)


 疑問が頭の中を駆け巡り、はっと顔を起こす。

 すると彼の目の前には女の顔があった。

 それも飛び切りの美女だ。

 顔の半分を白い仮面で覆う女性であったが、男の本能でこの女性は絶世の美女だと確信できる。


(この人は・・・白魔女か? な??)


 未だあまり良く回らない彼の頭。

 白魔女を観察すると、彼女も既に意識を戻しているのが解る。

 しかし、先ほどの衝撃的な出来事を経験したせいなのか、彼女もまだ身が固まっていて、放心状態だった。

 そんな事をボーッと考えながらも、自身の状況把握に努めるアクト。

 この場所もなんとか見覚えのある場所だ。

 ラフレスタの街中の小高い丘で、どうやら自分達は先程の現場から少し離れた丘へ魔法で転移させられたようだった。


(さっき居た場所から七色の光を浴びて、白魔女共々この場所に強制転移させられたって訳か・・・)


 そして、自分の下には白魔女がいる。

 転移の時の衝撃か何で白魔女のローブがはだけて、その上にアクトが突っ伏す形で乗っかっていた。

 結果として、アクトが白魔女の豊かな乳房を触る格好となっている。

 勿論、偶然である。

 常に紳士たれ、と自称しているアクトだが、彼とて年頃の青年である。

 とびっきりの美女の乳房を握る感触はとても心地良かった。

 思わずその感触を堪能してしまうアクト・・・

 しかし、不意に視線を感じて・・・その行為を止めた。

 恐る恐る白魔女の顔を見ると、彼女と視線が合う。

 先程の呆けていた表情は既に去り、今は強く自分を見つめている。

 いや、睨んでいると言った方が良いだろう。

 彼女の形の良い眉がビクッと動くと、何かの危機感を感じたアクトは怯み、身体が防御態勢をとった。

 しかし、アクトの俄かな防御態勢などお構いなしに彼女の怒号と右手がアクトに向かって飛ぶことになる。


「・・・っっ調子にっ!!!!」


 ブオンと音速を超えた白魔女の右手がアクトの左頬にクリーンヒットする。


「乗るっっなぁーーっ!」


パチコーーーーーーーーン。


「ぐわーーーーーっっっっ!!!!」


 アクトは凄まじい音と共に跳ね飛ばされたが、エミラルダによって放たれた特製ビンタのエネルギーはそれだけで吸収されず、アクトはクルクルと激しく錐揉み回転しながら吹き飛んでしまう。

 そして、数メートル先の草むらに顔から着地するアクト。

 ピクピクとしているが、命に別状はない・・・筈だ。

 白魔女エミラルダはさっと立ち上がり、はだけた自分のローブを直し、豊に育った部分を隠すようにして片腕を回し、もう片腕はアクトを指さして猛抗議する。


「私の信条は殺さずだけど、我慢にも程があるわ。確実に殺すわよ!!」


 怒り心頭のエミラルダの言葉を聞いたアクトは素早く反応して、機械仕掛けの人形のようにパッと起き上がって弁明をはじめた。


「まっ、待て・・・今のは間違い。じっ、事故だ!」


 アクトの顔はエミラルダの強烈な一撃を喰らい、左頬には真赤な手の跡と鼻血が出ていた。

 彼自身は大真面目に弁明しているが、傍から見るととても間抜けな姿である。


「・・・」

「・・・」


 アクトの言い訳が気に入らなかったのか、エミラルダの睨みは更に厳しくなる。


「何が事故よ! 絶対に解っていてやったでしょ!! 正直におっしゃい!」

「う・・・はい。後半は確信犯でした。すみません」


 彼女の迫力に負けて、素直に謝るアクト。

 確かにそうだった。

 後半は止めようと思えば止められたが・・・白魔女の色香のよるものなのか、彼女の身体を堪能したいと男の本能から抗えなかったのだ。


「・・・」

「本当に申し訳ございません。このとおり謝ります。思う存分殴っていいです」


 必死に謝り、諸手をあげて完全降参を示し、頭を地面に擦るぐらい下げた。

 この世で最大限の謝罪の意味する姿勢を見せるアクト。

 それをずっと睨むエミラルダだったが、特に何かが始まる事もなく、数十秒の沈黙が続く。

 そして、ある程度睨んで多少気が済んだのか、ふぅーと息を吐いたエミラルダ。

 彼女はひとまず剣呑な雰囲気を納めることにしたのだ。


「今回だけは大目に見るけど、次にこんな事やったら本当に命を取るわよ。これでも私は嫁入り前なんだからね!」

「次こそ絶対にしない。本当に誓います」


 大真面目に謝るアクトだったが、先程まではエミラルダが犯罪者側でアクトが秩序を守る正義の警備隊(の実習生)側の立場であり、逆の立場だった筈だ。

 ちょっとおかしな話になっているな・・・とアクト、エミラルダの互いが心の中でそう思っていた事だったが・・・それは互いに口から出さない言葉であったため、互いがそう思っている事など最後まで解らないのは余談である。

 静かに頭を下げ続けるアクト。

 この姿を黙って見据えるエミラルダだったが、今回の実験で―――本当に偶然だったが―――予想外の結果を引き出してくれたのも、この青年の行動によるものだった。


「今回の転移魔法は、あの魔道具を貴方が変な魔法が付与された剣で傷付けてしまったから、暴走してしまい、それで発生した事なのよ・・・本当に何もしないでいてくれたら、ただ強烈な光が出て、目眩ましをさせるだけだったのに。ホント、嫌になっちゃうわ」


 エミラルダはアクトに愚痴も含めた状況説明をする事で現在の状況を自分自身も把握する。

 口には出さないが、実はアクトのやったことに興味が持てる部分もあった。


(コアを氷の剣で切ってふたつに分ける事で、結界の中のみに作用するはずだった転移魔法が、指向性が持ち、外の世界にも作用するなんて・・・大発見だわ。この指向性というのが面白そうね・・・)


 心の中で小さくそう呟くエミラルダ。

 彼女にしてみれば、予想外の発見は次への研究として大きな一歩となる。


(あの状況でコアを二つに割る事ができたのは彼の剣の腕前? その剣に氷の魔法が付与されていたからできた事なのだろうか? それとも、他に方法がないかな・・・)


 いろいろと思慮の世界に入りそうになるエミラルダだが、そろそろ『蜘蛛の巣』の魔法も解ける頃である。

 今回はもう時間切れだ。


「私はもう行くわ。これ以上追っかけて来ないでよね。『変態の英雄』さん!」


 アクトにそれだけを言い残すと、白魔女エミラルダは踵を返して颯爽とこの現場から去る。

 白魔女が現場から離れると、その存在はあっと言う間に希薄となり、やがて闇夜に溶け込んで何処に行ったか解らなくなってしまう。

 ひとり残されたアクトは辺りが急に静寂に包まれてしまったため、一抹の寂しさを感じたが、ここに居続けても仕方がない事に気付き、あの蜘蛛の巣の現場へ戻る事にする。

 

 

 

 

 

 

 アクトは駆け足で転移前の現場に戻る途中、ふたつの事が頭の中を駆け巡っていた。

 ひとつ目は、白魔女から『変態の英雄』と言われた事で、意外に傷ついていた自分。

 もう少し白魔女と話をして、弁明のチャンスがもう少し欲しかったな・・・とそう思ってしまう。

 しかし、ふたつ目はそれと正反対の感情。

 自分の記憶に残る彼女の柔らかな感触・・・あのままもっと・・・

 いやいや、と頭を振り、アクトは芽生え始めた小さな気持ちを頭の隅に追いやる。

 しかし、彼の努力は空しく、夜な夜な今日の体験を思い出してしまい、悶々としてしまう。

 彼女をこの手に欲しい・・・そう想ってしまうこの気持ち。

 これは新たな恋なのだろうか?

 自分の感情に悩まされるアクトであった。

 

 


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