第四話 新入生エリーの憧れ人
澄みきった空の青色と草原の緑色が映えはじめた初夏の季節の昼下がり、吹き抜ける風には温かさが混ざる。
この時期は元々気候の良いラフレスタでも一番過ごしやすい季節だ。
そんなラフレスタの北西部大通を一台の馬車が進んでいた。
やがて馬車は学園街に入り、重厚な壁が続く通に出る。
この重厚な壁を進むと、その切れ間に立派な門構えの入口があって、そこで馬車が止まった。
そして、馬車の中から小柄な少女が下りてきて、施設の看板を再度確認する。
「確かにここが帝国立アストロ魔法女学院ですね。目的地に無事到着です」
正しく目的地に来られたことを確認できた彼女は満面の笑みを浮かべる。
彼女の名前はエリー。
先日十六歳の誕生日を迎えた彼女は名門アストロ魔法女学院への入学を果たすためにここにやって来たのだ。
彼女は出身地レストロール領の領主からの推薦状と、優秀であると記されている中等学校の成績証明書を持つため、一般的な入学試験は免除される。
つまり、ここに来る事さえできれば入学はほぼ果たせたようなものだ。
貴族でもない彼女が領主の推薦状を貰うというのは非常に珍しい事だが、今まで前例がない訳ではない。
様々な幸運が重なった結果であったが、エリーは今日ここに無事来られた事よりも、ここに在籍するとある人物に会える事をとても楽しみにしている。
もうすぐ自分の憧れの人に会えるのだから、彼女が心躍るのも無理はない。
エリーは希望をその小さな胸に刻み、アストロ魔法女学院の門をくぐる。
彼女の足取りは軽かった。
今日の午後の授業は世界史。
講義の内容はゴルト歴三百十四年の神聖ノーマジュ公国建国に関するものであり、圧政から立ち上がった英雄ハルシオン一世が古代エンロード王国を滅亡させてノーマジュを建国する話である。
これはゴルト大陸全土に伝わる英雄譚としても有名な話であり、農村の平民だったひとりの男性が神の祝福を得て英雄王になる成功話だ。
演劇としても定番中の定番の物語であり、こちらは様々と脚色がなされて面白おかしい話となっている。
あまりに定番すぎて歴史の授業としては面白くないが、これに興味無さそうに聞いている他の学生と違ってハルは熱心に勉強していた。
帝国を含めた周辺国の歴史についてよく解っていない彼女だが、それだからこそ勉強の甲斐があるというもの。
ハルは講義内容の要点を効率よくノートにまとめていく。
そして、気がつけば終礼の鐘が鳴る。
興味のある授業が終わるのはなんと早い事か、そうしみじみ思ってしまうハルであった。
これに引換え午前中の『自然科学』の授業は彼女の持つ常識とはあまりにもかけ離れた内容であったため、呆れ半分、我慢半分とストレスの溜まる内容の授業だ。
ハルは過去に自分の納得いかない不合理な部分について教員を質問攻めにして困らせた事もあったが、最近は随分大人しくなったものである。
それはハルの故郷に『郷に入れば、郷に従え』という諺があったのを思い出して、自分が持つ『常識』を押し通すよりも、まずはこの世界の『常識』を学ぶことを第一に方針転換したからであった。
例え論理的に間違った内容だったとしても「テストに出るから、しょうがないし」と割り切る部分もあったりしたが・・・
ハルはそんな事を考えながら、帰り支度をして研究室に戻ろうとしていると、教員に声をかけられた。
「ハルさん、グリーナ学長とヘレラ教頭がお呼びです。早々に職員室へ向かってください」
「え? あ、はい、解りました」
ハルは一体何事かと思うが、行かない理由も無いため、教室から出てすぐに職員室に向かことにする。
ハルは職員室のドアを開けて自分の来訪を告げると、対応した学校職員からは奥の応接室へ入るように促される。
「グリーナ学長、ヘレラ教頭、ハルさんが見えましたのでお通します」
「ええ、入って頂戴」
「失礼します」
ハルが応接室に入ると、ソファーには三人の女性が座っていた。
いつも会うグリーナ学長とその隣にヘレラ教頭。
そしてその対面、こちらから見て後ろ姿になるが、背丈の小さな少女がちょこんと座っているのが解る。
白色ブラウスに灰色ローブを着ている事から当校の生徒だろうか?とハルが観察していると、グリーナが口を開く。
「あら、ハルさん。来たわね」
その声に真っ先に反応したのはその座っていた少女の方であった。
彼女は全身に電気が走ったようにピンと立ち上がり、ハル側に振り返る。
金髪ツインテールが似合うその少女はエメラルドグリーンの目を見開いて、驚きの表情でハルを見た。
両耳に着けている水晶のイヤリングがチャーミングだったが、そんな可愛らしい少女が口を開きっぱなしになっていたので少し間抜けな姿だ。
「紹介するわ。彼女が新入生のエリーさんよ」
グリーナの紹介で我に返ったエリーはキッと気を引き締め直して、上級生へ挨拶する。
「あっ、は・・・初めまして、エリーです。ど・・・どうか、よろしくお願いします」
緊張しているのか言葉がおかしくなっているが、それはそれで可愛らしく、その姿を見ていたハルが少し和み、彼女にしては珍しく先輩として振る舞った。
「ようこそアストロ魔法女学院へ。私の名前はハル。四年生の一クラスに所属しているわ」
握手を求めて手を差し出すが、何故かエリーはハルを見て固まっている。
ハルが「あれ?」と思っていると、そのエリーが恐る恐る口を開いてきた。
「あ・・・あの? 本当にハルさんですよ。あのハルさんですよね?」
「『あの』って言われても・・・ね」
「『懐中時計』を作ったハルさんですよね?」
「え・・ええ!?」
自分が作った事は公にされていない筈なのに、この少女は何故にそれを知っているのだろうか?
少し警戒もしながらも、自分がハルである事は軽く肯定するため、頷いて見せる。
それの仕草を見たエリーの反応は早かった。
「や・・・やったぁ。本物だ、本物だ。キャー!!!」
ハルの差し出した手を両手で握り、ピョンピョンと跳ねて狂喜乱舞する。
「な!? 何これ?」
頭の中に『?』マークを連呼するハルであったが、グリーナがその疑問に応える。
「ハルさん。このエリーさんは貴方の魔道具を見て、アストロに来る事を決意したそうよ。つまりあなたのファンというわけね」
「私の魔道具?」
「そうです!!!」
少し落ち着きを取り戻したエリーだったが、まだ興奮が抜けきっておらず、顔が紅く染まっていた。
「私の実家はレストロール領でそこそこ有名な商会をやっておりまして、ハルさんの作った『懐中時計』に出会った瞬間、全身にビリビリって電気が走りました!」
エリーは自分のポーチから『懐中時計』を出す。
それは確かにハルがエリオス商会に卸している『懐中時計』だった。
「私はこれに感動して、何度も何度も分解して研究しました。そして、その精巧な作りを知ってもっともっと感動したんです!」
エリーの話は続く。
「そして、次にこの素晴らしい魔道具を作ったのは一体誰なのだろうって思いました。本当にどんな方が作ったのか? 気になって気になって夜も眠れませんでした。いろいろと調べたのですが、アストロの研究所までは解ってもその先が解らなかったんです」
それはそうだろう。
ハルが作っている事は公に公表されていないのだから・・・
「いろいろな人に聞いて、ようやくハルさんの存在を知り、そして、ここに入学する事を決めたんです」
感動しているエリーを後目に、どこで自分の情報が漏れたのか不思議に思うハル。
「よく、ハルだと解りましたね。ちなみにどなたからその事を知ったのですか?」
ハルに替わりグリーナがその疑問をエリーにぶつけてみる。
「えっとー、実は実家の商会に商品を卸してくれる方の中にエリオス商会の方が偶然いて、『魔法仕掛けの懐中時計』の製作者の事を偶然聞かせてもらったのです」
情報を漏らしたのはあいつ等か!と苦笑いするハル。
「エリーさん。その人を酒や金品で接待して情報を聞き出すことを『偶然』とは言いませんよ」
グリーナがこう諭したのは、実は魔法の効果によるものだ。
事前の面接にて、簡単な近辺調査をするため、『真偽の魔法』を使っていたのだ。
この『真偽の魔法』は相手が嘘をついているか、何を考えているか、を知る魔法であり、グリーナの魔法の効果がまだ継続していたため、今回もエリーがどうやってエリオス商会の職員を買収したのか、グリーナは正しく知ることができた。
嘘をグリーナに見抜かれたエリーだったが、彼女は「えへへ、バレちゃった」と子供の悪戯よろしく可愛くお道化てあまり悪びれていない。
彼女の持つ可愛らしさ、という魅力を最大限発揮させていたが、それは魔法ではないものの、相手には、まぁ、可愛いから許してやろう、と一定の心理的な効果を及ぼす。
グリーナも多少呆れ気味であったが、それでもフォローを忘れないあたりが人生長年の経験者である。
「まぁ、好奇心でやった事だし、本人的に悪意は無かったのでしょうけどね。本当はあまり薦められる行為ではないので今後は慎みなさい」
「はぁーい」
不承不承頷くエリー。
「まぁそれでも、貴方の魔道具とハルに対する尊敬は本物かも知れないですけどね」
これも『真偽の魔法』の効果である。
エリーがハルを尊敬する心は本物であることもグリーナは解っていた。
そして、グリーナのその言葉で再び元気になるエリー。
「そうですよ!」
再びハルの手をがっちりと両手で握り、エリーはこう続ける。
「ハル先輩、いやハル師匠! このエリーを弟子にして下さい。私もハル師匠のような魔道具師になりたいんです!」
小柄で可愛らしい声と愛嬌ある顔をしていたが、彼女の大きく見開くエメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐとハルを見抜いていた。
嫌だ、この子、マジだわ・・・とハルにも解ったが、どうしたらいいものかと目を泳がせてしまう。
グリーナに助けを求めたが・・・
「あらあら、貴方にも可愛らしいお弟子さんができましたね。良かったじゃない、ハルさん」
「グリーナ学長!」
早々にグリーナ学長からも裏切られるハル。
「私は学生の身分ですし、それにまだリリアリア師匠の弟子でもあるんですよ。とてもこの娘の師匠なんかは務まりません」
「ハル師匠。そこを何とかお願いします!」
手に力が入るエリー。
「痛い、痛いエリー。力強すぎるわよ」
「いいえ、離しません。このチャンス逃すべからず」
「こ、こいつ・・・離せ、離せ!」
ぶんぶんと手を振り払おうとするハルだが、エリーも離されてなるものかと手を離さない。
ふたりのじゃれつきを見ていたグリーナがフッと笑顔を覗かせた。
いろいろ心配をしていたところもあったが、この二人の相性はそれほど悪くないように思えたからだった。
しばらくじゃれ合う彼女達だったが、これ頃合いとグリーナが手をパンパンと叩く。
「はいはい、もう止めなさい。ここをどこだと思っているの、二人とも」
グリーナの仲裁にお陰で二人の攻防は終焉を迎え、肩で息をする二人。
ハルの方はローブのフードがはだけて、青黒い髪が少し跳ねて、眼鏡が傾いていた。
エリーも髪がぐちゃぐちゃとなり、初めに醸し出していたお淑やかそうなイメージは既に無い。
「続きは部屋に帰ってから二人で話合いなさい」
「それって、もしかして・・・この娘は例の・・・」
「そうよ。この子が今日からハルさんと同室となるエリーさんよ。今日、ハルさんを呼んだ理由がそれだったのです。まずは生活する寮と学院の施設を案内してあげなさい」
「げっ!!」
もしや、と思っていたが、エリーが同居人だったか、と驚くハル。
「よろしくお願いします。師匠」
灰色ローブをスカートに見立て、両端をちょこんと持ち上げ可愛く挨拶するエリー。
頭はボサボサだが、何気に可愛いだけに、無性に腹の立つハルだが、そこは上級生の理性で抑えつける。
眉毛はまだピクピクしているが・・・
「エリーさんの実家は貴族ではありませんが、歴史ある立派な商会であり、帝室とも、つながりのある由緒正しきお家です。我が学院にも既に多額の寄付を頂いておりますので、ハルさんもあまり無碍な事を言わないようにしてください」
それまで彫刻のように黙って座していたヘレラ教頭が口を開いて、そう述べる。
魔法貴族の至上主義者であるヘレラ教頭とハルはあまり良い関係ではなかったが、このヘレラ教頭という人物は自分が教育者であるという自覚もあり、学校運営に関してはあまり私情を入れてこなかった。
今回もこの場、このタイミングで発言するのは珍しいとグリーナは思う。
おそらく、エリーの実家がどこかの貴族とつながっていて、そのつながりからエリーを優遇するようヘレラ教頭に言わせているのかも知れないと、グリーナはそう勘ぐりながらもハルに少し助け船を出す。
「確かに学生の身分で弟子を取るというのは難しいけど、リリアリアが学生の頃は彼女に従事する家来みたいのが三人程いたし、非公式であれば学院としても黙認しましょう。まあ、細かい事は二人で話合って決めてください」
グリーナの助け舟はハルよりもエリーの方に作用したようで、その一言でエリーがまた元気になった。
「私はなんでもやりますよ。掃除とか洗濯とか、あとお料理やお菓子作りも得意ですよ」
自分の売り込みをはじめたエリーに呆れ顔のハルだが、この場で自分に与えられた仕事内容については理解していた。
その仕事とは、早々にこの無礼者エリーを引取り、この応接室から退出する事だと思う。
ハル自身も暇ではないが、グリーナ学長やヘレラ教頭はもっと忙しい身であるため、与えられた仕事を手早く実行する事にした。
「はいはい、解った、解った、解りましたよ。エリーちゃん、さあ、行くわよ」
まだギャアギャアと言うエリーを無理矢理引っ張って行くハル。
「ハルさん、よろしくお願いしますね。彼女の荷物は既に寮の部屋に運んでおいたから」
そう述べて満面の笑みを浮かべて手を振るグリーナ学長と真面目な顔を崩さないヘレラ教頭の姿が対象的であった。
ふたりに礼をして応接室を去るハルとエリー。
まったく、面倒事が増えたな・・・と少し気落ちするハルであったが、そんなことはお構いなしと一方的にいろんな質問をしてくるエリー。
しばらく我慢して聞き受けるハルだったが、一定周期で我慢の限界を超えて爆発し、怒り出すハル。
それでもエリーはめげずに話かけてくる。
ギャイギャイとふたり女性のじゃれつく声がアストロ魔法女学院の廊下に響き渡る午後の昼下がり。
ラフレスタの平和な日常のひとコマであった。