第二話 ハルの異世界料理簿(其の二) ラフレスタ編
帝国歴一〇一九年七月二日。
ラフレスタでは珍しく暑い日の午後の出来事。
学園都市ラフレスタの北の大通りを駆けるふたりの女子学生が居た。
「ハルちゃん、こっちよ。早く、早く」
「ハァ、ハァ、待ってくださいよ、レヴィッタ先輩。そんなに急がなくても・・・」
「そりゃ急ぐわよ。だって、あのお店って人気店だから」
ラフレスタのアストロ魔法女学院に途中入学したハル。
それから三箇月ほどが経過して、同じ寮室で面倒見の良い四年生の先輩――レヴィッタ・ロイズに連れられていた。
「まったく、ハルちゃんで出不精だから、私が折角外に連れ出してあげているのにぃ~」
「レヴィッタ先輩~、私、課題が残っているので、それを先に仕上げないと」
「あんな課題、何とかなるわよ。魔法薬の薬草の採取でしょ? あんなのアストロの薬草栽培所で適当~に生えているんだから、適当~なところの薬草をひとつ採取して来れば、それでいいのよ」
「そんな簡単にぃ」
涙目のハル。
現在の彼女に課せられているのは一年生の実技課題である『自然に生えているバリアスの薬草に魔法を付与して魔法薬を合成する』ことであった。
レヴィッタは簡単と言うが、ハルはそう思っていない。
いや、正確に言うと、このゴルト世界の常識すらこの頃のハルにははっきりと理解できていないのだ。
「バリアス」と言う薬草の特徴も良く理解できていなかったりする。
「バリアスは逃げないけど、コーンクリームケーキは逃げるのよ。足が生えて、私達から逃げるんだから!」
ハルにそんな訳の解らない例え話をするレヴィッタ。
今、レヴィッタが目指しているのは最近ラフレスタ女子の間で話題になっているケーキ屋さんのことだ。
他の誰かに買われてしまうのを危惧して、レヴィッタなりの比喩的表現をしているとハルは思った。(これに加えて、ハル自身がまだゴルト語を正しく理解していない可能性もあり、レヴィッタが言うのはゴルト語の慣例句のひとつかと思っていたりする・・・)
そんな人気店だから、彼女達は午後の授業の合間の二時間、学園を脱出しケーキ屋へと突撃しているのだ。
こういった理由で、アストロ制服を纏った女子学生ふたりは、ラフレスタの北の大通りを東から西へと駆け出していた・・・
「ハァ、ハァ、ハァ、ハルちゃん。着いた、着いた。よかった、まだそれほど並んでいないわ」
息も絶え絶えながら、後輩にケーキはまだ無事だと伝えるレヴィッタ。
一方、体力のあるハルは、それほど息を切らしていない。
ハルの冷静な視線で話題のケーキ屋の状況を確認してみると、それなりに人が順番待ちをしているものの、レヴィッタの言うように売り切れに瀕している様子ではないらしく、しばらく待つと食べられそうであった。
「結構盛況ですね。あら? レヴィッタ先輩、こちらを見ている人が・・・お知り合いですか?」
ハルが指摘するように、列の少し前に並ぶカップルがレヴィッタを指さして、何かを会話していた。
そのカップルはラフレスタで最も生徒数の多いラフレスタ高等騎士学校の制服を着ていた。
その姿にレヴィッタも気付く。
「あら? シオールとアネットじゃない?」
そのレヴィッタの言葉に相手も反応した。
「やっぱり、レヴィッタか? 今日はギレットと一緒じゃなかったのか?」
ここで出てきたギレットという名前はレヴィッタの彼氏の名前である。
レヴィッタはそれにブンブンと首を横に振り否定した。
「最近、ギレットからは『卒業の課題が忙しい』と言われて、逢ってくれないのよねぇ」
「・・・あら、そうなの?」
「何よ、アネット。何か意味深ねぇ」
「いや。私は何も知らないなら。何も知らないから・・・」
絶対に何か知るような言い方であったが、アネットは誤魔化した。
そして、話題転嫁してきた。
「それよりも、レヴィッタの連れているその娘。珍しい髪色よね」
その言葉にハルはササっとレヴィッタの影に隠れてローブのフードを深く被る。
注目されるのが嫌だったからだ。
そんなハルの性格を(それはハルが演じているだけであり、真の理由をレヴィッタには知らせなかったが・・・)知るレヴィッタが、ここで慌ててフォローする。
「ゴメンね、アネット。この後輩は対人恐怖症でねぇ。今日は私が強引に連れてきたの」
「そうなの? レヴィッタとは正反対の性格よねぇ」
「そうだね。その後輩、美人で異国情緒ある娘なのに勿体ないよね」
「ちょっと、シオール! なに色目を使っているのよ。私のいる前でぇ!」
「ご、ごめん、ごめん。そんなつもりじゃないよ」
そんな高等学生同士の逢瀬とノロケを見せられたレヴィッタは、ここで「うぇ~」となった・・・
ようやくしてケーキ屋に入店できたレヴィッタとハル。
シオール、アネットとは少し離れた場所のテーブルに着く。
これは対人恐怖症のハルをレヴィッタが気遣ってのこと。
活発でありながらも、こうした気遣いのできるレヴィッタは異性・同性、共に友達が多かったりする。
しかし、ここでレヴィッタの興味は最近話題にケーキに向くのだ。
「わー、来た、来た、来たよ!」
彼女達の前に運ばれてきたのは白地に少し黄みがかったコーンクリームケーキ。
興奮するレヴィッタは早く食べようとした。
しかし、その前にハルは配膳されたケーキをマジマジと見続ける。
「ハルちゃん。どうしたの? 食べないの?」
ケーキを目にして険しい表情を続けているハルに対して、レヴィッタはそんな事を問う。
「先輩。このケーキにはトウモロコシ粉が十五パーセント、砂糖が二十パーセント、牛乳が五パーセント、あとは小麦粉が使われていますね」
ハルからのこの言葉に呆れるレヴィッタ。
「ハルちゃん、あのね~ 今は魔法の授業じゃなくてケーキを楽しむ時間よ。無詠唱で鑑定の魔法を使っている場合じゃないわ」
レヴィッタはハルが無詠唱の魔法でケーキの成分分析をしているが解った。
この無駄に才能のある女子。
人生を変な方向に楽しんでいると思った。
「でも、レヴィッタ先輩。どんな材料が使われているか、気になるじゃないですか?」
「ならないよー。美味しければそれでいいのよ。私達は料理人になる訳じゃないでしょう」
「ええ。でも、先輩だって将来はお嫁さんになるのだから、料理だってするでしょう?」
「そりゃ私だって・・・ん? 違うわよ。そうならないように条件のいい相手探しているんだから。上流階級の貴族の嫡男に嫁いで玉の輿よ。料理はメイドさんにやって貰う。うん、それがいい。プロに任せるのがいいわよ」
うん、うん、と将来の玉の輿を想像してケーキをパクリ。
「うーん、おいちいーーっ! やっぱり話題の店は違うわねぇ」
ケーキの味に舌鼓を打つレヴィッタ。
レヴィッタは美人であるが、こうしたお茶目なところが女子友達に人気であったりする。
そして、その彼女の持論によれば料理はプロに任せるのが一番。
彼女の出目がユレイニ地方の貧乏貴族であるため、そんな理想があったのだ。
見た目も麗しく、友人の多いレヴィッタ。
成績はそれほどでもないが、それでも帝国一の魔術師養成の名門高等学校であるアストロ魔法女学院に通っている。
現在はラフレスタ高等騎士学校に在籍している良家出身の彼氏もいて、今のところの彼女は理想に向かってまい進しているように見えた。
自分で料理なんて、絶対にやらない、と、この時のレヴィッタは思っていた。
数年後にはその考えを改めることに至ってしまうのだが・・・未来は誰にも解らないものである。
それに引き換え、ハルは料理に興味があった。
しかし、彼女が外で食べることは滅多に無い。
今日もレヴィッタという先輩に連れて来られなければ、ここには来なかっただろう。
そして、偶に来た場合、彼女の行動原理はほぼ決まっていた。
こうやって使われている食材を調べ、それを自分で再現しようと試みるのである。
今も真剣に脳内で作り方を考えているハルの姿を見て、レヴィッタは呆れた。
「まったく、ハルちゃんは人生を楽しんでいないよぉ」
「いや、私は楽しいですよ。先輩、作れるものが増えると楽しいじゃないですか。視野も広がりますし」
「アンタは料理人になる気かい!」
ハルの行動原理に呆れのレヴィッタだったが、それでも自分の可愛い後輩である。
「まあ、魔術師の中でも魔法薬学師とか、魔道具師とかもあるからねぇ~」
そう言って彼女をフォローすることも忘れない。
コミュニケーション能力の優れるレヴィッタらしい姿であった。
そんな彼女でもフォローし切れない行動をするのが、このときのハル。
「むむ!? 不潔な菌を発見!」
ハルはそう言うと、無詠唱で手から雷の魔法を出してケーキを包んだ。
バリ、バリ、バリーッ!
「わわ、ハルちゃん。何をやってんのよ!?」
「何をって、消毒ですよ。不衛生なものを食べると、私、お腹壊すので」
「お腹壊すって・・・でも、こんなところで止めて。お店に人に怒られるじゃない」
レヴィッタは慌ててハルの放電魔法を止めさせたが、それでも間に合わない。
バッチリと他の人に見られていた。
しかし、ラフレスタの住民は『アストロ魔法女学院』を特別扱いしている。
学院に所属する魔女達は過去より変人が多いことは既に周知の事実。
だから、花弁の意匠をあしらった灰色ローブを纏った美人学生の二人が、ケーキに雷魔法の攻撃を放っていても――周りの視線ではレヴィッタも同罪になっている――基本的に放置である。
近くのテーブルに座る子供が魔女ふたりを指さして「あれ何?」と聞くぐらい。
親からは「指差しちゃいけません」と注意を受けている始末。
この様子を、少し遠くに座っていたシオールとアネットが、静かに肩を震わせて笑いを堪えていたのは、言うまでもない。
次の日。
ハルはラフレスタの城壁の外にいた。
「まったく。昨日はレヴィッタ先輩に付き合ったせいで、大きな時間ロスをしちゃったじゃない」
ハルが愚痴るのは昨日中に済ませる予定であった薬草採取が終わらなかったことだ。
ケーキを食べ終わり、学院内の薬草が栽培されている場所に行ってみれば、既に他の誰かが採取した後で、ひとつも残っていなかった。
こうなることを予想して、課題を早く済ませたかったのだ。
件の薬草は特別な物ではないため、ラフレスタの街の素材屋でも買うことができるのだが、ここで倹約家のハルが根性を出してしまった。
「もう仕方がない。自然に生えているものを採取するか!」
そう思ったハルはラフレスタの城壁より外に出て、薬草を探す事にしたのだ。
実はこれ、初めての事ではない。
前回の課題の時も薬草を外の草原で探したとこがあるので、今回も簡単だろうと思っていた。
しかし、今回は運悪く、なかなか見つからない。
こうして、薬草を探すことに夢中になっていたハルは、城壁都市ラフレスタから離れた森へと入ってしまい、ここで事件が起きた。
「えっ? キャーーー!」
彼女は藪の中で足を滑られてしまい、窪地へと落ちてしまう。
「痛ったぁーーー」
お尻を強打したハル。
しかし、それだけで大きな怪我には至らない。
不幸中の幸いと思うハルであったが、ここで神の助けがあった。
その落ちた窪地は、件の薬草が群生している場所であったのだ。
「わーー、一杯生えているじゃない!」
やっと目的とする薬草を見つけられて、痛みなど吹き飛ぶ彼女。
そして、幸運な事に、ここでは珍しい野菜も見つける事ができた。
「これは、トマトじゃない!」
それはエストリア帝国に存在しないと思っていた野菜。
リリアリアに聞いても解らないと言われ、他の人も知らないし、流通もしていないと言われた。
「あるところにはあるのねぇ」
そう言い、実るトマトをひとつもぎ取り、鑑定の魔法をかけてみる。
「食べられるし、栄養価も高そう」
水の魔法を使ってトマトを洗い、早速試食してみる。
「うん、美味しいわ。いいもの見つけたっと」
こうしてハルはトマトを手に入れる事ができた。
その後、ハルはここに群生するトマトの種を持ち帰り、アストロ魔法女学院の隅の目立たない土地を借りてトマト栽培を開始するのである。
それが後日大変な話になるのだが・・・この時の彼女はサガミノクニで大好きだったトマトを手に入れてホクホク顔である。
今の彼女は頭の中はトマトを使った料理を作りたい欲求で一杯。
「そうだ。パスタってできないかなぁ」
どうにかそれを再現できないか?
こうして、ハルがこの世界で得意とする料理をひとつ生み出す切っ掛けになる瞬間であった・・・