第五話 卒業
ハルが学長室に入室すると、そこにはアストロ魔法女学院の学長であるグリーナと、筆頭生徒代理となったローリアン・トリスタ、担任教官のノムン・・・それだけではない。
「エストリア帝国の卒業式は簡素なものであると聞いていたのですが・・・」
ハルは多少呆れ気味でそう口にする。
「そうですね。普通ならば、私が卒業証書を読み上げて、筆頭生徒経由で本人が卒業証書を受け取り、そして、担任教官が見送りして、それでお仕舞となるわね」
グリーナは一般的なエストリア帝国の高等学校の卒業式の手順を改めて説明する。
エストリア帝国で感動的で画一的な卒業式を演出しないのはその入学・卒業のタイミングが本人の誕生日としているからだ。
それ故に画一的な式典とはならず、こうして事務的で簡素的なものにならざるを得ない。
しかし、ハルの卒業式は違っていた。
学長室には入りきらない程の人が埋まり、ハルの卒業を多数の人が見届け、祝福してくれている。
ラフレスタ高等騎士学校のゲンプ校長、神学校ラフレスタ支部のプロメウス代表、ラフレスタ魔術師協会のスターウィル臨時代表、現在のラフレスタ暫定統治領主として就任しているユヨー・ラフレスタ、そして、ラフレスタ警備隊総隊長に返り咲いたアドラント・スクレイパー・・・その他にもハルが名前の解らない要人と思われる人が多数詰めかけていた。
「ハルさん。貴女はもう普通の学生ではあません。このラフレスタの救った真の英雄です。そんな人物の卒業を祝福しない人物なんて、このラフレスタには居ませんよ」
グリーナのそんな物言いに、この場に居合せる者の全てが納得する。
ハルが白魔女である事を知らない人もいたが、彼女が重要な役割を果たしていた事を察しているようであった。
「そうである。若くとも偉大な魔術師の巣立ちに祝福を与えることは我々の望むところだ。カッカッカッ」
一同を代表してゲンプがそう付け加えてくる。
「身に余る光栄・・・ですが、私なんかよりもアクトの方がその立場に見合っているかと」
ハルは遠慮するが、それにゲンプは首を横に振る。
「アクトにはアクトの良さがあるし、ハル女史にはハル女史の良さがあるぞ。遠慮なく堂々と我々の祝福を受けられよ。それにアクトにも同じような事をしているからな。カーカッカッカッ~!」
いつものように特徴的な声で豪快に笑うゲンプ。
先日、一足先にラフレスタ高等騎士学校を卒業したアクトからは何も聞いてなかった。
ハルには内緒にするように、と誰かから釘を刺されていたのだろうか。
彼とは心の共有を果たしていたので、何かを隠していることは解っていたのだが・・・
そう思うハルだが、今さらにどうもこうも言うつもりはない。
ラフレスタ解放で自分が活躍したのは事実だし、あの時は自分も必死だったので、多少の報奨を貰う―――今回の場合は金銭という意味でなく、感謝を貰うという意味ではあるが―――のも悪くないと思ったからだ。
「解りました。謹んで請けます」
ハルは観念して皆からの善意を受けた。
こうしてハルの卒業式が始まる。
「ハルさん。改めて卒業おめでとう。この四年間、あなたは真面目に、そして、たいへん多くの事をこの学院で学びました。特に魔道具に関する功績を私は高く評価しています。卒業証書をこれに」
グリーナはハルに直接卒業証書を手渡すが、これにハルは多少の戸惑いを見せる。
「え? しきたりでは、筆頭生徒経由で貰うのでは??」
ハルの困惑に筆頭生徒代理として就任していたローリアンは首を横に振る。
「ローリアンさんからは辞退されましたよ。勿論、貴女が嫌いな訳ではなく。『自分よりも有能な生徒に証書を渡す役なんてできない』と言われてしまいましたからね」
そんなグリーナの言葉にローリアンが続く。
「まったくそのとおりですわ。私が臨時で筆頭生徒に就任したのも、退学処分となってしまったエリザベス様の成り行きのようなもの。それにハルさん。貴女には・・・その、個人的にいろいろとお世話となりましたからね。そんな私が、貴女の事をまるで目下のように扱う事など、私の矜持が許しません」
『個人的に・・』という部分は、どうやらフィーロとの関係の事を示しているのだろうハルは察する。
ローリアンがフィーロと恋仲に発展するのは意外な展開だったが、ローリアンの中ではその切掛けがハルによるものだと思い込んでいるらしい。
ハルが白魔女のときに、ローリアンにかけた恐怖の幻術・・・それまでは自分こそが最強の幻術士だと思っていた彼女の自信をここで大きく砕いたのだ。
それまで持っていた彼女の自尊心が大きく砕けて、失意の底を彷徨っていたローリアン・・・そんな彼女に手を差し伸べてくれた男性・・・それがフィーロであった。
結果として、彼とは結婚を前提で付き合う事になったらしいが、そもそもの切掛けはやはりハルであろうとローリアンは思っていた。
あのとき、白魔女と対峙して、コテンパンにやられていなかったら、何も始まらなかった。
負けた自分には命さえ獲られる可能性もあったと言うのに、手加減して貰ったのも大きい。
だからこそ、現在のローリアンはハルに頭が上がらないのである。
以前の彼女であれば、自尊心の高さ故に、そんな感情さえも芽生えなかっただろう。
しかし、今はそれができるほどに心の余裕もできていた。
これがフィーロとの愛の力だろう・・・そんな事を思うローリアンのその心を読んだハル。
(そう言えば、この娘は・・・思い込みが激しい娘だったわね・・・)
ハルはそう静かに嘆息するものの、ローリアンからの感謝に気持ちに嘘偽りはなく、その気持ちだけはありがたく受け取る事にする。
「解ったわ。ありがとう」
ハルは短くそうローリアンに応えて、グリーナ学長から直々に卒業証書を貰う。
このような栄誉が得られるのは筆頭生徒だけの特権であったが、この場でこれに異を唱える者はもう誰も存在していない。
ハルこそが今代のアストロで最強の魔女なのは事実だから。
「成績の欄も『特金』になっている」
エストリア帝国の高等学校の卒業証書には総合成績の欄があり、そこに学長が判断した卒業生その人の成績評価を記載するようになっている。
ハルの成績は五段階評価の中で最高位である『特金』だ。
アストロ魔法女学院という魔術師の超エリート校でこのランクの成績を貰うという事実は試験なしで宮廷魔術師にでも成れる程の高評価である。
「ハルさんの実力と功績を考えれば、これでも足らないぐらいですよ」
グリーナはハルに微笑みかける。
確かに、ラフレスタ解放の一件を抜きにしても、ハルがこの学院にもたらした功績はとても大きい。
それが例の『懐中時計』の件である。
彼女の生み出した『懐中時計』という魔道具は、その利便性や性能の高さ、品質の良さから、売れに売れている商品であり、今やラフレスタの一大産業となりつつある。
その販売はライオネル率いるエリオス商会が一手に担っていたが、そのエリオス商会の会長であるライオネルと部下の幹部達が『月光の狼』としてクリステ解放に向けて既にこのラフレスタから離れてしまった。
こうして事実上エリオス商会は廃業する事となったが、それでもヒット商品である『懐中時計』はライオネルと所縁のある別の商会が取り扱いを引き継ぎ、現在でもその懐中時計の心臓部である『精密魔法陣のムーブメント』は必要にかられていた。
アストロの研究組合はこの『精密魔法陣のムーブメント』の生産を一手に請け負っていたが、核心の部分はハルのオリジナルという事で彼女以外には生産できない。
当初、ハルは卒業してもラフレスタに残るつもりでいたため、これを当面の生活の糧にしようと考えていた。
しかし、どうやら卒業後は帝都ザルツに行かなくてはならないようだ。
例の帝皇デュランから依頼された仕事を遂行するためだ。
そうなれば、彼女の決断は早かった。
自身が設計・製造した懐中時計の心臓部の精密魔法陣をコピーする『魔法回路複製』という技術を開発し、グリーナを初めとしたアストロの研究組合員に『精密魔法陣のムーブメント』の生産技術を無償で譲渡したのである。
本来ならばこれには利権が多く絡む話であり、譲渡自体がスムーズに移行する事などない。
しかし、ハルにとってこれは既に過去の技術であったし、これに拘って暴利を得ようという考えも無かった。
それに、譲渡した魔法回路複製機は『懐中時計の精密魔法陣』のみを複製する技術となっていたため、別のモノへの盗用も難しい。
勿論、これが技術である以上、模写をして、さらに発展させる事も可能なのだが、それでこそハルは歓迎―――と言うよりも、やれるものだったらやってみろ、と思っている。
実際、そうやって技術は発展していくものだと、彼女は父より教えられていたので、特に模写の禁止を固辞しなかったのである。
その気概が、グリーナを初めとしたアストロの魔法研究員で大いに評価された。
彼女達は研究者として大きなプライドを持つが、それでも自分より高い技術を持つ者に対する敬意は忘れない。
それが例え自分より年下であったとしても、である。
こうして、アストロ魔法研究組合は決して短くはない期間、この懐中時計の心臓部を独占的に製造する事でとても潤う事となるのだが、それについては後世の歴史書に説明を委ねよう。
そんな功績もあり、ハルの成績は満場一致で『特金』に選ばれたのだ。
「この成績ならば、帝都の宮廷魔術師にも就職できますが、貴女はそれを望まないでしょうね」
グリーナの言葉にハルは頷く。
「しばらくはデュラン陛下の依頼を熟すため、帝都大学へ籍を置く予定ですが・・・その先については、まだ決めていません」
「そうですか。でも、貴女ならばどこでもやっていけるわ。あのリリアリアが認めた娘ですし、私も認めていますから」
グリーナから得た高評価に、ハニカミで応えるハル。
彼女らしくなく少々照れた姿だが、彼女があまり人には見せない愛好の様子を見た他の出席者からも笑顔が漏れた。
------
その後、私は出席者から様々な賛辞を貰い、多くの会話をして、そして、私の卒業を祝福して貰った。
「・・・そうか。もし、神聖ノマージュ公国を訪れる事があれば、私やマジョーレ司祭、キリア女史を是非頼って欲しい。厚遇する事を約束しよう」
「プロメウスさん、ありがとうございます。もし其の地に赴くことがあれば、是非、頼らせて貰います」
最後に神学校ラフレスタ支部のプロメウス代表と、そんな世間話を終えて、そして、いよいよお別れとなる。
学長室から去る間際、ローリアンから唐突に呼び止められた。
「ハルさん、帝都に着いたら必ずトリスタ家に連絡を寄越しなさい。貴女には・・・彼との結婚式に絶対出席をして貰いますからね」
このときのローリアンからの申し出に私は少々驚いたが、彼女の心には、『貴女達よりは絶対先に結婚してみせる・・・それが私の最後に残された自尊心よ』という気持ちが垣間見えたりする。
(いろいろ意味で・・・ローリアンらしいわ)
この負けん気の強い心を観て、何故か愉快な気持ちになれる私は、やはり、心のどこかに余裕があるからなのだろうか?
「ええ、楽しみにしているわ。是非、アクトと一緒に招待されるわ」
私も負けじとそう答えてしまったのは決して負けず嫌いの性格によるものでは無い・・・筈だ。
そして、私は本当にこれで学長室を後にした。
これでアストロ魔法女学院の生活は終わる・・・そう思うと少しだけ感慨深いものが込み上げてくる。
四年間、静かに暮らしてきたつもりだった。
今も学院生活最後の廊下を歩き、多少見知った顔とすれ違うが、今日で私が最後の日だというのを知っていても、会釈はしない。
それほどに私は周囲と接触を拒んできた人間。
私がこのラフレスタ解放で大活躍した事や、『懐中時計』という画期的な発明をした事なんて、多くの女学生は知る由もない。
それでもいいと思った。
私には彼がいる。
彼だけが私を・・・本当の私の全てを知ってくれている。
それが、どれほど勇気を貰えるのか。
どれほどに、希望を与えてくれるのか。
半年前の私には無かった感情。
いや、もし、半年前の私が、今の私の目の前に現れたのならば、この姿を見て、きっと、怒るだろう。
「この軟弱者。愚か者。色呆け者」と・・・
色呆け? そうかも知れない。
でも、これが甘美な夢ならば、むしろ覚めないで欲しい。
ひとりじゃない私。
私ひとりじゃない世界。
それが、どんなに素晴らしいかを逆に教えてあげるわ。
過去の自分と決別するように意気込む私だが、それが無駄な行為だと知る。
「アクト!」
アストロの校門のところで素敵な花束を持つ金髪の青年が立っていた。
私は何の遠慮もせずに、彼の逞しい胸板へ飛び込む。
そう、私はもう過去に拘る人ではない。
これからをどう生きてくか、自分・・・いや、自分達にはそれが大切なのだ。
校門で私達の逢瀬を見た他の生徒達がヒソヒソと何か話をしている。
アクトは自分と違い、ラフレスタ解放で名実ともに大活躍した英雄。
そんな人の恋の噂なんて、年頃の女学生には良い娯楽なのだろう。
今の私はいろいろな意味で晒し者になっている。
しかし、それでも私は遠慮することなんてしない。
人前であるというのに、大胆に彼へ口付けして、そして、手を絡ませた。
観たいのならば見せつけてあげればいいのだ。
そして、私は心の底からアクトだけを見て彼にこう告げる。
「お待たせ、アクト! さあ、次はどこに行く? 私をどこに連れてってくれるのかしら?」
ラフレスタの白魔女 第一部 完
あと一話残っています。
明日更新します。