第一話 包囲
解放同盟の盟主となっているライオネルに良い報告と悪い報告のふたつが入ってきた。
まず、良い報告としては、獅子の尾傭兵団の屋敷に侵入した別動隊の作戦が成功して、傭兵団の幹部すべてを排除できた事。
特に、最後に悪魔のような姿となって多数の死傷者を出したヴィシュミネを倒せた事は朗報であるし、敵の政治的な主導者となっていたジュリオ第三皇子を無事に拘束できた事も成果としては大きい。
自分達もラフレスタ城へ入城を果たし、帝国との対決を宣言したジョージオ・ラフレスタ公を捕える事もできたため、これで名実ともにラフレスタの全権を掌握できたと言ってよい。
ここまでは彼の筋書き通りであった。
そして、悪い報告としては、新たな軍勢・・・しかも、十万を超える大軍が現れた事だ。
しかし、その軍勢は後の報告でエストリア帝国の正規軍の軍装である事が解り、人々はひとまず安心する。
「友軍が来てくれた」
誰もがそう思うが、この軍団はラフレスタから目視できる距離まで近づくと、何故かその進軍を突然に止めた。
十万の大軍が城壁都市ラフレスタの周囲をぐるりと一周完全に包囲する形となる。
ラフレスタ市民はこの行動を不審に思ったし、先も獅子の尾傭兵団による約一万人の兵の到来があったばかりで、現在のラフレスタ市民はいろんな事で懐疑的となり、敏感なのだ。
「もしかしたら、この十万の兵も洗脳されていて、ラフレスタ攻撃の第二陣として来たのではないか?」
そんな噂が市井の民に囁かれ始めていた。
当然、ラフレスタの解放同盟から使いの者を出し、この軍勢と接触を試みたが、相手側の兵の反応は冷ややかなものだった。
「我が軍隊の所属や目的は、時が来るまで明かせない」
相手はその一点張りで、使いの者との接触を拒んだ。
理由は全く解らないが、それが市民を余計に不安にさせる事になる。
「彼らの目的は一体何でしょうかな?」
ライオネルは解放同盟の会合に同席するロッテルに意見を求める。
「ふむ。軍の装備からして中央第一騎士隊のようだ。つまり、エストリア帝国の首都に駐留する騎士団だが・・・」
そう答えるロッテルだったが、実はロッテル自身が率いていた第二騎士隊は第一騎士隊とあまり関係が良くない歴史もあり、普段から交流もあまりなかったため、情報も少ない。
そんな事を勘案しつつもライオネルは言葉を続けた。
「そうすると、帝国本隊がラフレスタ救出にようやく動き出した。しかし、友軍ならば何故進軍して来ないのでしょうかな?」
「彼らも疑っているのでしょう。我々でさえ、あの『美女の流血』と言う魔法薬で完全に騙されていた。今、ラフレスタを支配している勢力が自分達と敵対する存在なのか? それを探っているのだと思われる」
「ふむ。そうですか・・・しかし、その疑いはこちら側にもある。もし、あの軍勢が『美女の流血』で支配されていたとしたら・・・」
ライオネルは渋い顔をする。
獅子の尾傭兵団の仕掛けた『美女の流血』という魔法薬によってその人の人格を支配し、完全に騙されていた事は彼自身にも痛い経験であった。
(もしかしたら、この人も・・・)
この時のラフレスタの乱に関わった関係者は大なり小なりそんな疑心暗鬼が心を濁していた。
それに、これが正規の帝国軍で完全な友軍であったとしても、ライオネルにとっては面白くないシナリオになる。
多大な苦労と少なくない犠牲を払って、せっかく解放して、掌握したラフレスタ領。
彼は今後、ここラフレスタの支配者として君臨し、自分が理想とする社会の実現のための足掛けとするつもりであった。
そこで横から帝国本軍が入ってきて、手柄の横取りをされるような展開は非常に面白くない話である。
その事を解ってか解らずか、ロッテルが話を続ける。
「埒が明かないときは、私が交渉役の窓口となろう。その程度の恩義は貴方にある」
「・・・」
「しかし、まだその時ではないようだ。しばらく様子を見るしかない。最悪のシナリオの時は・・・昨晩以上に凄惨な事になる可能性もゼロではない。今は兵を十分に休ませておく。待つ事も得策のひとつだろう」
そう言いロッテルは席を立った。
彼としても昨日は徹夜の戦闘で疲労が抜けていないのは事実だったし、それはこの場の誰もがそうであった。
ライオネルはロッテルからの意見具申を素直に同意し、可能な者には休息を命じる事にするのであった。
結局、謎の軍隊による包囲は朝から一日中続き、その日の夜になっても状況は変わらなかった。
彼らの見えない圧力により、解放同盟を初めとしたラフレスタの市民はあまり眠れぬ夜を過ごす事となる。
そんな疲労が残るラフレスタの次の朝。
閉じられた城壁都市の門を激しく叩く音が響いた。
「こりゃ開けんか! 門番め。もう朝が過ぎとるぞ。寝坊は職務怠慢じゃて!」
ガン、ガン、ガン
金属製の扉を容赦なく杖で叩くのはローブ姿の初老女性。
老婆と表現するにはまだ早いが、それでも齢を重ねた事がよく解る姿である。
「こらー! 婆さん、うるさいぞ。今は厳戒態勢が続いているんだ。そう簡単に門を開けられないんだ!」
門番は当然に寝坊などしておらず、関所に詰め続けていたが、朝から不躾な挨拶に対してはそれ相応の返礼をした。
「若造め。儂の顔を知らぬか・・・失礼な奴じゃが、儂として引退した身じゃ。まぁいいだろう。その代わりに、責任者を直ぐにでも呼んでこんか! 『先触れの使者』が来たと言え。儂は気が短いんじゃ。さっさとやらんと、この門をぶっ飛ばしてやるからな!」
「口の汚い婆さんめ。解った、解った。しばらく待っていな」
そう言って、城壁の向こう側の若い衛士は見張り窓より顔を引っ込める。
「おい。『先触れ』とか言っていたけど・・・」
対応した衛士の同僚が心配そうな顔つきになり、そう話かける。
「ああ、そんな事を言っていた。しかし、嘘をついているかも知れない。この前も商隊の連中が嘘をついてここを突破した例もあるし・・・どうせ・・・いや、一応、上には報告しておくか」
若い衛士は多少げんなりしてそう答えた。
ラフレスタには長い間戒厳令が続いており、門を開けていない。
そういう事が続くと、いろいろな理由を付けて、この門を突破しようとする者ばかりが現れるものだ。
今回も、包囲する帝国軍からの先触れの使者にしては、朝の早い時間過ぎる、と思った。
あれ程の軍勢なのだ、指揮する人間も相当な上位の人間に違いない。
そんな人間は得てして朝が弱いものだろう。
若い衛士の根拠ない勘が、そんな事を告げていた。
「早く呼べよ。本当にぶっ壊すからな!」
まだ、老婆の声が響いている。
「今、呼ぶから待っておけ。それに、門をぶっ壊すなんて・・・やれるものだったら、やってみろ!」
若い衛士は多少げんなりして怒鳴り返し、とりあえず無駄になるかも知れないが、この事を上司に報告するのであった。
やがて、しばらくして責任者が城壁にやってきた。
若い衛士は上司が軽く様子を見て「追っ払え」と命令を受けるつもりだったが、予想に反した。
ここに現れたのは解放同盟の代表であるライオネル・エリオスその人と、帝国の高級武官であるロッテル・アクライト卿、そして、ラフレスタで最高の大魔導士グリーナ学長と、ふたりの学生、だった。
若い衛士からするとふたりの学生以外は雲の上の存在なのだ。
「君かな? 先触れの使者が現れたと言っていたのは」
ライオネルから直々に話かけられた若い衛士はいきなり過ぎて緊張してしまう。
「は、はひ。て、帝国の名を騙る不届き者かと思ったのですが・・・一応、念のために報告したまでです。い、今すぐ追い返しますから」
若い衛士は、こんなつまらない悪戯に、ラフレスタを解放した解放同盟のリーダの足を運ばせたことを恥じて、自分も何らかの叱りを受けることを覚悟して、すぐに謝る。
しかし、そんなことはお構いなしと、自分とそう歳の変わらない若い女学生が、ヒョィと城壁の外へ首を出す。
「おい、こら、学生! 危ないぞ!」
若い兵は不用心な学生を叱咤するが、当の本人はそんな事をまったく構う事はない。
「あれ? お母さんだ!」
そんな声に城壁近くの岩場に座り込んでいた老婆が顔を上げた。
「おや、その声はハルかや。久しぶりじゃな。元気にしておったか?」
老婆は持っていた杖を高々に振り挨拶を返してきた。
「こんなところで一体何をやってるの? とりあえず、上がってくれば?」
ハルが気安く話すその姿は、まるで自分の家の二階にでも上がってくるような口上である。
「ほう、そうじゃな。その方が話が早そうじゃ。よっこらしょっと」
老婆はゆっくりと腰を上げると、ふわっと魔法で浮き上がる。
無詠唱の魔法行使であり、達人クラスの魔術であった。
そして、この老婆は瞬く間に城壁まで浮かび上がり、すっと女学生―――ハルとか言う名前―――の隣に降り立つ。
「おお、役者が全員揃っておるみたいじゃなぁ!」
「ええそうね。ハルさんが大きな魔力の気配が近付いてきたと察知したから、まさかとは思ったけど」
グリーナはそう言い、自分の旧知の友人に久しぶりの挨拶をする。
「なるほど、この娘は益々に感が鋭くなったようじゃな。そして、この人物がライオネル・エリオスじゃろう?」
老婆は解放同盟のリーダを正確に言い当てた。
「いかにもそうです。そして、あなたは?」
「儂か、儂は元宮廷魔術師長のリリアリアじゃよ」
「ええ゛ーーーーっ!!!」
ここで一番の驚きの声を発したのはライオネルではなく、真っ先に対応した若い衛士だったのは言うまでもない・・・
その後、リリアリアはラフレスタ城の一室へと通され、そこには解放同盟の幹部達が集められた。
各団体の代表に混ざり、アクトとハルも出席を許されたが、それは一連の成り行きであり、会議中は一言も意見を発する事は無い。
各人の自己紹介もほどほどにして本題へ入る。
「つまり、帝皇陛下が来られると・・・」
ライオネルはリリアリアが先触れの使者として来た主な理由を知り、その内容を反芻した。
「そうじゃ、大体の状況はこちら側でも把握しつつある。今後の沙汰はデュラン陛下自ら直々に行うことになるじゃろう」
「はあー・・・わかりました」
ライオネルは実にガッカリとする。
彼としては、今後の運営や話の進め方、中央政府との交渉についていろいろと画策していたが、いきなり帝皇が出てくるのは全くの予想外だった。
エストリア帝国民として、帝皇に逆らうなど考えられない。
それは自分が帝国民という事を否定するようなものだからだ。
そういう風に生まれた頃より教育で刷り込まれている。
ライオネルとしても、その事を自覚しているだけに、実に残念だった。
帝皇からの沙汰を否定してまで自分の意見を通す事など、全く以って自信がない。
それこそ、そんな行為自体が『反逆』となってしまうからだ。
近くのエレイナに、「俺の三日天下は終わったよ・・・」と寂しくぼやいていたのは、この会議に出席していた人達の目に印象的に映っていたりする。
他に印象的だったこととしては、会議に出席したクロイッツ・ゲンプ伯爵が直立不動だったことである。
彼はリリアリアの事を「隊長」と呼び、当の本人からも「楽にしていいぞ」と言われたが一切そんな気配は見せず、終始背筋をまっすぐに伸ばしていた。
ゲンプにとってリリアリアと言う存在は、自分が現役時代の上司であり、尊敬すべき―――いや、最も恐るべき人物なのだろう。
そんな見る人によって興味深い会議であったが、その後に事務的な話が二、三続いて、先触れの使者との打合せは早々に閉幕となった。
「それでは、午後に陛下が入城なされる。二、三十人程度が入れる部屋を準備しておくのじゃ。人選はこちらで行う」
最後にリリアリアはそう述べて、部屋から出て行こうとする。
しかし、何かを忘れたように振り返り、ハルへと問いかけた。
「おお、そうじゃ。ずっと気になっていたのじゃが、其方の隣にずっと居る男子・・・彼は一体何者なのじゃ?」
リリアリアはハルにそんな事を問うた。
そんなことを突然聞かれ、ハルは目をパチクリさせてしまったが、アクトはなんとか落ち着いて自己紹介を果たす。
「あ、私はアクト、アクト・ブレッタ。ラフレスタ高等騎士学校に所属する四年生で、ハルさんとは仲良くさせて貰っています」
一礼をして、丁寧で優しく自己紹介するその姿は、貴族として、いや人間として好感が持てた。
「ほう、ラフレスタにブレッタ家の倅がひとりいると聞いていたが、貴殿がそうか」
リリアリアの問いかけに間違いないと頷くアクト。
「それで、うちの娘とは一体どういう関係かな?」
このときのリリアリアの意地悪な顔は後のハルにとって最も印象深いものになる。
彼女の中で何かを確信し、そして、それを当人たちの口から聞き出す事が目的だと思った。
しかし、このときアクトとハルにはそれほどに心の余裕も無く、冷静ではない。
自分の彼氏を実家の両親に紹介する・・・もしくは、彼女の両親に初めての挨拶に行く男子・・・
意地悪なリリアリアの顔を見て、そんな気持ちに陥るふたり。
このときのハルとアクトは自分の事を、いや、自分達の関係の正当性を、説明する事に、非常に躍起になってしまう。
そして、心の共有という契約魔法の効果もあり、ふたりの言葉が変な風に重なってしまう。
こうして、奇妙な現象が起きた。
「彼はわたしの―――――」
「彼女は僕の――――――」
「「パートナです!」」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が少しだけ時間を支配する。
そして・・・
「・・・・・パッ、パッ、パーートナじゃと・・・・ひ・・・ハハハ、愉快、愉快じゃ、愉快じゃな!!!」
何がウケたのか、リリアリアは大爆笑をして、隣にいたグリーナの肩をバンバンと叩く。
「愉快、愉快。結構なことじゃな。今日一番良い事を聞いたわい・・・それじゃ、また午後また会おうぞ・・・ヒャハハハハ」
こうして、リリアリアは妙な高笑いと共に去っていく。
残されたハルとアクトは完全に自分達が晒し者となり、顔が真っ赤。
周囲からの視線に恥ずかしいやら、何やら、どうして、あんな事を公衆の面前で言ってしまったのか・・・
小一時間ぐらい自己嫌悪に陥ったのは言うまでも無い。