第十一話 最強の末路 ※
話は少し遡り、アクトがロッテルと別れた直後から始まる。
アクトは獅子の尾傭兵団の屋敷の廊下を躊躇なく走っていた。
それはアクトの持つ魔剣『エクリプス』に隠された機能によるものだ。
この魔剣は一般的な魔剣で謳われているように魔法が付与された剣として攻撃力の向上だけでなく、多くの特別な機能を持っている。
そのひとつに、契約した人間同士が安否確認できる機能もあった。
その機能はハルが意図して作ったものではないが、魔剣と契約する際に相手と魔力的につながった事による副産物であったりする。
そのお陰で、アクトは周囲にハルが居なかったときも、この魔剣『エクリプス』を介して彼女の無事を直感的に感じていた所以でもある。
そして、『心の共有』と言う、より強い絆を果したアクト達はエクリプスのこの機能と組み合わせることで、大凡の相手の位置を把握する事も可能になっていた。
その機能により、現在、ハルが敵の罠に落ちて危機的な状況に瀕している状況までもがひしひしと伝わってくる。
アクトは焦燥感を抱き、敵の館の中を疾走していた。
途中、何人かの敵の傭兵と出くわしたが、遭遇とともにアクトは敵を早々に排除する。
「邪魔だ!」
「何!? ぐわっ!」
ある者は飛び蹴りを食らわせて、ある者は剣で打ち付け、ある者は拳で一撃。
それはどこか人間離れした技であり、アクト本人も後から考えてどうやって相手を倒したのか覚えていないほどの早業であったりする。
それほどまでにアクトは焦っており、広い屋敷内をひたすら走る。
下りの階段に出たアクトは階段をいちいち下るのも億劫になり、地下に伸びる階段を広い踊り場に向けて一気に飛び降りる。
そして、アクトは行き止まりへと辿り着く。
壁を見渡し、魔剣『エクリプス』に手を触れて、やがて確信できた。
「ここだ!」
アクトは目前の壁に手をやる。
薄暗い通路はここで行き止まりになっていたが、冷たい壁の向こうにハルが存在しているのを魔力的つながりから確信。
壁を崩そうと、壁に魔剣や蹴りをおもいきり打ち付ける。
ドーン、ドーン、ドーン
だが、堅牢に造られた石の壁はビクリともせず、その表面を削るだけに留まってしまう。
「くっそう!」
壁の向こうでは今でもハルが酷い目に遭っているのが心の共有で感じとれた。
一刻も早くハルを助けたいのに・・・
堅牢な壁によって阻まれているため、苛立ち、焦るアクト。
「だめだ。硬すぎる・・・どうすれば!?」
逸る気持ちに・・・そんなときこそ落ち着け・・・と自分の頭の片隅よりブレッタ家の男子に伝わる教えの声が響く。
(この壁は・・・頑丈な岩石と土でできている・・・この地下室は岩盤をくりぬいて造られている・・・ここに魔法的な要素は・・・感じられない・・・つまり、これはただの硬くて頑丈なだけの壁・・・)
ひとつひとつの事実を積上げ、障害になっているこの壁の分析を冷静、かつ、素早く頭の中でまとめていくアクト。
(この壁を破壊するためには、ただ強大な外力を加えれば、それでいい・・・例えば上級魔法のような破壊力を・・・)
そこまで考えて、自分は魔力抵抗体質者であるため魔法は使えないが、現在手にしている魔剣『エクリプス』の特別な機能を思い出す。
『この剣は魔力を吸収する魔道具・・・そして、理論的にはアクトが魔法を使う事もできるのよ・・・』
それは魔剣誕生時にハルがそう呟いた言葉だ。
その直後に騒動が始まってしまったため、詳しい内容については彼女の口より聞けなかったが、現在、心の共有を果たしているアクトはハルの記憶と共有しているため、それがどういう意味なのかを良く理解できていた。
(壁を打ち壊す威力・・・バズーカ砲・・・ハルの世界の兵器か・・・)
ハルの過去の記憶よりひとつの現代兵器を掘り起こすと、そのイメージを脳内へ展開する。
(正式にはロケットランチャー・・・いや、今はそんな事はどうだっていい・・・長い筒状の砲身に炸薬の詰まる金属製の砲弾・・・それをまた別の炸薬で爆発させて加速し・・・)
アクトが脳内でイメージを膨らませると、それと同時に手にしていた魔剣『エクリプス』の刀身の中央に走る赤色の一線が脈打つ。
(砲身から発射された金属製の砲弾は・・・その勢いで壁にめり込み、深く入ったところで遅れて爆発する・・・そうする事で固い対象物を内部より破壊できる)
『エクリプス』の輝きがが更に増し、アクトから何かを奪っていく。
ここでアクトは激しい脱力感を覚えるが、それは魔力抵抗体質者が初めて魔力を大量に奪われるという経験をしているからである。
あまりの脱力感で気を失いそうになるが・・・それは知識として知る魔術師による魔法行使のプロセスと酷似しているため、これから行うとしていた魔法が成立する事を疑わない。
やがてアクトの願いどおり、エクリプスに集まった魔力が収斂し、空中に透明の砲身とその中に輝く砲弾が姿を現す。
煮えたぎるような炎を纏った砲弾は、今か、今かと主人から発射の命令を我慢するように、小刻みに震えていた。
何かが臨界に達したような感覚を得たアクトは、そして、こう叫ぶ。
「ファイヤーーーーッ!」
それはハルの世界の言葉―――サガミノクニではなく、別の外国の言葉だが―――その一言がこのバズーカ砲を発射するのに相応しい最適な呪文の完結文であった。
こうして、この世界で初めて、魔力抵抗体質者による魔法の発動が成される。
発射の許可命令を受けたバズーカ砲は炸薬に似た炎の魔法が炸裂し、透明な砲身の中で砲弾が圧倒的な加速をする。
そして、透明の砲身より飛び出した魔法の砲弾は一直線に壁へ進み、激突して壁深くにめり込んだ直後・・・一瞬遅れてその内部から炎と膨張の魔法が発動した。
ドカーーーーーーーーン!!!
大爆発が起こり、こうして、堅牢な石の壁は木っ端微塵に砕け散る。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・やった!」
肩で息をするアクトは初めての魔法行使による反動で意識が飛びそうになるが、それでも必死に耐える。
そして、崩れた先の様子を確認して、そこで行われていた蛮行を目にしたアクトは・・・一気に彼から冷静さが奪われる。
自分の最愛の彼女は手錠を掛けられて身体の自由を奪われ、そして、衣服が破られ。仰向けに押し倒された彼女の上には上半身裸の筋骨隆々な大男―――ギエフが覆いかぶさっている。。
そして、そのギエフは、今、ハルに凌辱の限りを尽くそうとしている。
(それは、させては、ならない!!!)
アクトの中で何かが切れて、彼の中で枯渇しかけていた魔力が再び満たされた・・・いや、今まで以上に膨み、爆発した。
「俺の! 俺のハルに!! 一体何をしてやがるーーーーーーっっ!!!!」
反射的に大絶叫を発したアクトは獣のように駆け出してギエフへと迫る。
相手は一体何が起ったのかを理解する前に、アクトは魔剣『エクリプス』を素早く振り抜いた。
「ほえっ!?」
不可解な声を発したギエフだが、その一言はギエフがこの世で最後に吐いた言葉となる。
ペチャッ
そして、長くて気色の悪いピンク色の舌がその口元より綺麗に切断されて宙を舞い、そして、地面に落ちた。
加えて、次の一刃でギエフの首が宙を飛ぶ。
大きく宙を舞った彼の首を追いかけるように大量の血が噴き出そうになるが、裸体のハルをギエフの血で穢されるのを赦す今のアクトではない。
最後に、袈裟斬りでギエフの首の上から股間の下まで真っ二つに両断するアクト。
魔剣『エクリプス』の鋭い刃は偽物の魔力抵抗体質者の身体などものともせず、ギエフの身体は中心から綺麗に左右弐等分で斬り分けられた。
そうして、まるで時間が止ったようにギエフの身体はゆっくりと左右に分かれて・・・やがて左右にばたりと落ちて、遅れて大量の血が左右の解れた身体より地面へと流れる。
「な、なんという事を!」
突然のギエフの最期に、唖然を通り越し、怒りの声を漏らすフェルメニカだが、それさえもアクトは赦さない。
アクトは二人目の悪党に向けて魔剣『エクリプス』を力一杯投擲する。
アクトから放たれた魔剣は魔力的な推進力も得て、空中で加速して、矢のような速度でフェルメニカへ迫る。
これでは不味いと思ったフェルメニカは一瞬のうちに物理攻撃阻害の魔法防壁を展開した。
熟練の魔術師が成せる早業であり、これは剣術士に対して完璧な防御方法だったが、今回は相手が悪かった。
魔剣『エクリプス』は物理攻撃阻害用の防壁に接触しても、その勢いを止めることなどない。
この魔剣は魔法を破るための剣なのだ。
魔法で作られた防壁など、いとも簡単に粉々となる。
そして、驚く間も与えず、フェルメニカは串刺しとなった。
「ぐぎあああぁーーーっ!!!」
苦悶の声を挙げるフェルメニカ。
その苦しみは肉体的な苦痛だけではなく、この魔剣によって自身の魔力を奪われた事による苦しさも加わっていた。
「そんなぁ!・・・魔力吸収のできる魔剣など・・・ありえ・・・ん」
それ以上の言葉を発する事も叶わなくなり、魔力が急速に流出して、フェルメニカは自分自身にかけていた変化の魔法さえも解除されられてしまう。
こうして彫の深い青年の顔は剥がれるように崩れ去って、その奥からは皺枯れた白髪の老人の顔が露わになる。
そして、フェルメニカは仰向けにゆっくりと倒れる。
倒れた衝撃が原因なのか、それとも、魔力吸収の余波を受けたためか、彼が手にしていた二重螺旋の禍々しい杖も、この時、木っ端微塵に砕け散ってしまった。
それが最悪の大魔導士フェルメニカの最期を物語っているようでもあった。
こうして、ハルに狼藉を働いていた悪党二人を葬ったアクトは、すぐさまハルを助ける。
「おい、ハル! 大丈夫か!!」
全身がイーターウォームの粘液混じりになった彼女を揺さぶる。
外傷は見られないものの、その顔には薄笑いが浮び、俄かに興奮しているようにも感じられた。
今も気持ちの悪いピンク色の芋虫がハルの身体を弄ぶように蠢いている。
アクトはハルの身体の上を這いずり回る芋虫を手で払って救出し、そして、生理的な嫌悪感溢れるこの部屋から早々に脱出して、穴を開けた階段前の踊り場まで戻ってきた。
「ハル、ハル!」
「ア・・・アクト・・・ああ、私の愛しのアクト・・・助けに来てくれた・・・やっぱり、助けに来てくれたんだ・・・うふふふ」
ハルは仮面の奥から覗かせている瞳の焦点があまり合わなっていなかったが、それでもアクトを愛撫しようと身を寄せてくる。
「おい、ハル、しっかりしろ・・・そうか、この拘束具か・・・今、自由にしてやるからな」
アクトが持つもうひとつの普通の剣でハルを拘束していた魔術師拘束の腕輪を破壊しようとする。
見た目と違い堅牢だった拘束具は三度ほど剣を打ち付けて、腕の部分を壊すことでこの魔道具による魔力減衰の機能を何とか喪失させる事ができた。
こうして彼女はいつもの白魔女のように巨大な魔力を纏うようになる。
しかし、ここで変化が現れる。
魔力の気配が戻った彼女は急に力を出して、アクトに抱き着いてきたのだ。
白魔女の彼女は軽装の鎧を付けていたアクトに全く遠慮することなく、両足をアクトの身体に絡め、自慢の胸をアクトに押し付けて、激しい口付けをする。
「ああ、アクト。私、ずっと我慢していたの・・・あんな奴に犯されるなんて絶対にダメ。絶対にダメって、ずっと我慢していた・・・でも、アクト、貴方ならば何も問題ない・・・いや、むしろ嬉しい・・・ああぁ、アクト~、私を・・・」
白魔女としての強力な力を取り戻したハルはアクトを簡単に組み敷く。
「ハル、ハル・・・何をやっているんだ。やめろ!」
アクトは彼女の異常を察して声を挙げるが、それを聞く今のハルではない。
イーターウォームの媚薬は相手の魔力に反応する効力を持つ。
つまり、魔術師拘束の枷の働きがなくなり強大な魔力を取り戻した今の彼女にしてみれば、皮肉にも、より強い興奮が与えられたようなものであった。
自由を得た白魔女はアクトに熱烈なキスをするが、アクトもここは心を鬼にして耐え、彼女を正気に戻す方法を必死に思案した。
そして、いつか感じたデジャビュ・・・先日の小屋での一夜を思い出す。
あの時のハルは自分の魔法に操られての行為だったが、その解除に役立ったのがこの白仮面を外すこと。
そのショックで元に戻ったのだ。
今回も・・・と一部の望みをかけて白仮面へ手を伸ばす。
アクトを信頼しきっている彼女からは一切の抵抗がなく、アクトに白仮面を触ることを許した。
そして、アクトが力を籠めると白仮面は殆ど抵抗する事なく、素直にハルの顔から剥がれた。
「ああぁぁぁ!」
短い叫び声を挙げるハル。
そして、途端に静かになった。
それまで興奮していた彼女の気配は全て吹き飛び、その代わりに全身の力が抜けてぐったりとしてしまうハル。
「おい、しっかりしろ、ハル!」
ハルを揺さぶるが、反応は弱い。
かわりに呼吸が次第に荒くなってくる。
そこへアクトを追っかけてきたキリアが間に合った。
「わおっ! お取込み中ですか!?」
傍から見れば、ハルと抱き合うアクトの姿は愛の行為の最中のようにも見えた。
キリアは目を覆うようにしてこの場から去ろうとするが、アクトは必死にそれを全力で停める。
「そんな訳ないだろう! それよりもハルの容態がおかしいんだ。看てくれ!」
アクトはキリアからの誤解をなんとか解消させて、癒し手の専門家である彼女に助けを乞うた。
男女の愛の経験がないキリアにしてみれば少し恥ずかしい場面と言う思いもあったが、それでもアクトが言う事をようやく理解して、状態異常に陥っているハルを助けることにする。
キリアは意識が混濁して苦しむハルを診断し、身体に付着した液体の匂いを嗅いで、やがて確信に至る。
「これはイーターウォームの媚薬ですね。しかもこんな大量に・・・普通だったら発狂しちゃいますよ」
「媚薬にやられていたのか・・・だから・・・ キリア、治せるか?」
「任してください。私が神学校で筆頭なのをお忘れですか? 特に解毒は私の得意中の得意ですよ」
キリアは自分に任せろと、その薄い胸を張りアクトに応える。
「では早速。ハルさん、少々荒っぽいですが我慢してくださいねっ!」
キリアはそう言うと、アクトを下がらせて、ハルに向かい神の呪文を唱え始める。
それは神々に祈るような姿であったが、魔力を注ぎ神に向かって詠唱をするプロセス自体は魔術師が呪文を唱えるのと大きく変わることはない。
魔力と共に彼女の信奉している神への祈りと称される呪文の詠唱が完結すると、その効果はすぐに現れた。
ハルを中心にして丸い玉のような結界が現れ、その結界は清潔な水で満たされる。
その水はやがて完全な球体となり空中に浮かび、その中にハルが漂う。
球体の中では水流が縦横斜めと複雑に動き、ハルは成されるままに回転した。
そして、どこからともなく神々しい光が注がれる。
何も解らないアクトはこれが癒しの光なのかと思った。
「綺麗ですねー」
いつもながらのキリアらしい呑気な言葉が漏れてくるが、それはこの神々しい光景のことか、それとも水の中を漂うハルの姿なのか。
それをアクトが確認する前に施術は完了し、ハルを包んでいた水球は優しく割れて、ハルは静かに流れ出てきた。
「う・・・ゴホッ!」
ハルは胃の中に溜まった媚薬混じりの液体をすべて吐き出して、しばらく苦しんでいたが、やがて落ち着きを取り戻して立ち上がる。
「キリア・・・よくもこんな事を・・・それに、折角の私へのご褒美を邪魔してくれたわね」
正気に戻ったハルの口からは多少に変な恨み節を洩らすが、アクトとキリアはそれを聞かなかった事にした。
「それよりもハルさん。私に感謝すべきではないでしょうか?」
そんなキリアの尤もらしい指摘に、ハルもようやく今の状況を理解して、赤面する。
コボンと少し咳払いする彼女。
「そうね・・・こんな醜態を晒す事に・・・でも、感謝はしておくわ」
ハルはこの時は強がってキリアにそう接するが、こうでもしないと彼女は羞恥心に押し潰されそうだったからである。
大好きなアクトだけじゃなく、自分の学友にも自分のあり得ない裸身の姿を晒してしまうとか・・・現時点の彼女には到底受け入れられない姿。
現時点のハルはそこまで人生経験が図太い訳では無い。
そんなハルはアクトより差し出された白仮面を黙って受け取ると、それを被り直し、再び魔法を発動させる。
その魔法により白魔女への変化が行われ、この時に彼女の白い高貴なローブも無事に再生された。
こうして、ハルは無事に元どおりの白魔女の姿に戻る事ができた。
アクトとキリアから体調の無事を確認する言葉を二、三言交した白魔女だが、キリアの魔法のお陰で完全に解毒が成され、全く問題が無いことを宣言すると、さっそく蛮行が行われた現場に戻る。
「うわ~、惨殺死体ですね」
キリアが思わずそう口にするほどにそこは血まみれな現場であった。
アクトによってクビを飛ばされて胴体を真っ二つに切られたギエフの死体がそこにあった。
悪行を果たした下郎に相応しい最期である。
キリアは聖職者だが、アクトが行ったこの惨殺行為を非難する気にはなれない。
それほどに女性に対して屈辱的な行為がこの場で行われていようとしたためだ。
白魔女のハルは静かにギエフの死体に近付き、まだ残されていた悪行の源とも言える戯エルの下半身を思いっ切り蹴飛ばす。
怒り万感な彼女なりの反撃方法だが、それを目にしたアクトが少しだけ目を泳がせている。
アクトが少しだけ戦慄してしまったのは、ここだけの話だ・・・
そんなアクトとハルを尻目にキリアがもうひとつの死体の検分しようとして、まだ息がある事実に気付く。
「ハルさん、アクトさん。この人、まだ生きていますよ!」
キリアが指摘したとおり、フェルメニカは瀕死の重傷だったが、それでもまだ生命の糸は切れていなかった。
しかし、フェルメニカにはまだ刺さったままである魔剣『エクリプス』が現在進行形で魔力を吸い取り、その斬先が身体の重要な器官を傷付けていたので、彼が息を引き取るのも時間の問題と言ったところだろう。
彼は視界がぼやけ出したその眼で虚空を見据えながら、小さい声で呟き出す。
「最強の生物・・・それこそ、私の追い求める者・・・何故、こんな結末に・・・最強の者が敗れては・・・いけないのだ・・・何故・・・だ」
最早、フェルメニカが誰に問いかけているのかは解らなかったが、遂にその夢に到達できない彼の姿は悪党であっても憐れに思えた。
技術者として一部の情けだろうか、白魔女はフェルメニカの最期の問いに答えてやることにした。
「何故かって? それは、自然の摂理として最も強い生物が最後まで生き残れる訳ではないからよ」
「・・・・」
「最後に生き残るのは、物事や環境の変化に最も対応できた生物だけ」
「・・・・」
「ある著名な動物学者の言葉だけど・・・もう聞いてはいないわね」
ここでフェルメニカは事切れていた。
白魔女であるハルの異世界からの最後の助言を聞いていたかどうかは不明だが、これがこの世界で半世紀余りに悪名を轟かせていた悪党ひとりがこの世を去った瞬間であった。
彼の研究によって失われた多くの命も、これで浮かばれる事になるだろう。
アクトはそう自分に言い聞かせて、彼に刺さったままの魔剣エクリプスを引き抜いて、血糊を飛ばし、鞘へと戻す。
そのとき、キリアが叫ぶ。
「やや!? あ、あれって何ですか!」
キリアが指差した場所にはイーターウォームの群がりがあった。
しばらく蠢く芋虫だったが、その中よりは一際大きなイーターウォームが姿を現す。
こんな巨大な個体なんは天井の仕掛けより飛来した際はいなかった筈・・・そんな事を思ってしまうハル。
「うっ!」
そんな呻き声を漏らしてしまったのはこの三人のうち一体誰だったのかは解らないが、そんな事などどうでもいいほどに気持ち悪い光景がそこに広がっていた。
一際大きなイーターウォームが他の小さなイーターウォームを共食いしている姿がそこにあったからだ。
そのイーターウォームは自分の周りに集まった他のイーターウォームを大きな口で租借し、丸のみにしたり引きちぎったりしている。
迸る体液から飛沫する媚薬の効果を恐れて、白魔女とキリアはアクトの身体の陰に隠れる。
イーターウォームの媚薬は魔力に大きく反応してしまうため、魔力抵抗体質者であるアクトにはイーターウォームの媚薬の効果がないと女性陣は信じたようだ。
多少体液がかかったところで絶倫の殿方へと変貌する事はない・・・はずだと・・・
そう思い、アクトの陰に隠れた彼女達は、怖いもの見たさで首だけを出し、事の成り行きを見守る。
大きなイーターウォームは自分の周囲にいた別の個体をあっと言う間に平らげると、その身体がプルンと震えて一段と膨れ上がった。
そして、次の集団、次の集団へと食らいつき、あっと言う間に数万匹いたイーターウォームのすべてを食い尽してしまった。
最後には体長が一メートルを超える巨大な芋虫の姿に育った巨大イーターウォームは、静かに穴を掘って、そして、地面の中へとゆっくりその姿を消して行った。
キリアがその姿を発見してからものの数分ほどの出来事であったが、その悍ましさに誰もが何かをする事もできなかった。
この巨大なイーターウォームが去った後、アクトが切断したはずのギエフの長い舌が失われている事実に気付くハルとアクト。
もしかしたらギエフの舌があの巨大なイーターウォームの正体だったのか?
フェルメニカ自身もギエフの魔力抵抗体質をイーターウォームの因子から人工的に造り出されたと言っていたから、全く無関係だとはハルも思えなかったが、もう、確かめる術は残されていなかった。
こうして地中深に消えた巨大なイーターウォームは、後ほど『キング・イーターウォーム』と命名されて伝説の存在となる。
あの白魔女さえも絶頂の世界へと誘ったとされる伝説的な媚薬を求めて、闇の業者や時の権力者がこのキング・イーターウォームの捕獲に暗躍する事になるのだが、それはまた別の未来の話である。