第九話 シルクハットの狂人
ハルやアクトを初めとした解放同盟の別動隊は隠蔽魔法を利用し、難なく獅子の尾傭兵団の屋敷内部に侵入を果せていた。
意外な事に屋敷内部を警備している傭兵は殆どおらず、彼らは広い屋敷内を易々と進む事ができている。
「静かだな」
外部の喧騒とのあまりの違いに違和感を感じてしまうアクト。
「そうね。恐ろしい程に侵入者の事を考えていないわ。外の警備体制に余程自信があったのか、それとも何か罠を用意しているのかしら?」
白魔女のハルはそう言うと索敵魔法を行使する。
この魔法は周辺の敵の存在を調べる魔法であり、四方八方に飛ばした魔力が再び術者に戻ってきて周辺の状況を施術者へ知らせる。
「現在、この屋敷内に居るのは三十人ほど・・・思ったより少ないわね。そして、奥の一部は魔法的にかなり高度に隠蔽されていて解らない区間もあるわ・・・さすがに索敵魔法の対策をしているようね」
簡単には行かないわ、と白魔女は嘆息する。
「このルートをしばらく直進すると、ひとりの人間が待ち構えるように待機しているわ。どうやら私達の侵入を敵側も想定しているようね」
「罠か?」
ロッテルにそう問われて、白魔女は解らないと首を振る。
「そうかも知れないけど、他にルートが無いわ。もし、罠だったとしてもそれを食い破るしかなさそうね」
「・・・解った。しかし、警戒は怠らない事だ」
ロッテルの指摘に全員が頷く。
一方、こちらはラフレスタ居城へ場面を移す。
「こ、こいつめ! ぐわーーっ」
居城の正面に陣取っていた傭兵達は突然現れた半透明の巨人達―――人工精霊に翻弄されていた。
不気味な存在感を放つ巨人達は、薬で支配されている傭兵達にも大なる不安と緊迫感を与えていた。
数体の巨人達が自分達に迫り、その脅威的な姿から魔術師より多数の魔法攻撃が降り注がれる。
巨大な敵は的として外すべくなく、ゆっくりとした動きの巨人には全ての魔法攻撃が命中するものの、その魔法はすべてが吸収されて反射される。
魔法を放った魔術師は跳ね返された魔法により少なからずの被害を出していた。
そうして彼らはようやく気付く・・・この巨人には魔法が通じないのだと。
それならば剣や弓でダメージを与えればと行動してみるが、物理的な攻撃は全てがすり抜けてダメージを与えることもできない。
次の手を倦む傭兵達だが、そこに黒い装束の者が現れた。
夜の闇に紛れて傭兵の軍団の中心部に侵入を果たした彼らは、ここで一気に攻勢を開始する。
「ぎゃー!」
彼らは遠慮なく魔法の短剣で傭兵達を斬りつけた。
ここで初めて傭兵達は人工精霊に気を取られて、自分達の陣地深くに敵の侵入を許してしまった事実を認識する。
月光の狼の精鋭達はハルより授かった『消魔布』を用いて、デルテ渓谷のときと同じように敵陣の深いところまで侵入を果たしていたのだ。
「賊だ! 月光の狼だ!」
怒号が飛び交う中、ここで一気に乱戦となる。
高価な鎧や剣で装備した傭兵軍団は防御力に優れるものの、乱戦になってしまえば機動力がモノを言う。
月光の狼は軽装であり、装着した魔道具により様々な能力が底上げされているが、その一番の強みは俊敏さの強化である。
俊敏に敵の攻撃を躱して、魔法の短剣で切り刻む月光の狼の姿はさながら野生の狼のようであり、獅子の尾傭兵団の鉄壁の守りを確実に食い破っていく。
「さぁ、踊って貰おう」
月光の狼の統領ライオネル・エリオスがそう声を挙げると、大きな光球の魔法を唱えて、それを獅子の尾傭兵団ではなく、人工精霊の方に向かって投げる。
光球は暗い夜中の空をゆっくりと舞い、放射状に飛び人工精霊の頭部へと命中する。
そうすると人工精霊の魔法反撃が働き、四方八方に光球をまき散らす。
「何ーーっ!」
「ぐわぁ!!」
不規則な軌道で降り注ぐ光の攻撃魔法に、密集布陣していた傭兵達は躱す術もなく、魔法の直撃を受けてしまう。
高熱の光は彼らの対魔法付与された鎧の隙間へと入り込み、確実に皮膚を焼く。
一方、魔法を放ったライオネルは魔道具の機動力を生かして魔法を放った場所より素早く離脱しており、反撃魔法の射程圏外である。
「統領、こりゃいいですね」
そんなライオネルの攻撃を見た月光の狼の若い構成員は次々とこの攻撃方法を真似た。
「ギャー」
「グオー」
戦場のあちらこちらで人工精霊の魔法の反撃を食らう傭兵達からの断末魔が響く。
こうして乱戦に拍車がかかった。
そんな混乱と怒号の飛び交う中、敵の本丸であるラフレスタ居城を目指す一団。
ライオネルやユヨーを初めとした少数精鋭部隊の突入である。
こちらも混乱の中、なんとか城門の衛士の防衛を掻い潜り、ラフレスタ城内へ進入を果たすのであった。
場面はまた変わり、獅子の尾傭兵団の館になる。
白魔女達の一行は幹部やジュリオが潜んでいると思われる屋敷の奥へ目指して進む。
そして、ある部屋の扉を開けたとき、彼らは立ち昇る異臭に眉をひそめることになった。
「な、なんだ、これ!?」
隠蔽の魔力を流して貰うために白魔女と手をつないだまま先頭を歩いていたアクトが真っ先にその異臭に気付く。
そして、この集団の中で荒事に最も経験のあったロッテルはすぐにその正体を看破した。
「これは、死臭だな・・・」
ロッテルの言葉どおり、この薄暗い部屋にはそこかしこに土気色の死体が横たわっており、中には腐敗が進んだものもあった。
「う・・」
死体を見た何人かは気分が悪くなり、悪臭に顔をしかめる。
しかし、この一行の中で死者を弔う聖職者としての仕事を生業にしているキリアは気丈を装っており、果敢にも死体の検分を始める。
そうして解ったこともあった。
「この人達・・・学生ですね。こちらの男性は商学校の人。この女性は・・・アストロの人です。あっちの人は魔術師協会の紋章を付けています。どうやら、この人達は最近この街で攫われて失踪した人達のようです」
キリアは見るからに残念な顔となる。
彼女とて優秀な神学校の生徒であり、既に死亡した者を蘇生する手段が無い事を十分に理解している。
ただ、その事実を淡々とは認めたくなかったが・・・
「酷い姿ね。一体誰が・・・と、問うのも愚問だったわ」
白魔女はそう言うと奥の扉に目を向ける。
それは、予めまるでそう申し合わせていたように扉がそっと開いて、シルクハットを被った目の細い紳士風の男が姿を現す。
「マスクウェル!」
彼の名を真っ先に口にしたのはロッテルだ。
先刻のデルテ渓谷の戦いで、獅子の尾傭兵団の顧問魔術師の彼と共闘した相手だから知っていて当然である。
「ようこそ、皆さま。やはりここまで来てしまいましたね」
丁寧な言葉で恭しく歓迎の言葉を示す彼だが、そこにうさん臭さが漂うのは彼が持つ悪徳の所以だろう。
「ようやく獅子の尾傭兵団の幹部のひとりが登場した訳ね。アナタにはデルテ渓谷の戦いで世話になった借りもあったわね」
白魔女の眼つきが鋭くなる。
先のデルテ渓谷の戦いで、このマクスウェルの敷いた『魔素爆弾』により彼女が窮地に立たされた事実を考えれば、敵意を見せても当然の相手だった。
はて、何のことですかな?・・・デルテ渓谷のとき、私はロッテル様の指示に従い術を提供したまでです。私だけを恨まれるのは不公平でしょうに」
マクスウェルは自分を恨むならばロッテルも恨めとの言い訳だが、白魔女はそんなマクスウェルを一蹴する。
「ふん。論理のすり替えね」
この男の戯言に付き合ってやる義理は無い。
「貴方達『獅子の尾傭兵団』がボルトロール王国の特殊部隊である事を、今、確信したわ!」
白魔女のそんな物言いにマクスウェルはハッとした。
「む! 白魔女さん。今、私の心の中を読みましたね。噂には聞いていましたが無詠唱でそこまでやるとは・・・脅威ですなぁ」
マクスウェルは印を結び、小声で何か呟くと魔力の気配が高まった。
「・・・心を見せなくする魔法ね。しかもかなり強力な守り。私でもハッキリと見通せないとなると相当に強力な使い手だわ。やはり貴方は普通の魔術師ではないわね」
「フフ・・・クハハ・・ムハハハハハハ!」
マクスウェルは突然に笑い始める。
何の前触れもなく笑い出したマクスウェルは不気味であり、狂気染みていた。
「ククク・・・この若さで末恐ろしいのはお嬢さんの方ですよ。確かに私達はボルトロール王国の者です・・・短い間でしたが、私の心の中を読んでしまった貴女にはもうかなりの事を知られてしまっています。それらば、私の事を少々お話しても問題にはならないでしょう」
マクスウェルの口から出た『ボルトロール王国』という単語に、居合せた面々は震撼した。
各々は今回な事件、大凡がボルトロール王国の仕業だろうと予測していたが、やはり当事者の口からその事実が述べられたのは大きかった。
ボルトロール王国は近年領土拡大を進めている隣国で、戦争の絶えない国でもある。
破竹の勢いでゴルト大陸の東海岸部までを占領し、現在はゴルト大陸東岸の北側と南側にも侵攻している。
北側はほぼ占領が終わりつつあると言われており、今は南方諸国との戦争に集中しているらしい。
そして、彼の国の食指はいずれゴルト大陸の西側を支配しているこのエストリア帝国に向くだろうと噂はされていたが、それが今、現実のものとなっているのだ。
この事実にロッテルは苦虫をすり潰した顔になる。
ロッテル自身も当初、この獅子の尾傭兵団はボルトロール王国の関係者ではないかと注視していた。
しかし、彼の持つ調査網には一切引っかからず、そればかりか、この傭兵団は自分に近付き、結果的にはまんまと一杯食わされた相手となってしまったから、恨みも一入だ。
「お前たちの目的は何だ!」
ロッテルは自分の怒りを隠さず、マクスウェルに問い正す。
「私たちの目的は・・・それは、侵攻・・・ではありませんね」
「何!」
「詳しく言うといろいろ複雑なのですけども・・・一言で短くまとめると『ただの嫌がらせ』とでも言っておきましょうか」
「嫌がらせだと!?」
「ええ、そうですよ。我々も・・・ね。一枚岩ではないのですよねぇ。ボルトロール王国は実力を示さないと生き辛い国でもあるんです。私達の元々所属していた組織も現在はとある事件が切掛けで窮地に立たされていましてね。早々に成果を上げる必要があったのです」
ロッテルの怒気など露知らず、マクスウェルは淡々と自分の陣営の都合だけを喋り始めていた。
「手早く成果を上げる方法が、このエストリア帝国内部に侵入して、有能な魔術師を拉致すること。現在のボルトロール王国で注目を集めている『とある組織』が実験材料として多くの魔術師を欲していましてねぇ~。ボルトロール国内で調達するのも少々問題ありましたので、我々が隣国にお邪魔してちょっと拝借する事になりました。今ではその組織からの言伝もあり、我々の組織の立場が保たれました。本当に良かった、良かった~♪」
「そんな身勝手な!」
ロッテルは酷く怒るが、白魔女は彼を制する。
「ロッテルさん、ここは少し落ち着いて・・・マクスウェル、攫った魔術師の末路はこんな風になるのかしら?」
白魔女は既に事切れた魔術師達の骸を指差す。
「まさか・・・こんなに良い扱いはされませんよ。彼らは生きながらにしていろんな実験をされてしまいす。私なら絶対に御免ですがねぇ」
「なんだと!」
「ロッテル様、そんな怖い顔をなさらずに。我々だって仕事でやっているのですよ。仕事だったら嫌な事なんて、ひとつやふたつぐらいあるじゃないですか」
ニタニタと笑うマクスウェルはこの仕事を嫌がってやっているように見えなかった。
そんなマクスウェルに胸糞悪くになる一同だが、それでも白魔女は敢えて冷静に彼へ問う。
「そんな仕事熱心のアナタが、拉致した人の一部を本国には送らず、この人達にした事は命を奪う事よね。ある魔道具に魔力を注ぐのに使ったのは一体どのような見解かしら?」
「白魔女さんは名女優ですね。既に私の心を読んだアナタならば、もう答えを知っているじゃないですか?」
「・・・」
「ふふふ。でも、今の私は愉快です。何故なら、久しぶりに同業者とお話ができていますからね・・・私の望みは貴方と同じなのですよ・・・それは、最強の魔道具を作ってみたいからです」
マクスウェルは嗜虐的に笑うと、懐からひとつの仮面を取り出した。
白魔女の白仮面とは違い、それは顔の全面部分を覆い、目の部分に穴が開いていない仮面である。
エリザベスやサラが付けていたものと同形状の仮面。
「・・・それが、貴方の『魔仮面』ね」
白魔女は眉を顰めるが、マクスウェルは自分の発明品を自慢するように嬉々とした表情になる。
「そうです。白魔女さんがエレイナ嬢のために作った仮面を大いに参考にさせて貰いました」
「参考?・・・ふん、技術を盗んだアナタがよく言うわ」
「参考ですよ、白魔女さん。貴女の技術はとても素晴らしいです。私もボルトロール王国では魔道具の開発者として権威であると自負をしていたのですが、あなたの仮面を解析させてもらって、まだまだ上には上がいるものだと実感させられましたよ」
「・・・つまり、完全には解析しきれなかったという訳ね」
白魔女の鋭い指摘にマクスウェルは素直に頷く。
「そうです。私でも解らないところが多々あって、それに、意図的にロックが掛けられていたところも解析はできませんでした。特に魔力変換と蓄積の部分は全くの不明でしたね」
当然だと白魔女のハルは思う。
自分が考えられる限りの最高のアイデアを詰込んだあの白仮面には、この世界の知識だけでは絶対にできない代物だと思っているし、鹵獲されたときの事も考えて簡単に解析できないような仕掛けが幾重にも施していたのだから。
「しかし、それで諦める私ではございません。実はその部分は私の得意分野だったりします。私が持つ、生命力を魔力へ変換する魔法陣の技術と組み合わせて、この『魔仮面』が誕生したという次第です」
「・・・邪悪な技術ね。人の生命力を兵器に盗用するなんて悪魔の所存だわ。しかも、貴方の記憶を覗くと、その魔仮面に蓄積している魔力は十人の魔術師の命で三日程しか持たない。そんなものを平然と運用すれば、いずれこの世から魔術師が居なくなるわよ」
「その意見は否めないですね・・・しかし、それも時間の問題でしょう・・・何故なら、白魔女さん、貴女からその仮面の技術を教えて貰えばいいのですから」
マクスウェルは口角を上げて笑みを浮かべた。
その姿に嫌悪感を抱いた白魔女は拒絶の意味も含めて風の魔法を放つ。
「誰が貴方に協力するものですかっ!」
無詠唱で放たれた風の魔法は仁王立ちするマクスウェル目掛けて収束する。
無防備な彼を確実に吹き飛ばすと思えたが、ここでマクスウェルの影より闇の魔法が飛び出して、白魔女の風の魔法を遮った。
「先生! 今です!!」
マクスウェルがそう叫ぶと同時に、マクスウェルの影から何者かが飛び出した。
黒い影が分離したかと思うと、それは白魔女へと飛びかかってくる。
白魔女はそれを寸でのところで躱し、大きく宙を舞う。
黒い塊はそれまで白魔女の居た床を中心にベチャと音を立てて拡がり、それは粘着質な液体だったことが解った。
やがてその黒い液体からは嫌な匂いがした。
液体のかかった床やその周囲の死体がボコボコと泡立ち、強力な腐食性の酸である事が解る。
身の毛もよだつ恐ろしい攻撃魔法だが、それでも当たらなければどうと言う事はない。
「外したか」
短くそう答えたのはマクスウェルの影から飛び出した黒いローブを着た男であり、二重の捩れた螺旋の杖を持っていた。
この特徴的な杖の持ち主の事をよく覚えていた白魔女はすぐに彼の名を叫ぶ。
「フェルメニカ!」
彼女の知る限り、このフェルメニカという男は禍々しい研究を一切の良心の呵責なしに続ける危険な男である。
その存在は脅威であり、廃坑の事件の時もできるだけ捕えて処断したいと思っていた男だ。
マクスウェルが『先生』と呼んでいた事から、このフェルメニカはマクスウェルの師匠に当たる人物であり、元々は同じ組織に所属していた可能性も強いと白魔女は一瞬のうちに理解した。
そして、そのフェルメニカの姿が薄らぐ。
己の奇襲が失敗した事を悟り、転移の魔法を行使して早々に退散し、態勢を立て直そうとしていたのだ。
「逃がさない!」
白魔女はそう言うとフェルメニカの魔力の流れを読む。
魔力の指向性から、彼が何処に転移しようとしているのかを予測する。
やがて、フェルメニカの転移魔法が完結して、彼の姿は光屑となり、光は部屋の隅々に置かれた鏡で反射される。
これが彼の得意技であり、件の廃坑の時もこれ使い、転移先の座標を解りにくくしていた。
しかし、白魔女であるハルにとってそれは予測していた事でもある。
鏡の反射先を読み、フェルメニカの転移先に目途を立てて追跡を始める。
白魔女は逃走したフェルメニカを追うため、自らも光の粒子となり鏡に反射させて、この部屋から消えて居なくなった。
「おい、ハル!! 待てっ!」
彼女を制止しようとするアクトの声だけが、空しく残された部屋に木霊するのであった。