第三話 囚われた者たち ※
「アクト、連れてきて」
主語の無い白魔女の命令を素直に履行するのはラフレスタ高等騎士学校の四年生筆頭アクト・ブレッタ。
選抜生徒や彼の関係者は既に白魔女の正体がハルであることを知っており、彼女と懇意にしているアクトの行動に何ひとつ不自然な事は無かったが、その事情を知らないアストロの職員達はアクトの行動を見て目を白黒させている。
あの偉大な実力を持つ白魔女と親しい関係にあるこの高等学校生とはいったい何者なのだろうかと・・・
そんな視線を今更に構うことなく、アクトは虜囚達の中から部隊長をすぐさま見つけ出して、胸倉を掴み、彼を牢屋から引張り出した。
途中の衝撃で傭兵団隊長は目を覚まして暴れようとしたが、アクトはそれに構うことも無く、嫌がる男を引き擦り白魔女の前へと差し出す。
こうして、部隊長は用意された椅子に座らされて、獅子の意匠の描かれた赤い兜を脱がされた。
「ひ、ひっ!」
傭兵団の部隊は目前に立つ白魔女と目が合い、悲鳴を上げる。
彼の中でこの女性とは絶世の美女ではなく、自分の部隊を壊滅させた恐怖の対象でしかない。
「私の目を見なさい」
白魔女がこの男にそう命令すると、男は逆らえなくなる。
そうしてやがて静かになり、目がとろーんとして全身の力が抜けていく。
「よろしい。私は貴方の味方よ。そうよね?」
「・・・はい・・・そうです」
男は白魔女の問い掛けに対し、気の抜けた言葉で返す。
白魔女はその応答に満足して、自分のかけた魅惑の魔法が正しく効果を発揮したと確認した。
「一瞬にして魔法で相手の心を支配したのか。凄まじい技量だ・・・」
同席したゲンプは白魔女の魔術を手放しで賞賛するとともに、軽い戦慄を覚える。
そんなゲンプの視線を感じたのか、白魔女のハルからは少し言い訳じみた言葉が漏れた。
「ええそうですね。でも、これでいろいろと聞けるわ。私たちに今不足しているのは敵側の情報。この状態ならば嘘もつけないし・・・」
そんな白魔女の言葉にグリーナも同意する。
ここまで完全な魅惑の術がかかっている状態ならば、心に嘘はつけない。
「便利な魔法ですね。それでも助かったわ。まずは、この学院に狙いを定めた本当の理由を聞き出してください。彼らは犯罪者を調べると口先では言っていたけども、どうやらハルさん達の事ではないようでしたからね」
グリーナの問いに頷く白魔女。
「早速、聞きましょう」
白魔女は傭兵団の部隊長に問う。
「あなた、私は誰だったかしら?」
彼は呆けた様子だったが、ゆっくりと白魔女の問いかけに応答する。
現在の彼には、目前に立つ女性は自分の最も信頼できる人物として映っている。
「あなたは・・・・いや、貴方様は・・・獅子の傭兵団の副団長の・・・カーサ様です」
「よろしい。それでは、私がどういう命令を出したのかしら?」
「命令は・・・魔術師の鹵獲です・・・ひとつの部隊で二十人の魔術師を確保する事が指令・・・です」
「魔術師を確保? 何のために?」
「・・・私は・・・聞いていません・・・私の命令は・・・魔術師を捕えて連れてくること・・・それ以外は管轄外です」
「解らないという事ね。まぁいいわ。それよりも、他にも部隊があるようね。アストロ以外はどこを狙ったのかしら?」
「私達を含めて・・・全部で十部隊・・・他の部隊は、ラフレスタ高等騎士学校、神学校、魔術師協会、ラフレスタ高等魔法商務学校・・・」
他にも著名な高等学校名や団体名が挙がるが、いずれも実力の高い魔術師が所属している学校や団体が標的になっていた事が明らかになる。
その後も白魔女による尋問は続くが、結局、この部隊長からはこれ以上の情報を得る事はできなかった。
「この部隊長という人物も、獅子の尾傭兵団にとって所詮は末端という事ですね。それにしては思いっ切り良い情報統制です。これでよく組織が回るものと逆に感心するけども・・・」
グリーナは尋問で得られた情報の少なさに落胆するが、それ以上に敵側の情報統制にも舌を巻く。
「うむ、そうだな。しかし、今は獅子の尾傭兵団の組織運営術を分析している余裕はない。理由は解らないが、彼らは魔術師を必要としていたらしい。それもかなり強引な方法でな」
ゲンプの所見に全員が頷く。
こんな人攫い紛いの暴挙が許されていい筈が無いのだ。
「そして、我らがラフレスタ高等騎士学校も狙われたようだ。もう遅いかも知れんが、儂は早速戻るとしよう」
「ゲンプ校長、僕達も行きます!」
アクトを初めとした選抜生徒達は互いに顔を見合わせて頷き合う。
ラフレスタ高等騎士学校は選抜生徒の男子生徒の母校でもあり、女子生徒も今の学び舎となっていたからだ。
頷いた面々には白魔女も含まれており、その光景を目にしたゲンプは苦笑しつつも、彼らの同行を許可する。
「今さら危険など言えぬか・・・解った、一緒に行こう。そして、グリーナ学長はこの学園の防衛を固めて下され。もしかしたら第二軍が来るかも知れん」
「解りました。ご武運を」
こうして、ゲンプ校長は選抜生徒達と白魔女を伴いラフレスタ高等騎士学校に戻ることとなる。
「ひどい状況ね・・・」
ハルはアクトにそう言う。
現在のハルは白魔女の変身を解いており、普通のアストロ魔法女学院の生徒として振舞っていた。
彼女が白魔女の姿で彼らに同行するのは目立ち過ぎる事に加えて、他の学生達がハルにどう接したらいいか困惑しているらしく、それを踏まえての変身解除である
特にかつて白魔女と対峙したローリアンは困惑を通り越して恐怖さえ感じている始末だ。
中身はハルと同じなのだが、それでも深層心理に植え付けられた恐怖を直ぐに克服するのは難しいのだろう。
そんな背景もあり、白魔女の変身を解いて、普通の女学生―――ハルが普通と言うのも既に無理のある話なのだが―――としてゲンプ校長に同行し、ラフレスタ高等騎士学校の敷地までやって来た。
そこで彼らが目にしたのは戦いの跡であった。
正門は大きく破壊されて、校庭や校舎も一部が壊れていた。
大規模な魔法と戦闘が行使されたのは明白である。
過去形だったのは、既に戦闘行為は終わっており、攻め入った傭兵達は既に撤収した後だ。
ゲンプの予想に違わず、ここで傭兵達と小競り合い(戦闘と呼ぶ方が相応しい・・・)となり、死傷者が数名出る大参事となっていた。
ゲンプが状況を把握した結果、傭兵からはアストロ魔法女学院の時と同じように犯罪者の魔術師が紛れ込んでいるから臨検させろと要求があったようだ。
当然のことながらラフレスタ高等騎士学校はその要求を了承する筈もなく、傭兵達は実力行使に発展し、大きな戦闘となった。
そして、その結果、圧倒的な物量で制圧されてしまい、魔術師素養のある複数の生徒と教師が連行されてしまった。
その連行された者の中にはアクトのクラス担任であったリンクナット教諭も含まれており、アクトはやるせない怒りを覚えている。
「畜生、獅子の尾傭兵団め!」
冷静なアクトにしては珍しく、相手を汚く罵る言葉がその口から漏れるが、これを咎める者は誰一人としていなかった。
それ程に皆も同じように憤っていたし、自分達の力ではどうしようもないもどかしさがそこにはあったりする。
ほどなくして、ゲンプから命を受けて他校の様子を見に行った職員が戻ってきた。
「ゲンプ校長、他の高等学校も被害は似たようなものでした。何人かの職員と生徒がありもしない容疑をかけられて傭兵団に連れ去られています。こんな暴挙が・・・許されていいはずが・・・」
最後は涙でつまり、嗚咽を漏らす職員。
それほどに現場を見た職員は悔しかったのだろう。
「状況は解った。もう下がってよい」
ゲンプは職員に休むよう指示を出す。
憔悴しきったこの職員は他の職員に連れられて校内へと消えていった。
「あの先生は・・・俺以上に悔しいのだろうな」
「アクトの言うとおりだ。あの先生はラフレスタの他校と普段から交流の深い人物なのを俺も知っている。きっと攫われた中に自分と親しい知合いもいたのだろう」
セリウスはそう言うとアクトの肩に手を置く。
『鎮まれ』という意味だ。
怒りは誰の心にもあったが、それを暴発させて早まった行動をするな、という意図がアクトにもひしひしと伝わる。
「この校始まって以来の未曾有の事件・・・いや、ラフレスタ史でもこんな酷い仕打ちは聞いたことが無い・・・」
ゲンプは苦虫をすり潰したような苦悶の表情。
「傭兵団から第二陣が来るかも知れん。こうなると、我々にとって獅子の尾傭兵団は、もはや『敵』である。ここの守りを固めよ。生徒達は中央の校舎に集めて保護するのだ。負傷者は医務室へ。食料や物資も備蓄が必要だ。可能な限り早急に集めよ。取り急ぎ、一週間分だ!」
ゲンプから矢継ぎ早に指示が飛ばされる。
それまで落ち込んでいた職員達は、このゲンプ校長の指示でハッとなり、一斉に全員が動き出す。
普段からゲンプの持つ高い指導力と求心力が発揮された形であった。
「攫われた人達を救いに行かないで、いいのですか?」
「アクトよ、その気持ちは儂にもある・・・しかし、相手は多勢であり、装備も充実していて、錬度も高い軍隊であるのはもう明白だ。もし、相手がただの烏合の衆であったのならば、こうも簡単に我が校は陥落しまい・・・」
ゲンプがそのように指摘するのは尤もであった。
軽傷者だけで解決できたアストロ魔法女学院が幸運だっただけであり、冷静に現状の戦力を考えると、現在の状況で正面から獅子の尾傭兵団と戦っても勝てるとは思えない。
「しかし・・・」
「アクト! 我慢してくれ。儂は皆に『戦って死ね』とは命令できんのだ!」
「ぐ・・・・」
アクトは悔しく、拳を強く握りしめる。
それにハルが手を差し伸べる。
アクトの心境が痛いぐらいに今のハルにも解ったからだ。
彼は自分の目の届くところで人が傷つくのに耐えられない。
心の共有を果たした彼女だからこそ、今の彼の気持ちがハルの心にも流れ込んできた。
(自分ならば、白魔女の力を使えば・・・)
そんな考えを読み取ったのだろう、それはゲンプによって否定される。
「ハルさん、そういう顔をしないで貰いたい。命を粗末に扱うのは止めて欲しい。今のハルさんに、もしもの事があったら、それこそ儂は耐えられなくなる。貴方の親であるリリアリア隊長は儂の恩人でもある方だ。そんな人にどう言い訳できようか・・・」
「・・・」
「非常に悔しいことであるが、耐えて守る事も大局のひとつだ。いずれチャンスが来る。そのときを逃がさないためにも、今は・・・守りに徹するのだ」
ゲンプは自らをそう言い聞かせるように、全員を諭すのであった。
選抜生徒の内、キリア以外の女子生徒はアストロ魔法女学院に帰ってきた。
当然の如く、学校はしばらく休校となり、選抜生徒の男子学生達はラフレスタ高等騎士学校の防衛に協力するために女子生徒達と別れた。
キリアも現状に打ちひしがれながらも母校である神学校に戻る事にした。
あそこも傭兵団から標的に指定されていた学校であり、惨状が予想されていたからだ。
そして、アクトとハルだけはアストロの研究室で一緒に居ることになる。
アクトも当然に母校の防衛に協力を申し出たが、それはゲンプ校長や他の男子学生から止められた。
ハルとの関係を既に知る彼らからは、「今は自分達よりもハルについておけ」とアクトに言う。
この世で身寄りのないハルに気を遣った事もあるが、今ではあらゆる意味で重要人物となっているハルを守るために、アクトが彼女の傍にいる事が最も良い選択だと思ったからだ。
この期に及んで、年頃の男女が・・・という者はいない。
そんな野暮な事は、今のこのふたりにとって既に些細な事項であるからだ。
ハルは敵の親玉とも言えるジュリオの欲しがる賞品であり、そんな暴力に対抗できる『白魔女』という最大戦力の存在でもある。
そんな切り札的な存在である彼女を独りにしてはならないと。
彼女を信用していない訳ではないが、独りで勝手な行動をしたり、他の者の安全と引き換えに自ら投降を選択したり・・いろんな最悪のケースを考えてしまう周囲。
そんな心理が彼らに働いたのは致し方ない事であった。
しかし、幸運だったのは当の本人達が心の底からふたりでいる事を望んでいたのだ。
アクトとハルは心の底で互いを求めていたし、どんな理由であれ一緒にいる事を許して貰えるのは、彼らにとってもありがたい幸運であったりする。
こうして、今日という一日があっと言う間に過ぎ、日の落ちた夜のアストロの研究室にふたりだけが残る。
彼らは殺風景になった研究室の片隅にテーブルと椅子を出して、そこで本日初めてのお茶を飲み、ようやく溜息が漏れた。
しかし、事態は彼女達に安息を許してくれない。
それは、遠くから『絶叫』が聞こえてきたからである。
アクトとハルは急いで外へ出てみると、その声の元がすぐに判明する。
「ぐぎゃーー、苦しい!」
「渇く、渇く・・・駄目だ。気が狂う!」
「ぐぉーー、飲ませろ。早くソレを飲ませろ!!」
奇声を挙げて暴れていたのは、学院内の石牢に捕らわれていた獅子の尾傭兵団達だった。
看守役をかってでた職員達も成す術が無く、苦しむ彼らに対応しようと慌ていたが、彼らは苦しみ、暴れる一方であり、事態は悪い方へ進展していく。
やがて、苦しさのあまり痙攣し始める者がいたり、泡を吹いたりする者が現れる始末。
「どうしたのです! 説明しなさい!!」
そこで、騒ぎを聞きつけたグリーナが姿を現して、看守役の職員達に説明を求めた。
「それが・・・突然苦しみ、暴れ出しました・・・どうしていいか解りません!!」
狼狽している職員をよそに、囚人の様子をつぶさに観察するグリーナ。
ある程度に観察の終わった彼女はハルに意見を求めた。
「ハルさん。彼らを観てどう思いますか?」
「これは・・・薬ですね。特定はできませんが、麻薬のようなものを使われたのでしょうか。今はその禁断症状が出ていると見ています」
彼らの様子をいろんな意味で観たハルは、的確に囚人達が異常行動に至る分析結果をグリーナに伝えた。
彼女の見解は経験豊富なグリーナと意見が合致しており、グリーナも確信を得た。
「やはり!」
グリーナはそう言うと、すぐに対処を始める。
短い呪文を唱えると桃色の雲がその掌から広がって囚人達へと取り付いた。
「な、にゃん・・・ら・・・」
それまで激しく暴れていた囚人たちは途端に動きが鈍くなり、やがて静かになる。
グリーナの睡眠の魔法が効いたからだ。
その鮮やかなグリーナ学長の魔法行使を初めて見たハルは老練な実力者としての彼女の腕前を高く評価する。
しかし、そのグリーナは周囲の職員へ指示を飛ばす。
「魔法で強制的に眠らせました。資材置き場にあるヤコブの薬草をあるだけ持ってきなさい。完治できるとは思えないけど、多少の効果はあるはず・・・煎じた汁を飲ませれば解毒作用があるわ。それでも暴れ出したら、また、魔法で強制的に眠らせなさい。放っておくと発狂してしまうかも知れないから」
そんなグリーナの指示に職員達は慌ただしく動く。
「まったく、夜半だというのに休ませてはくれないわね・・・獅子の尾傭兵団の奴らめ・・・覚えていなさい」
グリーナの口から出た呪詛の言葉は、アクトとハルの耳にも確実に届いた・・・
一方、こちらは獅子の尾傭兵団の本拠地の館の一室。
暗い部屋にひとまとめに集められていたのは捕らわれた魔術師達である。
「おい、ここから出せ! 聞いているのか!」
激しく抗議するも、それに応じる者は現れず、彼らは一室に閉じ込められたままであった。
捕らわれた者の様子は二分される。
怒気に露わにする集団と、不安を抱く集団だ。
魔法商務学校の生徒の幼い姉妹は後者の集団へ分類された。
「・・・お姉ちゃん、私達どうなってしまうのかな」
不安を隠せず、自分の姉に向かってそう口にする。
「私も・・・・解らないよ」
姉は芽生えた不安が払拭できず、その結果、妹を更なる不安へ落とす負の連鎖が進んでいる。
そんな姉妹の様子を見かねたのか、ここに来て以来は大人しくしていた教師のひとりがこの姉妹に声を掛ける。
「お二人とも大丈夫さ。我々に一体何の容疑が掛けられているかは解らないけれども、私達は何も悪い事をしていない。多少に問答があった後、直ぐに解放されるだろう」
彼女達を不安にさせないよう、敢えて優しく話かけたのはラフレスタ高等騎士学校でアクトの担任教師であるリンクナット教諭。
「本当に?」
まだ怪訝な表情の妹だが、リンクナットは「心配ない」と返す。
実はリンクナット自身もあまりいい予感をしていなかったが、それを言ったところでどうしようもならない。
せめてこの姉妹だけでもと不安な気持ちを一時期的に払拭させるために、彼は優しい嘘をつくことを決断しただけである。
しかし、運命は過酷である。
彼らに次なる厄災が襲い掛かってきたのだ。
「うわー、何だ!」
誰かがそう叫ぶ。
リンクナットがそちら側に向くと、赤い煙のようなモノが天井の隙間から漏れてきた。
そして、甘ったるい匂いが室内に充満する。
本能的にこれは拙いと悟るリンクナットは、声を掛けた若い姉妹を抱き寄せて彼女達を守るようにした。
しかし、その抵抗も空しく、赤い煙が益々濃さを増し、匂いもキツくなる一方で、咳き込みはじめる。
ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!
咳と共に呼吸が小刻みになり、息が荒く・・・やがて、意識が遠退こうとしている・・・
(この姉妹だけでも・・・守らない・・・と)
そんなリンクナットの最後の願いも空しく、彼の意識は闇へと沈んでいった・・・
程なくして部屋に充満していた赤い煙は換気されて元どおりとなり、閉ざされていた扉が開けられる。
入ってきたのは獅子の傭兵団の若い傭兵数名だ。
「他愛もないな」
彼らは先程まで煩く抗議の声を発していた魔術師達を忌々しく見下し、そして、何人かを靴で蹴る。
ガスを受けた彼らは意識を完全に失っており、ぞんざいに扱っても抗議する反応を見せる者は誰もいない。
その中でひとり、見た目の良い女性魔術師の服が開けていて、これ目にした傭兵ひとりに邪な考えを浮かべる。
彼はローブの上から女性の身体を触り、楽しんでいた。
「おお、こいつ魔術師のくせに良いものを持っているじゃねえか!」
普段から高飛車な魔術師しか知らない彼にとって、この無防備な状況に嗜虐心がそそられたのだろう。
「おい、お前、何やっている!」
同僚からそんな注意を受けるが、彼は「解りっこ無えって!」と言い、悪戯を続けようとする。
しかし、いつの間にか彼の背後に自分の上司である傭兵団の幹部達がいた。
それに気付かないのは悪戯最中の彼だけであった。
そして、有無を言わさず、制裁が下される。
ドン
パキッ!
ヴィシュミネに蹴られたこの男は一瞬のうちに首の骨が折られて、動かない骸へと姿を変える。
これを黙って観る事しかできなかった他の傭兵は固まるしかない。
「・・・ふん。使えない奴はクビだ」
ヴィシュミネはそう冷たくそう言いい、他の男にも睨みを利かせる。
「ひぃっ!」
若い団員達は短い悲鳴と共に自分の課せられた仕事を思い出して、できるだけこの早く仕事を完遂しようとする。
そうする事がこの傭兵団の務めであり、正義なのだから。
彼らは虜囚の魔術師達ひとりひとりに水晶の塊を握らせて、その時に発光する色の違いで彼らを別々のグループに分ける。
仕事を請けた男達の人数はヴィシュミネの殺害によりひとり少なくなってしまったが、それでも彼らは奮闘して予定されていた時間内にこの作業を終わらせることができた。
自分の命がかかっているのだから必死である。
その中には手をつないだ姉妹も居たが、姉は『赤』、妹は『青』であった。
その結果により強くつながれた手は荒々しく引き離された。
そんな必死の分別作業は完了し、この結果を当然の事のようにカーサはヴィシュミネに報告した。
「今回は、赤が六名、緑が二十名、青が三十名ね」
「まずまずだ。いつもどおり『赤』は有力素材だ。クリステに護送して向こうで選別させろ。上モノを『研究所』に送っておけば、我々の評価も上がるだろう」
捕らえた魔術師を、まるで狩りをした獲物か何かのように取扱うヴィシュミネだが、この場で素早い判断をする彼に賞賛こそあれ、その行動を批判する者は誰ひとりいない。
「『緑』はこちらで教育する。『駒』程度には役立ってくれるだろう。カーサはその処置を頼む」
「解ったわ」
副官のカーサは自分の想いの人の期待に応えるべく、早々に『緑』に選別された魔術師達を自分の処置室へ運ぶよう若い団員に命令して、この場から消えていった。
「残りの『青』はいつもどおりマクスウェルにやろう。どうだ、足りるか?」
「ありがとうございます。数もちょうどいいですな。こいつらは魔術師としてはクズですが、最期は『燃料』として役に立って貰いましょうかねぇ~」
マクスウェルは意気揚々にそう応えると、シルクハットを微妙に被り直して、自分の部屋へと消えていく。
その後を追いかけるように、傭兵団達が『青』に分類された魔術師達を次々と運んで行った。
こうして、この場には『赤』に分類された魔術師だけが残り、その中のひとりにヴィシュミネの目がいく。
「この制服は・・・確か、ラフレスタ高等騎士学校の教職員か・・・」
しばらく考えて、ヴィシュミネの中にひとつの名案が浮かぶ。
「こいつは使えるかも知れん。おい、こいつのクリステ行きは却下だ。後でカーサのところに届けろ」
「ハッ!」
若い団員はヴィシュミネの指示をすぐに履行しようとするが、この男性の魔術師を連れて行こうとすると、若い女魔術師と手をつないでおり、もうひとりを引き剥がすのに手間取ってしまった。
それを見たヴィシュミネから叱責が漏れる。
「何をやっている! 面倒だったらその女も一緒に連れて行け。人数がひとり、ふたり増えたところで構わん」
気が短いヴィシュミネの機嫌を損ねないように若い団員は言われたどおり男女をひとまとめにしてカーサの所へ運ぶ事にした。
それを目で見送ったヴィシュミネは残りの魔術師をクリステに移送するために次の指示を出すのであった。
暗い部屋で幼い魔術師であるエリス・クロスゲートは目を覚ます。
先程までいた部屋とは違う場所なのは直ぐに理解できたが、ここが何処なのかはさっぱり解らない。
「お姉ちゃん・・・どこ?」
意識を失う前まで手をつないでいた自分の姉の姿を探すものの、返す声は聞こえない。
それ以外の何人かが同じ部屋に居るのは何となく気配で解った。
そして、ここで、自分が一切の衣服を纏っていない事実に気付くエリス。
「キャッ! 何、これ!?」
大切なところを手で隠そうとするも手足の自由が利かない。
縛られている訳でもなかったが、全く力が入らないのだ。
訳が解らず、恐怖のあまり叫び声を挙げようとするが、ここで何かに抑圧されるように声も出せなくなってしまった。
暗闇と恐怖が彼女を支配するが、その恐れに呼応するようにひとりのシルクハットを被った悪魔が姿を現した。
「おやおや、気付いてしまったみたいですね。偶にいるのですよ、貴女みたいに魔法の才能を見誤ってしまうのが。あの水晶玉の魔力検知の精度もたいした事がないようですねぇ」
この人の形をした悪魔は、一体、何の事を言っているかエリスにはさっぱり解らないが、自分が危機的な状況に陥っているのは直感で解った。
彼女は精一杯の力を込めて助けを叫ぶが、口からは言葉が発せられる事はできない。
「無駄ですよ」
悪魔はエリスの周りを一周し、その身体を確認する。
それは裸の女性を見ていると言うよりも、動物か何かを観察しているようだった。
「うん、申し分ないですね。生娘ですし」
悪魔は獲物の状態を確認し、何かに満足して、儀式を始める。
その懐からは顔の全面を覆う銀色の仮面をひとつ取り出し、禍々しい呪文を唱える。
エリスは自分が魔術師であるが、そんな自分でも聞いた事の無い系統の呪文である。
それでも、これが邪悪なものであり、最悪の儀式である事実は直感的に理解する。
彼女はあらん限りの抵抗と、許しを請うために様々な神へお願いをする。
しかし、それが叶えられる筈もなく、呪文は結びの言葉を迎えた。
銀色の仮面は目の部分が怪しく紫色に光り、エリスの身体に魔力がまとわりつく。
それを必死に振り払おうともがくが、それでも身体は一切に反応できず、こうしてエリスの身体の中から大切な何かが続々と失われていくのが感じられた。
「リリス・・・お・・・お姉・・・ちゃん」
エリスが最後に振り絞った力でそう叫んでみたが、その言葉が自分の耳から聞こえる事は遂に無かった。
何故なら、彼女の生命はここで全て尽きてしまったからである。
それから程になくしての真夜中のラフレスタ高等騎士学校。
次なる襲撃を警戒し、正門の守りを固めていた当直の職員が、暗がりからひとりの男と女が現れたのを知る。
「お、おい、リンクナット! お前、どうしたんだ!」
厳戒態勢の中、ラフレスタ高等騎士学校の正門で防人をしていた教員が慌てて声を挙げた。
それもその筈で・・・今日、午前中に傭兵団に捕らわれていた教員ひとりが帰って来たからだ。
「あ・・・ああ」
リンクナットは優れない声でかつての同僚にそう声を返す。
「ああ、私は・・・逃げて・・・来たんだ」
繰り返すようにそう答える彼に、同僚は大きく同情した。
「おおそうか。とりあえずこれは良い知らせだ。今日は大変だったな。傭兵団からどんな仕打ちを受けた!?・・・いや、報告もあるが、まずはゆっくり休め」
いろいろと聞きたい事もあったが、憔悴しきったリンクナットの姿を見て、同僚はまず彼に休む事を進言する。
「・・・ああ、そうだ・・・な・・・そうさせて貰いたい・・・」
「それがいい。それでその娘は?」
ここで同僚はリンクナットの連れていた若い女性の存在に注意が向いた。
格好からしてラフレスタ中等魔法商務学校の生徒のようだ。
「ああ・・・彼女はリリス・・・リリス・クロスゲート。傭兵団から・・・一緒に逃げて来たのだ・・・保護して欲しい」
「解った。こんな夜半だから是非にそうするべきだ」
同僚は急いで医務室の手配をして、リンクナットと若い娘を学校内に通した。
ふたりは身を寄り添い、まるで互いを助け合うようにして、夜の高等学校の校舎の中に入る。
ふたりのその眼の奥が怪しく光っていた事をひたむきに隠して・・・