第九話 アクトとサラとインディと
初夏の晴天の午前、ラフレスタ高等騎士学校の野外練習場では剣と剣のぶつかる甲高い音が響き渡る。
キーン、キーン、キーンと規則正しい音が続き、連打が続く。
現在は高等騎士学校の授業で模擬戦の最中。
今日の模擬戦は小集団対小集団の戦闘を想定し、生徒達は互いに意匠のよく似た軽装の鎧兜と武器を装着して戦っている。
武器の剣は刃先が潰れた練習用の剣を使うが、金属製の剣はそれだけでも凶器となるため、当たりどころが悪ければ多少の怪我では済まない。
それが解っているため、緊張感のある練習風景となっている。
小集団は三人一組で、互いに連携しながら相手の小集団を攻略する事がこの模擬戦授業の目的である。
攻め手側は茶髪青年の率いる小集団だ。
ふたりの剣士が前衛に立ち、残ったひとりの魔術師は後方から魔法で支援するバランスの良い集団編成を最大限に生かして、相手を攻略している最中だった。
一方、現在これに対峙する受け手側の三人一組の小集団は、すべて剣術士で構成されていた。
この小集団に魔術師が混ざっていないのはハンディキャップである。
リーダーである青年がとある理由で強過ぎるためであり、もし、これに魔術師が混ざれば、練習にならなくなってしまうのである。
学年一位の強さを持つ金髪の青年が先頭に立ち、その両脇を学年二位と四位の生徒が固める。
相手の魔術師が放つ無数の氷の礫を二位、四位の生徒が盾で防ぐ最中、学年一位の金髪青年は相手二人の剣士より攻撃を受けていた。
この相手の内のひとりは学年三位の実力を持つ生徒であり、金髪青年と幼馴染の関係にある茶髪の生徒。
一見すると、二対一の戦いで圧倒的に金髪青年の方が不利なように見えるが、それでも攻め手側である茶髪生徒は焦燥にかられていた。
何故ならば対戦相手であるこの金髪青年がまだ本気ではない事を解っているからである。
「おい、どうした! 調子悪いのか? このまま防戦一方で終わるお前ではないだろう!」
茶髪生徒の声が発破になったのか、その直後、金髪青年が急激な踏込みをする。
自分の幼馴染ではない方の生徒へと迫り、相手との距離が一気に縮まった。
「ひっ!!」
予想外の動きに相手は驚きの声を挙げるが、それは金髪青年にとって格好の隙となる。
懐に入った直後、剣の柄で相手の兜を思いっ切り殴る。
ガァーン、と大きく鈍い音がして、直後に倒れてしまう相手生徒。
剣戟の衝撃に耐えられず昏倒してしまったようだ。
「不味い!」
自分の仲間が倒されたのを見さられた茶髪生徒は悪態をつき、今更ながらに金髪青年の狙いを理解する。
先程までゆっくりと動いていたのはこちらの目をゆっくりとした動作に慣らすためであり、そして、目の慣れた直後、動作を早く切り替えた事で相手の意表を突くのが彼の作戦だったようだ。
してやられた、と思うが今はそれどころでは無い。
金髪青年が次の標的に選んだのは今まで後方で支援魔法を放っていた魔術師だった。
茶髪生徒が反転するも間に合わない。
「く、来るなぁ~」
魔術師は鬼気と迫る金髪青年に恐れおののき、氷の礫の狙いを彼に向ける。
金髪青年に無数の氷の礫が迫るが、ここで彼の能力が発揮される事になる。
氷の礫が彼に近付くと淡い発光を放ち、そして、彼の身体に当たる寸前で霧散して蒸発する。
そう、魔法を無効化する能力が発揮されたのだ。
これこそが金髪青年の持つ特殊能力である『魔力抵抗体質の力』だ。
この体質を持つ者は生まれつき魔力に抵抗する事ができ、魔法を次々と無効化できるのだ。
戦闘する魔術師にとって、これは悪夢を見ているようなものであった。
「う、うわーー!!」
自らに迫る金髪青年の勢いを止めるべく、滅茶苦茶に魔法を放つ魔術師だが、全てが無駄であり、魔法は尽く金髪青年の身体に届く前に無効化されてしまう。
遂に魔術師の前まで迫った金髪青年は持っていた盾を使い魔術師に激突し、直後、魔術師を吹っ飛ばす。
彼は呻き声を挙げる暇もなく、その衝撃で気を失い、数メートル飛ばされて戦闘不能になってしまう。
半ば予想されていたどおりの光景に、口惜しさを噛みしめた茶髪生徒であったが、彼に迫る人影がふたつあった。
「よそ見している暇はねぇーんだよ、インディ!」
先ほどまで氷の魔法で苦戦していた剣士ふたりが茶髪青年に迫ってくる。
ふたりにひとり、多勢に無勢だが、このインディと呼ばれる茶髪生徒も焦る事は無い。
「風と共に乗る火の玉よ。我を助け給え!」
彼は短縮呪文を唱えると、目の前にふたつの小さな火球が現れて、すぐさま加速して迫ってくる剣士達に立ち向かう。
剣士達も至近距離で発射した魔法に気が付く事はできたが、果たして彼らができた事はそれだけである。
ドーーン!
魔法の火の玉の直撃を受けた彼らは全身が炎に焼かれる結果になる。
本来は致死性に至る一撃だが、これは演習授業であるため、そうならない。
彼らの装着する兜に据え付けられた透明の玉が発光して、直後に魔法の炎はすぐに収まり、何事も無かったように元の状態に戻る。
この兜には特殊な魔法が仕組まれており、相手方の放った魔法を防御する能力があった。
ただし、魔法を放つ側も同様の兜を装着する必要があり、二対揃って初めて効果を発揮する魔道具である。
この魔道具のお陰で生徒達が傷つくことも無い。
所謂、安全装置なのだ。
それなりに高価な装備だが、このような対魔法戦の演習には欠かせない道具でもある。
しかし、致命傷相当の魔法を受けると兜の中央部にはめられた玉が赤く染まり、彼らが魔法を負傷して負けた事が示される。
「くっそう! やられた」
負けた生徒のうち、学年二位のセリウスは悔しさを滲ませ、脱いだ兜を地面に叩きつける。
「あの間で短縮魔法を放つなんて、どれだけ上達しているんだ。あの天才魔法戦士様はよ!」
セリウスの悪態は解らんでもない。
あの間合いで魔法を発動できる方が異常なのだ。
茶髪のインディと呼ばれる生徒は剣も魔法も使える魔法戦士として有名な生徒ではあるが、近年の彼の戦闘能力の上達に目を見張るものがあり、学年二位であったセリウスも完全に出し抜く形となった。
通常、魔法行使には長い詠唱が必要であり、それが戦闘においてはどうしても隙となってしまう。
その欠点を補うために短縮詠唱魔法というものが開発されたが、これは予め魔法行使を予想して、直前に詠唱の一部を唱え留めておく技術であり、弓に例えると、矢をかけて釣瓶を引いた状態のようなものだ。
そうしておくと、魔法行使の際に最後の呪文の結びだけを唱えればよくなるのだが、この状態を維持するにも集中力と魔力が必要となる。
集中力を保てたとしても、最後の結びの呪文の詠唱をするだけでも、一瞬が命取りとなる戦闘においてはそれなりの隙となってしまう。
最後の結びの詠唱を短くしようとするほど、多くの魔力と集中力が必要になるため、彼の天才ぶりが解ってしまうセリウス。
セリウスともうひとりの生徒はこれで戦闘不能の判定となる。
「悔しいが後はお前次第だ。頼んだぞ、アクト!」
そう口にして、残る金髪青年の奮闘に期待するセリウス。
金髪青年の魔力抵抗体質者であるアクト・ブレッタはインディに隙を与えないよう素早い攻撃を加えることにしていた。
魔法の使える相手に対して隙を与えないようにする事はこの世界の戦いにおいて鉄則である。
「んんっ!!」
連打してくるアクトに対してインディは慌てて持つ盾で防ごうとしたが、暴風の如く自分へと迫る手数の多い剣撃に押し負けて盾は飛ばされてしまう。
バババババーンと一体何回打ち付けられたのか解らないぐらい音と伴に弾け飛ぶ木製の盾。
これ頃合いとアクトは決着の一撃を放とうとするが、インディは巧みにそれを躱すと、自ら大きく後ろに吹き飛び距離をとる。
十分に距離を取ったところでインディが口を開く。
「やるな、アクト! 踏込みの威力がまた一段上がったんじゃないのか?」
そんな金髪青年のアクトは自身の渾身の一撃を簡単に躱されてしまった相手に対して澄ました言葉を返した。
「そんなことはないさ。それにインディもやってくれる。今、剣の威力を逸らすため、自らに風の短縮魔法を使っただろ。その上、離脱にもその魔法を利用している。お陰で、こんなにも距離が開いてしまった・・・」
アクトが何を言わんとしているか・・・それは相手との距離が開く事で魔法戦士たるインディが有利になった事を示していた。
この状況は対魔術師戦として悪手である。
相手に詠唱の隙を与える事を意味していたからだ。
「ご名答。それでは、とっておきの魔法を行くぞ! 今度は短縮魔法じゃない。耐えてみろ!」
それを合図に左手を上げて呪文を唱えだす。
先程も説明したように魔法行使には一部の例外を除き、呪文を唱える必要がある。
短縮魔法のようにそれを短くする技術もあるが、そうすると魔法の威力も半減してしまうデメリットが存在していた。
呪文を正しく唱えて、精神を集中し、魔力を注ぎ込む、という正しい手順を経た魔法を発動させる事で、最大級の魔法効果が得られるため、魔法の使い手達はいかに隙を掴み、完全な呪文を唱えるかを常に考えて行動するのだ。
そして、魔法の使い手が完全な魔法を発動させる事に成功すれば、戦い勝敗はほぼそれで決定される。
魔法が発動してしまった後の相手側の剣術士が取れる対処方法としては、魔法に耐えるか、魔法防御の機能がある魔道具に頼る、もしくは、魔法の影響範囲より外へと逃れ事ぐらいしかない。
ここでアクトが選択したのは、彼にとっては当然、そして彼以外にとっては非常識の『耐える』であった。
「うぉぉぉ!」
アクトは鬨の声を挙げてインディとの距離を縮める。
しかし、相手との距離が半分まで縮めたところでインディの魔法は完成し、巨大な炎の玉となってアクトへと襲いかかる。
人の顔ほどの大きさの灼熱の玉はインディの手から放たれると一直線にアクト目掛けて飛び出す。
インディも訓練程度でここまで本気の魔法を使う事は通常ではあり得ないが、アクトにはこれでも足らないと思って、全力の魔力を注ぎ込んだ結果である。
これが当たれば大怪我となるが、それでもアクトは怯まない。
一応、魔法無効化の兜は装着していたが、アクト自身はそれに頼らず、自分の持つ能力である魔力抵抗体質の力を信じていた。
魔力抵抗体質とは、生まれつき魔法による影響を自身に及ぼさない特異体質の能力保持者を示している。
極少数であるが、この体質を持つ者が国内に存在していた。
魔法の効き難さには個人差があるが、アクト・ブレッタの一族はその中でも強力な抵抗力を持つ者として有名であった。
そのために、彼を良く知る魔法の使い手達は決してアクトに手加減する事は無い。
そして、いよいよ大型の火球がアクトへ着弾しようとした時、アクトは目をカッと見開いて剣を縦へと構える。
いつもの魔法に耐える様子のアクトとは違う姿に一瞬違和感を覚えるインディであったが、その疑問に応えるよりも早く結果が出た。
「割れろ!」
火球がアクトに当たる寸前、彼は気合の声と伴に火の玉を剣で両断する。
そうすれば、切られた火球は真っ二つとなり、アクトの横を過ぎて後方の地面に着弾し、轟音を上げて爆発する。
「何にいいっ!?」
唖然とするインディは、それこそが決定的な隙となった。
直後に駆け寄ってきたアクトの膝蹴りが炸裂して身体をくの字にされて倒れてしまうインディ。
そして、手に持つ剣が叩き上げられて、飛ばしてしまう。
カギーーーン、と音を上げて飛ばされた剣はクルクルと空中を回転、放物線を描き後方の空へと舞った。
剣は長く宙を舞い、そして、遠くの地面に刺さった。
そして、インディは降参の意思を示して両手を上げることになる。
「そこまでだ。勝者はアクト・ブレッタの隊」
審判役の先生が判定を下だす。
それを合図に観戦していた他の生徒は感嘆の慄きを挙げた。
「す、すげえ」
「さすが騎士学校の筆頭と言いたいけど・・・どうやったら炎の魔法を『斬る』なんてことができるの? あんな事やられたら魔術師に勝ち目は無いわよ!」
傍観していた生徒達が口々に騒ぐのも無理がない。
普通はこんな事をやろうとする者は絶対いないからだ。
魔法を斬るなんて非常識な事はできない。
この状況の戦闘のセオリーとしては、回避か、魔法防御の特性を持つ盾を使って耐えるかのどちらかが正解である。
今回は木製の盾だったため耐えるのに一抹の不安はあるが、一応簡単な魔法防御の術式が施された装備を持たされていたので、セオリーどおりならば盾を使う。
更に、味方の魔術師に氷や水属性の魔法を盾に付与してもらうのも一般的な戦術であった。
アクトは自身の持つ魔力抵抗体質のお陰で、一切魔法を使うことはできない。
回避を選んでも、隙となってしまう。
故に違う方法を選択した。
ただそれだけの事であったが、いつものアクトならば身体を丸めて魔法防御の体勢を選ぶところを、今回は『魔法を斬る』事をやって見せた。
魔力抵抗体質者は普通、魔法をその身で受けて無力化する(勝手になってしまう)ものだが、自分から魔法を切るなんて行為は今まで誰もやったことが無い。
「くっそう、負けた、負けた。また強くなったんじゃないのか、アクト」
あっさり自らの負けを認めるインディ。
地面に倒れたままだったインディをアクトは助け起こして、彼の称賛に応えた。
「ああ、半ば賭けのようなものだったけど、最近いろいろと対魔法戦を考えていた事が役に立ったのかも知れない」
「剣に魔力抵抗体質の力を付与するように、見せかけるなんて、アクトは手品師としての才能もあったのか?」
直接対峙していたインディは、アクトの滅茶苦茶な戦法に見えて、実はその背景に仕込まれていた繊細な仕掛けに気付いていた。
「ああ、さすが魔法戦士様はよく観察しているな。他の皆は俺の魔力抵抗体質の力で魔法の炎を割ったように見えていたようだけど、インディは・・・騙されないか」
アクトはハハハと何かを誤魔化すように笑う。
アクトがこのように答えたことで、インディの感じていた違和感は確信へと変わる。
「アクトの剣に魔素が集まったのを感じたよ。ひょっとして魔法を発動させたのか? と思っただけさ」
いつもながらにインディの観察力に感心してしまうアクト。
「もう手品の種がバレてしまったか・・・実はサラに頼んで氷の魔法の仕込んで貰ったのさ」
そう言って自らの剣を持ち上げる。
魔法の効果が残っているのか、現在も刀身から氷が生み出されて、冷気による霜ができていた。
霜は刀身を伝わり剣の根元までに迫っていたが、アクトの手にかかる柄の部分では彼の持つ魔力抵抗体質の影響を受けて氷の魔法が霧散していた。
この剣にどれだけ強力な氷結の魔法がかけられたか容易に想像つくインディ。
おそらくアクト以外の者がこの剣を持つと、自身が凍り付いてしまうだろう。
「相変わらず無茶する奴だ」
呆れるインディだったが、アクトはそれに構う事も無く、自分の考えた作戦が上手く行った事に満足する。
魔法発動も剣の柄に特定の物理的な衝撃を与える事で発動する仕掛けにした。
そうする事で全く魔法を扱えないアクトでも、魔法を使うように見せかける事ができた。
協力してもらった幼馴染のサラには大反対されたが、魔力抵抗体質の身体を一番解っているのは自分自身なのだ。
予想どおり、身体に全く問題はなく、魔法をかけてくれたサラに感謝の証として昼食をご馳走する事となっていた。
「まったく。アクト、お前は何かと紙一重の天才だよ。まぁ、魔力抵抗体質の力があって初めて成り立つのは今回証明された訳だ。まったく、この辺の無茶苦茶ぶりはブレッタ家の伝統なんだろうが・・・」
呆れているのか、称賛しているのか解らないインディの言葉に苦笑で応えるアクト。
ブレッタ一族は過去より数多くの武勲を上げているが、その中でも凶悪な魔術師との戦いで勝利を収めたものも多い。
彼の一族には魔法に打たれたとしても無傷であったり、傷が少なかったりする家系なのだ。
このような力を持つ者を『魔力抵抗体質者』と呼ぶが、どうして魔法に抗う事ができるのかは現在でもよく解っていない。
こういった体質の人間が一定割合帝国内に存在している事から、ブレッタ家だけが特別な存在ではなく、魔法抵抗とは人として生まれ持った稀有な能力のひとつなのだろうと理解されている。
そして、この能力は遺伝するようで、父母から子へ比較的高い確率で受け継がれる事も知られている。
特に今代のブレッタ家の当主と、その息子であるアクトとその兄、この三人は全員がこの魔力抵抗体質の適正が強く、高い能力の保持者であった。
魔術師との戦いで有益となるこの能力は一見すると、とても便利な力ようにも思えるが、実はメリットばかりではない。
この能力を持つ者は、自らも魔法が使えなくなってしまうデメリットもある。
これにも個人差はあるが、魔力抵抗の能力が強い者ほど魔法を受け付けない傾向があり、アクトに至っては魔法が全く使えないレベルである。
それは魔道具を媒介させても魔法の発動が叶わない程であり、これは魔法の使えない一般人よりも酷いレベルだと言われている。
魔法の存在によって成り立っているこの社会においてはそこまで魔法の使えない人はかなり不便な生活を強いられたりもする。
今回の氷の剣についても発動条件に物理的な方法を取る事で、彼にも魔法が発動できたようにも見えるが、これはとても効率の悪い方法であり、仕掛けを作る魔術師にとっては多大な労力が必要になるのだ。
アクトを想うサラであったから協力してくれたものの、それ以外の者ならば、多額の報酬を要求されてもおかしくないやり方である。
彼がこういった方法を思い付いたのも白魔女への対抗意識からであり、魔法に対抗するのは魔法しかないとの思いに至り、彼の考えついたアイデアであった。
それなりに上手くいき、ひとつの成功例となったが、これだけで満足するアクトでは無い。
白魔女にとって、こんなのは子供だましのような技に見えるだろう。
この方法だけでは白魔女を攻略する事は叶わないと、自分の勘では解っていた。
「今まで自分という存在は、対魔術師戦で最強だと思っていたけど・・・」
アクトがそう小さく呟いたのをインディは聞き逃さなかった。
アクトは一昨日の白魔女の魔法に屈してしまった自分の事をまだ憂いでいるのだろうとすぐにインディは察する。
「ま、悩んでいても仕方ないと思うぜ。もうすぐ昼だし、サラも来るだろう」
優男の特権と言うべき白い歯をキラッと覗かせ、気楽に言ってくれるインディがアクトにありがたかった。
アクトは自らの思慮に溺れかけていたネガティブな気持ちを切り替えるように努める。
「そうだな、自分だけで悩んでいてもしょうがない」
とアクトは思い直し、他の生徒達と合流する。
他から生徒は「今の技は何だ。どうやってできる」と質問攻めに会うが、それぞれの質問に曖昧に応えている間、午前中の授業は終了となる。
生徒達は野外練習場から撤収して、各々昼食を取る。
ラフレスタ高等騎士学校はこの手の学校にしては珍しく、貴族身分の生徒と一般身分の生徒が混在している同じ空間で授業を受けている。
これはこの学校独自の教育方針によるものだ。
一時は他の騎士学校と同じように身分相応に分けるべきという意見もあったが、学校設立時の主旨に『優秀な騎士と指揮官を身分に関係なく育てる』という一文があり、この方針に則り、今の形へと至っている。
尤も、卒業して騎士として就役してしまえば貴族や指揮官と一般兵が同じ食堂で食事することなどはあり得ない事であり、それならば彼らが学生の身分の内は両者の交流のために良いだろうとの教育方針であった。
実際、この学校で得た交友がその後、人と人のつながりとなり円滑な成果を出す事例も数多く存在していたので、この教育方針は受け入れられている。
しかし、貴族身分に多い事であるが、一般身分の子女との交流を忌避している人間も結構な割合で存在する。
そういった思想が強い者はこのラフレスタ騎士高等学校ではなく別の学校を選択して貰っている。
例えば、それは帝都ザルツにある名門の帝国立貴族中央高等学園などに代表される貴族学校へ編入できる制度があるぐらいだ。
このような背景もあり、ラフレスタ高等騎士学校の食堂という空間も、身分の分け隔てが無く、ほぼすべての学生が利用しており、昼食時はとても混雑する場所であった。
そんな混雑する食堂の一角で、遅くやってきたアクトとインディを呼ぶ声が響く。
「アクト。インディ。こっち、こっち、遅かったのね」
「サラ、先に来ていたのか、俺達は模擬戦闘の授業だったので、終わるのが遅れたんだよ」
「魔術師の授業は早く終らせたわ。これでも私は優等生なのよ」
エッヘンとその薄い胸を張り自慢する彼女だが、確かにそれは嘘ではない。
嘘ではないが・・・それを言うとアクトは四年生筆頭生徒であるし、インディも魔法戦士としてかなり有望な超優等生である。
そんな彼らから見ればサラはただの優等生のひとりでしかないのだった。
それでも彼らは幼馴染の関係であり、気心知れた仲だ。
席に着き、昼食を取りながら日常の他愛もない話を始めるのはごく自然な日常である。
アクトとサラ、インディは同郷のトリア出身であり、初等学校からの仲でもある。
互いに貴族出身で、しかも全員が家督を継ぐ長男でもなかった事から、気負いもない。
彼らは直ぐに意気投合して仲間になった。
家も近くにあり、幼い頃からの良き遊び相手であったし、アクトがラフレスタ高等騎士学校に行く事を決めたときも二人はついて来てくれた。
しかも三人とも幸運に恵まれ、アクトは剣術士、サラは魔術師、インディは魔法戦士としての才能を開花して、このまま順調に成績優秀者として卒業できる身分になりそうであった。
卒業後はトリアに戻るも良し、帝都ザルツに赴くも良しであり、成績優秀者には選択の自由があるのが特権となる。
「僕はトリアに帰って兄の仕事を手伝うつもりだけど」
インディの実家であるソウル家はトリアで歴代の財務官僚を務める名家でもある。
「しかし、そうするとここで学んだ魔法戦士の経験は無駄にならないのか?」
「別に戦闘の技術だけを学んだ訳じゃないし、無駄にはならいと思うけどね。それだったらアクトやサラはどうするんだい?」
インディの問いかけにアクトは少し考えるが、サラは直ぐに答えた。
「私もトリアに戻って実家の司書を手伝うか、私はお菓子屋さんもやりたいわね」
すぐにアクトが反応した。
「なんだ、そりゃ?司書はともかく、お菓子屋さんって魔術師と全然関係ない」
「うるさいわね、アクト。私の作るお菓子は天才的なのよ。司書としてやって行くのも魔術師として学んだ知識が役に立つと思うし」
「確かにサラの作るお菓子は美味しいし、意外と成功するかもね?」
「さすがインディ、解っているわね。アクトも見習いなさい」
えっへんと気を良くするサラだが、アクトは「単純な奴め」と小言を言う。
「アクトこそ、どうするのよ」
サラは自分が小バカにされたのを言い返してやろうとアクトに問いかける。
「初めは帝都ザルツに赴いて騎士試験を受けて剣術を極める。と思っていたんだが・・・」
「だが?って、どうしたんだよ?」
前からアクトがザルツに行きたがっているのを知るインディはアクトの続きの言葉が気になる。
「俺達、白魔女にさ、あっさりと負けてしまっただろ。俺はずっと思っていたんだけど、あんなにあっさり負けちまって、この先本当に大丈夫かな?って思いはじめているんだ」
「アンタ馬鹿じゃない?あんなバケモノに勝てる訳ないでしょ」
サラは呆れたようにアクトの言葉を罵るが、彼が負けず嫌いな性格なのは十分解っている。
だから、続けてこう言った。
「白魔女なんて規格外も規格外の魔術師。あんなのがそこら中にゴロゴロ居たら世の中ひっくり返っているわよ。そんなのと勝負していたらいくら命があっても足らないわよ。この前だってアチラさんに見逃してもらったようなものだし、アンタ何を考えてんのよ」
呆れた様子のサラからはそう言われるものの、アクトは納得していなかった。
「何考えているのかって言われてもなぁ。俺は負けっぱなしってのは嫌いだし。それに白魔女はこのラフレスタで活動している。それじゃあ、俺がこのままラフレスタに残れば、彼女と再戦できる機会が得られるかも知れない。ラフレスタには形だけの騎士隊もいるし、警備隊って仕事もある。最近はここで騎士や警備隊の試験を受けるものいいかな?って考えはじめているんだよ」
「やっぱり、白魔女に負けた事をまだ引きずっていたのね。アクトはホントに剣術バカだわ」
頭痛いわという様子で頭を抱えるサラと、それをうんうんと頷くインディ。
幼き頃からの仲なので今更というのもあるが、それでもアクトの負けず嫌いは筋金入りであるのを昔から知る幼馴染達であった。
アクトが最強を目指す切掛けとなったある事件も知るふたりなので、彼が最強を目指す理由は理解できるが、それでもアクトの人生を棒に振りかねない発言は聞き捨てならない。
それ故に出た「バカ」発言だが、アクトはそんな彼らの気遣いに気付くこともなく、抗議の声をあげる。
「バカはないだろ、バカは。そう思うんだったら一緒に対処法考えてくれよ。白魔女に勝てたら何でも奢ってやるから」
「えー!なら、貴族街にある一番のお菓子屋さんでデザートフルコースを食べさせてくれるなら考えてあげてもいいわよ」
「なに言っているだ。報酬の要求よりも先にアイデア出せって」
それから、いつものやりとりに発展する二人にインディは「おい!お前ら話しが進まないじゃないか」と冷水をかけられたのは余談である。
「白魔女と言えば、魔道具の件でエリオス商会に行くって言っていたけど、何か解決のヒントになるようにものは見つかったの?」
サラがその事を思い出してアクトに聞く。
「あーダメだった。それに、エリオス商会で事件があって・・・」
とアクトはエリオス商会での騒動について説明した。
「ちょっと、なにそれ?! 軽くぶつかったぐらいで人を蹴って投げ飛ばすなんて、凶暴な女ね」
サラはすぐに憤慨する。
彼女は昔からそうだが、アクトの事になると少し過保護な傾向にあるのだ。
「だけど、俺が悪かったのも事実だし、しょうがないさ。ただし、突然だったとは言え、あんな華奢な女性にも投げられるとは思わなかったけどなぁ・・・」
その情景を思い出して、少々悔くになるアクト。
そんな姿を見たサラは何故か不機嫌になる。
「その女の特徴を教えて!」
「おいおい、仕返しするなんて言わないよな」
「そんなんじゃない!!」
と言いながら女性の特徴を聞き出すサラ。
そして、その特徴に思い当たる節があった。
「ボタン留の灰色ローブに薄い花柄の刺しゅう・・・それって『アストロ』の生徒ね」
「魔女かぁ」
黙って聞いていたインディも、アストロの名前が出たとき面倒臭そうにそうに言葉を吐き出す。
この魔法専門の高等学校は、いろんな意味で有名な学校だったからだ。
『アストロ魔法女学院』は魔術師を養成する女学校であり、このラフレスタで最も長い歴史を持つ高等学校である。
かつての帝国には過去からの迷信で『魔法は女性優位』という誤解があった。
しかし、その慣習から、女性の、しかも強力な魔法を行使する魔術師の事を『魔女』と呼び、一般人からは畏怖される女性が一定数存在していたが、彼女達を管理しようと時の権力者が考え、この学校が設立される発端となったらしい。
全国から魔女達を招集して、国でその身分と身柄を管理する事が目的だが、自尊心の高い彼女達をその場に留める理由として、卒業後にも教員という立場を用意したのだ。
このような歴史的な経緯はあったが、現在は収容所としての側面はないものの、実力の高い女性魔術師を集めるという思想は引継がれており、女性限定の優秀な魔術師の育成とする教育機関として残っている。
ちなみに、この『魔法が女性優位である』と信じられていたのは完全な迷信である、というのが現代の学術的な結論となっている。
しかし、このアストロ魔法女学院は帝国一の歴史を持ち、その名門として既に有名になっていることから、帝国中から大魔導士を目指す女性生徒達が集まる場所になっていた。
そういう背景がある故に、ここの生徒は『魔女』もしくは『魔女の弟子』と呼ばれる事があるのだ。
「あそこの生徒は・・・苦手だわ。だって変な人が多いし」
サラが言うのも無理ない。
魔術師は変わり者が多いと一般的に言われるが、あそこの生徒は特に変人が集まっているのは、アクトも合意する事であった。
「そう言えば、年始の舞踏会で会ったアストロ生も妙な女性だったなぁ。名前が思い出せないけど・・・」
アクト達は年初に開催されたラフレスタ領主主催の舞踏会の事を今さらながらに思い出した。
このラフレスタには学生達も含めてラフレスタ中の貴族が集まり、年が明けたことを祝う行事がある。
アクトはこういった付き合いは面倒だと思っており、毎年何かと理由をつけて参加を見送っていたが、今年に限っては断る理由がなくなってしまい、仕方なくアクト、インディ、サラの三人を伴い舞踏会に参加した。
ブレッタ家はそれほど規模の大きい貴族ではないが、過去の名声が帝国中に残る事もあって良家としてそれなりに名前が通っている。
そういった事から若輩のアクトといえども、舞踏会などの社交場に参加すれば、ブレッタ家の代表であり、ブレッタ家は英雄の末裔である。
挨拶三昧になる事は予想に違わなかった。
彼は数多くの貴族達と挨拶したが、そのうちの一人がアストロ魔法女学院の在校生だったのだ。
それは、派手なドレスを着て、ギラギラした雰囲気を出す女性であった。
名前はなんだったか?エレ・・なんとか?と記憶の淵を掘り起こそうとしていたアクトだったが、それを見て気付いたサラが話を引き継ぐ。
「エリザベス・ケルトさんでしょ? あの魔法貴族派の長で、魔法至高主義者で有名な一家よ」
「そ、そうだったかな・・・」
余り記憶は定かではないが、多分サラが言うとおりだろうだと適当に相槌を打つアクト。
名前はともかく、あの時のやり取りは完全に記憶に残っている。
エリザベスに挨拶された直後、「魔法とは・・・」と授業のような説明が始まり、魔法がいかに素晴らしく至高なのかを一方的に話されたのだった。
彼女の話しを要約すると「エリート魔術師を集めて国を運営すると万事が上手く行き、皆が幸せになる。ブレッタ家も是非、自分達に協力して欲しい」という事だった。
アクトも魔法という力が強力である事は認識しているが、その魔法の力だけを尺度として世の中がすべて上手く回せるとは、とても思っていなかった。
そもそも、ブレッタ一族の力の源は『耐魔法』である。
そういった意味で魔法至上主義者に対して、自分達は天敵のような存在である。
そのことを指摘すると、相手からの返答は「そういう方々とも我々は敵視することなく、伴に歩むことができる。それこそがケルト家の器量の広さなのです」と言っていた。
アクトは適当に相槌を打ち、賛同も反対もせず、終始曖昧な態度で対応を済ませる事にした。
真面目な話、自分で判断するには重すぎる話であったし、アクト自身もこのような選民的思想に賛同する気持ちも無かったため、まともに相手にしなかった。
しかも、年始のパーティー会場のような不特定多数の人が集まる場で、すべき話題でもない。
聞く人が聞けば『過激派か』とも疑わるような内容だ。
「彼女は魔術師のエリートなのだろうけど、あまり関わりたくない人だったなぁ」
アクトはしみじみ思い出していたが、サラもそれに頷く。
「そうね。私は他にも少しだけアストロの人達を知っているけど・・・みーんな、どこか変わっているわ。できればあまり友達になりたくない人達ばかりよ」
サラも何か嫌な事を思い出したのだろうか、険しい顔付きになる。
傍聴に徹していたインディだったが、話題がアストロ魔法女学院に移ってしまったのを自覚して軌道修正をする。
「とりあえずアストロの件は置いておくとしてだ。白魔女対策の話に戻さないか? 実は今いいアイデアを思い付いたんだ」
インディの発した言葉を聞いたアクトは、雷に撃たれたように椅子を後ろに飛ばしてピンと立ち上がる。
「本当か、インディ!」
希望と興奮に満ちたアクトの声は思いのほか大きかったようで、食事の他の生徒からも注目を浴びてしまう。