魚雷で発射されて
夢の中での出来事ですので、実際とは違うことが描かれてあるかもしれませんが、気にせず流していただけるとありがたいです。
私は潜水艦内に居た。未だ大戦は続き、戦線は日に日に後退していくばかりであった。皆が愛する者のために、愛する国のために戦っていた。ここ最近は本国から特別な指令はなく、戦闘も無かったため、皆つかの間の平穏を楽しんでいた。潜水艦の中は狭く、そしてエンジンの熱によって蒸し暑くなっていた。しかし、私の平穏は突然打ち砕かれた。ある日船医に呼び出された。私はなぜ呼び出されたか分からなかっため、船医のところに向かうまで不安が募るばかりであった。とても嫌な予感がする。誰に言うわけでもなく、私はぽつりと言葉を漏らした。
船内は広い。従軍したばかりのころ、その広さにかなり驚き、そして内部構造をすべて覚えなければならない事に嫌気がさしたのはいい思い出だ。機器の使い方、非常時、欠員の代わりにする任務内容、覚えることはたくさんあった。最初はすぐに沈まされて、死ぬんだろうなと思っていたが、今では立派な通信官だ。
まあ、そんな過去は今はどうでもいい。それよりも船医に呼ばれたことの方が重要だ。私の体は特に何も異常はない。いたって健康だ。なのになぜ呼ばれたのか。この不安の種を解消するために、私は医務室へ向かった。
医務室はこの船に乗って以来、最初に構造を覚えるために歩き回った時以外で来た覚えがない。この船に乗って2,3年になるが一回も気分が悪くなったり、怪我をしたことが無かったからだ。だからこそ、今回呼ばれたのが不安でならなかった。
医務室に近づくごとに足が重くなっていく感覚がする。胸が締め付けられている気がする。私はこの船内の構造はすべて暗記していた。故に、どの道を行けば一番近いかはわかっていた。だが、私はあえて各所をめぐって、遠回りして行っていた。しかし、気付けばもう扉は目の前だった。不安、嫌な予感は増すばかりであった。医務室に入る扉が…いや、船内にあるすべての扉がそうだった。私は確かにその扉たちを地獄の門と認識していた。かつてロダンが彫像したあの門が私には見えたのだった。
Per me si va ne la città dolente, (我を過ぐれば憂ひの都あり、)
per me si va ne l'etterno dolore, (我を過ぐれば永遠の苦患あり、)
per me si va tra la perduta gente. (我を過ぐれば滅亡の民あり)
Giustizia mosse il mio alto fattore; (義は尊きわが造り主を動かし、)
fecemi la divina podestate, (聖なる威力、比類なき智慧、)
la somma sapïenza e 'l primo amore. (第一の愛、我を造れり)
Dinanzi a me non fuor cose create (永遠の物のほか物として我よりさきに)
se non etterne, e io etterno duro. (造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、)
Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.(汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ)―『神曲』より
私は、しばらく扉の前で立ち尽くしていた。何度も取手に手をかけ、同じ数だけ手を引いた。ここを開ければ絶望が待っていると、胸の内の何かが叫んでいた。それもしばらくしてやめた。私は門を開けたのであった。
そこには地獄の番人がいるわけでもなく、鬱蒼とした森があるわけもなかった。船医がそこにコーヒーを飲みながら座って本を読んでいるばかりであった。本のタイトルは…『■■』か…
「待ちくたびれたよ。いったい呼ばれて今まで何をしていたんだい?まあ、なんとなく予想は付くが…」
上辺だけの心底疲れたような表情を浮かべてこう言い、そしてすぐに本当に真剣な表情を浮かべ、私に宣告した。
「単刀直入に言おう、君は近々死ぬ。早くて明日だ。」
当然私は、は…?と思った。同時に頭は真っ白になった。嫌な予感がしていたが、これは最悪だ。こんな予感当たりたくもなかった。船医から説明があっていたが、全く耳に入らなかった。うわの空で、そのまま自分の船室に戻った。
数時間後に、私のところに艦長から伝令が来た。内容は次のようなものだった。
「明日死のうが死ぬまいが魚雷葬する。生きている場合に備えて、窓付きのものがあるからそれに入れてやる。やり残すことが無いように」
「いや、生きたまま弔うのかよ」と苦笑いしながら独り言をこぼした。艦長からの伝令に会った通り、私は身の回りの持ち物の片づけをし、遺書を書き始めた。書く相手は、出征する前に婚約した女性と、幼いころからの親友、まとめて家族あてにもう一通だ。婚約者には婚約したときに言った事を守るようにと書いた。要は、「私を忘れて次を探しなさい」といったところだっただろうか。親友には、婚約者に何かあった時には頼むとの旨を、家族には先立つ不孝が何とやらと書いておいた。そうして色々やっているうちに夜が明けた。
身の回りの物は片づけた。ちゃんと遺書を送りたい人には書いた。仲の良かった船員たちに別れも済ませた。ああ、そうそう。その中でも特に仲が良かったやつらと小さな送別会をやった。少ない酒をちびちび飲みながら、誰かが持ってきていたボードゲームやトランプなんかをしたりした。最後の晩餐といった感じだったが、絵のような疑い合いは当然なかった。そう言えば、その中に何故か船医もいた。
とうとう、私が生きたまま弔われる時が来た。色々やったものの私はただ一つやり遂げていないことがあった。最後にもう一度愛する婚約者に会う事だ。ただ、実現不可能だから諦めた。何せここは大海原の真っ只中。本国から帰投指令は出ていない。それに、もう遺書に思いの全てを書いておいた。自分の私物、遺書は一番仲が良かった船員に預け、私は魚雷の中に入った。もちろん炸薬は入っていない。発射のスイッチのところには船医が居た。
入ってしばらくすると、私が入った魚雷は発射された。魚雷の中は窓があったためそこまで閉塞感を感じさせるようなものでもなかった。ありがたい事に電灯もつけてくれていたらしく、周りの様子はよく見ることができた。窓から見える景色は素晴らしいものだった。澄み渡っているとまではいかないが、死ぬにはいい場所だと思った。海底付近に来ると、そこには私よりも先に来ている英霊たちが居た。私も同じようになると思うと、なんとなく涙が出てきた。やはりもう一度…そう思わずにはいられなかった。しかしそう思っても仕方がないので、私は今の生をあきらめ、死への恐怖から目を背けるために眠ることにした。目を閉じて意識が遠ざかる中ふと思った。あの船医はなぜ最後にあれほど私に関わってきたのだろうか…
深く考える間もなく、私の意識は闇の中へと永遠に落ちていった。
拙作を最後まで読んでいただきありがとうございました。
評価を戴ければ、作者として嬉しく思います。