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・ギア/ファースト 魂葬者と子守唄・参――魂葬者と子守唄

 貴族の男と雇われ霊術師たちを速やかに片付けた喜逸は、腕に抱き抱えていた久我雅沙也を医霊院の使われていない清潔なベッドの上に静かに横たえた。


「……すまねえ、間に合わなかった。なんて謝るのも俺のエゴ、か……」


 意識を失っている沙也の寝顔は穏やかで、とてもじゃないが死んでいるようには思えない。

 しかし、沙也が着ている白いワンピースにはじわりと赤黒い血の染みが広範囲に広がっており、その中を確認すれば柔らかな胸から腹部にかけて刃物による長大な切開痕が残っているのが見えるだろう。


 手を当てても冷たい身体に、ぴくりとも動かない心臓の鼓動。

 驚くように軽い身体には防腐処理が施されていて、おそらく筋肉や骨、脳みそ以外の内臓は全て取り除かれている。

 この子は紛れもなく死んでいて、ただ『反魂呪』で魂を強引に肉の器に押し留めただけの動く死体でしかない。

 愛らしい少女の胸を締め付けるような冷たさが、ゾッとするような現実を叩きつけてくる。

 だから。


「……子は親を選べねえ。お前に罪なんか一つもない事を俺は知ってる。だからお前には、幸せになって欲しいんだ。だから……俺は…………これが救いである事を、俺は信じる」 


 ワンピースの肩ひもをずらし、少女の胸部を露出させる。

 胸の中心から僅かに左、この子の心臓があった場所。

 そこに刻まれた痛々しい『反魂呪』に『火気』で熱した指先を押し当て、少女を縛る呪を優しく静かに溶かしていく――霊力で刻まれた反魂呪は、霊力でしか消す事が出来ないのだ。


「……んっ、んん……あったかい? お父さん……?」

「……起こしちまったか。悪い。俺はお父さんじゃねえが、もう大丈夫だ。怖いのは終わった」


 眠たそうに目を擦りながら起きてしまった少女に、喜逸は出来る限り優しい声色で話しかける。

 これから旅立つ彼女が不安がる事がないように。下手くそな笑みを浮かべる。


「おにいちゃん、だぁれ? あのまっくらから、おにいちゃんが助けてくれたの? お父さんとお母さんは?」

「ああ。……お前のお父さんもお母さんも、もうすぐ来るって言ってたな。俺は、先に迎えに来たんだ」

ふと、どこか夢見心地な沙也の手が、自分の胸に触れる喜逸の指をぎゅっと握った。

「ふふ、くすぐったい」


 くすぐったげに笑う、無邪気な少女。

 握られた手に心が温かくなる錯覚を一瞬覚えて――けれど空虚な冷たさばかりが胸を埋めていく。

 だって、喜逸の指を握った小さな手は、触れ合う肌は、微塵も温度を感じなかったのだ。


「――っ、っざけ……ッッ」


 何故だかいきなり溢れそうになる涙を、歯が砕ける程に食いしばりながら堪えた。


「おにいちゃん? 泣いてるの? さーやが、よしよししてあげよっか?」

「……ああ、おにいちゃん泣き虫でさ。だから、……そうだな、さーやがよしよししてくれると、助かる」


 喜逸は歌う。

 命を失ってしまった筈の少女に、優しく頭を撫でられながら。

 彼女が怖がる事ないよう、優しく穏やかな気持ちで眠りにつけるようにと脳裏に過る子守唄を。


 もういつだったかも分からない、ずっと遠い昔に誰かに唄い聞かされた、記憶の残滓を優しく紡ぐ。

 日本語であるのかすら分からない、心の唄を。


 ――おやすみなさい。明日を夢見て。おやすみなさい、今日を思って。

 悲しい涙を流したら、明日はきっと晴れるから。

 だから悲しい人の子よ、今日は静かにお休みよ。目を瞑れば夢を見る。夢を見れば心は晴れる。心晴れれば明日はきっと笑えるさ。

 お休みなさい人の子よ、悪夢は払ってあげるから。お休みなさい人の子よ、夢見るようにお休みよ。


そんな意味の込められたうろ覚えの唄を、けれど心を籠めて歌い――小さな魂を送り出した。


「……、」


 小さな掌が喜逸の頭から滑り落ちた。頭を撫でる掌は、いつの間にか動きを止めていた。

 間に合わなかった斑輝喜逸に出来たのは、自己満足に過ぎない酷く傲慢な救い。

 この子を縛り付け、輪廻を妨げる楔を、己のエゴのままに断つ事だけだった。


 ……終わらない終わりを終わらせた。だから、もう、少女は今度こそ動かない。


 自分は正しい事を、した。終わりのない終わりを、終わらせたのだ。だから……


「……お、あ……ああ、あああ……っ」


どこかくすぐったげな笑みを浮かべたまま、眠るように静かになった冷たい沙也の遺体を前に、膝から崩れ落ちた斑輝喜逸は己の無力を吠えた。


 己の意志ですらなく一方的な押し付けで不当に全てを奪われてしまった憐れな少女を、救えないはずの『永久人』を斑輝喜逸は――何故か無性に助けたいと、そう思ってしまったのだ。


「うおああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 それは、無感情に永久人を滅ぼし続ける斑輝喜逸が久しぶりに見せる激情の発露であった。





『霊魂革命』。

 それは今から五世紀ほど前に起きた、農業革命、産業革命、情報革命に次ぐ人類史四度目の大きな社会構造革命を指す単語だ。


 霊魂革命前夜の人類は滅びの危機に瀕していた。

 当時、世界各国のエネルギー消費の増加による環境破壊や、それに伴う地球温暖化が表面化し始めていた。

 そして――それらを原因とするかは未だに定かではないが――世界各国で異常気象と自然災害が連鎖的に発生し始め多大な被害を齎すと同時、世界的な食料不足が人類を襲ったのだ。


 効果的な対策を打ち立てる事も出来ず、圧倒来な自然の猛威を前に人類はその数を減らしていく。

 ついにはエネルギー問題も解決できぬまま、埋蔵資源が枯渇。

 僅かに残ったリソースを一部国家が独占しようとすると、それに反発した複数国家との小競り合いはいつしか大きな利権と闘争の渦を呼んで第三次世界大戦へと発展した。


 勝ったところで得られるモノは残り僅かな埋蔵資源、勝者などいない大戦の影響で地球環境はさらに悪化。戦いで多くの人が命を落とし、災害と飢餓でさらに多くの人がなくなった。


 五年にも渡る大戦終了後の世界人口は、大戦前の四十五億から二十億人にまで激減。

 飢餓や自然災害という天災と、大戦という人災。後に『大災厄時代』とまで言われるようになる大戦前後の四半世紀の間に、人類史上最大規模の犠牲者が墓標に刻まれる事になった。


 そして、泥沼の大戦が終結してもなお、世界に希望の光は見えなかった。

 大戦の終結から二十年。度重なる災禍に人類の力は衰え、文明は衰退。

 誰もが明日に絶望し、人類に破滅の足音が迫っている事を予期していたそんな折、一人の男が世紀の大発見をする。


 時和極夜(ときのわごくや)

 医者であり科学者でもあったその男は、人間の持つ可能性、『魂』に目を付けた。

 彼は人なら誰しもが持つ魂――『霊魂』と呼称される非物質的存在の存在証明と、その『霊魂』から『霊力』と呼ばれるエネルギー抽出を実現し、化石燃料や電気に変わる新たなエネルギーとしての利用方法を確立するまでに至ったのだ。

 その僅か数年後、研究を進めていた人類が永遠の命を手にする為の技術。

 『鎖縛魂法』を極夜は完成させる。

 様々な議論を呼んだ末にその技術が世界的に認められると、僅か五年のうちに世界人口のおよそ一割、約二億人が不便な命を捨て去り永遠を手にした『永久人』となった。


 極夜の立ち上げた『白十字(ホワイトクロス)』という国際的な医霊機関によって『鎖縛魂法』は管理され、『永魂体』を欲する政治家達や富裕層、他国の王族などに質のいい『永魂体』を売り、資格を有する施術師を斡旋し、『白十字』は政界や国際社会でもその力を伸ばしていった。


 そうして五百年の時が過ぎ、世界人口のおよそ六割が『永久人』となった今、実質的にこの腐った世界の舵を取っているのは時和極夜と彼を頂点に据える医霊機関『白十字』である。



 人は『肉の命』を捨て、『永魂体』という不滅の器を手に入れた。


 有限だった筈の時間は無限となった。


 飢餓も飢饉も怖くはない。


 人類から空腹は消え去り、約束された幸福がある。


 死への恐怖はなくなり、尽きることなき永久だけがある。


 それは進化か、それとも滅びか。


 世界の顛末を見たどこかの誰かは、新人類の栄華を謳う永久人達を見てこう言ったそうだ。



 ――人類は滅亡した。それなのに、世界は終わってくれなかった。



 終わらない終幕エンドレス・エンドロールを続ける『永久人』が支配する、終わりのない世界。


 平呈五百三十七年、七月九日。

魂葬者デッド・エンド』斑輝喜逸が生きる夏は、そんな永遠に終わらない終わりの只中にあった。


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