・ギア/ファースト 魂葬者と子守唄・弐――回転機構、嘶く腕
『――周辺に強い霊力反応はありません。扉内部はサーチ不可、おそらく結界の一種かと。ちなみに、少しお時間頂ければちなみによって解除可能ですがどうしますか?』
「いい、入っちまえば済む話だ。行くぞ」
覚悟を胸にぎぃぎぃと軋んだ音を立てる扉を開けると、鼻を刺すような刺激臭が鼻を突いた。
薬品の香りと、腐乱した酸っぱいナマモノを混ぜ合わせたような鼻の曲がる悪臭に、思わず眉間にしわを寄せる。
台座の上に放置された黒い血の付着したメス。足元に転がる空の注射器。倒れた点滴スタンド。モニターの割れた心電計。手枷足枷が取り付けられている血の跡の残る手術台。床に散乱した薬剤の瓶はかなり古いものなのか、ラベルの文字がかすれて読めなくなっている。
おそらく、遥か昔にこの施設が通常の病院だった頃の名残なのだろう。
連中は普段は使用していない一室を違法の施術を行う部屋に選んだようだ。
「誰もいないってのはともかく、これは……」
『……ええ、『鎖縛魂法』は比較的歴史の浅い術式ではありますが、れっきとした霊的儀式です。術式の実行には必要な準備がいくつもあるはず……それが開始三十分前とは言え、儀式場に誰もいない、準備の痕跡すら一切見られない、というのは流石に……』
『鎖縛魂法』は簡単に誰にでも実行できるような手軽な術式ではない。
施術には全世界で行われる『鎖縛魂法』を一手に管理する国際機関『白十字』の認可と、国家資格の取得が必要で、その準備にも多大な時間が掛かる。
儀式場を放棄する場合、儀式場を再構築する必要がある為、かなりの労力と時間を要する準備作業を一からやり直さなければならなくなる。そうなっては、逃げた所で再び発見されるのがオチだ。守りを固めるならともかく、場所を変えるというのはあまりいい手ではない。
敵が来たからと言って儀式場を放棄し場所を変えて実行すれば済むという話ではないのだ。
だからこそ喜逸は隠密性をかなぐり捨て、いち早く儀式場を抑えようとした。
襲撃が露見しようと敵は儀式場から逃げられない。
仮に逃げた所で儀式場から去るという事は『鎖縛魂法』を諦めるのと同義であり、それは喜逸たちにとっては勝利も同然であるからだ。
……何か、嫌な予感がする。
この階層の霊力反応を、ちなみに再度サーチさせようとしたその時だった。
ドン! と大きな音を立てて扉が蹴り破られ、武装した集団が施術室に勢いよく流れ込んできた。
その数およそ三十。
瞬く間に喜逸を包囲したのは医霊院が警備員として雇っている霊術師か。
「……ぞろぞろとゴキブリみてぇに出てきやがって、隠形で気配ごと霊力を消してやがったか」
『あちゃー。御主サマ、どうやらコレ、ちなみ達が嵌められたみたいですよ。つまり罠に掛かった下手人はちなみ達の方っぽいですね』
うまい事を言ったみたいにドヤ顔をしているちなみを放置して、喜逸は思考を巡らせる。
『反永久人軍』に入れられたというリーク情報。
おそらくあれが嘘だったのだろう。
嘘の情報に釣られた愚かな『反永久人軍』を罠に嵌めて一網打尽。
東京領に税としてテロリストどもを納めて出世コース、報酬で子供の施術代も浮いて一石二鳥と、狙いはそんな所か。
『那由那サマの助言を聞いておくべきでしたねー。御主サマの敏腕ナビゲーターとして、ちなみはちなみに反省中です』
「反省してるヤツの口調に聞こえねえっての……ま、那由那の件に関しちゃ耳が痛いな。次会ったら何て言われるか……嘘情報握らせやがった竹熊のヤロウには後できっついお灸を据えるとして――なあ、お前らさ。ここらで子供をゾンビに変える悍ましい儀式が行われるって聞いて駆け付けたんだが、どうも会場を間違えたらしくてな。何か知らねえか?」
こちらの質問にはまるで応じず、手にした武器の矛先を向けてくるばかり。
……問答無用か、まあそっちの方がやりやすい。
「おっけー、分かった。沈黙が答えだって言うならいいだろう。こっちもそれなりのお返しをしてやる。言っておくが、俺は強いぞ蛆虫ども。死にたい奴からまとめて掛って――」
ただでさえ目つきの悪い瞳をさらに薄刃の如く細め、喜逸が戦闘態勢に入ろうとしたその時。
質問に応じない彼らに変わって、喜逸の声に答える声があった。
「――安心したまエ、霊術師。儀式場はここで合っているとも」
喜逸を包囲する人垣を割るようにして、声の主が喜逸の眼前に顔を出す。
生気の感じられない青白い肌。落ち窪んだ眼窩に収まる黄ばんだ瞳は薄気味悪く光り、骨ばった長い手足と、こけた頬が目立つ。過剰なくらいの消毒臭は病院よりも死を連想させる。
痩身長躯と言えば聞こえはいいが、喜逸の目には干からびたミイラか何かにしか見えない。
歩くたびにふわさと揺れる柔らかな金髪は乱暴に掴めば今にも全てが抜け落ちそうだ。
霊術師たちとは大きく雰囲気の異なる高価なスーツに身を包んだ瘦せすぎの骸骨のような男。その男の腕の中で意識を失っている五歳程度の少女の姿が喜逸の目に映った。
あの子が今回の保護対象、久我雅沙也か。
『生体反応検知できず……御主サマ、あいつ『永久人』です』
分かっている、ちなみに耳打ちされるまでもなく、目の前の男からは腐った死臭がする。
しかもこの鼻に付くような上から目線の態度と口調、そして腕に抱いた子供。
今回の諸悪の根源である貴族気取りの腐れ親でまず間違いない。
「お前が主催者サマか? 自らお出迎えとは随分気前がいいじゃねえかよ」
「はは、どんな薄汚い鼠であろうと客人をもてなすのが貴族の流儀というヤツでね。だからついでに教えてやろウ」
生命の熱をまるで感じさせない不気味なその男は気取った仕草で喜逸を見ると、抱いた子供を見せつけるように掲げながら、口元のいやらしい笑みをさらに大きく楽しげに引き裂いた。
「君達が楽しみにしていた『鎖縛魂法』ならきちんと行われたサ。君がやって来る一時間ほど前にね。そう心配せずとも、儀式は成功。これで我が娘も、晴れて我々『永久人』の仲間入りという訳だ。――フは、アハハハハハははははは!! 無駄足ご苦労様だよ、霊術師。まあ、折角ご足労頂いたのダ。引き続き刃と弾丸のパーティーを楽しんで逝ってくれたまエ」
堪えきれずにくつくつと嗤う瘦せすぎの男は優雅に踵を返し、口元に抑えきれない愉悦を湛え己と同じ『永久人』となった我が子を抱いたまま、軽い声色で言葉を放り投げた。
「――殺セ」
命令が下されると同時、手にした武器を構えていた霊術師達が一斉に喜逸目掛けて殺到する。
「……そうか。子供は、間に合わなかったか……」
対して喜逸、俯きポツリと零しながら、立ち去る貴族の背中を赫赫と燃える怒りの眼差しでじっと捉えて――
「――じゃあ三秒で死ねよ、お前」
短く淡々と、しかし地の底から呪い殺すようにそう告げた刹那、喜逸の異形の右腕が耳障りな甲高い嘶きを上げ――直後、文字通りに火を噴いた。
「なぁ……っ、ばぁ!?」
轟いた爆音に思わず振り返ろうとした男の口から間の抜けた音が漏れた。
首を回した貴族がその視界に捉えたのは、拳の間合いに踏み込んだ斑輝喜逸の殺意に燃える薄刃の瞳。
そして、超加速した喜逸によって瞬く間に昏倒させられた三十名の霊術師たちだった。
(だって、ばかな。あり得ない。三十人も用意した護衛の霊術師たちは? 強いと言ってもたかが餓鬼一人。同じ霊術師なら、これだけの物量差はまず覆せないはずなのにッ! それをこの一瞬であっさり全て突破して、私の元まで辿り着いたというのか!?)
驚嘆と恐怖に震え、涎を垂らしながら逃げようと足掻く貴族は正しく理解していなかったのだ。
自分が怒らせた少年が何者であるのかを。
「歯ぁ食いしばれ、腐乱野郎」
――斑輝喜逸は己の『霊力』を用いて霊術を扱う、だが彼は厳密には霊術師ではない。
彼の異形の右腕、鋼鉄に覆われた巨腕『伽羅俱利腕』。
それこそが彼の強さの根源であり、彼を霊術師以外の存在たらしめる最大要因。
――斑輝喜逸は『魂葬霊具』を用いて『永久人』を滅ぼす『魂葬者』だ。
彼の右腕『伽羅俱利腕』は人工筋肉と鋼で造られた機械の腕、すなわち義手であると同時に、『魂葬霊具』と呼ばれるソレ自体が強い『霊力』を宿した武具なのである。
『魂葬霊具』は使用者の霊力を回路を通じてあらかじめ霊具に刻まれてある術式に流し込み、設定された術式を起動。長文詠唱や手順を省略もしくは簡略化し、術への理解がなくとも、刻まれた霊術の高速発動を可能とする、現代の高速戦闘にも対応する最強兵装だ。
曰く付きの武器や仏具、神器宝剣などが魂葬霊具の素材として好まれる中、喜逸の『伽羅俱利腕』は喜逸の祖父にして天才絡繰り技師兼人形師の斑輝機三郎が制作した唯一無二の特別製。
『伽羅俱利腕』を唯一無二足らしめているのが、義手内部に搭載された特殊な超小型ハイブリッド・ジェットエンジンだ。
これによって、喜逸は肩口の吸気口から取り込んだ空気を僅かな燃料と自身の霊力で燃焼させタービンを回し、発生させた噴流を肘部から肩甲骨付近に掛け連なるように配置された排気口より超高速で噴射、大きな推進力を得る事が可能になっている。
その最高速度は時速七〇〇キロ、最早ただの人間に反応できる領域ではない。
ジェットエンジンによる『伽羅俱利腕』の猛烈な超加速による突進で瞬時に霊術師どもを打倒して見せた斑輝喜逸は、余裕綽々な歩みから一転、情けなく慌てふためく貴族の背中に一瞬で肉薄すると、その後頭部を巨大な右の掌で鷲掴みに。
そのまま男の腕から少女を軽々掠め取り、爆発的な推進力そのままに瘦せこけた顔面を廊下の壁に叩き付けた。
――ゴぱんっ! 壁にめり込んだ顔面が潰れる音。
だが生気も水気もないので、そこまで生々しくはない。乾いた肉が潰れる感触も、粘土を潰すようにこれといった感慨も沸いてこない。
だってこれは生きていない。
目の前で動いているコレには既に命がない。
連中は自ら望んでそうなった。そして、そんなものは本来殺せもしないのだから、何を感じる義理もない。
こいつらは生者の成れ果て、亡者になってなお動き続けるだけの骸。
不快で不穏で不吉で不正な動く魂の棺桶なのだから。
「おい腐乱野郎。パーティーなんだろ? 一人で帰るなんてつれない事言うなよ」
親しげな言葉とは裏腹に喜逸の声色は微塵も楽しそうではなかった。
強い不快感と、触れれば爆発しそうな危うい赫怒の感情ばかりが周囲に撒き散らされている。
「あば、あばばばばばばば」
「……いやさ、お前らと喋っても無駄だってのは分かってるんだわ。けど我慢できねえから一回だけ聞くぞ、本当に何なんだ、お前ら『永久人』ってのは」
この世界の人類は、そのおよそ六割が『永久人』と呼ばれる新人類だ。
尤もそれは、新人類とは名ばかりの進化の行き止まりにして生き止まり。
『反魂呪』を用いて人間の魂を防腐処理した死体の器――通称『永魂体』に押し留め、命のないままに永久を過ごす輪廻の輪から外れた動く死者でしかないのだから。
「お前が『永久人』になろうが俺の知ったことじゃねえし、それはお前の勝手だ。俺も俺の勝手でお前ら『永久人』を滅ぼし尽す。だから別にそこに文句はねぇよ一ミリも」
別に、喜逸は『永久人』が憎いから『永久人』を殺すのではない。
確かに『永久人』の中にはこの男のような外道も多い。命のある人間を劣等種と見下し、まるで家畜か何かのように扱う貴族の『永久人』を、喜逸は数えきれない程見てきている。
己の魂を強化できるからと、生きている人間の踊り食いが富裕層の中で流行した事があるのも知っている。
そういった外道はもれなく皆殺しにしてはいるが――別段、国の法律を守って暮らしているような善良な『永久人』も喜逸にとっては例外なく滅ぼす対象である。
何故なら『永久人』には命がない。
生きていない。
既に彼らの生命は、致命的に〝終わって〟しまっている。
終わっているにも関わらず、続けている。終わらない終わりを永遠に続けている。それが斑輝喜逸は許せない。
終わらない終わりを終わらせる。
それが、斑輝喜逸の生きる意味で、唯一掲げる空の信念なのだから。
「けどよ、コレは違くねえか? 子供だぞ? たかが五歳の子供に生と死が何なのかなんて、そんな区別付く訳ないよな? 親に言われたら訳分からなくたって頷いちまうような、幼い子供の命を、だ。なあ、どうして親のお前がこうも簡単に奪えるのかって聞いてんだよ、俺は」
「う、奪ってなどいなイ! わわ、私はこの子を思って、この子の為ニ――」
「――永遠を与えたとかほざいたら三秒でぶっ殺すからな? 分からねえようなら教えてやるがお前がやった事は略奪だ。永遠を与えた? 笑わせるな。お前が奪ったんだ。この子の命も未来を、真っ当な人としての生も終わりも何もかもを、お前の腐ったエゴが全て……ッ!」
沸々と耐えがたい怒りが湧き上がる。
許せるか、この理不尽を。
久我雅沙也という少女の命を奪った死人を、奪う事がまるで正しいかのような腐った世界を。
斑輝喜逸は許せるか?
……別にどこの誰が『永久人』になろうが喜逸は構いやしない。
『永久人』が憎い訳でも敵だという訳でもなく、ただ『永久人』は終わるべき存在であるが故に、斑輝喜逸は『永久人』を終わらせる。
そこに特別な感慨はない。特別な感情は抱かない。
ただ使命があるだけだ。この身体を突き動かす衝動があるだけだ。
それでも。
己の意志ですらなく、他者の一方的な押し付けで不当に全てを奪われてしまったこの憐れな少女を、『永久人』を滅ぼし尽さんとする斑輝喜逸は――
「ち、違う! 違うんだ!! 私は本当に、娘の幸せを考えて……っ、わ、分かっタ。金かっ、金がないんだろウ? 『永久人』になるには高い金が必要だからなぁ君の願いは分かるとも。わ、私が出そウ。君が『永久人』になる為の費用は全額負担してやる。そ、それに私の屋敷の護衛として君を雇ってやろう! ど、どうだ!? スラム生まれに、これだけの高待遇はそうないぞ? お前一人じゃ絶対に味わえないような幸せを味あわせてやるからッ、だから助ケ――」
「――五行相生・木生火。『火行符』烈火、急急如律令――」
貴族の男は、己の言葉を遮った喜逸の言葉が意味する所が分からなかった。
「ヘ?」
五行相生・木生火――『木』は燃えて『火』を育てる、相手を活性化する関係にある『五行』の関係性が一つ。
木生火を告げる喜逸の『伽羅俱利腕』から、歯車ががちりと廻り、鋼が噛み合う音が響く。
斑輝喜逸の右腕、その回転率が上がっていく。
――喜逸の魂葬霊具『伽羅俱利腕』には超小型ハイブリッド・ジェットエンジンと並んで最大の特徴と呼べるものがもう一つ存在する。
通常、『魂葬霊具』にあらかじめ組み込む事が出来る霊術の術式は一種類。
これは、組み込む術式数に応じて霊力を通す回路を複数用意する必要があり、元が仏具や神器である『魂葬霊具』の内部構造をそこまで複雑化させる事が難しかったという点。
そして、仮に複数の術式とそれに応じた数の回路を組み込めたとして、使用したい術式のみに霊力を流し起動させるにはかなり高度な霊力制御が必要で、制御に失敗した場合は霊術同士が競合を起す危険性があるなど、問題点ばかりが大きく実現が難しいとされていた点などが、霊具に刻まれる霊術が一種類のみである理由として挙げられる事が多い。
しかし、『伽羅俱利腕』には『五行』それぞれに対応する五つの『術符』が組み込まれている。
それでいて、術式に霊力を流す回路は普通の霊具同様に一つしかない。
だというのに、組み込まれた複数術式を臨機応変に切り替えて使用する事が可能になっているのだ。
その矛盾を実現させる機構こそが、『伽羅俱利腕』もう一つの唯一無二にして最大の特徴。
「――五行相生・火生土。『土行符』隆起、急急如律令」――『火』によって生じた灰はいつしか『土』に返る。
『回転式五段歯車機構』。
使用者の霊力が流れ込む回路の接続先を五段階に切り替え、使用する霊術をその都度選択・変更する事が可能となる特殊機構。喜逸はエンジンを回転軸に設置されたこの『回転式五段歯車機構』を用いる事で相手に応じて扱う『五行』を瞬時に切り替え、さらには自己完結的に『伽羅俱利腕』内部で『五行相生』を重ねていく『五行相生・加速円環輪廻』によって加速度的に自身の扱う五行を強化、際限なく霊術の質とその威力を高めていく事が可能となっているのである。
絡繰りと霊術の画期的な融合によって生み出された唯一無二性こそが、天才絡繰り技師兼人形師、斑輝機三郎作の魂葬霊具『伽羅俱利腕』の真骨頂。
「……お前は許さねえ、『永久人』だから滅ぼすんじゃない。俺の極めて個人的で私的な感情理由理屈私怨憎悪怒り主義主張その他諸々の八つ当たりでお前をぶっ殺す――五行相生・土生金。『金行符』斬閃改め――」――『土』の中で『金』脈は育つ――。
がごんッ、がぢっ。歯車が回り、鋼と鋼が噛み合う。
左腕に少女を抱えたまま、斑輝喜逸はその右拳を金剛の巨大槌へと変貌させながら、
「死体は死体らしく死んどけ――五行四連生・『金剛鉄・鉄鎚慙愧』、急急如律令ッッ!」
爆発じみたエンジンの嘶きと共に、振り下ろされた一撃に貴族の死体が潰れて爆ぜた。