・ギア/ファースト 魂葬者と子守唄・壱――任務、開始。開幕神速正面突破
――「おにいちゃん? 泣いてるの? さーやが、よしよししてあげよっか?」
――「……ああ、おにいちゃん泣き虫でさ。だから、……そうだな、さーやがよしよししてくれると、助かる」
第一章 魂葬者と子守唄
――お母さん? お父さん? ひっぐっ、ぐず、……いないのぉ? やだぁ、……嫌だぁああああよぉおおおぉぉお……っっ
揺れる蝋燭の炎に照らされたうす暗い空間に両親を呼ぶ幼子の声が反響する。
闇の立ち込めたこの空間には生気が感じられない。
人影は炎に晒されいくつも揺らいでいるというのに、幼い少女以外の全てはまるで人形であるかのように熱が欠落しているのだ。
無機質で冷たい手術台の上、敷物もなしで台の上に大の字に横たえられ手足を枷で拘束された五歳程度の少女は、自分がどんな状況下に置かれているのかまるで理解が及んでいない。
けれど周囲の悍ましい雰囲気を過敏に感じ取り、本能的にここは危険だと父母を呼び、助けを求め、己を縛る拘束の中でその身を捩って泣き叫ぶ。
懸命に親を探し呼ぶ声に、しかし応える者などいる訳がなかった。
何故なら何も知らない彼女をその地獄に送り込んだ者こそが、彼女が助けを求めてやまない父と母その人たちだったのだから。
全身を白衣とガスマスクで覆った冷たい人影たちは、泣き喚き嫌がる少女を穢れた汚物でも見やるような冷たい眼差しで見下ろして、施術用の手袋を引き上げながら医療用のメスを手に、やはり温度の感じられない声で機械的に宣言した。
「定刻だ。では、始めよう。祝福されし新たなる永遠に、祈りを」
直後。刃の切っ先が何の躊躇いもなく振り下ろされる――
――『現在時刻は七月九日、午前一時五十分。それでは、今回の依頼内容を確認しましょう』
茂みの中で息を殺して身を潜める斑輝喜逸の視界の端で、銀色のツインテールがぴょこぴょこ揺れる。真面目な表情で手元のタブレットを読み上げるちなみは、珍しく仕事モードだ。
『依頼主は『反永久人軍』の情報屋、竹熊サマ。彼によると、本日七月九日午前二時半より、ここ「国立医院機構相模原市医霊院」にて、久我雅沙也ちゃん五歳に対する違法な「鎖縛魂法」の施術が行われるとのリークがあったそうです』
「子供……本人は同意の上か?」
『……いえ、その残念ながら。彼女の両親は東京領納税位階三桁代の御貴族サマで、過去に三歳になったばかりの長男に「鎖縛魂法」の施術を行ったという報告があります。その際、男の子の魂がまだ幼く自我がはっきりと確立していなかった為か、うまく「永魂体」に魂が定着せずにそのまま……今回も確認が取れている訳ではありませんが、その……おそらく本人は……』
険しい顔で尋ねる喜逸に対して珍しく言い淀むちなみ。
彼女の口から最後まで語られるまでもなく理解してしまったかつての最悪の結末に、喜逸は嫌悪も露わに吐き捨てる。
「イカれてる……いや、腐ってやがるな、腐乱死体ども。こんな田舎までわざわざやって来たって事は、後ろめたい事をしている自覚があるからだろうに。出会って三秒で殺してやるから首を洗って待ってろ糞野郎ってイタズラメールでも送ってやれ――ちなみ、行くぞ。ルートを」
「了解です、御主サマ。下道安全こっそりこそこそルートと、高速豪快カーチェイスルート、お好みはどちらで? あ、ちなみにちなみのおすすめは、勿論ちなみの高性能な頭脳を大発揮できちゃう下道安全こそこそル―」
「――決まってる、高速ルートでぶっ潰す。ただし、料金はビタ一文払わねぇ」
拳を握り潰すようにして、即答。
いつものラフなティーシャツにホットパンツ一丁という部屋着姿から真面目なお仕事モードであるに黒いセーラー服に着替えたちなみは、セールス台詞を途中で遮られた事に露骨にがっかりして項垂れため息を吐く。
「……はぁ、かしこまりました。御主サマの仰せのままに。しかしちなみは悲しくなってきます。こんな脳筋ワイルド御主サマでは、ちなみの正妻サポート力を完璧に発揮する場がいつまで経ってもやって来ません……トホホ……」
「愚痴なら仕事が終わってからにしろ。そんな事より時間がない。最短ルートの選出、頼む」
「はぁい、真面目に仕事しますよーだ。ぽちっとな☆」
直後。
草木も眠る丑三つ時に爆発音が鳴り響き、ほぼ同時に地面を力強く蹴りつけた少年の身体が超加速し弾丸となって射出された――任務、開始。
口火を切るは甲高い破砕音、『相模原市医霊院』裏門側の三階の窓が木端微塵に砕け散った音だ。
慌てたように叫び出す警備員達。
その喧騒を耳に、駆け出すと同時に石礫を三階の窓に投擲していた喜逸は旋風の如き速度でぐるりと大きく敷地を回って、注意の逸れた正面玄関に辿り着く。
そして電子ロックをちなみのハッキングで音もなく解錠。
北棟の三階に視線が集まる今のうちに、渡り廊下を駆け抜け目標地点の南棟へと進む。
『ふっふっふー、予定通り正面玄関から堂々と正面突破ですね、御主サマ! 流石はちなみの御主サマです。脳筋は脳筋でも、考える筋肉でしたとは……っ』
「無駄口叩く余裕があるなら索敵高めろ。相手だって俺達の狙いは分かってる。北棟に注意が集まるのなんざ一瞬だ、こっからは小細工なしで全員ぶっ潰す!」
曲がり角ごとに小規模な加速を繰り返しながら喜逸が嚙み付くように答える。
喜逸の現在位置は南棟の一階廊下。
ここからあと六階分を駆け上り、地上七階の施術室にて行われる『鎖縛魂法』の施術を阻止、子供を救出し脱出、保護しなければならない。
あれだけド派手な爆音を鳴らしたのだ、当然敵もこちらの動きに気付いている。
相手はプライドのお高い御貴族サマ、例え敵襲があったとしても強引に施術を進めようとするだろう。
つまりは時間との戦い。
しかし、現状では仕掛けたこちらに圧倒的な優位がある。
階段に到達し上段からの足音を捉えた喜逸は、階段内側の手すりを掴んで振り子のように強引に身体を振り回すように一足飛びに踊り場へ跳躍。
丁度上から降りてきた警備の男の腹にドロップキックをかまして倒し、そのまま男の腹を踏み台に上へ。
上下から響く静止の声を無視し、さらに上階から飛び掛ってくる警備員を拳の一振りで打ち上げ鎧袖一触、天井に突き刺す。
『御主サマ、次の踊り場に霊力反応三、うち一つ強敵ですっ。ちなみに「ちなみスカウター」によると最低でも能力値総合B−!』
「霊術師か……! 丁度いい、雑魚ばっかじゃつまらねえと思ってた所だ!」
『霊術師』。もしくは『霊力者』。
それは、この世界に存在する『霊力』という力を扱い、超常現象を引き起こす異能使いたちの総称だ――喜逸の場合、厳密には少し異なるのだが――大きな分類的には喜逸も『霊術師』に含まれている。
喜逸たちが扱う『霊術』は『陰陽・五行説』という思想を土台に置いている。
『陰陽・五行説』とは中国発祥の民間思想が日本へと流れつき、様々な思想を取り入れながら変化したものであり、大雑把に言ってしまうと「この世界のあらゆるものは――物質的存在、非物質的存在を問わずその全てが――『気』によって形作られている」という思想だ。
その中でも非物質的存在の〝元〟となる〝気〟を『元気』と呼び、人の魂――『霊魂』などの非物質的存在はその『元気』によって構成されているとされている。
……そう、あの「元気がある」だの「元気がない」だの言う時の、あの『元気』である。
この、魂を形作っているとされる『気』を喜逸のような霊術師たちは『霊力』と呼び、その『霊力』を用いて起動する術式群を総じて『霊術』と呼称するのだ。
かつては陰陽術やら呪術や魔術など、様々な呼ばれ方があったらしいが――今はそれらの区分は実に曖昧なものになっていて、『霊術』と一括りにされる事が多い。
何故なら、今となってはそれらの異能を扱う側ですら『陰陽術』や『魔術』の明確な違いを理解し説明する事が出来なくなってしまったから――
『――霊力増大。水気の反応あり!』
「弾道、予測演算開始――」
『ちなみにちなみは言われる前に実行済みです! 偉い! ――五秒後弾道予測線、表示っ』
また、この世界を形作る『気』には大きく二つの性格があるとされている。
消極的な性格の気を陰気。
積極的な性格の気を陽気。
この世界を形作っている全ては総じて二つの性格の気を当てはめる事が出来るという考えだ。
これが所謂『陰陽』の思想である。
二つの異なる性格を持つ『陰陽』が調和を保つ事でこの世界は成り立っていて、どちらかに著しく偏りが生じてしまうと世界のバランスは狂ってしまうのだとか。
一つ偏った陰気の例をあげるならば、怪異や妖怪変化が分かりやすいか。
アレは偏った陰気の塊であり、かつて陰陽師と呼ばれた者たちは陽気をぶつけ怪異を祓っていた。
「――五行変換・青。『木行符』爆誕、装填待機……」
ちなみの声を聞きながら踊り場に飛び出すと同時、視界に表示される赤い予測線をなぞるように凶悪な水気の籠った水弾が殺到する。
あらかじめその軌道を瞳に焼き付けていた喜逸は、霊力を流し込み回る歯車の音に合わせ、右の『伽羅俱利腕』を盾のように掲げて迫りくる水弾全てを受け止め――装填完了、歯車ががちりと、廻り、鋼が噛み合った。
「――五行相生・水生木。『木行符』再爆誕、急急如律令ッ!」
甲高い嘶きの直後、火を噴くような爆音と共に急加速する拳が男の身体に触れた瞬間、迸る水気によって活性された木気が実体化し無数の蔦と蔓になる。
吹き飛ばした男とそれに巻き込まれた雑魚二名、計三名を一瞬で縛り上げ拘束。
「……五行相生、敵の術を利用すんのは霊術の基本だぜ、強敵サン」
明らかに年上の男にレクチャーするような捨て台詞を残しつつ縛り上げられた男どもの鳩尾にかかとを落とし意識を刈り取る。
ここまで接敵から僅か二秒、残りは五階分である。
『しっかし御主サマは流石の五行相生ですねー、やはりちなみが教えただけの事はあります』
「お前に師匠面されるほど腹立つ事はねえな、事実なだけにたちが悪い」
先ほど、『気』が持つ二種類の性格について述べたが、それに加えて『気』には五つの状態とそれによる働きがあるとされている。それら五つを『五行』と呼ぶ。
『五行』は『木・火・土・金・水』の五つに分けられ、それぞれの状態を持つ五つの気――『木気、火気、土気、金気、水気』に分類する事が出来る。
そして、陰気から陽気、陽気から陰気という変化しかない『陰陽』に比べて、『五行』の変化は些か複雑でバリエーションに富んでいる。
例えば『水生木』――今、喜逸が利用した五行の変化は『五行相生』と呼ばれる変化の関係で、簡単に言ってしまうと相手の働きを活性化させる関係を指す。
『水』は『木』を潤し育む。
故に喜逸は、敵の放った『水気』によって己の『木気』を相生、つまりは活性化させ、より強力な『木気』を生み出してぶつけたのだ。
霊術とは、陰陽と五行を駆使した相手の術式の乗っ取り合戦のようなモノ。
それぞれの相性と特性を理解できない限り、いかに霊力が高くとも勝利は得られない。
しかし、霊術師の中にはこの関係性を知らない者も多い。
先も述べたが、現代では例え『霊術』を扱う人間であっても、その基本理論ですら完璧に知る事が難しくなっているのだ。
その分、ちなみというある種の教典であり師でもある存在に出会えた喜逸は実に幸運だった。
さらに増加する警備の悉くをその剛腕で蹴散らし、途中からは段ではなく壁を蹴って三角飛びの要領で五階分を駆け上り――高さにしておよそ十五メートルを僅か十秒足らずで登り切った斑輝喜逸は、午前一時五十四分。目的の施術室へと辿り着いた。
作戦開始から五分と経っていない、まさに神速の正面突破だった。