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・ギア/サード 魂葬者、斑輝喜逸・肆――愚かで憐れなガラクタ喜劇

 目が覚めると、外にいた。


 草原の上、朝露に濡れた身体を起こす。

 吹き飛び壊れたはずの左半身は元通り。寝ぼけて悪夢でも見ていたのではないかと疑ってしまうくらいに斑輝喜逸は五体満足だ。

 けれど、


「おっと、目が覚めましたかな。余計なお世話とは思いましたが、極夜殿の一撃で倒壊の恐れもあった為、勝手に外に運ばせて頂きましたぞ。……ああ、ちなみ殿も一緒です、ご安心を」


 目が覚めた喜逸に声を掛けてきたのが、やたらと馴れ馴れしく距離感の近い偉そうな妖狐ではなく、殺人趣味の破戒僧であるという一つの事実が冷たい現実を喜逸に突きつける。


 ……もう、あいつの事を考えるのは辞めよう。

 裏切り者の千年妖狐を思った所で、何が変わる訳でもない。

 ヤツは喜逸の敵。最初からそうだったものが正しく元の位置に戻っただけ。……もう、それだけでいいじゃないか。

 ……今の自分に、倒すべき敵なんてものが本当に存在するのかは知らないが。


「……生きてやがったのか、お前」

「ははは、それはお互い様と言う事で。風穴を開けられたのが『崩界』発動前だったのはある意味運が良かった。極夜殿の撤退後、どうにか霧散してしまうのを抑えていた霊力の制御を取り戻して再度『崩界』を発動。即身成仏を果たし、どうにか致命傷から復活したという訳です」

「治癒能力まであるのか。便利なモンだな。……俺の、コレは?」


 自分の身体を眺めながら、アレを傷と呼ぶのにおかしな抵抗があって言葉を濁すも、坐武羅はしっかりと意図を汲んだ様子で頷き、


「僭越ながら、ちなみ殿の指示を受けながら拙僧が。と言っても、大した事はしておりませぬ。こんな事を言うのも何ですが、極夜殿の壊し方があまりにも丁寧かつ綺麗で、拙僧はジグソーパズルでもするかのように、指示通りにパーツを嵌めこんでいくだけで良かった」


 ……なるほど、ただ壊しただけでなく、治しやすいように加減をする余裕まであったという訳だ。

 桁違い過ぎて笑えて来る。こっちは全力で殺しに行っていたというのに。


「……なぜ俺を助けた? 俺を殺したいんじゃなかったのか? お前」

「ええ、勿論。しかしそれは、万全な状態の喜逸殿を、燃え滾るような死闘の果てに殺さなくては意味がありませぬ故」

「やっぱイカレてるな、お前。理解できねえよ」

「……どちらへ行かれるので?」

「さあな、少なくともお前には関係ねえ話だろ」

「ふむ、道理ですな。……っと、まあ。立ち去る前に一つ聞いてゆかれよ、喜逸殿」


 坐武羅を無視してその場を後にしようとする喜逸の背中にも聞こえるような大声が響く。


「時和極夜はここ一年あまり拙僧のクライアントでしてな。今回、拙僧は貴殿らを此処まで誘き寄せる依頼を受けておりました。詳しい目的は聞いておりませんでしたが、誘い込んだ後は自由にしていいと言われていた。故に依頼を引き受けた。しかし、極夜殿は契約を破り、拙僧と貴殿の戦いの邪魔をした。故に拙僧は、これからその落とし前を付けにいくつもりです」


 懐から坐武羅が折り畳んだ紙を投げる。手裏剣のように飛翔し立ち止まった喜逸の足元に落ちた紙面には、どこかの場所が記されていた。


「拙僧は、時和極夜の居場所を知っておりまする。故に、明日の明朝、記された場所にて一時間貴殿を待ちましょう。これは共闘の誘いに非ず、貴殿も極夜殿と決着を付ける権利があると判断しての提案である事を努々忘れぬよう。告げるべき事は告げました。では喜逸殿。またいずれ近いうちに。貴殿が理由なきその衝動に素直になられますことを、拙僧は祈っています」


 坐武羅の足音が遠ざかっていくのを背中越しに聞いて、それから喜逸はしばらくの間何をするでもなくその場に立ち尽くしていた。 

 やがて、額から外したゴーグルを握り締めて、


「……おい、ちなみ。いるんだろ、お前」

『……』


 絞り出した声は震えていた。それが自分で分かってしまう事が、何より情けなくて悔しい。


「……なあ、お前。知ってたんだろ? 全部、何もかも最初から。そうじゃなきゃ辻褄が合わねえもんな。俺が昔の事を思い出せなかったのも、そういう事なんだろ? なあ」

『……、』

「……終わらない終わりを終わらせる? 永久人を滅ぼし尽す? はは、どの口で大口を叩いてやがったんだ俺は。なあ、教えてくれよちなみ。俺の頭お花畑な大言壮語、何もかも知ってたお前はどんな気持ちで聞いてたんだ? どんな気持ちで俺の横で笑ってやがったんだよ」


 手にしたゴーグルを握り潰さなかったのは僥倖だった。

 その代わり、右拳を全力で叩き付けた地面が砕け、轟音に朝靄に囀る小鳥たちが一斉に周囲から飛び立っていく。


「なんっなんだよォ……一番真っ先に滅ぼすべきモン、テメェ自身じゃねえかァッ!」


 自傷行為が如く悲痛なその叫びが、斑輝喜逸の絶望と崩壊を何よりも如実に示していた。


 ――『永久人』を滅ぼす『魂葬者』斑輝喜逸は世界で一番最初の『永久人』だった。


 喜逸を絶望させた真実はそれだけではない。

 己が『生き人形』という無機物の『永魂体』に反魂呪を刻み魂を定着させた最初で最後の成功例であり、魂を収める肉の器は人間はおろか生き物ですらない鋼と人口筋肉とオイルで構成された人の真似事をした人形だったのだ。


 一つとて耐えがたい悪夢のような事実が、斑輝喜逸を弄ぶように蹂躙する。


 己が信じていた己と、現実の己のあまりの乖離が、斑輝喜逸を苦しめる。


 ――己の正体が、滅ぼすべき存在であると己が定めた敵そのものであるという矛盾。

 ――今の今まで、同胞とも呼べる存在を数え切れぬ程殺してきたという矛盾。

 ――命無きものと敵対する自分が誰よりも命から遠い存在だったという矛盾。


 斑輝喜逸は突如として生じたそれらの矛盾に耐えきれない。


 己の理由が、始まりが、起源が、原因が、何もかもが分からなかったからこそ、抱いた信念だけは遂げようと生きてきた。

 だというのに、自分は人間ですらない機械人形で己が滅ぼすべき『永久人』そのものであったなど、そんなふざけた真実、斑輝喜逸には耐えられない。


 長い年月をかけて自分自身の中に構築されてきた斑輝喜逸という虚像はあっけなく崩壊した。

 それは一つの世界の崩壊に等しい。

 斑輝喜逸は死なない永久人かもしれないが、その心は既に死んだも同然。

 己の根幹を成す大切な物を少年は永遠に失った。否、最初からそんなものは何も無かったのだと温度のない冷たい身体にそれ以上に冷たく鋭利な現実を突きつけられた。


 涙を流す事すら出来ず、噛み締めた唇から赤い血を流す事すら構わない。

 せいぜいが油臭いオイルを垂れ流す事が関の山の紛い物の人形の、そんな偽の慟哭に、







『はぁ~~~っ。まあ、ここまで知られてしまっては仕方がないですかねー』







 やる気が微塵も感じられない心底面倒臭そうな少女の声が、喜逸の握り締めたゴーグルから響き渡った。


『やっほー、御主サマこんちなみーっ。凡人サマ天才サマ変態サマ、果ては愚かで道化じみた可愛い可愛い御主サマまで完璧にサポートする自律学習型天才人工知能ナビゲーターの〝ちなみ〟でーす! え、口上が以前と違う? またまたぁ~、そんなのいつもの事じゃないですかー。ちなみにちなみの口上はいつだってどこだってちなみの気分次第なんです! ちなみイズ自由! えー、ちなみに今日のちなみは投げやりな気分ですねー、面倒くさーい』

「……面倒、ってお前……なん、だよ。それ」

『え、御主サマってばもしかして、この期に及んでこのちなみが御主サマを騙していた罪悪感から殊勝な態度になる事を期待しちゃってました~? こんなふうな上目遣いでー、「御主サマ、今までごめんなさい。でも、ちなみ。御主サマの気持ちを考えたらどうしても言い出せなくって……っ」みたいな? あっはははー! そんな訳ないじゃないですかー。やだなーもう、御主サマってば愚か過ぎて可愛いっ! ちなみ惚れちゃいそー(棒)』


 絶句。斑輝喜逸は、生まれて初めて本当に己の中から言葉というものを忘却した。

 予期せぬちなみの態度に、怒りを通り越して顔面蒼白になっている自分がいる。

 それは他の誰でもない、己自身への絶望が起因するものだ。


 斑輝喜逸はちなみの言葉に手痛く図星を突かれていて、真っ先に彼女に八つ当たりじみた苛立ちや怒りをぶつけたのも『ちなみならばきっと全てを受け止めもう一度喜逸を立ち上がらせる為の言葉を掛けてくれるんじゃないか』そんな甘ったれた期待が心のどこかにあったからなのだと気付いてしまった。


 それはあまりにも致命的で。

 だからもう、斑輝喜逸は立ち直れない。


『――ま、だいたい御主サマの想像通りですよ。ちなみは御主サマが自身の正体に気付かないようにする為の安全制御装置兼ナビゲーター。御主サマが自身の存在に疑問を抱かないよう、あの手この手で御主サマの精神状態を安定させるのがちなみのメインのお仕事でした。ま、やる事は単純で、あらゆる生理現象に関する記憶を捏造したり、身体から流れるオイルを血液だと誤認させたり、蘇りそうな過去の記憶を曖昧にぼかし続けたり、厄介な感情はリセットしたりと、ま、そんな所ですね。ちなみに戦闘時のサポートはちなみにとっての副業でした』


 喜逸は永久人。それも魂を宿した不老不死の機械人形だ。

 その身体はガソリンと霊力で動いている。

 当然食事など摂れないし、トイレにもいかない。汗を掻く機能がない為風呂に入る必要はないし、何なら人間と同じような睡眠だって不要なものだろう。

 長い長い旅の間、普通に過ごしていれば己と人間との乖離に絶対的に気付く。

 それを誤魔化す為に、喜逸の認識や記憶を改暫する存在は絶対的に必要だったのだ。


『もう、御主サマってばそんな情けない顔しないでくださいよー。ちょっとそそられちゃうじゃないですかーじゅるり。ちなみにちなみは最初から言っていたんですよ? ちなみの役割は忘れっぽい認知症系御主サマのお食事入浴お着換え排泄その他諸々をお手伝いする事だ、と』


 信頼していた相棒に、対等であったはずの少女に最悪の寄りかかり方をした自分の弱さを、これ以上なく思い知らされた。

 そして今、喜逸は目の前の少女に対して「裏切られた」という身勝手な感情を抱いている。

 彼女の喜逸への態度は最初から一貫して何一つ変わっていないにも関わらずだ。

 喜逸は己の崩壊にちなみとの関係性すら巻き込んだ。何もかも手遅れになってから今更のように己の致命的な過ちに気が付いた。


『ちなみにこれはちなみの名誉のために言っておきますが、ちなみは御主サマに冗談以外で嘘を付いた事はありませんよ? ただ、御主サマに話さなかった真実がある、というだけです。なので騙されたーとか裏切られたーなどと申されましても、クーリングオフその他返品返却賠償対応は一切受け付けておりませんので悪しからず! それではまた御用、質問等あれば何なりとお申し付けください! 真実を知ってしまわれた御主サマにも変わらぬサービスを提供する健気なナビゲーターの鏡ことつよつよ最強AIのちなみでしたーっ!』


 それきり、ゴーグルの中の少女は一言たりとも喋ろうとしなかった。


「……は、はは」


 訪れた静寂に、朝の静謐で神秘的ですらある空気に、乾いた笑いが漏れる。


「あはは! あははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」


 それは次第に大きくなって、無人の原っぱに反響もせず虚しく鳴り響き始めた。

擦り切れ振り切れた笑いが止まらない。


 嘲笑が、失笑が、爆笑が、苦笑が哄笑が溺笑が、己の存在がくだらなすぎて涙が出てくる。

 一体何だというのだ、この愚かな道化の茶番劇は。


 ――この世界を我が物顔で跳梁跋扈する『永久人』を滅ぼす。

 ――終わらない終わりを終わらせる。

 ――その為に強くなる。誰よりも誰よりも、最強と呼ばれる魂葬者になる。


 そんな信念を、強烈な感情を、斑輝喜逸は確かにその胸に抱いていた。


 だが、その信念を抱くに至った理由がいつも分からなかった。


 それが気持ち悪くて堪らなく吐きそうで、この身を焼き尽くす衝動にいつだっておかしくなりそうで、悶えるような焦燥感に生き急ぐ様は狂気に触れかけていて、いつまで経っても己に対する違和感異物感が拭えなかったのは、正真正銘自分が世界の異物でしかなかったからだ。


 自分の生きる理由を得た理由が分からない――当然だ、そんなものは文字通りの作り物である斑輝喜逸には最初からありはしないのだから。


 こんなにも強烈な感情の起源を知り得ない――当然だ、そんなものは最初から誰かの手で植え込められていただけの錯覚に過ぎないのだから。


 行動を喚起する心より湧き上がり己の根源がある、だが原因がない――当然だ。斑輝喜逸の行動を喚起する根源も心も、所詮は全てが作り物の紛い物なのだから。


 ――故にこれは、欠陥だらけの空の信念。


 なんて事はない。その伽藍洞に収まると思い込んでいた斑輝喜逸が切望した確かな理由など、斑輝喜逸には最初からありはしなかった。設定されていなかった。


 他の誰よりもどんな存在よりも斑輝喜逸は気持ちが悪くて、偽物で、中身のない空っぽで、嘘の塊で、中途半端な残骸で、此処に存在する価値すらない木偶人形だった。


 これは、そんなくだらないゴミ山のガラクタのように無価値な話なのだから。


「ははははは――……っ、っくっそ、たれがぁああああああああああああああああああああ!!」


 手負いの獣の如き遠吠えと、歯車の回る音だけが連続する。

 壊れた人形は行き場のない感情そのままに世界を壊そうと暴れ狂い、そして世界を壊す力など己にはない事を悟り、独り哭いた。


 心なんてあるのかどうかも分からない人形の偽の慟哭に、空までもが大粒の涙を流し始めた。



☆ ☆ ☆ ☆


 旧立川市の玄武山普濟寺は禅宗のうち臨済宗建長寺派に属する多摩地域における同宗派屈指の寺院だった――のも今は昔の話。

 宗教戦争による各宗教組織の敗北を受け執り行われた『宗教解体』によって、様々な教典や宗教的な価値ある資料は失われ、寺院や神社などは取り壊しの憂き目にあった。件の普濟寺もそうした被害にあった寺院の一つだ。

 かつては太鼓橋と呼ばれる端正な石造りの橋を渡った向こう側に立派な本堂が立っており、六面石幢と呼ばれる国宝も存在した。

 だが、全国の寺院の仏像や彫刻など芸術的価値のある物は全て政府によって取り壊し前に没収されており、現存するそれらの品は、現在の日本で唯一仏像や寺院などの宗教的建造物が保存、保護されている『極楽特区京國』にて一律で管理されている。

 その為、現在の普濟寺はまさに跡地と呼ぶにふさわしい荒れ地に手入れがされなくなって久しい無数の古びた墓石ばかり立ち並ぶ薄気味悪い空間と化していた。


 しかし、その無数に並んだ墓石の一つに、妙な記号を刻まれたモノが混ざっている事を知る者は現政府の中にはいない。

 そしてその墓石の下に秘密の地下階段の扉があり、普濟寺の地下空間に大戦時に隠れ仏教徒たちが用意した秘密の部屋がある事を知る者は、この国を見渡しても数える程しかいないだろう。


 そして五百年以上の時を生きる時和極夜は、その数少ない秘密を知る者の一人だった。

 普濟寺の敷地一杯に広がる広大な地下空間をぐるりと一周囲むように設置された蝋燭の薄明かりに照らされる中、来迎印を結ぶ高さ三メートル強の聖観世音菩薩像のレプリカが台座上、鈍い金色を放っている。

 そんな空間で観音像以上の神威と霊力を放つ存在が一人――否、一匹。


「さて、先ほどは辛い役目をさせてしまってすまなかった。だがおかげで助かったとも。きっとぼくだけでは弱かった」

「その思ってもない感謝を口にするのは辞めろ。反吐が出そうだ」


 妖狐の容赦ない物言いに極夜は苦笑を浮かべる。

 彼としては本気で言っているつもりなのだが、どうも他者に自分の感情がうまく伝わらないきらいがあるのが極夜の最近の悩みだった。


「それよりも、貴様がぼくに話した事は事実なんだろうな――」――


 ――千年妖狐の裏切り。

 いくつかの思惑が絡み合った果てに起きた愚かしいその喜劇について語るには、少しばかり時間を遡らなくてはならない。

 坐武羅襲撃の前夜。仮眠に入った妖狐が異音を捉えた一幕を覚えているだろうか。転換点となる事象は、その直後に発生する。


『――「円環輪廻の五百年」……確かに貴様はそう言った。誰も知る筈のない言葉でぼくを惑わす愚か者はどこの誰かと思ったが……まさか貴様だったとはな、時和極夜。ぼくに一体何の用だ? その喉笛を噛み砕かれに来たのか?』


 おかしな音が聞こえた直後。妖狐は何者かによって拘束され、喜逸達から数キロ離れた場所に瞬時に移動させられていた。

 本来であればこの時点で奇襲を仕掛けてきた敵は喜逸を殺す事も、妖狐を殺す事も容易だったに違いない。

 では、何故それをしなかったのか。


『はは、早とちりにも程がある。もっと平和的に事を進めようじゃないか。……君とこうしてまともに話すのも、今回が初めてだったかな? 千年妖狐君』


 決まっている。眼前の男が単純な利益や損得の価値観を持たない狂った道化だからだ。


『残念だったな、永久人。ぼくはこれから先も貴様のような者とまともに会話をする気はさらさらない。ぼくの拘束を今すぐ解け、そして失せろ。今なら取って食わずに見逃してやる』


 視線だけで人を射殺せる怪異がいるとしたら、それはこんな瞳をしているのだろう。

 金色に赤の瞳孔を浮かべた瞳を怒りと憎悪に燃え上がらせる妖狐を見て極夜はそう思った。


『捕まっているというのに偉そうな怪異だ。喜逸君はこういう気が強そうなのが好みなのか』

『貴様……っ、その薄汚い口できーつの名を呼ぶなッ』

『ははは、怖い怖い。今にも噛みつかれてしまいそうだ。喜逸君は、将来苦労するだろうな』


 後ろ手に縄で縛られ、さらに的確な位置に幾重にも張り付けた結界符で霊力の流れを寸断され無力化されている妖狐に抵抗の術はない。

 それでも極夜の喉笛を噛み砕こうと牙を剥き出しに尻尾も獣耳も逆立て力任せにもがくその姿には、人間では決してあり得ない獣の迫力がある。


『そう睨まないでくれ。僕としても、君をこうして捕らえ、縛っているのは本意ではないのだよ。君には是非、僕の計画に協力して貰いたいと考えているんだが……』

『あり得ない。ふざけているのか? ぼくはな、貴様に怒っているんだ。ぼくときーつは一緒にいなきゃならないのにっ、それを貴様が……ッ! この罪、そう容易く償えると――』

『――そう、話はまさにソレだソレなのだよ千年妖狐君。僕は、僕と僕の愛する者達のために今の世界を滅ぼしたい。そしてその愛する者達には当然、喜逸君も含まれている。それが何故かは君も知っているだろう。それは僕が彼の父親で家族だからだ。そして君も、大切な人の幸せを願っている。まさしく、僕と同じように、だ』


 怒りのままに吐き捨てようとした妖狐の言葉を遮るタイミングで呼吸を乱し、言葉巧みにうまく感情を操作する極夜のソレは、霊力など欠片籠められていない単なる話術でしかない。

 ほんの些細な仕草、呼吸や目線で他者の意識を思うがままに誘導する人心掌握術とも呼べる霊力を用いないその呪術は、彼が霊魂革命を世界に齎したカリスマ研究者であり、五百年が経った今なお世界を支配する『白十字』のトップに君臨し続ける要因の一つでもあるのだろう。


『世界を、滅ぼすだと……? それは、この終わりの終わらない世界をか?』


 案の定獲物は反応した。しかしそれは、極夜の話に対しプラスの感情を抱いたからではない。

 むしろその逆。

 今の話の中に、妖狐が絶対に許容できないワードが入っていたからだ。


 ならばもう一押し、妖狐が絶対に食いつかざるを得ない極上の餌を投じるのみ。


『ああ、そうだ。僕はこの終わらない終わりにある意味では一つの幕を下ろす事を望んでいる。そして君は斑輝喜逸とこのまま一生一緒に生きていたいと願っている。変化を望まない君にとって、僕の計画は一見邪魔に見えるかもしれない。だが――一つ質問しよう。君は今のままで本当に喜逸君と永遠を生きていけると思っているのか?』

『……どういう意味だ』


 思わずそう尋ねてしまった――否、そう尋ねる他なかった妖狐に、極夜は内心ほくそ笑む。


 ……ああ、彼女は自ら最後の一歩を踏み込んでしまった。もう、戻れない。後は、これより放たれる時和極夜の遅効性の呪が、毒が、静かに妖狐を蝕んでいくのを待つだけだ。


『君だって知っているだろう? 斑輝喜逸の正体を。ならば当然の帰結だと思うのだが――』


 極夜の毒蛇のような薄い笑みが、うす暗がりの中、その口元に微かに浮かぶ。


 そうして運命の歯車は円環輪廻の如く、恙なく順当に狂いだす。


 これより数刻後、斑輝喜逸を失意と絶望の淵に叩き込む、残酷な子供の如き遊び心に富んだサプライズが実行される事になる――そうして、時は戻り再び現在。


 妖狐に致命的な一歩を踏み出させた、遊び心に溢れた極夜の悪意が開示される――


「――勿論だとも。既に彼が永久人になって五百年。次の五百年を、彼の身体はともかく魂はもう耐えられないだろう。斑輝喜逸はもう保たない。だからこそ僕らで救うんだ。この世界を終わらせて、大切な者と二度と離れ離れになんてならない為に」

「なら……、一つ聞かせろ。何故、あの場できーつを殺さなかった? 貴様なら容易だった筈だ。どうして……どうしてぼくなんだっ。答えろ、時和……いや、斑輝極夜」

「ん、ああ。なんだ、そんな事か」


 奥歯を噛み締め深刻な顔で問いかける妖狐に、極夜は緊張感のない少年のような笑みで、


「簡単だ。どうせ殺されるなら、愛する人に殺された方が喜逸君も幸せだろうと思ってな」


 世界を滅ぼすのはいつだって愛と正義だ。


 そんな簡単な事実を彼は誰より知っていた。

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