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・ギア/サード 魂葬者、斑輝喜逸・壱――温泉と魂葬者

 ――『やっほー、御主サマこんちなみーっ。凡人サマ天才サマ変態サマ、果ては愚かで道化じみた可愛い可愛い御主サマまで完璧にサポートする自律学習型天才人工知能ナビゲーターの〝ちなみ〟でーす!』




 ――「……ふふ、きーつはやっぱり優しいなぁ……」




 ――「――坐武羅ァあああああああああああああああああああああッ!!」




 ――「――《嗚呼、御仏よ。欲深き我が身をどうか、どうか救い給え。許し給え。極楽浄土聖衆来迎の楽。南無阿弥陀仏、一即一切融通無碍》――」

















 第三章(ギア/サード) 魂葬者、斑輝喜逸





 翌日。

 結局野宿で夜を越した喜逸たちは朝から目的地へと出発した。

 そしてお昼すぎの現在――能岳、中腹。頂上へと至る山道の途中木々の少ない開けた場所に『反永久人軍第四十二機動小隊』の面々は布と丸太で即興のテントを組み簡素なベースキャンプを張っていた。


 テントは寝泊まりする用だけでなく食事処や酒屋、果実や肉を売る売店もあるらしく、昼飯時を過ぎたと言うのに鼻孔をくすぐるいい匂いと、それに群がる人の群れでちょっとした市場のような賑わいを見せている。

 実際、この場にいるのは全員が全員『反永久人軍』のメンバーという訳ではなく、炊き出しを食べに来ていたり、収穫した野菜などを持ち寄って屋台の商品との物々交換に来る近隣住民の姿も目に付いた。


 喜逸にとっては馴染みある光景だが、妖狐にとっては珍しい景色なのだろう。

 変化の妖術で耳を頭巾に、尻尾をスカートに変化させ喜逸の隠形符で強過ぎる陰気を隠した妖狐は、珍しく弱々しい様子で喜逸の背中に張り付きマントを掴んだまま居心地悪そうに周囲を見渡している。


「予想通りと言えばそれまでなんだが……小坊主どもが多い……いや多すぎるだろうコレは」


反永久人軍(レジスタンス)』とは『白十字(ホワイトクロス)』が支配する世界に抵抗する人々が作りあげた反政府勢力だ。

 日本では生存者の約五割が何らかの形で『反永久人軍』に属している、もしくは協力関係にあると言われていて、世界を統べる『白十字』ですら無視できない大勢力を誇っている。


 仮にも軍を名乗る集団、構成人員はさぞ実力者揃い……かと思えば、『反永久人軍』はメンバーの八割以上が何ら特別な力を持たない一般人で、『白十字』が未だ『反永久人軍』を殲滅しない最大の理由がソレではないかとも言われていた。

 彼等は表向きには世界に救いを齎した救世主であり正義の味方なので、戸籍がないとは言え無力な人間を一方的に傷つける事は出来ないのだ。


「お、『狐目』の旦那ァ、一週間ぶりでさァ。調子はどうですかい」

「別に、いつも通りだ。てかその名前で呼ぶんじゃねえ、殺すぞ三秒で。……そんな事より今は留守みてえだが、竹熊の野郎に会ったら言っといてくれ。次デマ掴ませたら承知しねえ、ってな。あと、これ。賠償金の請求書、渡しといてくれ」

「がははっ、あいつも旦那相手にヘマするたぁついてねぇや。伝言の件、任されましたぜ」


 喋りかけてきた強面の店主に軽く手を振り、喜逸は迷う素振りもなくキャンプを進んで行く。

 目的地……というより、目的の人物がいる場所は決まっているからだ。


「狐目ねぇ……ふぅん。まったく、可愛いヤツめ。照れなくてもいいんだぞ、きーつ」

「……耳ざとい野郎だ。別に俺は狐に対して特別思い入れなんざねえ。だから期待に満ちた眼差しを向けるんじゃねえ。ただの蔑称だ」


 キラキラと目を輝かせて嬉しそうな妖狐に喜逸は露骨に嫌な顔をする。

 『狐目』というのは喜逸に付けられた仇名だ。目つきが悪い一匹狼だが狼と呼ぶには些か小さい。だから『狐目』。

 喜逸は呼ばれる度に相手をぶん殴る事にしているが、今は忙しくてそれどころではない。


「なあ、きーつ。ここは坊主ばかりでつまらん、もう帰ろう。折角の旅だ、もっと楽しい所へ行こう」

「帰らねえよ。てか坊主が多くて当然だろ、腐っても『反永久人軍』の拠点だぞ、此処は」


 坊主が嫌いなのだろう。

 駄々をこねる子供みたいにマントを引っ張ってくる妖狐の意見をぴしゃりと跳ね除けると、ちなみが飢えた狼ばりに目を光らせここぞとばかりに喜逸の言葉に対して補足を始める。


『世界で一番初めに「白十字」に楯突いたのは魂葬者でも霊術師でもなく、世界各国の「宗教組織」ですからねー。ちなみに、第四次世界大戦とも言われる「宗教戦争」を引き起こした彼等の残党が「反永久人軍」を作ったそうです。残存する仏教徒も、殆ど所属してるとか』

「坊主には霊術師や魂葬者も多いからな。それに、教えを広めるのにも便利なんだろうよ」

「昨日の坐武羅とか言う奴みたいにか?」

「……まあな。アレも一応は坊主名乗ってたしな。頭に自称が付きそうだが」


 彼等はこうして移動式の拠点を持っていて、一から数か月単位で場所を変え、地域を変え、人に手を出す『永久人』や人に仇名す怪異を排除しながら全国を巡り各地で同志を集っている。

 喜逸は所属先などないフリーの魂葬者だが、彼等のルートに合せて移動する事が多い。


 理由は単純、喜逸のようなフリーの魂葬者は、『反永久人軍』から仕事を分けて貰う事で報酬を得て日銭を稼ぎ生計を立てているから。

 そしてもう一つの理由が――


「――お、上等なカモがネギ背負ってやってきたかっ。にしてもウケるわ。竹ちん雑いから情報は何度も確認させた方がいいって忠告したげたのに結局無駄になってやがんのっ……ししっ」


 出会い頭に傷口に塩を塗りたくってくる女に、喜逸は思わず苦笑を零した。


「……相変わらず耳が早いなクソッタレ。てか、それがお得意様に対する態度かよ」

「らっしゃいマーくん。スカ掴まされてご愁傷様なトコ、早速いい依頼入ってるよ……ん? なんだ、新しい女の子のツレか?」 


 背中にひっついて離れない妖狐を目ざとく見つけた女の目尻がニヤリと嫌な歪みを見せる。


「……へぇ、ちなみちゃんと言いマーくんもなかなか隅に置けないじゃんか……ししっ」

「うるせえ黙れ三秒で仕事しろ帰るぞ」

「……ししっ! 相変わらず口が悪い男だ。新顔ちゃんもちなみちゃんもらっしゃいだ、万屋那由那へようこそってね……ししっ」


 青髪のボブヘアーにペストマスクで鼻から下を覆い隠し、鎖帷子風のセーターに半身を包みスパッツの上に腰布を巻いた珍妙な格好の自称万屋にして腐れ縁の仕事仲間、那由那が独特の笑い声で喜逸を出迎えた。

 彼女こそが喜逸がベースキャンプに立ち寄る理由の二つ目である。


『那由那サマ、こんちなみーっ、お久ですね。ちなみに依頼ってどんなのですかー?』

「はいはい、こんちなみーっ……て何だ、ソレ。ちなみちゃんの新しい挨拶か?」

『ふっふっふー、よくぞ聞いてくださいました那由那サマ。これは最近ちなみが開発した――』

「おい、無駄話は後にしろ。こっちも先を急がなきゃならねぇ事情があんだよ。つう訳で、依頼の話は後にしてくれ。とりあえず先にいつもの頼む」

「りょーい、っと。術符の補充と、壊れた腕のパーツに燃料……っと、じゃあ、ちなみちゃん。補充する術符と交換が必要なパーツだけアタシにおせーてくれ」

『ちなみもりょーいでーす。……ふんだ、御主サマのノリが悪くてちなみの挨拶に全然ツッコんでくれないから、ちなみは那由那サマに聞いてもらおうと思ったのにぃ』

「あー、そうかよ。じゃあ折角だ、この機会にたっぷり三日分くらい話を聞いて貰え」


 額からゴーグルを外して那由那に渡すと、二人は喜逸抜きで勝手に必要なパーツの選別を始めてしまう。

 何となく手持ち無沙汰になった喜逸は、相変わらずマントの裾を掴んで離そうとしない妖狐へ向き直り、上目遣いにこちらを見上げる少女目掛けてぶっきらぼうに言い放った。


「おい、行くぞ」

「? 何だ、きーつはここで買い物をするんじゃなかったのか?」

「ちなみに任せとけば問題はねえよ。それに言ったろ、これから先も世話になる場所だって。お前に迷子になられても困るからな、あいつらが終わるまで案内してやる。それと、ここには仮設温泉もあるんだ。なんつうか……女ってのは好きだろ、温泉とか、なんかそういうの」


 妖狐の方も見ず、何故かまくし立てるような早口で言い終える。

 言うべき事は言ったのだから、それだけで良かった筈なのに、なぜか気になって盗み見るように喜逸は妖狐の顔を見てしまう。

 すると、鳩が豆鉄砲を食ったような呆けた面でこちらを見ていた妖狐が、お日様が顔を出すように破顔するその瞬間を不覚にも目撃してしまった。


「――うんっ!」


 ……その真っすぐな笑顔はずるいだろ。

 喜逸は彼女から目を逸らさずにはいられなかった。



☆ ☆ ☆ ☆



 主要な施設のテントの形を一通り教え、途中明らかに物欲しそうな顔で眺めていた焼き芋を買ってやった。

 夏だってのにそんなもんがいいのかと喜逸が尋ねると、妖狐は半分に割った焼き芋から昇る蒸気を胸一杯に吸い込んで、夏なのにこんなものを食べるのがいいんだと、何故か寂しげに笑った。


 狐のくせに猫舌なのか「あふっ、ほふ、あふっ、」とバタバタしながら芋を頬張る姿には笑ったが、危うく耳と尻尾の変化が解けかかった時には冷や汗を掻いた。

 大慌てで隠そうと往来で背中から妖狐を抱きしめる羽目になった。


 顔見知りからは口笛を吹かれ囃し立てられるし、変化の解けかかった妖狐は妖狐で嬉しそうに「人目もあるのに大胆だな、きーつは。ぼくは一向に構わないが?」なんて底意地の悪い笑みを浮かべているしで最悪だった。

 とりあえず耳を頭巾に戻した妖狐の頭をグーで殴った。


 結局、妖狐は半分に割った焼き芋の片方だけを食べた。

 ヒヤリとする出来事もあったが、これだけ幸せそうに食べ物を食う姿を見せられて悪い気はしない。

 何せ見た目だけは可愛らしい少女なのだ。幸せそうな姿は絵になる。


 妖狐は残った半分を一瞬喜逸に食べさせようとして何かを思い出したようにハッとなり、「俺はいらないからな」と喜逸が断っても頑なに自分では食べようとせず、半分になった焼き芋を包み直して大事そうに懐にしまっていた。

 何を考えているのか相変わらず謎だ。


「てかお前、芋が好きなのか?」

「む、ぼくが芋を好きで、なにかおかしいか?」


 少し傷ついたような顔をする妖狐に、喜逸は思わず苦笑いして、


「いや、そういう訳じゃねえよ。魚獲ってはしゃいだり、狐っぽくねえなと思っただけだ」

「さ、魚の話はもうするなっ。狐にだって、色々趣味趣向はあるんだッ」

「ま、確かにサツマイモは美味いしな。普段喰ってる塩芋なんざ塩の塩っ気しかねえが、焼き芋にしたサツマイモのしっとりとした甘さは俺も嫌いじゃ――」


 ――あれ? と、くだらない会話の途中でふと喜逸を違和感が襲った。

 ……最後に焼き芋を食べたのはいつだったか。

 知識としての味の情報はあるのだが、実際にどんな甘味だったか、喜逸は頭に靄が掛ったようにその味を思い出す事が出来なかったのだ。

 こんな事なら意地を張らずに一口くらい貰っておけば良かったと思う喜逸だった。


 十五分もかからずキャンプの案内を終えた後、喜逸達は一際大きな仮温泉呂のあるテントへ向かった。

 一緒に男湯に入ろうとしてくる妖狐を全力で女湯の暖簾の中へ押し込み、自分は自分でカラスの行水でさっさと汗を流し終える。

 ちなみに喜逸の義手は完全防水使用である。


 仮設なのは建物だけで、しっかり湧き出た天然温泉を使用している湯から早々に上がろうとして、喜逸の腕を掴む水中から伸びる手に阻まれた。


「……おい、お前な」


 さっきまで貸切同然だった湯に、喜逸以外の利用者は当然いない。

 であれば喜逸の腕を掴んで離さないこの小さな手が誰のものであるか、簡単に予想はつく。


「知ってるか、きーつ。温泉というのは仕切りで女湯男湯に分けられているだけで、お湯自体は繋がっているんだ。実質、ぼくらはずっと同じ一つのお湯に浸かっていたと言ってもいい」


 案の定だった。


「三秒でその手を離せ全裸痴女狐。大声で叫んで助けを呼ばれてえか?」

「そしてぼくは変化の達人だ。仕切りの隙間を小魚の姿になって掻い潜るくらい訳はない」

「そうかよ、なら変化したお前を魚と間違えて塩焼きにしても仕方がねえって事だな。今度喰ってやるからまた魚か鹿にでも化けてくれ。調理しやすくて食いでがあるヤツで頼むわ」


 吐き捨てるようにそう言って、強引に妖狐の手を振りほどこうとして、


「――まって、」


 背中に、柔らかく燃えるような熱を持った小さな身体がしな垂れ掛かってきた。

 着物越しでは分からないと言ったが、一糸纏わぬ姿でこうも密着されては、確かに胸に実った柔らかい双丘の存在がその細かな形まではっきりと感じ取れてしまう。

 繊細で柔らかく滑らかな肌の感触が、背筋を擽る少女の熱っぽい吐息が、否が応にも喜逸の頬に熱を差し込む。


「おい、お前ッ。本当いい加減に――」


 怒りと苛立ちその他諸々が限界に達した喜逸が声を荒げようとして、そこで異変に気が付く。


 縋るように背中に触れる妖狐の身体は、雷に怯える子供のように小刻みに震えていたのだ。


「――人が、入ってきたんだ。知らない人が、女湯に」

「そりゃあ、まあ。入ってくるだろうよ。女ってのはどいつもこいつも温泉が好きだしな」

「人は、好きだ。でも……怖い。……馬鹿みたいな事を言っている自覚はある。なにせぼくは千年妖狐。全能ではないにせよ、ちょっとした最強だ。人間如き、何匹束になろうが恐れるに足らず、降りかかる火の粉は全てこの手で払ってきた。そんな化け物が、今更何を言ってるんだと思うだろう?」


 湯から立ち上がりかけていた喜逸は、その場にどかっと腰を下ろして湯の中で胡坐を掻くと、


「……別に。強さ弱さ関係なく、テメェへ明確な敵意や殺意を向けてくる相手なんざ恐ろしいに決まってんだろ。恐怖を感じるには充分な理由だ。それを何とも思わなくなった時点で心が死んでんだよ」


 皮肉な話だ。喜逸はもう、敵である永久人や怪異に対して恐怖など抱かなくなって久しい。

 妖狐や坐武羅のような遥か格上と対峙した時だって、向けられる殺意や敵意に真っ当な恐怖を感じた事はない。

 むしろ魂葬者である喜逸は常に誰かの恐怖の対象として君臨している。


 だというのに、そんな喜逸より遥かに怪物で命無き怪異である筈の妖狐の方が豊かな感性や純粋な心を残していると言うのだから。

 これではどっちが怪物なのか分かったものではない。


「なあ、きーつ」


 妖狐もその場に腰を下ろす。

 座り込んだ喜逸の背中を背もたれにして寄りかかってくる。触れる尻尾がくすぐったい。


「なんだよ」

「もう少しだけ、……その、こうしていてもいいか?」

「知るかよ。俺はあと少しここで座って寝る。……人が眠ってる間に好き勝手気付かれねぇようにイタズラするのは、怪異の習性みたいなモンだろ」

「……ふふ、きーつはやっぱり優しいなぁ……」


 嬉しそうにそう言って、水中で妖狐の尻尾が喜逸の腰にぐるりと巻き付いてきた。

 ……何がもう少しだけだ。逃がす気なんざねえじゃねえか。


 それにしても、こんなにゆっくりと湯船に浸かるのはいつぶりだろうか。

 喜逸はいつも己の中にある身悶えするような焦燥感に突き動かされ、生き急ぐように生きてきた。長湯をすることは勿論、湯船に浸かりながら誰かを待つなど、本来の彼であればあり得ない事だ。


 しかし……何故だろう。

 喜逸の中に常にあった悶えるような焦燥感が、彼女と一緒に過ごしている間だけは酷く薄まっている。

 妖狐の隣にいる今、喜逸には不思議な安堵感があるのだ。

 妖狐と共にある時の、不思議な心地良さの正体を喜逸は掴んだような気がした。


 背中合わせにお湯に浸かる一人と一匹。

 時折ちょぽんとお湯が跳ねる音と、湯船に注がれるお湯の音が途絶える事無く淡々と穏やかな合唱を奏でていて心地がいい。


 しかし、お湯に浸かったままうたた寝をするには些か温度が高すぎるかもしれない。

 これではすぐにのぼせてしまう。


 茹ったように顔を朱に染めながら、瞳を閉じる喜逸はしばしそんな事を考えていた。



☆ ☆ ☆ ☆



 風呂上り。

 厠に行った妖狐を待つ間、火照った身体を冷ます為に人気のない資材置場で竹筒の水を湯上りの喉に流し込んでいると、背後から声がかけられた。


「――なあ、さっきの子って『憑き者』か?」


 『憑き者』、というのはその名の通り怪異に憑かれた人間の事を指す呼称だ。


「……なんでそう思う?」

「人間の霊力って感じじゃないだろ、アレ。ま、だから隠したんだろーけど、それで逆に気になってな、つい探っちまったわ。悪いね……ししっ」

「……人間じゃないって分かってんなら『憑き者』じゃないってのも分かってんだろ。相変わらずいい性格してやがるよ、お前ってヤツは」

『あ、ちなみにちなみは那由那サマに一ミリもヒントを与えてませんよ?』

「別に疑ってねえっての。相手は那由那だし、バレる覚悟はしてた。ほらよ、これで満足か?」


 財布を漁り、入っていた紙幣を全て那由那に渡して代わりに彼女からゴーグルを受け取る。口止め料だ。

 マスクを付けているだけあって那由那の口は堅い方……金さえ払えばだが。


「お、珍しく気前がいいじゃんか……ししっ、毎度ありぃ」

「それ俺の全財産だから。燃料とパーツ、術符代も込みな」

「えー、それじゃあいつもとあんま変わらんじゃんかっ。マーくんのけちーっ、不良面―っ」


 文句を言いつつも元よりダメ元だったのか、那由那はそれ以上は金を求めようとせず、


「……ししっ、それにしてもどういう風の吹き回しなのさ。マーくんの野望って、永久人をぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺しまくる事じゃなかったっけ?」

「別にアレは『永久人』じゃねえ。単なる狐だ」

「千年生きた怪異の主、魂葬者の悉くを返り討ちにした伝説の妖狐様が単なる狐?」

「……分かってんなら話は早いだろ。単純に殺せねえんだよアレは。今の俺じゃあ、まだな」 


 喜逸とて狐と旅をする道中、一度はベースキャンプの連中に全てを話し霊術師や魂葬者総出の討伐作戦の実行も考えたが――結局その案は却下され実行に移される事はなかった。

 喜逸の心境の変化はともかくとして――ちゃんと理由はある。


 単に千年妖狐が強すぎるのだ。


「俺が手も足も出なかったんだ。あの場にいる連中全員巻き込んだ所で、勝ち目が生まれるとも思えねぇ。アレが何を考えてるかは知らねえが、害意があるなら俺達は今頃もう死んでる。敵意がない事だけは俺が保証してやる。だからアレの気が済むまで好きにやらせた方が都合がいいだろ。少なくとも、俺達と一緒にいる間は新たな犠牲者が出る事はねえからな」

「……へー。ふぅん、なるほどねぇー」


 喜逸の言い分に納得したのかしていないのか、那由那はよく分からない含みある返事をして、


「ま、マーくんがそれでいいなら何でもいいや。そんな事よりさっ、高額の依頼が入ってるんだけどマーくんたち受けない?」

「あー、悪ぃ那由那。実は今とあるクソ野郎を追っててそれどころじゃねえんだ。それに、『反永久人軍』の方で共有して、周囲の村に拡散して貰いたい情報が――」

「――内容はズバリ、人間を襲って殺す凶悪『魂葬者(デッド・エンド)』の討伐――『反永久人軍(レジスタンス)』本部直々の依頼だから報酬は期待できるぜぇ? ……ししっ」


 喜逸の言葉を遮って告げられたその内容に、思わずゴーグルの中のちなみと顔を見合わせた。



☆ ☆ ☆ ☆



 ベースキャンプを後にする斑輝喜逸と怪異の少女の背中へ適当に手を振りながら、那由那はペストマスクの下の口元に詐欺師じみた笑みを浮かべていた。


「……ししっ、悪いねぇ、マーくん。売れるものは何でも売るのがアタシの仕事で信条でね」


 売れるものは何でも売る。

 那由那にとっては、自分でさえも売り物の一つという認識しかない。

 金以外の重りも含め損得の秤に掛け、天秤が自身の得に傾いた時。

 那由那は容赦も躊躇もなく商人として利益を求め己の仕事を完遂する。


「それにしても変な依頼だったなー。〝斑輝喜逸に自分の情報をそれとなく伝え、自分の元へと誘導しろ〟って。ま、報酬が良かったしアタシは何でもいいんだけどさ……ししっ!」


 那由那は万屋。

 売れる物なら石ころだろうが人骨だろうが情報だろうが友情だって売りに出す。


 ……信頼や絆、その為お金にならない価値ある物を秤に掛けて、なお得に傾けばではあるが。


「ま、こっちも商売だからさ、許してくれとは言わんが勘弁してくれよ? 口止め料はまけてやったんだしさ……ししっ」


 そして今回、那由那は天秤に乗せる重りに喜逸の損失を考慮していない。


 何故なら喜逸の勝利を那由那は微塵も疑わず、また喜逸ならばこんな自分を何だかんだ言って許してくれるだろうというおかしな信頼と確信があったからだ。


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