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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【三章 稔る秋、夕映えを友の影と。】
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断片

 混乱した場が収拾する頃には、既にお昼時をしっかりと逃しており、日向達は遅めの昼食を準備する事となった。

 学校祭での出し物を今の内にシミュレートするという御題目と、一度に全員へ提供出来るメリットを兼ね備えたお好み焼きを作ろうという事になったのだが、新垣家常備の小麦粉に若干の不足が見られそうになったので買い出し隊が結成される事となった。


「それでは行ってきます。他に何か欲しいもの思い付いたら、連絡して下さい」


 買い物に出るのは、この辺りの地理に詳しいという理由から日和と、荷物持ちとして雅が同行する事となる。


「御免ね……昨日の内に確認をしておくべきだった」

「いいえ、そんなに遠くも無いですし、平気ですよ。コンビニよりもハトヤの方がいいんですよね?」

「うん、少し大きめのがいいだろうし……コンビニだと置いてるか分からなくて」


 スニーカーを履きながら頭上の日向を見て、日和は頷いた。


「それでは、三十分しない内には戻ると思いますので」

「行ってらっしゃい、車に気を付けてね」

「子供じゃないんですから、大丈夫ですよ。いざとなったら成瀬先輩を盾にしますから」


 笑いながら日和が玄関を開けて外に出る。一足先に外に出ていた雅が、ドアの隙間から片手を挙げるのが見えて、日向も片手を挙げて応えた。



「………さて、ちゃっちゃと済ませるかね」


 雅が前方を見ながら歩みを進める、その僅か後方から日和が後を追う。

 あまり女子相手にも気を遣う事の無い雅の言動は、日和としてはむしろ好ましい。体育会系で育ったからだろうか、自分から相手に合わせる方が落ち着くのだ。


 正直な所、日向と一緒に買い物に出たかったな、と思わない訳でも無いが、家主が家を空ける訳にはいかないので仕方がない事だった。


「はぁ……」


 思わず漏れる溜息に、雅が軽く振り向いて首を傾げる。


「日和ちゃん、なんか焦ってる?」

「……そんな事、ないです」


 雅は偶に、こんな風に前置きを無視して本題に切り込んでくる事があるのだが、日和は特に驚かない。日向と日和、どちらとも旧知でもあり、自分の気持ちも知られている相手だ。

 今日の自分は明らかに今までと違う行動をしている、と自覚があるので、それも当然の疑問だろうと思った。


「あんまりそういう風には見えんかったけどね」


 言いながら、雅は若干歩調を落として日和の隣まで下がると、その後は何も言わずに歩き続けた。

 暫く無言で歩く二人だが、沈黙を破ったのは日和だ。


「………だって」

「ん?」

「芹沢先輩………おっかないですもん」

「おっかないとは、また」


 笑って答える雅に、日和は頬を膨らませて抗議する。


「そういう意味じゃないですよ?」

「分かってるよ、日向を取られそうで……って事だろ」

「う……わ、分かってるならいいです。ってなんで分かるんですか?! き、気持ち悪いんですけど」

「もう帰りたい、帰って蕾ちゃんに頭撫でて欲しいよ俺は……」


 並んで歩く二人の傍で、街路樹がその少しだけ黄色くなった葉を見せつけるかの様に頭を垂れている。

 季節は秋に近いというのに、気温は依然高く……この時間帯だと、長く歩いてると汗ばんでしまいそうな程だった。

 指摘を受けて赤くなった頬を隠す様にして、日和はちらりと雅を見る。

 自分が居なくなった後、恐らくは蕾を覗いて唯一、日向を傍で見守り続けてきた雅。彼ならば、何か自分の知りたい事を教えてくれるのではないか、そう思った。


「……成瀬先輩は、どうして日向先輩と仲が良いんですか?」

「唐突な質問だけど、それっていつもの、お前に日向の傍に居る資格は無い! みたいにディスられる奴じゃないよね?」

「真面目な質問です」


 茶化そうとした雅を、日和はじっとりとした視線で封じ込める。

 雅は一度空を仰ぎ、遠く漂う雲を数秒眺めてから、前を向いた。


「なんとなく仲良くなってた、としか言い様が無いんだけどなぁ」

「それはもう以前に聞きましたけど……そうじゃなくて……んんぅ難しい……」


 聞きたい事を上手く言葉に出来ないもどかしさに、日和が一度立ち止まって頭を軽く叩く。

 数歩先に進んだ雅は、そんな日和の行動に笑いを堪える様に咳払いした後、口を開いた。


「日向は、俺にとってのヒーローなんだよ」

「……ヒーロー、ですか」

「すげぇ恥ずかしいから、これで勘弁して貰っていい?」


 言いながら頭を掻く雅に、日和は笑顔でキッパリと言い切る。


「ダメです、なんでヒーローなのか、洗いざらい吐いて下さい。じゃないと言い触らします」

「容赦無いね……」


 やがてハトヤが見えて来ると、周囲に人が増えてきたので雅は一時、口を閉じた。

 入口から屋内に入ると、スーパー特有のひんやりとした空気に包まれる。気温が一気に下がってしまい、皮膚の表面の汗が熱を奪い、今度は逆に寒いぐらいだ。

 日和が二の腕を擦るようにしながら進むと、雅は買い物籠を一つ持って、そのまま歩き始めた。

 そして、商品棚を見ながら世間話でもするかの様に、途中になっていた胸の内をつらつらと話し出す。


「俺等の中学ってさ、強い部活とそうじゃない所の差が激しかったろ。その点で言えば、ウチは全然ダメでさ。全国なんて夢の夢、頑張るけれど、頑張る以上の事はしない、っつーのかな」

「……そう、かもしれません」


 何気ない言葉で話す雅の口調は、内容の割には軽くて、日和はどう反応していいのか分からずに首肯する。


「テニス部も、この地域だと強豪に入りますけど、全国区で見た時に上位には入るか微妙でしたから」

「そう、そんな中でさ、俺も俺なりに頑張ってたのよ。んで、そんな時に日向と会ってな」

「端折ってます?」

「端折ってる。恥ずかしいから」


 正直に答える雅は、まだ商品棚にしか目を向けておらず、日和の方をちらりとも見ない。


「最初は普通に話すぐらいだったけど、その内にあいつの練習風景とか見る機会とか、まぁ色々あってな、感化されたんだろうなぁ。世の中には、目標に向かってここまで真っ直ぐに妥協せずに進める奴が居るのか。こういう奴が栄光を掴むとしたら、今の俺にはその資格は無いんだってな。………お、小麦粉発見。メーカーとか別に何でもいいんだよな? 安いのにしちゃうか」


 大きめの小麦粉を一つだけ買い物籠に入れて、雅は再び歩き出す。

 普段、あまりこうしてじっくりと眺める事の無いコーナーの棚を検分していた日和は、慌てて雅の後を追った。


「後は、そのまんまだよ。こいつ凄ぇな、って思って。話してみたら話し易い奴で。何にしても良い奴だった。爽やかだしな、嫌味が無くて、こんな奴となら上手くやれるかもしれないって思った。そしたら今まで続いちまった」

「……じゃあ、何故……他の人達とは疎遠になってしまったのに、成瀬先輩だけが日向先輩の傍に残ってると思います?」

「さぁなぁ。単純に、日向の付き合いが悪くなったからだろ。付き合いが悪くなって、つまんねーと思って、どっか行っちまったんじゃないかな。でも俺はそうは思わなかったからな。日向は……何も変わってねぇよ、何も。……お、ベーコンがある。買って行こうぜ、男子たるもの肉を喰わねば……」


 さっきから、恐らくは照れ隠しも兼ねているであろう雅の言動に、日和は突っ込むべきか迷ってしまう。


「でもな、多分だけど。離れた奴等は日向の『才能』とやらに惹かれたんだ。でも俺は、多分違うんだと思う。俺は日向に才能があるなんて思って無かった。そういうんじゃない、日向はただ、やれる事を精一杯やったんだ。『天才』なんて言葉で表すのが馬鹿げてる。あいつは、ただの誰とも変わらない、俺と同い年の、ただの高校生だよ。……ん? 前は中学生か。ただの中学生」


 言い切る雅の口調は穏やかで、気負いらしい気負いも一切無い、自然なものだった。

 軽く食材の追加を買い込み、レジに持って行く間、一度会話が途切れてしまう。

 会計を済ませて外に出ると、冷房から解放された身体が日差しを浴びて再び熱を持つのが分かる。

 じんわりと暖かい陽光の熱。日和にとって、太陽ひなたとはこうして自分を温めてくれるものだった。


「……私は、変わったのかと思ってました。先輩はテニスでどんどん強くなって、もっと広い世界が見える様になってしまったから変わってしまって。だから私にも何の答えもくれず、私の事なんて考えてくれなかったんだって」

「それは……」

「分かってます、そうじゃないのって。ねぇ成瀬先輩、どうして、日向先輩は私に何の答えもくれなかったんでしょうか……それだけは、まだ聞けなくて。聞いていいのか、分からなくて」


 揺れる日和の瞳が雅を捉える。

 視線を真っ直ぐに受けて、雅が困った様に笑って溜息を吐いた。


「……自分で聞いた方がいいぞ、って言いたいけど、なぁ。……言えねえよなぁ」

「やっぱり……成瀬先輩は、知ってるんですね」


 雅の態度から確信を得た日和が、雅に一歩踏み込むが、雅はそのまま日和の隣を素通りして先に歩いてしまう。


「成瀬先輩、御願いです、教えて下さい……」


 その後ろを付いて歩きながら、日和が雅の背中に問い掛ける。

 ここから先、日向ともっと向き合う為には絶対に聞いておかなくてはならない、そう強く思う。


「……俺から、全部を話すのは流石に日向に悪いからさ。ヒントだけでもいいか? ……言っておくけど、日和ちゃんには少しだけ辛いかもしれないんだけど」


 少しだけ静かなトーンの雅の声が、真剣さを物語っていた。

 いつもの軽薄な口調は鳴りを顰めている。そこにあるのは親友と、そして後輩への情だろうか。


「構いません。受け止めるって、決めましたから」


 だからこそ、日和も心を強く持つと決心出来た。例えこれから、雅の口から齎される事実を結び付けて出てきたのが酷いものでも、受け止めてみせると決めたのだ。

 ゆっくりとした歩調で歩く雅が、一分程の間を置いて口を開く。


「日和ちゃん、なんで日向が蕾ちゃんの親代わりになってるのか、それは知ってる?」

「いえ……直接的な所までは。でも昔から仲は良かったし、変ではないかも、と考えてました。おじさんもおばさんも働いてるし、日向先輩がテニス引退したなら、そういう事になっててもおかしくない、って……」

「だよなぁ、そう考えるよなぁ」


 商店街を行き交う人の流れが段々と乏しくなり、二人はやがていつか日向と悠里が初めて待ち合わせをした公園の前までやってくる。


「ここからが、俺の出せるヒントだ。三つだけ、教えるよ」


 雅は立ち止まり、公園で遊ぶ子供達を遠目に眺める。日和は傍らに立ち、同じ風景を見詰める。

 共に遊ぶ子供達が、いつかの自分と日向と重なって……少し、懐かしさを覚えた。


「蕾ちゃんが、倒れた時があるんだ。日向は、その出来事を酷く悔やんでいて……それが日向の今の生き方を決めさせた第一の出来事でもある」

「え……」


 淡々と放たれる言葉に、思わず雅を見る。蕾が倒れる……そう聞いた途端、あの元気な蕾が、青白い顔をしてだらりと手足を投げ出している姿が想像された。


「それが、全国大会の一週間前だった」

「…………え」


 ドクン、と心臓が波を打つ音を、日和は聞いた。

(全国大会の一週間前、一週間、一週間……?)


「三つ目のヒントは……日和ちゃんには、言うまでもないよな」

「あ………」


 日和の記憶に、鮮明に残る記憶の一つ。

 試合の為に遠征する日向が、遠くへ行ってしまう気がして、追い付けない場所まで行ってしまう……そんな事になるのが嫌で。


(私は、日向先輩を、電話で呼び出して……)


 その場所は、この公園とよく似た、スクールの裏にある空き地だった。


(精一杯、自分の気持ちをぶつけて……大会が終わったら、答えが欲しいとだけ伝えて)


 あの時の日向は、どんな表情だっただろうか。

 大会前に動揺させる、邪魔な後輩だと思っただろうか。それとも、もしも日向が自分と同じ気持ちだったなら、彼を勇気づける事が出来ただろうか。当時はそんな風に考えていて。


 肌が粟立つ感覚があった。手に力が入らなくて、唇が震え出す。


「わ……たし」


 そんな日和を、雅は慈しむ様に黙って見守る。


「あいつは、天才なんかじゃないんだ。いつだって、自分に出来る事を自分の全部でやり切るしかない、中途半端にやらないから、あいつはテニスで頂点を目指せた。……選択と集中、って言うのかね。これも」


 もしも、あの時に日向へ気持ちを伝えた人間が日和じゃなければ。日向は、その子にはしっかりと答えを返せたのだろう。

 だけど、日和にだけは、出来なかった。


(家族と同じぐらい、親しくて。そして恐らくは日向にとって初恋になるかもしれない日和ちゃん相手に、実の家族と天秤に掛けてどっちを優先しようと決めたか、なんて……言えねぇよなぁ)


 雅自身、日向から相当な時間を掛けてこの真実を聞き出したのだ。

 そして同時に、恋愛と子育てを両立ぐらいは可能なんじゃないかと思って、その後の日向の生活を見て……その考えを改めた。


 日向の苦悩は、日向にしか分からない。今、日和が抱えている苦悩もまた、日和にしか分からない。

 隣に立っても、その苦悩を全て分かち合う事は出来ないのだ。


「さっきの、なんで俺が日向の傍に今も居るのか、だっけか」

「……成瀬先輩?」


 力の無い日和の瞳が雅を見詰める。だけど、彼女もいずれ乗り越えるだろうと雅は確信している。

 自分達は少なくとも、あの時よりは大人になったのだから、と。


「ただ、俺ぐらいはな。変わらずに居た方がいいなって。あいつの近くから誰も彼も居なくなるのなんて、まるであいつの決断が間違ってるみたいじゃねぇか。そんな事は無いだろ」


 日向の決意と決断が、正しいとは思わない。間違ってるとも思わない。恐らくはそういう問題ではない。

 無数の行動と同じぐらい、無数の結末があった。けれど、一人の人間がその全てを自由に選べる訳では無いのだ。

 未熟さ故に選んでしまう行動や、誤ってしまう事もある。だが、その事を否定してしまえば、世の中の全ては正しいと正しくないの両極端になってしまう。

 だからこそ、雅はただ尊重する事を選んだ。日向が選んだ行動と結末を、ただ傍で肯定も否定もせず、変わらずに居続ける事で。


「いつか、日向と答え合わせをしてみなよ。というよりしてくれ、俺が間違った事を言ってたら間違いなく殴られるからな……!」


 いつもの様におどけた様子で雅が顔を顰める。その仕草が今は優しく思えて、日和は涙目になりながら微かに笑った。


「………はい」

「もうちょい落ち着いてから戻った方がいいぞ。その状態だと俺が日和ちゃん泣かせたみたいになってる。事案になる」

「………間違ってないじゃないですか」

「勘弁してくれ……」


 そう残して、一人でさっさと買い物袋を片手に道を進む雅の背中を、日和は見届けた。



「………日向先輩の、馬鹿……」

サブタイトルの通り、ここではまだ当時の日向の心中全ては日和には分かりません。

ただ一点、言葉で表すのなら『タイミングが悪かった』に尽きるのかも……。


こういう『言ってくれたら良かったのに』って思える事が現実にもありますが

そう思えるのって、時間が経ったからこそ、なのかなぁ、って思って書いたシーンになります。

(半分衝動的なのはいつものパターン……)

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