秋の空、雷雨伴い。
目の前に並んで座る二人を見て、悠里は内心で酷く動揺していた。
この二人の間に何か特別な絆がある事や、日和が日向へ向ける視線の意味も、今まで共に過ごした出来事を通じて悠里は気付いている。
その日和が、今は周りの目を気にする事無く積極的に日向と距離を詰めようとしている。それに加え、以前に唯が言っていた通りに最近の日和は何と言うか、色気があるのだ。
恋愛が女性を強く美しくするという、テレビコマーシャルか何かで聞いた言葉が頭の中を駆け回る。それが事実を示している事を、日和が体現していると思えるぐらい、日和は変化している。
(それに比べて私は……なんか、ダメだなぁ)
好意を自覚してから今まで、悠里が日向に対して行った事は全て友人としての枠を出ない。
そして先日の記事を見付けて落ち込んで、今日こうして日向と顔を合わせて……あんまり会話も出来ていない。
(あぁぁもう……何やってるんだろ私……)
「ゆーりちゃん?」
ふと、悠里は隣から自分を覗き込む様に首を傾げている蕾と目が合った。
「ゆーりちゃん、おなかいたいの? だいじょうぶ?」
そう言って、小さな掌で悠里のお腹の辺りを抑えてくれる……その体温が、じんわりと心の中にある塊を溶かしてくれる感覚を覚えた。
「ううん! 大丈夫、平気だよ! さ、勉強会しなくっちゃね。蕾ちゃんは何をやるの?」
「ぱずるー! これね、どうぶつえんのぱずる。もらったの」
蕾が取り出したパズルピースには、キリンやゾウ、ネコやサルなど、様々な動物のイラストと平仮名で書かれた名前が印字してある。
それらを一つ一つ、悠里へと見せてくれる蕾の笑顔は眩しくて、可愛くて、思わず悠里にも笑みが戻る。
「ふふ、いいねーパズル。ちゃんとお勉強も出来るもんね。それじゃ、一緒にお勉強しましょうか!」
「うい!」
妙な返事をする蕾に悠里が笑うと、周囲の友人達も釣られて笑い出す。
「それ、知育教材のサンプルで送られてきたんだよ。最近のサンプルって凄いんだ、凝ったものが多くて……そのまま普通に遊び道具として長く使える物とかあってさ」
蕾が持ち出したパズルの説明を行う日向は、いつも通り饒舌だ。
普段は温厚でそれ程口数が多く無い癖に、蕾に関係する事なんかには途端に口数が多くなる。
いつもはその光景が面白くて、ついつい和んでしまうのだけれど、今日だけは……。
「そ、そう……なんだ?」
「………悠里?」
日向を上手く視界に捉えられず、悠里はすぐに視線を離してしまう。
理不尽な感情だとは思って居ても、日向と……隣に座る日和の距離を見る度に、胸がざわつく感じがして直視していられない。
そんな悠里を今まで黙って横目で見ていた唯が、無言で立ち上がる。
「…………始める前にジュース淹れてこよ。新垣くーん、コップ借りるよーん。成瀬、手伝ってぇ」
「あぁ? ……まぁいいけど、俺も呑みたいし」
軽く雅へと目配せをした唯がそのままキッチンに向かう。その背中を追う様にして雅も渋々と言った形で立ち上がり、同じくキッチンへと向かった。
「あ、俺やるよ、恵那さん達は……」
「いいからいいから、新垣君がキッチン入ったらもう出て来なくなりそうな雰囲気あるし。コップ出すだけならあたし達でも出来るってば」
立ち上がろうとする日向を言葉で制し、唯は先程日向がペットボトルを入れていた冷蔵庫の下段部分を躊躇なく開ける。
その隣で、言われた通り戸棚からコップを人数分出していた雅がぼそりと呟く。
「……他所様の家の冷蔵庫を躊躇い無く開ける、恵那唯という女の恐ろしさよ……」
だけど、雅の呟きに対する唯の言葉は全く関係の無く、そして脈絡の無いものだった。
「あれ、どう思う?」
「あぁ? ……あー。クラスチェンジしてる感じがするな。より攻撃力と速度が上昇している」
「だよねぇ。前から結構積極的だったけど、ここに来て更にだね」
お互いに『何を』とも『誰が』とも言わない。
「そっちは何かあったのか? 微妙に凹んでる感じがするんだけど」
「分かんない。ちょっと前からあんな感じで……今日は大丈夫そうだなって思ったんだけど。あの速攻を見せられてからあの様子でしょ? まぁ、その関係だとは思うんだけど」
主題が伏せられたままの会話をしながら、二人は人数分の飲み物を注いだコップをお盆に置いて、雅がそれを慎重に持ち上げる。
唯は半分程に減ったペットボトルを再び冷蔵庫に仕舞い直しながら口を開いた。
「でも、ま。うちのお嬢様も押されっぱなしじゃ居られんでしょ。割と負けず嫌いだからねぇ」
「……思いっきり、今日の目的とズレて来てないか?」
「いいんじゃない? 別に、噂が困るぅーとか言ってるのは、いわば饅頭怖い理論だし。……で、成瀬。あんたどっちに付くの?」
問い掛けられて、雅は過ってお盆を傾けない様にしながらゆっくりと視線を動かす。
その先には、日和と悠里。そして日向が居る。
「さぁなぁ。俺は日向が良いと思った事を応援するだけかな。人の恋愛沙汰に口を挟む事はしねぇよ」
「いいねぇ男子同士の友情……まぁ、あたしも同じ様なもんかな。悠里とは親友だけど、日和ちゃんも可愛いからね」
最後に二人はそんな言葉を交わして、テーブルへと戻って行った。
勉強会が始まっておよそ一時間、各々が自分のやりたい科目を勉強し、分からない場所は友人へと訊く。
理想的とも言える勉強会風景の中、時折聴こえてくる声に悠里はいまいち集中し切れずに居た。
今もまた聴こえてきた声に、ちらり……と視線を正面に向ける。
「先輩……ここの文法って、これで大丈夫ですかね……」
「えーっと……これは、前置詞が必要だね。この部分の前に置く感じで」
日和が寄せて来たノートの英文を読み、日向がフォローする。そのやり取りが数度繰り返されるのを、悠里はただ黙って眺めているだけだった。
(でも……)
口を一文字に閉めたまま、心の中で沸々と湧き上がる感情を確かめる。
「先輩、糖分摂らないと集中力切れちゃいますよ。はい、どうぞ」
包装を解いたチョコレート菓子を、シャーペンを持ったままの日向の口元へと日和が指先で運ぶ。
「いやいや! ひ、一人で食べられるから……!」
「なんですか、つっつの前だからって恥ずかしがってるんですか」
目の前で繰り広げられる応酬に、悠里は自分の落ち込んでいた気持ちが一周して、むしろムカムカとさえしてくるのを自覚し始める。
(だからって………!)
「あー、おにいちゃん、ひよりちゃんにたべさせてもらってるー」
「新垣君と上月ちゃんって……な、仲いいんだね……」
横合いから、蕾の楽しそうな声と沙希の戸惑いがちな声が相次いで聴こえる。
麗美に至っては、恥ずかしそうに顔を伏せて必死にノートへと集中しようとしている様だが、眼鏡の奥からは時折ちらちらと二人のやり取りをチェックしているのが分かる。
悠里の隣に座る唯が、そっと悠里の手元を見ると「げっ……!」と静かに奇声を発した。
そこには、芯が折れてしまい書けなくなっているシャーペンの先を、ノートへと突き刺す様に立ててある光景が広がっている。
「う、うわぁ……」
唯は蒼褪めて、思わず口元を掌で覆った。
(そりゃ、日向君にとっては蕾ちゃんが一番大事なのは分かるし、日和ちゃんは小さい頃からの知り合いで、可愛くて……やっぱり日向君にとっては大事な女の子で……蕾ちゃんの次に日和ちゃんの事も大事なのは私も分かるけどっ! もう少しさ! もうちょっとさぁ! 私の事も気にしてくれたっていいじゃない!?)
悠里の思考が渦巻く中、蕾を挟んで逆側に座っていた沙希が、蕾の頭上で悠里へとこっそり耳打ちする様に囁いてくる。
「……悠里、悠里。もしかして新垣君が付き合ってるのって、あんたじゃなくて上月ちゃんなの? 凄い良い雰囲気じゃん、あの二人……悠里?」
(一緒に買い物にも行ったし……キャンプだって行ったし、二人で色んな事話したし……もうちょっとぐらい意識してくれてもいいんじゃないかなぁ!)
「おーい……悠里、おーい……?」
ちょんちょん、と沙希が悠里の肩を突くが、悠里は顔を伏せたまま微動だにしない。
遠目からその様子を伺っていた秀平が、隣の雅へと声を掛ける。
「成瀬。芹沢が具合悪そうにしているが、大丈夫なのか」
「や、栁……今は俺に話し掛けるな。俺は勉強しているんだ、俺は何も見てない…」
「お、おぉ……」
その雅の右隣りには日和が座っているのだが、日和がじりじりと日向側へと寄って行く為に今では人が一人入れそうな程に間隔が空いている。
そして日和が日向へと近づく度に、悠里から不穏な気配が漂ってくる事を雅は敏感に感じ取っていた。雅が一瞬だけちらりと悠里へ視線を向けると、伏せられた彼女の表情が遠目から伺える。
悠里の目が据わっていた。
(……………こ、怖ッ!)
全力で視線を教科書に戻し、雅はこの時間だけ、自身を案山子であると定義した。
大変、大変お待たせしております……。
改稿作業に伴い、最初から悠里という女の子を見詰め直していった結果。
ぷっつんしました。(結論)
※既に活動報告で報告させて貰っておりますが、本作の書籍化が決定致しました。
レーベルは角川スニーカー文庫様となります。
イラストレーター、発売日等は今後の発表となります。
皆様の応援のお陰で、こうした一つの評価を頂ける事となりました事、大変嬉しく……本当にありがとう御座います。
今後、改稿作業等が入りまして、まだ以前の様な投稿速度に戻せるかは微妙な所なのですが
胡坐を掻く様な真似はせず、地道に謙虚に邁進して参りますので、今後とも叱咤激励の程、宜しくお願い致します。