売店での出来事。
四限の美術が終わると昼休みになる。
可能なら手が汚れる美術は昼食後にして欲しいと日向は思うが、時間割は教師のスケジュールに左右されるので仕方ない。
「さーってお昼だお昼ー! 唯、食べましょー!」
「あたしお腹空いて二限終わった後にちょーっとだけ食べちゃった。うぅ……おべんとの残機が少ない…」
午前中の授業が終わり教室が騒がしくなると、喧騒に紛れるようにして悠里が唯の机に向かう。
唯は隣に座る悠里に哀愁漂う視線を向けながら嘆いた。
横に目をやれば、今日は予め食事を用意してたのか雅も席に座ったままだ。
日向も弁当を出し、机の上に置く。
今日の弁当は昨日の夕飯で大目に作ったチンジャオロースーに、春雨のサラダだ。
蕾が辛いものは食べられない分、新垣家の中華は辛くないものに偏る傾向がある。
弁当を広げて、そういえば飲み物を用意していなかった、と考えていたのだが。
……その瞬間、頭上からのそりと女性の髪の毛が降り注いできた。
「……ひぃ!?」
日向にしては珍しく慌てた声が出てしまい、雅が何事かと振り向く。
髪の毛の正体は背後から日向の弁当を覗く唯だった。
「あっはは! ごっめーん! いやーこの前さ、お母さんに新垣君のお弁当の話したらね?男子が立派な料理作るのに、あんたはいつまでオママゴトみたいな物作るの! 大学に入って一人暮らしで困る前に練習しなさい! …………って、怒鳴られて」
「ず、随分パワフルなお母さんだね……玉子焼きの味はマイルドだけど……」
「いやーそうなんよー……でもほら、うちってさー、あんまり外食に対して消極的で。食事は作るもの! って考えで固まってて……それでーその、新垣君のお弁当を参考にしていこーって」
あははー、と髪を掻きながら唯が笑う。
そして日向の弁当を見つめると、顎に手を添えて観察し始めた。
「うーん、新垣君のお弁当って、バランスいいよね……男子のご飯って割と茶色い傾向多い気がするんだけど、新垣君のは女の子受け良さそう」
「肉や揚げ物は好きなんだけどね、偏った食事になると後々困っちゃうから、そこは少しだけ考えてるかな」
後々困っちゃうのは、日向ではなく蕾の成長を考えると、なのだが悠里には正しく伝わったらしい。
唯の肩越しに見える表情には『やっぱり基準がそこなのね…』というように半笑いが見えている。
「よし、あたしはこれから新垣君の事を師と仰ぐ事にするよ。あたしの未来の食生活と、嫁に行けるかは師匠に任せた」
仁王立ちで腕を組み、一人でうんうんと頷く唯の姿勢はどう考えても弟子の態度ではなかったが、唯がやると微笑ましく思えてしまう。
「恵那さんが弟子になると、つまみ喰いで弁当全部無くなりそうなんだけど……俺で良ければ、答えられる事には答えるよ」
つい笑ってしまいそうになるのを堪えながら答えると、唯は「いえーい宜しくー! お師さん!」と合掌しながら礼を言って自分の席に戻る。
そんな二人のやり取りを悠里は少しだけ羨ましそうな表情で見つめていた。
「あ、俺ちょっと飲み物買って来るけど、何か買って来て欲しい人居る?」
「じゃあ俺も、なんか炭酸系でもお願いするわ」
会話の途切れ目にそう一言告げて立ち上がる日向に、雅が財布から小銭を取り出す。
悠里と唯は自前の物があるので特に必要無いと返事を貰い、日向は雅からお金を受け取り売店へ向かった。
昼休みの売店は人混みに溢れる。
それでも授業終了直後からは少し時間が経っているので、人は減っている方だが、売店の前にはまだ大勢の生徒が居た。
日向は飲み物を購入する為、売店を横切り自販機コーナーへ足を向ける。
自販機へコインを投入し、受取口から缶を取り出そうとした時、ふと横のベンチに座る女生徒を見つけた。
セミロングのヘアーに整った目鼻で少し目を引く容姿ではあったが、それよりも彼女を印象付けるものが足元にあった。
右足に巻かれた真っ白いギプスと、立て掛けられた松葉杖である。
胸元のリボンは青色になっているのは一年生の証だ。
リボンカラーやネクタイは入学の年によりカラーがローテーションされ、日向達は赤色、先輩は紫になる。
女生徒は売店の方に視線を向け、何をするでもなくじっとしていた。
その左手には財布が握られている。
日向はちらりと売店を見やる。
まだ人垣は出来ており、すんなりと入れる雰囲気ではない。
だが、完全に人が引くのを待っていると昼休みには遅れてしまう。そんな状況だった。
考えていたら、自然と口から声が出ていた。
「……弁当か、パン?」
近くから発せられた声に、女生徒は日向を見上げる。
日向は、売店に向けた視線を女生徒に戻しながら、なるべく穏やかに話しかけた。
「……え?」
か細い、透き通るような声が聞こえる。
「どっちか買おうとしてる?あの中、入って行き辛そうだけど」
飲み物であるなら、この自販機を使えば済む事なので多分そうではないな、とアタリをつけての質問だった。
「あ、はい。もう少し人が引いてから行こうと思って……」
少し顔を俯かせながら女生徒が答える。
ギプスをした一年生。少し内気な性格なのだろうか、答える声は少しだけ弱々しい。
「何がいいとか、ある?俺もパンを買いに行くからさ、ついでに何か買ってくるよ」
何となく、放っておけなかった。
それは日向が本来持つ面倒見の良さなのか、それとも女生徒の雰囲気がそうさせたのか。
どちらにせよ、日頃から蕾へ「困っている人が居たら助けてあげる」事を教育する日向にとっては、そうする事が自然でもあった。
パンを買う予定は無かったが、物のついでとした方が頼み事もし易いだろうという気遣いも含めて。
「あ、いえ……でも悪いです。先輩にその、頼み事をするなんて」
女生徒は日向のネクタイを見ながら呟いた。
「いいよ、その状況を見てそのまま知らぬ振りも据わりが悪いんだ。どっちかと言うと、素直に言ってくれると俺も安心する」
そう笑いながら話す日向に、女生徒は少し安心したのか笑みを浮かべた。
「そ、それでは……えっと、菓子パンを二つほど、お願い出来ますか?」
「了解。ちょっと待っててね」
リクエストを受けて日向は売店へ向かい、人垣の中に身を滑らせる。
売店を潜り抜けるコツは雅から伝授されている。
右手に硬貨を持ち、左手で商品を掴んでオバちゃんに渡す。
これならば最前線ではなくてもリーチが届けばオッケーだ。
少々手間取ったが、日向はオバちゃんからお釣りの小銭を受け取って人垣から脱出する。
左手にはクリームパン、メロンパン、そしてチョコレートがコーティングされてるクロワッサンがある。
戦利品を持って女生徒の方へ向かい、掲げてみせた。
「お待たせ、適当に取って選んじゃったけど、どれがいい?」
得意気に笑ってみせる日向に、女生徒も手を口元に当てて「ふふっ」と笑う。
「それでは、クロワッサンとクリームパンを戴いても宜しいでしょうか?」
「いいよ、遠慮せず。二つで足りる?食べるならメロンパンも持って行っていいけど……」
「いえ、大丈夫です。ありがとう御座います。あまり沢山食べると、午後に眠くなってしまうので……」
日向からパンを受け取った女生徒は恥ずかしそうに答えた。
「それじゃ、俺は戻るから、また見掛けたら遠慮なく使ってくれていいよ。足……お大事にね」
あまり話し続けるのも相手が気疲れしてしまうと思い、日向はそのまま女生徒の前から立ち去る。
両ポケットに入った缶ジュースだけではなく、メロンパンのお土産も付随してしまった。
雅を待たせ過ぎると文句を言われるかもしれないと思いながら、日向は教室へ急いだ。
「……あ、私……お金……」
残されたベンチで、女生徒は日向が去って行った方向を見て呟いていた。