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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【三章 稔る秋、夕映えを友の影と。】
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二つの鼓動

 後ろを振り返ると、少し息の上がった日和が日向の方へ走ってくる姿が見えた。わざわざ走らなくても、と思うけれど、同時に日和の性格からして歩いてくる姿も想像出来なかった。

 その右手には可愛らしいキャラクターがプリントされた、弁当のポーチらしきものを持っている。


「お、お待たせしました……っ」


 日向の傍まで辿り着いた日和が、息を整えながら日向に頭を下げる。というより、呼吸を整える為に一度身体を前傾にしたのか、そのまま大きく息を吸って胸を張って、深呼吸を行った。


「走って来なくても良かったのに、いきなり呼び出したのは俺なんだからさ。……って、そっか弁当。そりゃ御飯の真っ最中だよね、あー……」


 申し訳無さそうな顔を片手で抑える日向に、日和は首を横に振る。


「いきなり連絡してくるから、本当に驚いちゃいましたよ。けど、こういうのは初めてなので何か嬉しいです。だからいいんです」


 そう言って日和は日向の隣に空いているスペースへと、片手でスカートを正しながら座る。


「はー、気持ちいいですねー。秋の風って……ここ、春に一回だけひかりと来たんですけど、それっきりで」

「俺も滅多に来ないかなぁ……何度か雅と来たんだけど、女子が多くて居辛くて。結局教室か定着しちゃったかな」

「ふふ……確かにそれは居心地悪そうですね。日向先輩、今まで彼女とか居なかったんですか?」

「知ってて聞いてるでしょ?」


 そんな時間も余裕も今までの日向には無くて、そしてその事は日和も十分に知っている筈だった。

 日向の問い返しに、日和は白い歯を出しながら声を出さずに笑う。


「御免なさい。それで勉強会の件って、どうなったんですか? 確か先輩方が他の先輩方をお誘いするんですよね。……あ、お弁当食べてもいいですか、私まだ食べ終わって無くて……」


 日和が隣に置いたポーチから弁当の包みを出して、それを膝に置いた。


「うん、食べながらでいいよ。えっとね、その事なんだけど……日和、無理してないかな、って」

「……無理、ですか?」


 何の事だろう、と日和が目を数度瞬かせて日向を見る。日向は頷いた後、先程悠里達と話していた事についてを一つ一つ、日和へと説明していった。



 日向から事の次第を聞き終わった日和は、おかかの乗った白米を綺麗に箸で取り分けてから口に運ぶ。

 ゆっくりと咀嚼して嚥下し、目を閉じた。


「……成程、そういう事でしたか。うーん、すみません……なんか気を遣って頂いたみたいで」


 そして一度、ふぅ……と溜息を吐くと、改めて日向の方を向いた。


「えっと、正直に言いますね。半分当たりで……半分は外れです。先輩の提案を聞いた時、他の知らない……あ、多分体育祭ではお会いしてるんですけど、あまりお話はしてないので。えっと、そういった先輩方と一緒に勉強会する、というのは気が引けました。でも私が反対する事で、水を差すのも悪いと思って黙っていたのも事実です」

「……やっぱり、そっか。そうだよね」

「はい。だから勉強会の件、実は私から辞退させて貰おうかなとも考えてました。下級生が混じるより、同級生同士の方が良いに決まってますから。だから……こうして心配して来て下さったのは、ちょっと嬉しかったりしました」


 バツが悪そうに日向を見上げる日和は、それでも言葉の通りどこか嬉しそうだった。

 その表情と視線が帯びる熱に、日向は心の中が少しくすぐったくなる心境を覚えつつ、日和へと問い掛ける。


「……御免、もうちょっと最初からそこに気が付くべきだった。最初から周りの事なんて気にしないで、自分達だけでやっていれば――」

「先輩」


 日向の言葉を、日和は途中で遮り、首を横に振った。


「周りの事を気にしない、なんて言わないで下さい。気にして下さい。先輩は今、やっとクラスの皆と馴染み初めて来たんです。それで色んな問題が出てきたり、新しい出来事があったり、そういうのは当たり前です。だからこそ、私は先輩の提案に最初は何も言えなかったし、言いたくなかったんです。先輩が頑張って、皆の中に溶け込もうとしているのが分かるから」

「………そういうもんなのかな」

「そういうもんです。先輩は皆よりちょっと先に大人になって、私達が出来ない事を色々出来ると思います。けど、私達が出来る事は先輩はまだまだ初心者なんですよ。中学の頃だって、学校よりスクールにばっかり友達が居たでしょ?」


 じっとりとした目で日向を見ながら言う日和の言葉に、日向は何も言い返せない。

 確かに、日向が人間関係を形成していたのは中学の一部と、スクールで共通言語があった友人同士とばかりだ。

 今のクラスの様に、男女入り混じっての多様な人間関係を形成するのはこれが初めての事でもあった。


「まぁ、私はほら、小学校の頃は嫌な子でしたからね。そこから中学で先輩に心配を掛けまいと人間関係のなんたるかを学んだので、そこは先輩より先輩な訳です。……ん、この言い方は混乱しますね」


 小学校時代、というと日和がまだ転校してすぐの頃、消極的な性格とテニス技術の高さから、周囲から浮いてしまっていた日和の姿を思い出す。

 今の日和は決して積極的とまでは言えないものの、それでも人付き合いは礼儀正しく、時折親しげに行える明るい子になったと日向も思う。


「日和は、随分大人になったと思うよ。それこそ俺なんかよりずっと」


 横に並ぶ日和の顔を見ると、日和はくすぐったそうに肩を竦めて笑った。


「それで、半分正解って事は、半分は外れてるんだっけ」


 先程の日和の言葉を思い出す様にして問い直す日向に、日和は「そうですねー」と箸の頭を自分の顎にくっつけるようにしながら天を仰いだ。


「半分が辞退の気持ちなら、半分は積極的な参加の気持ちでした。なんでか分かります?」

「……純粋に、勉強会がしたかったから、か。もしくは、新しい知り合いを増やそうと積極的になった?」


 咄嗟に問い掛けられ、日向は思い浮かぶ事柄を答える。日和はその答えに不満足だったのか、しかし大きく外れてはいなかった様で「んー……」と眉を寄せた。

 と、次の瞬間には何かに気付いた様に、日向の何も持たない手元を見て言った。


「あ、先輩。お昼ご飯もう食べたんですか? お弁当は?」

「ううん、食べてないよ。さっき日和が弁当箱持ってるの見て思い出したぐらいで、教室に忘れて来た。戻るのも手間だから、お腹空いたら六時限目の前に軽く食べるかな……って。行儀悪いけど」


 日向が言うと、日和は手元の弁当箱からきんぴらごぼうを箸で摘まんで、日向に差し出す。

 突然の日和の行動に日向が戸惑っていると、日和は少しだけ頬を染めたまま笑う。


「正解は、ですね。……あの噂、日向先輩と芹沢先輩が付き合ってるっていうの。あれが本当に嫌だったからです。噂でも何でも。だから、私も勉強会に乗り込んで叩き潰してやろう、って思っちゃいました。……はい、先輩。あーんですよ、あーん」

「え、っと……?」

「落しちゃいますから、早く!」


 急かされた日向が止むを得ず口を開くと、そっと日向の口内に日和の箸先と細く切られたごぼうが放り込まれる。


「美味しいですか?」

「……うん」


 咀嚼しながら頷く日向だが、内心では相当に動揺していた。

 今日の日和は、なんというか……ちょっとテンションが高い。果たしてちょっと、で済むレベルなのかは分からないが、いつもとは大分違う気がする。そんな風に感じていた。

 その日向の疑問に答える様に、日和が箸を使って今度は白米を摘まみながら続けて話し始めた。


「日向先輩が、心配してこうしてわざわざ会いに来てくれたのが、ちょっと嬉しくて。ちょっとじゃないですね、凄く。それに中庭でこうして一緒にご飯食べるの、憧れてたんです。それが同時に叶うんですから、色々と頑張ってみるものですね。………はい、どうぞ」


 そのまま、白米を摘まんだ箸を日向へと再び差し向ける。


「ひ、日和……これはちょっと、いや相当恥ずかしいんだけど……」

「私だって恥ずかしいに決まってるじゃないですか。でもこれはアレですから、最近私に構ってくれてなかった罰だと思って下さい。はーやーくー! 座高が違うから腕が痛いんですよー!」


 日向の反論を真っ向から切り捨てた日和が口を尖らせつつ箸を差し出すのを、日向は今度こそ大人しく口を開けて受け入れる。

 そしてそのやり取りは、日和の弁当が無くなるまで続くのだった。



 弁当が空になると、日和はハンカチで弁当箱を包んで、それをポーチへと仕舞い込む。

 結局、残っていた日和の弁当の半分以上を日向が食べてしまった事になる。


「日和、お腹空かないの……?」


 いくら小柄とは言え日和も体育会系で代謝が良い。エネルギーは普通の女子生徒よりも多く必要とする筈だろう、等と日向は未だ混乱する頭で必死に言葉を口にする。


「そう……ですね、まぁ今日は部活も無いので。……それじゃ、後で先輩のお弁当下さい。容器は洗って返しますから。それとも先輩、まだ自分の分も食べます?」

「いや、もう俺は十分だけど……それでいいの?」

「はい。先輩のお弁当、明吏おばさんの料理と先輩の料理の合作ですよね。私にとっても懐かしい味なので、御礼としては十分過ぎます」


 そんな事をまた笑顔で言われると、日向も嫌とは言える筈も無く承諾する。

 そうして弁当箱を仕舞い終えた日和は、一度ベンチから立ち上がると一度大きく背伸びをした。


「んー、あと十分で昼休みもお終いですね……はぁ、午後寝ちゃいそう……頑張らないと」


 言いながら、街が見える柵の方に一歩、二歩と踏み出すと、脇の方にある樹木の元へと歩み寄って屈んだ。少しだけ離れた位置になってしまったので、日向はいつもより声を張った。


「日和! それで、勉強会……どうする?」


 けれど、その日向の問い掛けに対しての日和の返答は、まるで見当違いの物だった。


「せんぱーい! こっち、セミの抜け殻ありますよ、ほらー!」


 二人で大きな声を張るが、幸いにも既に周囲の生徒達は教室へ引き上げたのか、誰も居なくなっていた。

 手元に夢中になってしまった日和を見て、日向は微かに笑って立ち上がり、日和の元へと向かう。


「ほら、ここ。よく見て下さい。昔よくこういうの集めましたよねー」


 立った状態からの日向からは、日和が指差す手元は日和の背中で見えない。ここからだと日和の後頭部が見えるだけだ。


「えっと……どこだろ」

「ここです、ここ」


 日向が背中を丸めて、日和の手元を覗き込もうとする。



「んー? どこに―――」



 瞬間、日向の視界に飛び込んで来たのは、先程まで地面を向いて屈んでいた日和がくるりと振り返る姿。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、その両手を日向の頬に添える。

 途中で途切れた言葉は、その後も紡ぐ事は出来なかった。



 視界の半分は、日和の顔で見えなくなる。もう半分からは、先程まで日和が覗いていた地面。

 そこには、ただの樹木の根と地面だけが広がる。

 そして何よりも、日向の唇には柔らかい感触と、柑橘系の鮮やかな香りが鼻腔を掠めている。



 時間は、ほんの一瞬だった。


 つま先を、トン……と戻した日和の表情は、今はもう下を向いて見えない。



「勉強会、行きますよ。やりましょう」


 微かに震える声が聴こえる。近くなのに、どこか遠くから響く声に、今の日向には聴こえた。


「勉強会も楽しんで、噂も一蹴してやります。どっちもやれば、問題ありませんからね」



 そうして先程までのベンチに戻り、日和はポーチを肩に下げた。


「日和………」


 日向はかろうじて、それだけを声に出す事が出来た。

 先程から、自分の心音が煩くて周囲の音がよく聴こえない。そう思える程だった。


「今のはですね、二年前の……私の告白に答えを出さなかった先輩への、私なりのけじめのつけ方です。なので、ここから先は……また新しい私の告白です」


 再び、日向の元へと日和が近付いて、ただ茫然と立ち尽くす日向の右手を握った。


「答えは、またいずれ聞かせて下さい。今はまだまだ、先輩にはやる事が沢山あって……考える事も一杯ありますから。いつか、先輩が私の事を沢山考えてくれる時に、答えを頂きに参ります。……さ、戻りましょ。授業遅れちゃいますから」


 そのまま、日向の手を引っ張って校舎へと向かう日和の顔は、晴々としており、そして緑の中に混じる紅葉と同じ色をしていた。

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