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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【三章 稔る秋、夕映えを友の影と。】
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繋がり

 「はっ……はっ……」


 日向は息が軽く上がる程に、家路を急いで走り抜ける。今更走っても遅い事は分かり切っているが、悠長に歩いて帰る事はしたく無かった。

 馴染みの商店街を抜けて、家への曲がり角を一度折れる。近くにコンビニが見えてくると、何か買って行ってあげる方がいいのだろうか思うが、その時間も惜しくなって視線を戻した。

 やがて自宅の玄関が見えてくると、そこでようやく立ち止まって、息を戻す。


 静かに玄関のドアノブを回すと、家人の在宅を示すかの様にドアは僅かな重みと共に開いてくれた。

 そのまま玄関に入り、靴を脱いで中に入ると、一度リビングに顔を出した所で明吏と出くわした。


「日向……おかえり、早かったねぇ。あんた走って来たの? 汗掻いてるんだけど」


 掃除でもしていたのか、テーブルを拭いたままの姿勢で問い掛けてくる母の言葉があまりにものんびりしていたので、日向は出鼻を挫かれたかの様に肩の力を抜いて鞄をソファーに置く。


「……蕾は?」


 日向が逸る気持ちを抑えて明吏に告げると、母は笑った顔で溜息を吐いた。


「た・だ・い・ま・は?」

「……ごめんなさい、ただいま」

「はい。蕾は寝てるわよ、体調は落ち着いてるけど、睡眠不足だって。換気してるし、全部換えたから部屋に入っても大丈夫だけど、行くならシャワー浴びて着替えてから行きなさい。そんな汚れた状態で蕾の部屋に入ったら別の病気になるわよ」


 言われて日向は自分の姿を確認するが、確かに所々に土埃が付いており、特に膝周りや肩の辺りは見るからに酷い。恐らく秀平と一緒に倒れ込んだ時、地面に強く当たった部分だろう。

 母の一言で、日向は家に入った時の逸る気持ちは幾分か気勢を削がれ、お蔭で冷静さを取り戻す事が出来た。


「……うん、そうする。睡眠不足、って。寝てないの?」


 言いながら先程自分で予想していた事態を思い出す。そしてそれを肯定するかの様に、母はゆっくりと頷いた。


「日向が寝た後に、リビングに来てね。お腹痛い、気持ち悪いって……ずっとベッドで耐えてたみたいなの。お父さんと二人で病院に連れて行こうか、って話になったんだけど、蕾が嫌がって。……最初は、注射とかされるのが嫌で行きたくないんじゃないか、って思ってたんだけど、あんたに気付かれるのを避けたかったみたいで。お父さんと二人で相談して、急性胃腸炎みたいな症状だから一晩様子を見て、容体が酷かったら診せに連れて行こうって話になってたのよ」


 エプロンを取りながらダイニングテーブルの椅子へ座る明吏が、昨晩の出来事を話しながら自身も疲労を滲ませる様に息を一つ吐いた。

 日向は浴室へ向かう足を一旦止めて、その言葉に聞き入る。


「大丈夫、大丈夫だよ。って……なんでお兄ちゃんに知られたくないの? って聞いたら、明日は日向の体育祭だから、蕾が具合悪いの知ったらお兄ちゃんが安心して走れないでしょ、って。お姉ちゃんぶっちゃって、ほんと……。でもその後にね、結構吐いちゃったりなんだりで、もう結構修羅場よ。私はマスクしながら衣類とか洗わないといけないし、お父さんは遷ると面倒だからじっとしてて、って言ってもオロオロして落ち着かないし」


 言われて、今朝の父親を思い出す。そういえば日向がランニングから戻ると、父は既に着替えも朝食も済んでいた筈だった。全体的に家の中の朝が早かったのは、何も蕾が早く起きただけの事では無かった。

 日向より先に、父も母も、夜通しで蕾と一緒に闘っていたのだろう。

 その事実が、日向には少し寂しくもあり、悔しさも感じさせる。


「………だから、この後の事はあんたに任せるわよ。私もお父さんも寝不足で、今日は早く寝ちゃいたいし。今回は聞いてあげたけど、本当なら蕾のお兄ちゃん想いの我儘って事でそのまま病院に連れて行ってたんだから。褒めるのも叱るのも、後は全部あんたがやりなさい」


 明吏はそう言い切って椅子の背もたれに身体を預けると「うーん! 眠い!」と背伸びする様に両手を伸ばした。


「……シャワー浴びてくるね」

「はーい、少し塩素臭いけど、勘弁してね」


 そのままリビングを出て、浴室に向かった日向は衣服を洗濯籠に入れて浴室に入る。

 母が言う通り、浴室の中はプールの中の様な、独特な匂いがした。その匂いが、昨日あったであろう出来事を現実として日向に訴えてくる。

 頭に浮かんでくる様々な考えを、日向は熱いシャワーで頭から流した。



 シャワーを上がって部屋着に着替えると、そのまま蕾の部屋へ向かう。

 ドアノブを握ったドアの向こう、人が動く気配が感じられないけれど、ドアが僅かに『コッ……コッ』と前後に揺れる感じがする。

 部屋の窓を開けているのだろう、風圧でドアが押し引きされる時に出る音だ。


 ゆっくりとドアを開き、中に入る。

 掛けられる声は無く、風の音だけが響く室内では蕾が肩まですっぽりと布団に入り、スゥスゥと寝息を立てている。


「……………」


 こんな夕方前から熟睡する程に、体力を消耗したのだろうか。

 日向は心に刺さる痛みと共に、蕾のベッド傍まで近くにあった椅子を持っていき、傍に置いて腰かける。


 ベッドで眠る蕾の寝顔は、若干青白くなっていて、今朝の表情が日向の見間違えでも光の加減でも無かった事を証明した。

 部屋にある机の上には、清涼飲料水が置かれており、傍にあるゴミ箱にはゼリーの空箱もある。見間違え用の無いぐらい、病人の部屋だった。


 そっと手を蕾の頬に伸ばして、柔らかい頬を指の背でなぞると、蕾は僅かに身動ぎをする。大袈裟だと日向は自分でも思いながら、その動作に安心した。

 僅かな刺激で起こしてしまったのか、それとも既に浅い眠りだったのか、蕾の目がうっすらとだけ開く。


「……おにーちゃん」


 破棄の無い、掠れた声。胃液で喉が焼けてしまったのだろうか。


「うん」

「おかえりなさい……」

「ただいま、蕾はおはようだね」

「えへへ………」


 はにかんだように笑う蕾だが、次第に意識がはっきりしてくると、慌てた様に起き上がろうと上半身を持ち上げた。


「いいから寝てて、もう母さんから全部聞いたから」


 その行動を窘める様に日向が言うと、蕾は少しだけシュンとして再びベッドへ身体を横たえた。

 そして、そのまま少しだけバツが悪そうに日向の顔を見ると、目線を外してしまう。恐らくは黙っていた事で叱られると思っているのだろう。日向は思わず笑ってしまいそうになる。


「体育祭、楽しかったよ。さっきまで泥だらけでさ、蕾の部屋に入る前に風呂に行けって母さんに言われちゃって、ほら」


 日向がまだ湿っぽい髪の毛を指差すと、蕾はようやく安心した様に笑ってくれる。


「ゆーりちゃんたちも、いっしょ?」

「うん、一緒。兄ちゃんも日和も、悠里と恵那さんも一等賞だよ」

「みやびくんはー?」

「雅は二等賞、速かったんだけどね、運が悪くて。でもリレーは速かったよ、雅のお蔭で一等賞だった」

「すごーい!」


 今日の出来事をお土産話として蕾へ聞かせてあげると、蕾は目を輝かせて喜んでくれる。その反応が日向には嬉しくて、つい気が緩んでしまいそうになる。


「蕾……具合はどうなの? まだ気持ち悪い? お腹は?」


 日向が問い返すと、蕾は「んー……へいきー、おくすりもらって、きょうやすめばだいじょうぶーっておいしゃさんいってた」と返してくれた。


 真偽を探る為に蕾の顔をじっと見ていた日向だったが、どうやらその言葉は真実らしく、蕾は暇なのかキョロキョロと部屋の中を眺めている。


「蕾……」


 そんな蕾に日向が一声掛けると、蕾は日向と目線を合わせ、そして兄の眼差しが真剣なものになっている事に気付いて少しだけ顔を俯かせた。

 一応、黙っていた事に対して多少なりとも罪悪感はあったらしい。じっと兄の言葉を待つ様に身を縮こまらせている。


 その姿を見て、日向は一つだけ溜息を吐いた。


「どれだけ小さい事でも、後々になって凄く怖い病気になる事だってある。だから、今回みたいに蕾が我慢する事で取り返しがつかなくなる可能性だってあった。それは分かる?」

「……うん」


 日向の言葉に、蕾は僅かに頷く。


「だから、これからはちゃんと兄ちゃんにも何かあったら必ず言う事。……もしこれで、蕾が大変な事になったら、兄ちゃんも母さんも父さんも、爺ちゃんも婆ちゃんも……悠里ちゃん達だって悲しくなる。分かったね?」

「うん、ごめんなさい……」


 そしてしょんぼりと肩を落してしまう蕾に、日向は今度は優しく笑って、そっとその髪を撫でた。


「でも、ありがとう。兄ちゃんが体育祭を楽しめる様に、って蕾なりに精一杯頑張ってくれたんだよな。その気持ちは本当に嬉しい、だからありがとう。お蔭で皆と仲良くなれたよ」

「ほんとー? でも……ばれちゃったから……」


 蕾としては最後まで隠し通したかったのだろう、同居している以上、流石にそれは無理があるのだが、そこは子供の意地なのか、蕾としての意地だったのか。


 何と返事をしようか考えていると、日向のポケットでスマートフォンが震える。

 通知を見ると、悠里からのメッセージらしい。


「悠里からだ」

「ゆーりちゃん?」


 画面をスワイプしてアプリの画面を開く。



 送信者:芹沢悠里

『日向君、お疲れ様。蕾ちゃんの体調はどう? 元気そうにしてる? あんまり叱って泣かせちゃダメだよ! こっちはあの後、皆で打ち上げ会場に来ました。……日向君が来れないのは、残念だけどね』


 そのメッセージの後には、ウサギが泣いた様な顔のスタンプが貼り付けてある。

 日向としては、自分を気にして皆が打ち上げに向かわなければ、むしろ申し訳無さで頭が上がらなくなったので結果としては僥倖だった。


 送信者:新垣日向

『お疲れ様、蕾は大丈夫そうだよ。そして叱り過ぎてもいないので安心して下さい。元気は元気なんだけど、今は結局、俺にバレちゃったのが原因で落ち込んでるかな』


「ゆうりちゃん、なんてー?」

「蕾は元気ですかーって。元気だけど俺にバレちゃって落ち込んでる、って返事しちゃった」

「えぇー……もうだいじょうぶだもん」


 そう言って、今度は頬を膨らませてしまう蕾を見て、昨日からの元気の無い姿だけを見ていた日向は心の底から安堵する事が出来た。

 日向自身、思い返せばかなり落ち着いて蕾と向き合う事が出来たと思えた。

 母から顛末を電話で聞いた時、自責の念や焦り、色んな物が渦巻いて、あのまま帰宅していたらかなり狼狽した姿を蕾に見せていたに違いなかったのだ。


 気付いてあげられなかった、それが正しいのかは分からない。

 蕾自身が隠し通そうとした事。そして恐らくは両親も蕾の意志を受け取って、極力日向への情報共有を最小限にして遅らせ、日向から責任という部分を遠ざけた事。

 そういう意味で言えば、日向が気付かないというのは仕方のない事だったのかもしれない。

 けれど日向からしてみたら、蕾の容体に気付かないというのは精神的に堪える事実でもあった。


 そんな気持ちが表情に出たのか、少し暗い表情をした日向へ蕾が声を掛ける。


「お、おにーちゃん……ごめんね……? つぼみがわるいことしたから……」

「いや、いけない事かもしれないけど、悪い事じゃないんだよ。……この違いはどう言えばいいのかな、難しいな……」


 蕾の日向を思う気持ちから生まれた今回の騒動だが、決してそれは蕾が悪い事をした、というものではない。行動としては正しくないのかもしれないが、動機については相手を思いやるというのは、大事な事だった。

 どちらかと言うと、日向自身にも大いに反省せねばならない点が多々あったのだ。

 裏を返せば、蕾がそうまでしなければ、日向は学校行事等を楽しめないと考えられていた、という事なのだから。普段の行いや態度が、蕾にそう思わせてしまった事がそもそもの原因だったのだ。


「うん………ごめんなさい……」


 だから、蕾が謝るのは正しくもあり、謝る必要が無いという部分もある。謝るべきなのは日向かもしれないし、叱るのもまた日向の役割かもしれない。

 相手を大事に思うが故の、すれ違いでもあった。


 不意に、もう一度スマートフォンが振動で通知してくる事に気付き、画面を見る。


 送信者:芹沢悠里

『落ち込んじゃってるって、なんで?』


 送信者:新垣日向

『最後にバレちゃったから、俺がちゃんと行事を楽しんでない、と思ったのかな。水を差しちゃった的な……?』


 送信者:芹沢悠里

『あぁー成程、そういう事かぁ……日向君、これから蕾ちゃんと電話しても平気? 具合大丈夫そうだったり、着替え途中だったりする?』


 悠里からの突然の申し出に、日向は首を傾げつつ蕾を見る。

 体調は回復しているし、十分に寝たからか、顔色も大分すっきりしている。


「蕾、悠里ちゃんが電話しませんか、って。どうする?」

「し、したいしたいー!」


 わたわたと両手を振って返事をする蕾を見て、そういえば以前も同じ様な事があったなと思い出す。

 悠里からの、こういった提案も久し振りで、懐かしさすら感じながら、日向は画面に返事を書き出した。


 送信者:新垣日向

『電話したいって。そっちは大丈夫なの?』


 日向が返事を書いてから数分、悠里からの返信は無かった。既読サインが付いているので読んではいるのだろうけれど、蕾を溺愛している悠里が一目散に電話を掛けて来ないのは少し気になってしまう。

 そんな事を考えていたら、不意にスマートフォンに通話通知が来た……それも、普通の電話アプリではなく、メッセージツールの、しかもカメラを使ったビデオチャット機能で来たのだ。


 何故こっちなのだろう、無料だから便利なのだが、場所によっては電波が弱い事があるのだ。幸い今は大丈夫なのでそのまま通知を受け取りオンにする。

 若干のタイムラグの後、画面に悠里の顔が映った。


『あ、日向君、もしもーし。聴こえてますかー?』

「うん、聴こえてる。まさかこの手段で来るとは思わなかった」


 笑いながら日向が答えると、画面の中で悠里も釣られて笑い出した。


『だって、蕾ちゃんと久しく会ってなかったから顔を見たくって。……蕾ちゃーん、いるー?』

「いるー! いるよー! おにーちゃん、かしてかしてー!」


 悠里の声が聴こえた蕾が手を伸ばして日向からスマートフォンを受け取ると、画面を正面に向けて話し出した。


「ゆーりちゃん、つぼみだよー! こんにちはー!」

『蕾ちゃん、こんにちはー! ……聞いたよー、日向君に具合悪いの黙ってたんだって? もう平気なの?』

「うん、たまにおなかいたいけど、いまはへいきー。ゆうりちゃん、なにしてるの?」

『私? 私はねー、今日の体育祭の、打ち上げだよ。この前皆で一緒にカラオケ行ったでしょ? 今日も前みたいにね、皆で大きい部屋でカラオケに来てるの』


 通話自体は廊下に出ているのか、後ろから微かに誰かの歌声と笑い声が聴こえる。

 悠里が電話をぐるりと回したのか、画面の中にある景色が一変した。扉の窓越しに多数の生徒が見える。


「からおけ、いいなー。うちあげ、ってなにー?」

『打ち上げっていうのはね、その日にあった事を、お疲れ様でしたー! って皆で締め括る為にやる事よ。えーっと……幼稚園のね、帰りの会で歌を歌ったりするのと一緒よ、多分ね……!』


 悠里の言葉を理解出来たのか、蕾は疑問を返さず、日向に視線を移した。


「おにーちゃんは……なんでいかないの? つぼみが、びょうきしたから?」

「あー……俺は、うん……」


 蕾は聡い。日向が今、悠里達と一緒ではなく此処に居る事について、悠里から聞いた打ち上げの意味を聞いた瞬間に疑問を抱いてしまった。それについて日向が何を言えばいいのか、どう伝えれば蕾の想いを無駄にせずに済むのかと、一瞬では思い付かず居ると悠里の声が響いた。


『そうだよ、日向君はね、蕾ちゃんが大事で可愛いから、こっちじゃなくてそっちに居るの』

「……つぼみのせい?」


 悠里の言葉に、蕾が顔を俯かせてしまう。


『違うよ、蕾ちゃんのお蔭なの。蕾ちゃんのお蔭で、今日の日向君は凄く楽しそうだったんだよ。だけど、蕾ちゃんの事も心配で、一緒に居てあげたくて、日向君は家に帰ったの』


 悠里がそう言うと、横合いから今度は唯が顔を出した、その後ろには雅の姿も見える。


『蕾ちゃーん! 唯ちゃんだよー! お腹痛いんだって? だいじょうぶかーい?!』

『恵那、もう少し静かにしてやれよ……蕾ちゃん、お大事になー!』


 二人が交互に画面越しの蕾に声を掛ける。すると、その光景を見ていた他のクラスメイト達もドアを開けて次々にやって来た。


『おお、これが新垣の妹ちゃんかぁ。凄い可愛いな……これは新垣が血相変えて帰宅するのも分かる……。こんにちはー、俺、今日は君のお兄ちゃんと二人三脚一緒に走った栁です』

『あ、例の新垣君の妹? 見せて見せてー!』

『えーこの子?! かーわいいー!』『ね、可愛いよね! やばいー!』

『あれ、でもなんで悠里が新垣君の妹ちゃんと仲良くなってるの?』

『そ、そこはおいおい……』

『兄貴の為に身体を張る妹とか健気だよな……うちの中三の妹なんて、俺をゴミみたいな目で見るぞ……』

『それな。交換して欲しいわ……』


 悠里と話していた筈の蕾の目の前に、日向のクラスメイト達が代わる代わる訪れては画面越しに蕾を覗いて歓声を上げたり、挨拶をしたりと一気に場が混沌としていく。

 蕾はその状況に反応しきれず、ただただ慌てるばかりだった。


「え、えー……?」


 混乱する蕾に、悠里が再び画面越しに顔を見せて申し訳無さそうな表情を浮かべた。


『日向君が帰っちゃった後にね、栁君とかに簡単に事情だけ説明しちゃったの……成瀬君と二人で。日向君がいつも早く帰る事情と、とりわけ今日の蕾ちゃんの事でね。……折角、皆と一杯一緒に居れて、ここから学校祭もあるんだもん。日向君が付き合いの悪い奴、って思われるの……私も成瀬君も嫌だったんだよ、だから……ごめんね?』

「あ、いや……全然構わないけど、それは」


 画面の中に悠里に向かって、日向が慌てて手を振る。

 本来は日向が自分で説明していれば良かった事だ。だが高校に入った最初から蕾との時間を優先していて、友人と呼べる人間は雅くらいのものだった。特に親密な相手でもないのに、自分が早く帰宅する理由を詳細に教える人間は居ないだろう。

 けれど、今日みたいな日が続いて行くのなら、いずれ皆には知っておいて貰う方が確かに円滑な関係が構築出来る。そういう意味ではタイミングとして最適なのだが、そんな事に気を遣う余裕も無く、先程は飛び出す様にして輪から抜け出してしまった。

 周りへ与えた日向の印象としては最悪だっただろう。


『えーと、それでね……その話をしてたら、他の子達にも聞かれちゃってて、一瞬で日向君が妹大事で帰るシスコンとして広まっちゃって……』

「………ちょっと?!」

「おにいちゃん、しすこんってなにー?」


 日向自身、妹の事を大事にしている事は、はっきりと言える。が、それをシスコンとして捉えられる事には大いに問題がある。曖昧な境界線だけれど、そこの誤解は死活問題でもある。主に日向の学校生活においてだが。


「ふ、風聞が悪すぎる……」


 頭を抱えた日向に、画面の向こうに居る悠里が視線を逸らして気まずそうにしていた。


『と、とりあえずね……それで、お兄ちゃんの行事の為に、心配掛けまいと一生懸命だった蕾ちゃんに皆が興味持っちゃって……』

「それでわざわざビデオチャットなのか……」

『ううん、これは私が勝手に。でも、ちょっとだけ……蕾ちゃんの事を皆が知ってくれたら、日向君への周りの反応も……蕾ちゃんの心配も消えるかな? ってのは考えちゃった』


 そして、画面の景色がカラオケルームの中へと入って行く。

 そこでは、多数のクラスメイト達が、秀平や望の他にも……今回の行事で以前よりもずっと距離を縮められた友人達の姿が見える。

 彼等は一様に画面の中に居る蕾に手を振ったり、傍に居る友人達と語り合ったりと自由に振舞っていた。


『蕾ちゃん?』

「は、はい!」


 悠里が再び画面の中央で顔を覗かせる。


『これが、日向君の友達だよ。此処に居る皆、日向君の友達で……体育祭で前よりずっと仲良くなれて、ここから学校祭とか色んな事をやっていく友達なの。蕾ちゃんが頑張った成果なんだよ。これで信じられる?』


 笑顔で首を傾げる悠里に、蕾はコクコクと頷いた。


『ふふ、うん。大丈夫そうだね。それじゃ、あんまり長引くと身体に障るから、こっちはそろそろ切るね? またね蕾ちゃん。日向君も、また学校でね』


 悠里はそう言って一度手を振ると、手を振り返してくれた蕾にもう一度笑ってから通話を切った。


 画面に通話終了の通知が出ると、部屋の中が一気に静かになる。

 どこかお祭りの後みたいな、不思議な静寂だった。


「………凄かったな」

「う、うん。いっぱいいたー……」


 とりあえず一言呟く日向に、蕾も呆然としたまま答える。


「でも、悠里の言う通りなんだよ。蕾のお蔭でさ、俺は学校の皆と前より仲良くなれたから」


 それは日向が周りと向き合えた結果だったが、切欠を与えてくれたのは間違いなく蕾だった。

 全てが上手くいった、というには到底及ばないが、それでも二人がお互いを大事に想い、周囲の友人達が二人を支えた結果でもある。


「おにーちゃん、おともだちたくさんだねー」

「うん、沢山出来たよ。だから、そんなに心配しないでも大丈夫……」


 ふわりと笑う妹に、日向も目を瞑って頷いた。

 窓の外から流れてくる風は、残暑を過ぎつつあり、ほんのりと涼しい。日向は寒くなり過ぎない内にと開いている窓に寄って行き、それを閉めた。既に季節は秋を迎えている。



「あー!」


 急に声を上げた蕾に、日向は驚いて後ろを振り返る。


「な、なに? どうかしたの?」


「みんなに、おにーちゃんのことを、よろしくおねがいします……っていえなかった!」


 最後の最後に、場違いな一言を残す妹に……日向はいよいよ、これ以上叱る気力が無くなってしまい、ただ困った様に笑うだけだった。

お待たせしておりました。

書きたい部分、書こうと思った部分、色々あり過ぎて気が付けば長文になっておりました。

ビデオチャットについては、どういう形が一番蕾と日向は納得できるだろう、と頭を捻っていたところに悠里が私の脳内で提案してくれたシーンです(妄想癖)


書き出す前はもっと感情を前に出して、どーんとぶつかるぐらいの予定だったんですけれど、いざ書いてみると、結構いつも通りののほほん調となった気がします。

書くのに割いた時間がいつもより長く、そうするとおかしい文章やシーンが無いか、自分では判断出来なくなってくる不思議……。

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