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子守り男子の日向くんは帰宅が早い。  作者: 双葉三葉
【三章 稔る秋、夕映えを友の影と。】
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体育祭:前編

 日向が学校に着いた時、既に友人達は登校しており、教室の中は喧騒に包まれていた。皆が皆、今日の行事に対して少なからず心躍るものがある様で、いつもより教室の雰囲気が一段と明るい。

 幾つかあるグループの中で級友達と談笑していた秀平が日向に気付いて声を掛けてくる。


「新垣。今日は宜しく頼むな」

「おはよう、栁。こっちこそ、本番で転ばない様に気を付けるよ」


 秀平の掲げられた右手に、日向も軽く手を掲げてハイタッチする。

 周りを見ると、栁だけじゃなく他のクラスメイト達も日向を見て挨拶してくれる。

 去年までは無かった同級生達との交流に、日向も胸の奥で今日の競技に向けて次第に気持ちが高揚するのを感じた。


 席に寄って行くと、席に座っている唯の隣には悠里が立っていて、日向を見付けると笑顔で手を振ってくる。

 その仕草に一瞬だけ、日向は昨日の女子達に言われた事を思い出し、思わず周りを見てしまいそうになるのをグッと堪える。


「おはよう、日向君。昨日はありがとうね、お蔭で今日は大丈夫そうだよ!」

「悠里、恵那さん、おはよう。晴れて良かったよね、頑張ろう」


 日向も挨拶を返して席に座ると、唯が日向を見て口角を上げながら耳元で囁いた。


「お客さん……昨日はお楽しみでしたね……? 今日はあたしが悠里を独占しちゃうけど、妬かないでねん」


 そうして軽くウィンクして元の姿勢に戻る唯と、唐突なその呟きに、昨日触れた悠里の身体の柔らかさを思い出して日向は慌ててその記憶を封じ込めた。

 そんな二人のやり取りを「……どうかした?」と首を傾げて見つめる悠里に何を言っていいか分からずに居ると、やがて教室のドアから小野寺教諭が顔を出したので、悠里は自分の席に戻って行った。



 軽い連絡事項の後、日向達は校庭に集まって開会式を行う。

 午前中、秋の晴れた空の下は風が気持ちよく、運動には最適の気候で、澄んだ空気が肺を満たす。爽やかな気分を味わっていた日向の隣で、雅がお腹の辺りを手で抑えながら溜息を吐いていた。


「朝飯食い過ぎてよ……俺、最初っから出番なのに腹痛くなんねーかな……」

「順番は分かってたんだから、抑えれば良かったのに」

「運動部は朝に腹が減るの。知ってんだろ?」


 日向が軽口を雅と言い合っていると、不意に今朝の蕾の事を思い出した。昨日に引き続き今日も食欲が無かった妹の事を頭の中で案じて日向は空を見る。雲は出ておらず、まだ昇りきっていない太陽だけがそこにあった。


 やがて校長の相変わらず長い挨拶等も終わり、生徒会長によって開会の宣言が成されて一同はそれぞれの学年、クラスの集合場所へと移動した。


 競技は短距離走、障害物競争、二人三脚と行われて午後からは長縄跳び、綱引き、そして最後にリレーとなる。

 開始位置には既に一年生が並んでおり、その中に日和の姿があるのを見付けた。


「日和、短距離走なんだな」

「おお……日和ちゃん出てるのか。あの子は小型ターボ車みたいなもんだろ、負ける姿が想像出来ん……」


 雅と一緒に日和の姿を確認していると、悠里と唯が集団から離れて日向達の元へと向かってきた。


「日向君、日向君、あそこに居るのって日和ちゃんだよね? 短距離走、応援しようよ!」

「こっからじゃ遠いからさ、あっちいこー」


 そう言ってコース脇に居る応援の生徒達の群れを指差す悠里と唯に、日向と雅は顔を合わせてから頷いた。


「恥ずかしいぐらい応援してやろうぜ」

「それは止めておきなよ、後ですっごい怒られるよ」


 冗談なのか本気なのか分からない雅の軽口をいなしながら、日向達は応援ブースへと向かった。


 スタートとゴールの丁度中間地点辺りにいい場所があったので、四人はそこで日和のスタートを待つ。

 日和の出走は丁度次らしく、既にスタートラインでスタンバイしているのが遠目からでも分かる。


「おー、あの子は小さいながらに運動させるとほんと恰好良いよね……んで、速いの?」


 唯が手で陽射しを遮りながら隣に居る日向に疑問を投げた。

 その言葉に日向は雅と顔を見合わせてから軽く笑って「見てのお楽しみで」とだけ答える。

 二人の反応に興味を持ったのか、悠里も唯と一緒に食い入る様にその出走の瞬間を見詰めていた。


 パァン! という号砲の音で走者が一斉にスタートする。


「あっ…」と日向の前に居た悠里が声を漏らす。日和のスタートが若干遅れて見えたのだ。

 実際に日和は他の走者よりも体一つ分遅れてのスタートとなる、誤差だけど短距離では割と大きいハンデとなるのだが。


「え………えぇぇ……!」

「はっや、なにあれ……!」


 直後に悠里と唯がほぼ同時に声を漏らす。

 そのハンデを一瞬で覆し、一気に日和が先頭に出たのだ。加速が止まらない。


「凄ぇ加速、俺には無理だわ」

「軽くて脚力がある日和ならではの加速だよね」

「俺も脚の速さにはそこそこ自信あったんだが、日和ちゃんの折檻から逃げられた事は無いからな」

「雅のうっかり失言は日和の逆鱗に触れる事多いから、怒りも加算されてより速くなってたんじゃない?」

「それ、大体お前絡みの失言だった事知ってる? 知ってるよな?」


 日向と雅、二人でしみじみと日和の活躍を眺めていたが、応援をすっかり忘れていた事に気付いたのは日和が先頭でゴールしてからだった。



 ゴールした日和が、係員から一着の証である紙花の首飾りを掛けて貰い、そのまま日向達の元へと歩いてきた。どうやら走っている最中に気が付いたらしい。


「先輩方……見ててくれたんですか?」


 ほんのりと汗ばんだ日和が一同を見渡して、はにかんだ様に笑う。

 そして、それぞれが日和へ労いの言葉を掛けた後、唯が感心した様な面持ちで喋り出した。


「見た見た、日和ちゃん超速いね……試合の時も動き速かったけど、短距離も滅茶苦茶速いじゃん……」

「いえ……相手にも恵まれた面がありますから。学年でもっと速い人も居ますし」

「謙遜しちゃってぇ……あたしはこれから、日和ちゃんを上月マッハ日和と呼ぶよ」

「止めて下さい」


 一瞬にして真顔で唯を止める日和と、その様子を見て笑う悠里と雅が居て、日向も一緒になって笑い出した。



 一年が終わると二年の番となり、今度は雅が出走準備に入る。

 応援側も雅と日和が入れ替わって一同は再び先程の様にコース脇で応援の姿勢を取る。


「それで、成瀬君はどうなの?」


 悠里が隣の日向へと問い掛けると、日向は微妙な表情で悠里を見返した。


「速い、速いんだけど……」

「けど?」

「運が悪いんだ、雅は」


 どういう事だろう、と悠里は日向の言葉に首を傾げる。その横では日和が「何となく分かる気がします」と頷いていた。

 更にその横で、出走者の確認をしていた唯が「あー、なるほど」と声を漏らすので全員でそちらを見る。


「あれ、笹山でしょ。陸上部の。なるほど……確かに運が悪いわ」


 唯の呟きに悠里も気付いたのか、口を広げて「あー……笹山君、私も知ってる……」と同意する。

 日和が詳細を聞きたそうに日向を見ていたので、日向は日和に詳細を教えてあげる事にした。


「学年最速の男と評判の陸上部員なんだ。中学では県大会準優勝ぐらいのレベルらしいよ」

「成程、陸上部バージョンの日向先輩みたいなものですか」


 日和が言い終えると共に、号砲が鳴って雅達が走り出す。

 雅の走力もかなりのもので、後方集団からいい感じに距離を離せていたが、その更に先に笹山が先頭で走っており、そのままゴールとなった。


 恐らくは笹山が居なければ雅は余裕で一着だったのだろう、後方集団と笹山の丁度中間地点でのゴールだった。


「なんというか……」


 日和が少し気まずそうに顔を逸らし、ぼそりと呟いた。


「……生まれながらの引き立て役、みたいな印象ありますよね、成瀬先輩」


 その言葉を否定出来る者はその場に居なかった。



 三年までの短距離が終わると、次は障害物競争となる。この競技に関しては、日向が知る限り知り合いで出走する人物が居ないので日向は完全な傍観者となる予定だった。強いて言えばクラスメイトの寺本望が出るのだが、彼とは会話はすれど特に親しい間柄でも無い。

 そして何より、前日の沙希と麗美……二人三脚の練習に来ていた二人の女子が言っていた事を思い出してしまう。


(もし……寺本が悠里の事を好きだっていうのが本当なら、俺が悠里と一緒に応援する事が嫌味になるかもしれない……いや、っていうかそもそも、そんな風に思う事自体が嫌味じゃないか……)


 日向は自分が悠里から何とも思われていない、とまでは思っていない。異性として気になるのか、それとも少し事情を抱えた友人として気に掛けてくれるのか、そんな判断が出来る程では無いが……それでも憎からず思ってくれているというのは分かる。

 だけど、その感情を勝手に恋慕にしてしまい、あまつさえそれを笠に着てクラスメイトの精神的優位に立つ様な考えを持ちたくは無かった。


 そしてその刹那、もしも望が悠里の告白し、それを悠里が受けたとするのなら。

 その結末を一瞬だけ想像してしまい、胸に僅かな痛みが走る気がした。けれど同時に、その時にまだ自分の隣に居てくれるであろう人物までも想像してしまった。

 日和の姿を。


(最悪だ……勝手な妄想をした挙句、あの二人を俺は……)


 天秤に掛けた、その事実に日向は激しく自戒した。

 どうも自分はここ最近の身近な関係性の変化と、自分の変化に対して過度に意識が増長している気がする。そんな想いと共に溜息を吐いて頭を振る。

 気付けば障害物競争は既に始まっていて、号砲の音が聞こえて来た。周りには悠里も、日和も、唯も、雅も居る。

 中学時代から培ってきた絆と、現在に出来た絆と、その証がここにある。それを貶める事は今の日向には許せない事になっていた。


「日向君? どうしたの、具合悪い?」

「日向先輩?」


 悠里と日和が、黙って考え事に沈んでいた日向に声を掛ける。


「……いや、何でも無いよ。うちのクラス、応援しないとね」


 二人と少しだけ目を合わせるのが気まずくて、日向は安心させる様に軽く笑ってコースに視線を向けた。


 競技は順調に進み、そろそろ二年の走者が全て終わって三年が走り出す準備に入っている。

 ふと、日向は先程の悠里から言われた言葉の一節を思い出していた。


(具合悪い、か……。そういえば蕾、昨日からちょっと食欲が無さそうだけど、大丈夫かな)


 昨晩見た、少しだけ沈んだ面持ちの蕾。いつもより早い就寝時間、そして日向よりも先に起きていた、今朝の表情。

 一度気になってしまうと、次々と蕾の事を考えてしまって仕方がない。


「御免、俺ちょっと電話してくるね」


 そうして悠里達に背を向けて自分のクラスが使用する一角へ向かう。

 その背中を眺めながら日和が呟く。


「日向先輩、なにか忘れ物でしょうか?」


 日和の言葉を聞いて、悠里もまた日向の背中を見届けつつ日和の言葉に「んー……」と首を傾げる。


「蕾ちゃんの声でも聞きたくなったんじゃない? 案外緊張してるのかもね」

「あー……あり得ますね、先輩……本番になると強いのに、直前までは微妙に腰が引けてますから」

「それ想像出来ちゃう……決める所は決めてくれるのにね?」


 遠ざかる日向の背中を見ながら、二人はそう言って笑い合うのだった。



 日向が自分のクラス用に敷いてあるブルーシートへと趣くと、そこには遠目から競技を見守るクラスメイトが数人おり、応援もそこそこに談笑している。

 彼等の邪魔をしない様に、そっと自分の鞄からスマートフォンを出すと人混みから離れて静かな場所を探して校舎横の通路へと入る。


 電話帳から自宅の番号を呼び出し、数回コールを鳴らす。まだ午前中なので、母が出勤していないなら家事に勤しんでいる筈だ。出掛けるにはまだ早い時間でもある。


「…………ん?」


 コール音が鳴り響くが、受話器が取られる気配が無い。母が取らずとも、家の電話はディスプレイにナンバーが表示されるので、登録してある日向の名前は見える筈だ。母の手が空いてなくても蕾が取る可能性も高い筈だった。


「…………」


 偶々かと思い、もう一度掛けてみる。が、出ない。


「もう出掛けてるのか……」


 そう思うと運転中の可能性もあり、母親の携帯電話に掛ける事は避けた方が良いかもしれないと思ったが、このまま声を聞かずにいるのも何となく気持ちが悪く、電話帳から母の連絡先を出した。

 数回コールされた後、母が電話に出る。


『はい……日向? どうしたの?』


 少し潜めた母の声色が聞こえてくる。


「あ、母さん……ごめん、何となく蕾の事が気になって、大丈夫かなって。それだけなんだけど……今は外に出てるの?」


 体育祭の最中に、こんな事で連絡すると笑われるだろうかと思ったが、もう今更の感じもするので用件を端的に伝える。

 母からの呆れた声が返ってくると思っていた日向の耳には、しかし期待する声色とは違い戸惑ったものだった。


『あ……んー、と。ごめんね、今ちょっと長話出来ないの。蕾は今は寝てるから、後で声を聞かせてあげてね』


 潜められた声と、その意味に日向は少しだけ引っ掛かるものを覚えた。

 外出先で、何故蕾が寝てしまっているのだろうか。車の中というのは考え辛い、それなら母親は電話に出れない筈なのだ。


「母さん? なんかあったの?」


 思わず確かめる様な声を出す。


『いいから、あんたはしっかり体育祭、楽しんで来なさい。蕾が心配でそれどころじゃない、なんて事を後で言ったら蕾に笑われるわよ』


 今度は苦笑いが交じった母親の叱咤激励に、日向は安堵感を覚える。どうやら自分の思い過ごしだったらしい、と。


「……分かった。多分、三時までには帰れると思うから。それじゃ……」

『はい。しっかりやりなさい。………それじゃ、切るわよ』


 その言葉の直後、通話は切れて機械音だけが日向に聴こえて来た。


 校庭から聞こえてくる生徒達の歓声で、明吏の声の後ろから微かに鳴っていた病院のアナウンスに日向が気付く事は無く、日向はようやく気持ちを切り替えて競技に望む事が出来るのだった。

投稿したけど投稿されてない現象が再び……。

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