少しずつ変わる学校の生活。
翌日、日向が学校へ登校して自分の席へ向かうと、先に登校していた雅が話しかけてきた。
「昨日はお邪魔して悪かったな、サプライズした方が喜ぶかなと思ったんだけど、こっちがサプライズされるとは思わなかったわ。」
「いや、蕾も楽しんでたし、二人も遊び相手が居るなんて滅多に無いからね。ありがたいよ。」
「そうか、それなら良かった。…芹沢もちゃんと俺が危なくない場所まで送って行ったから、安心してくれ」
何故その事をわざわざ報告するのか、追求すると藪蛇になりそうな予感がして日向はフッと笑って頷くだけに留めた。
と、そこに。
「案外、一人で歩く方が成瀬君と一緒に歩くより安全だったかもね」
後方の席から悠里が近寄り、二人に話し掛けてくる。
登校したばかりなのか、その手には鞄がまだ握られていた。
「ひでーなぁ、見た目は派手だが中身は純情を売りにしてるのに……」
「じゅんじょー? えぇー……。まぁでも確かに、見た目程軽い感じじゃないってのは分かるわ……でもなー、新垣君が近くに居ると、真面目さでは成瀬君じゃ霞む一方よ」
「日向のは真面目さよりシスコンとしての熟練度だよ。シスコンがクラスチェンジして守護霊みたいになってんだ。その点、俺はまだ人の域に留まってるからな」
「雅、そのさり気なく俺を踏み台にして自分の株を上げて行く経営方針はそろそろ棄てような。芹沢さん、昨日は改めてありがとう」
悠里から言葉のジャブを貰った雅を尻目に、日向は悠里へ頭を下げた。
「ううん、気にしないで。っていうか、昨日のは完全に私が押し掛けた感じだしさ。……蕾ちゃん、あれから大丈夫だった?」
昨日の帰り際、蕾の落ち込んだ表情を思い出したのだろう。
悠里が心配そうな顔を向けて日向へ尋ねる。
「うん、まぁ楽しかった反動だろうね、あぁやって萎んじゃうのは仕方ないし、それにあの後は疲れたのかすぐ寝ちゃったから。今朝にはもう元に戻って大騒ぎで幼稚園に行ってたよ」
「そっかー、良かったぁ。帰り際の蕾ちゃんのあの顔、ほんと反則よね……新垣君じゃなくっても甘やかしちゃいそう…」
そう言いながら、にへら、とにやけ顔を晒す悠里を見た雅が。
「昨日から思ってたんだけどよ、芹沢の蕾ちゃんに対する態度って……」
「何?いいでしょ別にー、蕾ちゃん超可愛いんだもん……あのプニプニ感に可愛い顔、子供らしい愛らしさと、頑張って良い子にしてる感が堪らないのよ……ほんと、私もああいう妹ちゃん欲しかったなー」
はぁ、と溜息を吐く悠里に対し、日向はどこか満足気に頷いた。妹を褒められて喜ばない兄は居ない。
似た者同士と言えば似た者同士なのか、と雅は二人を交互に見て悠里とは別の溜息を吐いた。
朝のショートホームルームから三時限目の授業が終わり、昼休みまでラストスパートとなった四時限目の授業。
選択科目の授業で、日向は美術を選択していた。
特に拘りがあって決めた訳ではないが、美術の授業は全体的に雰囲気が緩く、音楽や書道等と違い各々で授業時間を一杯に使って好きに描ける。
今日の授業内容では人物のデッサンとなり、二人一組で行うスタイルだった。
日向の学年は全部で五つのクラスがあり、美術は全体の4割程度の人数が選択している為、決して狭くは無い美術室でもキャパシティがギリギリになる。
雅は音楽の授業を選択している為、日向は他の生徒と組む事になるのだが。
自分から誘う事は苦手でこそないが、決して得意ではない日向にとって、数少ない弱点の一つとも言えるものだ。
(こういう時、プライベート最優先で余り周りと関わって来なかったロスが大きく出るよな。)
視線を周りに向けると、窓際の一角で唯とペアを組んで椅子に座る悠里の姿が見える。
さて、自分も誰か割と普通に話せるクラスメイトと組ませて貰おうと考えながら視線を巡らせていると。
「新垣、俺と一緒にやらん?」
意外な事に、相手の方から日向に声を掛けてきた。
同じクラスの、寺本望だ。
サッカー部所属、同世代にしては恵まれた体格と、見た目より温厚な性格。
朗らかでいて嫌味の無い、正に日向のペアにうってつけの相手だった。
「あ、うん、お願いするかな。誰か居ないか探してたから良かったよ」
「お、そかそか。それじゃ、あっちの方に座ろうぜ」
「はーい。それじゃ移動するね」
望が指したのは、窓際……悠里と唯が座る位置にやや近い場所だった。
途中で2組程が座っている為、距離としては四メートル程は空いている。
望が座った対面に椅子を置くと、丁度悠里達に背を向ける形になる。
カンバスを設置し、準備を整えたらお互いにデッサンを始める。
開始して十分は経った頃だろうか、望が一旦休憩、とばかりに鉛筆を止めた。
「なぁ新垣……」
「うん?」
日向は区切りの良い部分がもう少しなので、手は止めずに返答をする。
描き始めてからずっと観察していた望の顔だが、今は少し何か躊躇っているような顔だ。
逡巡した後、望はもう一度口を開いた。
「ちょっと噂で聞いたんだけど、成瀬と芹沢って付き合ってたりする?」
流石にこの一言には、日向も一度鉛筆を止めてしまった。
質問の意味と意図を吟味し、その源泉を頭の中で探ってみる。
さて、自分はいつどこで誰かに見られるような事を………と思って、即座に思い至る。
今朝、登校した直後だ。教室内にまだ生徒は疎らで、悠里と雅の三人が丁度揃っていたので、大して気にも留めずに昨日の事で会話をしていた。
内容までは漏れていないだろうが、朝方の悠里と雅のやりとりは、傍から見ると確かに小気味良いやり取りで、親密な仲に見えなくもない。
「いや、そんな事は無いよ。ひょっとして今朝の事?」
はぐらかす必要も無いと判断し、真正面から切り込んでみる。
噂の源泉となる情報ソースの信憑性は大して高くないし、ここで下手に誤魔化しに失敗して、勘繰られるのも面倒だろう。
「あぁ、えっと、そう。仲良く話してる所を目撃したって奴が居て、ひょっとして付き合い始めたんじゃないか?って言ってる奴が何人か居てな」
恐らくその何人か、には目の前の望も含まれるのだろう。
そしてこの態度からして、もしかすると、望は悠里の事が好きなのだろうか。
「全然、ないない。むしろあの二人、マトモに話した事なんて数えるぐらいじゃないかな、俺の知っている限りではだけど」
「んー、そうか。芹沢が特定の男子と会話するのって珍しいからさ。それこそ、最近ほら……新垣も話す事あるだろ?前よりなんか二人で居る事多くなってないか?」
そう言って先程より自分の顔色を注意深く観察するような望の視線に、日向は相手の思惑を完全に理解出来た。
(そうか、雅の話は導入……で、俺の事が本命か)
それにしても、と日向は気付かれないように軽く笑う。
(まさか会話するだけで、ここまで勘繰られる事になるって。俺はどれだけ寡黙に見えて、そして芹沢さんは男子嫌いの看板でも背負ってるんだろうか……)
「俺も付き合ってる、とかは無いよ。普通に友達として仲良くさせて貰ってるけど、話すようになったのも最近だし。そのキッカケも、なんというか家族ぐるみの問題でさ、偶々話すようになっただけなんだ。そこからうちの家族が芹沢さんを気に入ってしまって、その関係で会話が増えただけなんだよ」
これでは昨日、自宅で話した懸念事項がそのまま浮き彫りになり、悠里に不利益がもたらされるのでは、と日向は出来る限り丁寧に、誠実な言葉を返すようにした。
しかし、実際に蕾の事を話すと家に上げた事も明るみになる。
付き合ってはいなくとも、異性の家に上がり込んだというのは外聞が良くないかもしれない。
ならば、真実に限りなく近い部分を明るみに出し、リスクのある部分を避けるべきだろう。
そう考えた末の言葉だったが……。
「か、家族ぐるみ?!既に家族への紹介が終わってる……家の問題………………、?!ま、まさか家が決めた婚約者だったとか……実は幼い頃に結婚を約束した近所の幼馴染という線も……いや………しかし……。御家族と懇意になってるのは、つまり……」
何やら望は目をカッと開いてブツブツと言い始めた。
「?…………。寺本、おーい、どうした?おーい?」
何度か呼び掛けるが望には聞こえていないのか「ありえん……、いやしかし。」だの「もしそうなら羨まけしからん……」や「sneg。」と呟いている。
最後の単語は意味が分からなかったが。
その後、何度か呼び掛けてみたが、望が授業中に日向へ反応を返す事は無かった。
片付けの最中、そういえば望が指定した場所は、彼からは悠里達を常に視界に収めておけるポジションだったな、と気がついた。