いざ、友情パワー。
体育祭を週末に控えた某日、日向が登校すると、そこには手や膝に絆創膏を付けた唯が居て、疲れ果てたかの様に机に突っ伏していた。
「……恵那さん、どうしたの」
鞄を机に置き、椅子を引きながら日向が尋ねると唯は顔を上げ、後方に居る悠里へと視線を向ける。
そこには唯と同じ様に絆創膏を付けた悠里が机に突っ伏していた。
「え、なにこの状況……」
只ならぬ物を感じて日向が仰け反ると、唯は「あたし達の友情パワーでも突破出来ないものってあるんだね……」と呟く。
既に登校していた雅へと視線を向けると、雅は単行本を読みながらも説明してくれた。
「俺が来た時には既にこの有様でな。何事かと訊いてみたら、芹沢が『二人三脚で転んで皆の前で恥を掻いちゃったらどうしよう』って言い始めたんだと。それが昨日の事で、そこに恵那が『それじゃ明日、朝練終わったら校庭でちょっと練習してみよう』みたいな事を言い出して、やったんだと。その結果がこれなんだと」
端的に説明する雅だったが、日向にはその状況が容易に想像出来た。というより、唯がペアの時点で波乱しか起きないと断言出来た。
「成程……それで二人とも傷だらけというか、よく朝からそんな元気があったね」
日向が半分呆れながら言うと、唯はガバッと顔を上げて「それはちょっと違うぜ成瀬ぇ……」と呻き声をあげた。
「悠里が言ったのは正確には、皆の前でじゃなくて、あらが―「こらー!」――の前で」
唯の語り口を途中で悠里の声がインターセプトする。何事かと悠里へと目を向けると、悠里は顔を上げた状態でこちらを……というより、唯を顔を赤くしたまま睨み付けている。
そのまま勢いよく立ち上がると、三人の元へとドスドスと足音を立てる様に歩いてきた。
「ゆ、唯……貴女ね……そうやって冗談なのか本気なのか分からない言葉を吐くのは止めてよ!」
「えー、失礼だなあ、あたしはいっつも本気だぜ! 一直線に生きる女、恵那唯だぜ!」
「余計に悪いわよ!」
「二人とも、朝から本当に元気だね……」
捲し立てる様に唯を叱る悠里と、それを斜め上の回答で躱す唯に向かって、日向は若干の溜息交じりで返す。時刻はまだ八時十五分、始業まではもう少し時間があるけれど、段々と生徒も集まってくる時間帯だ。
そんな事を考えていた日向の元へ、クラス委員長の栁秀平が声を掛けてくる。少し騒がしくしていたので、もしかしたら気を悪くしただろうか、と考えている日向達に秀平は片手を挙げて挨拶をしてきた。
「おっす。なになに、恵那さん達って二人三脚の練習してんの? あれ転ぶと足首痛いんだよなぁ、紐が締まって……」
叱られる、と身構えていた日向や唯だったが、秀平からその言葉を聞くと他の二人も安堵した様子で雅が秀平に向かい合った。
「そうそう、あれって自然と足を出してる内は何故か呼吸が合うけど、考え出すと急に合わなくなるよな。もう少し遅くした方がいいかな……とか」
笑いながら自身の経験談の様な事を話し出す雅と、その言葉に同意するかの様に悠里と唯はコクコクと頷いた。
「うん、唯ってそそっかしいから、私が合わせてあげようかな……って思ってたら、つい歩幅がね……」
「あたしって運動神経いいからさー、悠里をフォローしてあげようかなって思うと、つい歩幅が……」
二人の台詞が微妙に被ると、二人は顔を合わせて「ん?」「えぇ?」と疑問を浮かべた。
その様子を笑って見ていた秀平は「どっちもどっちじゃね……?」と零した後に日向を見る。
「よし、新垣。俺達も練習しよう。今日から体育祭の準備で部活も休止になるし、丁度良いと思うんだけど、どうだ? そこで恵那さん達の練習を見て、何が出来て無いかを指摘し合う……ってのは」
「えっと、俺は構わないけれど……二人はどうかな?」
ぶっつけ本番は流石に抵抗のある日向としても、秀平との練習は渡りに船だが勝手に悠里達を巻き込む訳にも行かず、女性陣に答えを促した。
「んー、あたしはどっちでもいいかなー、って思ったけど面白そうだからやる! 悠里もやるよね?」
にやにやとしながら唯が答えた後、悠里へと回答権を回すと、悠里は困惑した表情で周りを見た。
「え、私達も一緒でいいのかな……なんか無駄に足を引っ張っちゃいそうだけど……」
「二人三脚だけに?」
「……唯、うるさい」
唯の茶々入れを悠里がこめかみを抑えながら封殺する。そして、一度だけちらりと日向を見ると、すぐに視線を秀平へ向けて頭を下げる。
「えっと、それじゃ宜しくお願いします……」
「いやいや、こっちこそ。他にも二人三脚で練習したそうな奴等を誘ってみるから、多い方が気が楽だろ?」
肩を竦めて答える秀平に、三人はこくりと頷く。こうして放課後は二人三脚の練習会となった。
授業を終えて放課後、日向達は校庭の片隅にジャージ姿で集まっている。
クラスからは日向達の他に五つのペアが来ていて、内訳は悠里達の他に女子のペアが二つ、男子のペアが三つだった。
秀平が場を取り仕切る様に全員に向かい合って、目印となる電柱を指差す。
「それじゃ、とりあえずここからあそこまで走ってみようか。何周か走ってみてコツを掴んで行く感じで。本番前だから全員怪我無くやろう」
そうして秀平が日向の傍に寄って来ると、屈んでお互いの片足をハンドタオルで結ぶ。
「よし、それじゃ新垣……宜しく頼む」
「うん、宜しく。転んだら御免ね」
「いいよ、女子じゃあるまいし、怪我ぐらいで泣いたりしねぇって」
軽くやり取りをした後に、お互いに肩を支え合う格好になる。日向が悠里に目線を向けると、悠里は頷いて右手を真上に掲げた。
「それじゃ、よーいスタート!」
勢いよく振り下ろされた悠里の手を見て、日向と秀平は結んである脚を一緒に蹴り出す。
そのままテンポ良く走って行き、最後の方で若干バランスを崩しそうになったものの見事にゴールのある電柱横まで辿り着く事が出来た。
「いいね、最後でちょっともたついたぐらいかな。普通にいけるな……」
「うん、走り易かった。ありがとう、栁」
一度タオルを解いてからハイタッチする二人を見て、唯が呆然と立ち尽くしている。
「な、なんでー! あたしと悠里の友情パワーよりも新垣君と栁君のBLパワーの方が強いって言うの?!」
「ぶん殴るぞ恵那……」
唐突に唯から漏れ出したBLというパワーワードに、秀平が鬼の形相で一喝を入れる。甚だ不本意な評価に流石の日向も一切フォローするつもりは無かった。
「でも二人とも、ほとんど普通に走れてたね……どうしたらそうやって出来るの?」
悠里から疑問の声が挙がるが、そう言われても日向には答えようがない。やってみたら出来た、というそれだけなのだ。秀平も同じ様で「んー……言葉にするのは難しいな、なるようになった、としか……」と答える。
「まぁ実際にやってみよっか、皆どんどん走ってみて」
秀平が周囲に促すと、他の生徒達も順番にスタートを切る。
最初にスタートした男子組は危なげなく三組ともゴールして、続いて四組目の女子も無事にゴールする。
トラブルと言うトラブルは起きず、出走五組目の女子が途中で一度転倒者が出たが、速度もゆっくりだった事もあり軽く地面に手を衝いてしまったぐらいだ。
転倒した女子の三島柚香は、軽く手を掃った後に周りを見て照れ臭そうに頭を掻いて笑うと、慌ててペアの子が柚香に手を差し伸べる。
「ゆず、大丈夫……? ごめんね、私が早く脚を出し過ぎたかも……」
「うん! 平気平気、途中までは上手くいってたもん、この調子なら大丈夫だと思うよ!」
仲睦まじく手を繋いで喜ぶ二人を見て、怪我をしなくて済んだ事に日向が安堵していると最終ランナーとして悠里と唯が足を結んでいる様子が伺えた。
「よ、よし……いくぜ悠里……あたし達のゆ、ゆゆ友情パワーを……」
自分達以外に転倒者が一人という現実に唯が鼓舞する様な声を出すと、悠里が不安そうな表情で唯を見る。
「声震えてるけど……」
「敵が強大な程に燃え上がるのよ……」
いつの間に唯は熱血系の主人公になったのだろうと、日向はその光景を悠里と同じく一抹の不安が籠った瞳で見つめる。自分が競技してみた感想は、然程に苦労もしなかったのでそこまで酷い結果にはならないと思っていた。
「よっし、準備完了、いっくぜー悠里!」
「ちょ、ちょっと唯! そんなに力入れると……!」
いまいち呼吸の合わない二人を横目に、日向はスタートの合図を送ろうと手を挙げる。
「……二人とも、準備いい?」
「ばっちこーい!」
「う、うん!」
真剣な表情で前を見据える二人の返事を聞きながら、日向は無事を祈りつつ右手を降ろした。
瞬間、二人が一斉に前に出る。
「チェストー!」
「きゃああああ!」
大きく振り出された結ばれた唯の右足と、同じく結ばれた悠里の左足が前に蹴り出され、そして。
「マジか………」
秀平の呆然とした声が虚しく響き、周囲の生徒達も信じられない物を見たかの様に驚いている。
「一歩も進めないってマジか………」
その視線の先には、折り重なる様に倒れる悠里と唯の姿があった。
体育祭の練習、お遊び回みたいな感じです。